婚約破棄されそうなので、魔法で入れ替わってみました
王城の大ホール。
リゲル・ガッセラムドの立太子を祝う夜会が開催されている。
「ああ、ついにこの時が来てしまったわ」
金髪紅眼で可憐な15歳。
アイリス・グロウル公爵令嬢は、ひっそりと呟いた。
王太子となるリゲルは、本来であれば婚約者であるアイリスを連れて入場し、共に夜会を過ごさなければいけない。
婚約者同士の仲の良さに加え、将来安泰である事を貴族や臣下に知らしめる必要があるからだ。
しかしリゲルと共に入場したのは銀髪碧眼の妹ライラであり、ファーストダンスを踊ったのもまたライラであった。
婚約者であるアイリスは壁の花となってしまっている。
――わたくしは今日ここで、リゲル様から婚約破棄を告げられるのね。
運命の歯車が狂い始めたのは何時からだっただろうか?
そんな事を思いながら、二人が踊る様をアイリスは眺めていた。
この国の人間は、魂の一部である《生命の欠片》を母親から分け与えられて生まれてくる。生命の欠片は魔法の素養や人格形成にも影響を与える為、とても重要視されているものだ。
しかしアイリスの双子の妹であるライラには、それが受け継がれなかった。
出生時に母親が死去してしまった事が原因だと結論付けられている。
生命の欠片がない子供は短命となってしまう為、移植魔法によってライラには別の女性の生命の欠片が与えられる事となったのだが。
提供者は父親の不倫相手で母親の妹。
つまりはアイリスとライラの叔母だった。
「あそこにいるのは、王太子殿下の婚約者アイリス様ではなくて?」
「そうですわね。けれども王太子殿下はライラ様と踊っておりますわ」
「あらあら。王太子殿下に捨てられたのかしら?」
「ふふっ。アイリス様は、ご両親からも見捨てられておりますのに」
「誰からも愛されないなんて、可哀そうな御方ですわね」
アイリスに聞こえるように、令嬢達は嘲る声でヒソヒソと話す。
――お父様もお義母様も、わたくしよりライラの方が大事ですもの。
叔母と父親が再婚してからは、叔母自身の生命の欠片を持つライラだけが厚遇されている。
新たな子が生まれる事もなく、父親も叔母に倣って「ライラだけが我が子」であるかのように振舞った。
両親は怠惰なライラをリゲルの婚約者に推したが、勤勉なアイリスが選ばれた。
それは、「頼りない王子を支えてもらいたい」という王家の意向によるものだ。
――陛下はリゲル様を咎めませんのね。一時の気の迷いだとでも思っていらっしゃるのかしら。
国王夫妻にはリゲル以外の子がいない。
多少甘くなってしまうのも仕方のない事だとアイリスは考えていた。
それ以外には、特に思う事は無い。
アイリスはリゲルに恋愛感情を抱いていないからだ。
「二人のダンスも終わりましたし、そろそろ始まりそうですわね」
大々的に婚約破棄が告げられてしまえば、もう取り消しは出来ない。
だからこそ、是が非でも成功させなければいけない。
中途半端な婚約破棄をされても困るからだ。
――リゲル様の案では、陛下は婚約破棄をお認めにならないかもしれませんわ。
アイリスの考えなど露知らず、リゲルは壇上へと上がる。
「アイリス・グロウル公爵令嬢! 貴女は王妃に相応しい淑女ではない!」
「リゲル様!?」
アイリスは取り乱したフリをしながら、リゲルに近寄っていく。
「な、何故そのような事をおっしゃるのですかリゲル様!?」
「私が言わずとも、貴女は分かっているはずだ!」
――ええ。知っておりますわ。婚約破棄をしたいのでしょう?
