036_罪悪感
すみません、今回はちょっとブルーな感じの話です。
討伐失敗の報を受けたブロードは、すぐに作戦を「ドーラ帰還」へと切り替えた。
俺達はブロード隊に護衛してもらいながら砦の西口まで戻り、その後、馬車に乗り込んで一路ドーラの町へと向かった。
馬車の周りでは、猛追する魔物達をナイト隊が懸命に食い止めていたが、彼らにも少なからず損害が出てしまったようだ。
「……」
そんな外の壮絶な状況とは対照的に、馬車の中はしんと静まり返っていた。
みんな疲れ果てたように黙って馬車に揺られている。
多くのバウが犠牲になったせいか、馬車の中は空席が目立つ。
そして、そこにはエステルの姿もない……。
******
俺達がドーラの町に帰還したのは、正午を少し過ぎた頃だった。
ただ、地上のルートで帰還、イコール、討伐失敗というのは町の住人なら誰でも知っているらしく、出迎えに来ている者は一人としていない。
今朝のお祭り騒ぎがまるでうそのようだ。
西門を入ったすぐの所で馬車は停車し、バウ達はそこで降ろされる。
「今後の事はバウギルドを通じて連絡します」
ブロードはバウ達に向かってそれだけを告げると、部下達と共にヴァイロン軍の基地に帰っていってしまった。
「……」
バウ達はしばらくそこで呆然と立ち尽くしていたが、
「……西の砦の魔人について話し合いたい。みんなバウギルドの二階に集まってほしい」
というベルナールの呼びかけによりやっと動き出した。
バウ達はそのままバウギルド二階のミーティングルームに移動する。
ただ、昨日よりだいぶ人数が少ない。
それもそのはず、今回の戦闘で約半数のバウが命を落としていた。
世界的に有名なバウですら、何人か欠けているようだ。
「……」
部屋は静寂に包まれている。
誰もが俯いたまま、黙って長テーブルに座っていた。
そんな中、ベルナールが深刻な表情で黒板の前に立った。
「今回の魔人討伐は失敗した。そして、多くの仲間を失った。まずは彼らの冥福を祈ろう」
彼はそう言うと、目を閉じて黙祷を始める。
他のバウ達も彼に倣ったが、がまんできずに途中で泣き出してしまう者もあった。
黙祷を済ませると、ベルナールは小声で悔しそうに呟く。
「まさか人に取り憑く魔人がいようとは……」
後で知ったことだが、この世界には、人に取り憑く能力をもった魔物が何種類か存在しているらしい。
主に森や洞窟などに生息し、冒険者などに取り憑いては大暴れする厄介な存在なのだが、しかし、その魔物自体はとても弱いのだそうだ。
だから、普通の魔物よりも桁違いに強いとされる魔人が人に取り憑くなどということは、さすがのベルナールでも予想外だったのだろう。
彼はそこで小さくため息をついた後、冷静な口調でゆっくりと話し出した。
「エステルは魔人に取り憑かれてしまった。知っての通り、彼女は高レベルのウィザードであり、我等の中でもトップクラスの攻撃力を誇っていた。魔人もそれを見抜き、彼女に取り憑いたのだろう。これに対するのは非常に厄介だが、どう攻略すべきか、みんなの意見を聞きたい」
すると、今まで押し黙っていたバウ達からちらほらと意見が出始める。
「ウィザードは防御力が低い。接近戦に持ち込んで袋叩きにしてはどうか?」
「それは無理だ。接近する前に範囲攻撃魔法を食らって全滅してしまう。それに奴には翼がある。飛ばれたらどうしようもない」
「それなら弓を主体にして攻撃したらどうかしら? 弓なら飛んでいる時でも攻撃することができるわ」
「しかし、弓だけでは魔人を倒せんだろう」
……な、何を言っているんだ、この人達は!?
