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047_異世界はピンク色 〈 最終話 〉

 一瞬だった。その光が俺を通過したのは。


 あの時と同じように、ヘッドライトを点けた車がすぐ横を通り過ぎたような、そんな感じしかしなかった。

 真っ白だった視界はすぐに暗闇へと戻り、辺りは何も無かったかのように静まり返っている。

 ……元の世界に、戻れたのか?

 そんな実感はまるでなかった。


 ……はっ!


 その時、俺はあることを思い出して、急いで道のすぐ脇を確認した。

 もし俺が元の世界に戻っていないとすれば、エステル達がまだそこに立っているはずだ。もしかしたら、俺が消えなかったことに苦笑して……


「…………」


 しかし、そこには誰もいなかった。四人とも、フランツの家ごと消えてしまっていた。ただ若い木々が暗闇の中にひっそり立っているだけだった。リシェールの森とは違う、里山林のような木々が……。


 …………元の世界に、……戻ったのだ。


 その確信は、すぐにとてつもない虚脱感を生んだ。覚悟はしていた、していたが、到底それに抗するだけの精神力を俺は持ち合わせてはいなかった。

「…………」

 俺は何も考えられなくなり、半ば放心状態で暗い森をぼーっと眺めていた。



 ザ、ザ、ザ、……


 すると突然、背後から砂利を踏みしめるような音が聞こえてくる。足音だ。それもすぐ近く。ぼーっとしていたから、その接近に気付けなかったのだ。

 俺は一気に現実に引き戻され、慌てて足音がした方を確認した。


「……」

 暗がりの中に人間? らしき影が見える。二人、だ。向こうもこちらに気付いたのか立ち止まっている。

 ……だ、誰だ?

 その直後、

「うっ」

 俺は強い光を浴びせられ、何も見えなくなってしまった。

 その光は異常に眩しかった。丸い光源、しかも、ランプやライトリキッドとは違う指向性の光だ。

 ……懐中電灯?

 そう思った時、


「……た、たけるか?」

 

 いきなり名を呼ばれた。確認するような言い方で。

 ……俺を知っているのか?

 俺にはまだその影の正体がまったくわからなかったが、しかし、その声には何となく聞き覚えがあった。


「……健なの?」

 さらに問いかけるような女性の声。この声も知っている。

 俺は手をかざして目に入る光を遮り、光源の向こう側にたたずむ二つの影を眺めた。


「健!!」


 それは、親父とお袋だった。

 二人は絶叫といえるほどの声で俺の名を叫ぶと、必死の形相で駆け寄ってきた。


「……ど、どうして?」

 俺は、彼らが何故ここにいるのかわからず戸惑ったが、親父はそんな事などお構いなしに俺に抱きついてきた。

「ええ!?」

 びっくりした。親父に抱きしめられた記憶なんて小学生の低学年くらいで途絶えていたからだ。親父は感情をあまり表に出さないタイプで、しかも寡黙であり、俺が高校に入ってからは、同じ家に住んでいても一日一回会話をすればいいくらい口を利かなかった。そんな彼が、俺を強く抱きしめている。大粒の涙を流しながら。

 お袋も声を上げて泣きながら俺の腕にしがみついていた。俺の存在を確かめるようにして。

 その様子から、彼らが俺を必死に捜し回ってくれていたということは、容易に想像できた。


 ……やっぱり、この世界に戻らなければいけなかったんだ。


 俺は、二人の温もりを感じつつ心の底から思った。俺の判断は間違っていなかったのだ、と。

「……ご心配を、おかけしました」

 気が付けば、俺の目からも自然に涙がこぼれ落ちていた。



 俺達はひとしきり抱き合ってお互いの存在を確認し合った後、三人揃って家路についた。

 暗い道を歩きながら、二人は、俺がいなかった間の事を詳しく教えてくれた。


 俺はやはり失踪したことになっていた。約三ヶ月間行方不明だったらしい。

 ……三カ月間。

 それがわかって安心した。実は、向うの世界とこの世界とで時間の流れ方に違いがあったらどうしようかと少し不安に思っていたのだ。SF小説なんかではよくある話だし……。でも、とりあえずそういうことにはなっていないようだった。


