潔癖症な巫女 上
投稿が遅れてしまってすみません。
3日に一度くらいのペースで更新していこうと思います。
八月二十七日午前零時三十分。
夏の終わりを感じさせるような秋風が息吹く深夜の河川敷に、二つの影が疾走していた。
先頭は呪い師タタリ。
箒に全力の霊力を注ぎ込み、後ろから追ってくる男を振り切らんと滑空する。
二番手はマスクドスカル。
全力全開の脚力でマウンテンバイクのペダルを回し、先の少女を追わんと爆走する。
「まだ付いて来るの!? 時速80キロくらいで飛んでるのにどうして振り切れないんだよぉ!」
立ち漕ぎで迫ってくる髑髏マスクの男に向けて、タタリは絶叫した。
「私が弟子になることを了承しない限り、地の果てまでも付いて行く所存だ!」
一方、マスクドオーガこと鉄人は体力の衰えも感じさせずに、タタリの箒飛行に追い縋っていた。
運転免許を持っていない鉄人にとって、マウンテンバイクは移動手段の要である。
ゆえに、彼は多大な金額を投じてマウンテンバイクをチューンナップしていた。タイヤ、ホイール、サドル、ペダル、ハンドルバー、グリップ、フレームなどのパーツを運転性向上、軽量化、そして何よりも「スピード」に特化するよう組み合わせていた。鉄人の脚力を持ってすれば、そのスピードは車にも匹敵する。
やがて疾走する二人の影は、夜の帳が下りる霊山に辿り着いた。
(ここに神社があるんだよね? だったら尚更振り切らなきゃ!)
神社の境内にさえ入ってしまえば、結界でも人払いでもなんでも使って逃げ切れる。
そのように判断したタタリは箒飛行の高度を上げた。
タタリが例外的に習得している「魔女術」である箒飛行術には安全装置のような物がなく、誤って箒から落下すれば怪我は間逃れない。
そのため、タタリは安全性を考慮し、基本的に高さ2メートル程度の低空飛行を心掛けていた。高速度で飛ぶ際には尚更である。
しかし、霊山の中腹に存在を感じる神社により速く辿り着くには、高度を上げ最短距離で飛ぶしかないと判断し、タタリは安全性を度外視しながら空へと飛び立った。
「高度を上げただと!? いや、惑わされんぞ! 目的地は分かっている! 先に辿り着けば良いだけの話だ!」
鉄人はマウンテンバイクを急ターンさせ、勢いを殺さずに石階段へと向かった。急斜面の石階段をマウンテンバイクが猛烈なスピードで駆け上がる。
鍛え上げた脚力のみならず、卓越したボディバランス、そして一瞬たりとも迷わずに石階段へ方向転換した判断力を持ってして始めて出来る芸当である。
☆☆☆
最短距離の空のルートを進むタタリと、重力に逆らうようなスピードで石階段を駆け登る鉄人は、ほぼ同時に目的地である神社の鳥居の前で出くわした。
神社に入る際には鳥居を通らなければならないという規則がある。
呪い師であるタタリは神社の保護下に入る以上、そんな当たり前の規則を破るわけにはいかなかった。ゆえに、鳥居をくぐるために上空から急降下した。
一方、マスクドスカルこと鉄人は、ただ単純に石階段を登り切った後にある鳥居にまで辿り着き、そのまま勢いを殺さずに進んでいた。
ひたすら目の前の神社を目指していた両者はお互いの存在に気付くこともできず、鳥居の真下で衝突事故を起こした。
厳密に事故を分類するならば、タタリの追突事故と言い表すことができよう。
「うわぁぁぁぁ! どいて! 避けられないよ!」
「なにィ!?」
タタリにとっては突然暗闇からマウンテンバイクが現れたようなものであり、当然制御は追いつくはずがなかった。
鉄人は咄嗟に後ろの声に反応し身体を沈めたが、事故の回避に繋げることはできなかった。
