天焰神社の一日 前編
今回は少し短めです
八月二十七日午前六時零分。
ドォン!という爆音が社務所に響いた。
鉄人とタタリは瞬時に覚醒し、慌てて寝室から飛び出した。
「何だこの音は!?」
「わかんない! 太鼓のようだけど、ともかく止めないと! 呪いかもしれない!」
太鼓に限らず、楽器を演奏する行為そのものが、呪術において呪文のように働くことは多々ある。
怒りに狂った巫女が、二人を呪術をしかけているやもしれない。
そう考えた二人はそれ以上言葉を交わすことなく、音源の方向へと駆け出した。
襖を前にして鉄人とタタリは目合わせし、二人でこくりと頷くと勢いよく扉を開けた。
宴会場のように広い、三十畳もある居間には案の定、巫女が居た。
バチを豪快に太鼓に叩きつけ、ドォン!ドォン!と重厚な音を響かせている。
気配に気づいたのか、バチを床に置き、穏和な笑みを浮かべ、二人と向き合った。
「お早う御座います。天焔神社名物『朝太鼓』は如何でしたか? スッキリとお目覚めになられたでしょう?」
一切の敵意も見せず微笑みかける巫女を前に、鉄人もタタリも困惑した。
呪術攻撃ではなかった?
そう判断するには早計かもしれないが、油断なく巫女を観察しながらタタリは言葉を投げかけた。
「……まぁ、目覚めはバッチリだよ。それより昨夜のことだけど、私の弟子候補と何かトラブルを起こしたみたいだよね? 」
「その件に関してなのですが……申し上げたいことが御座います」
躊躇なく本題を切り出すタタリに清子は顔を曇らせた。
やがて、意を決して清子は見惚れるほどの鮮やかな姿勢で正座し、掌を揃えて置き、額を畳に擦り付けた。
これ以上ないほど綺麗な土下座だった。
「昨夜の鉄人さんに対する蛮行……真に申し訳ございませんでした。無理矢理に御魂に干渉するなど、礼に欠けた行為であり、何よりも人として最低な行いでした。以後、客分としておもてなす中で償っていきたく存じますので、平に平にご容赦下さいますようお願い申し上げます」
異常に完成度の高い土下座を見せ付けられながらこんなことを言われれば、返す言葉もなかった。
タタリは勿論、被害者である鉄人でさえも、どことない罪悪感が生じてしまう。
戦闘になるかもしれないと意気込んでいた二人は、毒気を抜かれたように沈黙した。
「……だってよ? 鉄人くん、どうする?」
「謝罪を貰ったからには、これ以上追求するつもりはない」
居心地の悪そうに呟いた鉄人の言葉に、清子はパッと頭を上げる。
「そうでございますか!? 貴方のお心遣いに深く感謝いたします。それでは私は朝食の準備に取り掛かりますので、その間洗面所で顔を洗い、備え付けの着物に着替えてください。もし朝風呂をお望みでしたら、すぐにお湯を沸かしますが?」
ただ一言「いいよ」とだけ言い残し、タタリは居間を去った。鉄人も無言で付いていく。
昨夜とは打って変わった巫女の献身的な態度に、二人とも揃って怪訝な表情を浮かべていた。
☆☆☆
鉄人とタタリが順番で顔を洗い、各々の寝室で用意された着物に着替え、居間に戻ったときには、出来たての朝食が用意されていた。
入り口から見て左側に二人分の座布団と盆が置かれ、その向かい側に清子が正座している。
畳に直に置かれた盆の上に様々な食器が揃えられている。
献立はごはん、浅蜊のお吸い物、鯵の味醂干し、胡瓜の酢の物、味付け海苔、生卵。
豪勢ではないが、日本食らしいバランスの取れた朝食といえよう。
炊きたてのご飯とお吸い物の香りが食欲をそそる。
「朝食の前に『神道』の作法に則った『規則』を説明させていただきます」
箸に手を付けようとした鉄人とタタリを牽制するよう清子が語る。
「食事中は正座の姿勢。私語は一切禁止。食前と食後は一拝一拍手をして、感謝を捧げるための和歌を唄うこと。以上が食事中の『規則』となります」
