041_機は熟した!
窓の外がだいぶ明るくなってきた。
宿屋の最上階にあるこのスイートルームからは、町に生える無数の煙突からモクモクと立ち上る煙がよく見える。そろそろ朝食の時間のようだ。
俺達はエステルの復活を祝った後、何となくその煙に促されるようなかたちで一階の食堂に移動することになった。
途中、エステルは自室に寄り、借りていたリリアのコートから水色のワンピースに着替えを済ませる。
「エステル、ローブの替えは持ってるの?」
「持って無いのよ。この町に売ってるかしら」
「確かバウギルドの近くに服屋はあったと思うけど」
「そう、じゃあ後で行ってみるわ」
そんなエステルとグロリアの会話を聞きつつみんなでぞろぞろ食堂に行くと、
「ん?」
玄関近くのテーブルに、異様にでかい人が窓の外を眺めながら静かに座っているのが見えた。
盛り上がった筋肉のせいで今にも張り裂けそうなシャツを着た短髪の男性、ベルナールだ。
彼は俺達に気付くと勢いよく立ち上がり、ほっとした表情で近付いてくる。
「無事だったんだなエステル、いやぁ、よかった」
どうやら彼は、エステルの事を心配して早朝にもかかわらず彼女の様子を見に来てくれたようだ。
「……」
しかし、エステルはそんなベルナールに笑顔で応じようとはしなかった。
彼女は唇を噛みしめ、無言でしばらく彼を見つめた後、神妙な表情で一歩前に進み出る。
「……ベルナールさん」
「ん? どうした?」
エステルの暗い応対に、ベルナールは少し戸惑った表情で彼女の顔をのぞき込んだ。
「……私は、……たくさんのバウを殺してしまいました」
「……」
エステルの言葉に、表情が一気に険しくなるベルナール。
後で知ったことだが、彼女は魔人に取り憑かれていた間も、ぼんやりとではあるが周囲の状況が見えていたらしい。
だから、自分の魔法で誰かがやられていたということはわかっていたようだ。
ただ、極度の「うつ」のせいでその状況にまったく興味が持てず、
「馬車の荷台で流れる景色を取り留めもなく眺めているような感じ」
だったそうだ。
やられていたのがバウ達だったということも、この時、ベルナールの顔を見てはっきり思い出したらしい。
「……魔人のせい、などといいわけはしません。どんな責めも負うつもりです。本当に申し訳ありま――」
そう言ってエステルは頭を下げようとした。瞬間、
「思い上がるな!!!」
ベルナールが彼女の言葉を強引に遮るようにして大声を発し、何故か怒った表情で彼女を睨み付けた。
「え?」
ベルナールの不意の怒りに、俺達はもちろん、奥の厨房にいた宿屋の店員までもが驚いて彼に視線を向ける。
「俺達はお前にやられたんじゃない。魔人にやられたんだ!」
「……」
「魔人の力がなければ、いくらお前が高位のウィザードでも、俺達を負かすことなどできはしない!」
「……」
「考えてもみろ。翼もない、精神力も魔人に比べて圧倒的に弱いお前が、数十人の熟練のバウに囲まれて勝てると思うか? 絶対に無理だ」
「……そ、それは、そうですけど」
「それがわかっているなら、自分が殺してしまったなどと俺達を侮辱するようなことは二度と言うな!」
ベルナールは物凄い剣幕でエステルを叱りつけた。
「侮辱するだなんて……」
「いいな!!」
「……は、はい」
ベルナールの迫力に圧倒され、エステルは唖然としつつ首を縦に振った。
………………さ、さすがベルナール。
突然怒り出した彼に俺も一瞬鼻白んだが、その後、何となく彼の怒りの裏にある本心がわかって激しく胸を打たれた。
彼はわざと怒ってみせたのだ。エステルのことを思って。
エステルは冷然としているように見えて、実はとても優しい。
だから、魔人に操られていたとわかってはいても、自分を責めずにはいられないだろう。
そんな彼女に「魔人のせいだから」と無責任に慰めたところで何の意味もない。かえって自責の念を深くしてしまうはずだ。
でも、ベルナールが言ったように「自分がバウ達を殺した」と思うこと自体「思い上がり」だと認識したら……、たちまち自責の念など消滅してしまうんじゃないだろうか。
「バウ達は魔人の強大な力によって命を落としたのであって、自分のような非力な者の力によるものではない。だから自責の念を持つこと自体が死者に対して非礼になる」ということになれば、もうそれ以上考えようがない。
結局、魔人の仕業と思わざるを得なくなる。
ベルナールはエステルにそう思い込ませるために、わざと強く怒鳴りつけたのだ。彼女がこれ以上苦しまないように……。
……ありがとう。
