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004_旅の始まり

 エステルの後について行くと、宿屋がずらりと建ち並ぶ通りに出た。

 宿屋街だ。

 たくさんの人達が店内の様子をうかがいながら通りを行き来している。

 今夜泊まる所を探しているのだろう。

「どうですかお客さん、安くしとくよ!」

 そんな人達に向かって宿屋の客引きが威勢よく声を掛けている。


 エステルはその雑踏の中を早足でスタスタと進んで行く。

 時々客引きが彼女にも声を掛けるのだが、見向きもしない。

 俺は彼女に置いていかれないよう行き交う人達を避けながら必死について行った。


 やがて彼女は、通りの中ほどにある三階建ての宿屋に何の躊躇もなく入った。

 窓辺に植木鉢が並んだ小綺麗な宿屋だ。


「マスター、久しぶり」

「おっ! エステルじゃないか、久しぶりだな。仕事かい?」

「ええ、いつもの部屋空いてる?」

 宿屋に入った途端、エステルはカウンターの店主と親しげに話し始める。

 どうやらよく使う宿のようだ。

 俺は彼女の後ろで二人の会話が終わるのを待ちつつ静かに店内を観察した。


 店の中は壁に漆喰が塗られていてとても明るい雰囲気だ。掃除も行き届いており、塵一つ見当たらない。

 柱や梁には、つる草の模様が彫られていて全体的にセンスもいい。エステルが定宿にしているのも何となくわかる。

 カウンターの右側は食堂のようになっており、テーブルが十卓ほど並んでいて、今も二人の客が酒らしき物を飲んでいた。

 その奥にはオープンキッチン風の厨房があり、太った男が汗をかきながらせっせと料理を作っているのが見える。


「じゃあマスター、お願いね」

「あいよ」

 エステルは宿屋の主人との会話を終えると、待たせていた俺を気にかけることもなく、カウンターのすぐ横にある階段をさっさと上り始めた。

 ……部屋は上か。

 俺も彼女に続いて上ろうとしたが、幅の狭い階段だったためショルダーバッグを背中に担いでから上らざるを得なかった。


 それから急いで二階に上がると、廊下の一番奥の部屋に入っていく彼女の後姿をぎりぎりで確認することができた。

 ……あの部屋だな。

 行き先がわかったため俺は安心してその部屋に向かったのだが、しかし、ここである疑問が頭に浮かぶ。

 ……俺は廊下で待っていた方がいいんだろうか?

 奴隷の立ち振る舞いがいまいちわからないのだ。しかも主人は女、余計に気を遣う。

 ただ、荷物があるから気が引けつつもとりあえず部屋の中に入ることにした。


 そこは、真ん中にベッドが二つ並べて置いてある八畳ほどの広さの部屋だった。

 奥には大きめの窓があり、傾きかけた日の光が部屋の中を淡く照らしている。

 壁もシーツも真っ白でとても清潔感のある部屋だ。


「あー、疲れた」

 エステルは帽子とマントを脱いで窓際のソファーに置くと、そのままフカフカのベッドに寝転がった。とても気持ち良さそうに。

「……」

 しかし俺は、彼女のその無防備な姿と、この部屋の状況を見て真剣に考え込んでしまう。

 ……ベッドが二つあるということは、今夜俺はここで寝られるのだろうか?

 ……いくら主人と奴隷の関係とはいえ、この世界では男と女が同じ部屋に寝泊りしても平気なんだろうか?

 ……彼女はどんな格好で寝るのだろうか?

 ……奴隷は夜の仕事も――


 想像がエッチな方向に行きかけた時、

「あっ、忘れてた」

 と、エステルがむくっと起き上がり、立ち尽くしていた俺に視線を向ける。

「荷物はそこの椅子の上に置いて」

「あ、はい」

 言われた通りショルダーバッグを入口のすぐ横にある椅子の上に置いていると、その隙に彼女は俺の後ろをさっとすり抜けて廊下に出、

「あなたはこっち」

 と無愛想に言いながら、さっき上ってきた階段の方に向かってスタスタと歩き出してしまう。

 ……こっち?