 両親は、引越しの荷物が届いたにもかかわらず、いくら待っても本人が帰ってこないということで俺の失踪に気付いたという。それから彼らは、今日までずっと俺の事を捜し続けていた。それこそ寝る間も惜しんで。

 もちろん捜索願も出したらしいが、成人男性の家出人を親身になって捜してくれるほど日本の警察は暇じゃないのだ、恐らく。

 だから、両親は二人だけで地元はもちろん、東京のアパートやブラックなあの会社にまで出向いて、俺や俺に繋がる情報を捜していた。

「……」

 頭が下がる思いだった。俺自身、異世界にいてどうすることもできなかったのだが、でも、俺がもう少し真っ当な社会人だったなら、彼らもここまでは心配しなかったかもしれない。


 当然今日も両親は夜遅くまで捜し回っており、それでも何の手がかりも掴めず、失意の中で寝床に入った。

 が、突然、親父が尋常じゃない胸騒ぎを覚えて飛び起きたのだそうだ。そしてその時、何故か神隠しの森のことが頭に浮かんだらしい。

 親父は居ても立っても居られなくなって、半信半疑のお袋と共に神隠しの森に急行したところ、砂利道にたたずむ俺を発見したのだという。

 とても不思議な話だが、考えてみれば、親父も俺と同じリシェールの男系の血縁、もしかしたら、次元の扉が開いたことで何かしらの影響を受けたのかもしれない。ただ、親父はそんなことまったく知らないから、「テレパシーだ」と、見当外れな事を言っていたが……。

 とにもかくにも、彼らは俺を捜し出すことに成功したのだった。


 もちろん、両親は俺が今まで何をしていたのかについて尋ねてきた。

 が、さすがに異世界に行っていたなんて言えないし、言ったところで信じてはもらえないだろう。結果、


「人生を変えるような素晴らしい友人達と出会って、その人達と一緒に遠く離れた所まで旅をしていたんだ。もちろん連絡しようとは思ったんだけど、突然の出発だったし、行った場所が僻地で、電話もないような所だったから」


 こんなぼやけた説明になってしまった。

 三カ月間捜し回っていた親父やお袋にとっては、到底納得できない内容だっただろう。しかし、彼らはそれ以上何も聞かなかった。

 彼らは、俺が東京で辛い目に合い、そのことが原因で今回のようなことを起こしたと思い込んでいるようだったから、これ以上俺を追い詰めたくないと気を遣ったのかもしれない。



 ほどなくして、暗闇の先に古い二階建ての家が見えてきた。田舎の農家らしい無駄に大きな家、俺の実家だ。


 ……やっと着いたか。


 俺は苦笑してしまった。

 駅から三十分ほどで着くはずが、神隠しの森を通ったばっかりに、三カ月もかかってしまった。思えば長い道のりだった。

 でも、決して遠回りしたとは思っていない。もしかしたら、今回の異世界の旅路は、俺にとって、辛い過去から希望の未来にたどり着くための最良の近道だったのかもしれないのだから……。

 見上げると、夜空には満天の星が瞬いていた。


******


 翌日、石江地区はちょっとした騒ぎになった。

 狭い地区だ。俺が行方不明になったという話は、すでに全世帯に広まっていたのだが、手がかりすら見つからないということで「どうやら神隠しにあったらしい」と、裏ではそういうことになっていたようなのだ。まあ、間違ってはいないのだけれど……。

 そんなわけで、その日のうちに地区のほぼ全ての住民が家に顔を出し、両親を労いがてら、俺が本当に帰ってきたのかを確認していった。

 彼らは元気そうな俺を見て一様に喜んでくれたが、その半面、行方不明だった理由が「旅に出ていた」という在り来りなことに少し不満そうだった。嘘だと思われても、異世界の話をしてあげた方がよっぽど喜んだかもしれない。

 ともあれ、のどかな地区を騒がせた都市伝説、いや、田舎伝説もそのタネが「放蕩息子の傷心旅行」ということで、急速にその話題性を失っていったのだった。



 次の日、俺は親父達と共に田んぼや畑に出て農作業を手伝った。

「しばらく休んでいろ」

 親父はそう言ってくれたが、俺は彼らに相当苦労をかけてしまった。これからは少しでも彼らが楽できるよう頑張らなければいけない。

 それに、俺はこのまま親父の跡を継いで農家になろうとも思っているのだ。

 学生だった頃は、農家なんて地味だし、大変だし、儲からないし、でまったく興味などなかったのだが、異世界に行って考えががらりと変わった。食べ物がないということがどれほど辛いか身に染みてわかった。そして、それを生み出すことのできる農業の素晴らしさを実感した。もうこの仕事以外には考えられない。

 ……絶対に立派な農家になってやる!

