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 ルミナスティアーズが所属する事務所、そのオフィスで私のデスクに、静かに歩み寄ってくる人影があった。


「……黒田さん。話がある」


 朝霧あさぎり氷織ひおり。アイドルグループ『ルミナス・ティアーズ』において、彼女は、極めて特異な存在だ。


 色素の薄いプラチナブロンドのショートボブ。病的なまでに白い肌と、常に眠たげな気だるい目元。泣きはらしたように赤みを帯びたその目元は、いわゆる「地雷メイク」と呼ばれるものだろう。黒を基調とした、レースやリボンが多い服装。その佇まいは、不安定で、今にも壊れてしまいそうな、危うい少女のそれだ。


 だが、私は知っている。


 ダウナーで地雷系という脆そうな外見の鎧の下に、彼女がグループの誰よりも冷静で鋭い観察眼と論理的な思考を隠し持っていることを。


 彼女はコントラストのアイドルだ。だからこそ、一部の熱狂的なファンを、惹きつけてやまない。


 氷織が、私をその感情の読めない瞳でじっと見つめる。


「何か?」


「……凪。最近、MPの消費効率が悪い。バフもすぐ切れる」


 MP。バフ。


 彼女の独特な言語を翻訳する。


 差し詰め『精神的な消耗が激しく、集中力が持続しない』といったところだろうか。


「ふむ……そうですか」


「……仕事が終わったら一目散に帰る。前は一緒にゲームしてくれたのに。この前の音楽特番の時もそうだった。楽屋でずっとスマホ見てにやにやしてた……あれは、デバフ」


 氷織の淡々とした報告。


 その内容は、私がこのところ凪に対して抱いていた懸念とほぼ一致していた。


 私は、あの河川敷の男、相川陽介の存在をすでに認知している。凪の精神安定のための、一時的なガス抜き。そう判断し今は静観の構えを取っている。


 だが、凪の状態を、誰よりも的確に観察する氷織の報告はその判断を少しだけ揺らがせた。


「行き先は、おそらくあそこでしょうね」


 私は立ち上がる。


「……何か知ってるの?」


「氷織さんも来ますか? ご自身の目で確かめていただいた方が早いかと」


「……別に、いいけど」


 氷織は、面倒くさそうに、でも、断りはせずに頷いた。


 ◆


 その夜。


 私と氷織は、問題の河川敷の、対岸にいた。


 プロ用の高性能な双眼鏡を構える。氷織は隣で体育座りをしてただ気だるそうに川の向こう岸を眺めている。


 二人は現れた。


 レンズの向こう側。河川敷に座り、楽しそうに缶チューハイを飲む凪と、相川陽介。


 私は眉間に深いしわを刻んだ。


 今日は30分前までラジオの収録があった。スタジオからここまでタクシーで30分かかる。つまり、彼女は仕事が終わるや否や彼に会いに来た。


 それほどの熱量が、そこには、ある。


 だというのに。


 あの男はなんだ?


 凪を口説くでもなく、体に触れるでもなく、ただ、馬鹿みたいに缶チューハイを飲んで、相槌を打っているだけ。


(おかしい……)


 私は、混乱していた。


 彼のあの態度は、あまりにも普通すぎる……


「……まさか凪さんの正体に本当に気づいていない? だとしても、目の前にあれほどの美少女がいるのですよ? なぜ、もっと、積極的にアプローチしないのですか……?」


 この、あまりにもプラトニックで、進展のない、ぬるま湯のような関係。


 それが私には、逆に得体の知れない不気味さに感じられた。


「……氷織さん。あなたにはあれがどう見えますか?」


 私が双眼鏡を渡しながら尋ねると、氷織は双眼鏡を覗き込み、川の向こう岸から一度も目を離さずに答えた。


「二人で変顔してる」


「……変顔?」


「うん……まぁ……見た感じだとただの友人。雑談してるだけ。あ、凪が帽子で顔隠した」


「友人と雑談、ですか。このために、わざわざ生放送の現場から飛んで帰ってきた?」


「うん……効率、悪いね。MPの無駄遣い」


 氷織のあまりにも身も蓋もない評価。


(そう、効率が悪い。あまりにも。だからこそ何かある……)