俺は彼らの意見に違和感を覚えずにはいられなかった。
この人達は最初からエステルを倒すつもりで話している。
魔人を倒すがごとく。
でも、彼女は魔人に取り憑かれているだけで魔人じゃない。
倒す事を考えるよりも、まず彼女を救出する事を考えるべきじゃないのか。
……くそ。
俺は彼らに敵意すら覚えつつも、奴隷という立場からぐっと堪えて椅子に座り続けていた。
「彼女は火の魔法が得意だった。ならば水の――」
「エステル様を助けるという選択肢はないのですか?」
しかし堪え切れず、俺は立ち上がってベルナールに訴えてしまった。
「……」
一瞬、部屋の中が静まり返る。
が、
「馬鹿か、お前は!」
「奴隷の分際で口を出すな!」
「気でも狂ったか!」
猛烈な批判が噴出した。
それも俺の意見に対する批判ではなく、俺を侮辱するような悪口ばかりだ。
彼らは仲間を失って苛立っていた。
奴隷の俺が口出しした事で、それが一気に爆発してしまったのだろう。
「……」
しかし、俺はめげずにベルナールを見続けた。
エステルのためにも、ここで引くわけにはいかない。
「静かに!」
するとベルナールは批判の声を制し、その後、ゆっくりと俺に近付いてきた。
「名前は?」
「……タケルといいます」
「そうか。さっきは助けてくれてありがとう。おかげで命拾いした」
そう言うと、彼は奴隷の俺に向かって静かに頭を下げた。
「い、いえ。……でも、あの時の呼びかけにエステル様は反応しました。つまりそれは、彼女の意思がまだあの体の中に残っているということなんじゃないでしょうか?」
「……」
「たぶん彼女は死んでもいないし、ましてや魔人になったわけでもないと思います。彼女の魂はまだあの体の中に存在しているんです。ただ魔人にいいように操られているだけなんですよ! だから、彼女を助け出すことだってきっとできるはずです」
「……」
「……確かに彼女はたくさんの人を殺してしまいました。でも、彼女も被害者なんです。今も魔人の呪縛の中でもがき苦しんでいるに違いありません。お願いします。どうか彼女を、エステル様を助けてあげてください」
俺はベルナールとバウ達に向かって深々と頭を下げた。
「……お前のような主人思いの奴隷も珍しいな」
頭を下げた俺を見て、ベルナールが感心したように呟く。
「だが無理だ。魔物に取り憑かれた者は身も心も魔物に乗っ取られてしまう。そして、死ぬ事以外に魔物から解き放たれることもない」
「い、いや、でも――」
「お前は赤い目の少女の横に転がっていたヴァイロン軍兵士の死体を見たか?」
俺の反論の言を、彼は質問で強引に遮った。
「……はい」
「あれは西の砦の守備隊長だ。彼は元バウで、世界的にも有名な二刀流のウォーリアだったから俺もよく知っている。真面目で友人思いのいい奴だった」
「……」
「しかし、あの状況からみて、恐らく彼も魔人に取り憑かれてしまったのだろう。そして、本人の意思など関係なく、自分の部隊を自らの手で全滅させてしまったのだ」
「……」
……確かにそう考えれば、西の砦内に転がっていた魔物の死骸の数が、東の砦に比べて圧倒的に少なかった説明がつく。
西の砦の守備隊員達は、魔物との激闘の末に死んだのではなく、魔人に取り憑かれた守備隊長によってやにわに殺されてしまったのだ、と……。
「エステルがお前の呼びかけに反応したのは、彼女の意思などではなく、単なる偶然か、せいぜい条件反射のようなものだろう。彼女は魔人に取り憑かれた時点ですでに彼女ではない。魔人なのだ。もう彼女を助ける事などできない」
「そ、そんな……」
「それに今回、わずかの間に26名もの優秀なバウが命を落とした。……メインヒーラーは、俺と一緒に黄金の牙を立ち上げた二十年来の親友だった」
