015_死神
「もっ、もうっ、大丈夫っ、だわっ」
キングバシリスクが引き返したのを見て、エステルが息を切らせながらみんなに告げた。
……助かった。
そう思った瞬間、体の力が一気に抜けてその場にしゃがみ込んでしまった。
しばらく動けそうにない。
「うぅっ」
ただその時、背後で小さな呻き声が。
振り返ると、グロリアの背中から下りたチャロが、足を押さえたまま地面にうずくまってしまっていた。
よく見ると、彼女の体は傷だらけであちこち出血もしている。
リリアが混乱したせいで、彼女はしばらくヒールを受けられなかったのだ。
「タケル、ヒールリキッドをチャロに」
「は、はい」
エステルに言われて、俺は背負っていたリリアを急いで下ろすと、ベルトポーチからヒールリキッドを取り出し、その蓋を開けてチャロに手渡した。
彼女は傷だらけの手でそれを受け取り、中の液体を一心不乱に飲み干す。
すると、彼女の体がほのかに光り、切り傷や打撲の跡が少しずつ消えていった。
後で知ったことだが、ヒールリキッドは魔法のヒールと違って即効性が低いため、戦闘ではあまり役に立たないらしい。
「……まさかヒーラーがいて、ヒールリキッドを使うとわね」
エステルがぼやいた。
…………それからしばらくして、リリアの意識が戻る。
「いったいどういうつもりよ!」
そして、グロリアの猛烈な糾弾が始まった。
「……ご、ごめんなさい」
リリアは地べたに正座をして手を膝の上に置き、その手をじっと見ている。
目には涙を浮かべていた。
「全滅しかけたのよ、分かってるの!?」
「……ごめんなさい」
グロリアの糾弾はなかなか止まらなかった。
みんな死ぬところだったのだから、それも止むを得ないかもしれない。
誰もリリアを弁護する人はいなかった。
たぶん、みんなグロリアと同じ気持ちなのだろう。
グロリアの猛烈な糾弾に対し、リリアはひたすら「ごめんなさい」を繰り返した。
「……」
言いたい事を全て言ってしまったのか、リリアを睨んだままグロリアが沈黙すると、しばらくの間、重苦しい静寂が俺達を包み込んだ。
赤茶けた大地の上を這うようにして吹く乾いた風の音だけが、かすかに聞こえてくる。
「……はぁ」
長い沈黙を破って、エステルがため息をついた。
「……とにかく、ハリッサの町に戻りましょう」
それでもグロリアはしばらくリリアを睨み続けていたが、そのあと諦めたようにふうっと息を吐くと、
「タケル、馬車を取りに行きましょう」
と、抑えきれない怒りをできるだけ押し殺したような声で告げ、さっさと馬車を置いた岩山の方に向かって歩き出してしまった。
「あ、はい」
俺は大慌てで彼女の後を追った。
しばらくして後ろを振り返ってみたが、リリアはまださっきと同じ格好で座っていた……。
******
ハリッサの町に戻ると、相変わらず商人達のヒステリックな騒ぎ声が聞こえてきて、ひどく憂鬱な気分になった。
俺は早く宿屋に帰りたい一心で馬車の速度を上げようとしたが、そこで急にグロリアが、
「先に戻ってて」
と言うなり御者台から飛び降りて、宿屋とは違う方向に走って行ってしまう。
……どこへ行ったんだろう?
一瞬そう思ったが、それ以上詮索する気は起きなかった。
宿屋に着き、俺は玄関の前でエステル達を馬車から降ろした。
「すみませんでした」
リリアはそこでもう一度俺達に頭を下げてから、宿屋の中に消えた。
「……」
そんなリリアの謝罪を無言で受けた後、疲れ果てたようにだらだらと宿屋の中に入っていくエステルとチャロ。
俺は馬車を宿屋の裏手に移動させ、停留の仕事を終わらせてから宿屋に入った。
中に入ると、食堂のテーブルにだらしなく座るエステルとチャロをすぐに発見する。
二人ともかなり疲れているようだ。
放心状態、といった感じでぼーっとしている。
俺は厨房で水をもらい、二人の前に置いた。
バタン!!