激突した二人は箒とマウンテンバイクから投げ出され、宙を舞った。
空中で鉄人は強引にタタリを引き寄せ、自らの肉体で庇うよう彼女の小柄な体を抱きしめ、境内の玉砂利を撒き散らしながら地面を転がり回った。
「あうぅ〜〜……」
鉄人の腕に抱かれたタタリは、何が起こったのかもわからず目を回していた。
「ぐっ……け……怪我はないか?」
と腕の中のタタリに尋ねるのは鉄人である。
彼女を庇いまともに受け身も取れなかったため、全身に打ち身を負っていた。
新しく着替えたライダースーツはボロボロになり、髑髏マスクもいつの間にか外れていた。
「……えっと、君が助けてくれたの? もう大丈夫だよ。ありがとう」
タタリの無事を確認した鉄人は、腕の中の彼女を解放した。
「ってうっかりお礼を言っちゃったけど、そもそもの原因は君がしつこく追ってきたからだよね!? いい加減諦めてよ!」
どこか照れ臭そうな表情を浮かべながら、タタリは鉄人を追求した。
「どうしても無理か? 一応、俺は腕っ節に自信がある。相手が人間であれば、手段を選ばなければ例えどんな者であろうと勝てると自負している。用心棒なら充分務まるはずだ。そうだ、もし金銭面で困っているならば、少ないが俺の蓄えを全て授業料として差し出そう。後は……」
「ち……ちょっと待ってよ!」
肩を掴み至近距離で力説する鉄人に、タタリの「待った」がかかった。
「最初に言っておくけど、私は全国を旅してる呪い師なのだよ? 君は毎日泊まる宿もわからないような生活を送りたいの?」
「全く問題ない。こちらから言い出したことだからな。あのプレハブは今日中に解約する」
微塵の躊躇も見せず鉄人は答える。
「『おまじない』は何でもできるような魔法ではないのだよ。習得するには長期の訓練が必要だし、例え習得できたとしても効果は曖昧なものばかりだよ。何よりあんまりお金にならないし、将来性なんて全くない。単なる気休めの呪いを君はそこまで学びたいの?」
「今の俺に必要な『力』だ。どんな障害も乗り越えてみせる」
鉄人は一切迷わず答えた。
タタリは鉄人の鋼の如き意思の強さにたじろいだ。彼女を見つめる鉄人の視線は真剣そのものである。迷いのない光が宿る瞳に彼女は圧倒された。
余談だが、鉄人はこの時点で髑髏マスクが外れていることに気付いておらず、そのために素面でタタリと向かい合い真っ当な会話をすることができていた。
「どうして……どうしてそこまで私なんかの弟子になりたいんだよ!『神秘』を学べる所ならいくらでもあるって言っただろ!」
どうして先程出会ったばかりの自分に拘るのかと、タタリは聞かずにはいられなかった。
タタリは鉄人の気迫に折れかけている。これは、彼女に残された最後の防波堤のような質問であった。
「それは……君に惚れたからだ」
「うぇっ!?」
鉄人は端的に答えたつもりであった。
彼は言葉足らずの人間である。
正確には「君が見せてくれた『おまじない』に感銘を受けた」と言いたかったはずが言葉が足らず、全く別のニュアンスを持つ言葉として伝わってしまった。
「一目見て、虜になってしまったんだ」
「うわぁぁぁ! 待ってよ! 直球すぎて付いていけない!」
鉄人が重ねた言葉は、意図せずに誤解を深めるものであった。
タタリにとっては、ストレートに告白されたようなものであり、思わぬ展開にパニックに陥っていた。
「いきなり言われて困るよぉ……」
髪をくるくると指に巻きつけいじりながら、タタリは困惑していた。
恋愛絡みの依頼を受けたことは数あれど、残念ながら彼女が当事者となったのは小学校以来である。
一方、鉄人はタタリの反応に違和感を感じていた。
どうして照れるような仕草をしているのか?
