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017_漆黒の赤ん坊

 ハリッサの町を出て四日目の午後くらいからだろうか、馬車を取り巻く赤茶けた荒野は、その領域を少しずつ植物に奪われ始め、五日目の昼頃ともなると、完全に真緑の草原に変わっていた。

 魔物もまったく出なくなった。

 色々あったが、俺達は荒野の街道を無事に抜けることができたのだ。


 そのまま草原の道をしばらく進むと、前方に、木々に囲まれた町が見え始める。

「テミスよ!」

 とっくに鎧を脱ぎ捨て薄着になっていたグロリアが、二つの水風船を豪快に揺らしながら指差した。



 テミスの町はヴァシアの町の半分程度の大きさのようだ。

 町の中心から教会の鐘楼が天に向かって高く伸びている。

 城壁が低く、代わりに緑が多い。とても平和な感じの町だ。


 テミスの町はラビス公国に含まれる。

 ラビス公国は独立国家だが、元はアルキス王国の一部だったため、今でも属国的な状態らしい。

「だから、アルキス王国からならすんなり入国できるのよ」

 と、グロリアが詳しい事情を教えてくれた。



 ほどなくして、俺達は荒野の街道の終着点であるテミスの町の東門をくぐった。

 ……ん?

 その途端、香ばしい匂いが漂ってくる。

 魚を焼いている匂いだ。

 見回すと、通りの両脇に屋台のような店が幾つも並んでいる。

 どうやらそこがこの匂いの出所らしい。

 ……ああ、いい匂い。

 荒野の旅では大した物が食べられなかったから、自然に口の中に唾液がたまった。


「この町の名物、テミスサンドよ」

 グロリアが教えてくれた。

 ラビス公国は海に面しているが、テミスの町自体は内陸にあるため、海の魚が塩漬けにされて運ばれてくる。

 その魚を焼いて野菜と一緒にパンで挟んだものがテミスサンドだ。

 塩加減が絶妙らしい。


 チャロがいつの間にか御者台の後ろから顔を出し、恍惚の表情を浮かべながら鼻をピクピクさせている。

 魚好きの彼女にとって、この匂いはたまらないだろう。

「いい匂いね」

「はい、美味しそうですね」

 荷台のエステルとリリアもこの匂いに心惹かれているようだ。


 ……誰か「食べよう」って言い出さないかなぁ。

 奴隷の俺は、なかなかそういう事は言えない立場だ。

 だから誰かが言ってくれる事を願うしかない。

 そう思っていたら、

「エステル、美味しそうだからテミスサンド食べようか?」

 と、グロリアがエステルに言ってくれた。

 ……やった、さすがグロリア!

 俺は心の中で喜んだが、しかし、エステルは少し考えてから悲しい返事をした。

「うーん、……でもとりあえず先に宿を確保しましょう」

 ……あら。

 どうやらエステルは、この町でもハリッサと同じように宿探しに苦労するんじゃないかと心配しているようなのだ。

 だから、何よりも先に宿を確保したいらしい。

 まあ、テミスサンドはその後でも食べられることだし。

 そんなわけで、俺達はテミスサンドを一旦諦め、先ずは宿屋街に向かうことになった。


 テミスの宿屋街は町の南側にあった。

 エステルの心配をよそに、宿屋はどこも空いているようだ。客引きが盛んに呼び込みを行っている。

 後で聞いた話によると、この町もほんの少し前まではキングバシルスクの街道封鎖によって酷く混雑していたということだが、現在は解消したらしい。


「ここにしましょう」

 今回は選べる立場とあって、エステルは宿屋街を一通り見て回り、幾つかピックアップした候補の中から南門に程近い宿屋を選択した。

 明日は南門から街道に出るため都合が良いという点と、店先に花が飾られていて、いかにも女の子受けしそうな見た目が評価されたようだ。



 宿屋が決まり、俺が馬車の停留の仕事を終わらせて宿屋に入ると、

「テミスサンドを五人分買ってきて」

 さっそくエステルからお金を渡される。

 テミスサンドはB級グルメ的な扱いで宿屋のメニューにはないらしいのだ。

「はい!」

 俺は喜んで宿屋を出た。

 ……いよいよテミスサンドが食べられる!


