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032_東の砦へ

 とうとう討伐の日がやってきた。

 俺達は日の出の時刻よりもだいぶ前に起き出し、出発の準備を始める。

 魔人戦という世紀の大イベントを前に、ゆっくり寝てなどいられなかったのだ。


 準備を終えた後、俺達は一階に下りて宿屋の主人に軽めの朝食を頼んだ。

 ……まだ早いし、嫌な顔されるかな?

 と心配したが、主人はとても協力的で、軽めと言ったにもかかわらずテーブルに並んだのは朝食とは思えないほど豪勢な料理。

 そればかりか、

「これ、疲れたら食べてくれ」

 と、昨日のうちに頼んでおいた軽食とは別に、レモンの蜂蜜漬けのような物まで持たせてくれた。

 草木が生えないこの土地では、蜂蜜はかなりの貴重品。

 ……期待されている。

 これで逃げ帰ってきたりしたら、かなり気まずくなりそうな予感が……。


 朝食を済ませると――といっても半分以上残してしまったが――俺達は集合時間よりもかなり早くドーラの町の東門に向かうことになった。

 エステルやグロリアが居ても立ってもいられないといった感じで早々に席を立ってしまったからだ。



「あれ? もういっぱいいるわ」

 まだ早すぎて誰もいないんじゃないかと思っていたが、その予想に反し、東門にはすでにたくさん人が集まっていた。

 居ても立ってもいられないのは、ワイルドローズだけではなかったらしい。

 ……それにしてもやけに多いな。

 と思ってよく見たら、討伐に参加するバウやブロード隊の他に、なぜか町の住人達も集まっていた。

 彼らはヴァイロン王国の国旗や横断幕のような物を持っており、どうやら魔人討伐に向かう俺達を応援するために来ているようだ。

 ……すごく期待されている。

 これで逃げ帰ってきたりしたら、相当気まずくなりそうな予感が……。


「大きい馬車だニャア」

 東門に近付くと、俺と手をつないで歩いていたチャロが道に停まっていた馬車の大きさに目を丸くした。

 六頭の馬が引く大型の馬車で、それが五台ほど並んでいる。

 荷台が鉄で装甲されているところからすると、軍用のものだろう。

 恐らくこれで東の砦に向かうのだ。

 さらに、馬車の他にも馬鎧をまとった軍馬が三十頭ほど門の脇につながれているのが見える。

 ブロード隊には騎兵も含まれているようだ。


「馬車も大きいですけど馬も大きいですね」

「ミレージっていう重種馬よ。ヴァイロン軍主力の軍馬ね」

 そんなリリアとエステルの会話を聞きつつ、俺達は馬車の近くにたむろしているバウ達の方へと歩いていった。

 すると、

「おはようワイルドローズの諸君。昨夜はちゃんと眠れたかね?」

 すぐにベルナールが快活な声で話しかけてきた。


 ……おお、かっこいい!