 俺の決意は固かった。


 しかし、気合いを入れてがんばりすぎたためか、翌日には強烈な筋肉痛に襲われて、しばらくロボットのような動きで働く羽目になってしまったのだが……。


******


******


「また雨か……」


 この世界に戻ってきてから二週間が過ぎた。

 田んぼや畑の仕事にも少しずつなれ、筋肉痛になることもほぼなくなった。

 ただ、七月に入ってからというもの、いよいよ梅雨本番といった感じで毎日のように雨が降り、農作業には辛い日々が続いた。


 その日も朝から雨が降っていた。

 農作業ができないほどではなかったが、親父は午前中の畑仕事の中止を早々に決定した。昨日で露地物の野菜の出荷が一段落したためだ。


「昼には帰るから」


 俺はお袋にそう伝えて家を出た。この空いた時間を利用して村の図書館に行くことにしたのだ。ずっと気になっていたリシェールの事を調べるために。



 平日の図書館、しかも雨、見た限り来館者はいなかった。カウンターにぽつんと図書館員のおばちゃんが座っているだけだ。

 俺は、かなり久しぶりに入った図書館に戸惑いつつ、お目当ての本棚を捜していった。


 ……あった!

 それは図書館の一番奥の本棚だった。「郷土の歴史コーナー」だ。小学生の頃、社会の授業で出されたグループ学習の課題をやりに友達と来たことがあったから、何となく覚えてはいた。

 本の数はパンフレットのような冊子を含めても二十冊程度。小さな村だからたかが知れている。

 俺はそれらの本を一冊一冊手に取り、石江地区に関する記述がないか念入りに調べていった。


 ……約二時間後。


 とりあえず全ての本に目を通すことはできた。

 その結果、石江地区に関して意外とたくさんの記述を見つけることができた。たぶんこの村で最も古い集落だからだろう。

 ただ、そのほとんどは明治時代以降の話ばかりで、それより前の歴史について触れられているものは少なかった。


 そんな中、昭和三十年頃に出版された地域の伝承に関する本に、興味深い記述があるのを発見する。


 ――石江村(現石江地区)は、鎌倉時代末期にこの地に流れてきた石江氏によって拓かれた。同氏は優れた技術により、火と風を巧みに使って森を焼き、水と土を巧みに使って田畑を造ったといわれている。


 これは、取りようによっては精霊魔法のことをいっているように思える。

 また、村の成り立ちに関しての本には、


 ――この地方の豪族であった石江氏は、江戸時代以降、別姓を名乗った。


 という記述があった。どうやら石江氏は名字を変えているようなのだ。リシェールの末裔である俺の名字が石江じゃないのはそのせいかもしれない。

 ただ、残念なことに、それ以上の資料を見つけることはできなかった。

 


 最後の本を見終わったところで時計を確認すると、11時30分を少し回っていた。もうじき昼だ。

 ……二時間以上も図書館にいるなんて。

 俺をよく知っている人が見たら「雨でも降るんじゃないか」と、からかったかもしれない。が、大丈夫だ。すでに降っている。

「ふっ」

 俺は苦笑しながら、手に取っていた本を棚に戻そうとした。


 その時だ。

 本と棚の隙間から見える二つ向こうの本棚の陰に、オレンジ色の何かがすっと隠れたような気がしたのは。

 ……えっ? 今のって?

 何となく猫耳? のようなものが付いていたような気もする。

 ……ま、まさか、チャロ!?

