17
週明けの月曜日。いつもの河川敷、今日は俺が先に到着したらしく一人で座って待っていると、暗くなった頃に七瀬さんがやってきて隣りに座った。
「結婚式、どうだったの?」
俺が尋ねると、七瀬さんは少しだけ遠い目をしながら「すごく、良かったよ」と笑った。
「へぇ……やっぱりケーキカットとかやったりするの?」
「へっ!? あ、あー……う、うん! やってた! やってた! ってかさー……暑いねぇ……」
七瀬さんは強引に話を変え、ハンディファンを顔に向けた。
「まぁ……暑いよねぇ……こんな時期にこんなとこで飲まなくても……って言うわけで今日は持ってきたものがあるんだ」
俺がにっと笑ってそう言うと、七瀬さんは目を輝かせて「何?」と尋ねてきた。
「何だと思う?」
「や、『私って何歳に見えます?』クラスにダルい質問だ」
「俺、『私のMBTIなんだと思います?』って聞かれたことあるよ……」
「ふふっ……それ『私って』シリーズのラスボスでしょ。どれを言っても受け取り方によっては悪口になるもん」
「七瀬さんってINFP?」
「私のMBTI、どれだと思いますぅ?」
七瀬さんは小馬鹿にするように唇を尖らせてそう言った。二人でケラケラ笑っていると、七瀬さんは「で、何を持ってきてくれたの?」と尋ねてきた。
「あぁ……そうだった。これだよ」
俺はそう言って、コンビニの袋から小さな花火のセットを取り出した。線香花火だ。
「え……線香花火?」
七瀬さんは驚いたように目を丸くする。
「うん。そうだよ。最近暑いけど、折角外で飲むならって思ってさ」
「……陽介、やるじゃん」
彼女は、本当に嬉しそうにふわりと笑った。
酒の缶を持って立ち上がり花火ができそうな開けた場所に移動し、二人でしゃがむ。
「ね、陽介」
「何?」
「そもそもここって花火はしていいの?」
「あぁ……確かに」
二人で着火してもいいものかと困りながら再び立ち上がり、看板を探す。そこには『打ち上げ花火はご遠慮ください』と書かれた看板があった。
「打ち上げ花火『は』だから……手持ちはいいってこと?」
「や、解釈に困るね」
二人で同時に首を傾げる。ふと目があうと七瀬さんはにっと笑った。
「や、けど夕薙凪が炎上しちゃうかも。『許可されてないところで花火をしてたー!』ってさ」
「花火だけに炎上ね……」
「や、上手いこと言うじゃん。ん……あっちにやってる人いるね。いいんじゃない?」
七瀬さんが指差した先では大学生くらいのグループが手持ち花火で遊んでいるのが見えた。
二人で安心してしゃがみ込み、俺がライターで一本の線香花火の先に火をつける。ちりちりと小さな火薬の匂いが漂い始めた。
「ん……陽介、火分けて?」
七瀬さんは自分でライターを使うことはせず、俺の花火に自分の花火を近づけてきた。彼女の持つ、もう一本の線香花火の先に、そっと火を移す。
暗闇の中に、二つの、小さな、オレンジ色の光が灯った。
「花火キスだ」
「ぶっ……へ、変なこと言わないでくれる!? それに花火キスだと花火を見ながらキスしてる感じじゃない? これはキス花火だよ」
「や、それだとキスマークの花火が上がってるイメージになっちゃうよ」
「なら今のは……?」
「ん。線香キスだね」
「それは線香が――いや……もういいや」
「ね、陽介。どっちの火が、長く持つか賭けない?」
七瀬さんはいたずらを思いついた子供みたいな顔で言った。
「賭けるって……オフラインカジノってこと?」
「や、賭博罪には当たらないようにするよ。勝った方が相手に一つだけ、何でも質問できる、っていうのはどう?」
「何でも?」
「ん。何でも」
彼女は俺を試すようにふふっと笑う。
「いいよ。やろうか」
そこから、二人の間に、静かな、でも、真剣な時間が流れ始めた。
ちり、ちりちり……。
繊細な火花が、松葉のように、四方八方に、散っていく。やがて、その勢いが少しずつ弱まっていく。
ぽてりと、オレンジ色の玉が地面に落ちる。
先に消えたのは俺の火だった。彼女の火は、そこから、さらに数秒間、最後の光を懸命に振り絞っていた。
「……あ」
そして、彼女の火も静かに消えた。
「私の勝ち……だね」
彼女が、少しだけ誇らしそうに、囁くような声で、言った。
「うん。俺の負け。じゃあ、質問、どうぞ」
俺がそう言うと、彼女は何も言わない。
ただ、消えてしまった線香花火の先を、じっと見つめている。
何を聞かれるんだろう。
少しだけ、心臓がどきどきする。
やがて、彼女は顔を上げて、まっすぐに俺の目を見た。
「……もし」
彼女は、一度言葉を切った。
「もし私がどこかに行きたいって言ったら……陽介は、一緒に行ってくれる?」
それは、質問というより、ほとんど確認に近い響きを持っていた。
俺は、その、真剣な瞳から、目を逸らせなかった。
「もちろん。約束してたじゃん」
俺は間髪入れずに答えた。
「七瀬さんが行きたいところなら、どこでも」
俺の言葉に、彼女は心の底から安堵したように、ふっと、息を吐いた。
「七瀬さん、どこか行きたいところってあるの?」
俺が尋ねると、彼女は少しだけ恥ずかしそうに、でもはっきりと頷いた。
「……ん。あんまり人がいないところがいいな。できれば、遠くの……誰も、私のことを知らないような、静かな田舎町とか」
その、控えめなリクエスト。
(そっか……)
俺は、すぐにその理由を察した。
そっくりさんである彼女の苦労。
都内だと、いつ、誰に、本物の夕薙凪だと間違えられて、騒ぎになるかわからない。
だから、彼女は誰もいない遠い場所へ行きたいんだ。普通の休日を一日過ごすためだけに、そこまで、考えなければいけないなんて。
「ま、『私を知らない』って言ってたけど、要は七瀬さんを知らない……っていうか夕薙凪のことを知らないってことだよね?」
「ん……ん? ん! そっ、そうだよ……あは……あはは……」
七瀬さんは急に焦りながら微笑んだ。
「うーん……人がいないところか……」
俺は腕を組んで考える。
「じゃあさ、目的もなく、電車に乗ってみるっていうのはどう? 例えば、伊豆の方に向かう電車に乗って、海の見える景色のいい駅でふらっと、降りてみるとか。そういう旅なら、きっと、人も少ないよ」
俺の提案に、彼女が頷いた。
「ん。いいね、それ。すごくいい。行きたいな、知らない駅。週末さ、予定を空けるよ。丸1日ね」
「でっ……できるの? 前、夕方になりそうだって……」
「や、なんとかなる……はず」
「じゃあ、一旦仮で決まりだね」
「ん、仮決まり。明日には予定確定させるから待ってて。報告は……ここで」
俺たちは顔を見合わせて笑った。
実際に乗るのが何線なのか、向かうのはどの駅かも決まっていない。
でも、俺たちにとって初めての一日のデート。
線香花火の火薬の匂いが、まだ少しだけ夏の夜の空気に残っている。七瀬さんは次の線香花火2つに火を付けると「次は何を聞こうかなぁ」と言って、先に火をつけたほうを俺に手渡してきた。
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