008_新しい主人
俺は、美味しい料理を食べながらエステルとの会話を楽しんでいた。
他のテーブルの客達も酔いが回ってきたのか大声で笑ったり、肩を組んで歌ったりして盛り上がっているようだ。
「…………」
が、その時、急に食堂全体が凍りついたように静かになってしまった。
歌っていた連中も口を開けたまま黙り込んでいる。
「え、何?」
周囲の異変に、エステルも不安げな表情を浮かべた。
……ん?
異様な静寂の中、俺はエステルの背後に黒い影のようなものが見えた気がして反射的に目線を上げた。
すると、彼女の頭のすぐ後ろに、服が張り裂けんばかりのきょ、きょ、巨乳が!?
……これは、……すごい!!
男の性か、本能には逆らえずガン見してしまった。とにかく途轍もないボリュームなのだ。
「え?」
そんな俺の視線にエステルも気付き、不審げな顔で後ろを振り返った。
「グロリア!」
その途端、嬉しそうに立ち上がる彼女。
「久しぶりエステル、元気そうね」
「ほんと久しぶり、今着いたの?」
「ええ、あなたは?」
「今日の昼過ぎに着いたわ」
エステルは巨乳と、いや、巨乳の女性と親しげに話し始めた。どうやら待ち合わせていた昔の仲間だったようだ。
ただ、その女性の見た目は普通の人とかなり違っていた。
一番印象的なのが肌の色。
薄い黒、完全な黒ではないが肌の色として少し誇張して言うとすれば「漆黒」だろうか、とにかく見たこともない色だ。
それから耳、大きくて先の尖った耳が横に向かって長く伸びている。
さらにスタイルがすごい。
身長は180センチほどはあろうか、顔が小さく、胸がでかく、腰が細く、お尻が大きい。
まさにダイナマイトなボディだ。
その体をタイトなタンクトップと超ミニスカートで締め上げている。
髪の色はシルバーで、長髪のようだが今はポニテにしており、顔は整っていて美人だが、でも、冷たい感じはなく、目がとても優しげだ。
けれども、そんな風貌に似合わず、腰のベルトには年季の入ったごつい長剣を差していた。
周りの客達は、しばらくエステル達の様子を黙って見守っていたが、また何事もなかったかのように話し始めた。
「あれ、ライムントは?」
「急用ができたから来れないって。あいつのことだから、どうせまた女の尻でも追っかけてるんじゃない」
「クレリックのくせに、……でも、じゃあヒーラーを探さないといけないわね」
エステルが残念そうに呟く。
「その代わりと言ってはなんだけど、凄腕のローグを連れて来たわ」
そう言って巨乳の女性が後ろを振り返ると、そこに何ともヘンテコな人? が立っていた。
猫と人間のハーフのような姿をしている。
身長は140センチくらいだろうか、女の子だ。
髪がオレンジ色のショートで、頭の上に猫の耳? のようなものが付いている。
肌の色が褐色で可愛らしい顔をしているが、目の感じが普通じゃない。
瞳が縦長の楕円で、白目の部分が透き通った淡い緑色をしているのだ。
さらに、閉じた口からは牙のような八重歯がわずかにのぞいている。
体も、腕は人間と同じなのだが、脚は膝から下が毛で覆われており、踵やつま先に至っては完全に猫の足だ。そしてお尻の辺りからは、長い尻尾がだらりと垂れ下がっている。
長袖のシャツに短パンというラフな服装で、腰には大ぶりのダガーをぶら下げていた。
「小さいけど成人よ。別のパーティーから引き抜いてきたわ」
巨乳の女性が紹介すると、そのヘンテコな女の子はにこりともせず、
「チャロです。よろしく二……」
と、変な挨拶をした。
……語尾の二ってなんだろう?