 宿屋の店員の話では、テミスサンドはさっき通った東門の辺りにしか売ってないらしい。東門はここからだと結構距離がある。

 ……近道しよう。

 俺は大通りから細い脇道に入り、直線的に東門に向かうことにした。


 しばらく脇道をジグザグに進み、三つ目の小さな十字路から進路を北に固定する。たぶんこのまま行けば東門のすぐそばに出られるはずだ。

 そんなふうに、頭の中でこの町の地図を想像しながら早足で歩いていると、


 ドンッ!!


 突然、脇道から黒い影のようなものが飛び出し、俺の前を横切ろうとしてぶつかった。

 その衝撃で、黒い影は俺の前に倒れこみ、さらに、何かが空中を舞って井戸の近くにあった水たまりの中にポチャリと落ちる。


 ……な、なんだ!?

 俺はびっくりして倒れている黒い影を確認した。

 ……!?

 少女だった。

 しかし、その少女の見た目は少し変わっていた。

 肌の色が漆黒なのだ。


 ……闇エルフだ。


 グロリアと同じ色だからすぐにわかったが、グロリア以外の闇エルフを見たのはこれが初めてだ。

「いててて……」

 少女はそう言いながら両手で頭を抱えている。

 十歳くらいだろうか、まだ幼いのだが顔が妙に色っぽい。

 体つきも子供とは思えないほどに発育している。

 ただ、着ている服は継ぎ接ぎだらけでみすぼらしく、全体的に薄汚れていた。


「……大丈夫?」

 俺が声をかけると、少女はハッとして頭を上げ、慌てて辺りを見回す。

「あぁっ」

 そして、水たまりの中に落ちている泥だらけの何かを発見すると、何とも悲しそうな表情を浮かべた。

 たぶん、俺とぶつかった拍子に落としてしまったのだろう。


 ……悪いことしちゃったかな。

 そう思いつつ、少女に手を差し伸べようとしたその時、

「いたぞ!!」

 突然、少女が走ってきた方向から大きな声が聞こえたかと思うと、三人の男達が物凄い勢いで走り寄ってきた。

 彼らは俺を押しのけ、倒れている少女を取り囲むと、

「この泥棒が!」

 と言いながら信じられない行動に出る。

 いきなり少女を蹴り始めたのだ。


「ええっ!?」

 俺は訳が分からず呆然とした。

 男達は、相手がまだ幼い子供だというのに全く手加減していないのだ。

「……うっ、……くっ、……」

 少女は小さな呻き声を上げながら、体を丸めて必死に耐えている。


「……ど、どうしたんですか?」

 俺は堪らず男の一人に話しかけた。

「こいつが店の売り物を盗んだんだよ!」


 すると、三人の中でも興奮気味だった男が、

「こいつ闇エルフだ、もう悪事ができないように骨の二、三本も折っておこう」

 と、物騒なことを言い出した。

「……」

 それを聞いて、俺は闇エルフが悪魔の種族として世間から嫌われていることを思い出す。

 漆黒の肌が悪魔を連想させるのだろう。

 でも実際は悪魔などではなく、どちらかといえば人間より穏やかで優しい。


「……あのう、もうそのくらいにしてあげては」

 俺は恐る恐る男達に言ったが、彼らは俺のことなど完全に無視して少女を蹴り続けている。

 ……どうしよう。

 このままじゃ骨二、三本どころか、殺されてしまいかねない…………


「あっ、警察だ!!」


 次の瞬間、俺は大通りの方を指差しながら大声で叫んでいた。

 もちろん、この世界に警察はない。

 それはわかっているが、それに代わるものがわからなかったから、とりあえずそう叫んだのだ。


「何!?」

 引っかかった。男達は一瞬蹴るのを止め、俺の指差した方に顔を向ける。

