ペルソナ
「う・・・・」
目を覚ますと、非常灯の明かりが頼りなさげに周囲を照らしていた。
ということは、非常電源はまだ生きているようだ。
崩れ落ちた天井の石膏ボードと照明器具、倒れた什器やトルソーなどの瓦礫を確認できる。
閉店後だったので、既に売り場に客はいない。
誰も残業していなかったのだろうか?同じフロアには店員もいなかった。
「ヤマさん!いますか!?」
気を失うまで一緒だった同僚の名を叫ぶも、その声は虚しく反響した。
「どうなってる?・・・・・いや、そんなことより・・・・」
こんな緊急事態に何を考えているのだろうか?
それでも脳裏に過ったのは『あの人』のことだった。
「とにかく、向かうしか・・・・」
瓦礫で塞がった通路を確認すると、『あの人』のいる売り場までの最短距離を頭の中で描いた。
「こういう時、設備員ってのは便利だニャ」
何度も増改築や再開発を重ね、迷路のように複雑化した巨大な館内を知り尽くしている。
「急ぐニャ・・・・・」
同僚のことも、館内に残っていた人たちも心配だ。
しかし今は、『あの人』の無事を確認しなければ気が気でない。
まずは空調機械室の鍵を開けると、避難用ハッチを伝って階下に降りた。
その後も入り組んだ裏道を、瓦礫を避けながら、時には迂回を余儀なくされたが進み続けた。
早く行かなければ・・・・しかし、一体何が起こった?
・・・・揺れてもいないし、火災報知器もスプリンクラーも作動していない・・・・。
何か、嫌な予感がする・・・・。
「キャーーーーッ!!!!」
突然、近くで叫び声が聞こえた。
「放っておくわけにもいかないニャ・・・・・」
階段を滑空するように全速力で悲鳴のする方へと向かう。
人間離れしたスピードであっという間に、声の出所に到着すると一切の音を立てずに着地した。
状況は簡単に飲み込めた。
踊り場で男が女性店員2人に襲い掛かろうとしているようだ。
辛うじてシルエットを確認した程度でも理解できた。
あんなダサいファッションをしたやつがこの百貨店の人間であるはずがない。
「おい」
「うお!!!!!????」
男が懐中電灯の明かりをこちらに向けると、驚き仰け反る。
「テメー誰ニャ?」
「こっちの台詞だ!なんで猫なんだ!?」
猫は先ほどから既にブチ切れる寸前だったが、必死で堪えた。
「何わけのわかんねーこと言ってやがるニャ」
しかし深呼吸をすると、幾分が落ち着きを取り戻したようだ。
「聞くのもバカらしいがニャ、これはお前らの仕業かニャ?」
「ちっ!ひとりぐらい死んでも構わねえか」
猫は微塵も怯まない。
「・・・・・どけニャ」
猫の眼から光が消え、残虐性を帯びたドス黒い、宇宙の色へ変貌した。
「ヒッ・・・・」
男は思わず後ずさりするも、次の瞬間その思考は彼方へ消え去った。
『カコッ』
しなやかなバネで予備動作もなく跳躍すると、目にも留まらぬスピードで顎に安全靴のトゥーキックをお見舞いした。
『ドサッ・・・・』
男は声すら上げることなく崩れ落ちた・・・・・。
ピクピクと痙攣しながら泡を吹いている。
「ん。よし、生きてるニャ」
「ヒィッ!!!」
女性たちが恐怖に慄き悲鳴を上げる。それは一体、何に対してのものだったのだろうか?
「相手にしてる暇ないニャ。そのまま寝てろニャ」
猫は腰道具のポーチに入れてあったウエス(布切れ)で猿轡を作ると男の口に巻きつけ、ビニール紐で手と足を左右非対称に縛り上げた。
その間抜けな姿はまるでひっくり返った害虫のようだった。
「ありがとうございます、『●●●さん』・・・・」
百貨店内には売り場の人間は当然として、裏方の事務員や社員食堂の人間、清掃や猫たち設備系の人間に至るまで、数百人が就労しているのだ。
顔を知っていても名前はわからない人間のほうが多い。
しかし都合の良いことに、猫たち設備員は業務の性質上、館内の従業員ほとんどに顔と名前を知られている。
「隠れててもらえるかニャ?。俺は行かなければならんニャ」
猫の鬼気迫る表情に圧された女性たちは黙って頷くしかなかった。
「すぐに戻ってソイツに尋問するニャ」
女性たちは"尋問"という日常生活で使われることのない言葉に動揺を隠せないでいるが、安心を得るためにも猫に問うた。
「"尋問"って、何のためにですか・・・・・?」
「さっきお前らって言葉に反応しなかったニャ。そしてこの規模、間違いなく組織的な犯行だニャ」
猫は腰道具からマイナスドライバーを取り出しすと、女性たちに手渡した。
「何かあったらそいつを人質にするニャ」
「む、無理です!連れて行ってください!!」
「すぐに戻ると言っているニャ。足手まといニャ」
猫は諭すように言う。彼女たちが混乱していても何も変わらないのだから。
それに折角の人質を手放すわけにはいかないし、連れていくわけにも行かない。
「殺らなきゃ殺られるニャ」
彼女たちの顔から血の気が引いていくのが、薄暗い非常照明の中でもわかった。
無理もない。この異常事態でも冷静に行動している猫の方が最早、異常であった。
「すまないニャ。俺は4階に用があるニャ」
少しでも安心させるために目的地も話しておくことにした。
「すぐに戻ってくださいよ・・・・?」
女性たちも覚悟を決めたようだ。震えた声を絞り出した。
「もちろんニャ。従業員を守るのも仕事の内だニャ」
猫は跳躍すると、またもや滑空するように階段を駆け下りて行った。
---------------------
「ところであのお面、何かしら?」
「知らないわよ!突っ込める雰囲気じゃないでしょ!」
「そ、そうよね。何か理由があるはずよね・・・・」
「それにしてもリアルなお面ね・・・・」
「・・・・・・・・・・」