するとその時、宿屋の入口のドアが勢いよく開く。
そして、少し興奮気味のグロリアが早足で入ってきた。
彼女は食堂の俺達を見つけると、テーブルに近付くなり大声で言い放つ。
「リリアの正体が分かったわ。彼女は『死神』よ!」
グロリアは鬼の首でも獲ったような勢いで話し始めた。
リリアはこの辺りでは有名な下手くそヒーラーらしい。
そして、付いたあだ名が「死神」だ。
本来、ヒーラーはパーティーメンバーを「生かす」役割を負っているが、リリアは焦ってくるとパニクって訳の分からない行動を起こし、パーティーを死地へと追いやるため、そのあだ名が付いたらしい。
だから彼女を知るバウ達は、例え自分のパーティーにヒーラーがいなくても彼女だけは絶対に誘わない、というのだ。
「彼女はクビにすべきよ」
グロリアが言うと、チャロも当然といった感じでこくりと頷く。
「……確かに今回ばかりは仕方ないわね」
エステルも諦めたように言い、おでこに手で当て、残念そうに天を仰いだ。
「あー、せっかく優秀なヒーラーを仲間にできたと思ったのに……」
結局、夕食後に会合を開いてリリアの弁明を一応聞いてからクビを言い渡すということに決まった。
「タケル、悪いけどリリアに会合の事、伝えておいて」
******
リリアはこの宿屋の三階に部屋を借りていた。通りに面した二人部屋だ。
俺は水を入れたコップを手に、その部屋に向かった。
「ふぅー」
部屋の前まで来ると、俺は軽く深呼吸し、それからドアを二度ノックする。
「……」
しかし、返事はない。
俺は試しにドアノブをそっと回してみた。どうやら鍵はかかっていないようだ。
少しだけドアを開けて中をのぞくと、リリアが奥のベッドにしょんぼり座っているのが見えた。
日当たりの良い部屋のはずだが、彼女の周りだけ何となく薄暗く見える。
俺は居ても立っても居られなくなり、ドアを開けて彼女に近付くと、さっとコップを差し出した。
「リリア様」
「……えっ!」
「どうぞ、お水です」
突然現われた俺に彼女は一瞬驚いた顔をしたが、差し出されたコップを見ると、無理矢理に笑顔を作った。
「……ありがとう」
彼女は俺からコップを両手で受け取ると、でも、口へは運ばず、そのまま膝の上に置いた。
そして、それをじっとを見つめている。
「……よ、汚れた服とかあれば出してください。洗濯しますから」
俺は何とか話題をしぼり出したが、
「……ありがとう、大丈夫です」
彼女は力なくそう言っただけで話が続かない。
仕方なく、俺はここにきた本当の目的を話した。
「……それと、エステル様からの伝言で、夕食後に会合を開くから食堂に集まってほしいとのことです」
「…………」
けれども、彼女はそれについて何も答えず、ずっと膝の上のコップを見つめている。部屋の中は息苦しいほどの静けさに包まれた。
「……また失敗してしまいました。たぶんクビでしょう」
長い沈黙の後、ようやく彼女が口を開く。弱々しい声で、寂しそうに。
その会合が何を意味するのか、彼女も大体察しているのだろう。
「……」
俺は何と声をかけてよいかわからず、ただその場に立ち尽くしていた。
「……失敗ばかりで自分が嫌になります」
そう言うと、彼女は唇を噛み締め、また目に涙を浮かべる。
……同じだ。
俺は就職した会社で何度も失敗し、その度に周りから酷く責められ、落ち込んでいた。
今の彼女は、あの頃の俺そのものだった。
彼女の辛そうな表情が、俺の心を強く強く締め付けていく。
「……私はキュテレア大学の教師になるのが夢なんです」
その後、彼女はぽつりぽつり自分の事を話し始めた。
彼女の話によると、キュテレア大学を三年で卒業した者は、そのまま大学の教師になれるらしい。
けれども、実戦を経験したことのない教師は、陰で生徒から馬鹿にされるのだそうだ。
だから彼女は、バウになって実戦経験を積んでから教師になろうと思ったらしい。
リリアはキュテレア大学を卒業した正クレリックだ。
卒業した当時はバウのヒーラーとしてうまくやっていく自信があった。
しかし、実際にバウパーティーに入ってやってみると、まったくうまくできなかった。
「……挙句の果てに『死神』というあだ名まで付けられてしまいました」
彼女は悲しそうに語った。