「っ!」

 その隙をついて、少女は男達の足の下からさっと抜け出すと、跳ねるようにして近くの脇道に逃げ込んだ。


「あっ、待ちやがれ!」

 男達は泡を食って追おうとしたが、少女はすでに次の脇道へと姿を消していた。


 ……よかった。ちゃんと逃げてくれた。

 俺は密かに胸をなで下ろした。少女が俺の作戦に気付いてくれたのだ。

 とっさに思いついたかなり強引な作戦だったが、見事に成功した。

 売り物を盗んだのはもちろん悪いことだが、でも、もう十分過ぎるくらいその罰は受けただろう。

 ……もう捕まるんじゃないぞ。

 俺は少女を救出できたことに満足しつつ、彼女が逃げ込んだ脇道の先を眺めていた。

 ……しかし、逃げなければいけなかった者がもう一人いた。


「お前、わざと逃がしやがったな。奴隷のクセに」

 少女に逃げられた男達が、今度は俺に突っかかってきたのだ。

「い、いえ、わざとじゃ……」

「じゃあケイサツって何だ?」

「そ、それは……」


 俺は顎と腹を殴られ、倒れたところをさらに何発か蹴られた。

 一発一発がエステルの制裁の倍の痛さだ。

 平和な町がゆえにちょっとした悪事でも容赦できないのか、本当に手加減というものを知らない。


 最後に男達はペッと唾を吐き捨てると、倒れている俺をそのままにして足早に去っていった。

「いてぇ……」

 あちこち痛くてどうにも動けそうにない。

 俺はしばらくその場でうずくまっていた。



「……大丈夫?」


 その時、真上から可愛らしい女の子の声が。

 頭を上げると、いつの間にかさっきの少女が目の前に立っており、心配そうに俺の顔をのぞき込んでいる。

「……」

 まったく大丈夫じゃない状態だったが、逃がした方が逆に心配されたら格好が悪い。

「……だ、大丈夫、うっ、……お、俺は、あっ、……き、鍛えてるからぁ」

 俺はできるだけ必死さを隠しながら何とか立ち上がった。


「逃がしてくれてありがとう」

 俺が立ち上がると、少女そう言ってペコリと頭を下げた。

 どうやら礼を言いにわざわざ戻ってきたようだ。


「い、いや、君も蹴られていたけど大丈夫かい?」

「平気」

 少女は泥の付いた顔で笑った。本当に大丈夫そうだ。

 俺は彼女のその屈託のない笑顔にほっとしつつ、

「顔に泥が――」


「お姉ちゃん!」


 突然、後ろの方から俺と少女の会話に割り込むようにして幼い声が聞こえてきた。

 振り返ると、小さな子供が少女を見ながらこちらに近付いてくる。

 三歳くらいの男の子だ。少女と同じように継ぎ接ぎだらけのみすぼらしい服を着ている。

「……お姉ちゃん、テミスサンドは?」

 男の子に聞かれ、少女は一瞬水たまりの中にある物に目をやったが、すぐに男の子に向き直って申し訳なさそうな顔をした。

「……ごめん、だめだった」

 すると男の子は、あからさまにしょんぼりする。

 ……どういうことだろう?

 少女をお姉ちゃんと呼んだが、男の子はどうみても人間の子だ。


「明日は絶対に食べさせてあげるから今日はがまんして」

「……ぅん」

 男の子は頷いたが今にも泣き出しそうだ。

 そんな時、彼のお腹がぐーっと悲しげに鳴った。どうやらお腹を空かしているらしい。

 どういう事情かは分からないが、この人間の子に食べさせるために、闇エルフの少女はテミスサンドを盗んだのだ。


 ……健気だ。

 二人を見ていると何とかしてやりたくなる。ただ俺は今、奴隷の身……。

 ……はっ!?