 そんな馬鹿なと思いつつも、俺は急いで通路に出、その本棚に向かった。

 

 たった二つ向こうの本棚、そんなに離れているわけじゃない。俺は数秒でその本棚の陰を覗き込むことができた。しかし、誰もいない。

 ……おかしいな。

 そう思って目線を上げると、今度は、その通りの先の角に消えていくオレンジ色の紐のようなものが見えた。一瞬だったが間違いない。

 ……チャロの尻尾だ!

 俺は無我夢中で走り、尻尾が消えた角を勢いよく曲がった。


 そこには! 


 …………図書館員のおばちゃんがいた。


「館内では走らないでください」

 おばちゃんは、いきなり本棚の陰から飛び出してきた俺をムッとした表情で注意したが、こっちはそれどころじゃなかった。

「い、今、女の子が通りませんでした?」

「え? 女の子?」

「ええ。ここを曲がっていくところを見たんですが」

「いいえ、誰も通りませんでしたけど」

「そ、そんなはずありません。通ったでしょ? 頭に猫のような耳があって尻尾の生えた中学生くら……い……の……」

 そこまで言いかけて気付いた。おばちゃんの愚物を見るような目に。

 都会ならともかく、こんな田舎の図書館で、猫耳の少女のことを必死に尋ねる成人男性、どう見ても不審者、というか変態だ。

「あ、……えーっと、き、気のせいでした、すみません」

 俺はおばちゃんの強烈に冷たい視線から逃れるようにして今来た通路を戻ると、そのまま早足で図書館から脱出したのだった。



 ……なんだったんだろう。

 俺は、さっき見たチャロらしきもののことを考えながら石江地区に続く農道を歩いた。

 特徴的なオレンジ色の髪、猫耳、尻尾。あれはどう見てもチャロのものだった。見間違うことはないと思うのだが。……でも、普通に考えて、彼女がこの世界にいることは絶対にない。とすれば、やはり見間違いか。

 俺は悶々とした気持ちで、傘を差しつつ雨の中を歩いた。


 辺りは見慣れた田んぼの風景が広がっており、膝ほどの高さにまで成長した稲が梅雨の優しい雨に打たれている。人工的な音はまったく聞こえないが、その代わり、カエルの鳴き声が少しやかましいほどに鳴り響いていた。


 そんな農道をしばらく歩くと、俺が学生時代に利用していたバス停が見えてきた。コンクリートブロックの壁にトタン葺きの待合所がセットになった「これぞ田舎のバス停」といった趣のありすぎるバス停だ。

 バスは二時間に一本あるかないかだから、通学時間帯以外はほとんど人などいないのだが、近付くと珍しく人の気配がする。雨宿りでもしているのか何人かいるようだ。

「……」

 ただ、俺はその時チャロのことで頭がいっぱいだったから、まったく気にせずにやや俯き加減でそこを通り過ぎた。


「………………………………………………え?」


 しかし、バス停を五メートルほど行き過ぎた辺りで、俺ははっとして立ち止まる。

 ……今のって?

 待合所を通り過ぎた時、中に黒っぽい服の人と、黄色っぽい服の人がいたのは何となくわかったのだが、ふと思い返してみると、その服がローブだったような気がするのだ。

 ……もしかして、エステルとリリア!?

 そう思うと、髪の色も黒じゃなかったような気がする。


「っ!!」

 俺は大急ぎで駆け戻り、待合所の中を覗き込んだ。


 そこには! 


 …………白髪のおばあちゃんが一人、うとうとしながら座っていた。


 ……まさかこのおばあちゃんと見間違えた? ……い、いや、そんなはずはない。

「……あ、あのう」

 俺は若干気が引けつつも、そのおばあちゃんに尋ねずにはいられなかった。

「今ここに若い女の人がいませんでした?」

「……はぁ?」

 耳が遠いらしく、そのおばあちゃんは手を耳に当てながら聞き返した。

「今、ここに、若い、女の人が、いませんでしたか?」

「……え? ああ、数えで91歳になります」

「……」

 俺は諦め、一応お礼を言ってからその場を立ち去った。



 ……おかしい。

 今のはエステルとリリアだったような気がしてならない。視界の片隅に映り込んだだけだったからはっきりと見たわけではないが、でも、あの服は明らかに彼女達のローブだった。

 ただ、あんな所に彼女達がいるはずはない。あり得ないことだ。まあ、実際にいなかったわけだし。

 ……でも、おっかしいなぁ。

 俺は何度も首を傾げながら家へと向かった。



 家に着いた時には雨は止んでいた。わずかだが青空も見える。

 ……午後は仕事ができそうだな。

 そう思いつつ、バサバサと傘の雫を払い、家の敷地内に入ろうとした。

 その時だ。

 黒っぽい影が農機具小屋の中にささっと入っていくのを見たのは。

 ほんの一瞬だったが、背の高い女性のように見えた。

 ……あれって、グ、グロリア!?