「これでは教師になっても、誰も私の授業を聞いてはくれないでしょう。だから、もう教師になる夢は諦めるつもりです」
彼女はそこで大きなため息をつき、その後、力のない声でこの話を締めくくった。
「……兄が実家の小さな教会を継いでいるので、その手伝いでもしながらひっそりと生きていきます」
******
夕方、俺達が宿屋の食堂で夕食をとり始めても、なかなか顔を出さないリリア。ちょっと心配したが、テーブルの上の料理があらかた片付いた頃に、ようやくトボトボと階段を下りてきて、俺の隣の席に黙って腰を下ろした。
「何か食べる?」
エステルが気遣ったが、彼女は軽く目を閉じ、首を横に振った。
その様子をグロリアは静かに見守っていたが、全員の動きが止まったのを機に、鋭い視線をリリアに向け、さっそく本題を話し始める。
「リリア、あなた、死神って言われているそうね」
「……はい」
「どうして黙ってたの?」
グロリアは色白のエルフをよく思っていないらしく、いつになく厳しい口調だ。
「……言うべきでした。すみません」
エステルとチャロは静かに聞いている。ただ、リリアを見る目は冷たい。
「私達は今日、あなたの失敗のせいで全滅しかけた。それについて何か申し開きはある?」
「……ありません」
「じゃあ、私達があなたをパーティーから追放すること、了解してもらえるかしら?」
「…………」
リリアはテーブルの上の空になった皿をじっと見つめている。
騒がしい食堂の中で、しばらく俺達のところだけがまったくの無音となった。
「……ふぅ」
そこで、リリアは観念したように小さく息を吐き、肩の力を抜く。
「……わかりました。短い間でしたがワイルドローズのお仲間に加えていただき、ありがとうございました」
彼女はそう言うと、テーブルにおでこが付くくらい深く頭を下げた。
淡い緑色の髪の毛が、彼女の蒼白の横顔を隠すように垂れ下がっている。
「……」
他の面々は無言でその姿を見守っていた。
やがて、リリアは静かに席を立ち、俯きながら階段の方に向かって歩き出す。
「……リリア様に、……もう一度チャンスをあげてください」
俺はそこで口を開いた。
その言葉にリリアが立ち止まる。
他の面々は意外な顔をして俺の方に視線を向けた。
「リリア様にもう一度チャンスをあげてください」
俺はさっきよりはっきりとした口調で言った。
ただ、
「いくらタケルの頼みでも、こればっかりはだめよ」
グロリアはいつもの優しい声で、しかし、きっぱりと拒否。
「こればっかりはね」
エステルも俺の意見に反対らしい。
チャロは何も言わなかったが、俺の意見に無関心な表情を浮かべている。
彼女達の否定的な態度に、俺は覚悟を決めて立ち上がった。
そして、その場に膝を突き、そのままおでこを床にこすり付ける。
「えっ!?」
突然の俺の行動に、グロリア、エステル、チャロは唖然とし、
「っ!?」
リリアも俺の行動に驚いたのか、息をのむような小さな声を発した。
「リリア様にもう一度チャンスをあげてください」
土下座をしている俺を見て、食堂にいた他の客達がガヤガヤ騒ぎ始める。
たぶんほとんどの客は、奴隷の俺が粗相をして主人に謝っていると思ったに違いない。
「何であなたがそこまで……」
エステルが戸惑いの声を漏らす。
「……俺、向こうの世界でリリア様と同じように失敗ばかりして、その度に馬鹿だのアホだの周りに責められたことがあって、……だから今のリリア様の気持ちが痛いほどわかるんです。お願いします、リリア様にもう一度チャンスをあげてください」
「…………」
しばらくの間、四人は呆然と土下座をしている俺を見つめていた。
が、突然リリアが駆け戻ってきて、俺の隣で膝をつき、俺と同じようにおでこを床にこすり付けた。
「私に、もう一度だけチャンスをください。お願いいたします」
彼女は、……泣いていた。
「…………」
誰も何も言わなかった。食堂の他の客達も、俺に続いてリリアまで土下座したことにただ事ではないと思ったのか、黙って事の推移を見守っている。
「……二人とも立ってよ、みっともない」
その状況に耐えられなくなったのか、怒り気味に促すグロリア。
でも、俺とリリアは土下座を止めなかった。
「……わかったから、もう一度チャンスをあげるから、早く立ちなさい」
とうとうグロリアが折れた。
……やった!
