神秘に携わる者
ヒロインである呪い師「タタリ」が登場します。
ワリと酷い目に遭うヒロインです。
八月二十六日午後十一時十九分。
舞台は夜中の河川敷。
満天の星空の下、夏の終わりを告げる涼しげな風が息吹く河川敷で、神秘的な光景が繰り広げられてていた。
第一の神秘は、幅50mもある川の中央を箒に乗って滑空している少女。
第二の神秘は、その後ろから金髪の青年が壮年の男性をあろうことか「お姫様抱っこ」して水面を疾走している光景であった。
少女の飛行も男達の水面歩行も、ワイヤーで吊るされているとか透明なガラスの板の上を走っているとか、ありがちなトリックを使用しているわけではない。
彼等は神秘に携わる者である。
少女は「呪い」を
修道士は「奇跡」を
各々の「信仰」を元に「神秘」を現世へと顕現させていた。
「しつこい、しつこ過ぎるよ。なんで私がこんな理不尽な目に……」
呪い師「タタリ」は己が霊力を跨っている箒に全力で注ぎ込みながらボヤいていた。
確かにタタリはルール違反をしてしまった。
呪い師である彼女が、故意ではないとはいえ「教会」の面子を潰してしまい、結果的に超えてはいけない領域に踏み込んでしまった。
しかし、だからといって
「司教と聖人が追ってくるなんて、たかが呪い師一人にどれだけ必死なのだよ!」
タタリが愚痴るのも無理もないだろう。
「教会」のヒエラルキーの中でも上位に君臨する司教と、奇跡の体現者として知られる聖人。
「教会」が誇る圧倒的な実力者二人が、悪魔を追及するが如く執拗に少女を追い立てているのだから。
ちなみに、聖人として異常な身体能力を誇る青年が司教を抱えて走り「足」となり、抱かれている司教が水面歩行の奇跡を顕現することによって、タタリの箒飛行術を追い上げていた。
「こんなにスピードを上げても振り切れないなんて、これが聖人の力なの? デタラメ過ぎるよ……」
弱音を吐きながらも懸命に箒飛行を続けていたタタリだが、彼女の夜空の旅は唐突に終末を迎えた。
「うわぁッ!?」
突如川のど真ん中に出現した、銀幕の如き「結界」に弾かれて、彼女は川へと墜落した。
川の中央で待機していたシスター(修道女)が創り出したものである。
タタリは、二人の修道士にさながら鼠のように追いたてられ、最終的なゴールである鼠取り(トラップ)へと誘導されたのである。
☆☆☆
幸い、低空で滑走していたために墜落の際に怪我は負わなかったものの、彼女が身に纏うダブダブの呪術衣での着衣泳は困難を極めた。
川の水深は平均で1.6メートル。
小柄なタタリでは足は届かない深さであり、あっぷあっぷになりながら、ようやく河川敷へと辿り着いた。
顔を上げ周辺を確認すると……
司教に、聖人に、シスターに、三方向から囲まれていた。
司教は自らのヒエラルキーを象徴する赤紫の神父服に身を包んだ壮年の男性である。
背は高いが、痩せ型であるため威圧感を与える印象はなく、穏和な表情と物柔らかな姿勢から豊かな人生経験を垣間見れた。
聖人は漆黒の神父服を着こなした金髪碧眼の美男子である。
身体の起伏を覆う神父服の上からも全身のスタイルの良さを感じさせ、自信に満ちた表情は老若男女を魅了する気品があった。
シスターはゆったりとした純白の修道服を纏った小柄な少女である。 (150センチそこそこの体躯のタタリとどっこいどっこいである)
小さな頭は黒外套付きの頭巾で覆われており、彼女の無感情な表情をミステリアスに魅せていた。
(もう囲まれているよ……どうしよう……呪術具の殆どが水でオシャカになったみたいだし。特に紙人形とお符は全滅。限られた呪術具と『おまじない』でなんとか逃げるしかないよ……てゆうか、私の箒どこ?)
