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七瀬さんと並んで座る河川敷。物理的な距離は、いつもと同じ缶チューハイ二本分。
その日の夜も、俺たちは、いつもの河川敷で、他愛のない話をしていた。虫の声や車の走行音がBGMみたいに遠くから聞こえる。
「なんかさ……俺たちっていっつもこれ飲んでない?」
俺は手の中の缶を眺めながら、ふと思ったことを口にした。
レモン味。アルコール度数7パーセント。金太郎飴のように毎回同じ物をチョイスしている。
「ん。レモン味の7パーセント。もう、私たちの制服みたいなものだね」
七瀬さんはそう言って、自分の缶を俺の缶にこつんと軽くぶつけた。乾杯の合図だ。
「他の味、試したことある?」
「あるよ」
彼女は少しだけ意地悪そうに笑った。
「グレープフルーツ味。なんか……思ってたのと違って……体に良さそうな味がしすぎた」
「『美味しくなかった』を上品に言い換えたね!?」
七瀬さんはじーっと俺の方を真顔で見て、少しして「ゲロマズだった」と更に言い換えた。
「ゲロマズ……俺も一回コーラ味に浮気したことあるけど一口で後悔したよ。甘すぎてなんか違ったんだ」
「だよね。結局これに戻ってきちゃうんだよね。ただいまー、みたいな。陽介の安心できる場所はこれなんだよ」
「俺の?」
「ん、そう。このレモン味の7パーセントが、陽介の心の故郷」
七瀬さんは壮大なことを、さも当たり前のように言う。
「レモン畑か……じゃあ、七瀬さんにとっての心の故郷もレモン畑?」
「ん。レモンが実る……レモンってどういう木になるの?」
「気になる?」
「木になるか気になるね」
七瀬さんのオーダーでレモンの木の写真を検索すると、よくある木から実がぶら下がっている画像が出てきた。
「はい、これ」
「や、普通だね」
「ま……柑橘系って考えたらそりゃそっか」
「ふふっ……確かに」
目を細めて笑う七瀬さんを見る。ふと俺の目に彼女が着ているTシャツの意味不明なロゴが飛び込んできた。
白地に黒いゴシック体ででかでかと書かれた、アルファベットの羅列。
「そういえば、そのTシャツ……なんて書いてあるの?」
俺がそう尋ねると、七瀬さんは自分の胸元を見て、きょとんとした。
「え? さあ……全然知らない。なんか、英語っぽいやつ」
「知らないで着てるの?」
「ん。私服なんてそんなもんだよ。目立たなくて、誰も覚えてないような、どうでもいい服を選ぶのが、一番だから」
どうでもいい服、か。その割にはクセが強く気になってしまう。
俺は、少しだけ身を乗り出して、そのTシャツの文字を読んでみた。
「ええと……『ONION IS THE BEST FRIEND OF LIFE』……?」
「おにおん、いず、ざ、べすとふれんど、おぶ、らいふ……?」
七瀬さんもたどたどしく俺の言葉を繰り返す。
「玉ねぎは、人生の、最高の友達……? どういうこと?」
「や……深い……のかもしれない」
七瀬さんは真剣な顔で頷いて続ける。
「どんな時も私たちの料理に寄り添ってくれる、みたいな? カレーにも、肉じゃがにも、ハンバーグにも……いつだっているでしょ、玉ねぎって」
「確かに……玉ねぎがいないと始まらない料理、結構あるもんね。最高の友達だ……」
「でしょ? 主役にはなれないけど、いないと絶対にダメな名脇役。最高の友達じゃん。好きな料理を思い浮かべてみなよ。いるはずだから」
「うーん……ピザ? いないか……」
「ん、他には?」
「あのー……餃子」
「や、それもいないね」
「ほっ、ほら! チャーハン!」
「……いないよ?」
「とんかつ……?」
「カツ丼ならギリいけたのに。陽介、わざと?」
「普通に好きなものを並べただけだよ」
「ふふっ……天然ボケ殺しだ。玉ねぎもやられちゃった」
「俺が玉ねぎを殺したの!?」
「ん。あんなに大事な友達をさ。味噌汁には欠かせないのに」
「玉ねぎが?」
「玉ねぎが」
七瀬さんは当然だといいたげに頷いた。
真顔で向かい合い、二人で耐えきれなくなり顔を見合わせて吹き出した。
腹を抱えて笑う。理由なんてない。ただ、玉ねぎの重要性について、真剣に語り合っているこの状況がおかしくてたまらなかった。
「はー……笑った。……じゃあ、私もこれからは玉ねぎへの感謝を忘れずに生きていこうかな」
七瀬は笑いすぎて目尻に溜まった涙を拭いながら、そう言ってまたケラケラと笑う。
◆
その、数日後のことだった。
仕事からの帰り道。電車の中で、スマホをいじりながら、なんとなく、ニュースサイトを眺めていた。
『【悲報】超絶美少女アイドルの夕薙凪さん、私服がダサすぎるwww』
そんな、悪意に満ちた見出しが、俺の目に飛び込んできた。
鳴海が熱狂している、あの夕薙凪。そして、七瀬さんがそのそっくりさんだという、本物のアイドル。
どんなもんかな、と、野次馬根性で、そのまとめサイトの記事を開いてみた。
そこに、一枚の写真が、貼られていた。
SNSにアップロードされたと思しき自撮り写真。そして、彼女が着ていたTシャツ。
白地に、黒いゴシック体で、でかでかと書かれた、アルファベットの羅列。
『ONION IS THE BEST FRIEND OF LIFE』
「……あぁ!」
思わず、声が漏れた。
間違いない。この前七瀬さんが着ていたのと、全く同じTシャツだ。玉ねぎのやつだ。
写真の中の夕薙凪は、どこか、居心地が悪そうに、困ったような顔をしている。
(そっか……)
俺は、スマホの画面を閉じながら、すとん、と、ひとりで納得していた。
(七瀬さん、こういうところまで忠実に……しかも現役アイドルが着ているくらいだしおしゃれなブランドの服なんだろう。すごいな……)
本物の夕薙凪がプライベートで着る、ちょっと見た目がダサいTシャツまで完璧にリサーチして自分もそれを着ている。完全に寄せに行っているとしか思えない所作にふと笑ってしまった。