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スタイリストのアシスタントとトップアイドルグループのメンバー。
不思議な組み合わせの二人と話すのも楽しいのかもしれないが、やはり俺は七瀬さんと二人きりで、どうでもいい話をする時間が一番好きだった。
その日も、俺たちは缶チューハイ二本分の距離を取って河川敷に腰掛け、いつもと同じように他愛のない会話を繰り返していた。
彼女がスタイリストのアシスタントという仕事をしていると知ってから、俺の中で彼女は、ただの不思議な女の子から同じ社会で働く一人の「プロ」に変わっていた。
だから、ふと聞いてみたくなった。
「ねえ、七瀬さん。職業柄、ちょっと気になったんだけど」
「ん? なに?」
「一番好きな文房具とか……こだわりってある?」
俺のあまりにも個人的でニッチな質問。
彼女は、きょとんとした後、少しだけ唇を尖らせて考え始めた。
「ふふっ、面白い質問だ」
そして、七瀬さんは少しの間をあけて答えた。
「ん……私はサインペン、かな」
「サインペン?」
俺は少し驚いた。
ボールペンとか、シャーペンとかじゃない。サインペンという少しだけ特殊な選択。
「ん。なんか、色々と書く機会が多くてさ。インクがこう……だまにならなくて、滑りが良くて、あと、すぐ乾くやつ。どんな紙に書いても、滲まないのが一番いい」
彼女の、そのあまりにも具体的で、プロフェッショナルな答え。
その瞬間、俺の頭の中で、仕事のスイッチが、カチリ、と入った。
「なるほど、速乾性か……! 確かに、大事だよね。ちなみに、持ちやすさはどう? グリップの太さとか、重さのバランスとか、気にする?」
俺は身を乗り出して彼女に詰め寄っていた。
文具メーカーに勤める会社員としての、純粋な好奇心だった。
「え、えっと……」
俺の急なモード切り替えに、七瀬さんは少しだけ戸惑っている。
「握りやすさは大事だよね。サイン――とか、ま、色々と書いてて疲れないし。今、使ってるやつは、すごくしっくりくる。軽すぎず重すぎず、っていうか」
「今、使ってるやつ?」
「ん。あ、ちょうど持ってるよ」
そう言って、彼女は自分のカバンをごそごそと探り、一本の黒いサインペンを取り出した。
「じゃーん。これ」
彼女が、俺の目の前に差し出したそのペンは
見慣れたフォルムだった。毎日目にするロゴ、キャップの先にツバメのマークがあしらわれている。
「……!」
俺は息を呑んだ。
「これ……うちの会社の商品だ」
以前、俺が企画チームの一員として、開発に関わった商品だった。
「え、そうなの!?」
七瀬さんが驚く。
「うん……俺、このペンの、グリップ部分の素材選定を担当したんだ」
「……すごっ。本当に?」
「うん。本当」
なんだこの奇跡みたいな偶然は。
じわじわと、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。
嬉しい。ただ、ひたすらに嬉しい。
俺が作ったものが、こうして彼女の一番のお気に入りとして使われている。
その事実がこれまでのどんな仕事の成功体験よりも俺の心を満たした。
「なっ、七瀬さん……なんでこのペンなの? 」
俺は興奮を隠せないまま尋ねた。
その質問に、七瀬さんは少しだけ視線を泳がせた。
「わっ、私の仕事、スタイリストのアシスタントだからさ。色んなものに名前とかメモとか書くんだよね。洋服についてるタグとか衣装を入れるビニールの袋とか、機材の入ってる段ボールとか。このペンが一番どんなものにも綺麗に書けて滲まないから。だから、ずっとこれ」
「そっか……!」
俺は彼女の言葉に大きく頷いた。
「そういう現場の声、すっごい参考になる……! タグにも、ビニールにも、弾かれずに書けるようにって、インクの開発担当が、めちゃくちゃ頑張ってたんだよ。伝わってるんだな……嬉しいな……!」
「……ふふっ。ちゃんと伝わってる。グリップもいい感じだよ」
七瀬さんはそう言って優しく笑った。
俺はその笑顔と彼女の手の中にある、俺たちが作ったペンを、交互に何度も見つめた。
俺の日常と、彼女の日常。
七瀬さんはペンのキャップを取ると、俺の手を取る。
「ね、陽介。手に書いてもいい?」
「うん。変なものじゃないなら」
七瀬さんはにやりと笑い「フリ?」と聞いてきた。
「違うよ!?」
「ふふっ、なんてね。じっとしててね」
七瀬さんは俺の手を握り、ペンを走らせる。手を握られ緊張から敏感になっているのか、ペン先にくすぐられていてむず痒い。
そんな俺の動揺はお構い無しで、授業中にノートにする落書きのような、可愛らしいデフォルメされた猫の顔を書いてくれた。
「……猫?」
「ん。猫だよ」
「なんで猫?」
「マキグソよりはマシでしょ?」
「マキグソよりはね!?」
「ふふっ……これは私と陽介。多分、交わるはずのなかった二つの世界が、一本のサインペンで繋がった。すごいことじゃない?」
七瀬さんはなんてことない事実を嬉しそうに述べて微笑んだ。
「まぁ……それは確かに」
それは運命なんていう大げさなものじゃないのかもしれない。
でも、二人にとっては、それくらい特別で嬉しい出来事だと思えるくらい、むず痒い笑いに包まれていた。
◆
翌日、鳴海とランチをとっていると、俺の手を見た鳴海がピタッと止まった。
「……どうしたの?」
「そっ……そのサイン……」
鳴海は慌てて俺の手を取って穴が空きそうなほどじっと見てきた。
「んー……? いや、違うのか。びっくりしたぁ……ナギナギのサインかと思ったよ」
「こ、この猫?」
「そうそう!」
鳴海はスマートフォンで夕薙凪のサインを見せてくれた。凪の字を崩した名前の横に可愛らしいデフォルメされた猫が描かれている。
「同じじゃない?」
「ううん。ちょっと違うんだ、これが。猫の耳の角度が違う。何回も書いてもらったから分かるんだよね」
オタク、恐るべし。思わず「へぇ……」と唸る。
「でも、七瀬さんはただのそっくりさんだし……そりゃ本人じゃないからね。筆跡は違ってくるよね」
「ふーん……ま、そりゃそっか。けどサインは練習してる、と」
「頼まれることもあるんじゃない? 似すぎてるから」
「ふーん……」
鳴海はどこか腑に落ちない表情で天井を見上げ、首を傾げていた。
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