 俺は思い出し、慌ててポケットの中を探った。

 そして、エステルから渡されたお金がまだそこにちゃんとあることを確認する。


「お、お兄ちゃんが買ってやるよ」


 思わず言ってしまった。

「ほんとに!?」

 すると、男の子はパッと明るい顔になった。

 しかし、少女は怪訝な顔をする。


「でもお兄ちゃんは奴隷でしょ?」

 そう言うと、俺の手首にチラッと視線を向ける少女。

「俺はいいとこの奴隷だから、お小遣いをたんまりもらってるんだ」

 もちろんうそだ。奴隷になってからお小遣いをもらったことなど一度もない。


「ふーん」

 少女はまだ信用していないようだったが、

「さ、買いに行こう!」

 と、俺が強引に誘うと笑顔になって頷いた。


 少女はイルザ、男の子はレオンといった。

 この町の孤児院で暮らしているらしい。

「……お兄ちゃんの主人てどんな人なの?」

「凄腕のバウだよ。この前もキングバシリスクを討伐して懸賞金をどっさりもらったんだ」

「すごい主人だね、この町に住んでるの?」

「いや、これからヴァイロン王国に行くところさ」

「ふーん」


 イルザと他愛ない話をしながら屋台のある通りまで来た。

 香ばしい匂いが食欲を誘う。

 レオンは待ちきれなくなったのか、走り出した。


 イルザから、さっき彼女がテミスサンドを盗んだ屋台を聞き、そこから一番離れた屋台で買う事にした。

 屋台の正面には大きな鉄板が据え付けられており、そこで店員が汗をかきながらせっせと魚を焼いている。

 脇には味付け用のソースやケチャップのような物が置いてあり、お好みでかけられるようになっているらしい。


 店頭にはメニューが張り出されていた。

 サイズによって金額が違うようだ。


「えっとぉ……」

 ……俺がいま持っているのは2000ヴァード。

 俺の分はいいとして、イルザとレオンに400ヴァードのサンドを買ってやり、残りの1200ヴァードで300ヴァードのサンドを四つ買って帰ればいいか。エステルには「よそ者だからぼったくられた」とでも言っておけば……


