042_祝勝会
「乾杯!!」
ヴァイロン軍ドーラ司令官アーロン・デイルが葡萄酒のグラスを掲げて声高に叫ぶと、
「かんぱぁぁぁい!!」
会場にいた三百名余りの列席者達も一斉にグラスを掲げた。
最後の魔人が討伐され、魔界の門の再封印がかなった夜、ドーラの町で一番大きな宿屋――というかホテルと言った方が適当なほど立派な建物――の大広間で、ヴァイロン軍主催の祝勝会が盛大に執り行われることになった。
これでもかというほどの豪勢な料理が並べられたその会場には、魔人討伐に参加したバウ、ブロード隊やドーラ支援隊の精鋭達が集結し、職業や階級に関係なく、肩を組んで陽気に歌ったり、大声で笑いあったりして勝利の美酒に酔いしれている。
なにしろ世界を滅亡の危機から救うことができたのだから、その味も格別なのだろう。
会場は、乾杯直後からすでにもうどんちゃん騒ぎの状態だ。
もちろん、ワイルドローズも参加している。
みんな他の参加者達と楽しそうに談笑したり、葡萄酒を飲み交わして盛り上がっているようだ。
彼女達にしてみても、今回の魔人戦では色々辛い事、きつい事が多かったから、今宵は思う存分楽しむつもりでいるらしい。
……で、俺はというと、大騒ぎの会場の端の方で他の奴隷達と一緒にチビチビと地味にお酒や料理を楽しんでいた。
ワイルドローズだけならいいのだが、他にも人がいる場合は奴隷という立場をわきまえる必要があるのだ。
ちょっと寂しいが、これはこれで美味しい料理を落ち着いて食べることができるからまあ特に不満はない。
と思っていたのだが、そんな状況は最初だけだった。
突然、酔っ払ったベルナールがやってきて、
「ここにいるのが俺の命の恩人で、しかも世界まで救ってしまったタケル君だ! 今日は彼にもたくさん飲ませてやってくれ!!」
と、会場に響き渡るような大声で紹介されてしまったため、その後はデイルやブロード、ウォレスといったヴァイロン軍将校達やトップクラスのバウ達に囲まれてさんざん飲まされてしまった。
……も、もう無理。
酒に弱い方ではないが、さすがにこれだけ一気に飲まされると辛い。
俺はフラフラになりながらも何とかそこを抜け出し、少し離れたテーブルの下に息を潜めた。
……しばらくここに隠れていよう。
すると、
「アハハ、タケル、すごい人気ね」
と、エステルがテーブルの下を覗き込みながら俺に声をかけてきた。
その言い方ときたら、まるで他人事だ。
……元はと言えば、あんたのせいでこんなに飲まされているんじゃないか。
そう思って俺は憤ったが、
……!?
見ると彼女も結構飲んでいるらしく、水色のワンピースの隙間からちらりと見える胸元が少し赤く火照っていて、それが何とも色っぽかったので、まあとりあえず勘弁することにした。
「ベルナールさん達はどうしてます?」
「うーん、もう出てきても大丈夫かな」
エステルに確認してもらい、恐る恐るテーブルの下から頭を出すと、さっきの取り巻き達はもう俺のことなどすっかり忘れた様子で新たな被害者に「飲め飲め攻撃」を仕掛けていた。
……助かった。
俺は胸をなで下ろし、テーブルの下からそっと這い出した。
「タケルは食べたの? この料理」
「少しだけ。でも美味いですよね」
「ええ、こんなの滅多に食べられないからたくさん食べとかなくちゃね」
俺とエステルはいったんお酒を飲むことを控え、手付かずになっていた目の前の料理を食べ始めた。
この宿屋の料理長はヴァイロン王国でも一、二を争うほどの腕前らしい。
基本的にこの国の料理は他の地域よりも美味いのだが、ここの料理はそれに輪をかけて美味い。どれもこれも絶品だ。
俺達は楽しく会話しながら夢中になってその料理を口に運んでいた。
しかし、時間が経つとともに俺達の周りには何故かまた酔っ払いの人だかりができ始める。
ただ、さっきのように「飲め飲め攻撃」を仕掛けてくるわけでもなく、何となく集まってきた、といった感じで俺達を取り囲んでいる。
不思議に思っていると、その中にいたベルナールが、
「エステル、ちょっと聞きたいんだが、お前さんはどうやってあの状態から復活できたんだ?」
