037_右胸の穴
前回の大敗から一週間後、再び西の砦に居座る魔人の討伐が決行されることになった。
ただ、今回の討伐では、残念ながら43名のバウしか集まらなかった。
各パーティーやバウギルドが必死に勧誘活動を行なったのだが、オールスター軍団でさえ全滅しかけた魔人に怖気付いてしまったのか、思うように参加者を集められなかったのだ。
「もう少し集まるまで討伐は延期すべき」という慎重な意見もあったらしい。
が、アーチャーだけは新たに10名ほど確保することができ、今回の「間接攻撃が主体」という戦い方であればそれほど不足はないということで、予定通り行われることになったのだ。
「……じゃあ私達も参加、ということでいいわね」
ワイルドローズもみんなで話し合った結果、参加することになった。
もちろん、エステルを討伐するつもりなんて毛頭ない。
「助けられるのなら助けたい」そう考えてのことだ。
でも、グロリア達の暗い表情を見る限り、実際にエステルを助けられると信じているのは、俺だけかも知れない……。
******
集合場所であるドーラの町の西門は、異様な静けさに包まれていた。
普段から無駄口を叩かないブロード隊はいいとしても、バウ達までまったくしゃべらずに出発の時を待っている。
強敵との対決を前に、みんな緊張しているようだ。
さらに、この静けさをより一層強調していたのが周りにたたずむドーラの住民達の寂しげなシルエットだ。
遠巻きにぽつぽつと、数えるほどしかない。
この前あれだけ大勢で詰め掛け、大騒ぎしていたのに。
どうやら住民達はバウ達に失望してしまったようだ。
まあ、オールスター軍団でさえ惨敗し、しかも、やられた相手が魔人に取り憑かれた味方の一人だというのだから、それも仕方のないことだろう。
聞くところによると、彼らは「世界中の国々が魔人討伐の軍をドーラに差し向けたらしい」という噂を信じているらしく、そのため、バウによる討伐はもうどうでもいいと思っているようなのだ。
その噂自体は、住民の願望から生まれた根も葉もないまったくのデマらしいのだが……。
でも俺は、住民達のこのあからさまな心変わりをむしろ喜んでいた。
もしかしたら今日、エステルが討伐されてしまうかもしれないのだ。
そんな時に大声援で送り出してほしくなどない。
「出発!!」
威勢のいいブロードの号令が辺りに空しく響き渡った後、討伐隊を乗せた馬車はまるで夜逃げのように密やかにドーラの町を後にしたのだった。
相変わらず今日も空は灰色の分厚い雲に覆われており、日の出の時刻を過ぎたというのに辺りはまだ薄暗い。
馬車の周りには黒っぽい大地が広がっており、それが雲と一体になって見事なまでに陰気な景色を作り上げている。
「……」
俺はその景色を窓から眺めつつ、黙って自分が考えた「エステル救出作戦」に思いを巡らしていた。
エステル救出作戦。
それは酷く単純だった。
「できるだけ近くでエステルに呼びかける」だ。
色々考えたが、やっぱりこれしかない。
彼女の心に干渉するといっても、俺は魔人のような目を持っていない。
だから、呼びかけるしかないんだ。
単純だが、でも愚策じゃない。
この前だって、これでベルナールを助けられた。
彼はそれを偶然だと言ったが、俺はそうは思わない。
あれは間違いなくエステル自身が反応したのだ。
絶対に彼女はまだあの体の中にいる。
そして、わずかかもしれないが外の状況を把握している。
だから、できるだけ近くで彼女に「ジャンへの責任」を伝えるんだ。
ただ、問題はどうやって彼女に近付くかだ。
彼女は遠くからでも攻撃できるウィザードであり、しかも翼を持っている。
近付くのは容易じゃないだろう。
俺はこの問題についてかなり悩んだ。
最初はできるだけ気付かれないようにこっそり近付こうと考えていたのだが、どうしても良いアイデアが浮かばなかった。
だいたい非力な俺がこっそり近付けるくらいなら、バウ達だって苦労はしない。
簡単に近付けないから間接攻撃を主体にせざるを得なかったのだ。
そこで、俺は発想を転換した。
こっそり近付くのではなく、できるだけ「俺」をアピールしながら近付こうと考えたのだ。
俺の強み、それはずばり「俺」だ。
だから、名前を名乗り、姿をさらけ出して堂々と近付く。
たぶんこの方がこそこそするよりよっぽど彼女に近付ける可能性が高いはずだ。
