033_魔人戦
ベルナールは聖錠石室につながる小さな扉を静かに開け、ゆっくりと中に入っていった。
彼のパーティーメンバーもそのすぐ後に続く。
さらに、右翼、左翼、後詰めの各アタッカーパーティーも乱れることなく次々と部屋に入り込んだ。
非常にスムーズだ。たぶん戦闘配置に合わせてバウ達を整列させておいたベルナールのおかげだろう。さすがは経験豊富な世界一のタンク。
最後に、各パーティーの荷物持ちである奴隷達も聖錠石室への侵入を果たした。
もちろん、俺もその中の一人だ。
……おおっ、ここが聖錠石室か!
扉の向こうにはとてつもなく大きな空間が広がっていた。
建物の中とは思えないほどの開放感! 本当にドーム型球場のようだ。
しかも、ただ広いだけではない。
白を基調にした内装はとても手が込んでおり、壁や床には綺麗な彫り模様がびっしりと描かれている。
土足で踏み入れるのに気が引けるほどの美しさだ。
さらに驚いたのは、重厚な建物の最奥部だというのに何故か部屋の中がほのかに明るい事だ。
天窓があるわけでもないし、ライトリキッドもない。でも明るい。
……不思議な所だ。
俺は暫しの間、呆然と聖錠石室の中を眺めていた。
……そうだ、聖錠石は?
こんな広くて綺麗な所に安置されているのだ。
きっと想像を絶するようなものに違いない。
俺は、たぶんこの部屋の中央に安置されているであろう聖錠石を見ようと先に入ったバウ達の隙間から前をのぞいてみた。
が、残念ながら中央より少し手前に大きな青白い物体があって見る事ができなかった。
……大きな青白い物体、……魔人だ!
「……」
魔人を見た瞬間、鳥肌が立った。
竜の頭を持ち、神々しいまでに青白く光る巨人、圧倒的な存在感だ。
巨大な戦斧を脇に置き、床に片膝を突いてうずくまってはいるが、目だけは俺達の方をじっと睨んでいる。
背中には大きな黒い翼が二対、どうやら飛べるようだ。
天井の一部に穴が開いているところからすると、奴は空から飛来し、屋根を破壊してこの聖錠石室に侵入したのだろう。
……こえぇ。
まさに悪魔だ。
俺はできるだけ魔人を見ないようにしながら、ワイルドローズがいる方に急いで移動した。
正直、あまり関わりたくない。
バウ達は壁際を移動しつつ左右に広がり、自分達の予定戦闘位置の後方に着いたところで静かに待機している。
不思議なことに聖錠石室には魔人以外の魔物がいなかった。
後で知ったことだが、聖錠石の周りには強力な聖の結界が張られているらしい。
古の契約によりヘルメス神聖国から定期的に派遣されている司教団によるものだ。
これにより、下等な魔物は聖錠石に近付けないようになっている。
さらに、結界の大きさに合わせて聖錠石室も造られているから、この部屋で魔人以外の魔物に襲われる心配はない。
実は、聖錠石室が明るいのもこの結界がほのかに光を放っているからなのだ。
ただ、この結界は定期的に張り直す必要があり、このままあと二ヶ月も放っておくと消滅してしまうらしい。
結界が消滅すれば、下等な魔物も聖錠石室に侵入できるようになるため、より一層魔人の討伐が困難になってしまうだろう。
バウ達の動きが止まった。
みんな自分の予定戦闘位置の後方に着いたのだ。
ベルナールはそれを見届けると、タンクパーティーのタンク達と共にゆっくりと前進を始める。
他のパーティーも、タンク達よりわずかに遅れて前進。少しずつ魔人との距離を狭めていく。
いよいよ決戦だ。
ベルナールは槍を構え、様子を見ながら一歩一歩注意深く魔人に近付いていく。
魔人はまだ動かない。じっとしている。
ベルナールはさらに近付く。
魔人はまだ動かない。
ベルナールはさらに近付く。
すると、魔人がピクリと動いた。
途端、
「フン! フン! フン!」
ビィビィビィィィィィ!!
静かだった聖錠石室にヘイトクラッカーの音が鳴り響いた。
ベルナールが、難しいとされるヘイトクラッカーを連続で三回も放ったのだ。
しかし、最初のヘイトクラッカーが魔人のいる辺りに到達した時には、すでに魔人の姿はそこに無かった。
恐ろしい速さで突進し、巨大な戦斧でベルナールに襲い掛かっていたのだ。
グァーン!!
