◆第94話 久方の洞窟 下※
藤子がナルニオルとの邂逅を済ませていた頃。
久方の洞窟に挑んでいた三人は、それぞれのタイミングでラストフロアに到達していた。
最初にたどり着いたのは、ミリシア。
彼女が三人の中で最も早くやってきたのは、ひとえにその知恵のためだ。
久方の洞窟は、戦いよりも仕掛けや謎解きに重点が置かれたダンジョンである。そこを突破するカギは、ただの攻撃力ではないのだ。
彼女に次いで、そこにたどり着いたのは輝良だ。
最初の仕掛けを、飛ぶと言う抜け技のようなもので突破した彼女は、そこでロスした時間が少ない分だけリードできたと言えるだろう。
何故ならば、その後の仕掛けはいずれも苦戦し、最終的にミリシアに追い抜かれたからだ。
そして最後が、セレンである。
彼女は最初から最後まで仕掛けで躓き続けたが、それ以外のフロアで最速をたたき出したのは実は彼女だ。
謎解きのタイムロスを極力埋めようと、全力でダンジョンを駆け抜けた結果である。
これだけで断じることはできないが、少なくとも思考能力ではミリシアが他に勝ることは間違いないだろう。のちに彼女たちに合流した藤子もまた、同様の評価を下した。
そして戦闘能力では、というと……。
「はああぁぁぁっ!!」
裂帛の気合を吐きながら、セレンが刀を振るう。その太刀筋に一切の迷いはなく、一つ、二つ、三つと連続する軌跡の一つ一つが刹那の合間に乱れ飛び、対峙していた金色の身体を誇る竜――ゴールドドラゴンの身体にそれと同じ数の刀傷が深く刻まれた。
しかしゴールドドラゴンはひるまない。血も流れ落ちないその肉体に、痛覚などないのだ。なぜならそれは魔獣でも幻獣でもなく、おまけに生物ですらないのだから。
神話級で待ち構える最後の敵が神、もしくはその側近であるならば、遺産級の最奥で待っているのはその眷属である。このゴールドドラゴンもまた、神々によってここに設置された守護者なのだ。
だからこそそれは、己が受けた傷などまるで意に介さず、ただ直前に意図した攻撃を続行する。
それは、長い尻尾による一撃。その場の全体を薙ぎ払う、強烈な攻撃だ。
だがいくら表面上はダメージがなくとも、精神的にひるむことがなかろうと、ゴールドドラゴンは確かに攻撃を受けた。相応の衝撃を、間違いなくその身に追っているのだ。
だからこそ、続行したその攻撃は最初に意識されたものよりも弱く、狙った効果を挙げずに終わることになる。
「があああぁぁぁぁッ!!」
獣の咆哮が、だだっ広く殺風景なラストフロア全体に響き渡り、びりびりと壁や床を振動させた。
声の主は輝良。その全身には青く輝く鱗が浮き上がり、両腕と両足は丸太のごとき強靭な姿となっており、獰猛な爪もあらわになっている。
藤子から授かり、常にその身に使い続けている変化の術を半分解いた姿である。これにより輝良は、常時さらされている莫大な枷から半ば解放され、幻獣サファイアドラゴンとしての力の多くを人と変わらぬ姿で使うことができる。
すなわち、迫りくるゴールドドラゴンの尾撃を受け止めることができるようになるのだ。
「んぐ……! さすがに、重い……!」
膨大なエネルギーを受け止めた輝良の身体は、勢いを打ち消しながらも数メートルの後退を強いられる。その際に脚が地表を滑って、土と石を激しく削り取った。
だが、弾かれることなく、彼女はしっかりとゴールドドラゴンの尻尾を止めた。攻撃を、防いで見せた。
その直後に、後方からミリシアが舞い上がる。決して高くはないフロアの、頂点ぎりぎりまで。
彼女の全身が、黄金の輝きに覆われていた。否、身体の表面すべてを、金色の魔法文字がびっしりと覆い尽くしているのだ。
これこそ、太陽術の発露。魔法であり闘技でもある、この世界でも特殊な技術。それに包まれたミリシアは今、一時的にせよ超越的なエネルギーを持つ存在だ。
「えいやあぁぁーっっ!!」
そのままミリシアは大きく両翼を広げると、さらに激しい輝きを身にまとって一気呵成に飛び出した。
その先は、ゴールドドラゴンの首。自らを光り輝く破魔矢と化す、捨て身の一撃。
尻尾を受け止められた状態で動きが制限されたゴールドドラゴンは、それでも強靭な両腕を振るってそれを防がんとする。
しかしそれを、懐深くに潜り込んでいたセレンが阻止する。その手に握られていたのは、いつもの打ち刀ではなく、美しい花びらを散らせる純白の魔法刀だ。
「斬れろぉぉーッ!!」