何といっても、彼女は俺のことを……。
また、近付くタイミングは戦闘開始直前と決めた。
戦闘前なら彼女は地上にいるはずだ。
彼女が翼を使ってどれだけ飛び回るかはわからないが、少なくとも飛んでいる最中は近付けない。
だから、飛び立つ前を狙うのだ。
さらにもう一つ、このタイミングを選んだ理由がある。
バウ達の存在だ。
俺がエステルに近付こうとすれば、恐らく彼らは止めようとするはずなのだ。
奴隷である俺の勝手な行動など許さないだろうから……。
でも、彼らがエステルに集中しきっている戦闘開始直前なら、そう簡単に俺を止めることはできないだろう。
非力な俺にとっては最高のタイミングということになる。
こうして作戦の詳細は決まった。
……この作戦なら絶対に彼女を救い出せるはず。
短期間で考えた作戦ではあるが、何故か俺には自信があった。
ただ、このことはグロリア達には言わなかった。
言えば、彼女達のことだ。必死に止めるだろう。
それでも俺がやると言えば、今度は逆に必死になって手伝ってくれるに違いない。
でも、この作戦は一歩間違えば、死ぬ。
彼女達をそんな危険な目に遭わせるわけにはいかない。
これは俺と魔人だけの戦いなのだ。
******
行軍は順調に進み、ドーラの町を出発してから二時間ほどで俺達は聖錠石室の前室にたどり着くことができた。
バウ全員が前室に入ったのを確認すると、
「よし、昨日決めた戦闘配置に合わせて整列してくれ」
と、例によってベルナールが整列を指示。
今回、タンクは敵正面に固まらず、エステルからやや離れた所で左右に大きく開いた陣形をとる。
これは、エステルがウィザードのため、東の砦の魔人のような強力な物理攻撃を考慮しなくてもよいからだ。
さらに、散開したタンク達のそれぞれがエステルを挑発することで、彼女によりたくさんの範囲攻撃魔法を撃たせようという魂胆もある。
今回の作戦はエステルを消耗させることが第一の目標のため、局地攻撃魔法よりも精神力の消耗が激しい範囲攻撃魔法を彼女に撃たせたいのだ。
ただ、当然タンク達はエステルの強力な攻撃魔法に耐え続けなければならなくなるから、今回、彼らは魔法防御に特化した翠玉の鎧を着込んでいる。
しかも、いざという時のためにタンク四人全員がグロスシールドの所有者だ。
ちなみに、ガエルはグロスシールドを所有していないため、今回はタンクパーティーから外されている。
間接アタッカーは、エステルの射程よりわずかに内側に入り込んだ位置から攻撃を行う。
弓やクロスボウを装備した近接アタッカーも同様だ。
彼らは、エステルが攻撃魔法を発動しようとした場合、速やかに射程外に退くことになっている。
ヒーラーは、エステルの射程外でタンクや間接アタッカーを援護。
弓などを扱えない近接アタッカーやガーディアンも、エステルがばてるまでとりあえず射程外で待機だ。
ワイルドローズはというと、今回はアタッカーパーティーとしてではなく、タンクパーティーのサポートとして主にヒーラー達の護衛や補助を任されることになっていた。
恐らくそれは、同じパーティーだった者を攻撃するのは辛いだろうというベルナールの配慮の結果なのだろう。
よって、ポジションは後衛のほぼ中央、グロリアはタンク仕様だ。
整列が完了すると、今度はクレリック達が一斉にバフの呪文を唱え始めた。
今回、タンク以外は素早さを上昇させる「ヘルメスの羽」のバフを施されることになっている。
エステルの魔法から逃れやすくするためだ。
ほどなくして、前室は緑の光で満ちあふれた。
戦闘の準備が整ったのだ。
ベルナールはその様子を確認した後、一旦目を閉じ、ふぅっと大きく息を吐いた。
そして、
「いくぞ」
と、いつもよりドスの利いた声で言うと、聖錠石室の扉を静かに開け、ゆっくりと中に入っていった。
他のバウ達も彼に遅れないよう続々と入っていく。
……いよいよだ。
俺は心の中でそう思いながら、でも顔には出さず、他の奴隷達の後について最後に聖錠石室に入った。
エステルは、いた。
だだっ広い聖錠石室の中央辺りにぽつんと。
腕を組み、床に刺さった自分の杖に寄りかかっている。
この前俺達が撤退した時と同じ格好だ。
ただ、わずかに目が開いていて、バウ達の様子を無表情のままぼーっと眺めている。
……エステル。