自らの言動を振り返り、鉄人は自分の言葉が与えた誤解に気付いた。
言葉足らずではあるが、他人の心の機敏に鈍感な人間ではないのである。
「あっ、いや……すまん。別に口説こうとしているわけじゃあないんだ……」
鉄人が自らの言動について弁解しようとするも、間が悪いことにマスクが外れていることに気づいてしまい、まともにタタリの顔が見れなくなっていた。
このような態度が誤解を更に深めたことは言うまでもない。
タタリはというと、俯きながら髪をいじり、やがて決心したように口を開いた。
「……『タタリ』だよ。呪い師タタリが私の名前。本名じゃないけどね。言ってなかったでしょ?」
「あ……あぁ。これからはそう呼んで構わないか?」
「うん。師匠だなんてガラじゃないからね」
「師匠」という言葉に鉄人は目を見開いた。
「つまり、俺を弟子にして……」
「まだだよ! 今はまだ試験期間なのだよ!」
「試験期間とはどういう意味だ?」
「君が用心棒としてどれだけ優秀か、私のためにどれくらい働いてくれるのかを見極めさせてもらうのだよ。
条件は『これから私に一切の怪我を負わせずにこの町から逃がすこと』。これが達成できたら、君を正式な弟子として認めるよ」
鉄人の言葉足らずから始まった誤解は、結果的には良い展開へと転がっていった。
鉄人にとっては、「神秘」の力を習得するためのまたとないチャンスである。
「了解した。俺の命に変えても、ありとあらゆる理不尽からタタリ、君を守ることを誓う」
「う……うんっ……よろしくね。鉄人くん」
タタリは仄かに顔を紅くして、鉄人の宣言を受け入れた。
すると鉄人はタタリへ近づき、おもむろに呪術衣を脱がし始めた。
「うわぁぁぁ! 待った待った!いきなり師匠に何をするつもりだよ!」
「『一切の怪我を負わせない』ことが条件だったはずだ。先程の衝突での怪我は契約の範囲外だが、そのまま傷口が化膿などで悪化したら、俺の管理下で怪我が発生してしまうことになる。無理矢理にでも治療させてもらうぞ」
「何もこんな所で始めなくても……ちょっ! 待って! 本気でやめてー!」
既に半裸となった呪い師タタリの悲痛な叫びが神社に響き渡る。
「お取り込みの所を失礼致します」
凛とした女性の声に鉄人とタタリは振り返った。
其処には……
絵に描いたような巫女が立っていた。
服装は白衣に緋袴。
長く伸ばした髪は鴉の濡れ羽色。
顔立ちは幼さと色気が同時に混在し、なおかつ神秘的な魅力をも与えるような大和撫子を体現する美しさを誇っていた。
巫女は上品な笑みを浮かべながら、取っ組みあっていた鉄人とタタリに語りかけた。
「ここは神聖なる天焰神社の境内です。たとえ貴方達が夫婦であっても、神前で乳繰り合うことなど許されません」
突如出現した巫女に、タタリは狼狽え、鉄人は警戒を強めた。
「いいえ! 誤解なのですよ! 私たちは知り合ったばかりで、夫婦でもないし、あと乳繰り合ったりなんてしてないですよ」
「知り合ったばかりで淫らな行為に興じていたのですか? 汚らわしいです」
巫女は笑顔を崩さないまま、タタリの弁解を踏まえて毒を吐いた。穏やかな笑みを浮かべてはいるが、彼女は内心激怒していた。
「夜中に大きな物音が響き何事かと飛び出てみれば、境内は荒らされた上に、若い男女が恥も外聞もなく、神聖なる神社で如何わしい行為に励もうとする瞬間に立ち会うなんて……私はとても悲しいです」
怒りを表に出してはいないが、巫女の声色には肝を冷やすような迫力が含まれていた。
「あんたは誤解をしているようだ。俺がタタリの服を脱がせているのは、治療を行うためであって……」
鉄人の言葉を無視し、巫女はくんずほぐれつの二人に手箒と塵取りを差し出した。
「そんなことはどうでもいいんです。とにかく荒らした境内を掃除してください」
鉄人とタタリが改めて周囲を見渡すと、マウンテンバイクは玉砂利を撒き散らした跡を残して倒れており、箒もまた玉砂利を巻き上げながら地面に刺さっていた。
二人は道具を受け取り、そそくさと掃除を始めた。