「……」
ベルナールの声がかすかに震えている。
平静を保ってはいるが、彼も親友を失った悲しさに必死に耐えていたのだ。
「エステルには気の毒だと思うが、彼女一人の命を気にかけている余裕は無い。俺達は死んでいった者達のためにも、全力で魔人を倒す。ただ、それだけだ」
ベルナールはそこまで言うと、俺の肩に手を置き、座るように促した。
「……」
俺は、黙って座るしかなかった……。
結局、次の魔人戦では間接攻撃を主体に戦うということになった。
ウォーリアやローグでも弓やクロスボウを扱える者はそれを装備し、安全を確保しつつ遠くからエステルを狙い撃つ。
また、タンクはエステルを挑発してできるだけ無駄な魔法を打たせ、根気よく彼女の精神力を消耗させる。
彼女の体力と精神力が消耗し、魔法攻撃が滞ってきたところで、近接アタッカーが彼女に近付き、袋叩きにして一気にケリをつける、という段取りらしい……。
また、今回の戦闘で多くのバウがやられてしまったため、各パーティーは積極的に勧誘活動を行ってメンバーの確保に努める、ということになった。
******
******
暗くなり始めた頃、俺達は宿屋に帰った。
部屋に入ると、グロリア達は無言で装備などを片付け始めたが、俺は何もする気が起きず、荷物を床に放り投げると、そのままベッドに座り込んだ。
…………。
もう何も考えられない、考えたくもない。
俺は半ば放心状態で、たまたま目の前にあったベッドをしばらくぼーっと眺めていた。
………………枕や毛布が綺麗に整えられたベッド。
……エステルの、……ベッドだ。
今朝も彼女は、いつもと同じように起きた後すぐベッドを整えていた。
「タケルもそろそろ起きなさい」
とか言いながら……。
「……っ」
……そういえば、グロリアが俺のベッドにもぐり込んだ事件以来、俺の隣のベッドはエステルが寝るようになったんだ。
「……悪いけど、寝る時は拘束リングを施錠するから」
当初、彼女は俺を警戒してそんな事を言っていた。
でも、三日も経たないうちに彼女は施錠しなくなった。
その当時は、彼女が施錠し忘れていると思って俺はひそかに喜んでいたが、今考えれば、しっかり者の彼女が忘れるはずはない。
たぶん忘れたフリをしてくれていたのだろう。
施錠されたままでは俺が寝苦しいだろうと思って……。
「……ぅ」
エステルのベッドの向こうにテーブルが見えた。
彼女が読書の時に使っていたテーブルだ。
今も、次元の扉のことが記された古文書が開いたままの状態で置かれている。
彼女はここ一週間、部屋に籠ってずっと古文書を解読していた。
「……まったく不親切ねこの著者は」
なんてブツブツ文句を言いながら……。
たぶん、俺が元の世界に戻れるように…………。
「……うぅ」
……あ、あれ?
急に眺めていたテーブルの形状が不自然に歪んだ。
……な、なみだ!?
そう、俺はいつの間にか泣いていたのだ。
それも、自分でも信じられないような大粒の涙をボロボロと流しながら……。
……ああぁ。
その瞬間、エステルとの思い出が俺の心を一気に駆け巡った。
アルテミシアで出会ってからの短くても濃厚な彼女との思い出が……。
「……私はウィザードのエステル・ドゥ・ビューリー、今日からあなたの主人よ」
「……私を助けようなんて百年早いわよ!」
「……奴隷に服を買ってあげる主人なんて、そうそういないんだから感謝しなさいよ」
「……何言ってるの、奴隷のくせに!!」
「……あなたが元の世界に戻れるように私もできる限り協力してあげるわ」
「……肩を、貸して」
「……奴隷のくせに主人に心配かけるな!!」