と、若干冷静さを取り戻した口調でエステルに話しかけてきた。
どうやら彼らは、魔人から解放された後、瀕死の状態に陥っていたエステルがどのようにして回復したのかを知りたいようなのだ。
彼らは、彼女が魔人から解放されたところは見ている。けれども、その後の処置については見ていないし、聞きたくても、彼女が相当辛い目に遭っていたということは分かっていたから聞きづらかったのだろう。
でも、アルコールが入ってその気遣いが完全に欠如してしまったらしい。
「お願いします。今後のために是非とも教えてください」
戦場以外では控えめのブロードも、どこから取り出したのかノートまで広げて聞きたがっている。
他の人達も「早く教えてくれよ」といった視線でエステルに注目していた。
「……」
しかし、エステルは顔を真っ赤にして俯き、何も答える事ができずにいる。
内容が内容だけに恥ずかしいらしい。
そして、助けを請うような目でチラチラと俺に視線を送ってくる。
俺から説明しろということか。
周りのみんなもそれに気付いたのか、今度は俺に注目し始めた。
確かに、魔物に取り憑かれた人を回復させたことは前代未聞のことだし、将来、憑依型の魔人がまた現われるかもしれないから知っておきたいという彼らの気持ちもよくわかる。
……でも、まさかこんな大勢のいる前で言えないよ。
「エステルを裸にし、俺も裸になって一晩中抱きしめていた」なんて……。
俺だって恥ずかしい。
「どうなんだ? タケル君」
ベルナールも身を乗り出して催促してきたが、
「……えっと、……そのぉ」
俺は言う事を躊躇した。
うまくぼかして説明したいのだが、なかなか良い言葉が見つからない。
すると、いつの間にか俺のすぐ隣に立っていたグロリアが、酒の匂いをプンプン漂わせながら突然しゃべり出す。
「何だったら、私から説明してあげるわ」
「えっ?」
呆気にとられている俺に構わず彼女はニヤニヤしながら説明を始めてしまった。
「まずタケルがね、裸になって、それから気を失っているエステルを裸にしてね」
「おお!?」
恐らく想像もしていなかったであろう処置の仕方に、周りの人達はどよめき、そしてさらに好奇心をかき立てられたらしく、大きく身を乗り出してきた。
エステルはもうこの場にいられないといった感じで恥ずかしそうに両手で顔を覆ってしまっている。
俺は急いでグロリアの腕を引っ張り、
「グロリア様、恥ずかしいから少しぼかして説明してください」
と小声で頼み込んだ。
「え? ぼかすの!?」
俺に頼まれ、グロリアはあからさまに困った表情を浮かべる。
男女の肉体関係についてのデリケートさに疎い闇エルフの彼女にとっては、「裸で抱きしめていた」なんて他愛もない内容だと思っていたのだろう。
「……裸になって、それでどうしたんだ?」
その間にも周りの人達からは催促の声が上がり続けている。
グロリアは困った表情のまま説明を再開せざるを得なくなった。
「えっと、だから、裸のエステルに裸のタケルが、つまり、……あれをしてあげたのよ」
「…………」
グロリアの言葉に、このテーブルの周りだけがしんと静まり返った。
……グ、グロリア、「あれ」じゃあいくらなんでもぼかしすぎだろ。
それだと、もろに勘違いされてしまうだろうに。
「……あれ?」
周りの人達は一瞬視線を上げて考え込んだが、案の定、違う想像を膨らましてしまったらしく、
「あれぇぇぇ?」
と、いやらしい目で俺とエステルを交互に眺め始めた。
普通に考えれば、「あれ」が処置だなんて疑問に思ってもおかしくないはずだが、如何せん、彼らは酔っ払いだ。脳みその大半がアルコールに浸かっている。
そのうちに、
「……そ、それは、具体的にいうと何回?」
周りにいた誰かからそんな質問が飛んだ。
……何回って。
しかし、その問いに対してグロリアはまったく普通に答えてしまう。
「何回じゃなくて、一晩中よ」
「おおぉぉぉ!!」
感嘆の声が広い会場に響き渡った。
「タケル君は夜のウォーリアだったのか、いや、それとも魔人クラスか?」
「俺にはもうそんな元気ないなぁ。若いって素晴らしい」
周りの人達は羨望と感服の眼差しで俺を見つめている。
