第七話 キサラギの生い立ちとスサノオ連合皇国のレディソルジャー
銀髪の少女は前髪で隠れていない方の目を細めてキサラギに微笑みかけてくるが、何語を喋っているのか彼女は理解できずにいた。
当惑気味のキサラギは二人に向かって
「えーっと、これ判る?」と、右手を顔の横に上げ、手で”テレフォン”の形を作り二回ほど回転させるジェスチャーをして見せた。
「……◎▼××!」キサラギにとっては馴染みのない外国語のまま頷いたポニーテールのほうが歩み出て、右手を彼女の方に差し出してきた。
二人は互いの右手の親指のつけ根を意識するようにしてしっかり握手した。次の瞬間、キサラギの手首の奥から微細な電流が流れるような感覚が生れ、二人はそのまま軽い頭痛に顔をしかめつつ、ゆっくり笑顔をかわし合い
「判る……?わたしの方はだい……じょうぶ……だと……おも」キサラギの耳には今まで何とも理解不能な外国語を話していた、ポニテ少女の話す内容が徐々に聞き取れるようになっていった。
「あっ……うん、わたしの方も少し……聞き取れるようになってきた……かな?」と、キサラギもその子に返した。
今、この二人の間で交わされている、コミュニケーションは相互間同時通訳機能を持ったナノマシーンがそれぞれの言語視野を介して翻訳扶助する、自分にとって聞き慣れない言語を使う人物との円滑な会話を可能とさせるシステム。
この火星世界においては“コミュする”と呼ばれ、一般市民の間に習慣として定着していた。
その紀元は、地球の二一世紀後半において全世界的に普及した”フィフス・カンヴァセイション”と呼ばれた物で、この脳内翻訳扶助機能の技術を持ってすれば、英語を初めとするヨーロッパ系。中国、日本等の漢字圏で使われるアジア系言語等の各言語による混乱、不理解を生じさせないテクノロジーとして普及していった。
この能力を身に着けるには、先ずその対象者が六歳頃の幼少期に、ナノマシンを詰め込んだ微小なカプセルを右手の親指のつけ根に外科的な処置で埋め込む必要がある。通常ならその国の政府が無料の医療行為の一環として子供たちが通う学校での予防注射の要領で全児童を対象に行なわれる。これは孤児院といった施設においても同様に扱われた。
子供たちにしてみれば、各ウィルスへの予防接種と、特に猛悪な火星本土に土着してしまっている”ブロー・ド・マルス”へのささやかな対抗処置の他にまた一つ痛い思い出となってしまうのであるが、これは長ずれば大いに役に立つ機能となる。
この子供たちが、今のキサラギくらいの年齢に達するまでに、直に数多くの他種の言語を理解できずとも聞き流すだけで、ナノマシンが血管を通じて脳内の言語視野内に到達。そこで増殖を開始してマシン同士が繋がり広大無辺のニューロンとシナプス連携ネットワークを構築していくのである。
そして、コミュニケーションが成立していない人物同士が、握手を交わし互いのカプセルを接近させることで、システムが起動し脳内のナノマシン・ネットワーク機能が活動を開始する。
自分の方は慣れ親しんだ母国語を使って話しを始めた場合でも、それを受ける相手の脳内にあっては瞬時に翻訳機能が起動して、受け手側にはこちらが彼らの母国語を使って話しているように聞こえてくるのだった。
「あっ判るぅ?ゴメンなぁ、君ぃスサノオ人やろ?コイツ、雷電言うねん!わいは飛燕や。なぁ君が連れ取るそれ、黒い生き物はネコって言うんやろう?本物かいなぁ?」と、闊達に話しかけてきたのは、銀髪少女のほう。この娘は顔左半分を隠すように前髪を垂らしている。
「ああ、これはヒーリング・ドロイドだよ。本物のネコちゃんなんてとても飼えないよ!エサ代相当かかるって言うじゃない」と、こんな感じで一度会話と翻訳機能がちゃんとシンクロして成立すれば、今後は”コミュする”必要は無くなる。