魔人の戦斧とベルナールの盾が激しくぶつかり合い、ベルナールはわずかに後退したが、
「ウォラァァ!!」
と気合の声を発し、何とか踏みとどまった。
ほぼ同時に、アタッカーパーティーが魔人に向かって一斉に攻撃を開始。
ついに魔人戦の火蓋が切られたのだ。
魔人はベルナールに狙いを定めて執拗に攻撃を繰り返している。
ベルナールが絶妙のタイミングでヘイトクラッカーを放ち続けているため、魔人のヘイトが他に向かないのだ。
しかし、いくら世界一のタンクといえど彼は所詮人間、魔人の攻撃を一人だけで食い止めることはできない。
そこで残りの四人のタンク達が二人一組になり、ベルナールの左右に分かれて、魔人の横からの攻撃を食い止めている。
鉄壁のフォーメーションだ。
ただ、それでも魔人の攻撃を完全にしのぎ切ることはできないらしく、彼らは時に大きく後方に吹き飛ばされたり、深手を負ったりしている。
そこを強力に援護しているのが同パーティーの三人のヒーラー達だ。
中でもメインヒーラーは黄金の牙パーティーの正クレリックだけあって、ヒールの威力やタイミングが神がかっている。
深手を負ったタンクでも、ほとんど痛みを感じる間もなく回復しているようだ。
わずかな防御の穴が戦線崩壊につながりかねないこの魔人戦で、これほど心強いものはない。
魔人がタンク達を攻撃している隙に、近接アタッカー達は魔人の側面や背後に回り込んでしきりに攻撃をしかけている。
彼らは足を中心に攻撃し、まずは魔人の動きを鈍らせようと試みているようだ。
間接アタッカーであるウィザードやアーチャー達は、主に魔人の上半身を狙って絶え間のない攻撃を行っている。
彼らは射程ギリギリの所から魔法や矢を放ち続け、魔人の反撃を受けないように心がけていた。
アタッカーパーティーのヒーラー達もがんばっている。
魔人の動きは速く、力も強いため、直接攻撃を受けなくても不意な接触によって負傷する近接アタッカーは多い。
そんな彼らを迅速なヒールで援護している。
もちろん、ワイルドローズも活躍中だ。
グロリアとチャロは、魔人に肉薄して猛烈な攻撃を繰り返し行っている。
彼女達の動きは、名のある近接アタッカーと比べても引けを取っていない。
多少の傷を負っても、リリアがヒールですぐに回復してくれるので、臆することも無く魔人に挑んでいる。
楽しんでいる? ようにすら見える。
「炎の渦!」
エステルの魔法攻撃も絶好調だ。
彼女が放っている魔法は、紐状の炎が直径1メートルほどの螺旋を描きながら直進して敵に襲いかかる火の中等魔法だ。
敵に数秒間の持続的なダメージを与える事ができるらしい。
魔人は前情報通り火に弱いらしく、彼女の攻撃を受けると苦しそうに体を大きくよじる。
かなり効いているようだ。
その度に魔人は彼女に怒りの視線を向けるのだが、世界一のタンクであるベルナールがすぐに魔人のヘイトを自分に向けさせてしまうため、彼女は躊躇うこと無く強力な魔法を放ち続けている。
まだ始まったばかりだが、俺が見る限り戦闘はとても順調だ。
バウ達は魔人と互角に渡り合っている。
攻撃のタイミングがとても良い。良すぎるくらいだ。
というのも、魔人はあまり聖錠石室の中央から離れようとしないため、その攻撃が中途半端でパターン化しており、タイミングを取りやすいのだ。
あの素早い動きで部屋中を派手に動き回られれば非常に厄介だと思うのだが、何故か魔人はそうしない。
わずかに突出しても、すぐにまた元いた場所に戻ってしまう。
……魔人は聖錠石を守っている?