 俺は慌てて彼女の後を追った。


 エステルは階段を下りると食堂の横を通り抜け、奥にあった小さなドアを開けた。

 薄暗くてよくわからないが、ドアの向こうは廊下になっているようだ。

 ただ、脇にはバケツや箒などが無造作に置かれていて、とても客が出入りする場所には見えない。


「この奥に奴隷部屋があるから」

 エステルは廊下の先を指差しながら素っ気なく言うと、踵を返してまた階段を上って行ってしまった。


 ……奴隷部屋?

 いまいち要領を得なかったが、といってエステルの所にまた聞きに戻るというのも何となく気が引ける。

 仕方なく、俺はその暗い廊下を進むことにした。


 暗がりの中、恐る恐る歩を進めていくと、廊下の一番奥にらしきドアを発見。

 ……ここかな?

 一応ノックしてみたが何の応答もない。

 俺はそっとドアを開け、中をのぞいてみた。


 ……暗い。

 ドアの向こうは十畳ほどの部屋になっていたが、小さな窓が一つあるだけでほとんど日が当たっていなかった。

 壁は漆喰が塗られておらず、石組みがむき出しの状態。

 奥に大きな木箱やら麻の袋やらがたくさん置いてあったから最初は物置かと思ったが、よく見ると薄汚れた板張りの床に何人かが横になって寝ている。俺と同じような服装の奴隷達だ。


 ……ここが奴隷部屋、つまり俺が寝るところか。

 さっきの部屋とは大違いだった。

 天国から地獄に落ちた気分だ。

 ……まあ、でも今までの寝床よりはマシか。

 俺は静かにドアを閉めると、できるだけ綺麗な所を探し出し、他の奴隷と同じように横になって休んだ。


 しばらくすると、食堂の方がガヤガヤと騒がしくなった。たぶん大勢の客が食事を楽しんでいるのだろう。

 けれども、奴隷部屋にはなかなか食べ物は運ばれてこなかった。

 ……まだかな。

 空腹すぎて、お腹と背中が冗談抜きでくっ付きそうだ。


 それから二時間ほど経って食堂の方が静まりかけた頃、ようやくドアが開き、厨房にいた太った男が鍋を抱えて部屋に入ってきた。

 その瞬間、部屋中に美味しそうな匂いが広がる。

 ……ああ、いい匂い。

 一瞬で口の中が唾液でいっぱいになった。


 太った男はドアの横にある小さな台の上に奴隷の人数分だけ木皿を並べ、鍋の中身をテンポよくよそっていく。

「……」

 その様子を緊張した面持ちでじっと見つめている奴隷達。まるで餌の前で「待て」を言い渡された飼い犬のようだ。


 よそり終えると、空になった鍋を持って太った男は部屋から出て行っ――

「えっ!?」

 その途端、奴隷達が一斉に皿に群がり、少しでも多く入っているものを奪い合うようにして取っていく。

 ……そ、そんなルールだったのか。

 俺は出遅れたせいで最後に残ったものを取らざるを得なくなった。


 皿によそられた物はシチューのような食べ物だった。

 スプーンはないが、ほとんど具が入っていないからまったく問題ないだろう。


 俺は目を閉じて軽く匂いを楽しんだ後、皿に口を付け、少しだけすすってみた。

 ……うまい!

 残り物とはいえ、さすがに大都会の宿屋ともなると、なかなかいい物が食べられるようだ。

 久しぶりに食べた人間らしい食べ物、俺は少しずつ口に含んでは舌の上で転がして十分に味を堪能しつつゆっくり胃袋に流し込んだ。


 するとその時、唐突にドアが開き、またさっきの太った男が入ってくる。

 彼は奴隷達の顔を見回し、俺を見つけるとズカズカと近付いてきて何故か俺の皿にだけ肉の切れ端を入れた。

 ……なんだろう?

