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010_猫の好物

 カリオペの町を出発してから五日が経過し、ヴァシアの町までの行程を半分ほど消化した。

 周りの景色は変わらず草原で、所々に羊や牛の群れが見える。


 四人での旅にもだいぶ慣れてきた。のだが、俺には前から気になっている事が一つあった。

 チャロの事だ。

 実は、俺はまだ彼女と直接話をしたことがない。

 話そうとしても、彼女はいつも素っ気無くて取りつく島もないのだ。

 まあ、俺は奴隷だから主人である彼女と気軽に話したいと考えること自体無礼なのかもしれないが、それでもまったく会話がないというのも……。


 そのことについて、俺は今日も隣に乗ってくれていたグロリアに小声でそっと尋ねてみた。

「チャロ様ってクールというか、大人しいですよね?」

「そんなことないわ」

 グロリアは否定したが、後ろを振り返って荷台で静かにしているチャロの姿を認めると、そう思われても仕方ないと感じたのか付け加えた。

「……でも、しばらく好物の魚が食べられなくて元気が出ないみたいね」

「なるほど、そういえば食べてないですね」


 確かに街道沿いの宿屋で出てくる料理は肉系ばかりだ。

 それはたぶん牧畜が盛んな地域だからだろう。

 ただ、市場があるような大きめの宿場町でも、新鮮な魚が並んでいるような光景は見ていないような気がする。

 川や湖は馬車からでも何箇所かは確認できたから魚がいないわけじゃないとは思うけど……。

 俺が考え込んでいると、グロリアがその理由を教えてくれた。

「この辺の魚は泥臭くてまずいらしいわ。肉が豊富にあるから無理にそんな魚を食べる必要がないのよ」

「なるほど」


******


 午後の日差しが降り注ぎ始めた頃、左手に幅が五メートルほどの川が見え始める。

 流れの中に石が見えるからそれほど深くはないようだ。

 俺は先ほどのグロリアの話を思い出しながら、何となく御者台から眺めていた。


 ガタッ、ガタガタガタ……


 すると突然、大きな音を立てて馬車が激しく揺れ始める。

 明らかに異常な揺れだ。音は荷台の下から聞こえてくる。

「な、何? どうしたの!?」

 エステルがびっくりしてグロリアに声をかけた。

 馬も異常に気付いたのか、しきりに頭を振って嫌そうに走っている。

「タケル、ちょっと停めて」

「は、はい」

 グロリアに言われ、俺は慌てて馬車を左側の路肩に寄せた。


 馬車が停まると、グロリアは御者台からさっと降り、荷台の下を確認。

「あっ、やばい、壊れてる」

 その声から状況の深刻さがうかがい知れた。

 俺も降りてグロリアとは反対の方向からのぞいてみると、後輪の軸を押さえている金具が取れかかり、軸が外れそうになっているのがわかった。かなり危険な状態だ。

「危なかったわ、もう少しで車輪が外れるところだった」

 グロリアが俺を見ながら苦笑する。

「直せるの!?」

 エステルも荷台から降りてきて心配そうな表情を浮かべながらグロリアに尋ねた。


「ちょっと待って」

 グロリアはそう言うと、荷台の左側面に取り付けられた木箱を開け、ガチャガチャと中の物を物色し始める。

 箱の中に見えるのは工具や部品だろうか、どうやら馬車を修理するための物が入っているようだ。

 彼女はそこから何点かを取り出し、

「……まあ、応急的になら何とかなるでしょう」

 と、診断を下した。


 さっそく俺が荷台の下に潜り、グロリアの指示の下、故障箇所を直す作業にとりかかった。

 自転車の修理くらいしかやったことはないが、馬車の構造は単純だからたぶん何とかなるだろう。

 ただ、荷台の下は思った以上に狭く、非常にやりづらかった。

 だから、どうしても一つ一つの作業に時間がかかってしまう。


 エステルは心配そうに作業を見守りながら、俺に工具や部品を手渡したり、受け取ったりしてくれている。