雪柳の名を冠する妖刀が、神速で振り上げられる。それによって雪のように花が吹雪き、一瞬の煌めきと共にゴールドドラゴンの腕を穿つ。
響き渡ったのは、石か何かを破壊したような無機質な音だった。生体が断ち切れる時のような、生々しい音ではない。
そんな音と共に、ゴールドドラゴンの腕が空に飛ぶ。
必殺の一撃と化したミリシアがゴールドドラゴンに突き刺さったのは、その直後であった。
「ウガアアァァァァッッ!!」
――閃光と、断末魔の悲鳴。
ゴールドドラゴンの咆哮が尾を引いて余韻を残す中、文字通りそれを貫いたミリシアが、なおも余る勢いに急制動をかけながら着地した。
それと同時に、セレンと輝良もゴールドドラゴンの近くから跳んで離れた。
そしてその直後、ゴールドドラゴンの身体が石像のように白化し、それからゆっくりと塵となって消え始めた。
三人は、その様子を遠巻きに見つめる。普通のモンスターとは違う消滅に、ただ目を奪われたように。
そうして消え去った後、そこに現れたのは無数の蒼金貨であった。金貨同士がぶつかりあう音を周囲に響かせながら、それは山となる。
「「「……やった?」」」
そこまで見届けて、三人は誰からともなく、同時にそうつぶやいた。
そして、まったく同じことを口走った互いを見つめ。
「……あはははは!」
「皆、一緒……」
「ふふふ、そうみたいね」
張りつめていた緊張を解いて、それぞれ笑い合った。
それからひとしきり笑い、また健闘をたたえ合って、全員の無事を祝す。
激しい戦闘の直後であり、三人が三人ともその場に座り込んでしまったが。
「……あーあ、でも結局共闘になっちゃったねえ」
「仕方ない……あれは一人じゃ無理」
「そうよね……トーコさんは単独で踏破しろ、って言ってたのに……」
そこで彼女たちは、表情をやや曇らせた。
そう、藤子は彼女たちに「単独で踏破しろ」と言った。そしてダンジョンにおいて踏破とは、ダンジョンを守るボスを倒して初めて踏破となる。
つまり、ゴールドドラゴンを倒して初めて達成と言えるのだが……。
最初、ゴールドドラゴンのところに辿り着いたミリシアはとても一人ではかなわず、次いでやってきた輝良に加勢を求めるしか生き延びる術がなかったのである。最後にやってきたセレンは、決定打に欠け長期戦の様相を呈し始めていた二人を見るや否や、助太刀を即断した。
つまり、誰も藤子から言い渡された制限をクリアできなかったことになる。
それでも、彼女たちに悲壮感はなかった。
「……まあでも、ダメだったらダメで、きっと稽古をつけてくれるよ」
「ん……」
「……二人のその感覚が、最近普通に思えてきたから怖いわ……」
そんなことを話し合って、また笑う。
強さを純粋に敬い、それを目指す気質を持つ魔獣の血がそうさせるのだろう。
それから体力が回復するまで休憩をした彼女たちは、ゴールドドラゴンがドロップした蒼金貨の山をかき集める。それだけで結構な重量となるが、人間ほど器用な手を持たないミリシアはものを持つことができないので、少し肩身が狭そうである。
そうして残したものがないことを確認すると、彼女たちはフロアの奥にあった魔法陣へ移動する。
遺産級ダンジョンも、神話級と同じく消滅しないダンジョンだ。そのため、ボスを倒すと同時に外へとはじき出されることはないのである。
魔法による空間移動の感覚が、三人に均等に降りかかる。その感触にそれぞれの感想を抱きながら、三人は久方の洞窟を後にした。
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久方の洞窟から帰還したセレン達は、そのまままっすぐレイロールの冒険者ギルドへと戻った。
力のある優秀な人材の養成機関を備える街なので、ギルドには年若いものが多い。他の街ならば、ギルドと酒場が併設されていることがほとんどなのだが、ここのギルドは代わりにただの食堂になっている。その辺りも、気性の荒い人間があまり寄り付かない一因になっているのだろう。
ちなみに、優秀な浄水道具ともなる資源、水霊石があるこの世界では、酒は子供にはご法度となっている。成人とみなされる年齢は国によって違うが。
さて、ダンジョンから生還した人間は基本的に、ギルドの片隅にあるドロップアイテム買取を行う業者が出入りする区画で手に入れたアイテムを処分する。モンスターを倒して金が入り、さらにドロップアイテムを売って金が入るのだから、冒険者稼業が人気になるわけである。
