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 花の金曜日なんて言葉は、残業で疲れ果てた頭には、もはや悪口にしか聞こえない。


 ぐったりとした体を引きずって会社を出た俺は、それでも気づけば、いつものコンビニでレモン味の缶チューハイを買っていた。


 金曜の夜だ。もしかしたら、遅くまで七瀬さんがいるかもしれない。そんな淡い期待を胸に、足は自然と河川敷へと向かっていた。


 だが、いつもの場所に彼女の姿はなかった。


 まあ、そうか。


 約束をしているわけでもない。会える方が奇跡みたいなもんだ。多分、日が沈む前まで、河川敷で一人でちびちびと飲んで帰ったに違いない。


 俺は、七瀬さんが座っていた温もりが失われたコンクリートの護岸に腰を下ろし、ちびちびと缶チューハイを飲み始めた。一口飲んでは、スマホの時計を見る。時間がやけにゆっくりと進む。


 そういえば、と思い出す。


 今日の昼間、同僚の鳴海がやけにそわそわしていた。


『ごめん、今日、お先! ナギナギのテレビ出演はリアタイしないとだから!』


 そう言って、一目散に定時で帰っていった。確か、夕薙凪の所属する『ルミナス・ティアーズ』が、大型の音楽番組に生放送で出演する日だったはずだ。


 夕薙凪のそっくりさんでアンチである彼女には関係のない話ではあるが。


 彼女自身の仕事が忙しいのだろう。何の仕事か知らないけれど大変なんだろう。


 そんなとりとめのないことを考えて、七瀬さんと会うことをほとんど諦めかけていた、その時だった。


「……はぁ、はぁ……! ご、ごめん! 遅くなった!」


 息を切らして、彼女が走ってきた。


 時計はとっくに夜の10時を過ぎている。走ってきて髪の毛は乱れているが、メイクはいつもよりバッチリ。どこか外出でもしていたんだろうか。


「なっ……七瀬さん!?」


「や……お待たせ。ずっと待ってたの?」


「いや……今日はちょっと忙しくて。むしろ七瀬さんこそ……先に来て帰ったんだと思ってたよ」


「や……私もちょっと野暮用があってさ」


 七瀬さんはそう言って俺の隣りに座り、ビニール袋から缶チューハイを取り出した。共通言語のレモンの七パーセント。


 七瀬さんはプルタブを引き、ごくごくと飲み始めた。


「……ぷはっ。あー……めっちゃ喉乾いてたんだよね。仕事の後の一杯は最高だ」


 気持ち良さそうに飲む七瀬さんを見ているとつい顔が綻んだ。会えて嬉しいという気持ちもゼロではないんだろうと思う。


「七瀬さん、忙しかったの?」


 ようやく、落ち着いた様子の彼女に、俺は尋ねた。


「ん。そうなんだよね。私……ちょっと変なのかも」


 美味しそうにチューハイを飲んだ後、彼女は、ぽつりとそう呟いた。


「もともとじゃない?」


 俺が少しだけいじわるな気持ちでそう言うと、彼女はけらけらと楽しそうに笑った。


「や、それはそうなんだけど。否定はしないんだけど。変ではあるんだけど」


 彼女は、そこで一度言葉を切る。


 そして、少しだけ照れたように続けた。


「なんかさ、仕事終わりに、気づいたら、ダッシュでここに向かってたんだよね。私」


「……」


「なんでだろ、って。タクシーの中で、ひとりで考えちゃった。変だなって」


 彼女は自分のことなのに、まるで他人事みたいに不思議そうに首を傾げている。


 その無防備な仕草に、俺の心臓が少しだけ跳ねた。


 そっか。仕事で疲れてたんだな。


 だから、一刻も早く、ここで発散したかったんだ。


 俺は、彼女のその真剣な告白を俺なりに完璧に理解した。


「そんなに、ストレス溜まってたんだ……」


 俺は心からの同情を込めて言った。


 それに対して彼女は何も言わなかった。


 ただ、どうしようもなく可笑しそうな笑みを見せるだけだった。


「……ていうか、お腹すいてない? この時間って、無性に、体に悪いものが食べたくなるんだよにゃあ」


 彼女が子供みたいに少しだけ唇を尖らせて言った。


「わかる。俺はもうコンビニ寄った時に誘惑に負けたよ」


「何買ったの?」


「アメリカンドッグ」


 俺がそう言うと、彼女は、えー! と少しだけ興奮した声を上げた。


「ね、陽介。カリカリの部分だけでいいから頂戴」


「一番いいところを要求してきたね……はい、まだ開けてないからあげるよ」


 俺はコンビニの袋からアメリカンドッグを取り出して七瀬さんに手渡す。


「や、さすがに一口目は陽介が」


「俺、晩御飯食べたから。カリカリの部分だけ残してくれたら良いからさ」


「カリカリの部分、モテモテだね。ありがと」


 七瀬さんはよほどお腹が減っていたのか、押し問答もせずにケチャップとマスタードを付けて大きな口でアメリカンドッグを頬張った。


 別に意識するようなことではないのだけど、七瀬さんが無防備に口を大きく開けて頬張るので妙にセンシティブな光景に見えてくる。


「んー……おいひぃ……やー……やっぱりアメリカンドッグは大口で頬張ってこそだよねぇ」


「そっ……そうだね……」


「普段はできないからさぁ。一回、バナナを食べてるところにモザイクをかけて変な画像に加工されたことがあって」


「えぇ……いくらそっくりさんだからってやり過ぎじゃない?」


「ね。本当に。それから職場で『人前で棒状のものを頬張る禁止令』が出ちゃってさ」


「どっ、どんな会社で働いてるの……?」


「あっ……あはは……ま、まぁ……普通の、ね?」


「そんなことしてたら一発でセクハラだけど……そっくりさんって大変だね……」


「……ふふっ。そうだよ。大変なんだ」


 七瀬さんは一瞬だけ固まり、手に持ったアメリカンドッグを俺の顔に向けた。


「陽介、口開けて」


「えっ……はむっむぐぐ……」


 言われるがままに口を開けると、そこにアメリカンドッグをねじ込まれた。


「陽介もさっき横目でチラチラ見てたの気づいてたからね〜陽介だから良いけどさ〜」


 七瀬さんはニヤニヤしながら俺の額をピン、と指で弾いた。


「しっ、視野が広いね……」


「ん。草食動物だから」


「アメリカンドッグにソーセージ入ってるけど……」


「や、ソーセージは野菜」


 七瀬さんはデブの名言のようなセリフを決め顔で言う。


「ま……何にしても陽介がいて良かった」


「お互い残業しててよかったね」


「ん。本当にそうだよ。今日ばっかりは多忙に感謝だね。これが楽しみだったからさ」


 ここに来ることは義務じゃない。そのはずなのにここに来ることが当たり前になりつつあることに気づく。


 そんな事を考えているとアメリカンドッグは根本のカリカリの部分だけになっていた。このカリカリの部分が、七瀬さんの楽しみらしい。


 俺がその部分をじっと見ていると、七瀬さんは笑いながら「食べなよ」と言ってきた。


「いいの? 楽しみだったって言ってたから……」


「ふふっ……カリカリのとこもお楽しみだけど、そういう意味じゃないよ」


 いつもよりバッチリメイクの七瀬さんは指についたケチャップを舐めながらそう言って楽しそうに笑っていた。


―――――


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