 俺はまさかと思いつつも必死に走って小屋の中を覗き込んだ。


 そこには!


 …………耕運機を整備している親父がいた。


「どうした? 慌てて」

 血相を変えた俺を見て、親父が不思議そうに尋ねる。

「い、今ここに背の高い女の人が来なかった?」

「背の高い女の人? ミカちゃんのことか?」

 ミカちゃんとは、隣の家に住んでいる女子高生だ。バレーボールをやっていて、背が180センチ近くある。

 ……そうか、ミカちゃんか。

 たまに地区の回覧板を持ってきてくれるから一瞬そう思ったが、でも、よく考えれば今日は平日、彼女はまだ学校のはずだ。

「いや、ミカちゃんじゃない。もっと肌が黒っぽい感じの」

「黒っぽい感じ? いいや、……お前、もしかして幽霊でも見たんじゃないか」

 親父はそう言って冷やかすように笑うと、また耕運機の方に視線を戻してしまった。

「……」



 その日以来、俺は度々ワイルドローズのメンバーの姿を一瞬見かけたり、声を聞いたりするようになった。その度に大急ぎで確認してはみるのだが、当たり前というか、やっぱりというか、彼女達を発見することはできなかった。

 ……どうなってんだ。

 俺は日増しに混乱していった。


******


 七月も下旬になった。今日は朝から太陽がぎらぎらと照りつけている。もういつ梅雨明けが宣言されてもおかしくない天気だ。

 

「じゃあ、お留守番お願いね」

 俺が庭で草刈り機の準備をしていると、余所行きの服を着たお袋がそう言いながら親父と共に軽トラに乗り込んだ。今日から一泊二日の予定で、地域の農業組合が主催する恒例の温泉ツアーがあるのだ。お袋も親父も毎年欠かさず参加しており、彼らの笑顔を見れば、この日をどれだけ楽しみにしていたかがよくわかる。

「ああ、お土産よろしく」

 そんな二人を、俺は手を振って見送った。


 彼らが出発した後、俺は親父から頼まれていたあぜ道の草刈りを行い、お昼は一人でお袋が用意しておいてくれたおにぎりを食べた。


 午後は特に仕事の予定はない。久しぶりの自由時間だ。が、何となく何もする気が起きなかった。

 俺はだらだらと二階にある自分の部屋に向かった。


「はあ……」

 部屋に入るなり、俺はため息をつきながらベッドにごろりと寝転がった。


 実は、さっきもまたチャロの幻を見たのだ。草刈りをしている最中に。

 もちろん草刈り機を放り出してすぐに確認したのだが、当たり前のように彼女の姿はなかった。


 ……どうなっちまったんだ俺の頭は。

 何でこんなにも彼女達の幻を見るのだろう。


 俺はこの世界に戻ってきて以来、できるだけ彼女達のことは考えないようにしてきた。もう会えないのだから考えたって仕方ないし、へたに考えると、また虚脱感に襲われてしまいそうになるからだ。

 彼女達のことは、たぶんもう少し時が経てば、古き良き思い出として心のアルバムの中にしまい込むことができるだろう。でも今はまだ無理だ。鮮明すぎるのだ。生々しすぎるのだ。だから、もうしばらくは彼女達の事を忘れていたいのだ。

