第8話
食事を終えた二人は、ふたたび街へと繰り出した。
特に行く宛は無い。腕を絡めてふたり、街をぶらぶらしながらウインドウショッピングである。
「お? ちょっとここ入るか?」
「ん?」
綾香が指差すのは、カジュアルなファッションの店である。
鷹久は思わず目頭が熱くなった。
「……やっと自覚が……」
「なにぶつぶつ言ってんだ? いくぞ?」
少々感激しているらしい鷹久を引きずって、綾香は店へと突入していった。
「それで、どうするの?」
あまりこういった店に入った経験の無い鷹久は、物珍しげに辺りを見回しながら訊ねた。
「あー。ちょっとな……お、これだな?」
一方で綾香は店員が奨める服をガン無視して自分でいくらか服を選ぶと、奥の試着室へ向かう。
置いていかれそうになって鷹久は慌てて後を追った。
追い付いた先では、綾香は試着室に入るところだった。
カーテンを閉め掛けて、鷹久へと小悪魔のように笑う。
「……覗いても良いけど、周りに見つかんなよ?」
「……覗くかっ?!」
思わず声を上げてしまい周りに注目された鷹久をそのままに、綾香はカーテンを閉めた。
「……まったくもう」
恥ずかしさに顔を赤らめた鷹久は、試着室前で小さくなっていた。
と、いきなり試着室のカーテンが開いた。
「よしっ! どうだっ!」
姿を見せた綾香は、白いブラウスにタイトスカート姿である。
背が高く、ボディラインのメリハリが利いているため、ある種ぴったり似合っている。
髪はさすがにそのままだが、結い上げれば大人びた印象にになるだろう。
惜しむらくは、彼女の顔つきはどちらかと言えば童顔の範疇に入ってしまうため、その分コスプレっぽい印象はぬぐえない。
「う~ん」
鷹久は軽く首をかしげて思案する。その様子に綾香は息を吐いた。
「やっぱ似合わないか」
「正直。髪をアップにして化粧すればいけるかもしれないけど」
ふたりの間に世辞は無用。綾香は鷹久の言葉になるほどと頷いてカーテンを閉めた。
そしてしばらくすると再びカーテンが開かれた。
「今度はこれだ!」
元気よく見せつけるのは、薄茶色のワンピースに、クリーム色のカーディガンを合わせたおとなしめのファッション。
しかし、不思議と金髪が栄えた。
鷹久は軽くうなずいた。
「うん、これは良いかも」
「お? そうか?」
綾香はそれを聞いて自身を見下ろしたが、すぐに満足げにうなずいた。
「うし、次行くぞ☆」
ふたたびカーテンが閉まる。
こうして、綾香のひとりファッションショーが鷹久だけを観客にしばらく行われた。
もっとも似合っていたのは活動的な装いであったのは当然の既決でもあるようではあったが。
組み合わせなども試しながら行われたその結果を元にして、いくつかを厳選しながら鷹久と二人でお金を出しあって購入する。綾香は最初一人で払うつもりだったようだが、鷹久が強引にワリカンにしたのだ。
ふたりとも学生の身分。ひとりではそう大きな買い物はできないのだ。
店から出て腕を絡めて歩く。荷物は二つに分けて、互いにひとつずつ持っていた。
「悪かったなあ。あたしの服なのにさ」
「いいって。それに今日はデートってことになってるしね」
鷹久の言葉に綾香が「そういやそうだ」と笑う。
正直、忘れていたようだ。
「……なあタカ」
「ん?」
不意に声を掛けられ鷹久は綾香を見た。身長は同じくらい。横を向けば自然と彼女の顔が視界に収まる。
「なに? 綾香」
「……あたし達、ちゃんと恋人に見えてんのかなあ」
綾香にそう訊かれ、鷹久はすぐには答えられなかった。
「……どうだろうね。けど、良いじゃないか」
「え?」
綾香が鷹久を見た。彼は柔和に笑う。
「そんな、他人が見なきゃ分からないような印象より、僕は君とずっと一緒に居たいって気持ちを大事にしたいんだ」
「…………」
綾香は思わず息を飲んだ。
従弟の発した、ストレートな気持ちのこもった言葉が、彼女の胸にかちりとはまり込んだ。
「綾香?」
「あ、いや、なんでも、無い」
きっとそれは、ずっと外れない。
「うん、そうだな。あたしも同じ気持ちかもな」
そう返して、綾香は微笑んだ。
しばらくそんな雰囲気で歩き続けて繁華街を抜ければ、住宅街方面へと出る。この辺りまで来ると、人通りも減ってくる。
そこからさらに人気の無い方へ移動していった二人は、おもむろに振り向いた。
男が二人、ビクリとして立ち止まった。
「……なにか用ですか?」
鷹久が平坦に訊ねた。男達はへらっと笑う。
「何言ってんだよ」
「そうだぜ。俺たちは通りすがり……」
「ファミレス出てからずっと尾けてたよな?」
誤魔化そうとする男の言葉を綾香が鋭く切り裂いた。
ふたりとも息を飲む。そこへ鷹久が畳み掛けた。
「そもそも繁華街を抜けて住宅街に入ってからしばらく歩いても同じ方向なんてあり得ませんよ」
「つーかさ、尾行下手だよなお前ら。後ろの連中も含めて」
そして綾香がトドメを刺した。もはやぐぅの音も出ない。
後ろからわらわらと五人ほど現れた。
そのひとりに、鷹久と綾香は見覚えがあった。
「お前、ゲーセンの……」