恐らくそうだろう。
でもそれが足かせになって、魔人は思うように動けないのだ。
バウにとってこれほど有利な状況はない。
ただ魔人は、クラーケンと同じく再生能力があるようだ。
傷を負ってもすぐに治癒してしまっている。
だから、外見上はまったくダメージを負っていないように見える。
それでも、バウ達は構わず攻撃を繰り返している。
聞くところによれば、再生というのは自然治癒力を最大限にまで高め、出血などによる継続的なダメージを防ぐためのものであって、無敵というわけではないらしい。
つまり、再生すればその分体力が消耗するのだ。
バウ達はそれを知っているため、魔人の傷がすぐに癒えてしまっても気にせず攻撃を続けている。
******
戦闘開始から三時間ほど経っただろうか。
魔人戦は大方の予想通り長期戦となった。
奴はまだまだ元気だ。
対して、バウ側では近接アタッカーが三人ほど犠牲になっていた。
魔人の不意の反撃によって即死してしまったのだ。
ただ、相手が魔人ということを考えれば、被害は最小限に抑えられているといっていい。
ベルナールを中心としたタンクパーティーのおかげだ。
時々バウ達は奴隷が待機している所まで後退し、短時間だが休憩をとる。
いくらヒールがあるからといっても、何時間もの長期戦ともなれば精神的にかなり疲れるからだ。
ワイルドローズのメンバーもタイミングをみて俺の所まで後退し、水や軽食をとりつつ休憩した。
「がんばってくださいね!」
「かなり効いてますよ!」
俺は彼女達が戻ってくる度に元気よく励ました。
この状況で俺ができる事といったら、残念ながらそれくらいしかない。
……俺にももっと力があったら。
みんなが必死に戦っているのに、自分はただ見ているだけというのは非常に辛い。
自分の弱さを痛感する。
そんなふうに思いながら疲れて戻ってきたグロリアを励ましていたら、勘の良い彼女が察したのか、
「ありがとうタケル、あなたのサポートがあるから私達はがんばれるのよ」
と、逆に励まされてしまった。
彼女の言うとおり、地味ではあるがこの仕事もとても重要に違いない。
俺は思い直し、できるだけ彼女達が気持ち良く休憩できるよう努めた。
……それにしても、グロリアはほんとに優しい。
******
正午を少し過ぎた頃、魔人に変化が表れる。
再生能力が低下したのか、傷が塞がり辛くなったのだ。
「効いてるぞ!!」
ベルナールが叫ぶと、バウ達の士気は一気に上昇した。
魔人は防戦一方になりつつある。
時々、氷壁の魔法を使ってバウの攻撃を防ごうとするのだが、完全には防ぎきれていない。
……弱ってる。
それは俺が見ても分かった。
このままいけば、結構早くに討伐できるんじゃないだろうか。
バウ達は攻勢を強め、一気にケリをつけようとしている。
もう押せ押せムードだ。
ウィザードやアーチャー達も魔人に近付き、猛烈な攻撃を繰り返し行っている。
そんな時、
「…………」
何故か魔人がその場で棒立ちになった。
バウ達に攻撃されても微動だにしない。
「…………」
ただ、大きく裂けた口だけをわずかに動かしているようだ。
……まさか!?
「ま、まずい、範囲魔法だ!! みんな奴から離れろ!!!」
ベルナールが気付いて叫んだ。
が、遅かった。
次の瞬間、
「水精の矢雨!」
魔人の不気味な声が聖錠石室内に響き渡り、直後、無数の氷の矢が辺り一面に降り注いだ。
魔人が水の高等魔法を発動させたのだ。
シュッシュッという風を切る音が聞こえ、魔人から遠く離れていた俺の近くにも数本の矢が床に突き刺さる。
視界は降り注ぐ無数の矢のせいで霞んだようになり、その霞の真っただ中にたたずんでいたバウ達の影がばたばたと床に倒れ込むのが見えた。
悲鳴が聖錠石室内に木霊し、生き残ったバウ達も動揺して右往左往している。
そんなバウ達に魔人は追い討ちをかけた。
戦斧を大きく振り回し、近くにいた近接アタッカー数人を一瞬で葬り去ったのだ。
バウ達の動揺はさらに大きくなり、もはや混乱状態に陥りつつある。
……ワイルドローズのみんなは!?
俺は心配になって必死に彼女達を捜した。
……グロリア、チャロ、……エステルに、リリア。
大丈夫、全員無事だ。
俺は彼女達の姿を認めてとりあえず胸をなで下ろした。
チャロとエステルが氷の矢を受けて傷を負ってしまったようだったが、魔人の射程のギリギリ外側にいて無傷だったリリアが素早く彼女達にヒールを施したため、大事には至らなかった。
混乱寸前の状況にまで陥ったバウ達ではあったが、
「タンクパーティーは健在だ。みんな落ち着いて行動しろ」
というベルナールの冷静な一言で、何とか踏みとどまった。
魔人が放った氷の矢は、重装備の鎧を貫通するほどの威力はなかったらしく、タンク達は無傷だったのだ。
彼らは範囲魔法で散ってしまった魔人のヘイトをすぐに自分達に向けさせ、負傷したアタッカー達が後退するだけの時間を作り出した。
バウ達の立ち直りは早かった。
先ほどの魔人の攻撃で十数人のバウが犠牲になってしまったが、幸いな事にヒーラーのほとんどは被害を免れたため、負傷者もすぐに回復して戦線に復帰することができたからだ。
「奴の射程に気をつけろ。時間はある、焦らずじっくりいこう!」
ベルナールの指示で、バウ達は一気にケリをつけることを諦め、少しずつ魔人の体力を削ぐような攻撃方法に切り替えた。
まだ後中の刻までにはじゅうぶん時間がある。焦る必要はないのだ。
強力な範囲魔法を放った魔人ではあったが、その後は明らかに動きが鈍くなった。
最後の力を振り絞って放った範囲魔法だったのだろう。
再生能力は完全に失われてしまったらしく体中傷だらけになり、かなり衰弱しているように見える。
それでもバウ達は慎重な攻撃スタイルを崩さず、じっくり、ねっちり魔人を追い詰めていく。
******
魔人が範囲魔法を放ってから一時間ほど経った頃、
ズスゥ。
とうとう魔人は床に片膝を突いた。
満身創痍、もう息も絶え絶えって感じだ。
近接アタッカーが攻撃を仕掛けても払いのけるのがやっとで、まったく反撃してこない。
「よし! ここからは全力で攻撃! 魔人にトドメを刺せ!!」
ベルナールの指示で近接アタッカー、間接アタッカー、そしてタンクまでもが一斉に攻撃を開始した。
全員が魔人に群がり、もはや袋叩きの状態だ。
……もしかして、勝っちゃったんじゃないの!?