タタリは立ち上がり、懐から筒を取り出した。
司教が一歩前に進み、穏やか笑みを浮かべてタタリに語る。
「お待ちください、貴女は酷く誤解をしているようです。我々は貴女を傷付けるつもりは一切ありません。寧ろ、貴女のためを想い、『祝福』を授けようとしているだけなのです。どうか、御理解の程をお願いします」
「教会」の修道士に相応しい、聞く者に安心感を与えるような慈しみに満ちた声色であった。打算や悪意と言ったマイナス要素を一切感じさせない、慈悲に満ちた言葉にタタリはたじろいだ。
(タチが悪い事にこの人達は、自分がやってることが善行だと心の底から盲信しているんだよね。私の意思なんて度外視している行為なのに……)
タタリは覚悟を決めて、司教の言葉を拒絶した。
「生憎だけど、私は長年築き上げた『おまじない』を手放すつもりも、『教会』に入るつもりも全くないのだよ!」
タタリの拒絶の言葉に、司教は悲しみに暮れた表情を浮かべた。
「分かって、頂けませんか。致仕方ありません、多少乱暴な手段になってしまいますが、この場で『洗礼』を行いましょう。今は恨んでくれて結構です。いずれ貴女にも理解する時が訪れるでしょう」
司教の言葉を皮切りに、聖人が迫り来る。
呪い師タタリにとって、状況は最悪と言っても過言ではないだろう。
しかし、彼女は諦めるわけにはいかなかった。
愛する祖母から受け継がれた「おまじない」を途絶えさせないために、足掻くことを決断した。
筒から大豆を十数粒取り出し、彼女の小さな掌に握り込む。
そして、日本で親しまれている「おまじない」を唱え、「教会」の使者達と対決した。
「『鬼はぁ、外ぉ!』」
☆☆☆
同時刻。
夜の河川敷の秋を感じさせるような涼風を全身で感じながら、マスクドスカルこと百武鉄人はマウンテンバイクで土手道を疾走していた。
繁華街から5キロ程離れた所で、ようやく安堵に包まれる。「今日も捕まらなくて良かった」と心の中で呟いた。
彼とて考えなしに行動しているわけではない。喧嘩を売るときは常に背後に暴力団が存在しないか、親族が行政に関わりのある人間ではないかなど自身の安全を充分に考慮した上で行動している
実際、先の鮫島さん一味の一件も一ヶ月に渡り綿密な調査を行っており、あの場で病院送りにしても問題ないと判断した上で仕掛けたのであった。
彼が何故このような暴行に入れ込んでいるのか?
その理由はただ一つ「復讐」である。
「ダークヒーロー・マスクドスカルは不滅だ。理不尽を振るう輩がいる限り、俺はいつまでも続けてやる」
そんな独り言を呟いた直後の事である。
左斜め前方から、すなわち川の方角から、突然「箒」が飛来した。
「何だぁ!?」
鉄人は咄嗟にマウンテンバイクから飛び降り、身体に染み付いた動作で受け身を取った。
ガシャン!という音と共に、マウンテンバイクは土手から転がり落ちた。
突然の事態に呆気に取られていた鉄人であったが、直ぐに気を引き締め、警戒を露わにした。
(マスクドスカルに恨みを持つ者が仕掛けてきたか?いや、今まで記憶消去は徹底して行ってきた。恨みを覚えられているはずがない。だとしたら、通行人を無差別に襲う悪ふざけの類か?)
そこまで考えた所で鉄人の思考は遮られた。
「箒」の異質さに気付いたからである。
前方から飛来してきた「箒」は勢いを失わず、まるでそれ自体が意思を持っているかのような動きで空中をデタラメに飛び回っていた。
慣性も重力も糞もない、物理学を徹底的に無視したような動きである。
鉄人が観察する限り、ワイヤーなどで操られている様子はない。
やがて、燃料が切れたかのように動きは止まり、重力に従い草むらに墜落した。
無論、この「箒」は呪い師タタリが跨っていたシロモノである。「結界」によって持ち主が弾き飛ばされた後に、残っていた霊力を動力源として飛行術が継続し、さながら手綱を失った暴れ馬のように飛んで来たのであった。
「これは……もしかしたら、本物の『魔法』なのか?」
世にも奇妙な「神秘」を目の当たりにした鉄人は、震えていた。
恐怖からではない、歓喜からである。
この世に「暴力」とは違う、神秘的な力が存在したという事実に打ち震えていた。
鉄人は未知なる魔法への期待を胸に秘め、「箒」が飛んで来た方角へと走り出した。
☆☆☆
結果的に、呪い師タタリは逃走の好機を見出すことすらできずに敗北した。
タタリが放った「節分」の「おまじない」は、所謂「お祓い」の呪文である。
本来なら節分に行われる豆撒きのように、「鬼」を、即ち悪鬼悪霊の類を退治するための呪いである。
しかし、使用された福豆は彼女が特別に呪術的加護を施した「炒り大豆」であった。「炒る」に「射る」の言霊を重ねたことで、福豆は弾丸のような速度で放たれるようになり、物理的破壊力を伴った強力な攻撃になるはずであった。
相手が聖人でさえなければ。
「奇跡の象徴たる聖人を鬼と蔑むか!? 何たる思い上がりだ!」