しかし、セレン達がアイテムを売ることはない。金に困っていないというのもあるが、藤子――正確には彼女と組んでいるセフィ――が、様々な素材や資源を求めているからだ。
そして藤子は、ほぼ無限にものを保管する専用の亜空間を持っている。大きさや重さは関係ないので、手に入ったものを無理に手放す必要はない。
かような理由があるので、ダンジョン帰りにもかかわらず彼女たちは受付でダンジョン入場許可証を返すだけで、ギルドでの用事は終わりである。あとは、宿屋に戻って藤子と合流するだけだ。
さっと入ってきてさっと出ていく彼女たちの荷物入れからのぞくアイテムに、買取業者たちが物欲しそうな目を向けていたが。
「おう、戻ってきたか。思ったより早かったな」
まっすぐ宿屋に戻り、自室へと入った三人を、藤子が出迎える。
「たっだいまー!」
「……ただいま」
「ただ今戻りました」
思い思いに返事をしながら、三人は入り口のところで固まった。
迎え入れた藤子が彼女たちにどうした、とばかりに首を傾げて見せると、輝良が代表して恐る恐る口を開いた。
「……トーコ、その服、何?」
そう言われた藤子の服装は、今までとがらりと変わっていた。
見栄えも鮮やかだった薔薇色の服は、いまや黒一色である。現代の地球ならば、喪服と言っても通用しそうな代物である。しかしその裾はやはり大きく開いていて、彼女の瑞々しい脚を惜しげもなくさらしている。
それを締める帯は、縹色。水の青さにも似た穏やかな風合いが、自己主張せずに黒と共にたたずんでいた。
さらに藤子のトレードマークとも言うべきポニーテールは解かれていて、腰まではあろうかという彼女の黒髪が、艶めかしく揺れている。
そしてそれの代わりとでもいうべきか。藤子は、瑠璃色とも玉虫色とも呼べる不可思議な色味と、かすかな光沢を放つ羽衣を纏っていた。
そんな恰好を見せつけるように、彼女は両手を広げた。
「これか? いや何、ちといい男に少しは服装を気にしろと怒られてな。久しぶりに衣装を改めてみた」
あまりと言えばあまりの大変身である。
が、何のことはない。ナルニオルに言い咎められて、負けず嫌いを発揮しただけである。
……もちろん、女として着飾ろうと言う意識もないわけではない、が。
恐らく。
「……違いすぎ」
「随分思い切ったイメージチェンジだと思いますよ……」
「はっはっは、なぁに今までのような装いを二度としないわけでもない。違和感は最初だけ……って、セレン?」
のろのろと驚きから回復した輝良とミリシアに対して、セレンは藤子にそう言われるまで固まり続けていた。
そんな彼女の視線に首をかしげ、藤子はもう一度問う。
「セレン、いかがした?」
「はっ」
そこでセレンは、ようやく復帰した。
そのまま彼女は、熱っぽい表情で藤子との距離を詰めていく。
「その、トーコ……きれいだ……」
「「「……はあ?」」」
突然の発言に、藤子だけではなく輝良たちも目を丸くした。
それでも、セレンは止まることなくその口を動かし続ける。
「いや、だって……いつものトーコはなんっていうか、かわいい感じなのに……今日のはこう……なまめかしいっていうのかな? とっても大人っぽい感じがして……だから、とってもきれいだなって……」
「ま……待てセレン! お主、何を抜かしておるのかわかっておらんじゃろう!?」
「わかってるよ、私は素直に、思った通りのことを言ってるだけだよ!」
「いやいやいや!?」
「いつものトーコも好きだったけど、私は今みたいな感じも好きだなあ……」
「こ、このうつけが! そんなことをほいほいと言う莫迦がどこにおるか!」
「ここにいるよ?」
「落ち着かんか!?」
妙に熱っぽい語り口のセレンに、藤子が声を荒らげる。普段なら、決して見ることができない光景かもしれない。
そんな様子を遠巻きに眺めながら、ミリシアが輝良に耳打ちをした。
「……ねえ、カグラ? トーコさんって、ひょっとして押されるのに弱い?」
「……知らない。あんなトーコ、初めて見た」
「そう、なの……」
「……妬ましい」
「……カグラ? ちょっと、え?」
眠そうに半分まぶたをおろした顔つきは変わらないものの。
その瞳に宿っている炎が見えた気がして、ミリシアは顔をひきつらせながらその場から一歩、二歩と距離を取った。
(なんで修羅場になってるの?)
