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 あれから三日。俺は木曜日の夜も同じ場所にいた。


 初めて会ったあの日、帰り道で俺は唐突に思い出したのだ。会社の同期の鳴海が熱く語っていたアイドルの名前。『ルミナス・ティアーズ』の夕薙凪。


 あの日、河川敷で会った彼女は、鳴海がデスクに飾っていた写真の中の笑顔に驚くほどよく似ていた。


 もちろん、本人のわけがない。だから、結論はひとつだ。「そっくりさん」なんだ、と。


 そう思うと、あの不思議な出会いが、少しだけ現実味を帯びてくる。


 だから、今日も夜の河川敷に来た。


 彼女は、そこにいた。


 いつかと同じように、コンクリートの護岸にちょこんと座って、川の流れを眺めていた。


 俺は、意を決して彼女の隣に、少しだけ間をあけて腰を下ろした。


「あ……」


 俺に気づいた彼女が、小さく声を上げる。


「こんばんは」


「ど、どうも。こんばんは」


 二人して、黙って正面の夜空を見つめた。街の明かりのせいで星なんてほとんど見えない、ぼんやりとした空だ。


 各々がレモン味の7パーセントをちびちびと飲みながら、黙ったままぼーっと前を見ている。


「……あの」


 その沈黙を破ったのは、俺のほうだった。


「フェルミ推定……します?」


「ふふっ……覚えてたんですね。ま、しませんけど。ここは頭を使う場所じゃないので」


「じゃあ、どういう場所なんですか?」


 俺の質問に彼女は顎に指を当てて考え始めた。ともすればぶりっ子と言われそうな仕草も妙に様になっている。


「うーん……ただ、ゆっくりする場所です。お兄さんは?」


「俺は……『ストロングレモン』愛好家の集まりに来てるんですよ」


 缶を見せてそう言うと、彼女も缶を持ちコツンと俺の缶にぶつけてきた。


 少しして酔いが回ってきたところで気になっていたことを尋ねてみる。


「俺、あまり芸能人とか詳しくないんですけど会社の同僚がファンのアイドルがいるんです」


 俺がそう言うと、隣で女の子がビクッと肩を震わせた。


「へっ……へぇ……そうですかぁ……」


「夕薙凪って名前のアイドルです」


「あー……あはは……」


「お姉さん、その……」


「はっ、はい!」


 彼女は覚悟を決めたような顔で俺の方を向いた。だが、どこか諦めたような、寂しそうな顔にも見えた。


「その人に似てるって言われません?」


「……へ? に、似てる?」


「あ……言われないですか? 結構似てるなーって思ってて」


「あ……あー……あー!!! はいはい! 言われます言われます! 似てるって! 私、その人のそっくりさんなんです」


 彼女の言葉に、俺は心の底からほっとした。


「そっか……そっくりさんってあれですかね。ドッペルゲンガー、みたいな」


「ドッペルゲンガー……」


「3回会うと死ぬ、みたいな話の」


「や、ドッペルゲンガーが何かは知ってますけど。ふふっ……面白い発想ですね。なら、私は彼女のライブにはいけませんね。どっちが死んじゃうかは分かりませんけど」


「ファンなんですか?」


「いえ、世界一のアンチですよ」


「そっ、そんなに!?」


 絶対に同期の鳴海には会わせないほうがいいだろう。掴み合いの喧嘩に発展しかねない。


「ドッペルゲンガー……何語なんでしょうね」


「英語?」


「ドイツ語っぽくないですか? 『ドッペル』のところ」


「確かに……お、合ってますよ」


「ふふっ……やった」


 俺がスマートフォンで検索をすると、彼女は微笑みながら缶を口にした。


「俺も一つ気になってたんです。デジャブってあるじゃないですか。既視感があるような時に言う言葉。あれって――」


「フランス語ですね。デジャヴュみたいです。『う』に点々と小さい『ゆ』です」


 彼女も検索をして即座に回答してくれた。赤色の独特な形をしたスマホケースが目についた。


「でじゃ……ぶ?」


 俺がヴュを言えずに口がもたつく。


「デジャヴュ」


「でじゃ……びゅ?」


「デジャヴュ」


「ぶゅ?」


「ヴュ」


「ぶ……発音が……」


 そこで我慢できなくなったように彼女が吹き出した。


「ふはっ……確かに。なんで私は言えるんだろう。フランス人なのかな?」


「なのかなって……知りませんよ。でも、たしかに雰囲気はありますよね。クォーターとか?」


「や、お母さんがクォーターではある。お母さんのお祖父ちゃんがイギリス人で、ま、それ以外は普通に日本人」


「じゃ、ワンエイスですね」


「ワンエイスっていうんだ」


 気づけば彼女は俺とタメ口で話すようになっていた。こっちは切り替えるタイミングを失い、ずっと敬語のまま。


「そしたら……あの人もワンエイスなんですかね。そっくりさん」


「本物の方?」


「本物なのはお姉さんもそうじゃん……ないですか」


「ふふっ……もうやめたらいいのに、敬語」


「じゃ、お言葉に甘えて」


「けどすごいね。ただの一般人でそっくりさんなのに、私も本物なんだ」


「だってその人のコピーじゃないよね? 本物とか偽物とかないと思ってさ」


「確かに。それはそうだ、うん」


 彼女はしみじみと頷いた。


「『似てますね』って言われるのは嫌じゃない?」


「ま……ちょっとだけ嫌かもね」


 彼女は、少しだけ拗ねたような声で言い、手に持った缶を持ち上げた。


「そもそもアイドルが外で一人で缶チューハイを飲んでるなんてあり得ないしね」


「ま……そういうギャップでバズるというのもあるかもね」


「ポジティブだなぁ」


 彼女は笑いながら缶を口にした。もう中身がほとんどないのか、上を向いて液体を落としている。そろそろ今日も終いだろう。


「あの……いつまでも、そっくりさんって呼ぶのも、変ですよね。よかったら、名前……なんて呼べばいいか、教えてもらえませんか?」


 俺の問いに、彼女は、楽しそうに揺れていた肩の動きをぴたりと止め、じっと俺の目を見た。

 やがて、彼女は、ふっと、何かを諦めたように息を吐いた。


「……七瀬ななせ


「ななせさん」


「ん。漢数字の七に海馬瀬人の瀬」


「……ブルーアイズ?」


「ん。実際、ちょっとだけ青いんだよね」


 七瀬さんはそう言って俺の方を向いて目を見せてきた。綺麗な青みがかかった目はたしかに海外のルーツを思わせた。


「七瀬って下の名前ですか?」


「やー……どっちだろう」


「じゃあ、ナナセナナセの可能性もある?」


「あるかもしれないし、ないかもしれない。お兄さんは?」


「相川陽介」


「じゃ、陽介で」


「ってことは七瀬は下の名前?」


「ご想像にお任せするよ」


 にやりと笑って七瀬さんが立ち上がる。そのまま二人で手を振り合い、どちらからもとなく「また」と曖昧な次回の約束を交わして別々の方向へと歩いていった。


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