君の名を呼ぶ
洞窟を抜けた先には、救出された村人たちが立ち尽くしていた。
彼らの顔には驚きと涙が入り混じっている。
「アル!」「クレア様!」
誰かが叫び、誰かが泣いた。
その声の中を、アルは一歩一歩、ゆっくりと歩いた。
クレアは、アルの背中で眠っていた。
安らかな寝息が首元に触れるたびに、アルの胸にこみ上げるものがあった。
ようやく終わった――そんな安堵と、どうしようもないほどの愛しさが混ざり合っていた。
村に戻ると、すでに人々は動き出していた。
壊れた家々を修復し、傷ついた仲間の手当てをし合いながら、それでもどこか希望の光が見える。
炎に照らされた夜の村は、まるで生き返るようだった。
アルはそんな光景を見つめながら、クレアおぶっていた。
どこで休ませるべきか迷っていたとき――リリィが駆け寄ってきた。
「アルさん! こっちです、うちに来てください!」
彼女の声に導かれ、アルはゆっくりとうなずいた。
リリィの家の前に着くころ、クレアはまだ深く眠っていた。
その寝顔は、戦場にいた時とはまるで違う。穏やかで、少女のように無防備だった。
アルは小さく息をつき、リリィに頼んだ。
「少しだけ……部屋を貸してほしい」
「もちろんです。奥の部屋をどうぞ」
案内された小部屋の扉を静かに閉める。
蝋燭の火がゆらりと揺れ、二人の影を壁に映す。
アルは慎重にクレアをベッドに下ろし、毛布をかけようとした――その瞬間。
「……アル?」
か細い声が響いた。
アルは驚いて顔を上げる。クレアが、薄く開いた瞳で彼を見つめていた。
「もう終わったよ、今は休んでて」
アルが優しく言うと、クレアはその言葉を無視するように、ゆっくりと腕を伸ばした。
そして――次の瞬間、彼の胸に飛び込んできた。
クレアの身体が震えている。
アルは驚いたまま固まったが、すぐにその肩に手を回した。
彼女は何も言わず、ただ強く、強く抱き着いてきた。
そして、小さく嗚咽がこぼれた。
「ごめんね……私……守りたかったのに……」
その声は涙に濡れていた。
アルはゆっくりと息を吸い、震える彼女の背を撫でた。
二人の間に、静寂が訪れた。
外では風が木々を揺らし、遠くで村の人々の笑い声が聞こえる。
でもこの小さな部屋の中だけは、世界が止まったように静かだった。
涙がアルの胸を濡らす。
それでも、彼は何も言わなかった。
言葉よりも確かなものが、二人の間にはあった。
長い戦いの果てに、ようやくたどり着いた安らぎ。
互いの鼓動が、確かにそこにある――その事実だけが、すべてを救っていた。
朝の光が、薄いカーテンの隙間から静かに部屋へ差し込んでいた。
窓の外では小鳥たちがさえずり、村の人々が動き出す気配が微かに聞こえる。
アルは、ぼんやりとした視界の中で、まず最初に“温もり”を感じた。
胸のあたりに、柔らかな重み。かすかに聞こえる寝息。
視線を下げると――クレアが、まだ自分の腕の中で眠っていた。
昨夜、あのまま彼女を抱きしめながら、二人とも疲れ果てて眠ってしまったのだろう。
アルは息を殺して動きを止めた。
乱れた髪が頬に触れ、微かに甘い香りがした。
クレアの長いまつげが震え、薄く開いた唇から静かな呼吸が漏れている。
戦場で見せる凛とした姿とは違う、少女のような無防備さがあった。
思わず、アルは頬が熱くなるのを感じた。
慌てて顔をそむけようとした――その瞬間。
「ん……アル……?」
寝ぼけた声。
クレアがゆっくりと目を開け、ぼんやりと彼を見上げた。
次第に状況を理解したのか、彼女の顔がみるみる赤くなる。
「な、なにこれ……!? ちょ、ちょっと……っ!」
「ま、待って! 僕じゃない! その……気づいたらこうなってたんだ!」
「う、うそぉ……」
混乱するクレアが、アルの胸を軽く叩く。だが、その力はまるで子猫のように弱かった。
沈黙。
互いに視線を逸らせず、気まずい空気が流れる。
やがて、二人とも小さく吹き出した。
「ふふっ……なんか、変な感じ」
「まったくだ。もう、心臓がもたないよ」
笑い合う声が、部屋の静けさを優しく満たす。
戦いの緊張も、悲しみも、今は遠く感じられた。
リリィが朝食を運んできた。
「おはようございます! あ、二人とも……仲良しですね!」
その一言に、クレアは真っ赤になって毛布に潜り込み、アルは苦笑しながら頭をかいた。
朝食を囲む間も、どこかぎこちない空気が続く。
それでも、リリィが席を外したあと、二人の間に静かな会話が始まった。
「ねえ、アル。昨日……私、あなたを吹き飛ばしたでしょ」
「ごめんね。本当はあんなことしたくなかったの。でも、あの時……どうしても、あなたに生きてほしいって、そう思ったの」
クレアの声は、かすかに震えていた。
アルは少し考え、穏やかに微笑んだ。
「僕、あの瞬間に分かったよ。……クレアが本気で、僕を信じてくれてるって」
「え……?」
「だから、もう謝らなくていいよ。むしろ、ありがとう」
アルの言葉に、クレアの瞳が大きく見開かれた。
胸の奥が熱くなる。涙がこぼれそうになるのを必死でこらえる。
代わりに、彼女は小さく笑った。
「ありがとう、アル。……これからも、隣にいてね」
「もちろんだよ、クレアもね」
その瞬間、ふたりの間にあった見えない壁がすっと消えた。
窓の外では、太陽が高く昇り始めていた。
あたたかな光が部屋に差し込み、二人を包み込む。
食事のあと、アルはリリィの家の外に出た。
村人たちは壊れた家を直し、笑い声を交わしながら働いている。
その光景を見て、アルは静かに息を吐いた。
(ようやく、みんなの“日常”が戻ってきたんだな……)
背後から、クレアがやってきた。
「ねえ、アル」
「ん?」
「これから……私たち、どうするの?」
「そうだな~、しばらくは村の復興を手伝って、それから――」
アルは空を見上げた。
青く澄んだ空に、白い雲がゆっくりと流れている。
「....旅の続きをしよう。この世界にはきっと、僕たちの知らないものがいっぱい待ってる。」
クレアはその横顔を見つめ、微笑んだ。
風が髪を揺らす。
「約束だからね、アル」
「うん、約束」
二人の指が、そっと絡まる。
手のひらに伝わる温もりが、未来への道を照らすようだった。
その夜。
村の広場では、小さな宴が開かれていた。
焚き火の炎が夜空を照らし、子どもたちの笑い声が響く。
クレアはその光を見つめながら、静かに呟いた。
「ねえ、アル。……生きててよかったね」
「そうだね。……クレア」
炎が二人の瞳に映り、まるで星のように輝いていた。
夜風が二人の髪を揺らし、どこまでも穏やかな時間が流れる。
この先にどんな運命が待っていようと――
今だけは、互いのぬくもりを信じていればいい。
そう、今だけは。
最後まで読んでいただきありがとうございます(*´ω`*)