「猫族ね、よろしく。私はエステル・ドゥ・ビューリー、ウィザードよ」
エステルも名乗って笑顔で握手を求めたが、チャロは彼女の手を軽く握っただけで、すぐに離してしまう。
「猫族のローグなんてピッタリな職種ね」
さらにエステルがフレンドリーに話しかけたのだが、チャロは小さく頷いただけだった。
その素っ気無さにさすがのエステルも戸惑ったのか、隣に立っていた巨乳の女性に耳打をちする。
「愛想のない子ね」
「猫族はプライドが高いから、でも慣れれば人懐っこい良い子よ」
……性格も猫っぽいということか。
「……で、そちらの彼は?」
チャロの紹介を終えると、巨乳の女性は、今度は俺の方に興味津々の視線を向けた。
「え? ああ」
その問いに、エステルは俺をチラッと見てから簡潔に答える。
「アルテミシアで調達した奴隷よ、タケルって言うの」
「奴隷?」
巨乳の女性は不思議そうに首を傾げた。
「……何だ、新しい彼氏かと思った」
「なわけないでしょ、奴隷よ、奴隷」
……奴隷、か。
さっきまであんなに楽しく会話をしていたエステルに、奴隷、奴隷と言われて俺は少し凹んだ。
……新しい彼氏ってことは、前にもいたってことか。
そう思って、俺は何故かさらに凹んだ。
しかし、巨乳の女性はまだ納得できない様子でいる。
「……でも奴隷服でもないし、一緒のテーブルで食事してるし、……もしかして部屋も一緒?」
当てられてエステルは一瞬たじろいだように見えた。が、すぐに冷静になって短く理由を説明する。
「奴隷部屋じゃ疲れが取れないでしょ」
けれども、巨乳の女性はまったく聞く耳を持たない。
「そうなんだ、一緒なんだ、……疲れてるから二人で癒し合うんだ」
と、にやけながらさらなる疑いの目をエステルに向けた。
「何訳のわからないこと言ってんの。長旅だからって奴隷を買ったのに、その奴隷が病気で使い物にならなくなったら困るでしょ。もちろん、寝る時は拘束リングを使うわ」
エステルは段々イライラし始める。
「無理することないわ、気に入った奴隷を情夫にすることはそれほど珍しい事じゃないんだから」
「だから、違うって言って――」
エステルはさらに声を荒げて否定しようとしたが、
「あれ、そう言えば」
と、巨乳の女性が彼女の言葉を強引に遮り、俺の顔をまじまじと見つめつつポツリと呟く。
「目元の辺りが前の彼氏に似てない?」
バン!!
「こ、こ、こんな不細工なわけないでしょ!!」
エステルが顔を真っ赤にしてテーブルを叩き、大声で怒鳴った。
「…………」
エステルの剣幕に、また静かになってしまう周りの客達。
「うぅ……」
彼女もそれに気付き、恥ずかしくなったのか下を向いて静かに腰を下ろした。
そして、……俺はかなり凹んだ。
確かに俺は不細工だし、エステルほどの女の子なら、その元彼もどうせイケメンだったに違いない。
でもそこまで断言しなくても……。
「あはは、冗談通じないところ、変わってないなぁ」
巨乳の女性が笑うと、周りの客達も安心したのか少しずつ自分達の会話に戻っていった。
「もう、からかわないでよ」
「ごめん、ごめん」
巨乳の女性はエステルに謝った後、俺に視線を移した。
「タケル、私はウォーリアのグロリア・リーシュよ、よろしくね」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