 俺はベルナールの重装備姿に思わず目を奪われてしまった。

 彼は、肩当てが獅子の頭の形をした派手な深紅の鎧を身に付けており、背中には黒いマントまで着用している。

 鎧の各パーツには金や銀の彫り模様や刺繍が施されていて、その高級感たるや半端じゃない。

 まさに世界一のタンクに相応しい出で立ちだ。

 鎧の色が彼の年齢にしては少し派手すぎるかなとも感じたが、グロリアに聞いたところ、

「赤い鎧はそれだけで魔物のヘイトを刺激するのよ」

 ということなので、タンクには都合が良いのだろう。


「おはよう、ベルナールさん。それにしてもすごい鎧ね」

 エステルが挨拶しつつ鎧の感想を述べると、彼は、

「そうか? 脱いだらもっとすごいぞ」

 というセクハラ発言で、ワイルドローズ一同を朝っぱらから豪快に沈黙させたのだった。

 どこの世界もおやじは一緒のようだ。


 沈黙の中、彼はそそくさと小さなメモを取り出し、

「えーと、君達は四番目の馬車に乗ってくれ」

 と告げると、すぐに別のパーティーの方へ行ってしまった。

 たぶん彼は、おやじギャグ不発で居たたまれなくなった、のではなく、挨拶をしながらパーティーの集まり具合や体調を確認して回っているのだろう。

 連合のリーダーもなかなか大変なようだ。


******


 東門に到着してから小一時間ほど経過しただろうか、東の空が少しずつ明るくなり始め、それにともない、全体にピンと張り詰めた空気が漂い出した。

 まもなく夜明け、出発の時間だ。

 ブロード隊はすでに東門の脇に整列している。

 列、姿勢、そして装備も綺麗に揃っているところは、さすが軍隊といったところか。

 一方、バウ達はブロード隊の後方に集合しているが、残念ながら姿勢も装備もバラバラだった。

 ただ、何となくではあるが並んでいるように見えなくもない。

 彼らなりに整列する努力はしているのだろう。

 挨拶をして回っていたベルナールもすでに落ち着き、バウ達の一番前に立っているところを見ると、どうやら全員集まったようだ。


「!!」


 すると突然、ブロード隊が正していた姿勢を一層正し、一気に緊張の度合いを上昇させた。

 彼らの隊長、タイタス・ブロード大佐が現れたのだ。

 銀の縁取りがある白い鎧を身につけた彼は、きびきびとした動きで門前に設置された小さな台の上に立つと、厳しい表情で全体を見回した。


「おはよう諸君!」


 挨拶した彼の言葉は威厳に満ち、優しさが微塵も感じられない。

 昨日のミーティングの時とはまったく別人のようだ。


「これより東の砦に居座る魔人の討伐に向かう。世界の命運は我等の働きに掛かっているのだ。各人奮励努力せよ!」

 彼はそこまで言った後、大きく息を吸い込み、これでもかというほどの大音声で叫ぶ。


「いくぞぉぉ!!」


「おぉぉぉぉぉぉ!!」


 ブロードの大きな掛け声に、百名余りの彼の部下達が一斉に片手を掲げ、町中に響き渡るような雄叫びを上げた。

「がんばれよー!!」

「絶対魔人を倒してくれー!!」

 それに合わせるかのように、周りの群集からも歓声や盛大な拍手が沸き起こる。

 ……いざ行かん! って感じだな。

 周りの盛り上がりを見て、荷物持ちの俺ですら戦意の高揚を感じずにはいられなかった。


 ブロードの挨拶が終わると、彼の部下達はてきぱきとした動きで馬車や馬に乗り始める。

「バウも馬車に乗ってくれ」

 ベルナールの声に促され、俺達も指定された馬車に乗り込んだ。


 グッ、グッ、グ、グググ………


 全員が馬車に乗り込むと、その行く手を遮っている東門が重々しい音を立てながら開き始め、やがて全開になった。

 そして、


「出発!!」