 なのに彼女達は、そんな俺をあざ笑うようにして毎日のように俺の前に姿を現す。幻として。

 ……俺はそんなに彼女達に会いたいのか。

 自分が決めた未来だろうに……。


 俺は寝返りを打ち、手を伸ばしてベッドの下にしまってあった小さな箱を取り出した。

 完全に吹っ切れるまでは開けないと決めた箱、あのイヤリングが入った箱だ。


「…………」


 俺はそれを真上に掲げ、ぼーっと眺めた。


 簡単に開かないようガムテープでぐるぐる巻きにされたその箱は、元が箱なのかさえわからない状態になっている。とても大切な物が入っているのに…………。今の俺の心と、……同じだ。


「…………会いたい、みんなに……、会いたいんだよ俺は……」


 自分自身にも隠していた本音を、俺はとうとう口に出してしまった。

 もう一生会えないと思うと、その辛さで胸が張り裂けてしまいそうだ。そんなにも強い気持ちを無理矢理押さえ込んでいるから、彼女達の幻を見てしまうのかもしれない。

 彼女達と一緒にいたのはたかだか三カ月。俺の人生の中でほんのわずかな期間でしかない。でも、今の俺の心の大部分は、彼女達のことで埋め尽くされてしまっていた。


 ……こんな気持ちを抱えたまま、俺はこの先どうやって生きていけばいい?

 俺はそのガムテープの塊に何度も問いかけた。


 …………?


 その時、何か変な感じがした。人に視線を向けられた時に感じる圧迫感のような……。

 俺は頭を上げ、窓やドアの辺りを見回してみた。が、特に変わったところはない。

 ……気のせいか。

 そう思ってまた寝転がろうとしたところ、部屋の隅にある押入れの襖がほんのわずかだが開いていることに気付いた。冬用の掛け布団などがしまってある普段は使わない押入れだ。開けた覚えなどないのだが。


 ……しょうがないな。

 俺は、きっちり閉まっていないと気持ちが悪いとか思うほど几帳面ではないが、先ほどの変な感じのこともあり、とりあえず閉めておこうとベッドから立ち上がった。

 すると、


 タッタッタッタッ。


 今度は屋根裏から足音のような音が聞こえてきた。押入れの上から外の方に向かって走っていったような感じだ。

 ……ネズミ?

 そう思った時、そういえば最近、近所でハクビシンが出たという話を思い出した。屋根裏に巣を作られてしまい、その悪臭で下の部屋がとんでもないことになったらしい。もし今の足音がハクビシンのものだったら、この家もやばいかもしれない。


 ……追い払ってやる!


 普段の俺だったら、たぶん躊躇しただろう。屋根裏なんて埃だらけだし、今頃は異常に暑いだろうから。でも、今の俺にとっては、一時的にでも彼女達を忘れることができるちょうど良いイベントだった。


 俺は右手に箒、左手に懐中電灯を装備し、息を殺しつつそっと押入れの襖を開けた。その押入れの天井の板は、屋根裏に入れるように取り外しができるようになっているのだ。


 ……やっぱり。

 案の定、天井の板は少しずれていた。さっき変な感じがしたのも、ハクビシンがここから押入れの中に入り込み、襖の隙間から俺の様子をうかがっていたからに違いない。

 俺は、押入れの中に入って音を立てないように天井の板を取り外すと、そのまま静かに屋根裏を覗き込んだ。


「えっ?」

 思わず声を出してしまった。真っ暗だと思っていた屋根裏が何故か明るかったからだ。懐中電灯などまったく必要ない。屋根を支える柱や梁がはっきりと見える。

 ……電気でも点いているのか?

 そうとしか思えなかった。屋根裏には小さな換気口があるだけで窓などない。こんなに明るいはずはないのだ。


 と、その時、


「……ダーリン、こっちニャ」


 ……!!?


 いきなり背後からチャロらしき声に呼びかけられた。それも最近よく聞くあやふやな幻聴とは違い、はっきりとした声で!

 俺は驚いて、素早く後ろを振り返った。


「…………」


 彼女は、いなかった。いなかったが、その代わり変なものを見つけた。

 屋根の傾斜に合わせて三角の形をした壁の近くに、ライト? のようなものがある。直径十センチほどの。そしてそれが、異常ともいえる光の強さで屋根裏全体を照らしているのだ。


 ……なんだあれ?