この場合、キサラギ・スズヤは今後一生涯においても、飛燕と名乗った銀髪の少女が母国語とするスサノオ連合皇国にて使用されている日本語をフランス語に同時通訳する機能を得て、通常の会話に不自由することは無くなった事となる訳であるが。
この機能にも個人差はある。幼少時からいかに多くの他種の言語を耳から摂り入れて脳内のネットワーク構築に労力を注ぐかによって、大人になってからその個人の翻訳機能におのずと、言語の解析能力に差が生じてくるという現実的な側面もあるのだった。やはり子供の時分からの絶え間ない勉学と努力が、大人になってから物を言うのはどの時代になっても変わらないのである。
「それでも、ペットドロイドを持てるなんてお金持ちやんか。なぁ雷電」
飛燕は新しく言葉の通じる同世代の女の子と知り合えたことに、はしゃいでは隣りの雷電と呼ばれた子の髪をつかんで、ぶんぶんと振り回している。
雷電は迷惑そうにして、ややぞんざいに飛燕の手を振り払ってからキサラギに向き合って
「ゴメンなさいね。あらためて自己紹介させて。わたしは雷電。この子は飛燕っていうの。スサノオ連合皇国の出身です。変な名前と思ったでしょ?……ソルジャーネームって言うのよ。今はこれしか名乗れないの、ゴメンね」
「わたしはキサラギ・スズヤです。十六歳よ。わたしは生まれも育ちもこっち。孤児だったんだ。で、この人は私の親代わりなの」キサラギはいつの間にか自分の後ろで立っている金髪碧眼のルナン・クレールを二人に紹介した。
「やぁっ!お若いお二人さん。ルナン・クレールだ」ルナンは二人とそれぞれ握手したが、これは挨拶。彼女自身はこれまでの任務を通じてスサノオ人との邂逅を果たしていて、初めから二人の言葉を、自分の翻訳機能を介して理解はしていた。
「私も十六です。……君はもうリアルネームなんだね」雷電が目を伏せがちにしながら微笑む。
キサラギが雷電の最後の言葉の意味を聞き返そうとすると、飛燕が雷電からキサラギの手を握りなおすと
「わいはまだ十五やけんど、もうすぐ追いつくでぇ。なんや、みんな“タメ”やんけぇ」と、キサラギの腕を嬉しそうに左右に振るった。
ここでキサラギがいきなり
「ちょっと待って……。あれ?あたしは前に、マクミラン教官と”コミュ”しているわ?彼も同じスサノオ系言語なのに……なんで今回は通じなかったの?」と、甲高い声を上げて首を傾げている。
このキサラギの疑問に答えたのは飛燕の方。
「ああ、それなぁ。うちら訛りキッツイねん!せやからぁキサラギちゃんのナノマシンネットワークに一時的な不具合が生じたんやと思うわ。それでわいらとの”コミュ”が必要になったんちゃうかぁ」
キサラギはなるほどと飛燕の顔をまじまじと見つめていると、今度は雷電のほうから
「へええ……、いいとこに引き取られて運がいいんだねぇ、スズヤさんは」と、言った。
「キサラギでいいよ」キサラギは朗らかな笑顔で雷電に応えてみせた。
「なぁキサラギちゃん。そのネコ触らしてんかぁ?抱っこしたいねん」
銀髪に碧い目を持つ飛燕が、キサラギの席で、尻尾をゆらゆらさせてリラックスしているネイチャーモード状態にあるネコ型ドロイドを指さしてオネダリしてきた。
キサラギ快く飛燕にクロネコを渡す際、彼女の袖口から手の甲に紅い刺青があるのを発見した。
「おおっけっこう重いんだなぁ。雷電、みてみぃ、ゴロゴロ喉ならしてるやん!はんなり暖かいし軟らかいなぁ」飛燕は大声を上げて喜色満面になっている。
キサラギはあえて尋ねようとはしなかったが、周囲の乗客には飛燕と雷電の二人を汚い物を見る様な嫌悪の眼差しを向けているのを目端に捉えていた。
「本当なら、人間と会話もできるんだけど、軌道要塞内のゾディアックにアクセスできないから今は基本モードでしか動けないんだよ。ねぇ、向こうに自販機コーナーがあるからそっちに行かない?」
