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夕景に沸く湯煙庵

 街を歩く風歌の足は、交差点の一角に構える呉服店の前で停止する。

 その店は扉がなく、外から直接店内へ入ることのできる開放的な構造をしていた。

 中の様子が隅々まで見えることで、派手なものの多いこの街の中でも存在感を確保することができている。

 

 「うーん……」


 顎に手を添え、風歌は店内に並ぶ着物を険しい顔で物色していた。

 派手すぎるのは好きじゃない。かといって無地の着物だと、今着ている橙色の着物と被ってしまう。

 唸り声を上げて悩む風歌に、一人の影が近付いていた。


 「こんにちは。どんな着物をお探しですか?」


 現れたのは、この店の者らしき老婆だった。

 丁寧なお辞儀と穏やかな微笑みによる最大限のおもてなしを行った彼女に、風歌は求めているものを尋ねる。


「今着ているのと使い分けができるようなもので、あんまり派手すぎないの。ある?」

「そうですねぇ……では、こちらに」


 風歌の要望に何か思い当たったようで、老婆は店の奥へ彼女を誘導し始めた。

 大人しく老婆の後を付いていく風歌の前に現れたのは、緑色の着物。

 鶯色(うぐいすいろ)、と言った方が正しいか。独特の深みを持ったその着物には、裾の部分に僅かな刺繍(ししゅう)が刻まれていた。

 一本の梅の枝を模したような、美しい刺繡である。

 

 「いいね。これに決めた」


 風歌は口の端を持ち上げ、即決で着物を購入した。

 



 着物の収められた平たく大きな箱を脇に抱え、風歌は再び街道をゆく。

 新しい着物は買えたものの、こんな返り血だらけの体ではせっかくの新品が台無しになってしまう。

 と、いうことで。

 彼女は今、温泉を探し求めていた。


 現在時刻は午後4時を回ったところ。温泉に入るにはまだ少し早い時間帯だが、明るいうちに入る温泉もまた乙なものである。

 殺害した人から貰った携帯端末を操作し、近くの旅館を検索した。

 



 呉服店からしばらく歩くと、地図に載っていた旅館へと到着する。

 賑やかな場所からは少し離れた、落ち着きのある街道に大きく構えられている立派な旅館だ。

 薄橙(うすだいだい)の外壁に黒柿(くろがき)色の木組みが成されたレトロな雰囲気の入口が、期待感を高まらせてくれる。


 暖簾(のれん)をくぐると、その先で反応した自動ドアがゆっくりと道を開けた。

 丁寧に敷き詰められた玄関の砂利を踏むと、その音に気付いて足音が走ってくる。


 「どうも、お待たせしま……ご予約様で?」


 駆け寄ってきた若い男の店員は、返り血で真っ赤に染まっている風歌の着物を見て一瞬言葉を詰まらせたものの、すぐに笑みを戻して予約の有無を尋ねた。

 風歌は腕を組み、困ったように口を開く。

 

 「予約はしてないけど、お湯に入りたくて」

 「あぁ、ご予約ナシでも全然大丈夫ですよ。お部屋を用意いたしますね」


 警戒しつつも気さくに言葉を返した店員は、1分もしない間に鍵を用意してくれた。

 風歌は代金を財布ごとカウンターに置き、鍵に記された部屋へと向かう。

 

 部屋はそれなりに広い和室だった。

 畳の床に丸机の置かれている簡素なレイアウトだが、ごちゃごちゃしているのが苦手な風歌にとっては丁度いい。

 

 丸机に新しい着物の入った箱を置き、部屋の隅へ泣鴉の入った鞘を立てかける。

 用意されていた浴衣とタオルを持って、大浴場へ向かった。


 まだ明るい時間帯だからか、脱衣所に入っても人の気配は全くない。

 近くにあったロッカーを開けて浴衣をハンガーに掛けると、風歌は帯を緩めて橙色の着物を脱ぎ始めた。


 着物を下ろし、雑にロッカーへ放り込んで長襦袢(ながじゅばん)の腰紐を解く。

 返り血の目立つ長襦袢を軽やかに脱いだ後、ロッカーの中で塊と化している着物の上に乗せた。

 続けて下着を外し、長襦袢と同様にロッカーへ放り込む。

 

 ロッカーを閉めて鍵を抜き、キーバンドを手首に付けながら浴場へと足を進めた。




 木々の揺れる音だけが、浴場に響いている。


 壁に囲われてはいるものの、浴場は外に生い茂る木々が賑やかに覗く様相を(てい)していた。

 木漏れる夕暮れの陽に風歌は目を細め、片手を持ち上げてそれを遮ろうとする。


 手を上げたままシャワーゾーンへと移動し、ハンドルを捻ってシャワーを浴び始めた。

 石鹸を使って全身に染み付いた血の匂いを洗い流し、さっぱりさせてから湯に浸かる。


 「はぁ~……」


 絞ったタオルを頭に乗せ、(とろ)けるような声を漏らしながら全身を沈めた。

 身体を包み込む、湯の温かさが心地良い。

 自覚していなかった節々の疲労がほぐれる感覚に、風歌の表情は自然と緩んでいく。


 永遠に浸かっていたい。そんな温かな幸福感が、彼女の脳を支配していた。


 風歌が湯に浸かり始めて少し経ち、体も十分に温まってきた頃。


 

 からから。



 静かだった浴場に、戸を引く軽い音が響く。

 夢から醒めたように意識を戻した風歌が振り返ると、既にシャワーを浴びている女性の後ろ姿があった。


 綺麗なブロンドの長髪。

 テキパキとした仕草で全身を洗い流し、体をタオルで拭きながら長髪を簡単に結っている。

 タオルを絞って簡単に畳むと、ブロンドの女性は風歌が浸かっている湯までやってきた。


 「お隣、いいかしら?」


 そう言って風歌に微笑んだ彼女は、まるで映画俳優のように整った顔をしている。肌も雪のように白く、脚も長い。

 彼女は温泉の縁にそっと畳んだタオルを添えると、脚からゆっくりと湯へ浸かった。


 「はぁ、いいお湯。やっぱりお風呂とは違った良さがあるわね~」


 彼女も風歌と同様に、蕩けるような声を漏らす。


 「あなたは温泉、よく来るの?」

 「あんまり来ないかな。今日はたまたま」


 風歌と彼女は湯に浸かったまま、軽く雑談を始めた。

 しばらくして体が十分温まった事を確認すると、風歌は腰を持ち上げて湯から出る。

 頭に乗せていたタオルで体を拭いた後、全身にタオルを巻いた。


 「それじゃ、私は出るね。ありがと」


 軽く手を振った彼女に背を向け、風歌は出口に向かって歩みを進める。

 その時だった。


 「ッ!」


 強烈な殺気を感じ、反射的に脚を曲げて姿勢を低く取る。

 直感通り、風歌の真上を『何か』が通った。


 突風の如く走っていった『何か』を目で追うと、それは木製の壁に勢いよく突き刺さる。

 十字の形で、手のひらから僅かにはみ出るくらいの大きさをした刃物――。


 手裏剣だった。


 振り返ると、先ほど和やかに雑談をしていたブロンドの女性が刀を構えて立っている。

 手裏剣に、その手に持っている脇差しよりも短い両刃の刀。


 「『忍者』か。風呂場でも武器を使うなんて、相変わらず物騒な連中だね」

 「目的のためなら手段を選ばない。それだけよ?」


 そう答えた彼女の名はアイリーン。

 忍者集団『灯治衆(ひちしゅう)』に属する、一流の忍である。

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