 という威勢の良いブロードの号令とともに、俺達の乗った馬車もゆっくりと動き始める。

 いよいよ東の砦に向けて出発だ。


 五台の馬車と三十名ほどの騎兵隊は、大歓声の中ゆっくりとした速度で眼前の東門をくぐり、それから一気に速度を上げ、外側の東門を勢い良くくぐり抜けた。

 久しぶりの町の外だ。


「ラー、ラー」


 すると今度は、戦場に赴く俺達に向かって城壁の上にいるヴァイロン軍の兵士達が歓呼の声を上げる。


 ……みんな期待しているんだ。

 俺達は多くの人々に応援されながらドーラの町を後にしたのだった。



 ドドドドドド……


 薄暗い中、馬車と騎兵隊はけたたましい音を立てながら隊列を組んで整然と進んでいる。

 道は日本の四車線道路ほどの幅があり、綺麗に整備されていた。

 砦を奪われた時のために、ヴァイロン軍が遥か昔から整備してきた道だ。

 この道は、ドーラの町の東門を起点にしてまず北東の方角にまっすぐ伸び、その後、緩やかに左にカーブして東の砦の東口に到達している。

 東口は魔界の門から見ると砦の裏側にあたるため、魔物の攻撃を受けにくいのだ。


「息が詰まるわね」

 出発してからほどなく俺の右隣に乗っていたエステルがぼやく。

 俺達の乗っている馬車の荷台には二十五名ほどのバウが乗り込んでおり、まだ若干の余裕もあるのだが、荷台全体が鉄の装甲で覆われているせいか息苦しく感じられた。

 一応窓はあるが、この息苦しさを紛らせられるほど大きくはない。

 でも、まあ、東の砦はそれほど遠くにあるわけじゃないのだから、しばらくの辛抱だ。



 さらに進むと、外から魔物の唸り声や金属が激しくぶつかり合うような音が聞こえ出した。

 馬車を守る騎兵隊が魔物と頻繁に交戦しているのだ。

 ヴァイロン軍は討伐の日が決まると、その一週間くらい前から行軍ルート付近にいる魔物を掃討しているらしいのだが、現状を見る限り、その効果はあまり上がっていないように思える。


 ただ、今のところ俺達が乗っている馬車に危害は及んでいない。

 魔物が馬車に達する前に、騎兵隊によって素早く駆除されているからだ。

 騎兵隊は重装備の鎧を身にまとい、異常に長い剣と大型の盾を持っている。

 そして、馬で颯爽と駆け抜けつつ出現した魔物を効率的に倒していく。


 ……強いなぁ。

 その様子を感心して見ていたら、

「ナイトっていう職種よ」

 エステルが教えてくれた。

 ナイトはガーディアン並みの防御力に加え、馬を活かした高い機動攻撃力を有する職種だ。

 基本的に重装備の物理アタッカーなのだが、簡単な精霊魔法も使うため強いらしい。

 ヴァイロン軍の国防部隊はこのナイトを中心に編成されており、他国との戦争では無敗を誇る。

 世界最強の軍隊と呼ばれる所以だ。

 今回もナイト達のおかげで、俺達の馬車は安全に走行することができている。


 ちなみに、圧倒的な戦闘力を誇るナイトだが、バウギルドではこの職種をバウの職種として認定していない。

 それは、魔物の討伐が局地的、短期的な戦闘のため、ナイトには不向きだからだ。

 ただ、戦争では滅法強いため、フリーのナイト達は主に傭兵ギルドで活躍しているらしい。



 辺りがだいぶ明るくなってきた。

 空はいつものように灰色の分厚い雲に覆われていたが、それをぼーっと眺めていた俺はある事に気付く。近くの雲と遠くの雲が別々の方向に流れていることに。

 ……そんな馬鹿な!?

 俺はびっくりして窓に取り付き、空を見上げたところ、その理由がすぐに判明した。

 上空に広がる雲が北西の空のある一点を中心にして渦を巻くように動いていたのだ。

 その渦の中心は雲が真っ黒に変色し、時々青白い稲光を発生させては轟音を鳴り響かせてる。

 何とも不気味な光景だ。


 ……何だろう?