「おっちゃん、これ二つちょうだい」


 その時、俺の思考の向こうでイルザの何かを注文する声が。

「えっ!?」

 俺はびっくりして彼女の指差しているメニューの品目を確認する。

 それは、……一個1000ヴァードするこの店で一番でかくて、一番高いサンドだった。


 俺は慌てた。

「イ、イルザ、そんなに大きいの食べられないでしょう?」

「ううん、全然平気」

 イルザが平然と答えると、

「全然平気」

 レオンも真似して答える。

「いや、しかしそれはちょっと……」

「お兄ちゃんていい人ね」

「……お、おう」

 言い返せなかった。


「毎度あり!!」


 そして、俺は無一文になった。

 ……やばい、エステルにどう言い訳しよう。

 俺はエステルの鉄拳制裁を思い出して気が重くなった。


 そんな俺をよそに、イルザとレオンは店員からテミスサンドを受け取ると、屋台の前に置いてあるベンチに腰掛け、大きな口を開けてかぶりついた。

 満面の笑みだ。


 ……まあ、いいか。

 俺が殴られれば済むことだ。

 彼女達の幸せそうな笑顔を見ていたら、俺の事などどうでもよくなってしまった。



 結局、彼女達は特大のテミスサンドの半分も食べることができなかった。

「他の子にもあげる」

 イルザは最初からそのつもりだったのだ。

 たくましいというか、しっかりしている。


「盗んでも捕まるなよ」

 彼女達と別れる時、俺はそう声をかけた。

 本当は盗んでほしくなどないが、生きていくためには仕方のないこともある。

 「盗むな」なんて無責任なことは言えない。


「うん、おごってくれてありがとう」

 イルザはペコリと頭を下げると、レオンと仲良く手をつないで去っていった。


 ……さて、死地へと赴くか。

 イルザ達が見えなくなった後、俺は覚悟を決め、宿屋に向かって歩き出した。



 宿屋に着くと、俺はすぐにエステルの所に行き、深々と頭を下げた。

「申し訳ありません、お金を落としました」

 俺は本当の事は言わなかった。

 本当の事を言えば、エステルは大目にみてくれるかもしれない。

 でも、主人のお金を失ったことに変わりはないのだ。

 奴隷としてこれほどの失敗はないだろう。

 ここは甘んじて鉄拳を受けよう。


「…………」

 そんな俺をエステルは疑い深げにしばらく見ていたが、何故か叱らなかった。

「……仕方ないわね、もう一回買ってきて」

 彼女はそう言うと財布からお金を取り出す。

「はい。本当に申し訳ありませんでした」

 俺は再度彼女に頭を下げてから、大急ぎでまたテミスサンドを買いに行ったのだった。


******


 翌朝、朝食を済ませた後、俺達は出発の準備を始めた。

 次の目的地はヴァイロン王国への定期船が就航しているフェーベという港町だ。

 ここから馬車でだいたい四日ほどらしい。

 街道沿いには宿場町があるから野宿の必要はない。

 魔物も出ないということでみんなラフな格好をしている。


 ほどなくして出発の準備が整い、いつものように俺とグロリアが御者台、その他は荷台に乗り込んだ。


「……もし」


 さあ出ようと手綱を持った瞬間、唐突に横から声を掛けられる。

 見ると、馬車の脇に黒っぽいベールを被った初老の女性が立っていた。


「私はこの町のシスターでエリーズ・シセというものです」

「……は、はあ」

 いきなり自己紹介され、困惑気味に応対していると、荷台からエステル達も何事かと顔を出した。


「昨日、私の孤児院の子供を助けていただいたそうで」

「えっ?」

 よく見ると、その女性の後ろには見覚えのある小さな顔が二つ。

 イルザとレオンだ。

 この人はイルザ達の面倒をみている人らしい。


「一言お礼を言いたくて、捜しておりました」

 そう言うと、エリーズと名乗った女性は穏やかな口調で語り始めた。


「昨日、イルザとレオンがテミスサンドを持って帰ってきたので、また盗んだのかと問いただしたところ、ある男性に買ってもらったとの事。詳しく話を聞くと、その男性は、闇エルフという理由で大人達から暴行を受けていたイルザを助け出してくれたばかりか、お腹を空かせていた二人を見かねて特大のテミスサンドを買ってくれたというではありませんか」


「!?」

 それを聞いたグロリアが、何故か少し大げさなくらい酷く驚いた様子で俺の方に振り向いた。


「これはお礼を言わなければならないと思い、その男性についてイルザに聞いたところ、ヴァイロン王国に行く途中の方だということがわかりましたので、それなら宿屋街を捜せば見つけられると思い、朝から捜しておりました」