 と思って見上げると、

「お前の主人からだ」

 と彼は面倒臭そうに言い、さっさと部屋から出て行ってしまった。

 ……エステルの差し入れってことか。

 俺はその肉の切れ端の、さらにその端っこをほんの少しだけ食べてみた。


 ……う、う、うま、うますぎるぅぅぅ!!


 塩と胡椒で味付けされたその肉は、何とも言えないほどうまい。

 あまりのうまさに心ともなくほくそ笑んでいると、既に食べ終わり皿を舐めていた隣の奴隷が近寄ってきて、肉をじっと見つめながら言った。

「お前はいい主人を持ったな」

「……」

 エステルは素っ気ない態度で俺に接するが、実はいい奴なのかもしれない。

 俺はその肉を時間をかけて大事に大事に食べたのだった。


******

 

 …………うっ!?


 翌朝、腹に激しい痛みを感じて目が覚めた。

 見上げると、目の前にエステルが立っていて、恐らく二発目であろう蹴りを今まさに入れようとしている。

「くっ」

 俺は辛うじてそれを手で受け止めた。

 すると彼女はちっと舌打ちをした後、

「いつまで寝てるのよ、早く行くわよ」

 と、怒りながら言った。

「すみません……」

 反射的に謝ってしまったが、よく見ると他の奴隷達はまだ横になって寝ているようだ。

 ……俺が遅いんじゃなくて、あんたが早いんじゃないのか?