彼女を見た瞬間、俺は想いが一気に膨らんですぐにでも駆け寄りたいという衝動に駆られた。が、しかし、何とか思いとどまった。
俺がいる前室の扉付近には、まだバウ達が密集している。
ここで彼女に近付こうとしても、恐らく彼らの内の誰かに止められてしまうだろう。
俺ははやる気持ちを抑え、予定通り戦闘開始直前まで待つことにした。
慌てることはない。ここぞというタイミングを狙うのだ。
バウ達は戦闘体勢を整えるべく、緊張した面持ちで聖錠石室の壁際をゆっくりと移動していく。
その間、俺はバウ達とエステルの様子を交互に確認しながら、気持ちを落ち着かせるために静かに呼吸を整えていた。
やがて、バウ達の動きが止まった。
全員、所定の場所に着いたのだ。
彼らは前方にいるエステルを見据えつつ、すぐにでも前進できる体勢をとっている。
一方のエステルは、さっきからまったく動いていない。
ずっと同じ格好のままだ。
ただ、わずかに開いている目は、油断ならざる赤い光をたたえている。
「…………」
しばらくの間、両者は睨み合ったままピクリとも動かなかった。
息が詰まるほどの緊迫した静寂が聖錠石室を包み込んでいる。
そんな中、バウの一人がわずかに動く。
先頭のベルナールがゆっくりと最初の一歩を踏み出したのだ。
彼に合わせ、他の三人のタンクもそれぞれの位置から前進を開始。
ついに、バウ達にとっての魔人戦が始まったのだ。
警戒しながらゆっくりと前進していくタンク達。
少し間を置いて、横隊を組んだ間接アタッカー達も前進を開始した。
「……」
俺はその様子を確認しつつ、持っていたショルダーバッグとベルトポーチを壁際にそっと置いた。
タンク、間接アタッカー達はじりじりと前進を続けている。
もう少しすれば、俺の目の前にいる後衛達も動き出すはずだ。
……その瞬間に行動を起こす。
俺は心に決めた。
今のところ、エステルはまったく動く素振りを見せていない。
一方のバウ達もエステルに注目し、全員が俺に背中を向けている。
これなら問題なくエステルに近付けるはずだ。
全ては予定通り。
……絶対にうまくいく。
俺はそう念じながら、少し屈み込んですぐに飛び出せる体勢をとった。
ほどなくして、先頭のベルナールがあと数歩でエステルの射程に入るという位置にまで到達した。
戦闘開始は目前だ。
「!」
そして、次の瞬間、ついに俺が心に決めていたタイミングが訪れる。
後衛達が前方に向かって静かに動き始めたのだ。
……今だ!!
俺は心の中で叫び、床を思いっ切り蹴ると、そのままエステルに向かって全力で走り出した。
バウ達とは違う、俺にとっての魔人戦が始まったのだ。
……まずは後衛を追い抜く。
彼らは俺の目の前をゆっくり前進している。
全員がエステルに注目していてまだ誰も俺に気付いていない。大丈夫だ。
……行くぞ!
俺は、彼らの中央付近にいたリリアの隣のスペースに狙いを定め、そこから一気に突破を図った。
「え? タ、タケル様!?」
リリアから驚きの声が漏れる。
けれども、完全に不意を突いたため、誰にも止められることはなく無事に駆け抜けることができた。
……第一関門突破!
次は間接アタッカー達だ。
彼らは後衛の前を横一列に並んで前進している。
すでに彼らの何人かは、後衛達のかすかなざわめきを聞いて俺に気付いていたようだったが、もうここまできたら突っ込むしかない。
俺はさらに加速し、最初から目を付けていた鈍臭そうな二人のウィザードの間を素早く通り抜けた。
「!?」
突然背後から現れた俺に、二人は驚いたように左右に仰けぞる。
が、それ以上の動きはなかった。
……第二関門も突破!
俺の作戦は至極順調だった。
バウ達は俺の行動にまったく対処できていない。
対処したくても、エステルが気になって動くことができないのだ。
おかげで俺は、誰にも邪魔されること無くエステルに向かって走る事ができた。
最後は先頭のベルナールだ。
彼は俺から見れば壁のように大きいが、幸いなことに彼の両側には大きなスペースが空いている。
作戦上、タンク達が分散しているからだ。
だから追い抜くことはそれほど難しくないだろう。
俺は彼の左側を大きく迂回するようにして抜きにかかった。
しかし、
「止めろ、タケル! 無理だ!!」
抜き去ろうとした瞬間、俺に気付いたベルナールが盾を予想以上に大きく横に突き出してくる。
……うっ!?