俺は、エステルのことを気遣ってくれるベルナールに感謝ぜずにはいられなかった。
彼が仲間を労わる気持ちは半端じゃない。
だからこそ彼は世界一のタンク、世界一のバウパーティーのリーダーになりえたのだろう。
「……すまん。ついカッとなってしまった」
エステルが頷いたのを見て、ベルナールは怒りを鎮め、小さくため息をついた。
「いずれにしても、今回の責任は全て連合のリーダーで、かつ、メインタンクの俺にある。俺がもっとしっかりしていれば、お前が魔人に取り憑かれることもなかっただろうし、多くの仲間も死なずに済んだのだ」
「……」
「全て俺の責任だ。本当に迷惑をかけた。このとおりだ」
そう言うと今度は逆にベルナールがエステルやグロリア達に向かって深々と頭を下げた。
「……」
そんなベルナールに、俺達はどう声をかけてよいかわからず、そのまましばらく黙り込んでしまう。
が、グロリアがさっと彼に駆け寄り、にこやかに話しかけた。
「頭を上げてベルナールさん。あなたには何の落ち度もないわ。作戦だって見事としかいいようがなかったもの。今回は魔人が強すぎただけよ。でも、その魔人もめでたく討伐できたんだから、誰が悪いなんて考える必要なんてまったく無い。だって、バウってそういう仕事でしょ?」
「…………ふっ、そういう仕事、か」
グロリアの言葉に、ベルナールは苦笑しながらゆっくりと頭を上げた。
「そうだったな。うむ、それを聞いてだいぶ気が楽になった。ありがとう」
「どういたしまして。さあ、暗い話はこれくらいにして朝食にしましょう」
グロリアの明るい声に、場が一気に和んだ。
……彼女がいてよかった。
たぶんそこにいたみんながそう思ったに違いない。
こんなふうにみんなを簡単に和ませてしまう、闇エルフは悪魔の種族だといわれているが、実は天使に近いのかもしれない。
グロリアはみんなを食堂に誘導しつつ、
「ベルナールさんもよかったら一緒にいかが?」
と、ちゃんと世界一のタンクにも声をかけたが、
「いや、残念だが俺はまだ用事があるからこれで失礼するよ」
と、彼は申し訳なさそうに断り、大きな体を素早く反転させると、玄関に向かって足早に歩き出した。
俺達はそのまま彼の壁のような背中を見送っていたが、玄関に差し掛かったところで何か思い出したのか彼がまたこちらに振り返る。
「ああ、それからワイルドローズの諸君。余計なことかも知れないが、君達の奴隷のタケル君を大切にしてやってくれ。彼は世界一の奴隷だ。間違っても蹴ったりしちゃだめだぞ」
彼はそう言うと、俺の顔をちらっと見てニヤッとしながら去っていった。
……世界一の奴隷、ってあまり嬉しくない称号だなぁ。
もう少し良い褒め方もあるだろうに、と思いつつも、俺にまで気を遣ってくれたベルナールに一応は感謝した。
ちなみに、彼はこの後、他のパーティーにも謝罪して回ったらしい。
今回の責めをエステルではなく、自分に向けさせるためだ。
中にはエステルに強い恨みを持つ者もいたらしいが、世界一のタンクに「自分のせいだ」と頭を下げられれば、受け入れざるを得ない。
それに、グロリアも言った通り、バウとは元より何をしてくるか知れない魔物に対して命を晒す危険な商売なのだ。
仲間の死で一時的に感情を高ぶらせはしたが、でも、魔人に取り憑かれて死よりも辛い目にあったであろうエステルに恨みを持ち続けるほど、彼らは陰湿ではなかった。
そればかりか、多くのバウがエステルを激励するためにこの宿屋を訪れるという心の広さを見せた。
仲間を労わる気持ちが強いのは、ベルナールだけでなく、トップクラスのバウ達に共通する特徴なのだろう。
とにもかくにも、西の砦の魔人戦で生まれたバウ内でのわだかまりは急速に解消することとなったのだった。
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とうとう残る魔人は一体となった。
ドーラの住民達の討伐への期待も日増しに大きくなっていく。
ゴーストタウンのように静まり返っていたこの町も、魔人が討伐された後のことを見据えて店の開店準備や魔石採掘再開の段取りなどが行われ始め、希望に満ちた明るい声があちこちから聞こえてくるようになった。
少し前までは閑散としていたバウギルドも、住民達の期待に応えたいという気持ちと、次の討伐が大金を得る最後のチャンスということで、連日、連合への参加を希望するバウ達でごった返しており、その様子を見ただけでも、魔人討伐への機運が急速に高まっていると思わずにはいられなかった。
さらに、その機運を盛り上げたのが、ヴァイロン軍の援軍だ。