「なるほどね」
綾香があきれたような半眼でげんなりとなった横で、鷹久は苦笑いした。
下品な笑みを浮かべる男は、なるほどそういうことをしそうではあった。
「へっ、今度は七人だ。ボコって動けなくした横で、テメエの女を剥いてやるよ」
下卑た笑みを浮かべながら男が宣言すると他の六人が鷹久と綾香を半包囲する。
「……綾香、左側三人とあの男はもらうよ?」
「……しょーがねーな鷹久。あたしは右の三人を喰う。遅れたらあの野郎は貰う」
静かな怒気をみなぎらせ、鷹久が身構えた。その隣で綾香はスカートのジッパーを素早く下ろし、ホックを外した。
スカートがぱさりと軽い音を立てて落ち、男達が嬉しそうに下品な声をあげた。
そして露になるのはホットパンツに覆われた下半身。先程の買い物のついでに下っておき、ひそかに履いていたものだ。
白く、健康的なボリュームの太ももが丸出しである。
「……いくよ」
「いくぜ☆」
鷹久が鋭く踏み込み、綾香がステップを踏むように前へ出る。
綾香の太ももに見入っていた男達があわてて身構えるが、遅い。
鷹久の繰り出した掌底がひだりの三人の真ん中の男の腹に叩き込まれ、彼は身体をくの字に折った。
「やろっ!」
「てめっ!」
左右から残り二人が殴りかかる。が、それを交い潜るように身を沈ませながら左の男へ体重移動しつつ肘打ち。みぞおちにめり込んだ反動を利用して流れるように重心移動しながら反対側の男へ右肩からぶつかる。
たたら踏んだ彼を追うように、左足を踏み込ませて左掌底のアッパーで意識を刈った。
一方綾香は、同じように三人の内の真ん中へと鋭いローキックからハイキックへ変化させたコンビネーションキックで襲いかかって沈め、呆気にとられている二人の内右側の懐へ飛び込みながらその足を刈って宙を舞わせた。
それを見て我に返った左側の男へ振り返りながらハイキック。
これをガードしようと腕をあげた男を嘲笑うように蹴りの軌道が変化し、その脳天にかかとが落ちた。
昏倒した男をそのままにさらに振り返れば、転ばせた男が身を起こしたところだ。その顎へと容赦無くサッカーボールキック。
そしてふたりは残るひとりの方を見た。
「え? あ? え?」
残された男は、理解が追い付かない。
圧倒的に有利だったはずだ。数に任せて男を痛め付け、女を取り押さえたらお楽しみの時間になる筈だった。
なのに、こちらの手勢は五秒かそこらで地に伏しもがいていた。
残るは彼ひとりである。
男は信じられないものを見ているような顔になった。それだけ自信があったのかもしれない。
鷹久は、慎重に一歩進み出た。
「……もうやめませんか? 今ならまだ……」
その声音と表情に憐れみを感じ、男は歯軋りをした。
「な、なめんじゃねえっ!」
声を上げてポケットから取り出したのは、いまや所持を禁止されている携帯用ナイフだ。
「っ!」
「っ!」
それを見た瞬間二人は顔を険しくして身構えた。
「っらあっ! 死ねぇえ!」
そんな二人に、男はナイフを振りかざして突進した。
綾香が後退し、鷹久が素早くジャケットを脱いで左腕に巻き付けた。
そのままナイフを持つ男の手を払う。
それを二、三回繰り返した辺りで、業を煮やした男が鷹久へとナイフを突き込んだ。
「……!」
鷹久は、それから逃げるようにバックステップ。しながら前蹴りを放った。
居合い抜きのごとき鋭い一撃が、見事に男の手首を蹴りあげ、ナイフが弾き飛ぶ。
すかさず綾香が踏み込んで、男の股間を蹴り上げた。
「ぎょぴょっ?!」
奇妙な声を上げて悶絶するた男。鷹久がいたそうに顔をしかめながらナイフを押さえる。男は、股間を押さえたまま泡を吹いて失神していた。
「ざまみろ」
よほど腹に据えかねていたらしい綾香は、フンスと鼻を鳴らして男を見下ろしていた。
それから警察を呼んで男達を引き渡した。少々過剰防衛気味ではあったが、相手の人数と、ナイフを持ち出したことで緊急避難の一環として不問となった。
「……乱闘になる前に警察を呼んでくださいよ。夏目のお嬢さん。鷹久くんも」
「……へ~い」
「すいません」
見知った顔の警官に言われ、綾香はしぶしぶ返事をした。
鷹久は恐縮して頭を下げる。
この警官、実は機動隊に所属する鷹久の父の後輩で、叔父のに鷹介に師事する綾香や鷹久の兄弟子にあたる。
ついでに言えば、綾香と鷹久の祖父は警察に柔術指導する講師でもある。そのためふたりは警察官に知り合いが多い。おかげで何かある度に余計なお小言を貰ってしまうのだ。
結局事情聴取とお小言に時間を取られ、解放されたのは日が傾き始めた頃だった。
送っていくという話を丁重に断り、ふたりは家路についている。
「なんだかばたばたした一日だったなあ」
「そうだね」
ため息混じりに言う綾香に、鷹久は苦笑しながら頷いた。
「けど、結構楽しかったよ」
鷹久がはにかむように言うと、綾香も満面の笑みになった。
「おう♪ あたしもだ☆」
答えて、空を見る。
「明日も晴れると良いな♪」
「そうだね」
組んだ腕の先で、互いの指を絡め合う。二人の影はひとつになっていた。