 俺は首を傾げた。パッと見はライトのようだが、それにしても明るすぎるのだ。直視できないほどに。ただ、何となくだが懐かしい光のようにも思える。


 ……と、とにかくもう少し近付いてみよう。

 俺は屋根裏に入り込むと、腰を屈め、二階の天井をぶち破らないよう注意しながらその光に近付いていった。


 それは、近付けば近付くほど光の強さを増していくような感じがした。視界はいつの間にか真っ白になり、ほとんど何も見えない状態だ。が、それでも俺は、その光の中心――チャロの声がした方向――を目指して手探りで進んでいった。


 光はさらに強さを増したが、しばらくすると今度は急に弱くなり始めた。白一色で覆われていた視界が、みるみるうちに元の状態に戻っていく。


「……え? ええっ!?」


 完全に視界が元通りになった時、俺は自分の目を疑った。

 なんと俺の周りの景色が、まったく別のものに置き換わっていたのだ。


 ……こ、こんなことって!?

 俺は一瞬混乱しかけたが、しかし、目に入った新たな景色は俺に混乱ではなく、考えることを促した。


 粗末な石造りの壁、腐りかけた木の天井、すぐ横には麦藁。

 見たことがあったのだ、以前に、この景色を。

 ……ここは。

 たぶんあそこだ。あの家の、物置小屋の、中……。

 つまり、俺は今、あの世界にいる。

 ただ、そう思う一方で、そんなことあり得ないと完全否定する俺もいる。

 確かにあり得ないはずなんだ。俺は二度とあの世界に行けないのだから。

 でも、じゃあここは?

 俺の思考は、肯定と否定の狭間で右往左往した。


 そんな時、辺りを漂っていた俺の視線が、左側の壁の端にあるドアを捉える。この小屋の出入り口だ。

 ……あそこを開ければ。

 全てがはっきりするはずだ。


 俺はおぼつかない足取りでとりあえずそのドアの前まで移動した。ドアは鍵やドアノブなどない簡素なものだ。

「ふぅぅぅ」

 俺はそこで大きく深呼吸すると、

 ……よし。

 心の中で自分自身に掛け声をかけ、震える手を抑えつつ静かにそのドアを開けていった。

 

 ドアの向こうに見えたもの、それは……


 柔らかな日の光と、鮮やかな森の紅葉……

 煙突が突き出た茅葺きの屋根に、石造りの壁……

 綺麗に整えられた庭……


 そして、


 黄色いローブをまとった、リリア・ブレイスフォード……

 猫耳の少女、チャロ・デ・ラ・クエスタ……

 漆黒の肌を持つ、グロリア・リーシュ……


 そして、


 エステル・ドゥ・ビューリー。


 ドアの向こうには、二度と会うことができないと思っていたワイルドローズのメンバーが、いた。


「お帰りなさい!」


 彼女達は、物置小屋から現われた俺を笑顔で元気良く迎えた。


 しかし、思考がまったく追いついていなかった俺は、

「……な、何で?」

 と、小声で短く尋ねることしかできなかった。


 そんな俺に、リリアが嬉しそうに答える。

「エステルさんが、この世界とタケル様の世界とを繋ぐ次元の扉を新たに作ったんです!」


「次元の扉を作った!? じゃ、じゃああの光が? ……で、でも俺がこの前通ったものとはだいぶ違うみたいだけど」


「当然よ。私が作ったのは特定の人しか通れない『普段は閉じている次元の扉』じゃなくて、いつでも誰でも通ることができる『常に開いている次元の扉』だもの」

 俺の疑問に対し、エステルが腰に手を当てながら得意気に説明する。


「そ、そんなすごいものを!?」


「ええ。まあ、ジュストの古文書もあるし、タケルが通った次元の扉も見たから、高位ウィザードである私にとっては、訳もないことだったわ」

 エステルは不敵な笑みを浮かべつつ、さらりと言ってのけた。

 が、

「うそおっしゃい。あの後、『絶対タケルと未来を共有するんだぁ』って、半べそかきながら何日も徹夜して必死に古文書を読んでいたくせに」

「グ、グロリア、それは言わない約束でしょ」

 本当のことをばらされ、彼女は恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながらグロリアに抗議したのだった。

 ……な、なるほど!

