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 金曜日の夜。花の金曜日、なんて言葉は、一体いつの時代のものだったか。


 俺は賑やかなチェーンの居酒屋のカウンター席の端っこで、そんなことを考えていた。目の前では、同期の鳴海千晶が、手慣れた様子で手羽先にレモンを絞っている。


「相川。あんた、最近なんか雰囲気変わったよね? 良いことでもあった?」


 鳴海は、俺の顔をじろじろと見ながら、悪戯っぽく笑った。


 入社以来、何かと気の合う同期。企画部の同僚。彼女は、明るくサバサバしていて、俺がなんでも話をできる唯一の相手だった。


「え、そうかな。自分じゃ、全然わからないけど」


「わかるって。なんか、前より楽しそうじゃん。覇気があるっていうか。まあ、前のあんたが死んだ魚の目をしてただけ、とも言うけど」


「ひどい言い草だな……」


 俺は、苦笑しながら、ぬるくなったビールを一口飲んだ。


「……実は、最近友達ができて」


 その言葉を口にした途端、鳴海の目の色が変わった。『カチッ』と彼女の、好奇心のスイッチが入る音が聞こえた気がした。


「なになに!? どんな子? その言い方は女の子だよね!? 彼女? ついに相川にも春が来た!?」


「いや、そういうのじゃなくて……アイドルのそっくりさんなんだ」


「……ほう?」


 鳴海が、山盛りのポテトサラダを口に運びかけていた箸を、ぴたりと止めた。その顔には、でかでかと「惚気てんな」と書いてある。


 俺は、少しだけお酒の力を借りて、この数週間で起きた不思議な出来事を話してみることにした。


 七瀬さんと名乗る、不思議な女性のこと。


 彼女が夕薙凪の「そっくりさん」であること。

 そして、その「そっくりさん」であることの、知られざる苦労について。


 俺が、どこか誇らしげに語り終えると、鳴海は、こめかみを指でぐりぐりと押さえながら、宇宙の真理でも考えているかのような、深いため息をついた。


「まぁ……ナギナギが無名の地下アイドル時代から追いかけてる私の前で彼女にそっくりだって言い張るメンタルは認めるとして。あんなに可愛い子がこの世に二人といると思う!? 一人でも奇跡が起こったレベルなのに、それが二人!? まったく別人よりもクローン技術が実用化されたって方がまだ信用できるんだけど!?」


 鳴海は、そこまで一気にまくし立てると、何かに気づいたように、ハッとした顔で動きを止めた。


 何かを推理するように、天井の、べたついた照明を睨みつける。


 そして、バッと効果音がつきそうな勢いで、俺に向き直った。


「……それ、ワンチャン本人って可能性ないの?」


「いやー……違うんじゃない? 夕薙凪ってクイズ番組で珍回答連発してるんでしょ? 七瀬さんはもっとこう……普通というか……若干陰キャっぽい着眼点があるというか……」


「あんたねえ!」と鳴海は、テーブルを叩くんじゃないかという勢いだ。


「テレビのキャラなんて作ってるに決まってんでしょ! 大体、そっくりさんだからって、本人のイメージ守るために気を使ってるとか意味わかんないから! どんな使命感よ!」


 がん、と鳴海がジョッキをテーブルに置く。氷が『そんな本音を言わなくても』と言いたげにカランと悲しい音を立てた。


「いい? 相川。落ち着いて聞いて。国民的アイドルが、素性を隠して河川敷で缶チューハイ飲んでるってのが前者」


「うん」


「国民的アイドルのそっくりさんで、本人のイメージを守るっていう謎の使命感に燃えてる一般人がいるってのが後者」


「うん」


「どっちが現実味あると思う?」


「うーん……」


 俺は真剣に考えた。


 そして、答える。


「後者?」


「なんでやねん!」


 鳴海のツッコミが、店内の喧騒と、揚げ物の匂いに負けないくらい、大きく響いた。


「でも、俺は『七瀬さん』に会ってるわけで……。俺にとっては、そっちが現実なんだよ。鳴海は、七瀬さんに会ったことがないから、そう言うんだ」


「じゃ、私も会いたい。その七瀬さんとやらに。そうすればハッキリするでしょ? 私が見間違えるわけないもん」


「えっ……そ、それは……」


 七瀬さんは夕薙凪アンチ。大ファンの鳴海と会ったらそのままバトルが始まるんじゃないだろうか。


 そんな危惧をしてしまい、迂闊に『会ってみる?』なんて言えない。


「なっ、鳴海の時間を使うようなことじゃないし……」


「ふーん。相川のハートをガッチリ掴む人ってだけでも気になるけどなぁ」


「べっ、別に掴まれてないけど!?」


 鳴海はジト目で俺の腕時計を指差した。


「時計、さっきからチラチラ見てるし。待ち合わせ?」


「別に。時間は決まってないよ」


「時間『は』……ね」


 鳴海は頬を膨らませながら手羽先に齧り付いた。


 ◆


 鳴海とは店を出てすぐに解散。少しだけアルコールが回った頭で、夜風が気持ちいい帰り道を一人で歩く。


 鳴海の言葉を、頭の中で反芻する。


 確かに、彼女の言うことは、正論だ。常識的に考えれば、そうなんだろう。


 でも……。


 やっぱり、違う気がする。


 もし、彼女が本当に、国民的アイドルの夕凪凪だったとしたら。俺は、あんな風に、気楽に話せただろうか。


 空に浮かぶ畳の枚数なんていう、どうでもいい話で、笑い合えただろうか。


 きっと、できなかった。


 俺が会っているのは、「国民的アイドルの夕薙凪」じゃない。


 そっくりさんであることの苦労を、少し寂しそうに、でも、芯の強さを持って話してくれた、「七瀬さん」だ。


 そんなことを考えているうちに、俺の足は、いつもの河川敷へと続く道へ、自然と向かっていた。


 金曜の夜だ。もしかしたら、なんて、淡い期待を抱いて。


 彼女は、いた。


 コンクリートの護岸に、ぽつんと、ひとりで座っていた。


 いつもと同じキャップを目深にかぶって、手には、やっぱりレモン味の缶チューハイ。


 でも、今日の彼女は、いつもと、何かが違った。


 背中が、いつもより、ずっと小さく見える。

 その周りの空気だけが、シン、と静まり返っているような……。ただ、ひとりで、寂しそうに飲んでいる。


 どうしようか。


 なんて、声をかければいいんだろう。


 俺が、一歩も動けないままそこに立ち尽くしていると、足元の小石が、からんと小さな音を立てた。


 その音に、彼女の肩がぴくっと震える。


 ゆっくりと彼女がこちらを振り返った。


 驚いたように、少しだけ見開かれた瞳。


 それが、俺の姿を捉えた次の瞬間。


 彼女の、寂しそうだった目の形が、ふわりと、三日月みたいに細められた。


 いつもより暗い中でも、彼女が満面の笑みで、にっこりと笑ってくれているのが、はっきりとわかった。


「やっほ、陽介。今日は飲み会? 遅かったね」


 その笑顔を見て、彼女の声を聞いた瞬間、俺の心の中にあった、鳴海の言葉とか、常識とか、そういうものが全部夜風に溶けてどうでもよくなった。


 俺が会いたかったのは、この笑顔だ。

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