優秀なアイリスは王子妃教育をあっさりと終えていた。
更には5ヶ国語までも難無く操る才女である。
見目の良さしか取り柄の無いリゲルにとって、アイリスという優れた婚約者は劣等感に苛まれる存在でしかない。
だからこそリゲルは怠惰なライラと気が合って、ライラの言い分を信じて婚約破棄をすると決めたのだった。
しかしアイリスの魔法の素養は、王国一の魔法使いであった母親譲りのものだ。
公爵家内で交わされたリゲルとライラの会話など、アイリスには筒抜けだった
――魔法で覗き見なんて、出来ればやりたくなかったのですけど。
公爵家内では目に余る行為が蔓延り、命の危険も溢れていた。
軽い毒を盛られそうになったら、解毒の魔法を準備しておかなければいけない。
使用人から傷つけられそうになったら、事前に回復魔法を唱える心構えをしておかなければいけない。
アイリスは邸中を魔法で監視するしかなかった。
だから今日、リゲルとライラがアイリスを陥れようとする事も知っていた。
――リゲル様はいいように言っておりますわね。
けれどアイリスは「ノートを破った」「噴水に突き落とした」などの罪では、婚約破棄にまで発展しない可能性があると思っている。
「――以上の罪により、アイリス・グロウル公爵令嬢は、私の婚約者に相応しくないと考えている!」
――やはり罪が軽いわ。少し御膳立てをしなければなりませんわね。
「リゲル様がそこまで調べられているのであれば、わたくしも言い逃れは出来ませんわね」
「そういう事だ。諦めるのだな」
「わたくしの罪は、他にもあるのでしょうか?」
「それを私の口から言わせるのか?」
リゲルはニヤリと笑った。
しかしこの笑い方は、リゲルが困っている時の癖だとアイリスは知っている。
――いくらでも捏造可能な冤罪ですら、この程度の数しか用意しておりませんのね。本当に浅慮な御方ですわ。
「リゲル様。わたくしは罪が暴かれる前に、自ら申告して罰の軽減を求めたいと思います。発言してもよろしいでしょうか?」
「い、いいだろう」
アイリスは会場を大きく見渡し、良く通る声で話し出した。
「わたくしは、妹の食事の提供を止めるように、公爵家内で指示した事が多々あります。また、妹のドレスを引き裂いた回数も数えきれません」
大きなざわめきが起こった。
「憎らしい妹の顔を傷つけようとした事もありますし、『ライラに酷い暴力を振るわれた』と嘘を吐き、涙ながらに両親に訴えた事も幾度となくあるのです」
侮蔑の表情を浮かべる者や、嘲りの視線を向ける者もいた。
その中にはアイリスの友人や知人もいる。
――わたくしは、もうこの国では生きていけませんわね。
「貴女は酷い姉だな」
「申し訳ございませんリゲル様。わたくしの不徳の致すところです」
近い場所にいるライラの顔はひくついていた。
それもそのはず、全てライラがアイリスに対して実際にやってきた事だからだ。
「そのような者を将来の国母とするわけにはいかないな」
「はい。覚悟は出来ております」
アイリスは頭を下げ、静かに呪文を唱え始めた。
《我はアイリス・グロウル。ライラ・グロウルとの転魂を望む!》
最後の1小節を唱え終わると、立ち眩みがして気が遠くなる。
一瞬後、アイリスの目線の先には金髪紅眼のアイリスがいた。
「アイリス・グロウル公爵令嬢! 貴女との婚約を破棄する!」
「……」
婚約破棄を告げられたのは、アイリスの見た目をしたライラだった。
魔法により双方の魂が入れ替わったからだ。
「まあ! アイリスお姉様が倒れてしまいましたわ!」
銀髪碧眼となったアイリスの叫びで、場が騒然となった。
――ふふっ。これからが楽しみですわねライラ。
転魂後にライラだけが倒れてしまったのは、ライラの魔力耐性が低い為だ。
義母(叔母)には魔法の素養が無い。
その義母の《生命の欠片》の影響をライラが強く受けているからだった。
△
「お父様! お義母様! わたくしはアイリスお姉様ではありませんライラです! 信じてください!」
「頭でも打ったのかお前は!」
「ライラに成り代わろうとするなんて、本当に忌々しい娘ね! 貴女の性格の悪さは姉さんにソックリだわ!」
――案の定こうなりましたわね。
ライラとなった本物のアイリスは、優雅な所作で紅茶を飲んだ。
「アイリスお姉様っ! どうして何も言ってくれませんのっ!」
「どういう事かしら? アイリスお姉様は貴女でしょう? 髪の色も目の色も、アイリスお姉様そのものではありませんか」
「違いますっ! わたくしはライラですっ!」
――ふふっ。知っておりますわ。
「お父様。お義母様。アイリスお姉様は婚約破棄のショックが大きいあまり、少しおかしくなってしまったのかもしれませんわ」
「そうだな。もう政略にも使えんし、修道院送りにするしかあるまい」