完全に勘違いしてしまったらしい。
……だ、だめだこりゃ。
俺は頭を抱えてグロリアに説明させたことを後悔した。
普通に説明するよりよっぽど恥ずかしい思いをしてしまったような気がする。
「……あの、たぶん誤解されていると思うので、俺から詳しく説明させていただきます」
結局、俺は瀕死のエステルに施した処置について事細かに説明せざるを得なくなってしまったのだった……。
******
夜もどっぷり更けた頃、大量の酔っ払いを輩出した祝勝会がついにお開きとなった。
俺は、宴の途中で寝てしまったチャロをおんぶしながら、グロリア、リリア、エステルと一緒に会場の宿屋を出た。
「ふぅ」
涼やかな夜風がアルコールで火照った体に心地良い。
ドーラの町はすでに寝静まっている。
ほんの少し前までは住民達も魔人討伐を祝ってあちこちで宴会を催していたようだったが、さすがに今はほとんどの家の灯りが消えてしまっていた。
……彼らも今夜はぐっすり寝ていることだろう。
やっと魔人の影に怯えずに寝られるようになったのだから。
安心して眠ることができる、一見地味だがこれに勝る幸せはない。
そんな事を思いながら暗くなった家々を眺めていると、前を歩くリリアが何かに気付いたのか突然空を見上げる。
「月ですよ!」
「えっ?」
彼女の声に促されて見上げると、あれだけ空を覆っていた分厚い雲がいつの間にか途切れ途切れになっており、その隙間から銀色に輝く月が顔をのぞかせていた。
三割ほどが陰になった楕円形の美しい月だ。
「久しぶりに見たわね」
グロリアも感慨深げに見上げている。
この辺りの空がずっと分厚い雲に覆われていたのは、封印の解けかかった魔界の門から大量に流出する魔力により、周辺の雲が引き寄せられていたせいだ。
だから、封印が完全なものとなり、魔力の流出がほぼ止まった今、雲の流れも正常に戻りつつあるのだろう。
「この辺りの生活も早く元に戻るといいですね」
俺は月を見上げながら、この国に来て最初に見た貧相な草原と、あの荒れ果てた村のことを思い出した。
確かに世界は救われたが、その過程でたくさんの人が命を落とし、地域の豊かさも失われてしまった。
もう二度と封印が緩まないことを祈るばかりだ。
「……」
俺達はしばらく無言で月を眺めていたが、やがて視線を地上に戻し、また宿屋に向かって歩き出した。
「……」
ただ、エステルだけは立ち止まったままじっと月を見続けている。
何故か深刻そうな顔で。
「どうしたんですか? エステル様」
気になって声をかけると、
「……え? あ、ううん、何でもない」
ただ酔っ払ってぼーとしていただけなのか、彼女は少しおぼつかない返事をした後、また何事もなかったように歩き出した。
******
次の日の午後、俺達は事前にヴァイロン軍から受けていた通知に従い、バウギルドに向かった。
今日の空は、昨日までの曇り空がうそのように晴れ渡っている。
日本でいうところの台風一過のような濃い青空だ。
そして、その下に広がるドーラの町は異常なほどの活気にあふれていた。
来た当時のゴーストタウンのようだった面影は微塵も感じられない。
ほとんどの店屋がオープンの看板を掲げてドアを開け放ち、露天商もあちこちで店を開いて人だかりをつくっている。まるで「師走のアメ横」のような混雑ぶりだ。
まだ品揃えはそれほど良くないようだが、店員も客達もそんなことはまったく気にせず笑顔で売り買いしている。
みんな、元の生活に戻れたことが嬉しくて仕方ないのだろう。
俺達はそんな町の様子を微笑ましく眺めながら混雑の中を歩き、いつもの倍の時間をかけてバウギルドに到着した。
バウギルドのミーティングルームにはもうほとんどのバウが集まっており、ブロードもすでに黒板の前に立っていた。
俺達がいつもの長テーブルに腰を下ろすと、ブロードは軽く全体を見回し、穏やかな口調で話し始める。
「皆さん、改めて魔人討伐お疲れさまでした。皆さんのおかげで魔界の門を封印することができました。本当にありがとうございました」
そう言って彼は静かに頭を下げた後、続けてまた話し出した。