 だからエステルはあんなにも古文書の解読にこだわっていたのか。


「あ、じゃあもしかして俺の世界にも行ってみた?」

「ええ、時々様子を見にね。私はすぐにでもタケルを呼びたかったんだけど、この家をもう少し綺麗にしてから迎えたいってエステルが言うから」

 ……そういうことだったのか。

 やっぱり俺が見ていたのは幻なんかじゃなかったんだ。


「ダーリン結構鋭いから見つからないようにするの大変だったニャ」

「チャロさん、ほとんど見つかってましたよ」

「ニャ!?」

「だめじゃないチャロ、ローグがそんな………………」

「…………」

「…………」

「…………」

 彼女達が俺の目の前で楽しそうに会話をしている。

 そんな他愛ない光景が、俺の感動をどんどん深めていった。

 エステルが、グロリアが、チャロが、リリアが、すぐそこにいる。

 二度と会えないと思っていたのに。

 しかも、これからはいつでも彼女達に会うことができる。

 もう忘れようなんて悲しいことを考える必要も、ない……。

「……」

 俺は思わず空を仰いだ。そうしなければ、じわじわとこみ上げてきた涙が目からこぼれ落ちてしまいそうだったからだ。


「……ダーリン? どうしたニャ?」

 そんな俺に気付いたチャロが心配そうに尋ねてきた。

 彼女の声を聞いて、他の三人も会話を止め、俺に注目する。


 俺は慌てて目尻に溜まった涙をふき取り、何とか笑顔を作ると、震える声で言った。


「と、とにかく、……ただいま」


 彼女達が照れくさそうに笑った。



 辺りの景色は、俺が前いた時より随分変わっていた。

 フランツの家を囲むリシェールの森は紅葉で赤や黄色に染まり、空は澄み切って一段と高い。この世界はもう十月の下旬なのだ。気候もすっかり秋めいて、真夏の日本から来たTシャツ姿の俺には少し肌寒かった。


 ……秋物の服を出さなくちゃいけないな。

 そんなことを考えていると、

「と、ところでタケル……」

 唐突にエステルに呼びかけられる。何故か少し緊張した面持ちで。


「……い、い、今、時間は、あるの?」

「時間? ああ、あるけど」

「そ、そう、……ひ、久しぶりに会ったんだし、せ、せっかく来たんだから、またみんなで、そ、そのぉ……ね?」


 エステルは耳まで真っ赤にしながら上目遣いで俺を見つめてくる。察してくれと言わんばかりに。他の三人も頬を赤くして俺の次の言葉に期待していた。


 しかし、俺は彼女達に言わなければならないことがあった。とても重要なことだ。俺にとっても、彼女達にとっても。

「ふぅ」

 俺は軽くため息をついた後、心を鬼にして言った。


「でも俺、もう君達の奴隷じゃないから……」


「え……」

 俺の思いがけない一言で、みんなは固まってしまった。顔を青くし、信じられないといった表情で俺を呆然と見つめている。


「……」

 そんな彼女達の顔を、俺は無言でゆっくりと見回す。とても厳しい表情で……。


 しかしその後、俺はすぐにその表情を崩した。そして、照れ隠しに頭をかきつつ、彼女達に頼み込むようにして言った。



「……今度は、俺が上になってもいいかなぁ?」



「…………」

 得も言えぬ白けた空気が、その場に流れた…………。


 が、

「……プッ」

 グロリアが思わず吹き出すと、

「アハハハハ」

 エステルもチャロもリリアも笑い出した。



 こうして、俺の実家の屋根裏は、ピンク色の異世界になったのでした。



 ……お し ま い。





〈あとがき〉


読者の皆様、私の拙い妄想小説に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


また、ブックマーク、評価、感想、レビューをくださった方、小説を書き続ける上ですごく力になりました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。


初めての作品で色々苦労しましたが、それでも楽しく書くことができました。特にストーリーは気に入っています。文章はかなりあれですが……。


次回作については今のところ未定です。が、書こうとは思っていますので、もし見かけたらまた読んでもらえると嬉しいです。それでは。

                      【2015年夏 ツグレイ】


追伸

もちろん完結後でもブックマーク、評価、感想、レビュー、大歓迎です!

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