「……勘弁してくれ。客分として扱うんじゃあなかったのか? たかが食事を規則で縛るなんて、宗教臭くて気持ちが悪い」
呪い師であるタタリはともかく、現代っ子である鉄人にとっては非常に厳しい規則であった。
文句の一つも言いたくなるのも仕方ないだろう。
「正しい作法を身を持って体験していただくことが、私が提供できる唯一最大のおもてなしですのでご容赦願います。鉄人さんにとっても『神秘』の力を高められる機会ですよ?」
「力を高められるとはどういう意味だ?」
清子は鉄人が渇望する「神秘」の力を餌にすることで、匠に興味を誘導した。
「食事には『神道』における概念の一つである『神人共食』が働くのです。神に献じた食物には神気が宿ります。それを正しい作法に則り食せば、神気を体に取り込み御魂を増強することが出来るのです。わかりやすく言えば『神秘』の力を扱う上で核となる霊体の強化に繋がるのですよ」
鉄人は笑顔を浮かべながら説明する清子を訝しみ、タタリに目線を向けた。
「……嘘は言ってないよ。たしかにここに並べてあるものは全部、正真正銘の神饌だよ。お米の一粒一粒が清められている御洗米になっている。貴重なはずなのに、随分と大盤振る舞いしたものだよ」
タタリの補足を受けて、鉄人はようやく納得した。
「よろしいですか? では、私がお手本を見せますので頑張って覚えてくださいね」
清子の一礼一拍手の動作を、二人は寸分違わず再現した。
そして、清子は清らかな和歌を唄い始めた。
「『たなつもの 百の木草も天照す日の 大神の恵み得てこそ』」
短い歌であるものの、その中には独特の発音と抑揚が感じられた。
歌が終わると同時に、清子の前にある盆が淡い光に包まれた。
「これで神気が宿りました。お二人も続いてください」
鉄人は沈黙していた。
一応歌詞は覚えたが、その独特な発音方法までは再現できる自信がなかった。
「『いただきます』」
鉄人と清子は、突如言葉を発したタタリに目を向けた。
タタリの目の前の食物は、清子のものと同じように、淡い光に包まれていた。
「仰々しい和歌を唄わなくとも、『いただきます』の一言で感謝の気持ちは伝わるものなのだよ。お世話になる手前あまり強いことは言えないけど、少なくとも私は、そこまで『神道』に染まる必要はないと思うよ」
心なしかドヤ顔を浮かべているタタリを尻目に、清子は笑顔を崩さずに反撃した。
「呪い師であるタタリさんはよろしいでしょう。しかし、まだ『信仰』を持っていない鉄人さんは『神道』の作法に従っていただきますよ」
「鉄人くんは私の弟子だよ。私と同じく扱うべきだと思うけど?」
「おや? 先程は弟子『候補』と仰っていたようですが?」
「……そうでした。でも、将来弟子になるかもしれない人に、変な作法を押し付けて欲しくないな」
「変な作法ではありません。古来より受け継がれてきた由緒正しき作法です。それに、鉄人さんがこれから『神秘』を選択する上で、未来を考える上で、『神道』の『神秘』の一端を体験することは決して悪いことではないと思いますよ」
穏やかではない空気なりつつある二人を尻目に、鉄人は大きく息を吸った。
「『たなつもの 百の木草も天照す日の 大神の……』駄目だ。最後の歌詞が思い出せない」
鉄人は二人の会話の無視して、和歌を唄っていた。
鉄人にとって最大優先事項は「神秘」の力を得ることである。
それに繋がることであれば、面倒な作法であろうと何だろうと従うだけであった。
「最後は『大神の恵み得てこそ』です。それよりも、発音と抑揚が全くなっていませんね。まずは声の出し方から練習していきましょう」
清子は何処か嬉しそうな表情を浮かべながら鉄人の隣に座り、不自然に密着しながら教え始めた。
タタリは「むっ」とした顔をして、不機嫌そうに目の前の朝御飯を食べ始めた。
後編は明日に投稿します