「そうよ。こんな性悪な娘なんて、修道院で更生させましょう」
「絶対に嫌ですわっ!」
アイリスは余裕のある笑みでライラを見つめた。
「お父様。わたくしはアイリスお姉様の修道院行きには反対ですわ」
「なに?」
棘のある声で怪訝な顔を見せる。
「修道院での更生なんて期待できませんもの。国外追放にするべきです」
「何ですって!」
ライラは憎悪の籠った眼差しを向ける。
「家の恥を大々的に晒して婚約破棄されたのです。王家の顔まで潰してしまったのですから、謝罪の意を示す為にも国外追放が相応しいかと」
「ふむ。そうだな」
「そんなの絶対に嫌ですわっ!」
「黙れっ! この出来損ないがっ!」
パァンと頬を打つ音が響いた。
「お、お父様?」
「お父様と呼ぶな! お前は今から我が公爵家とは無縁の人間だ!」
「そ、そんな……」
「誰か、この不義理な女を国境に送れ!」
「いや、嫌よ! 嫌よぉおおおおおおお――ッ!」
――さようならライラ。
「いやぁあああああああああ!」
執事達の手により、ライラは部屋から連れ出されていった。
5日後。
国境に放置されたライラは何者かに連れ去られて行方知れずとなる。
アイリス・グロウル公爵令嬢の名は、公爵家の系譜からも抹消される事となった。
△
アイリスは王太子のリゲルを招き、公爵家の応接室で応対していた。
「リゲル様。この度は姉のアイリスが大変ご迷惑をお掛けしました」
「いや、まあそれは別にいいんだ」
ハハッと笑って、リゲルはアイリスを見つめる。
「ライラ。私と婚約してくれないかい?」
「申し訳ございませんリゲル様」
アイリスは頭を下げた。
「何故だライラ!?」
まさか断られるとは思っていなかったリゲルは、アイリスの肩を強く掴んだ。
――ライラは満更でもなさそうでしたし、リゲル様から求婚されれば受諾するつもりでいたでしょう。けれどわたくしはライラではなくアイリスですのよ。
「公の場であのような醜態を晒してしまったのですから、我がグロウル公爵家の者が王太子妃の責を負う訳にはまいりません。それは父も了承済みです」
「そんな……」
国の定めにより公爵家の中から婚約者を選ばなければいけないリゲルは、必死の説得を繰り返した。
だがアイリスが頷く事はなく、2大公爵家の1つであるワセム公爵家から、ラフィーユ・ワセム公爵令嬢が婚約者として選ばれる。
傲慢なラフィーユの顔は、醜くただれてしまっていた。
それは、リゲルの妃の座を奪い取ろうと、禁忌の呪法を発動させた過去に起因する。
強大な魔力に守られたアイリスには呪法が通じず、行き場を失った呪力がラフィーユ自身へと向かってしまった結果だった。
公爵家の令嬢で且つ未婚なのはラフィーユしかいない為、リゲルは嫌々ながらもラフィーユとの婚姻を結ぶ。
しかしラフィーユには王妃としての資質が欠けていた。
政務を放棄し欲に溺れ、国を顧みることもない。
人心は王家から離れ、国力はゆっくりと低下していった。
だが一夫一妻制の王国の法では、有能な側妃を娶る願望も叶わない。
リゲルは、アイリスとの婚約破棄を深く後悔しながら生涯を送る事となった。
△
年が明けて16歳の成人を迎えたアイリスは、「ライラとして」グロウル公爵家を継いでいた。
「お父様。お義母様。これより領地の視察に行って参ります」
「ああ。行ってきなさい」
「気を付けるのよ」
アイリスは恭しくカーテシーをして馬車へと乗り込んだ。
住み慣れた公爵家が遠ざかっていく。
「もう此処には戻ってこれないのね」
「そうですねアイリスお嬢様」
昔からアイリス付きの侍女として働いているハンナだけは、アイリスとライラが入れ替わった事を即座に見抜いた。
その事にアイリスは驚愕していたが、見抜かれたからこそ今後について色々と相談出来たので、むしろ良かったと思っている。
「邸の皆は、これから困るかもしれないわね。助けてあげなくて本当に良かったのかしら」
「不要ですよ。使用人の身分でアイリスお嬢様を虐げていたのですから」
昔はアイリスの母が公爵家の当主を務めていたが、母の死後、使用人達は父の手によって大半が入れ替えられていた。
父は、アイリスやライラが成人を迎えるまでの代理当主でしかない。
操りやすいライラを当主に据えて傀儡にしたい思惑があり、父は聡いアイリス(中身はライラ)の国外追放にも乗り気であったのだ。
「公爵家が無くなるからといって、気に病んではいけませんよ。お嬢様」
「ごめんなさい。気を使わせてしまったみたいね」
昨日、爵位返上の手続きをした事で、グロウル公爵家は取り潰しとなっている。
気付いていないのは、邸に残っている人間達だけだ。
「それよりも、私はお嬢様が平民としてやっていけるのかが心配です。公爵の地位を捨てた事、後悔しておりませんか?」