 俺が目を凝らして眺めていたところ、

「あの渦の真下に魔界の門がある」

 と言いながら、聞き覚えのある声の男性が俺の後ろのスペースに移動してきた。

 ジュストだ。

 彼の所属するトライデントのパーティーは、この馬車の後部に乗っていた。

 いつも話しかけてくるガエルが、今は黄金の牙パーティーに編入されて一つ前の馬車に乗っているため、今まで彼らの存在に気付かなかったのだ。


「あの下にですか?」

「ああ、封印の解けかかった魔界の門から魔力が大量に流出して渦を巻き、周りの大気や雲を巻き込んでいるのさ」

「なるほど」

 ヴァイロン王国に入ってからずっと空が曇っていたのは、魔界の門が周辺の雲を引き寄せていたせいだったのか。


「俺はこの魔人戦が終わったら集団を抜け出して魔界の門を見に行こうと思っていたんだが、今は魔力が強すぎて人間では近付けないらしい」

 ジュストは窓の外を眺めながら残念そうに呟く。

 ……あんな危なそうな所にわざわざ。

 俺はジュストの「次元の扉」に対する情熱につくづく感心した。


「……ところでタケル君、つかぬ事を聞くが」


 彼は俺の方に向き直り、唐突に話題を変える。

「君に名字はないのかい?」

「名字? ですか?」

「ああ」

 ……ほんとにつかぬ事だな。

 そう思ったが、まあ、隠す必要もない。

「こちらの世界では奴隷だから名乗っていませんが、元の世界ではアオヤマという名字があります」

「アオヤマ? ……アオヤマ、かぁ」

 名字を聞いたジュストは眉をひそめ、何となく残念そうな顔をした。

「それが何か?」

「いや、ドーラに着いた後、時間があったからいつも持ち歩いている古文書で『普段閉じている次元の扉』を開ける条件について調べていたんだが」

「……選ばれし時、選ばれし物を持つ、選ばれし者、ですか?」

「そうだ、その古文書は古代語で書かれている上に抽象的な表現が多用されていてまだほとんど解読できていないんだが、分かる単語を拾い出していたら、『選ばれし者』のくだりに、しきりに『血』という単語が出てくることに気付いてね」

「血?」

「ああ、それで、もしかしたら『血縁』に関係しているんじゃないか? と思ったんだ。とすれば、過去の異世界人と君の名字が一致するかもしれない、と」

「なるほど」

「でも違うようだから、まったく関係ないかもしれないな」

 彼は投げやり気味に言いながら頭を掻きむしった。

「ちなみに、過去の異世界人の名前は何というんですか?」

「え? ああ、コジロー・イシエだ」

「コジロー、……イシエ!?」

「知っているのかい?」

「い、いえ、……でもイシエというのは、俺の実家がある集落の名前です」

「何!? そうか、じゃあまんざら間違ってもいないのかもしれないな、……なるほどぉ、……集落の名前かぁ、……」

 彼は顎を撫でながらしばらく考えを巡らしていたようだったが、

「……じゃあ、この魔人戦が終わったらもう少し掘り下げて調べてみるよ」

 と笑顔を見せ、また元いた場所に戻っていった。


 血縁に関係している……。

 どういうことだろう? イシエって、……単なる偶然だろうか?

 仮に過去の異世界人が俺と血縁だったとして、でも、それが「選ばれし者」とどう関係しているというんだ。

 さっぱりわからない。


 ……だめだ、今考えるのは止しておこう。

 俺は何回か首を横に大きく振り、頭の中のモヤモヤを振り払った。

 これから死地に赴くという時に、考え事などしていたら命取りになりかねない。

 俺は気持ちを切り替え、魔人戦に集中することにした。



 北東に進んでいた馬車が、大きな弧を描くようにして北西に向きを変えた。

 ミーティングの時のブロードの説明では、このままあと数キロほど真っ直ぐ行けば東の砦に着くらしい。


 ただ、馬車の外の戦闘はいよいよ激しさを増している。

 魔界の門に近付いている証拠だ。

 時には魔物が馬車のすぐ近くまで迫る事さえあった。

「残念、魔物ちゃん。もう少しだったのにね」

 そんな光景をグロリアは面白そうに眺めていたが、俺は、

 ……早く東の砦に着いてくれ。

 と、冷や汗をかきながら縮こまっていた。



 そんな状態がしばらく続いた後、馬車が速度を徐々に落とし始め、やがて完全に停止する。

 直後、

「降車!!」

 と言うブロードの勇ましい号令が。

 どうやら東の砦に到着したようだ。

 ……無事に着いたか。

 俺はほっと胸をなで下ろした。

 もう大きな仕事を一つやり遂げた気分だ。

 が、

「いよいよね!」

 エステルはこれからが本番とばかりに、闘争心を隠しきれないような勢いで座席から立ち上がった。



「で、でけぇ……」


 馬車から降りた瞬間、俺は目の前に建っていた「東の砦」の大きさに度肝を抜かれた。

 巨大な円柱状の建物、まるでドーム型球場のようだ。

 ただ、飾り気は全く無い。

 人の大きさほどもある石が積み上げられた壁に、所々日本の城の狭間(さま)のような小さな窓が開いているだけだ。


「これが東の砦ですかぁ」

 リリアも唖然とした表情で見上げている。

 この世界の住人である彼女でも、こんな変わった建物を見るのは初めてのようだ。

 魔人戦初参加のバウ達も一様に驚いている。


 すると、

「バウはすぐに突入隊の後ろにつけ!」

 と、ベルナールに怒鳴られてしまった。

 そう、ここでもたもたしてちゃいけないのだ。

 ナイト隊は今でも俺達の周りを駆け回って魔物を東口に近付けない様にがんばっている。

 彼らはアーチャーの小隊と数人のクレリックと共に魔人討伐の結果が出るまで砦の東口を死守する役目を負っているため、俺達がもたもたしているとその分彼らに負担がかかってしまうのだ。