「ええよぉ!お願い。キサラギちゃんこの子、しばらく抱っこしてて構わん?」
三人は今までの席を離れてキャビンの端に常設されているスナック菓子とソフトドリンク専用のコーナーに向かうのを、ルナンは同世代の少女たちと意気投合して行動を始めた自分の妹分をしばし見つめ感慨深げにこう呟いた。
「ほんに、大きく育ったよ。あの頃はホントに更生できるのかと思ったくらいだったけど」
ルナン・クレールは彼女の背中を見つめながら現時点から約二年前、火星統合暦〇一〇二年の頃を。ルナン自身は少尉で砲術士官、相棒のアメリア・スナールは初任官でフリゲート艦『ルカン』に乗り組んでいた時のことを思い起こしていた。
「おい、ルナン。艦長のエリクソン大尉(当時)からだ。『なんでもいいから証拠品を上げて連中をしょっ引け!』だとさ……」
「ふん!そっちは発令所に居座っているだけのくせして、勝手なことを」
二人は、自由フランス共和国圏内の宙域、西部軍管区を定期パトロール中に不穏な応対をくり返して、正規フリゲート艦の追跡をのらりくらりかわそうとした一隻の小型商船を拿捕。その船内に乗り込んでの臨検のさ中にあった。
「大尉め。検挙率が上がっていないもんだから、こんなザコでもしょっ引くつもりだなぁ?……とは言え」ルナンは、自分が引き連れてきた臨検隊と共に、この手狭な船倉区画を眺めては溜め息をついた。
自分の親玉が勇んで拿捕させたものの、乗り込んでみれば大手の孫請けとも言うべき海賊もどき。そのしょぼい“シノギ”だけでは目ぼしい成果なぞ見込めそうない実状が彼女にそうさせていた。
ルナンは珍しく艦内突入用の動甲冑を装備しているが、見るからに剛の者然としているアメリアや、部隊を現場にて取り仕切っている屈強な軍曹に比べると何とも不格好。他の隊員たちからは心もとなく見られてはいたが、いたってやる気満々なのだった。
「今の所、ドラッグも、密輸該当品も出てきていない……。このままでは無罪放免で解放するしかなくなるぜ」アメリアがルナンに、一度マスクを外してから耳打ちをした。
「子供かご婦人でもどこぞに監禁でもしていれば、獄につないでやれるんだがな」
ルナンは周囲の積荷の山に視線を向けるが、何度見てもそれは小麦粉の入った袋ばかり。小麦粉でなければ馬鈴薯の粉末。いわば普通の”与太仕事”の積荷ばかりであった。
男性の軍曹に率いられた臨検隊はこの小さな商船の各所で、証拠集めに余念が無かったが、部隊長のクレール少尉のもとに、逮捕が可能な証拠品発見の報は未だに成されていなかった。
この不審船の連中も何かを隠している様子も伺えるのだが、その尻尾を出さない限りは”全員床に伏せろ!”と拘束するわけにもいかない。
ルナンも今回ばかりは致しかた無く、突入部隊の撤収をさせようと軍曹を呼びつけた時だった。この不審船の船内空気が白く濁ってきて、視界が悪くなってきた。火災報知機の類は反応を示していないが、それは見る見る周囲に広がりつつあった。
「アラート!状況ガス。マスク着用の上戦闘態勢」ルナン・クレール少尉の判断で、総勢で十名足らずの臨検隊が、マスク着用、暗視ゴーグルを起動させて小銃火器を構え臨戦態勢を取った。
もはや逃げ切れないと、自棄になったヤクザな船員が虎の子の有害ガスでも放出したのかと、ルナンは予想したのだが、不審船の船員たちですら慌てふためいているのだ。
「原因が究明されるまで容疑者を一時『キャバリエ』に収容しろ……?ナンだこれは?小麦粉か?」ルナンの防護マスクのゴーグルに白い粉末状の膜が張ったようになっていく。プロテクター付きの革製の手袋で拭えばさらさらとして有害物質とも思えない。
粉末状の物質がこの狭い空間に覆いつくし、その場にはルナンとアメリアの二人になった時。全くのいきなりに天井部付近から発火!船倉区画全体が白熱を帯びて大爆発を起こしたのだ。