「……さっさと魔人なんか倒しちゃって、すぐにリシェールの森に向かいましょう…………………………」
「うぅぅぅ……」
もう、涙は止まらなかった。
俺は泣き止む事を諦め、悲しみに耐える事を止め、声を上げて思いっきり泣き始めた。
もう、そうするしかなかった。
「……タケル」
そんな俺を、グロリアが隣に座ってそっと抱きしめてくれた。
チャロもリリアも近くにきて俺を見守っている。
みんな涙を流していた。
彼女達だってきっと辛いに違いない。
それでも俺を気遣ってくれる彼女達の優しさに俺は心を委ねた。
「……エステル様は、……アルテミシアで奴隷の経験がまったくない俺を買ってくれました、……奴隷の俺に服を買ってくれました、……自分と同じ食べ物を、ベッドを与えてくれました、……俺が怪我をすればちゃんと手当てをしてくれて、……死にそうになった時なんか、心配してわんわん泣いてくれました、……」
俺は、エステルへの想いを泣きながら止め処なく話し続けた。
「……エステル様は俺の事を奴隷、奴隷と言いながら、でも、いつもさり気なく気にかけてくれていました。右も左も分からない異世界という特殊な環境で俺がこれまでやってこれたのも、彼女に出会えたからこそだと思います。……それなのに、俺は何一つ彼女に報いていない」
「……」
「本当にエステル様は魔人になってしまったんでしょうか? 本当にもう彼女を助けられないのでしょうか?」
俺はすがる思いでグロリアに問いただした。
「……」
そんな俺をグロリアはしばらく困ったような目で見つめていたが、その後、軽くため息をつき、言葉を選ぶようにしてゆっくりと話し出した。
「……ベルナールは魔物に取り憑かれた人は助からないって言ってたけど、……本当にそうかどうかはわからないわ」
「えっ!?」
「魔物に取り憑かれて、今までに助かった人がいないだけ……」
「じゃ、じゃあ絶対にエステル様を助けられないというわけじゃないんですね!?」
俺は興奮して大声を出してしまったが、
「でも……」
グロリアは俺から目線を反らし、俯きながら小声で言う。
「……彼女の罪悪感は、強すぎるかもしれない」
「罪悪感?」
俺が聞くと、グロリアは静かに頷いた。
「人に取り憑くタイプの魔物は、大きな不安や強い罪悪感を抱えた者の心に干渉し、その者を極度の『うつ』のような状態に陥らせて生きる気力を奪った後、体や精神を乗っ取るといわれているわ」
「大きな不安? 強い罪悪感?」
「ええ、だからそれらを取り除くことさえできれば、理論的には魔物に取り憑かれた者でも助けることができるかもしれない」
「ちょ、ちょっと待ってください。エステル様は魔物に取り憑かれてしまうほどの大きな不安や強い罪悪感を抱えていたというんですか?」
俺にはそんなものをエステルが抱えているとは到底思えなかった。
彼女はどちらかといえば自信家だ。
不安や罪悪感を抱くようなタイプではない。
しかし、俺の問いに対してグロリアは何も答えず、不意に手前に座っていたリリアに声をかける。
「リリア、エステルが魔人に取り憑かれる前に何と言っていたのか、もう一度聞かせて」
「えっ?」
グロリアに突然尋ねられ、リリアはびっくりしたように目を見開いた。
……そういえば。
エステルは魔人に取り憑かれる直前、泣きながらしきりに何かを言っていたようだった。
声が小さすぎて俺にはよく聞こえなかったが、彼女のすぐ後ろにいたリリアには聞こえていたらしい。
「え、えっと、『ごめんなさいジャン、ごめんなさいジャン』って泣きながら繰り返し言っていました」
リリアが答えると、グロリアはこくりと頷いた。
……ごめんなさい、ジャン!?