 その他のブロード隊は、ガーディアンとウォーリアをメインに編成されたブロード自らが指揮する砦への突入隊だ。

 彼らは砦内部に侵入し、魔物を駆逐しつつ東口から聖錠石室の前室までの通路を確保しなければならない。

 そしてバウ達は、その通路を通って聖錠石室まで移動することになる。


 東口の扉は、砦の大きさに対して異様に小さかった。

 平時ヴァイロン軍は、地下鉄道を使って砦に出入りしているため、地上に出るための扉は守備しやすいように小さく造られているのだ。

 その扉が、今は開けっ放しになっている。

 魔人襲来の際、撤退を余儀なくされた守備隊が、将来の砦奪還戦を想定して扉を開け放っていったらしい。


 突入隊は東口の前で整列した後、一斉に砦の中に踏み込んでいく。

「俺達も行くぞ!」

 ベルナールの指示により、バウも突入隊の後を追って砦内に侵入した。


 砦の中はヒンヤリとしていた。奥へと続く通路は壁も天井も石で組まれており、何の飾り気もない。

 ……エジプトのピラミッドの中もこんな感じなのかな。

 そう思わせるような、そんな石の圧迫感があった。

 窓が無いから中は真っ暗のはずだが、先行の突入隊が所々にライトリキッドを置いていくおかげで、俺達のいる通路だけは蛍光灯が点いているように明るい。


 ただ、そのせいで見たくないものまでよく見えてしまった。

 通路には、魔人襲来時の戦闘で死んだ守備隊の兵士や魔物の死骸があちこちに転がっていたのだ。

 腐敗が進み、その異臭が通路に充満している。


 ……うぅ、吐きそう。

 この世界に来てからというもの、人の死体は何度も見たが、これまでは大抵避けることができた。

 だが、この狭い通路ではそうもいかない。

 時には、腐敗した死体をまたがなければならないことすらあるのだ。


 けれども、ワイルドローズの面々を含め、バウ達はまったく平気そうに歩いている。

「臭いニャ」

 鼻の良いチャロが腐敗臭を嫌って鼻をつまんでいる程度だ。

 魔物が住むこの世界に生きる者にとって、人の死体などそれほど珍しくはないのだろう。

 ……我慢しなければ。

 俺は時々胃からこみ上げてきそうになる酸っぱいエクトプラズムを必死に押さえ込みながら何とか歩いた。


 砦の中には魔物が大量に入り込んでいた。

 突入隊の先頭は絶えず戦闘を行ないながら少しずつ前進している。

 また、分岐点では突入隊の一部が残って俺達のいる通路に魔物が入り込まないように守備していた。

 おかげで、俺達は魔物に襲われることなく通路を進む事ができている。


 通路は何度も折れ曲がりながらも、砦の中心に向かっているようだ。

 俺達は突入隊の後についてドンドン奥に進んでいった。


 すると、そこで突入隊が止まる。

 見ると、彼らの向こう、通路の突き当たりに頑丈そうな扉が。

 幾何学模様が描かれた金属製の扉だ。

 突入隊に安堵と緊張が入り混じったような雰囲気が漂っているところからすると、その扉が目的地に関係しているものであることは間違いない。


 やがて突入隊の先頭が二人ずつ左右に分かれてその扉を注意深く開けにかかる。

 が、その時、扉が不自然な勢いで開いたかと思うと、中から黒い物体が飛び出してきた。

 巨大なコウモリ型の魔物だ!