その衝撃波は狭い区画を瞬時に舐めつくして、船倉のドアは吹き飛び、壁のように積まれていた他の荷物の多くをなぎ払うほどの威力を示したのだった。
ルナンとアメリアはそれぞれが床と壁に勢いよく叩きつけられたものの、グライアを着用していたため怪我は無かった。
「アメリア無事か?」
「こっちは大丈夫だ。いったい何なんだ?さっきの捜索では爆発物は検知されていないぞ」
一定の閉ざされた空間内に粉末状の物質が充満すると、電気機器から発生した火花といった微細な着火点から連鎖反応でその空間全体が爆発に包まれるといった厄介な現象となる場合がある。これを炭塵爆発と言う。
大昔の地球の炭鉱ならば、こういった事故の報告は幾度となく上がったこともあるが、二三世紀の宇宙空間。しかも宇宙船の内部で自然発生的におこる現象とは言い難かった。何らかの人為的な処置の所以であることは想像に難くはない。
ルナンは山のように積まれていた積荷が崩れ落ちた向こう側に僅かな空間が開いているのに気がついた。それは上手くカムフラージュされていて、鉄格子で出来た檻のような造りになっていた。
「……おい!そこに誰かいるのか?」
アメリアが銃を構えつつ、いまだに白く濁っている空気を掻き分けるようにして接近する中、ルナンが鉄格子状になっている空間を覆い隠すように積んである積荷を取り除いていくと、そこが人間を監禁する目的で装備された檻であることが確認できた。そして、檻の一番奥には今の爆発の影響であろう、未だに燻っている幾つものずた袋が小山のように積まれていて、さらにその下に、何かが蠢いていた。
ルナンが床面に顔を付けるようにして屈みこむと、その袋が重なっている下から二つの目がこちらを睨んでいる。
「そこにいるのは……だれだ?オオッ!」ルナンが声をかけた刹那、それはずた袋から煙と共に飛び出て、不意にルナンに挑みかかってきた。檻の格子から両の手を伸ばしてルナンのヘルメットを引っ掻こうとしている。
思わず後ずさったルナンは、発砲しようとしたアメリアを手で制してからそれが、人間でありどうやら女の子であることを見て取った。
歳の頃なら十代と思われたその少女はひどく痩せていてまた、背中まで伸びた髪はボサボサのまま。着衣はツナギ式の作業着姿であった。着衣もそこから見える肌もひどく汚れていた。ただ、この娘の戦闘意欲だけは旺盛で目付きはまさにビーストといった印象をルナンは受けた。
臨検隊の隊長であったルナン・クレール少尉は、この少女の発見にいたく満足して
「軍曹へ!容疑者の身柄を未成年者略取の現行犯で確保!」との、命令を下して臨検任務を全うさせたのだった。
この収容された少女は、先ずは医療室での検査を受けたのだが、歳を聞かれるとぼそりと十四歳であるとだけ告げた。背丈は標準より低く体重にいたっては身体を維持していくのがやっと。栄養状態は劣悪でカルシウム不足が顕著。まさにギリギリの状態で保護されたのだった。
ただ、その後に一悶着起きた。この少女は血液検査を受けている最中に医務室から逃亡。フリゲート艦内のどこかに身を潜めてしまったのだ。
艦長はルナンとアメリア、他の女子クルーたちで闖入者捜索の決定を下した。責任者は当然ながらルナン・クレール少尉とされた。
軍医の話だと、この放浪少女は臨検した海賊の下請け連中からの陵辱行為は受けておらず、血液と尿検査からドラッグ常習者でもないとの事。
「ルナン、連中の証言だとな、あの娘は偽造カードを使って勝手に潜り込み、食料を掠めとるやらあっちこっちで排泄して困り果てたそうだ。無賃船舶常習者俗にいうシップドリフターって奴だ」艦内通路を捜索中にアメリアからの報告に頷くルナンに彼女は続けて