「たぶん魔人は、エステルがジャンに抱いていた強い罪悪感に目を付けたのよ」
「ジャン、さんに?」
すると、グロリアは真剣な眼差しを俺に向ける。
「もうわかっているとは思うけど、ジャンというのはエステルの昔の彼氏のことよ。私は過去に彼らとパーティーを組んでいたからよく知ってる。ジャンは彼女思いの本当にいい男だったわ」
「……」
「でも、そんな彼を、エステルは自分のミスで、……死なせてしまったのよ」
「し、死なせた!?」
グロリアは静かに頷いた後、暗くなった窓の外を眺めつつ、エステルとジャンの過去についてゆっくりと語り出した。
グロリアがエステル達に出会ったのは今から三年ほど前、大陸の北にあるレヴォン王国のカティアという町だった。
この町は、周辺の街道でそこそこ強い魔物が頻繁に出没するということで有名で、昔から中レベルのバウ達の活動拠点になっているらしい。
その当時、グロリアが所属していたパーティー「蒼き狼」もこの町を拠点に活動しており、たまたま欠員が出たアタッカーの募集に、他の町から移ってきたばかりのエステル達が応じたのだ。
グロリアがエステルを見た第一印象は、ギラギラした目を持つ野心の塊のような女の子。
根は優しいのだが、その頃のエステルは妙に意気がっていて「不遇な子供時代」という共通点から後に彼女と親友になったグロリアでさえ、最初はかなり付き合いづらかったらしい。
他人とトラブルになることも多く、何人を火あぶりで半殺しの目に合わせたか知れない。
そんな彼女をいつも諌めていたのが、ジャン・キャスパーという名のローグだった。
彼はエステルの幼馴染であり、彼氏でもあった。
ローグの腕もさることながら、面倒見がよく包容力のあった彼は、すぐにパーティーの中心的な存在になった。
エステルもジャンには絶対的な信頼を寄せていて、彼の言う事だけは素直に従っていた。
エステル達が加入してからの蒼き狼の活躍はめざましかった。
高い懸賞金がかけられた魔物を何体も討伐し、わずか数ヶ月でカティアのギルドで最強と呼ばれるパーティーになってしまったほどだ。
中でも、火の精霊魔法を自在に操るエステルの存在は大きかった。
彼女の魔法一発でケリがついてしまった討伐も一度や二度ではない。
彼女の技術的な実力はすでに高レベルのバウの域に十分達しており、カティアの町周辺に出没する魔物では、もう相手にならなかったのだ。
しかし、それがいけなかった。
初めのうちはパーティー戦を意識して戦っていた彼女も、次第に適当になり、最終的には戦闘開始直後から火の高等魔法をぶっ放すという傲慢な戦い方をするようになってしまっていたのだ。
他のパーティーメンバーは完全にお飾りとなったが、しかし、誰も文句は言わなかった。
何もせずに懸賞金が入ってくるのであれば、これほど楽なことはないからだ。
けれども、そんな彼女の戦い方にジャンは不満だった。
「もっとパーティー全体で戦わないとだめだ。そんな戦い方をしていたら、お前に向いた魔物のヘイトをタンクが剥がせなくなる」
事あるごとに彼は彼女に注意した。
しかし、
「その前に倒しちゃえばいいんでしょ。楽勝よ」
その頃の彼女はまだ若すぎた。
強い魔物をも魔法一発で倒し、みんなからちやほやされていた彼女は、自分の実力を過信してしまっていたのだ。
信頼していたジャンの忠告すら聞き入れないほどに……。
そして、悲劇は起こった。
その時の魔物は、前情報では特に強いということにはなっていなかった。
いつもと同じ魔物、いつもと同じ楽な討伐。
そんな気の抜けた雰囲気の中で、蒼き狼はその魔物との戦端を開いた。
戦闘開始直後、エステルは例によって火の高等魔法をぶっ放す。
終わった。
みんながそう思った。
しかし、魔物は四本の腕の一本を失っただけで死んではいなかった。
見た目ではわからなかったが、その魔物は普通のものより数倍強い変異種だったのだ。
腕を失った魔物はエステルを攻撃目標とし、執拗に彼女を攻撃した。
他のメンバーは何とか魔物の攻撃目標を彼女から反らせようと必死になったがだめだった。
魔物の彼女に対するヘイトが高すぎたからだ。
彼女は何べんも深手を負い、その度にヒーラーに回復してもらっていたが、そんな状況が長続きするはずもなく、ほどなくしてヒーラーの精神力が尽きてしまった。
彼女は体中傷だらけになり、とうとう地面に倒れ込んだ。
もう助からない。
メンバーのほとんどがこの時点で諦めた。
彼女は数秒後には魔物の鋭い爪で八つ裂きにされてしまっているだろうと。
しかし、そうはならなかった。
ジャンが魔物に対してローグの大技である「ファイナルブロー」を決めたからだ。
魔物は彼のダガーによって心臓を貫かれ、地面に崩れ落ちた。
ギリギリのところでエステルは助かったのだ。
……けれども、ジャンはただでは済まなかった。
