弐
心臓の鼓動が大きく揺さぶられた。
「な、何を言ってるんだ?」
質問の意味は疾うに理解してるのに、言うに事を欠いて意味もない返答。
「日本語」
それは解る。
それよりもしかして、もしかしたら、もしかしなくてもこいつ……。
「入学式の日、あの時一度教室にクラスメイト全員集まったけど君の姿は無かった」
「無かった……って?」
「言葉通りさ、机さえ無かったね。しかし今日は窓側一番後ろに机があって君が座った」
彼女は俺の顔をじっと見つめ、何かを確認するかのように細部まで見ていって再び口を開いた。
「私の勘違いでは絶対に無い、君は今日初めて見る。自己紹介の時間は楽田真九朗が最後につまらない自己紹介して終わったのもはっきりと憶えてる」
なんて言おう。
今、はっきりと把握できた。
その……自分がどういう状況なのかっていう事をだ。
一先ず病院に行く理由は無くなった。
俺の頭がおかしくなったのではないと、彼女は証明してくれている。
「転校生? それなら説明があるはずさ、でも担任はなんにも言わない。出席を取った時も君がクラスにいるのが当然のように。おかしいね、おかしいよ」
「……あの、さ。変な事言っていい?」
「いいよ、病院がどうたらとか変な事ばっか言ってたし今日一日挙動不審で君は変だったんだ、変な奴が変な事言っても変じゃない」
酷い言われようだが仕方がない。
「目が覚めたらさ、一年二ヶ月経ってたとか言ったら信じる?」
俺の頭がおかしくなって記憶喪失になったって話は、彼女の言葉を聞く限りその線は無いのだ。
残された結果というのは、多分……そういう事。
「実は今まで植物状態とかで入院してたり?」
「いいや、昨日は普通に過ごして普通に寝て、今日普通に起きたら一年二ヶ月後になってた」
あまり口にはしたくないが――
「……タイムスリップ、またはタイムトラベルみたいな?」
そう、彼女の言う通りそれだ。
どうしよう、病院を探す必要は無くなったから足を進めたところで帰路から逸れるだけ。
夕方の帰宅ラッシュに突入し始めて周りは重い足取りの社会人やら陽気な足取りの女子高生やらで街の方向へは足を進めたくない。
「信じないだろ? こんな話」
現に起こっていて、唯一俺に違和感を持つ人が現れても、というより君なのだけど、未だに俺はこれは夢なんじゃないかって現実逃避したくなる自分がいる。
「信じるよ」
よく素直に受け入れられるな。
彼女はふと、すぐ隣に建つ建物に視線を向けた。
喫茶店のようで、ガラス越しには女子高生達が笑顔で口へケーキや紅茶などを運ぶその風景を彼女は羨ましそうに見つめていた。
中で話す?
軽くその一言を俺は言うと食い気味で彼女は頷いて店内へ。
店内はやや満員気味で、手前窓側と奥の席が空いていたが彼女の選んだ席は奥の席。
コーヒーの香りが鼻腔を通り抜けて心地良さが心を包んでくれる。
着席してメニューを開き、俺はコーヒーを注文。
彼女は本日のお勧めメニューとサンドイッチ、ナポリタンを注文、俺の分ではなく彼女が一人で食べる分だ。
よく食う奴……。
話は再開されずにしばらくは食事が続いたので彼女の食事を観察しながら呟く。
とりあえず、喫茶店に入ったのは正解だった。
温かいコーヒーとゆったりとした時間を堪能できているからか、今は割りと落ち着いてられる。
周りの女子高生達の大音量マシンガントークには多少、眉をしかめてはしまうけど。
「満腹」
「それはよかったな」
合計三人前の食べ物が全て胃の中へ収まったのは驚愕せざるを得ないが、大食いだねーとか言ってそっちの話を広げる若しくは広がるよりももっと大事なほうの話を広げたい。
「それより、さ。色々と聞きたい事があるんだ」
「言ってみなよ、君のする質問は予想できてるけど、あえて君の口から聞いてやる」
言下に、彼女は通りかかった店員にイチゴパフェを注文。
口を開くタイミングを少し逃したものの、持ち直して俺は質問した。
「どッ……どうして君だけが気付けたんだ?」
「何に?」
「ほら、あの、説明しづらいけど、なんて言えばいいかな。周りは俺が教室に入っても誰も気にしなかったから……」
「何故だろう、私が特異者だから干渉されづらいのかもね」
「特異者?」
聞き慣れない言葉だ。
「別に超能力者でも超人でも怪人でも変人でもいい、私は特異者と呼んでるだけ」
「なんていうか……」
「中二病では無いからね」
はは、クラスに一人ほどその病気にかかった奴がいるぜ。
彼女も何か不思議な力でも使えるのかな、超能力みたいなものとか、もしかしてタイムスリップは自分も出来るとか言わないだろうな。
「どういう理屈かは知らない、けれど世の中にはそういう奴らがいて、見たいテレビのチャンネルをリモコンでぽちっと容易く押して切り替えるくらい簡単に非現実的な事をやれるんだよ」
「へ、へえ~……結構……その、特異者ってのは結構いるのか?」
是非設定を聞かせてもらいたい。
「まあね。テレビで超能力者として紹介されてる奴らはほとんどが偽者だけどその中に特異者がいる事もある」
「そんなのが本当にいるとはなあ……?」
にわかには信じ難い話だ。
「といっても私は大した事なんか出来ないけど。過去の記憶を覗くくらい、そうだな……解りやすくいうとサイコメトリー」
「サイコ……ああ、あの、触ると過去を読み取れるとかそういうのだったっけ」
大した事ないはずがない、すごい事だ。
君が本当に、その、特異者とかいう存在でサイコメトリーができるのならば、の話だがな。
時々超能力の特番とかでゲストに出てくる人の紹介でその単語を時々聞いた事はあるけど、信じてはいなかった。
「さっき握手した時に君の過去を読み取ってみたらかなりおぼろげで一年以上前の記憶しか無く最近の記憶は一切無し、とても奇妙。君の発言で確信してやべーこいつタイムスリップしてきたのかよと何気に驚愕してた」
「……本当に、本当にできるの?」
なんだろう、話しているうちに説得力が沸いてくる。
「できるさ、なんだその疑いの眼差しは。失礼だな君は。どれ、触れさせてくれたまえ」
彼女は手を差し出した。
俺をその手にそっと触れると彼女は目を閉じる。
開眼までは数秒ほど。
「今日は朝の七時二十分に起床、朝食は鮭、玉子焼き、味噌汁、白ご飯。家族との会話は君が、そういえば父さんは? そして母が、何言ってんの、宗次なら先週から単身赴任でしょ」
合っている……朝起きた時間も正確だ。
マジかよ。
心の中で、どう反応していいかわからずそう呟いて口をぽっかりと俺は開けていた。
「どうよ」
そのドヤ顔ちょっとむかつく。