 エリーズがイルザから聞かされた話は、イルザの都合の悪い部分が多少編集されていたようだったが、大筋では間違っていなかった。


「本当にありがとうございました。さあ、イルザとレオンもお礼を言いなさい」

 エリーズに促され、少し恥ずかしそうに一歩前に出るイルザ。

「お兄ちゃん、昨日は私をかばったせいで殴られたり蹴られたりしたのに、テミスサンドまで食べさせてくれてありがとうございました」

 そう言ってイルザがペコリと頭を下げると、レオンもイルザの真似をしてペコリと頭を下げた。


 ……聡い子だ。さすが闇エルフ。

 イルザはあれが俺のお金じゃないということをわかっていて、俺の立場が悪くならないように、うまくエリーズを誘導して俺に礼を言いに来たのだ。


 エリーズは申し訳なさそうな顔をしてイルザ達に視線を落とした。

「もっとこの子達にちゃんと食べさせてあげたいとは思っているのですが、なにぶんお金がないもので……」


 後でエステルに聞いた話では、この世界では孤児院という存在自体がかなり珍しいらしい。

 孤児はみんな奴隷として売られてしまうからだ。

 エリーズは奇特にも孤児が奴隷にされないように保護しているらしい。


「エステル、私のバッグを取って!」


 するとその時、グロリアが何の脈絡もなく荷台のエステルに自分のバッグを取るよう頼んだ。

「えっ? ええ」

 突然の依頼に、エステルが要領を得ないままバッグを渡すと、グロリアはその中から何かを取り出し、御者台から飛び降りた。そして、

「これを子供達のために使ってください」

 と、エリーズの手を取り、その何かを強引に握らせる。

 それは、……札束だった。

 帯封に見覚えがある。キングバシリスクの懸賞金だ。


「えっ、でもこんなにたくさん!?」

 エリーズが驚いてグロリアの顔を見上げると、

「あなたのしている事に比べれば些細なものです」

 グロリアはそう言って、エリーズのすぐ横にいるイルザを見つめた。

「悪魔の種族といわれてる闇エルフの子まで保護してくれているとは……」


「いいえ、闇エルフは優しい心を持った素晴らしい種族です」

 エリーズは闇エルフのことを正しく理解していた。

 グロリアはその言葉に静かに頷くと、また御者台に飛び乗った。


「ありがとうございます。これで子供達にちゃんと食べさせることができます」

 エリーズは深々と頭を下げた。


「それでは先を急ぎますので失礼いたします」

 俺は軽く会釈をすると、前に向き直り、馬に掛け声をかける。

「お兄ちゃん、またね!」

「おう、またな」

 イルザとレオンは笑顔で手を振った。


******


「……どうして昨日、あの事を正直に言わなかったの?」


 テミスの町の南門をくぐると、それを待っていたかのように荷台からエステルが俺に話しかけてきた。

「申し訳ありません。どっちにしてもエステル様のお金を失ったことには変わりがないので、話を単純にしてしまいました」

「タケルがお金を落とすなんておかしいなとは思ったんだけどね。でもああいう時は私に相談しなさいね」

「はい。以後気をつけます」

 ……おかしいと思っていたのか、やっぱり嘘はよくないな。


 するとその時、

「タケル、馬車を停めて!!」

 出発してからずっとうつむいて座っていたグロリアに突然声をかけられる。

「えっ? あ、はい」

 俺は彼女が具合でも悪くなったのかと思い、急いで馬車を路肩に停車させた。


「えっ!?」


 次の瞬間、俺はグロリアに抱きつかれていた。

 それも、いつものような色っぽい感じではなく、少し苦しいくらいに強く。


「ど、どうしたんですか?」

 俺が驚いて尋ねると、

「……ありがとう、タケル。イルザを助けてくれて」

 と、いつもの明るい声からは想像できないほどか細い声で答えるグロリア。

「え、えーと、……あれは偶然助けただけなんです。だから、そんなに感謝されたら逆に申し訳ないです」

 俺は恐縮しつつ説明したが、グロリアは何も言わず、さらに強い力で俺を抱きしめ続けたのだった。



 それ以来、グロリアは何故か御者台に乗らなくなった。

 俺に対して妙によそよそしい。

 時々目が合っても、彼女は直ぐにそらした。



 馬車は順調に進んだ。

 辺りは丘陵地帯で、道は緩やかに上ったり下ったりを繰り返している。

 魔物は出ないらしく、無防備な民家がぽつんぽつんと点在しており、その周りには柑橘系の果樹園が広がっていた。


 グロリアが荷台に乗るようになってから、御者台には他の三人が交代で乗るようになった。


 たまたまエステルが御者台に乗った時、

「グロリア様、最近御者台に乗りませんけどどうしたんですかね?」

 と小声で聞いてみた。


「そんなこともわからないの?」

 エステルは呆れたような目で俺の顔をのぞき込む。

「グロリアは本気であなたに惚れているのよ」

「ええっ、惚れてる!? で、でもそれじゃあ逆にもっとベタベタしてくるんじゃ?」

「なに? ベタベタされたいの?」

「い、いえ、そういうことを言っているんじゃなくて……」


 エステルは軽くため息をついた。

「闇エルフは性について大らかだから、ベタベタしたり、肉体関係を持ったりするのはちょっとしたコミュニケーションらしいんだけど、本気で異性を好きになることは滅多にないらしいわ」