 チャロはしばらく遠巻きに作業の様子を眺めていたが、手伝えそうな事がないと判断したのか、近くにある川の方に行ってしまったようだ。


******


******


「大丈夫そうです」

 俺は直した馬車を少し走らせてみて、最後にもう一回修理した部分を確認してからグロリアに報告した。

「ご苦労様」

 微笑みながら俺の労をねぎらうグロリア。

 ただ、エステルはもう次のことを考えているらしく、

「……さて、でもどうしようか?」

 と、顎に手を当てている。


 見れば、太陽は西に大きく傾き、東の空はすでに夜が始まっている。

 修理にかなり時間がかかってしまった。

 馬車は直ったが、次の宿場町まではまだかなり距離があるらしい。

「うーん……」

 エステルはひとしきり考えた後、

「仕方ない、今夜はここで野宿ね」

 諦めたようにため息をついた。


 チャロが川をのぞき込んでいる辺りがちょうど焚き火のしやすそうな河原になっていたため、俺はその近くまで馬車を寄せた後、荷台から鍋や食料を下ろした。

 グロリアは馬を馬車から外してやり、草が食べられるよう近くの木に繋ぎ直している。

 エステルは火をおこして焚き火を始めたようだ。

 ただ、チャロだけは何もせずに、ずっと川の中をのぞき込んでいる。

 ……何をしているんだろう?


 気になった俺は、鍋に水を汲むついでにチャロに近付いてみた。

 けれども彼女は俺などには目もくれず、頭を小刻みに動かしながら川の中を注意深くうかがっている。

 どうやら泳いでいる魚を目で必死に追っているようだ。

 時々近付いてきた魚に手を出そうともするのだが、しかし、水に触れるとさっと引っ込めてしまう。普通の猫がよくやる動作だ。


「獲れそうですか?」

 俺が尋ねると、

「……無理ニャ、水怖いニャ」

 魚を目で追いながら残念そうに答えるチャロ。

 ……おお、チャロと初めて話した!

 俺は少し感動したが、彼女は俺の事などまったく見えていないようだ。

「でもおいしそうニャ」

 独り言のように呟きながら同じ動作を繰り返している。

 やっぱり普通の猫と同じで水が苦手なのか。


 語尾の「ニャ」は方言のようなものかもしれない。

 田舎者が都会暮らしの中で方言を出さないように気をつけていたが、気を抜いた時にうっかり出てしまった、と言ったところか。


 あまりの彼女の熱中ぶりに、

「でも、この辺りの魚ってまずいらしいですよ」

 俺はグロリアからの口コミ情報を伝えて暗に「それほどの魚じゃない」と諭してみたが、それでも彼女は魚から目を離さず、寂しそうに呟いた。

「……でも、食べてみたいニャ」


 ……よし!

 俺は急いで鍋に水を汲み、それを火にかけると、またチャロの所に戻った。

 そしてシャツを脱ぎ、靴を脱いでズボンを膝の上辺りまで捲り上げる。

「……」

 そんな俺の行動に驚いたのか、さすがのチャロも目を丸くしている。


 俺はそのまま静かに川に入った。水はさほど冷たくない。

 ……この感触、久しぶりだ。

 俺は田舎育ちだから、小さい頃はよく友達と近所の川に遊びに行ったのだ。

 もちろん、魚だって素手で獲りまくった。

 あの感覚さえ覚えていれば、たぶん今でも獲れるだろう。


「何? どうしたの?」

 エステルとグロリアも俺の行動が気になったのか、近くまで様子を見に来た。

「まあ見ててください」

 俺は自信たっぷりに答えると、一抱えほどもある石に当たりをつけ、両手をその下の隙間にそっと差し込む。

 ……いる!

 手の平にも甲にも魚の尻尾や胴体が当たっている。何匹もいるようだ。

 俺はその中の一匹を隅の方にゆっくり寄せていき、動けないよう両手で押さえつけた後、手を少しずつずらして魚を掴み、そのまま一気に引き抜いた。

「おし!」

 高々と掲げた俺の手には、見事に三十センチほどのニジマスに似た魚が!

