肆
ここ最近は中々寝付けず、寝起きは最悪。
昨日はあんな事があったからか上から看板が落ちてくる夢を見て、今日は飛び上がっての起床だ。
眠れた気がしない。
おかげで今日洗面所で自分の顔を見たとき、目の下がやや薄黒くなっていて不調と文字を顔に書かれた気分。
朝、いつもの交差点に俺は向かった。
未だにただの登校でさえ恐怖を引きずったままではあるが、前より少しはマシになったかな。
慣れではなく、身構えが出来てるから。
少々早く着いてしまったかもしれない、祈莉と律の姿はまだ無い。
建物の上を確認して、看板が無いところで俺は壁に凭れて待つ。
ふとその時、ガードレールの下にある花瓶が目に留まった。
ここも交差点だ、祈莉もよく通るする交差点だ。
花瓶が置いてある理由は……。
ああ、そうだ、一年くらい前にこの交差点で事故があったって祈莉が言ってたな。
妙に気になる、何か関係がある気がするのだ。
この交差点について調べてみるか?
「お、おはよう」
「今日も冴えないな、おはよう」
祈莉と律は二人仲良くご到着。律に関しては朝からとんだご挨拶をしてくれたもんだ。
「おはよう」
「元気が無いな、表情も、言葉も、雰囲気も、体全体も。肉まん一つ分けてあげようか?」
紙袋いっぱいに入った肉まんを頬張りつつ、中から一個取り出して俺に差し出してくる。
「腹は減ってない」
「だろうね」
そのまま彼女は祈莉に肉まんを手渡した、祈莉は肉まんと律の顔を交互に見て、仕方ないから食べるみたいな、そういう雰囲気で肉まんを小さなその口で食べ始めた。
まるでひまわりの種をカリカリ食べるハムスター。
祈莉に早速話を聞きたいところだったが、食べ終わるまで待つとする。
待つとしたが……忘れていたよ、祈莉は飯を食べ終わるのが非常に遅い。
肉まん一個を学校に着いた頃にようやく完食、律はもう十個を越える肉まんをとうに食べ終えてしまったというのに。
こうなったらもう教室で聞いちまおうと俺は話す機会を先送りにした、あの騒々しい玄関や下駄箱近くで話なんかできるかってんだ。
教室に入り、席に着くや俺は祈莉に声を掛けた。
「なあ、祈莉」
祈莉は何故かそわそわして、俺の瞳を一度見てまた視線を外し、小さく呼吸してから再び視線を合わせてくる。
「な、何?」
「聞きたい事があるんだけどさ」
「き、聞きたい事?」
「二月三日、交差点、この二つに心当たりはある?」
祈莉は視線を逸らした。
何も無い机に視線を落とし、首を横に振る。
心当たりは無い、無言の返答だ。
「本当に、本当に心当たりは無い?」
「……な、ない」
「俺には、嘘付かないよな」
「つ、つ、つかない……」
その動揺が、実に怪しい。
「なあ、大事な事なんだ。何でもいいから知ってる事があったら教えてくれないか?」
「な、何も知らない……」
「何か隠してるんじゃないのか?」
「か、隠してない」
「嘘だ」
「ほ、本当に何も……知らないし隠してない!」
……久しぶりだ。
祈莉が大声をあげたのは。
「び、びっくりした」
鳩が豆鉄砲を食ったような表情で律が振り向いた。
「……ご、ごめんなさい」
祈莉ははっと我に返って体を縮こまた。
「いや、俺もしつこかった。悪かったよ」
何か知っていたとしても教えてはくれないなこれは。
本当に知らないならそれでいい。
俺には言いたくない何かがあるなら、それもいい。
ただ、祈莉が何かに巻き込まれたり、危険に曝されなければ俺はそれで、いい。
「最後に一つ。あの交差点さ、一年くらい前に事故があったって言ってたよな。それについては何か知らない?」
祈莉は首を横に振る。
まいったな、落ち込ませてしまった。
怒ってはいないようだが、隣の席で黒いオーラでも出そうな雰囲気の祈莉を見ると特に悪い事などはしてないが罪悪感が心を突付く。
悪い事はしてないけど、彼女が落ち込む原因を生んだのは俺だからだ。
あとで祈莉の好きなジュースでも買ってきてやろう。
昼休みは教室で昼食を摂ったが祈莉との会話はほとんど無く、俺は居た堪れない気持ちに圧されて教室を出た。
屋上に行き、網フェンスに指を掛けて深い溜め息。
「疲れてるのかい」
「……精神的に」
声から振り向かずとも律と解るのでそのままの姿勢で俺は答える。
「制服、妙な縫い目がついてるね」
「ああこれか……昨日さ、図書館行った帰り道にいきなり看板が落ちてきて避けた時に服が裂けた」
「君は何かとデンジャラスな人生を歩んでるな」
まったくだ。
「レインコートの男と関係は?」
「解らない……。お前がいてくれりゃあ何か解ったかもしれないが」
「ふむ、気になるな……調べてやる。そのうち」
そのうちって付けられるとなんかちゃんと調べてくれるのか心配になる。
「こっちも色々と調べてるから忙しいのさ」
頼もしいけど、近くにいてくれないから心細い。
調べ事なら一緒にしたいものだね。
「それと、祈莉に今日触れて過去を読み取ってみたよ」
彼女の言葉に俺は振り返って問う。
「過去を? ど、どうだった……?」
「……一年二ヶ月前、祈莉は今日朝に合流したあの交差点に立っていた。その後花瓶を置いたのも、枯れては花瓶に新しい花を挿していたのも彼女だ」
「なら……祈莉は……」
「嘘を付いている、隠している、何かを知っている」
そう……だよな、薄々感づいてはいたけど、祈莉は俺に嘘を付いて、何かを隠していて、何かを知っている。
そうしなければならない何か大きな理由があるのだ。
「しかし多くは覗けなかった。彼女は普段から警戒心を抱いている、その感情が邪魔してうまく読み取れず、もっと長い時間触れていなければ難しい。君はどうする?」
「どうするって言っても……」
「拷問をして吐かせる、監禁して吐かせる、調教して吐かせる。薬を盛って吐かせる、若しくは睡眠薬を盛って私が読み取る。さあ、どれ?」
「さあ、どれ? じゃなくて……」
冗談で言っている、んだよな?
真顔で言われると反応に困る。
「あいつから強引に聞き出すのはあまりやりたくないな」
「でも君はすぐにでも一年二ヶ月前に戻りたいんでしょう? 近道があるのに遠回りをするのが好きなのかい?」
「あいつが自分の意思で話してくれるのを待ちたい」
「そんな余裕は無いだろうに」
確かにそうだが、祈莉の意思を捻じ曲げてまで問いたくない。
強引に問いだそうとすれば今後祈莉との交友関係に大きな亀裂を招きかねない、それだけは避けたいというのもある。
まあ、ぶっちゃけ言うと祈莉に嫌われたくないだけなんだけどね。
「仕方ない、ああ、仕方ない。私は他の交差点や落下した看板について調べるとする、君はしばらく何も調べるな」
「え? 何も?」
「そう、何も。平日は家に帰ったら外出はせず、休日も朝からテレビでも見て外出はせず、静かに暮らせ。狙われてるかもしれないのだから、警戒を高めな」
それもそうだが、調べなくちゃっていう焦燥感が俺を動かさせる。
しかし、今は従うとしよう。
またレインコートの男と出会ったり、看板が降ってこられるのは二度とごめんだ。