父殺しの末、覚悟
『オシリス・ガッシュベイン貴様はシシュルベイン王国反逆罪の罪で、島送りの刑に処す』
そう高らかに告げられた罪の正体は、父殺しの濡れ衣だった。
私は、これまで必至に弁明してきた。
私はやっていないと、私が父を殺すはずがないと、私にはアリバイがあると――
しかし、その抵抗も虚しく父殺しの冤罪を受け、これから流刑を受けることが決まったのだった。
疲れた――拷問を受け続け、ロクな食事もとれずに痩せ細ったその体には、あの時のような面影は残っておらず、囚人服から垣間見える細い腕には赤く、鞭や殴打の跡が痛々しくも残っていた――もう、疲れた。
彼にはもう、生きるという気力さえ残って居なかった……。度重なる拷問や詰問に精神が摩耗し、いくら鍛錬を積み上げたとしても、その心を折られるには十分だった。
――シシュルベイン王国第三皇子「オシリス・ガッシュベイン=シシュルベイン」
その名を知らぬ者など、この国にはいない……そう言ってしまえるほど彼の「軍師」としての名声は高く、“軍神オシリス”とまで貴族や、その域を超え民衆にまでその名は広がっていた。
そして、それは兄や姉でさえも例外ではなかった。
第一皇子ラサキエル、第二皇女ロザリエル――
なのに、どうして――
兄と姉から蔑むような視線を受け、オシリスは悟るのだった。
卒倒寸前の意識の中、5人の神官と4人の裁判官を見上げる。
白い、ドーム状の天井から差し込む太陽の光は、今のオシリスにとって、天啓を受けたような感覚だった。
『嗚呼、神よ――何故、貴方は私にこのような罰を与えるのか……私は国を守り、父を愛し、兄と姉を愛し、国民を……民衆をも、全てを愛し、できる限りこの全てを捧げてきた――それでも尚、神よあなたは私に罰を与えるか――』
オシリスは見上げ、天に乞う――
「――ッ?」
ふと、その一瞬脳裏に過るのは、一種の走馬灯か――
それは過去だった。
鮮明にとは言えないが、どこか、朧気に見たことのあるような光景が目に浮かぶ――
兄と姉に、使用人たちと囲まれる光景が、次々と脳裏に映し出される。
嗚呼、私はこれから死にゆく為に幻想を見ているのか――乾いた笑いが……これは嘲笑か悲愴からの笑みか、自分へ向けたものか、それとも誰かに向けたものか――
その記憶の中の一瞬。
それは、どこか引っかかるものだった。
その朧気に見えた、彼の姿は――
――そうだ、神官だ。
ココラ……ココラ・ラグサリオス――
その薄れた記憶にいたのは、幼少期からよく知る神官で――
どうして彼が――
その途端の事だった。
オシリスはただただ、時間が止まったような感覚に戸惑うのだった――何故なら、その神官が、“父を殺した真犯人”がそこにいるのだから。
「ココ……ラ……まさか――」
ガラガラに掠れ、震えた声で、その名を口にした。
――まさか、そんな、ありえない――そんなはずはないと言ってくれ。
その、「有り得ない」と思いたい気持ちとは対になって、記憶がそれを揺らぎない証拠として決定づける。
そしてそれは間違いなく――
父に最も近く、そして私達王家に最も近い存在で――この国の根幹に深く携わっていて、この国に深く信頼されている神官でもあって――
父が殺されたあの時間は教会に祈りを捧げていた。
そして、間違いなく祈りを捧げるときは、ココラが神官として近くにいた。
さらに、他の使用人や神官達もその時間帯には教会にはいない。
まさか――その時に見た彼の表情は、見たこともないほどの嘲笑にまみれ、まるで罠にかかった獲物を見るかのような光悦と下衆が入り混じった表情でこちらを見ていた――
思えば、奴隷を輸入し始めたのも彼が来てからだった。
思えば、税が苦しくなったのも彼が来てからだった。
思えば、他国の侵略を推進してきたのは彼が父に気に入られてからだった。
――思えば、この国の政治に不満が持つものが多くなったのは、彼が神官の長になってからだった。
――思えば、母が何者かに殺されたのは、彼が神官としての立場に絶対という権力を持ってからだった。
『この……裏切り者め――』
かすれた声で呟いたその次の瞬間だった。
放心して覇気のない瞳から、殺気に溢れた表情に一変する。
ガシャン――と、枷を繋ぐ鎖を勢いよく鳴らし、自身を囲う鳥かごのような檻を叩いて声にならない声で叫ぶ――
『ココラァッ!!この裏切り者がァ!!貴様がァ!!お前がッ!!父を殺したのかァ!!』
その声を聞いた傍聴席の者をはじめとした、神官や裁判官からは、動揺の声が聞こえ、中には、最後の悪足掻きと思ったのか、石を投げ込む者もいた――
「ココラ神官長……これは一体……」
「嗚呼、なんてことだ……父殺しでは飽き足らず、今度は私を売るなんて……」
「神官長、これは悪魔の仕業に違いない……」
「どうやらそのようです……これは、神官長としての最大の過ちです……彼の刑は私が責任をもって執行します……」
ダメだ――このままでは一族は滅びてしまう!!