グロリアの言葉に、俺とリリアはお互いの顔を見合わせた。
彼女のグレーの瞳に希望の光が差している。
「ありがとうございます!!」
俺とリリアはもう一度頭を下げた。
「エステルとチャロもいい?」
グロリアは他の二人にも確認したが、
「……まあ、今回はタケルに免じて」
と、何とか許してくれそうだ。
「ただし、今度失敗したら、その時は強制追放だからね」
「はい!」
グロリアが念を押すと、リリアは力のこもった声ではっきりと答え、彼女の追放はひとまず保留となったのだった。
……よかった、よかった。
俺は胸を撫で下ろし、土下座を止めて立ち上がった。
そんな俺を見て、
「……あなたもお人好しね」
エステルは呆れたように苦笑した。
その後、ワイルドローズはキングバシリスク討伐の作戦会議に移った。
巣穴の中にキングバシリスクは二匹いたが、ヒーラーさえしっかりしていれば倒せない相手ではない。
が、今度はリリアが混乱した時のために、逃げられる準備もしておく必要がある。
「あの盾は、ぶっちゃけキングバシリスクの懸賞金よりも高かったの。だからキングバシリスクは倒せなかったとしても、あの盾だけは回収したいわ」
グロリアの持っていたあの盾は、グロスシールドといってマジックアイテムの一種だ。
グロスという百年以上前に活躍した天才魔法鍛冶職人が、生涯に二十三個しか作らなかったという希少な盾のため、やたら高いらしい。
タンク役のガーディアンが所持していることが多いということだが、グロリアは少数パーティーでタンクをする機会が多かったため、いざという時のために買ったらしい。
その辺り、グロリアも本気でパーティーのことを考えているのだろう。
作戦は、まずグロスシールドを最優先で回収し、その後キングバシリスクと対決。
ただ、すぐに撤退できるような体勢をとり、もしリリアが混乱し始めたらパーティーに余力があるうちに撤退する、ということになった。
また、
「他のパーティーがキングバシリスクを倒して盾を持っていってしまうかもしれないから、できるだけ早い方がいいわ」
というグロリアの意見により、討伐は明日の早朝に決行することになったのだった。
作戦会議が終わり、解散となった。
俺はエステル、グロリア、チャロに続いて階段を上ろうとしたが、その時、
「タケルさん」
後ろにいたリリアに呼び止められる。
「あなたのおかげでもう一度チャンスをもらうことができました。ありがとうございました」
そう言うと、彼女は俺に向かって深々と頭を下げた。
「い、いえ、リリア様の熱意が伝わったんですよ。明日がんばってくださいね」
「……」
しかし、頭を上げた彼女の表情は酷く曇っていた。
「……でも、私にできるでしょうか?」
「リリア様なら大丈夫ですよ……」
と、励ましてはみたものの、確かに不安だ。
彼女は普段は優秀なのだが、焦りだすとパニクって失敗するタイプ。
そんな性格を一朝一夕で治せるはずはない。
とにかくパニクらないようにしなければ……。
……はっ!?
気付くと、いつの間にかリリアが不安そうな表情で俺の顔をのぞき込んでいた。
どうやら悩んでいたのが顔に出てしまったようだ。
俺は慌てて明るい表情を作った。
「明日は俺も微力ながら精一杯サポートさせていただきますので」
「タケルさんにそう言ってもらえると、とても心強いです」
俺の励ましに、彼女の表情から少しだけ不安の色が消えた。
……さて、でもどうしたものか。