「おおっ!」

 その様子を見ていた三人が驚きの声を上げる。

 チャロの目が、キラキラ輝いていた。


 結局、十分ほどで四匹もゲットした。

 俺はそれらを木の枝で串刺しにし、軽く塩をまぶしてから焼き始める。

 すると、何ともいえない香ばしい香りが辺りに漂い始めた。

「…………」

 チャロは魚から一時も目を離さない。

 時々唾を呑み込んでいるのがわかる。


 俺は頃合を見て魚を取り、焼き加減を確認した。

 十分に火が通っているようだ。

「チャロ様、いい感じですよ」

 俺は早速それをもう待ちきれないといった状態のチャロに差し出した。


 彼女は両手でそれを受け取ると、まずは猫のようにクンクンと匂いを確認。

 そして、嬉しそうにニタッと笑うと間髪入れず大きな口を開けて勢い良くかぶりついた。

「んん!」

 が、その途端、目を大きく見開き、顔を真っ赤にする。

 熱かったのだろう。やはり猫舌なのか?

「大丈夫ですか?」

 心配して声を掛けたが、しかし、次の瞬間には、ホフホフしながら笑顔で美味しそうに食べ始めていた。

 ……よかった。

 俺はやっとチャロの笑顔を見ることができた。


 すると、

「……タケル、私にもちょうだい」

 チャロが美味しそうに食べているのを見て、エステルも食べたくなったらしい。

「はい」

 俺は次に焼き加減の良さそうな魚をエステルに渡した。

 彼女はそれをじっくり観察した後、少し控えめにかじりつく。

「……」

 が、彼女は食べた感想を何も言わず、ただ苦笑してそれを早々にグロリアに渡してしまった。

 さらに、グロリアも一口食べて、

「……私達の口には合わないわね」

 と残念そうに呟いてから、魚を俺に戻してくる。


 ……せっかく人数分獲ったのに。

 俺はちょっとふて腐れながら、

「じゃあ、俺も一口いただきます」

 と断って、その食べかけに思いっきりかぶりついた。

 ……ま、まずい。

 その魚の味はグロリアの口コミ情報通り、泥臭くてまずかった。

 俺は思いっきりかぶりついたことを後悔しつつ口の中の物を何とか呑み込むと、その食べかけをそっと火の近くに戻し、何もなかったかのように鍋のスープをみんなの木皿によそっていったのだった。


「タケルにあんな特技があったのね。関心しちゃった」

 食事中、そう言って褒めてくれたのはグロリアだ。

「いやあ、それほどでもないです。俺は田舎育ちなんで、小さい頃、よく川で遊んだんです」

「私、川に入って魚を手掴みで獲る人を初めて見たわ」

 ただ、エステルは珍しいものでも見るような目で俺を見ている。

「この世界では、あんなふうに魚を獲らないんですか?」

「ええ、川には魔物も出るしね」

「ぷっ!!」

 俺は口の中の物を思わず吹き出してしまった。

「そ、それを早く言ってください!!」

「この辺りは大丈夫よ、あはははは」

 そんな俺の慌てぶりを見て、グロリアが快活に笑い出した。


「…………」

 ただ、その間もチャロは魚を無心に食べ続け、結局俺達が食べ残したものも含め四匹とも全て平らげてしまったのだった。


******


 食事が終わり、寝ることになった。

 野宿ではあるが、ザウル湿原とは違って馬車があるから地べたに直接寝る必要はない。

 馬車の荷台は、詰めれば四人くらいは寝られるのだが、さすがに男の俺が彼女達と密着して寝るという訳にもいかず、俺は一人、御者台の座席で寝る事にした。非常に残念ではあるが……。


 エステル達が荷台に消えた後、俺は御者台に飛び乗り、狭い腰掛の上で仰向けに寝転がった。

 辺りはほとんど無音で、川のせせらぎだけがかすかに聞こえてくる。

 夜空には真ん丸の月があり、淡い光で辺りをうっすら照らしていた。

 ……この世界にも月があるのか。

 そういえば太陽も普通にあった。春夏秋冬もあるし、食べ物もそれほどの違いは無い。

 何で同じなんだろう……。

 そんなことを考えていたら頭が痛くなりかけたので、すぐに止めた。

 どうせ俺にわかるわけはない。


 ……ちょっと寒いな。

 ここは内陸らしく夜はまだ少し寒い。昼と夜との寒暖の差が激しいのだ。

 俺は横を向いて体を丸め込んだ。


 ……えっ!?