兄が――姉が――殺されてしまう!!
それは、大袈裟にではなく本当に実現してしまいかねない可能性だった。
記憶が正しければ、確かココラは改心していて、元々異教徒だったはずだ。ならば、この国が乗っ取られるのもそう遠くない――
主導権を握る父が殺されたことで、可能性が上がってしまった――
『お兄様!お姉様!!父を殺したのは私ではなく!!ココラです!!彼は国を転覆させようと企んで――』
『いい加減にしろ!!貴様は正真正銘父を殺した悪魔だ!!』
『国を転覆しようとしたのは、貴方じゃないの、オシリス……どうして、お父様を手に掛けてしまったの……』
しかし、今のオシリスの言葉を信じる者などいなかった。
いや、それは必然とも言えた――この国は、この王家は彼と言う男を心酔している。それは、自分も例外ではなく。今、この時も信じて疑わなかった……。
王家の宗派に背かず、慈悲深く病人や老人に施しを与え、どんな身分に関係なく学を与え、そんな善なるこの男を誰が疑おうか――
悪魔を見るかのように卑下する兄。
両の手を掌で覆って咽び泣く姉。
その光景に、彼はどうしていいのかわからずにただ、立ち尽くすことしかできなかった。
このまま――このまま指を咥えて見てろと言うことなのか。
オシリスはその虚無感に、今度こそ本当の意味で絶望した――
神よ、何故――
そう天に仰いだ時。
飛び交う一つの石が彼に当たった拍子に次々とあらゆるサイズの石がオシリスを襲った……。一つ――また一つと、無抵抗の天を仰ぐ彼めがけ、鈍い音が次々と鳴る。
痛みに衝撃に、よろめいた時だった――投石が頭に当たり、それまで何とか保っていた意識だったが、今度こそその意識は、遠いてしまうのだった。
嗚呼、最後まで王家の神が助けてくれることはなかった。結局、偶像でしかないのだろうか――
王家の神に不信を抱くのは禁忌とされている。
いつだって傍にいる、だからこそいつだって救いの手を差し伸べてくださる……。
けれど、差し伸べてくれないじゃないか……。どうせ死ぬのだ、私も王家も……ならばそんなものは関係ないじゃないか……。
※※※※※
――次、目が覚めた時に見える光景は、何もない無人島なのだろう。
嗚呼、絶望だ――そう差し込む一抹の希望に似た差し込んだ光から目を閉ざし暗闇に身を落とそうとした時だった。
『聞こえますか――』
そんな声が耳元で囁かれた。
驚く余裕も気力もない――ただの幻のつもりで、声に応える。
「聞こえるよ……その声は誰だ……?」
『私は、貴方の王家の神から遣わされた女神です』
「それは有り得ないさ……私は、神に見放された……これは罰なのだ……」
『罰などではありません……試練なのです……さあ、オシリス――』
「試練……?私に?何の冗談なんだ……私はもう、王家の人間じゃない、流刑を喰らった悪魔だ……父を殺した悪魔なんだ」
『貴方は、父を殺してなんかいません……これは王家の神からの試練なのです……さあ、オシリス、今こそ立ち上がって救うのです』
「冗談じゃない……私は……」
『救うのです……ココラはあなただけの敵ではありません――王家の神の敵なのです……』
「王家の……敵?」
『はい……異国の悪魔が、王家を侵しているのです……』
「じゃあ、貴方が救えばいいじゃないか……」
『それはできません……何故ならこれは試練なのですから――さあ、立ち上がりなさい』
「いい加減にしてくれ……私は――」
そう、払いのけようとした時だった。
思い切り上体を引っ張られる感覚に驚いて、目を開くと、目の前には一人の女性が凄い顔をして叫ぶ。
『ふてくされてんじゃねえよ!!』
「あうぇっ!?」
『なんだ貴様!!こちとらお前の神とめんどくさい契約交わされて、地上に降りてきたんだぞ!!』
「え!?え!?え!?」
『メンタル粉々にされやがって!!いい?この事はあんたしか知らないの!!あんたにしかできないのよ!!あんた以外じゃできないのよ!!』
「え……で、でも」
『でもじゃねえよ!一国一世一代の危機だっつんてんだよ!!つべこべ言わずにやれよ!!』
胸ぐらを掴みそう詰め寄られ、回答を渋るオシリス……。長い沈黙の中、迷いに迷った末に導き出した答えは――
「……できません」
『はあ!?貴様!私がこれだけ必死に訴えてんのにそんなこともわからないわけ!?信じられないんだけど!!』
「いや……そう言うわけじゃないんです……でも、私には、もう……気力が、国を救おうという気にはなれないんですよ……」
オシリスは絶望していた。
何もできない……何もできないという虚無から来る、無気力でいた。もう、国だとか王家だとかもうどうでもよかったのだ。
ココラが悪魔なのかもしれないけど、それが何だと、それがどれだけ重大なことなのか知ってても、その重さなんてもう感じ取れずにいるのだった。