聖人は弾丸のように迫り来る15粒の福豆 (15とはタタリの年の数である)を、その奇跡の身体能力によって片手で全て受けた。
その掌には聖人の証たる聖痕が輝いている。
次の瞬間には、疾風のような速さでタタリの腕を捻り、身体を傷付けないよう配慮した動作で組み伏せていた。
「何も取って喰おうという訳ではない。神父は君を高く評価している。我らの同志となれば、司祭の地位を約束するとも仰っている。受け入れれば、これから先の人生は常に祝福に満ちるものになると俺が保証する。だから、今は大人しく儀礼を受けてくれ」
聖人は、諭すような声色で組み伏せたタタリに呟いた。
金髪碧眼の美男子に至近距離で諭されたその言葉は、年頃の乙女であれば思わず二つ返事で了承してしまうほどの蠱惑的な響きであっただろう。
しかし、タタリは自らが研鑽し続けてきた「おまじない」を失うかどうかの瀬戸際であり、美男子とか金髪とかそれどころではなかった。
「おっ……お願いだから許してよ! これからあなた達に何でも協力するし、『教会』にも忠誠を誓うから! だから『おまじない』だけは奪わないで……」
「残念だけど、それは出来ないな。洗礼により異教徒の魔術は一切が洗い流される。だが、対価として得るものは『奇跡』だ。君に宿る息吹なら、数多の迷える子羊を救えるシスターになれるさ」
タタリの必死の懇願は的外れな慰めと共に却下された。
「嫌だよ! 嫌だよ! 嫌だよぉ!『奇跡』なんて要らない! 私には『おまじない』さえあればいいの!!! 離してっ! 離してよぉ!」
「おいおい、暴れるなよ。これじゃあ、聖人が婦女暴行してるみたいじゃあないか。仕方ない」
ジタバタともがくタタリの華奢な首筋に右手が添えられ、掌から閃光が迸り、彼女の意識は刈り取られた。
「聖人パトリック。淑女に手荒な真似は慎みなさい」
「申し訳ございません神父、余りにも煩く騒がれたもので。周辺の住民に気付かれる可能性を考慮し、少々強引な手段で沈黙させました。少量の息吹を霊魂に流し込み、彼女に一切の苦痛を与える事なく気絶させました」
「次からはより慈しみを持って淑女を扱いましょう。さて、シスター・アリア、人払いの首尾は如何ですか?」
「『結界』は完成しました。どれほど悲鳴が響こうと、周囲に漏れる事はありません」
シスター・アリアは無感情に言葉を返した。
「宜しい。それでは第一の秘蹟、『洗礼』を執り行いましょう!」
パトリックがタタリを浅瀬に寝かせ、その傍で司教が祈祷文を読み上げた。
「『天にまします父なる主よ、司教マルティン=アンジェリコが洗礼者と成りて第一の秘蹟を為す事を許し給え』」
司教マルティンは十字を切り、高らかに宣言した。
「『願わくは異教の志願者を、洗礼の水によりて新たに生まれ、主の愛子のうちに加えられんため、彼女の信仰を改め給わんことを、我らの主によりて乞い願い奉る。AMEN!』」
マルティンが執行している儀礼は聖書の一節を再現していた。
自らを洗礼者ヨハネ。
目の前に流れる川をヨルダン川。
そして、タタリを神の子イエスに見立て、儀礼は進行する。
「いやあァァァァ!!! 頭がッ! 頭が割れるぅぉぉッッ!!! 助けてぇ! 誰か助けてよぉ!!!」
儀礼の第一段階は「浸礼」。
聖なる光に満たされた川に浸され、タタリは激痛に悲鳴を上げた。自らの霊体が無理矢理に浄化されていく感覚は想像を絶するものであった。
加えて、儀礼が始まった今、彼女は霊的呪縛によって身動きは一切取れなくなっており、激痛に身を揺らすことすらも許されなかった。
「気を強く持って耐えて! 耐えてください! この試練を乗り越えれば、貴女は大いなる祝福を授かるでしょう! 今は我々を悪魔であると恨み耐え抜いてください!」
滂沱と涙を流しながら、司教マルティンは激励の言葉を投げかけていた。
隣には聖人パトリックも補佐として川に聖なる光を流し込みながら、苦痛に満ちた表情で見守っている。
シスター・アリアは無感情に、両手でロザリオを握りしめ祈っていた。
(どいつもこいつもおかしいよ! 理不尽に儀式を強行しておいて、何が耐えろだよ! 何泣いてんだよ! 泣きたいのはこっちだよ! 揃いも揃って見当違いの善行に酔いやがって!!! 一生恨んでやるぅ!!!)
悲鳴を上げ意識朦朧となりながら、タタリは「教会」の使者達に憎しみを募らせていた。
(こんな輩に……こんな理不尽に呪い師タタリが終わるなんて、悔し過ぎるよ……もう誰でもいいから助けてよ……この際、神でも悪魔でも天使でも精霊でも、何でもいい……)
しかしながら、タタリは神秘に携わる者として、神頼みが意味を成さないものであると知っていた。
神も悪魔も天使も精霊も、正式な手順を踏んだ儀礼を行った上で、召喚、あるいは喚起するものである。
縋る者に救済を与える存在では、断じてない。
「そこまでだ!!!」
助けを求める声に応じて現れたのは、唯の人間であった。
次回はガッツリとした戦闘になります。