彼の盾が目の前に現われ、俺の行く手は大部分が遮られた。全力で走っていたため、もう避けられそうにない。
「っ!」
けれども、俺は執念で盾の下のわずかな隙間に飛び込み、何とかすり抜けることに成功した。
……最終関門、突破!
とうとう俺はバウ達の前に出た。
エステルの姿が何者にも遮られずにはっきりと見える。
いよいよ魔人と対決だ。
ただ、こんなにも派手に登場した俺に対し、エステルは何の反応も示さなかった。
俺の必死さが滑稽に思えるほどの無視っぷりだ。
でもまあ、いきなり魔法攻撃を受けるよりはずっとマシだが。
……次は、できるだけエステルに近付く。
俺は作戦を第二段階に移行させた。
「エステル様、タケルです。わかりますか?」
俺は走る速度を抑え、エステルに向かって優しく呼びかける。
彼女に近付くために考え抜いた作戦、「俺」アピール作戦を実行に移したのだ。
「アルテミシアであなたに買ってもらった奴隷のタケルです。わかりませんか?」
「……」
すると、今までまったく動かなかった彼女がわずかに反応する。
ただ、俺が期待していたものとは全く反対の……。
眉を寄せ、「何だこいつ?」というような目で俺を睨んだのだ。
その表情には、嫌悪感が露骨に出ている。
……俺だとわからないのか?
だとするとまずい。
俺はすでに彼女の射程内に大きく入り込んでいる。
敵だと認識されれば、すぐにでも攻撃されてしまうかもしれない。
俺は慌てて立ち止まり、とりあえず両手を軽く上げて敵意のない事をアピールした。
しかし、彼女はなおも睨み続けている。
……くそ。
俺は堪らず大声で叫んだ。
「異世界人のタケルです! お願いです、思い出してください!!」
「!?」
すると、俺の言葉にエステルがピクッと反応した。
前回、ベルナールを助けようと俺が彼女に呼びかけた時と似た反応だ。
エステル自身が反応したに違いない。
……いける!
俺は彼女にゆっくりと近付きながら、この機を逃さぬようたたみかけるように話しかけた。
「この服を見てください。見覚えがあるでしょう?」
「……」
「カリオペであなたに買ってもらった服です。覚えてますよね?」
「……」
「あなたが選んでくれたんですから、知らないとは言わせませんよ」
俺はそう言っていたずらっぽく笑みを浮かべながら、彼女に服がよく見えるよう両手を左右に大きく広げてみせた。
「ぉぉ……」
その瞬間、背後でバウ達の小さなどよめきが起こる。
なんと、両手を広げた俺を見て彼女が優しげに微笑んだのだ。
その表情からは完全に嫌悪感が消え失せている。
……絶対にいける!
彼女の表情を見て、俺の自信が一気に深まった。
彼女は、俺を俺だと認識してくれている。
このまま彼女に近付い――
が、その時、
「?」
俺の思考は不意の出来事で中断した。
前方から何か白っぽいものが飛んできて、俺の右胸の辺りをスッと通り抜けたような気がしたからだ。
……えっ?
俺は立ち止まって反射的に右胸を見る。
……?
すぐには分からなかった。
でも、よく見るとシャツにぽつんと小さな穴が開いているのが分かった。
直径1センチに満たない小さな穴だ。
……ま、まさか!?
慌ててエステルを見直すと、彼女はいつの間にか組んでいた腕を少しだけ緩ませ、右手の人差し指を俺の方に向けている。
……もしかして!?
俺は改めて右胸に開いた小さな穴を確認しようとした。
しかし、……もう穴などどうでもいい状態になっていた。
目を離したほんの一瞬の間に、白かったはずの右胸が真っ赤に染まっていたのだ。
しかも、その染みは異常な速さでまだまだ周囲に広がり続けている。
……う、撃たれた!?