 と思ったが、さすがに言わなかった。


「どこへ行くんですか?」

「とりあえずカリオペよ」

 それだけを告げると、彼女は俺の前にショルダーバッグを置き、さっさと奴隷部屋から出て行ってしまった。

 ……昨日「いい奴」と思ったのは取り消しだな。

 そう思いながら、ショルダーバッグを持って急いで彼女の後を追った。



 早朝の町はうっすら霧が巻いていた。

 人はまばらで、昼間の賑わいがうそのようだ。


 俺が追いつくとエステルは振り向き、

「食べなさい」

 と、手に持っていた小さなパンをくれた。

「ありがとうござ――」

 お礼を言おうとしたが、彼女は俺が最後まで言い終わらないうちに前に向き直って、またスタスタと歩き始めてしまう。


 ……パン、か。

 この世界に来て一週間くらいになるが、朝に何かを食べるのは初めてだ。

 後でわかったことだが、この世界は朝と夕方の一日二食らしい。

 ただ奴隷は夕方一食のみが普通だ。


「今日は夕方まで歩きっぱなしになるから」

 歩きながらエステルがパンをくれた理由をごく簡潔に説明する。

「歩きっぱなし、ですか?」

 俺はパンをかじりながら聞き返したが、彼女はそれには答えず、少し間を置いてから違うことを言った。

「これからのことを説明するから、よく聞きなさい」


 宿屋街を抜けて大通りに出た。

 ずっと先に一昨日くぐった大手門が見える。

 通りでは、あちらこちらで露天商が店を開く準備を始めている。

 パンの焼けるいい匂いが何処からか漂ってきた。


「これから一ヶ月くらいかけてヴァイロン王国に行くわ」

「ヴァイロン王国、ですか?」

 俺がわかっていなさそうな顔をしていると、エステルが補足。

「ずっと西にある島国よ」


「少し前に、その国がバウギルドに大きな仕事を依頼してきたの」

 ……またわからない単語だ。

 俺は恐る恐る聞き返した。

「……あの、バウギルドって何ですか?」

 すると、彼女は唖然とした顔を俺に向ける。

「バウギルドも知らないの!?」

「すみません。昨日も言いましたけど、俺は異世界から来たばかりなので、この世界のことは全然わからないんです」


 彼女は面倒臭そうにため息をついた。

「バウギルド、正式にはバウンティハンターギルド、バウンティハンターの組合みたいなものよ」

「バウンティハンター?」

「そう、世間ではバウンティハンターを略してバウと呼んでいるわ。バウギルドの組合員になることでバウを名乗ることができるの。私もバウの一人よ」


 大手門をくぐり、町の外に出た。

 町を取り囲む広大な麦畑では、多くの農夫達が朝から忙しなく作業をしているのが見える。

 エステルはそのまま南に向かって道なりに進んでいく。


 俺はバウンティーハンターと聞いて、アメリカの西部劇に登場するガンマンを思い浮かべた。

「バウンティハンターって、たしか凶悪犯を捕まえて報酬を得る賞金稼ぎのことですよね?」

「いいえ、賞金稼ぎには違いないけど、懸賞金のかかった魔物を討伐するのが仕事よ」

 ……この世界ではそういうことになっているのか。

「バウは一攫千金も狙えるから人気の職業だけど、実際は実力がなければ返り討ちにあう厳しい仕事よ」


 彼女の話では、毎年組合費を払えばバウギルドの組合員になれるらしい。

 バウギルドは各地に支部があって、そこに行けば、その地域にいる懸賞金のかかった魔物の情報を得られたり、討伐のための仲間を集めたりすることができるのだという。


 十字路に差し掛かった所でエステルは右に折れた。どうやらここから西に向かうようだ。

「今、ヴァイロン王国は魔物が活性化して大混乱してるらしいの」

「魔物が活性化?」

「ヴァイロン王国の軍隊だけでは対処できなくて、バウギルドに助けを求めてきたのよ」

「それでヴァイロン王国に行くんですね」

「そう、ヴァイロン王国の軍隊は世界最強、にもかかわらず、バウギルドに直接仕事を依頼してきたってことは、よほど切羽詰まっているのね。懸賞金も桁違いよ。バウとしてこんなチャンスを逃す手はないわ」

 ……なるほど、それでその懸賞金が手に入れば俺を解放してもよいというわけか。


 しばらく進むと麦畑がなくなり、辺り一面草原になった。

「……ところで、そもそも魔物って何ですか?」

 俺が聞くと、逆にエステルから不思議そうな顔で聞き返された。

「あなたのいた世界に魔物はいなかったの?」

「ええ、……熊とか猪とかとは違うんですよね?」

「全然違うわ」

 ……やっぱり違うのか。


「魔物っていうのは、魔人が住むといわれている『魔界』の生物のことよ。約三千年前にこの世界に出現して、そのまま居ついてしまったのよ」

「魔界の生物?」

「そう、一番弱いとされる魔物でも、戦闘訓練をしたことのない普通の人間より強いといわれているわ。しかも、野生動物と違って理由もなく人を襲う」

「たちが悪いですね」

「だからバウみたいな商売が成り立つのよ」

「なるほど」

「魔物は体から青白い光を放っているから、他の動物と区別することができる。もしあなたが一人の時に魔物と出くわしたら、一目散に逃げることね」

「……そうします」


 後頭部を太陽が照りつけてきた。今日はいい天気のようだ。

 周りの草原は草の背丈がだいぶ高くなり、道もかなり細くなってきた。


 エステルは俺の前を同じペースでスタスタと歩いている。

「ずっと歩いて行くんですか?」

「んなわけないじゃない」

 エステルは馬鹿にしたように笑いながら否定した。

「この道をもう少し行くと、ザウル湿原ていう湿地帯があって馬が使えないのよ」

「湿地帯ですか?」

「そう、だからその湿地帯を抜けるまでは歩き。抜けた先にカリオペっていう町があって、そこで昔の仲間と合流するんだけど、今回はその仲間が馬車を調達してくることになっているから、その先は馬車よ」

 さっき宿屋で彼女が「とりあえずカリオペ」と言ってたのはそういうことか。

 一ヶ月もずっと歩き詰めじゃ大変だと思っていたから、ちょっと安心した。



 アルテミシアを出発して三時間ほどだろうか、小さい丘を登り切ると、眼下に広大な湿地帯が広がっていた。

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