ファイナルブローは相手の懐に入って放つ捨て身の技。
彼もまた魔物の鋭い爪で左胸を貫かれてしまっていたのだ。
「私を一人にしないでぇぇぇ!!」
というエステルの願いも空しく、彼は彼女の腕の中で息を引き取った。
エステルは自分の驕りから出たミスで、大切な人を失ってしまったのだ。
「………………」
エステルがそんな過去を背負って生きていたなんて……。
「その後、蒼き狼は解散し、エステルはバウを辞めてカティアの町を去ったわ。精神的な支えだったジャンを失い、抜け殻のようになって……。あの時は、もう彼女はバウに戻れないと私は思ってた」
「……」
「でも、半年くらい前、彼女からまたバウを始めたっていう手紙が届いたの。私は彼女が立ち直れたんだと思って喜んだわ。だから今回の仕事にも誘ったのよ。……でも、彼女は立ち直っていたわけじゃなかった。たぶん、寂しさと罪悪感を紛らわせるために仕方なくまたバウを始めたのよ」
「……」
グロリアの言うとおり、ジャンを思い出したときのエステルの落ち込みようは尋常じゃなかった。
彼女は表面的には何もないように装っていたが、内面的にはジャンに対する罪悪感でずっと苦しんでいたのだ。
「……しかも彼女は、この旅の中でジャンへの罪悪感を紛らわせるどころか、さらに強くしてしまった」
「さらに強く!? どういうことですか?」
「彼女は、……ジャン以外の、別の男性を好きになってしまったからよ」
「べ、別の男性!?」
……そ、そんな馬鹿な!?
この旅の中でエステルが好きになってしまうほどの男性なんてまったく思いつかない。
それとも、俺の知らないところで会っていたとでもいうのか!?
「だ、誰なんですか、それは?」
俺は何とか動揺を抑えてグロリアに尋ねると、彼女は鋭い眼差しで俺を見つめ、大きな声で答えた。
「あなたのことよ、タケル! この旅の中で、エステルはあなたのことが好きになってしまったのよ!」
「お、俺!?」
グロリアの意外な答えに、俺の頭の中は一瞬真っ白になってしまった。
……で、でも、まさか。
「そ、そんなはずないですよ。エ、エステル様は俺を奴隷としてしか見ていませんでした。気にかけてはくれていましたが、それは俺が無知で無能な異世界人だったからで、……す、好きだなんて……」
「いいえ、エステルはこの旅の初めの頃からあなたの事を意識していた。私はカリオペで楽しそうにあなたと食事をしている彼女を見てピンときたわ。あんな彼女の笑顔、私が知る限りジャン以外には見せた事なかったもの」
「!?」
「彼女があなたを必要以上に奴隷、奴隷と言っていたのも、あなたを好きにならないように彼女が自分自身に言い聞かせていたからに違いないわ」
「!?」
「でも、この旅を続けていく中で、あなたに惹かれていく自分を押さえ切れなくなった。彼女はあなたを本気で好きになってしまったのよ。彼女の言葉を、彼女の行動をよく思い出してみて。そうすればあなたにだってきっとわかるはずよ。大好きなのに、心からあなたを慕うことができない彼女の切ない想いが!」
「!? ………………あぁ」
……そうだったのか。
これまでの俺に対するエステルの不可解な言動の意味が、簡単なパズルが解けるがごとく連鎖を起こしながら次々と明らかになっていく。
つまりは、……そういうことだったのだ。
彼女の切なさが俺の心をきゅっと締め付ける。
俺はあまりに、鈍感だった。
「ジャンへの想いがある一方で、タケルを好きになってしまった。彼女は相当苦しんでいたはずよ」
「……」
彼女は、……苦しんでいた。
山道のあの夜の事もそうだったのだ。
あの時、彼女は俺に「どうしてこの世界に来たの?」と言って涙を流した。
あの言葉の意味が、あの涙の意味が、今は痛いほど分かる。
「そんな彼女は、魔人にとって格好の宿主だったのよ」
「……」
そこまで言うとグロリアは俯き、深いため息をついた。
「……さっきも言ったけど、魔物に取り憑かれた人を救うには、魔物が利用しているその人の不安や罪悪感を取り除くしかない。でも、エステルから罪悪感を取り除くことなんて…………」
******
******
その日から二日間、俺は一睡もすることができず、三日目の夜もまた、眠れずにベッドに寝転がったままずっと暗い天井を眺めていた。
「……あなたまで、あなたまでいなくならないで! お願いだからぁぁぁぁ」
俺がケルベロスにやられて死にそうになっていた時の、エステルの言葉。
今までそれほど深く考えなかったが、すごく意味のある言葉だったのだ。
もっと早く彼女の気持ちに気付いていれば、何かしてあげられたのかもしれない。
彼女が魔人に取り憑かれることだって、なかったかもしれない。
なのに俺は……。
つくづく自分の鈍感さに腹が立つ。
……何とかして彼女を助けたい。
でも、彼女の罪悪感を取り除くことなんてできるだろうか?