「!!」

 その唐突な魔物の出現に、突入隊の先頭集団は反射的に身を屈めて防御の姿勢をとる。

 が、一人だけ動じない者がいた。

 ブロードだ。

 彼は直立不動のまま腰の剣を抜くとサッと一振りし、すぐそれを鞘に戻す。

 まるで戯れに軽く素振りでもしたかのように。

 しかし、魔物はものの見事に真っ二つとなり、バタバタと床に落ちてしまった。

 ブロードが一瞬で魔物を倒していたのだ。

 ……つ、つえぇ。

 彼の鮮やかな剣捌きに思わず鳥肌が立った。

 周りで見ていたバウ達からも感嘆のため息が漏れる。


 ドーラ遊撃隊というのは、聖錠石を守る守備隊をバックアップするために組織された部隊で、その隊員はヴァイロン軍の中から選抜されたエリート中のエリートらしい。

 ブロードはその隊長なのだから強さは尋常じゃないだろう。


 ちなみに、ブロード隊はドーラ第二遊撃隊であり、もちろん第一遊撃隊も存在する。

 何を隠そう魔人襲来の際に南の砦へ増援部隊として出撃し、魔人の撃退に見事成功したのは第一遊撃隊なのだ。

 ただ、残念ながら隊自体は全滅し、現在では名前だけが残っているにすぎないのだが……。

 この世界が今あるのは、つまりは第一遊撃隊のおかげなのだ。


 ブロードは扉の向こう側を注意深く確認した後、バウ達に向かって、

「ここが聖錠石室の前室です」

 と、冷静に告げる。


 その言葉に促されるようにして、バウ達はその部屋にぞろぞろと入り込んだ。

 中は何も置かれておらず、何とも殺風景な部屋だ。

 ただ大きさはそこそこあり、五十名ほどのバウを収容してもまだまだ余裕があった。


「ここからはあなた方の出番です。存分に戦ってください」

 ブロードはそう言うと、わずかな連絡兵を残し、自身は部屋から出て行ってしまった。

 突入隊は魔人討伐の結果が出るまで通路を確保しておかなければならないのだ。


「……」


 ブロードが出て行った後、前室内は異様な静寂に包まれた。

 バウ達は誰一人しゃべらず、その場に立ち尽くしている。

 魔人との戦闘を前に、百戦錬磨のバウ達ですらかなり緊張しているのだ。

 ……嫌な感じだなぁ。

 何となく負ける時の雰囲気が漂っている。

 そう思った時、


「じゃあ、いっちょうやるか!」


 と、ベルナールが大声で叫んだ。

 まるでこれから野球やサッカーの試合でもするかのように明るく楽しげに。


 すると、

「……よ、よし、やってやろう!」

「見てろよ、魔人め!」

「魔人を倒せば億万長者だ!」

 と、黙り込んでいたバウ達も思い思いの事を口にし始める。

 ベルナールの言葉を聞いて、緊張が一気に解れたのだ。

 ……さすがはベルナール。

 最強のバウパーティー「黄金の牙」のリーダーである彼の人心掌握術は伊達じゃない。


 その後、ベルナールはスムーズに聖錠石室に侵入できるようミーティングの時に決めた戦闘配置に合わせてバウ達を整列させていった。

 図体に似合わず、実に几帳面だ。

 バウ達も彼の指示に文句も言わず従っている。

 みんな彼のリーダーとしての能力を認めているのだ。


 整列が完了すると、ベルナールが次の指示を出す。

「クレリック、バフを頼む!」

 その声に、各パーティーのクレリック達が一斉にバフの呪文を唱え始めた。

「バフしますね」

 リリアもワイルドローズのメンバーにバフを行なった。

 グロリアは今回ウォーリア仕様なので腕力を上昇させるために「ヘルメスの剣」のバフを、チャロとエステルは素早さを上昇させるために「ヘルメスの羽」のバフを施してもらったようだ。


 やがて、殺風景だった前室はバフによるオーラによって赤、青、緑の光に彩られた。

 戦闘前に不謹慎だが、その光景は一見するとクリスマスのイルミネーションのように華やかだ。


 最後にメインタンクであるベルナールが「ヘルメスの鎧」のバフによってほのかな赤いオーラをまとうと、それ以降、前室内から音が消えた。

 討伐戦の準備が、整ったのだ。

 ……いよいよ始まるのか。


 ベルナールは全体を見回し、その後ふうっと長い息を吐いてから冷静な声で言った。


「いくぞ」


 彼の号令に全員が無言で頷く。


 ベルナールは聖錠石室につながる小さな扉を静かに開け、ゆっくりと中に入っていった。

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