 その瞬間、俺は驚いて飛び起きてしまう。

 足元の暗がりに二つの光る玉を発見したからだ。

 ……なんだ?

 俺は月明かりを頼りに、その玉の正体を探るべく目を凝らした。


「……寒く、ないか?」


 それは、チャロの目だった。

 猫族である彼女の目は、暗闇では光るのだ。

 彼女はどういうわけか毛布を抱えながら御者台のすぐ横に立っている。

 ……もしかして、俺に毛布を持ってきてくれたのか?

「ちょっと寒いです」

「使え」

 そう言うと、彼女は俺に毛布を差し出した。

「ありがとうございます」

 俺は軽く頭を下げてからその毛布を受け取った。


 毛布を渡し終えると、チャロは少しモジモジしながら、

「……き、今日は、魚を獲ってくれて、ありがとう。とても美味しかった」

 と、恥ずかしそうに小声で魚の礼を言い始めた。

 どうやらそれがここにきた一番の目的らしい。

「いえいえ、俺はチャロ様の奴隷ですから、お礼なんていいですよ」

 俺はそう言って気にしないように促したが、しかし、チャロはどうしても感謝の気持ちを伝えたかったのか、思いつめたように顔を上げる。

「でも、本当にありがとニ!?」

 けれども、ニャが出掛かって、彼女は思わず口をつぐんだ。


 俺は恐る恐る尋ねた。

「普段は語尾にニャを付けるんですか?」

 すると、チャロは驚いて目を見開く。

「どうして知ってる!?」

「チャロ様が川で魚を見ていた時、しきりに言っていましたので」

 彼女はしまったというような顔をした。

「……気を抜くとつい出る」


 彼女の話では、語尾にニャを付けるのは猫族特有の話し方らしい。

 彼女はずっとその話し方を普通だと思っていたが、人間の町に出てきて普通じゃないことがわかり、それ以後はニャを付けないように気をつけている、ということだった。

 俺も田舎者で気を抜くとすぐ方言が出るから、チャロの気持ちがよくわかる。


 ただ俺は、若い女の子が使う方言はむしろかわいいと思っている。

 それに田舎を大事にしているようでとても素敵だ。

 男の方言は田舎臭いだけだが……。

「俺は異世界人だからよくわかりませんが、別にニャを付けてもおかしくないですよ」

「そ、そうか?」

「チャロ様が使えばとてもかわいいです」

「……」

 俺の意見に、彼女は目を閉じて考え込んだ。

 奴隷の分際で主人に「かわいい」なんて言ってはいけないはずだが、彼女は気付いていない。


 チャロはしばらく考えていたが、その後ニコッと笑顔になり、

「タケルがそう言うなら、これからはニャを付けて話すようにする……ニャ」

 と、この時だけはぎこちなくニャを語尾に付けて宣言した。


「おやすみニャ」

 チャロは晴れやかな顔で荷台に戻って行った。

 そんな彼女を見送った後、俺は受け取った毛布を遠慮なく使わせてもらうことにした。

 かすかに、チャロの香りがする毛布を。


******


 それ以降、御者台にグロリアが乗らない時は代わりにチャロが乗るようになった。

 ただ、特に何をするわけでもない。景色を見たり、居眠りをしたりしている。

 本当に猫のようだ。



 修理した馬車はその後問題なく走り、カリオペの町を出発してから十日後、俺達は予定通りヴァシアの町に到着したのだった。

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