自分のせいで最愛の人を死なせてしまった彼女の罪悪感は相当強いだろう。
しかも、そのただでさえ強い罪悪感を、俺はさらに強力にしてしまった。
それを取り除くなんて…………。
…………
…………
「…………ジブンノセイ?」
そう、それでエステルはジャンに罪悪感を…………?
「えっ!?」
俺はびっくりして起き上がり、目を凝らして暗い部屋の中を見回した。
……今、……確かに!?
人の声が聞こえた。
とても小さな声だったが、でも、はっきりと。
……グロリア? ……チャロ? それともリリアか?
いや、見たところ彼女達はぐっすり眠っているようだ。
それに今の声は明らかに彼女達の声じゃなかった。……男の声だった。
といって、この部屋に他の誰かがいるとも思えない。
……外か?
そう思い、俺はしばらく目を閉じ、耳を澄ませて廊下や宿屋の前の通りを探ってみた。
「……」
でも、人の気配などまったく感じられない。
今は深夜、町も宿屋もとっくに寝静まっている。
「………………ふぅ」
俺は諦めて軽くため息をついた後、またベッドに寝転がった。
一睡もせずにずっと絶望的なことばかり考えていたから、精神的に相当参っているんだ。
だから幻聴なんかが聞こえたんだろう。
……今日はがんばって少しでもいいから寝よう。
そう思って俺は目を閉じた。
…………
…………
…………自分のせい?
なぜか急にその言葉に強い違和感を感じた。
何か、大事なことを忘れているような…………
そう、ジャンの気持ちだ!
エステルは自分のせいでジャンが死んだと思って苦しんでいる。
でも、ジャンはどうだろう?
彼は彼女のせいで死んだと思っているだろうか?
………………いや、それは絶対にない。
俺も非力ながら彼女を助けようとした事があるから、何となくわかる。
ジャンは、……「エステルのため」に死んだのだ。
エステルに生きていてほしい、幸せになっとほしいと願いながら……。
とすれば、エステルは間違っているんじゃないだろうか?
彼女が抱かなくちゃいけないのは罪悪ではなく、……責任。
「自分のせい」じゃなく「自分のため」に死んだジャンに対しての責任。
「彼のためにも幸せにならなければならない」という責任だ!
……エステルにそのことをわからせる。
そうすれば、罪悪感など自然に消えてしまうんじゃないだろうか?
その責任を果たすことこそが、本当の意味でジャンを想い、ジャンの気持ちに応える事になるのだから…………。
……よし!
俺は戦う事に決めた。
俺は何が何でもエステルの心に干渉する。そう、あの魔人と同じように。
そして、彼女がジャンに対して抱いている罪悪感を責任感に置き換えるんだ。
そうすればきっと彼女を助けられるはず!
その瞬間、目の前がぱっと明るくなったような気がした。
俺はとうとう自分の為すべき事にたどり着いたのだ。
「見てろよ魔人、絶対にお前からエステルを取り返してやるからな!」
俺は、俺を見下ろす暗闇の天井を睨み付けながら、静かにそう宣言した。