「皆さんの活躍については国王陛下もとても喜ばていると思います。これは私の推測ですが、皆さんには懸賞金の他に陛下から勲章が授与されることになるでしょう。とても名誉なことです。そこで、早速で申し訳ありませんが、明朝、ダリス行きの魔汽車に乗車していただきたいのです」
ブロードがそこまで言うと、脇に控えていた彼の部下達が各パーティー毎に魔汽車の乗車券を配り始める。
ダリスとはヴァイロン王国の西部に位置する町で、ヴァイロン王国の王都だ。
なんでも三千年前、英雄ヴァイロンが魔界の門を封印する際に本拠を置いたという場所で、神話にも度々登場するほどの古い町らしい。
ドーラの町から馬車でダリスに行く場合、ヴァイロン王国の入り組んだ西海岸沿いを走らなければならないため、早くても一週間はかかってしまう――このため、英雄ヴァイロンは空を飛べる天使だったという説すらある――のだが、魔汽車だと線路が山岳地帯を突っ切っているため、一日半程度で行くことが可能だ。
「あの魔汽車に乗れるんですね」
「ええ、楽しみね」
配られた乗車券を見ながらリリアとエステルが嬉しそうに囁きあっている。
その乗車券はハガキほどの大きさで、裏にヴァイロン王国の紋章が描かれたとても立派なものだ。
「その券を無くさないように。また、くれぐれも乗り遅れないよう注意してください。明朝の魔汽車を逃すと、兵員や物資の輸送の関係で次のダリス行きは一週間後になってしまいますので」
ヴァイロン軍は、今後、国内に広がってしまった魔物を駆除する作戦に移るらしい。
そのため現在ドーラに集まっている兵を急いで各地に派遣しなければならないのだ。
バウの仕事は終わったが、ヴァイロン軍の仕事はまだまだ続く。
その後、ブロードはバウ達からの質問を受け、それも出尽くしたところで解散となった。
「……明朝ってことは、今日中に荷物をまとめておかないといけないわね」
そんなグロリアの言葉に頷きつつ俺達は立ち上がり、他のバウ達と同じように出口に向かって歩き出そうとした。
が、何故かエステルだけは逆方向に歩き出し、まだ黒板の前にいるブロードに近付いていく。
「ブロードさん」
「はい?」
突然エステルに呼びかけられ、ブロードは書類などを片付けていた手を止めた。
「一つお聞きしたいのですが、……魔界の門を見ることはできますか?」
彼女は小声でブロードに質問する。
……魔界の門を見たい。
エステルの質問を聞いて、俺は魔人戦で死んだジュストの事を思い出した。
彼も東の砦に向かう馬車の中で魔界の門を見てみたいと言っていた。
彼が持っていた次元の扉に関する古文書は、古代語で書かれている上に抽象的な表現が多用されていてとても分かりづらいということだから、解読のためにどうしても本物を見てみたいという欲求が生まれるのだろう。
ただエステルの質問に対し、ブロードは申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「残念ですが、四つの砦の内側は我が軍が立ち入りを厳しく制限していますので難しいと思います。仮に立ち入りの許可が下りたとしても、あの辺りにはまだ魔物が大量にいますので、恐らく個人的に見に行くことは不可能でしょう」
「そう、……ありがとう」
ブロードの返答を聞いて、エステルは残念そうに肩を落とした。
******
俺達はバウギルドを出た後、旅に必要になる物を買いながら宿屋に帰ることにした。
「魔汽車に乗るのにそんな血で汚れた服じゃあ格好悪いから、タケルの服も買いましょう」
というエステルの提案により、みんなで服屋にも寄ったのだが、
「タケル様にはこの白と黄色のシャツが似合うと思います。そ、それにこれなら私とペ、ペアルックですし」
「いいえ、やっぱりタケルはこの黒いシャツよ。ほらサイズもぴったり」
「ダーリンはこの肉球柄のシャツがいいニャ」
みんなの好みがバラバラだったため、俺は着せ替え人形のようにあれこれ着させられる羽目になってしまった。
が、結局、
「いいわよ、時間もないから今までと同じもので」
という鶴の一声により、今までの服と同じ白いシャツと茶色のズボンに落ち着くこととなった。