「結局、連中がやっとの思いで捕まえても臭いし、汚いし大層暴れるので、取りあえず家畜運搬用の檻に押し込んだ所で」と、あの子が檻に放り込まれていた経緯を話した。
「オレ達に見とがめられて、マズいと思った奴らは小麦粉袋の壁で隠したって所かな」これでルナンは事の顛末を結び、同輩は頷いてみせた。
まるで、街中で行方不明の子猫を探すようにして艦内を懐中電灯片手に捜索しているとすぐに所在は明らかになった。そこは複座型の偵察機が収納されている、船底部に近い発進用デッキ。
艦内の緊急警報で侵入者有りの通報と、何者かが無断で偵察機の発進コードを起動させていることが明らかとなったからだ。
大急ぎで艦内を疾走するルナンとアメリアの下に、迂闊にも医療チームたちはこの少女の持ち物までには気が回らず、逃げ出す際に彼女の手の届くところに、その娘が培ってきた技術の結晶である偽造カードの束を残していたことが告げられた。
「マヌケ!」悪態をついたルナンたちが、問題がおきているデッキに到着すると、発進カタパルトの鉄製軌道レール上、エンジンをアイドリング状態にさせている偵察機のコクピットにはあの薄汚れたツナギ服の少女が。
そこに勤務中であった三名のクルーが床に突っ伏したまま、ピクリとも動かない状態であった。ルナンとアメリアがクルーたちの脈をとると命に別状は無いようではある。
なんとこの放浪少女は、たった一人で屈強な男三人を瞬時に組み伏せて、その部署のコントロールを完全に奪ったばかりか、パイロット席から偽造カードを用いて発進コードをハッキング。強引に機体の立ち上げを成功させたことは推察できた。
更に彼女はコクピット最後部にある球形の機銃座を旋回させて、何者も近寄らせまいと機銃用の照準レーザーを二人に当てて来ていた。
「すげえな……。これをたった一人でかよ」こう驚嘆の声をあげたアメリアは、自分が携帯している銃を構えて照準を正確に偵察機の前部座席に居座る少女の頭部に据えた。
「ルナン……お前の合図で撃つ!このままではこの艦その物が危うい」
「来てみろぉー!ぶっ放すぞぉ、本気だからな!」少女はこのフリゲート艦に移ってから初めてはっきりとした意思表示を言葉で示した。保護した時は衰弱が顕著だったが、未だに野獣の様な戦闘精神は健在のようであった。
「アメリア、オレのグライアを解除してくれ。ジャマだ」ルナンはレーザーによる照準を受けながら親指で自分の着込んでいる動甲冑を指し示した。
「本気か?……どうなっても知らんぞ」
アメリアはルナンのプロテクターの肩部にある留金型フックを外して胸部アーマー解除を手伝ってやった。威圧的なマスクとヘルメット、更には腰の周囲をガードしている装甲を外してしまうと、その下からはライトグレイ色でツナギ式の装備服(宇宙服、あるいは戦闘用の動甲冑装着時に下に着込む準備服であり、生命維持装置用のシート型センサー、体温調節用の簡易ヒーター等を装備している)姿になった。
この出で立ちになると、偵察機を占拠している脱走少女にも追跡者が自分と同じ女性であることが伺い知れるはずであった。
「さぁ……君とさっき、檻の前で初対面したお姉さんだよ。近くに行ってもいいかな?」ルナンは、申し訳程度に膨らんだバストと括れた腰のラインを強調させるようにして数歩前へ出た。その前に外した胸部アーマーの背嚢から非常食のミネラルウォーターと乾パンの入ったパックを、両の手に持って。
「女だったのかよ。てっきり小さいオッサンかと思ったぜ」少女は巧みにコクピット内の機器を操作して後部機銃座の予熱を開始させ、辺りにはモーターの稼動音が響き始めた。
「その『サンダー・ボール』はくれてやる!ただ……」
「あたしはこの手の機械の扱いは慣れてんだ!言われなくても好きにさせてもらう!女海賊の手に掛かるかよ。”女郎屋行き”はゴメンだってんだぁ!」
