21
「……あーあ。一週間、終わっちゃったな」
俺は飲み干した缶チューハイの空き缶を意味もなく手のひらの上で転がしながら呟いた。
隣に座る七瀬さんも「ん。ほんとだね」と静かに相槌を打つ。
金曜の夜。この河川敷での時間が俺にとっては、週末の始まりの合図になっていた。
俺は唐突に思いついたことを口にしてみることにした。
「もし、明日なんの予定もなくて、お金も時間も何もかも気にしなくていいとしたら、七瀬さんはどんな一日を過ごす?」
あまりにも子供じみた質問。彼女は、きょとんとした顔で俺を見た後、ふふっと楽しそうに笑った。
「や、急だね……陽介はどうなの?」
「質問に質問で返してくる人だ……」
「や、質問に質問で返されたら『質問に質問で返す』って定型文を返してくる人だ」
「俺が先に答えろってことね」
七瀬さんはコクリと頷き「ん。そゆこと」と言った。
俺は少しだけ考えてみる。
お金も時間も無限にある完璧な休日。その日の過ごし方を。
「そうだな……まず、昼まで寝る。誰にも起こされずに、自然に、目が覚めるまで」
「うんうん」
「で、起きたらシャワーを浴びて、そのまま神保町に行く」
「神保町?」
「そう。大きな本屋さんに入って、目的もなく、何時間も、ぶらぶらするんだ。新刊の匂いと、古い紙の匂いを、交互に、吸い込みながら。別に、何も、買わなくてもいい」
「へえ」
「で、お腹が空いたら、いつもはすごい行列ができてて諦めてる、有名なラーメン屋さんに行く。時間が無限にあるから、何時間でも並べるからね」
「わ、贅沢な時間の使い方だ」
「でしょ? で、家に帰ってきて、もう、100回くらい見た、好きな映画を、ぼーっと眺めてるうちに、ソファで、そのまま、寝落ちする。……これが俺の完璧な一日、かな」
俺のあまりにも地味で、ささやかな休日のプラン。七瀬さんは、それをとても楽しそうに聞いていた。
「ふふっ。なんか想像つく。完璧な一日だ。私もやりたい」
「俺のプランなんだけど……」
「や、一人でやるとは言ってないじゃん」
「ま……じゃあ七瀬さんのプランを聞いてから考えるよ」
俺がそう言うと彼女の目の色が変わった。
さっきまでの穏やかな表情じゃない。
まるで、ずっと心の奥にしまい込んでいた、宝箱を開けるみたいに、キラキラと目を輝かせている。
彼女は、少しだけ前のめりになって、話し始めた。その声は普段よりも少しだけ弾んでいた。
「まず、朝イチで、テーマパークに行く」
「テーマパーク!」
「そ。変装しないで。キャップも、眼鏡も、何もしないで。堂々と正面ゲートから入る」
彼女はぎゅっと拳を握りしめている。
「それで、一日中ジャンクフードだけ食べる。チュロスに、ポップコーンに、ターキーレッグに、体に悪そうな、変な色のソーダ。カロリーとか、明日のコンディションとか、むくみとか、何も気にしないで、食べたいものを、食べたいだけ食べる」
彼女の言葉には、熱がこもっていた。
普段、体型維持のために、好きなものも我慢しているんだろう。ダイエットのための食事制限はアイドルも一般人も変わらないらしい。
「乗り物は叫ぶやつに何度も乗る。声が枯れるまでね。で、パレードも待機して最前列で見る」
俺は、ただ相槌を打つのも忘れて彼女の話に引き込まれていた。
「最後はお土産。閉園時間ギリギリまでお店にいて友達とか家族とか……氷織にも、絶対にいらないって言われるような、くだらないキーホルダーとかもいっぱい買う。自分の分もちゃんと買う。両手がいっぱいになるくらい、袋をぶら下げて、一番大きい袋に入れてもらう」
そこまで、一気に話し切ると、彼女ははぁ、と、満足そうな大きなため息をついた。
既に脳内でやりたいことの経験を済ませたかのように、その顔は本当に幸せそうだった。
テーマパーク。ジャンクフード。お土産。
ほとんどの人が、当たり前に、手に入れられる、ささやかな娯楽。
でも、彼女にとっては叶えたい夢となっている。
(そっか……)
俺は、彼女のそのあまりにも切実な願望の理由をすぐに理解した。
スタイリストのアシスタントなんて、不規則な仕事だ。土日も、関係ないだろう。それに、夕薙凪のそっくりさんとして、体型を維持しなくちゃいけないプレッシャーもある。
人混みの中に行けば、騒ぎになるかもしれない。
彼女は、そのたくさんの「できない」に縛られているんだ。
俺は、彼女の、その、あまりにも、普通で、そして、あまりにも、遠い夢の話を、胸が、少しだけ、ちくりと、痛むのを感じながら、聞いていた。
「そっか……いいね。七瀬さんの、完璧な一日だ」
俺がそう言うと、夢から覚めたように彼女はハッとした顔をして、少しだけ恥ずかしそうに笑った。
「……ごめん。なんか、夢中で、話しすぎちゃった」
「ううん。聞いてて、すごく、楽しかった。いつか行けるといいね。その完璧な一日」
俺が心からそう言うと、彼女は一瞬だけ泣きそうな顔をした。そして、すぐにいつもの優しい笑顔に戻って頷いた。
「……ん。いつか、ね。ちなみにこれも一人で行くとは言ってない」
その、「いつか」が、本当に、来るのか、俺には、わからない。
でも、もし、その日が来たら、完璧な一日の、隣にいるのが俺だったらいいななんて、そんな、身の程知らずなことを少しだけ考えてしまう。
「陽介のプランは今すぐにでも実行できそうだね。する?」
「いっ、今から!?」
「や、明日……は無理か。明後日。日曜は……ん、いける。時間は決めずに寝たいだけ寝て、起きたらブックオフに行き、カップラーメンを食べて、評価の低いB級映画を見ながら寝落ちする」
「ちょっとずつグレードダウンしてない!?」
「エコノミークラスだから」
「せめてビジネスクラスにしようよ……」
「ん。じゃあお部屋の掃除しといてね。ビジネスクラス並の待遇を期待してるよ。じゃーね。また明後日」
七瀬さんはそう言って立ち上がり、おしりについた砂粒を払った。
……うちに来るってこと!?
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『駅のホームで名前も知らない美少女と二人きりで過ごす話』
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