俺は美人に見つめられ、少しドキドキしてしまう。
「フフ……」
そんな俺にグロリアは軽く微笑んだ後、またエステルに視線を戻し、
「じゃあ先に部屋を確保してくるわ、行きましょうチャロ」
とだけ言い残して、カウンターの方に行ってしまった。
「ああ、もう、なんかイライラする」
しかし、グロリア達が去った後も、エステルはまだ怒りが収まらないのかプンプンしている。
俺は彼女の気分を変えようと、当たり障りのない話題を持ち出すことにした。
「……ウォーリアって聞いてたから、もっとむさくるしい男が来るのかと思ってました」
けれども、エステルは「今話しかけるな」と言わんばかりに怒った表情でキッと俺を睨みつける。が、その後、俺が気を遣っていることに気付いたらしく、ふうっと息を吐き、いつもの落ち着いた口調を取り戻した。
「グロリアはああ見えても優秀なウォーリアよ」
「……肌の色が黒っぽかったですけど?」
「彼女は、『闇エルフ』よ」
エステルはそう言うと、この世界の「エルフ」という種族について教えてくれた。
エルフとは、人間と妖精の中間に位置する種族だといわれている。
見た目はほとんど人間と変わらないが、男女とも美形で、人間より平均して背が高い。
特徴的なのが大きな耳で、横方向に伸びていて、かつ、先が尖っているため、耳を見ればエルフかどうかはすぐにわかる。
彼らは頭が良く、運動神経も抜群らしい。
寿命は平均で百歳くらいだ。
……ちなみにこの世界の人間の寿命は六十歳くらいだといわれている。
この世界のエルフはその特徴から、森エルフ、ハーフエルフ、闇エルフの三種族に大別される。
かつては野エルフという種族もいたが、現在固有種は絶滅したらしい。
森エルフは、スレンダーで肌の色が白く、単純にエルフと言う場合は彼らのことを指す。
大陸北西部にある「アルトゥールの森」という所に住んでいるが、その森から外には滅多に出てこないため、普段目にすることはない。
ハーフエルフは、野エルフと人間の混血だ。
見た目はどちらの血が濃いかによってだいぶ違うようだ。
ただ、野エルフが絶滅してしまっているため、今のハーフエルフはかなり人間に近くなってきているらしい。
しかし、耳だけはエルフの特徴を引き継いでいる。
人間の社会で暮らしているので、町や村で見かける耳の長い種族はほぼハーフエルフといってよい。
闇エルフは、肉感的で肌の色が漆黒なのが特徴だ。
彼らは森エルフの変異種なのだが、森エルフとは一緒に生活せず、人間の社会で暮らしている。
ただ希少種のため、目にする機会はほとんどない。
しばらくしてグロリア達が戻ってきた。
「おいしそうね。チャロ、私達もそれでいい?」
鶏肉の煮込みを見ながらのグロリアの問いかけに、チャロはこくりと頷く。
グロリアはさっそく店員を呼び、俺達と同じ料理を注文した。
さらに、店員が厨房に行きかけた時、
「あっ、葡萄酒ボトル一本とグラス二つもお願い」
と、エステルが呼び止めてお酒の注文を追加した。
店員が厨房の方へ行ってしまうと、
「乾杯する前にお金の清算をしましょう」
と、エステルが急にそんなことを言い出す。
……食べる前から?