魔人の苦しそうな様子を見て、俺だけでなく、たぶんそこにいたほとんどのバウ達はそんなふうに思ったに違いない。
勝利は目前だ。
しかし、そう簡単にはいかなかった。
魔人が突如、背中の大きな翼を広げたかと思うとその場で何回か羽ばたき、その風圧でバウ達を退かせた後、そのままふわりと舞い上がったのだ。
「逃げる気だ、撃ち落とせ!!」
ベルナールが急いで指示を出す。
が、次の瞬間には魔人はバウ達のはるか頭上を飛んでいた。
いざという時のために魔人は翼をたたんで温存していたのだ。
アーチャー達が素早く矢を放ったが、魔人にはほとんど当たらなかった。
ウィザード達が射程の長い中等以上の魔法の呪文を唱え始めたが、すでに機を逸している。
魔人はそのまま天井の穴に近付いた。
奴がこの聖錠石室に入り込んだ時の穴だ。
このままでは逃げられてしまう。
逃げられれば、おそらく魔人は魔界に舞い戻り、すぐに回復してまた襲ってくるに違いない。
今回の戦闘や犠牲がまったく無駄になってしまう。
しかし、バウ達は諦めの表情でただ魔人を見守るしかなかった。
もうやりようがないのだ。
だが、
「火精の咆哮!!」
ただ一人だけ魔人が逃げ出すことを予期していた者がいた。
エステルだ。
彼女は、魔人が逃げ出す素振りを見せる前から天井の穴の真下近くに陣取って、得意の火の高等魔法の呪文を唱え始めていたのだ。
ゴォォォォ!
轟音と共に、彼女の杖から噴射された猛烈な炎が魔人に襲いかかる。
「うぅっ」
辺りは炎に照らされて真っ赤になり、彼女からかなり離れていた俺の所まで高温の熱気が伝わってきた。
これも杖の差だろうか、以前のケルベロス戦で使用した同魔法よりも威力がかなり高いようだ。
バウ達は盾で防いだり、両腕で顔をかばうようにしたりして、その熱気に何とか耐えている。
しばらくして炎は消失し、聖錠石室がまた本来の色を取り戻した。
……ま、魔人は?
熱気から解放された俺は、急いでさっき魔人が飛んでいた辺りを確認する。
しかし、魔人の姿はない。
……逃げられた?
そう思い焦って視線を走らせると、すぐ下の床に黒っぽい塊が落ちているのに気付いた。
傘の骨組みのようなものが生えている。
……も、もしかして。
そう、その塊こそ、エステルの炎に焼かれ、黒焦げになった魔人だったのだ。
傘の骨組みに見えるのは、ボロボロになった奴の翼だった。
ただ、まだわずかに青白い光を発し、かすかに動いている。
「フン!!」
直後、ベルナールが素早く魔人に近付き、その左胸に槍を突き立てた。
「グァァァァ!!」
途端に魔人は叫び声を上げながら胸に刺さったベルナールの槍を強く掴み返す。が、その後、ガクッと力が抜けたようになり、そのまま床に倒れ込んだ。
「…………」
辺りがしんと静まり返った。戦闘が始まって以来の静けさ。
バウ達は黙って魔人とベルナールを注視している。
ベルナールは槍を抜き取り、しばらく魔人の様子をうかがっていたが、不意にみんなの方に振り返ると槍を高々と掲げ、大声で叫んだ。
「とうばぁぁぁぁぁつ!!」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
他のバウ達も剣や槍を掲げ、聖錠石室は割れんばかりの歓声に包まれた。
俺達は激闘の末、東の砦に居座っていた魔人の討伐に成功したのだった。
◇改訂情報
【2016.9.3】魔人が使った魔法の名前を修正しました。