国を襲う悪魔をどうにかするよりもこうやって野垂れ死んでいたいのだ。
もうどうでもいいよ、ほっといてくれ――そんな彼を打ち砕いたのは彼女だった。
『――で?』
「……え?」
『それだけかって言ってんの』
「そ、それだけって……」
『本心を言えっつってんだよ!!何?さっきから国だ悪魔だなんだって、正直そんなの結果に過ぎないんだよ、本当は何がやりたんだよ!!言えよお!!』
その言葉にたじろいだ――
「わ……私は……」
『救いたいんだろ!?お兄ちゃんを!お姉ちゃんを!!』
その言葉に「はい……はい……」とただ、肯定の声を口にする。
『復讐したいんだろ!?お父さんを殺したあいつを!!』
『はい……したいです!!』
涙を流しながら、その言葉を肯定する……しかし、彼は「でも、無理だ……ッ!」と、動けず、ただ、立ち上がらずにいる。
「私、一人じゃ何もできない!!」
そう、意固地になって不可能という意思を曲げないオシリスの頬を叩いて、その声を放った。
「!?」
『立て!!自分じゃ無理か!?なら手を貸してやる……だから立て!!立つんだよ!!』
「――」
『あんた一人じゃ無理なら!!私がいるじゃない!!』
「女神さまが……?」
『ああ、私が一緒にいてあげる……そう神様から遣わされたんだし』
「分かった……やってやる……やってやりますよ――」
その差し出された手を握り、立ち上がる――
一度、諦めかけていた復讐を改めて胸に誓う――
その手を握ったままオシリスは跪いた――「一度、疑ってしまったことをどうかお許しください――その代わりに、この復讐を果たしましょう」
――神に誓って――
『じゃあ、私の力を全て与えるわ――《聖遺物》よ――私の加護を存分に使いなさい』
その途端の出来事――地鳴りのような、大きく空間が歪む音が轟いた。
「な、何の音だ!?」
『ああ、もうそろそろ時間ね……言い忘れていたけど、ここは貴方の精神世界なの』
「せ……精神世界?」
『そ、だからあんまりここには居られないのよ……ま、あんたなら大丈夫でしょ』
「ちょっと待ってください!!この後はどうなるんですか!?」
『残念ながら、意思疎通はできないのよね……まあでも貴方の中に私がいることは忘れないでね、言っとくけどあんたの思ってることは私にも神様にも筒抜けなんだからね!それだけは肝に銘じときなさいよ!』
そう釘を差す彼女に、尚の事まだ納得ができず焦るオシリスに、彼女は苦い顔をしながら「神が地上の人間に干渉しちゃいけないのよ……私はあくまで貴方の力としてでしか、貴方の内に居られないのよ、こればかりはそういうのものと受け取ってもらうしかないのよごめんなさいね」と言うが、今尚渋っている彼に苛立ちを覚え髪を鷲掴み――
『ああもう!ほんと聞き分けないわね!!無理なものは無理だって言ってるでしょうが!!』
と前後に振る――「ごごご、ごめんなさいぃぃ!!」と絶叫するオシリスに、ため息をつくと『安心しなさい、私はいつでも貴方の中に居るわ、いつでも見守ってるし、そのために遣わされたって言ってるでしょ――大丈夫よ』と微笑みかける。
そんなことをしていると段々と視界が掠れぼやけていく感覚に、焦燥感を覚えるオシリスに、彼女は依然として冷静に「あともう少しね……」と顔は見えなかったが、少し寂しそうな声色で呟くので、彼もまた寂しく感じて――
しかし時と言うのは非常で、刻一刻と空間が壊れてゆく。
もう彼女とは……もしかしたらもう会えないのかと思うと――
そう顔が曇った時、彼女は「そうだそうだ」と思い出したように話し出す。
その空間が歪み、もう消えゆく寸前にと言う最中にだ――
「この誓いを全うしたら一つ願いを叶えてあげるって言う神からの伝言……伝えたからね――『じゃあ、最後に名前だけでも教えてくれませんか』
――じゃあね、その言葉を掻き消してオシリスは彼女に詰め寄る。そんな彼に驚きながらも、彼女は今になって女神らしい微笑みを残しその名を告げるのは、消える直前の事――
『ソフィアよ……』
『ソフィ――
その名を繰り返すことなく、途端に意識が覚醒してはじめに感じるものはと言うと、じわじわと身を焦がす“砂”で――
「ソフィア……さよならも、言わせてくれねえのか――」
いや――さよならじゃ……なかったな。
そう、身体を起こし、胸に手を当てながら目の前に広がる海を見て、ただただその広大さと、潮の匂いと波の音に茫然と立ち尽くして『綺麗だ……』と零すのだった――
太陽の光と、眩しく陽の光で掠れる視界の中でオシリスは決意する。
父の仇を――故郷を――国を――自分の愛した全てを――
「復讐してやる――」
待ってろよ……ココラ・ラグサリオス――ッ!!
――これは、一人の齢18歳の父殺しの濡れ衣を着せられ、追放された青年の復讐物語。
女神からの《聖遺物》と言う名の加護を宿した彼は、奪われた故郷を、国を、信頼を奪還すべく立ち上がる。