ナディア防衛隊副隊長ウォレスが臨時に指揮するドーラ支援隊、総勢五百の大部隊がドーラの町に到着したのだ。
聞くところによると、一体目の魔人が討伐されて以降、ヴァイロン王国中南部の町を襲撃する魔物の数が大幅に減少したため、ヴァイロン軍が余剰兵力をナディアに集結させ、支援部隊としてドーラに派遣したらしい。
ドーラのヴァイロン軍は、新たな魔人の襲来に備えて三つの砦を通常の倍の人数で守備しており、そのため慢性的な兵力不足に悩まされていたのだが、この援軍到着によりその問題は一気に解決することとなった。
「機は熟した!」
西の砦の魔人が討伐されてから一週間後、最後の魔人討伐のために開かれたミーティングの冒頭で、ドーラ司令官アーロン・デイルが高々と宣言した。
彼の前には、ベルナールを筆頭にこれまでの討伐に参加してきた歴戦のバウ達が居並び、さらに、今回から新たに参加したバウ達も彼らの後ろや脇を固めている。
総勢八十七名、部屋に入りきれないほどの人数だ。
士気が異常なほど高く、討伐は明日だというのにすでに装備を身につけている者さえいる。
すごい熱気だ。
もちろん、ワイルドローズもその熱気の中にある。
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翌朝、ブロード隊約八十名、支援隊精鋭約百名、そして、奴隷を含むバウの隊約百名で構成された魔人討伐隊は、ドーラの住民達の大声援を受けつつドーラの町を出発。
地下鉄道で東の砦に移動した後、最後の魔人が居座る北の砦に向けて進撃を開始した。
猛烈な土煙を上げて激走する討伐隊を前に、三つの聖錠石が有効になって数も力も半減した魔物達は為すすべなく蹴散らされていく。
まさに破竹の勢いだ。
その勢いは北の砦に到着した後も止まらず、バウ達はあっという間に聖錠石室の前室にたどり着いた。
「みんな、これが最後の戦いだ。懸賞金をもらうついでに世界を救ってやろうじゃないか!」
ベルナールの威勢のいい呼びかけに、
「おぉぉぉぉ!!」
赤、青、緑のオーラをまとったバウ達が力強くこぶしを掲げる。
士気は最高潮に達した。
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北の砦に居座っていた魔人は、例によって強烈な青白い光を放つ三メートルほどの大きさの巨人だった。
黒髪の頭には折れ曲がった角が二本生え、瞳は爬虫類のそれのように細く冷たい。
黒紫色のスレンダーな体に露出度の高い鎧と黒いマントを身につけ、魔法で生成したらしき石の椅子にふんぞり返っているその姿は、まさに「ラスボス」といった感じだ。
背中には四本の触手のようなものがあり、それぞれに異なった形のおどろおどろしい剣が握られている。見るからに強そうだ。
しかし、戦闘が始まると、バウ達は終始魔人を圧倒した。
タンク達は、複数の剣から繰り出される魔人の不規則な物理攻撃を連携してうまく弾き返し、近接アタッカー、間接アタッカー達は魔人が怯むほどの猛烈な攻撃を繰り返す。
例え誰かが傷を負っても、後方に控える手持ち無沙汰気味のヒーラー達が競い合う様にしてヒールを施すため、魔人に付け入る隙をまったく与えない。
特に、これまでの討伐に参加してきたバウ達の動きは見事としかいいようがないほど冴えに冴えている。
魔人は、戦闘開始から一時間と経たないうちに防戦一方となり、ほどなくして再生能力も失ってしまった。
四本の触手は全て切り落とされ、体中傷だらけになった魔人は、気の毒とさえ思えるほどオロオロしながら後退していく。
けれども、バウ達は一向に手を緩めず、どんどん魔人を追いつめている。
そして、最後はやはりこの人だった。
「風精の光剣!」
真新しい紺のローブを身にまとったエステルが、太くて鋭い光の剣を魔人目がけて振り下ろしたのだ。
ババーン!!
爆発音にも似た雷鳴が轟き、目を開けていられないほどの光が聖錠石室を満たす。
それは、一千年ぶりに行われた魔人と人類との戦いの最後を締めくくるに相応しい象徴的な光となった。
光の中心にいた魔人は直立したまま硬直し、バウ達が見守る中で音もなく前方に崩れ落ちた。
青白い光は完全に失われ、もうピクリともしない。
最後の魔人を、倒したのだ。
「どうばぁぁぁぁづ!! どうばぁぁぁぁづ!!」
歓喜の声の中、ベルナールが涙声で何度も叫ぶ。
バウは、多くの犠牲を払いつつも聖錠石をめぐる魔人達との戦いに勝利というかたちで終止符を打つことに成功したのだった。
今回は、あえてダイジェストっぽくしてみました。