と思ったが、その清算は食事代のことではなく「俺」のことだった。
奴隷、つまり俺はエステル一人が買ったのではなく、パーティー付きの奴隷として最初からメンバーで割り勘にすることになっていたらしいのだ。
よって、現時点からグロリアとチャロも俺の主人になった。
ちなみに、グロリアが調達してきた馬車も割り勘らしい。
つまり俺は馬車と同じ扱いなのだ……。
お金の清算は終わった。
ただ、混んでいるせいか料理はまだ出てこない。
「……パーティーの名前はどうする?」
時間を持て余したエステルがグロリアに尋ねた。
後で聞いた話では、バウギルドで仲間の募集をしたり、討伐する魔物の情報を集めたりする際には、パーティー名が必要になるらしい。
「うーん、……あれでいいんじゃない?」
グロリアは少し悩んだ後、奥の壁に掛けられていた一枚の絵を適当に指差した。
小振りで薄ピンク色の花がたくさん描かれた油絵風の絵だ。
「……ワイルドローズ?」
「そう。私はそれでいい。チャロは?」
グロリアに聞かれて、興味なさそうに黙って頷くチャロ。
「じゃあ、パーティー名はワイルドローズで決定ね」
みんな大してこだわりはないようだ。
「リーダーはエステルがやってね」
「えー、今回の言いだしっぺはグロリアでしょ」
「私はいい加減だから」
エステルはため息をついた。
「……仕方ないなぁ」
……グロリアは自他共に認める「いい加減」らしい。
結局、ワイルドローズのリーダーはエステルになった。
「それと、タケルはちょっと複雑な事情があるらしいから、今回の仕事がうまくいったら奴隷から解放してあげようと思っているんだけど、いい?」
「本当の彼氏にするつもり?」
「違うわよ」
今度は、エステルはグロリアの冗談を軽くかわした。
「……まあ、仕事がうまくいったら」
ということで、グロリアとチャロも承諾してくれた。
そこでやっと料理が運ばれてくる。
エステルは待ってましたとばかりに葡萄酒を四つのグラスに素早く注ぐと、
「乾杯しましょう」
と言って、みんなにグラスを持つように促した。
そして、みんなが持ったのを確認すると、彼女は勢い良くグラスを掲げる。
「ワイルドローズ結成を祝して、乾杯!」
「乾杯!」
みんながグラスを傾けた。
その後、エステルはハイペースで葡萄酒を飲み始める。
仲間と再会したことが相当嬉しかったのか、一段と上機嫌だ。ヘラヘラ笑いながら、グラスに注がれた葡萄酒を一気に飲み干している。
「タケル、飲んでる?」
「あ、はい、飲んでます」
「もっと飲め!」
あまりのペースに、最初はおもしろがって飲ませていたグロリアも、途中からは注ぐのを止めてしまった。
しかし、エステルの暴走は止まらなかった。
乾杯してから二時間くらい経っただろうか、俺達のテーブルの上には何本かの葡萄酒のボトルが無造作に転がっていた。
チャロはとっくに自分の部屋に戻ってしまっている。
「あれ、もうない、タケル、葡萄酒もう一本頼んで!」
エステルが空のボトルをのぞき込みながらそう言うと、さすがにグロリアも呆れたようだ。
「エステル、明日は朝早く出発しなくちゃいけないのよ。そろそろ止めておいたら?」
「やら、もう一本飲む」
もうろれつも回っていない。
「そんなに酔っ払って、……もう好きになさい。私は先に寝るから」
とうとう我慢できなくなったのかグロリアも席を立ち、階段の方へ早足で行ってしまった。
そんな彼女の背中を横目で追いながら、エステルが恨めしそうにポツリと呟く。
「……あなたのせいよ」
結局、エステルはもう一本ボトルを空け、その後テーブルに突っ伏してしまった。
食堂には、もう俺とエステルの他に客は誰もいない。
厨房の店員が迷惑そうにこちらを見ながら皿を拭いている。
「エステル様、部屋に戻りましょう」
「……」
応答がない。どうやら眠ってしまったようだ。
……仕方ない、運ぶか。
俺は諦め、店員に手伝ってもらいながら彼女を背負った。
すると、彼女のやわらかい体が俺の背中にぴったりと密着する。
……うん、おんぶも悪くない。
俺はできるだけゆっくり階段を上り、自分達の部屋に戻った。
「エステル様、ベッドですよ」
そう声をかけ、俺はエステルをベッドに下ろした。
けれども彼女は全く反応せず、そのままベッドに倒れ込んでしまう。
……仕方ないなぁ。
俺は、だらしなく横わたる彼女に毛布をかけてやろうと手を伸ばした。が、その時だ。
「う、ううん……」
彼女が甘い吐息を漏らしながら、俺の腕を強引に引っ張ったのは。
「えっ!?」
俺は体勢を崩し、四つん這いのような格好で彼女の上に覆いかぶさってしまった。
目の前には、頬を赤く染めた彼女のかわいい顔がある。
目は閉じられているが、眠っているのか、ただ目を閉じているだけなのかは判別できない。
……こ、これは、もしかして誘われているんじゃ?
