第4話
「綾香ッ!」
声を上げる従弟の声を聞きながら綾香は駆け出していた。
それを追うように鷹久も走り出す。
先を行く綾香は、人垣をするすると抜けて行き、ついにそれが切れると目の前の光景を確認した。
赤い髪をポニーテールにした少女が、左頬に傷のある青年に腕を掴まれ声をあげていた。
目を細め綾香は鋭く踏み込みながら速度を上げ、その勢いまま青年の膝を階段を駆け上がるようにして登り、自分の膝を彼のこめかみに叩き込んだ。
「ぐごっ?!」
奇妙な声を上げて青年が崩れ落ちる。
着地した綾香は解放された少女の手を取った。
「逃げるぞ?」
「へ?」
綾香の言葉にしかし、少女は目をぱちくりさせるだけだった。綾香は一瞬、おや? と思ったが背後に立ち上がる殺気を感じて、少女を抱え上げた。
「ひゃっ?!」
「しっかり掴まってろよ?」
悲鳴を上げた少女に注意して、返事を待たずに走り出した。
そこへ鷹久が飛び出してきた。
「先行しすぎだよ!」
「わりぃ、後任せた!」
「え?」
走り出した綾香に言われてキョトンとなる鷹久。と、背中に吹き付ける殺気を感じて震え上がりながら飛び退いた。
「キサマ……ナカマダナ?」
「ちょ、これ無理!」
気配でわかる。達人級の気迫。戦闘体勢の叔父や、殺気を丸出しにしたクラスメイトの巨漢の少年などと遜色無いレベル。
とてもでは無いが鷹久ひとりの手には余る。
「て、手伝ってよ綾香ッ! 気配で気付いてるでしょっ?!」
青年の鋭い踏み込みを辛うじてしのいだ鷹久は、悲鳴のような声をあげた。
だが、返ってきたのは。
『ごめーん。今忙しくってえ☆』
媚び媚びの声音の綾香の声だった。鷹久の顔から血の気が引く。
『は、は、は、薄情者ぉお~~っ!?』
人垣の真ん中から、少年の悲痛な叫びが響いた。
それを聞き流しながら、金髪の少女は人混みをすり抜け、スカートをはためかせてレース入りの水色の下着を曝したまま走り行く。腕の中の女の子はいつのまにか静かになっていたが、暴れないでいてくれるのは綾香に取ってありがたかった。
「は、は、は……ここ、まで、来りゃ、良いか……」
息を切らせて辺りを見回してごちる。
女子としては体力も筋力も有るとはいえ、女の子ひとりを抱えて走るのは重労働だ。
人気の無いのを確認して、綾香は女の子を降ろして、地べたに座り込んで天を仰ぎ見た。
呼吸を深く、落ち着かせていく。呼吸法は武の原点。天鷹流においてもそれは同じであり、呼吸を整えるのは基本中の基本である。ちなみに肺活量は同年代のアスリート並みにあるほどだ。
「……ふ、は、あぁ……ふう……よっし!」 息を整え、綾香は女の子を見た。
「だいじょうぶか?」
「……は、はい」
赤い髪のポニテを揺らしながらうなずく女の子。よくよく見ればひばりなどより背は高く、小柄な少女といった風だ。
だが、まあその辺りは些細なことだろうと綾香はひとつうなずいた。
「……まあ、何はともあれここまで来れば大丈夫だと思うぞ?」
そう言って笑う。が、女の子は戸惑うように来た道を振り向いた。綾香も釣られるようにそちらを見た。
「……心配しなくても、あたしの従弟が足止めしてる筈だからそう簡単には追ってこれないハズだぞ?」
「いえ、そうではなくて……」
綾香の言葉に、女の子改めポニテ少女は奥歯にモノが挟まったかのように顔をしかめた。
それを見て綾香が首をかしげた。どう見ても安堵しているようには見えない。
「……大丈夫かな……なきゃ良いけど……」
呟くような少女の声は路地にかすれて消えた。
一方で鷹久は、頬傷の青年相手に冷や汗を掻きっ放しだった。
「……くっ?!」
今も青年の鋭い踏み込みに、対応が間に合わなくなるところだった。
鷹久は主に防御の技を習熟し、これを得意としていた。
敵の攻撃をいなし、丁寧にカウンターをとる。それが生身での鷹久のスタイルだ。
だが、目の前の青年の異常な強さに、鷹久はカウンターを決める隙を、“見つけられない”。
これはある種、異様なことであった。通常、武においては、構えをとっている時がもっとも隙が無く、防衛堅固である。これは構えた型によって守りやすさは変わるわけだが、敵の攻撃に対抗するのにもっとも早く反応し体を動かせる状態なのだから当然だ。しかも、最小限で元の構えに戻れるように出来ている。
だからこの構えがもっとも崩れる瞬間が攻め時と言えよう。
そして、この構えの型がもっとも崩れる時が攻撃の瞬間だ。
カウンターはこの瞬間を狙う戦闘技法である。
直感的に行使する者もいるが、基本的には相手の挙動を見切って行使するものである。