「ほらッ!乾パンと水だ。キャノピーを開けろ。投げてやるから先ずはゆっくり食え!」
食い物と聞いて少女は真っ先にコクピットの気密状態を解いた。ルナンがすかさず水と食い物を、その真下から放ってやると、上手に少女は二つとも機内へとつかみ入れた。
ルナンが昇降用ラダーの近くに歩み寄っても、コクピットを占拠している少女は自分の飢えを満たすのに夢中のようだった。
「少々、聞きたいことがある。まずはここのスタッフを打ち倒したのは君か?」このルナンの問いに少女は口をもごもごさせながらそうだと認めた。
「……そうか、ではもう一つ聞こう。あの炭塵爆発を起こさせたのも君なのか?」
「う、げほぉ…お、檻の周りには小麦粉みたいな粉末の袋が積んであった。ああいう家畜移送用の檻の上には設計上換気用ファンが常備されているのは知っていたから……一か八かだった。格子の部分をよじ登ってから、自分のナイフで天井部のファンを回している配線の一部をショートさせたんだ……」何度か咳き込みながらも食べる手を休めようとしない少女は、自分のサボタージュを白状してみせた。
「危なっかしいことを…オーケー。後一つ誤解を解いておこう。この船は海賊船じゃない。海軍のフリゲート艦だ。我々は正規軍なんだぜ。君はもう安全に保護されたんだよ。そして、オレはルナン・クレール少尉って言うんだ」
ルナンの耳に少女がコクピット内で、またむせ返っている音が伝わってきた。
このあとルナンは未だに銃を構えて狙撃ポジションのままで待機している、長身痩躯の女子隊員を顎を振るようにして、指し示して
「彼女はアメリア・スナール准尉。アメリア銃を降ろせ!……ヨシッもう大丈夫だぞ。オレが見張っててやる存分に食べるといい」ルナンは複座偵察機『サンダー・ボール』に備え付けてあるラダーを慎重に昇って、自分の視界にコクピット内の少女を捉えた。彼女は乾パンのパックを握りしめて、泣いていた。
「ちくしょう!判ってたんだよぉー。いつかはこうなるって……今のままじゃ立ち行かなくなるって事ぐらいわかってるんだよぉ……」泣きつづけるこの娘は顔を涙と鼻水だらけにしながらも、感情を爆発させ続けた。
「でも……イヤなんだよぉ!連中に捕まったら客を取らされちゃうんだよ!あ、あたしがお世話してきた姐さんたちはみんな結局は酒か、ドラッグでぇ……おかしくなってぇぇ」
ルナンは黙って泣きじゃくる少女を刺激しないよう恐る恐る手を伸ばし、娘の頭に軽く触れてからゆっくりと背中まで何回も撫でてあげたのだった。
「もう少し、落ち着いてからでいいから。このまま発進しても構わないし、オレ達に身柄を預けてくれてもいい。……後は君が自分で決めてくれ」こう言うなりルナンはコクピットに少女を残したままラダーを降りた。しばらくは泣きじゃくる声と鼻水をすする音が機内からルナンの頭上へと洩れ聞こえて来ていた。ルナンの傍にアメリアが近寄ってきて耳元で囁いた。
「狙撃班が定位置に付いた。いつでも撃てる」冷酷な報告を入れてきた相棒に、ルナンは険しい眼差しを向けて下がらせるよう手でジェスチャーして見せたその時だった。
「あたし勉強が……したいんです。……できればいろんな資格が取れる訓練校に行きたい。自分に何が足りないか……もうイヤと言うほど思い知らされました。…あの少尉さん、あたしを”お店”に戻したりしませんか?」先刻よりかは大分しおらしくなって落ち着いた声が頭上から降ってきたので、二人がコクピットを仰ぎ見れば、目を真っ赤にさせた少女が顔を覗かせてこちらを見ている。
「約束しよう。できるだけのことはさせてもらうよ。で、どうするかね?」
ルナンは未だにこの時の、ノラ猫のように薄汚れた格好をしていても、どこか溌剌としていて、生気に溢れた少女の笑顔を時たま思い出すことがある。彼女は