……今日の彼女の俺への気遣いから考えれば、その可能性は十分ある。
……でも、もし勘違いなら火あぶりにされるかもしれない。
……さっき不細工とか言ってたし。
……い、いや、もしかしたらこれも「旅の間は特別よ」の一つなのかも。
俺はそのままの姿勢でしばらく悩んだ。
が、下半身は早々に結論を出し、しきりに理性を懐柔しようとしている。
……よ、よし、やってやる!
理性は無駄な抵抗を止めた。
俺は覚悟を決め、自分の唇を彼女の美味しそうな唇にゆっくり近付けていった。
彼女の小さな顔が俺の視界を少しずつ埋めていく。
彼女の吐息が俺の顔を優しく舐める。もう心臓バクバクだ。
しかし、俺の唇が彼女の唇に触れようとしたまさにその時、
「ジャン……」
彼女の口がわずかに動く。
……ジャン? ……寝言?
次の瞬間、閉じられた彼女の目から涙が湧いた。
「……ジャン、…………ジャン、…………」
涙は止めどなく湧き出し、彼女の長いまつ毛を湿らせた後、目じりから勢いよくこぼれ落ちた。
「はぁ……」
……やっぱり俺の勘違いか。
そう思ったら、彼女の上に覆いかぶさり、一人で盛り上がっている自分が妙に格好悪く見えた。
「……」
俺はエステルの上からそっと起き上がり、彼女に毛布を掛けてやると、そのまま自分のベッドにもぐり込んだ。
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翌朝、目が覚めると、窓から差し込む日の光が部屋を強く照らしていた。今日もいい天気のようだ。
伸びをしつつ隣のベッドを見ると、エステルはまだ寝ていた。眉間にしわを寄せ、うんうん唸りながら。見るからに具合が悪そうだ。
そんな彼女の様子に、俺ももう少し寝ていてもいいかなとも思ったが、そういえば昨夜、グロリアが「明日朝早く出発する」と言っていた事を思い出し、とりあえず一階に行ってみることにした。
「タケル、こっちよ」
一階に着くと、すぐにグロリアに声をかけられる。
見れば、すでに食堂で朝食をとっているグロリアとチャロの姿が。
テーブルにはパン、サラダとソーセージ、それにスティーナが並んでいた。
「おはようございます、グロリア様、チャロ様」
「おはよう」
グロリアは微笑みながら挨拶をしてくれたが、チャロは目も合わせず軽く頷いただけだった。
「タケルもここに座って食べちゃいなさい」
そう言うと、グロリアは俺の分の朝食も注文してくれた。
「ありがとうございます」
俺はお礼を言いながら彼女の隣の席に着いた。
「昨日の夜は災難だったわね」
座ると、グロリアはさっそくエステルに遅くまで付き合わされた俺を気の毒そうな顔で気遣った。
「いえ、でもエステル様はお酒を飲むといつもあんな感じなんですか?」
「いいえ、あんなこと滅多にないわよ」
「そうですか……」
昨夜、エステルはベッドで「ジャン」という寝言を言っていた。
ジャン、……間違いなく男の名前だ。
グロリアにからかわれて元彼を思い出し、やけになって飲んでしまったのだろうか……。
そんなことを考えていると、早くも俺の分の朝食が運ばれてきた。
向こうの世界の朝食とほとんどかわらない内容だ。
「いただきます」
俺は良い主人達を持ったと心から感謝しながら食べ始めた。
するとその時、階段の方からドタバタと音がして、ぼさぼさ頭のエステルが下りてきた。
青い顔をして目の下にはクマができている。どうみても二日酔いだ。
グロリアが呼んでも返事をせず、まるでゾンビのようにたどたどしい足どりで俺達がいる所までくると、そのままテーブルに突っ伏してしまった。
「……あー、飲みすぎた。頭痛い。……タケル水貰ってきて」