「ぅうぁ、ぅぐぁっ」
俺がエステルの放った氷の矢らしき物によって右胸を射抜かれたと認識した時には、すでに息を吸うことも、吐くこともできなかった。
右胸から背中にかけて無性に熱い。
そして、その熱さが一気に喉にこみ上げてきたかと思うと、
「うぼぉっ」
大量の血が口からあふれ出てきた。
「がぁっあぐぅ」
俺は苦しさに耐え切れず、血を吐きながら床に倒れ込んだ。
目の前には血溜まりができ、視界の半分が真っ赤になる。
その赤の向こうに、……ニヤけた顔のエステルがぼんやりと見えた。
俺の声は、彼女の心にまったく届いていなかったのだ。
「タンク! クラッカーを放て!!」
その時、ベルナールの声が聞こえ、彼以外のタンク達が一斉にヘイトクラッカーを放った。
「フッ」
それを見て、薄笑いを浮かべながら杖を片手に空中にふわりと舞い上がるエステル。
「馬鹿野郎!!」
ベルナールは怒鳴りながら俺に素早く近付くと、俺の右足首を掴み、そのまま後方へと放り投げた。
「うぁぐっ」
俺は床を何度かバウンドしつつ、間接アタッカー達が並んでいる辺りまで人形のように転がっていった。
「タケル!!」
「ダーリン!!」
すぐにグロリアとチャロが駆け寄ってきて、血まみれの俺を引きずりながら壁際まで連れて行ってくれたのだが、
「ぐぅ……」
呼吸ができず、大量の血を失った俺は、この時すでに意識を失いかけていた。
死ぬ寸前だった。
が、
「ヘルメスの恩情!」
という声が聞こえた途端、急に体全体が暖かくなったかと思うと、苦しさが一気に解消した。
リリアが俺に高等ヒールを施してくれたのだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、……」
俺はギリギリのところで死を免れたのだった……。
バウとエステルとの決戦は、俺の失敗によって突発的に始まってしまったが、バウ達は慌てずに対処した。
前方のタンク四人は、タイミングを合わせてエステルに何度もヘイトクラッカーを放ち、わざとヘイトを分散させて彼女に範囲攻撃魔法を打たせようと誘っている。
間接アタッカー達はエステルの射程の縁に沿うようにして並び、そこから猛烈な勢いで矢や魔法を放ち始めた。
対してエステルは、今のところ聖錠石の上空にとどまり、杖を使ったり、氷壁の魔法を発動させたりしてバウ達の攻撃を避け続けている。
「……すみませんでした」
バウとエステルの戦闘が行なわれている中、俺は壁際でグロリア達に力なく頭を下げていた。
黙ってエステルの前に飛び出した挙句、何もできずに殺されかけ、結局助けてもらうことになってしまった。
こんな間抜けで自分勝手な奴隷が他にいるだろうか。
「……」
けれども、彼女達は怒ることもなく、温かい眼差しで俺を静かに見守っている。
「……やっぱり、魔物に取り憑かれた人を助けることなんて、……できないんですね」
俺は肩を落とした。
右胸の傷はリリアの高等ヒールで完全に治ったが、魔人からエステルを救えなかったという悔しさと、エステルに殺されかけたという悲しさで俺の心は傷だらけだった。
「エステルは俺を想っている。だから俺が呼びかければ、彼女はきっと応えてくれる」そんな思いが俺にはあった。
でも、それは単なる思い上がりだったのだ。
この前彼女が俺の声に反応したのも、ベルナールが言っていたように単なる偶然だったのだろう。
……もう俺にできることは何もない。
諦めるしかないと思った。
しかし、
「いいえ、そうでもないわよ」
助け出せることに否定的だったグロリアが何故か首を横に振る。
「えっ?」
グロリアの意外な言葉に呆気にとられていると、彼女は、まだわずかに白い部分が残っている俺の左胸を指差した。
「氷の矢は威力こそ小さいけれど、狙いが定めやすくて扱いやすい魔法なのよ。だから魔人があなたの心臓を射抜くことなんて訳ないわ」
「……」
彼女は、今度は真っ赤になった俺の右胸を指差した。
「でも外した。魔人はあなたを殺せなかった。誰かが邪魔をしたがために」
「……誰かが?」
俺が聞くと、グロリアは嬉しそうに答えた。
「エステルよ! 彼女はまだ完全には魔人に支配されているわけじゃない。あの体の中で必死に抵抗しているのよ!」
「……じゃ、じゃあ」
「彼女を助けられるかもしれないわ。今すぐってわけにはいかないでしょうけど、きっとチャンスはあるはず。だから焦らないでもう少し様子を見ましょう」
「……」
俺の作戦は、無謀だったのかもしれない。
でも、それでもやった意味はあったのだ。
「はい!」
俺はグロリアの言葉に頷き、力強く立ち上がった。
……諦めるのは、まだ早い!