「そうなんですか?」

「ええ、だからたぶん、恋愛に関しては以外と疎くて、実は結構ウブなのよ」

「……なるほど」


「あなた、この前テミスの町で闇エルフの子を助けたでしょう?」

「イルザのことですか?」

「そう、たぶんグロリアはあの子と自分の子供の頃がダブったんだと思う」

「え? グロリア様も孤児だったんですか?」


 その問いかけに、エステルは遠くの景色を眺めながら、

「……昔、グロリアと二人で飲んだ時にちらっと話してくれたんだけどね」

 と前置きした後、グロリアの過去について語り出した。



 グロリアは森エルフの住むアルトゥールの森で生まれた。

 闇エルフは森エルフからしか産まれないからだ。

 それは、彼らが住む森の南方、海峡を隔てた場所にある「魔界の門」という強力な魔力発生源の影響を胎児の時に受けたためだといわれている、が、定かではない。

 ただ、闇エルフは五年に一人くらいの割合で森エルフから産まれてくる。


 しかし、血統意識の強い森エルフは、漆黒の赤ん坊を忌み嫌い、その子を産んだ母親もろとも森から追放してしまうらしい。

 追放された親子は、やむなく人間の町に移り住むのだが、森の庇護を失った森エルフの母親は病気になりやすく、大抵は数年で死んでしまう。

 けれども、闇エルフは森エルフと違って何故かとても丈夫なので、結果、子供だけが生き残ってしまうのだ。


 グロリアも生まれてすぐにアルトゥールの森を追われた。

 彼女を産んだがために一緒に森から追放されてしまった母親は、しかし、彼女を恨むこともなく、懸命に育ててくれたらしい。

 だが、そんな母親もグロリアが八歳の時に重い病気になった。

 グロリアは藁にもすがる思いでアルトゥールの森エルフに助けを求めたが、全く相手にされず、その後、母親は呆気なく死んだらしい。

 だから、グロリアは森エルフの事を今でも憎んでいる。

 リリアに最初きつく当たったのも、リリアの容姿が森エルフに近かったからだ。


 母親の死後、身寄りのない彼女はごく自然の流れでストリートチルドレンになった。

 生きるために悪事は一通りやったらしい。


「世間の闇エルフに対する目はとても厳しいの。彼女は詳しく語らなかったけど、相当辛い目にあったと思うわ」

 エステルは目を閉じてしみじみと語った。

「自分と同じような境遇のイルザを助けてあげたことで、あなたを好きになってしまったのよ」

「……」


 その後のグロリアについてもエステルは教えてくれた。


 グロリアは成人すると街娼になった。

 それ自体は闇エルフの性に対する考え方のせいか、それほど抵抗はなかったらしい。

 ただ、綺麗でグラマーな彼女でも闇エルフというだけでなかなか客が付かず、生活は苦しかったようだ。

 そんな時、たまたま客として名声高い人間のウォーリアと知り合い、その人に戦い方を習った。

 といっても、彼女は闇エルフの高い身体能力に加え、過酷な年少期に自然に鍛えられた肉体により、直ぐにその人を追い抜いてしまったらしいが。

 その後は比較的種族意識の低いバウの世界に入り、……現在に至る。


「……グロリア様、大変だったんですね」

「そうね」


 辛い過去を背負っていながら、でも、そんな事は微塵も感じさせず、いつも明るくて優しい。

 そんなグロリアが俺のような甘ったれを好きになってくれた。

 うれしい反面、ただただ恐縮してしまう。


 そっと後ろを振り返ると、グロリアは荷台の後方に座り、物憂げな表情で流れる景色を静かに眺めていた。

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