そんなことを考えながら、彼女は事態が沈静化するのを待つ選択をした。
ただでさえ日々の修行が非日常的なのに、こんなところでそんなものは味わいたくない、というのが彼女の本音であった。
セレンが暴走をやめ、藤子が説得力のない説教をかまして一段落した頃、日は完全に落ちてしまっていた。
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「なんだかどっと疲れたわい……」
苦虫をかみつぶしたような顔を隠そうともせず、口元を波ダッシュのようにして藤子がこぼす。
特定の個人に向けられた愚痴だが、当の本人はえへらえへらと笑いながら、後ろ頭をかいていた。
輝良は無表情の白面のまま微動だにせず、ミリシアがため息交じりに話を進めようと藤子に促して、ようやく話が始まった。
「ぅおっほん……で、今回の戦利品は?」
大げさに咳払いをして、無理やり話を動かした藤子に、セレンたちはスイッチのオンオフを切り替えるかのようにさっと顔を引き締めた。
そして、久方の洞窟で獲得してきたアイテムの数々を、机の上に広げる。
「ほう、なかなか取ってきたな……って、なんじゃこの蒼金貨の山は?」
「ああこれ? ボスがドロップしたんだ。アイテムは出なかったけど、代わりにすごい量でさ」
戦利品で藤子が反応したのは、やはり大量の蒼金貨だった。
神話級深層のモンスターであってもこれほどのドロップはしないのだから、無理からぬことである。
しかしセレンの説明に、藤子は固まった。そして一拍考えてから、改めて口を開く。
「……待て、ボス? あそこにマスターモンスター……守護者はおらぬはずじゃが」
「「「えっ」」
藤子の言葉に、今度はセレン達が固まる番だった。
しばし、その場に沈黙が満ちる。
「……お主ら、何と戦ったのじゃ?」
「その……ドラゴン……」
「金色」
「原型の輝良より大きかった、です」
「……むう」
相手のことを聞いてもなお、藤子には心当たりがなかった。
「……レイロールの学園に潜り込んで、久方の洞窟については事前に調査し尽していたはずなのじゃがな。それによればあそこに守護者はおらず、だからこそ子供の訓練に用いられているということだったのじゃが」
「えええ?」
「……本当?」
「信じがたいですね……だって、あの金色のドラゴン、ものすごく強かったんですよ?」
「ものすごく、じゃと?」
「ああうん。私たち三人がかりでやっと倒せたくらいだったんだ」
「……一人だと、絶対無理」
「ええ……その、ですから単独での踏破には失敗してしまっていまして……」
そこで藤子は、腕を組んで考え込んでしまった。
何せ、セレン達は既に一騎当千と呼べる実力を持っている。藤子が今まで見てきた遺産級ならば、一人でも十分踏破できるほどには。
しかし今回、そんな彼女たちが三人がかりでようやく倒したのだと言う。だとすれば、その守護者の力は、神話級の守護者に匹敵していてもおかしくはない。
(何じゃ? こやつらの、何が他と違う? どういう仕掛けが働いている?)
藤子は脳内でそう自問するが、それに対する答えは持ち合わせていなかった。
「トーコ?」
「ん……うむ。どうやら、今は考えても仕方なさそうじゃ。ひとまずは棚に上げておくとしよう。それで此度の修行であるが……完全にわしの想定外じゃ。故に、此度は不問とする」
そう言って頷いた藤子に、ほっと安堵の域を漏らしたのはミリシアだけであった。
その後、藤子はセレン達が回収してきたものを片っ端から亜空間にしまって、セフィとの共有財産にすると、金を均等に分けてセレン達に返した。
それから、彼女たちにはセフィと同じようなアイテムボックスを用意してもいいかもしれない、と考えながら、今後のことを話し合う。
「明日は休みにしよう。予想外の苦戦を強いられたようじゃし、身体を厭うがよい」
「うん、そうさせてもらうー」
「今日は疲れた」
「ですね……本当に」
「その後は予定通り、グドラシア森国に向けて移動かの。ムーンレイスほどではないが、古代文献が豊富という噂じゃからな。比較的長く滞在することになるじゃろう。道中はいつも通り早駆けで行く。遅れるでないぞ」
「はーい」
「ん、わかった」
「かしこまりました」
三人の了承を見渡して、藤子はに、と笑った。
「では飯にするか!」
それから続けた彼女の言葉に、三人も笑顔で返事をしたのであった。
なお、得られるものがなかったので完全に余談ではあるが……。
翌日に藤子が一人で久方の洞窟に潜ったところ、やはりラストフロアにはゴールドドラゴンが出現したので、首を傾げつつも一撃で倒したのはここだけの話である。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
普段押すタイプのキャラが押されると弱いのは王道ですね。
好きです、王道。
それはさておき、藤子編は今回で一旦おしまいです。
次回からはまたセフィ編に戻りますー。