「ハイ、投降します。但しルナン・クレールさんあなたの下なら」と言うとコクピットから跳び降りて、ルナンの胸元にダイブしてきた。
少女を抱きとめたルナンは身体の割にはずっしりとした重量によろめいたが、その娘がかもし出すかび臭いやら汗臭い匂いを放つ頭髪をなでながら
「今日の選択は、これからの長い君の人生で”最良の一つ”になったって感じる時がきっと来ると、オレは思うよ」と、言った。
ルナンはこうして、ようやくこの少女を説得して投降させることに成功したのだった。これが、後にルナン・クレールの同居人となったキサラギ・スズヤとの出会いであった。
フリゲート艦『キャバリエ』の本拠地となる軌道要塞『ディジョン・ド・マルス』までの航宙の間に、この少女は満足できる食事と衛生的な生活環境に恵まれると、ルナンをはじめ女子隊員たちと打ち解けて自分のこれまでの身の上などを話し始めた。
この少女は、自らをキサラギ・スズヤと名乗った。歳は、MD:〇〇八八年生まれの十四歳。生まれついての孤児で、軌道要塞『ノルマンディ』内ヌーヴォー・ルアーブル市でキリスト教会が運営する聖ヨハンネス養護院で養育されていたと言う。
照会してみれば確かに聖ヨハンネス養護院のポール・サヴァティエ保護士が親代わりとして登録されており、十一歳まではそこでの施設暮らしの中で小・中学校程度の教育は受けていた。この娘は施設内での職業訓練課程ではPCを使っての作業が群を抜くほど優秀であったため、民生委員の口利きで市内の町工場で住み込みで働くことになった辺りから、この少女の運命は狂い始めた。
そこの社長は各種磁気カード製作の本業の他にウラ稼業にも通じていて、身寄りの無い少女に違法偽造カードの作成と不正プログラミングを手ほどきして手伝わせていたのだった。そして更にはどうやらこの社長は少女趣味が顕著であったことから、約半年でキサラギは、我が身の貞操の危機を感じてそこを逃げ出した。
この後は、社長と面識のあった裏稼業の面々に拾われて、『ノルマンディ』のロリアン市内に移り、これまで嫌々ながらカード偽造手口を駆使して危うい仕事の手伝いと、彼らが仕切っている、表向きは高級クラブとして名が通っていた”女郎部屋”での下働き。そこで暮らしている姐さんたちの部屋の掃除、洗濯の面倒をみたり、お使いに出てはその褒美として、小遣いをもらったりして何とか生計を立てていた。
キサラギが語った所によると自分は姐さんたちに可愛がられていて、お下がりの洋服を貰ったり、よく食事にも連れていってくれて結構、楽しかったとも言うのだった。
ただし、彼女も十三歳の頃になってくると身体つきも大人びてくる。となるとキサラギを拾った連中はこの娘にも”客を取らせよう”と画策し始めたのだ。キサラギはいち早くそれを察するとそこを何とか抜け出して、ロリアン宇宙港から出奔する商船に潜り込む言わば無銭船泊の常習者となった。
宇宙空間を押し渡りながら軌道要塞内部の港、港を乗り継ぎつつ、己が技で鍛えたより抜きの偽造カード、十数枚を駆使して、船を乗り替えては倉庫区画に身を潜める日々を繰り返してきたが、今回の潜伏でついに海賊もどき共に捕まってしまい、最終的には海軍に保護されたことになった。
少し落ち着いて、暫くぶりのシャワーを浴びさせ、髪を手入れしたり女性クルーの私服を分けてもらったりして艦内生活を共にしてみると、この少女は実に艶やかな娘であり、今後の生活を送ることが出来れば、まだまだ伸びしろが有りそうであった。身体能力もそうだが何といってもその容姿が大輪の花を咲かす前の蕾であろうことを如実に語っていたのだった。
これにいち早く勘付いたのは、ルナンの相棒であるアメリア・スナール。