鷹久は冷静に相手を観察し、カウンターのタイミングを適切に計算して仕掛けるタイプだ。
だが、目の前の相手にはそのカウンターを決める瞬間が無かった。正確に言えばあるにはあるが、仕掛けた瞬間には自分が大地に転がるイメージしか鷹久には沸かなかった。
「……隙がまるで無い」
つぶやく。
相手は激昂していながらも、月を映す湖面のように冷静であった。
軽く両足を肩幅程度に広げ、手刀とした両手をだらりと下げて自然体で立つ。焦点を結ばない虚ろな半眼は、周辺視野をも認識させ、ほとんどオールレンジの視界を提供してくれる。
本来ならカウンター向けのスタンスのはずだが、起こりも見せずにその手刀が鷹久を襲う。
「くっ?!」
抜き身の刃のごとき鋭さの手刀を、左手の甲で払い除けながら掌打でアゴを狙う。が、それを貫く勢いでもう一方の手刀が鷹久の右目を狙って繰り出された。
頭を振ってこれを躱しはしたが、払い除けたはずの手刀が鷹久に迫り、たまらず後退した。
「……」
だが、青年は不用意に追撃しない。
「……参った。後の先にしろ、先の先にしろ向こうの技量が高すぎてどうにもなら無い」
思わずぼやいてしまう。ここまでの相手ともなると、綾香と二人がかりでも退けることが出来るかどうか。
「……無理、かな?」
軽く思案して勝てる要素が小さいことにごちる。
そもそも相手は完全ではない。その構えや戦い方から類推できる青年の本来の戦闘スタイルは、“二刀流”。
それも、左右の扱いに差異が少ないことから、同じ長さの二本を使う可能性が高かった。
二刀流にも様々あるが、基本的には長い剣と短い剣の二本を以て二刀とするのが普通だ。
無論、長い剣二本や短い剣二本という持ち方もあるが、長いもの二本という二刀流は扱うのが難しいスタイルだ。
しかしながらこれを極めれば攻防自在。高い攻撃性を発揮できる。
この青年は恐らくそういった質の剣を修めている。
鷹久はそうにらんだ。
「……だからって、そう簡単に諦めるつもりはない!」
気合いを入れるように言い放ち、鷹久は青年をまっすぐ見ながら両足を平行に並べながら肩幅に開き、腰を落とした。
両手を広げながら腕を左右にへと開き、まるで猛禽類が羽根を広げるかのような構えを取った。
“天鷹流鷹翼の構え”
天鷹流甲冑柔術において特に防御に秀でた構えである。鷹久は特に防御よりの技に秀でており、冷静な観察眼と判断力からカウンターを得意としている。
「……ほぅ」
構えを見た青年が、初めて声を漏らした。鷹久のまとう空気が変化したのを敏感に嗅ぎとったのだろう。互いに相対し、じりじりとしたものを感じながら出方をうかがう。
野次馬たちも、固唾を飲んで見守る。
そこだけ、無音に支配されたように錯覚するほど、静かになった。
彫像のように動かない二人だが、そこにたゆたう緊張感は、ピンッと張った糸のようだ。
その時間が、永遠に続くように、二人は対峙した。
と、ひとりの携帯電話がけたたましい着信音を奏でた。
ふたりの目が見開かれ、青年が鋭く踏み込んだ。瞬間には手刀が、鷹久の喉を狙った。
が、それは彼の片翼に逸らされた。しかし、すぐさま弐の太刀が襲いかかる。それすらも、翼のごとく広げられた鷹久の腕によって受け流される。たが相手もさるもの、二刀の手刀は舞うように切り返され、鷹久へ向かう。
それを鷹久は確実に受け流していく。
しかし、青年の斬撃は止まらない。まるで嵐のごとく、真剣のごとき閃きを感じさせる連撃が、次々に鷹久を襲う。
対して鷹久はそれを粘り強く受け流し続けた。
そして。
ビュッ!
と、鋭い音が青年へ向かう!
「チィッ?!」
この立ち会いで、初めて青年の顔が歪んだ。
迫る一撃を、辛うじて避ける。
「避けられたッ?!」
ほんのわずかな間隙を突いての蹴撃。完全に不意を突いたつもりだった一撃は、わずかに届かなかった。
互いに飛び退いて、相手を見る。
「……やるな」
「……どうも」
青年が見せる獰猛な笑みに、鷹久はそっけない。わずかな隙を見せてもいけない敵だ。当然だろう。
「……だが、そろそろ通してもらおうか」
「……させませんよ」
言葉を交わしつつ二人は腰をわずかに落とした。
「……妹は返してもらう」
「……誘拐なんてさせません」
相手をにらみながら、ふたりは身構え……おや? と眉を寄せた。
「……ま、待て。誘拐? お前達がだろう?」
「……妹って言いましたかっ?! 妹なら誘拐なんて……」
お互い混乱した様子で構えを解いた。周囲の野次馬も困惑ぎみにざわめき出す。
と、そこへ。
「おーい、タカぁ!」
「兄さん!」
綾香と赤いポニーテールの女の子が戻ってきた。