俺が厨房に行って水を貰ってくると、エステルは一旦は起き上がってそれを飲み干したが、その後また力尽きたように突っ伏してしまう。
「昨日は久しぶりにあんな泥酔したエステルを見たわ」
「……そう、なの? 途中から記憶がなくて」
エステルは昨夜のことを覚えていないらしい。俺は内心ホッとしたが、
「それじゃあ、タケルと二人きりの熱い夜も台無しね」
と、グロリアが茶化すと、
「だから違うって言ってる――」
途中まで言いかけたエステルが思い出したようにガバッと起き上がった。
「そういえばタケル、昨日の夜、拘束リングを施錠し忘れたけど、私に何かしなかったでしょうね?」
「し、してません」
いきなり聞かれて一瞬動揺してしまった。目が泳いだかもしれない。
「本当にぃ?」
案の定、エステルはさらなる疑いの目を向けた。
「本当に、してません!」
しようとは思ったが、結局何もしてないんだからびくびくする必要はない。
俺は冷静にはっきりと否定した。
「……」
それでもエステルはしばらく俺の顔を疑り深く眺めていたが、やがて諦めたようにふうっとため息をつく。
「まあ、私も不注意だったから今回は大目に見るわ。……あー、頭痛い」
そう言うと、彼女はまた具合悪そうに突っ伏してしまった。
……ちょっ、それじゃあ俺が何かしたみたいじゃないか!
そんなふうに言われるのならいっそやっておけばよかった、と秘かに思った。
すると、そんな思いを知ってか知らずでか、グロリアがニヤニヤしながら俺に顔を寄せてくる。
「命拾いしたわね、タケル」
「はい?」
「昔、エステルと二人で飲みに行った時、酔っ払いの男が冗談半分にエステルのお尻を触ったの。そうしたらどうなったと思う?」
「……」
俺は固唾を呑んでグロリアの次の言葉を待った。
「一瞬で火達磨になったわ」
やっぱり……。
「あの時はたまたま近くにヒーラーがいたからよかったけど、あのままだったら間違いなく死んでたわね」
「……」
俺は絶句した。何もしなくて本当によかったと心から思った。
「だからエステルに手を出す時は事前承認が必要よ」
「奴隷に承認するわけないでしょ」
突っ伏していても話は聞いていたらしい。エステルはきっぱりと言い切った。
エステルが二日酔いですぐに動けそうになかったため、出発を少し遅らせることになった。
チャロはこの空き時間を利用してヒーラーの勧誘待ちの掲示が出ていないかこの町のバウギルドに見に行ったようだ。
俺はグロリアに馬車の準備をするよう頼まれたが、馬車を扱ったことがないと伝えると、
「じゃあ、私が教えてあげるわね」
と、彼女は優しそうな微笑みを浮かべた。
馬車は宿屋の裏手に停めてあった。
荷台に幌の付いたアメリカの西部劇に出てきそうな幌馬車だ。
荷台はそれほど大きくないが、旅の荷物を載せてもぎりぎり大人四人が寝られる広さはある。
グロリアは馬車の準備の仕方をとても親切に教えてくれた。
俺を奴隷としてではなく、人として扱ってくれている。
馬車の準備が終わると、続いて、旅の荷物とグロリアが宿屋の主人にあらかじめ頼んでおいた水や焼き締めたパン、干し肉などの保存食を荷台に積み込んだ。
しばらくは街道沿いに宿場町があるため、食料は念のためだそうだ。
積み込みの作業が終わり一息ついていた時、チャロがバウギルドから戻ってきた。
「どうだった?」
グロリアが尋ねると、彼女は無言で首を横に振った。どうやら目的のものはなかったらしい。
その頃にはエステルの二日酔いも多少良くなってきていたため、俺達は出発することになった。
次に目指すのは「ヴァシア」というアルキス王国で第二の規模を誇る都市らしい。
ここから西に向かって約十日の行程だ。