 それが私の疑念をさらに強くした。



 ◆


 その数日後のことだった。ランチタイムに、私は事前に調べておいた相川陽介の勤め先が入居するオフィスビルの入り口にいた。昼食を求めて出てきたオフィスワーカーに混ざって出てきた彼の跡をつける。


 彼はオフィスの近くにある、ランチメニューのあるカフェに一人で入ると、待ち合わせをしていたのか一人の女性と同じテーブルに向かい合って座った。


 私も慌てて店に入り、その近くの席を陣取る。


 私の、マネージャーとしての警戒心が、一瞬で、最大レベルに引き上げられる。


 彼の向かいには、派手な栗色の髪をした快活そうな女性が座っている。


 その姿に、私の背筋が凍った。


「でさぁ! ナギナギの握手会に落選したの! マジありえなくない!? 最古参の私が!」


 脳内の、膨大なファンデータベースが、高速で検索を開始する。


 鳴海千晶。


『ルミナス・ティアーズ』結成当初からの、最も熱心なファンの一人。ファンクラブの会員番号も、二桁台。ファンコミュニティの中でも、一目置かれている存在。私自身も何度かイベントで見かけたことがある。


 首から下げている社員証ホルダーの紐を見るに、二人は同じ企業で働いているようだ。


 つまり、ルミナスティアーズの最古参ファンと、相川陽介は同僚。


(……そういうこと、ですか)


 私の中で、点と点が、最悪の形で、繋がってしまった。


 偶然じゃない。


 彼は無害な一般人なんかじゃない。


 凪の最もコアなファン層と直接的な繋がりを持っている。


 そして、その事実を隠している。


(まさか……鳴海千晶は彼を使って情報を得ていた? これは、ただのファンじゃない。もっと、計画的で周到な……新しいタイプのストーカー……?)


 私の相川陽介に対する見方が180度変わった。


 無害な一般市民から、計算高く危険な潜在的脅威へ。


 私は静かにスマートフォンを取り出す。


 そして、誰にも気づかれないよう、細心の注意を払いながら、人の良さそうな顔で笑っている相川の写真を一枚撮影した。


 すぐに、電話帳から、懇意にしている調査会社の担当者の名前を、呼び出す。


 相川陽介。


 あなたの、その人の良さそうな笑顔の裏に、一体何を隠しているのですか。


 すべてを明らかにさせていただきます。



 ◆


「ね、陽介。なんか対岸の人こっち見てない?」


 七瀬さんが対岸をチラッと見てそう言った。


「えぇ……変なストーカーだったりしないよね?」


「うーん……双眼鏡かな? バードウォッチングでもしてるのかな」


「目良すぎない!?」


「視力、2.0」


 七瀬さんは自分の目を指さしてにやりと笑った。


「ね、陽介。あの人に向かって変顔してみようよ」


「な、なんでそんな煽るような真似を……」


「私たちを見ていたら威嚇になるし、見ていなかったらただ誰にも見られない変顔を披露して、その変顔はシャボン玉みたいにふわふわ~って消えていくだけ。損はしないよ」


「威嚇の結果逆上されたら大損だよ……」


「や、大丈夫大丈夫」


 七瀬さんは先陣を切って変顔で対岸を見始めた。


 俺も合わせて口をすぼめた変顔で対岸を見る。


 変顔の結果は何も変わらない。見ていたものが何なのかも不明だ。


「……で、どうなんだろう」


「ふふっ……分かんないね」


「ストーカーだったらヤバいんじゃないの? いくらそっくりさんで一般人でも……いや、むしろ危ないんじゃないの?」


「や、もしもの時は陽介を剣にするから大丈夫」


「盾じゃなくて!?」


「や、さすがにそれは申し訳ないし。罪悪感がすごい」


「剣と盾で何が違うの!?」


 七瀬さんはふふっと笑い、対岸から顔を隠すように帽子を目深に被り直した。


「ま、それだけ頼りにしてるってこと」


 口元だけ見える状態で七瀬さんはにやりと笑い、二人の間に缶チューハイを置いた。


 ―――――


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