「後悔なんてしてないわ。浮気者の父親も、意地悪な義母も、そんな状況を黙って見過ごしていた親戚も、皆わたくしには不要ですもの」
アイリスは晴れやかな顔で外を見つめる。
愛する者が誰もいない公爵家に未練はなかった。
「付いてきてくれてありがとうハンナ。心強いわ」
「アイリスお嬢様……。これからもよろしくお願いします」
馬車は街道を進んでいく。
後日、公爵家取り潰しの事実を知った関係者は、そのほとんどが路頭に迷ってしまう。
爵位返上に合わせて、父の不正をアイリスが告発していたからだ。
不正に得ていた利益は公爵家の資産から返還され、困窮者が続出する事となった。
△
ここは隣国の森にある小さな屋敷。
季節は移り、若葉の茂る春になっていた。
王都の街に出かけていたアイリスは、満面の笑顔で屋敷のドアを開ける。
5日ぶりの帰宅だった。
「ただいま帰りましたわライラ」
「お帰りアイリス。魔法の店を開く場所は決まった?」
「ええ。良い場所を紹介してもらえましたの」
「そう。良かった。これから一緒に頑張ろうね」
(見た目がアイリスの)ライラは、嬉しそうに笑った。
――ああ、癒されますわ。やっぱり、これが本当のライラなのですね。
アイリスの目の端に涙が光る。
国外追放となったライラは、この屋敷に連れてこられていた。
手引きをしたのは、アイリスが事前に依頼していた者達だ。
「最近気になった事はありませんでした?」
「そうね。アイリスが私を見て泣きそうになってるのが、今は気になるかな」
「……」
アイリスは失われた古代魔法の研究を長年続けていた。
ライラから叔母の《生命の欠片》の影響を消す為だ。
色々と調べる内に、叔母は連れ子で母親とは血の繋がりがない事を知る。
そこに活路を見出し、アイリスは転魂の魔法の知識を蓄えていった。
血の繋がりがない叔母の《生命の欠片》は、ライラには本来合わないものだ。
魂とは完全に融合していない不安定な状態となっている。
であれば、母親の《生命の欠片》の影響を強く受け続けて「正しく育った」アイリスの身体に、ライラの魂を入れてやればいい。
そうすれば、異物である叔母の《生命の欠片》は少しずつ消滅していき、代わりに体内で新たな《生命の欠片》が作られるようになる。
いずれはあるべき姿のライラになるはず――と、アイリスは長年の研究から結論付けていた。
アイリス自身は膨大な魔力を有している為、ライラの身体に転魂しようとも一切の影響を受けない。
本当の姉妹になるには、この方法しかなかった。
転魂の魔法は命に関わる大魔法であり、おいそれとは使えない。
だが、それでもアイリスは魔法の使用に踏み切った。
――ライラは、本心とは違う行動を取ってしまう事に悩んでいたはずですもの。あのまま生きていても、幸せになれたとは思えませんわ。
強大な魔力をもつアイリスは、ライラの根底に温かい魔力が流れているのを感じていたからだ。
「わたくしはもう泣きませんわ。ですからライラも、これからは泣いてはいけませんわよ」
「ふふっ。分かったわ」
ライラは偶に、自分がやってきた事を思い出して暗くなってしまう時がある。
――でも、もうそんな顔はさせませんわ。
「ライラ。これからは良い思い出が沢山増えていきますからね」
「本当に?」
「ええ」
「じゃあ私にも、アイリスとフィールズ殿下みたいな運命の出会いがあったりする?」
「な、な、何がですの? フィールズ殿下って……ええっ!?」
顔を赤くして慌てている。
アイリスが魔法屋の開業に向けて動き始めていた時。
お忍びで街に来ていたこの国の王太子と、アイリスは出会っていた。
ライラは、アイリスとフィールズの仲睦まじい様子を侍女のハンナから何度も聞かされている。
「フィ、フィールズ殿下とは、そのような関係じゃありませんのよ。偶々会う事が多かっただけですし」
「偶々会うのが何度も続くはずないでしょう? アイリスが街に入ったら、フィールズ殿下に連絡がいくようになってるのよ」
「で、ですがわたくしは平民になったのですから……」
「大丈夫よアイリス。きっと皆応援してくれるわ。だってこの国は恋愛至上主義だもの」
そんな感じで、和やかな時間が過ぎていった。
「お嬢様方。本日のディナーは何をご所望なさいますか?」
「わたくしはハンナにお任せするわ」
「では、わたくしもハンナにお任せしようかしら」
ライラがアイリスの口調を真似て告げると、姉妹は顔を見合わせて笑い合う。
アイリスとライラは、この2ヶ月後に店を開いた。
やがて魔法ショップ「アイラ」の名声は、大陸各地へと広まっていく事になる。
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