「あの娘を引き取れ、ルナン。オレ達の手元において”懐刀”として鍛えてみたいんだよ。あいつの身体能力は発進デッキでおまえも見ているだろう。あの娘は掘出し物だ。まさに”奇貨居くべし”だぞ」と、あまりに強く推すのでルナンも乗り気となり、法律上での養子縁組に到ったという経緯があったのである。
現在キサラギ・スズヤは当時に比べると見違えるように背が伸び、女らしい魅惑的なボディ・ラインと十六歳らしい若々しい色香を周囲に醸し出すほどに成長を遂げていた。
「コイツはねルーヴェンスって言うのよ。いいわよ、しばらく貸しておいてあげるわ。……で、あなたたちはどこまで行くの?」
キサラギは自販機コーナーのベンチに、自己紹介してくれた飛燕と雷電と名乗った二人の間に腰かけて、飛燕が抱っこしっ放しになっている、クロネコの頭を撫でながら訊ねたのだった。
三人はもう、傍からみれば女学校の同級生がはしゃいでいるとしか映らないであろう。それほどすぐに打ち解けて思わぬ旅の出会いを楽しんでいた。
「わたしらは次の『ローヌ・アルプ』で乗り換えてから、ドイツ皇帝領の『ナッサウ』まで行くの。あなたは?」と、答えてくれたのは雷電のほう。
「わたしとルナン、あ、さっきの人ね。わたしたちはこの便の終点『プロイセン』まで。向こうで仕事があるのよ」
「わいらはスサノオ本国での帰還休暇から次の任地へ直行なんよ。あんたぁさっきわいらの、これ見たやろう?」雷電はキサラギのJK風の出で立ちに興味があるのか、頭のてっぺんから足先までねめつけてから、自分の手首に記された真っ赤な三つ巴紋に槍の穂先があしらわれた独特の紋章をキサラギの目の前にかざすと
「キサラギ……で良いよな?これ怖ぁないんけ?」と、やや表情を険しくさせ、飛燕と同じお国訛りになって尋ねた。
キサラギはその手を両手で包み込むようにしてから
「きれいな赤色。いや……朱色だね。これ刺青でしょ?もう消えないの」と、逆に問われた雷電のほうが驚いたように身構えた。
「刺青言うより、特殊なボディペイントや。成人の年齢になって国の許可が取れれば消せるんやで」飛燕はルーヴェンスを膝上に抱っこ、指先を彼にじゃれつかせている。
「二人はスサノオ連合の派遣傭兵なのよね?」
「そうや。でも派遣先と任務の事は秘密なんや。国の掟でな」かく言う雷電に飛燕が
「そんな大げさな。今回は『ナッサウ』での合同訓練やんか。ニュースでも分かるがな。なぁルーヴェンスちゃん」クロネコの仰向けになった腹をしきりに撫でると、クロネコは大きく膝の上で伸びを。
「どや?血生臭い連中と思うてんのやろう?」と、また雷電がキサラギに槍の切先のように鋭い視線を向けた。
「そんなぁ!逆に凄いよ!あたしと同い年で実戦に出ているなんて。本物の女武者と初めて会ったんだもの!」目を輝かせているキサラギに、二人はチラッと目を合わせると少しはにかんだ。
「スサノオ連合皇国……か。一度行ってみたいと思っていたんだけど、どんな所?わたしの両親はそっちの生まれだと、昔いた養育所で聞いたことがあって」
「わたしらは『加賀府』の出身さ。深い森と湖が大きくてね、静かで良いところだよ。……おい!飛燕、ちゃんとお礼を言わんかい……ご、ごめんなキサラギ。遠慮なくちょっと遊ばせてもらうわ」
「オーケーよ。なんなら船室に連れていってもいいわ。次の寄港地に着くまでに帰してくれればいいから」と、キサラギが言うと
「ラッキー!ほな遠慮のう借りとくわぁ。ルーヴェンスちゃんと添い寝しようっとぉ」嬉々として席を立つ飛燕。
「あたしにも貸せ!」と雷電のほうが手を伸ばすが、飛燕はクロネコを抱えたままで食堂を後にした。雷電はキサラギと、ルナンの方に軽くお辞儀をしてから相棒の後を追っかけていった。
「……キサラギ、気付いてたか?あの二人は派遣傭兵だな」自分の席に戻ってきたキサラギに、ルナンが彼女がこの道行きで知己を得た二人についての所見をつげた。
「うん……。三つ巴紋を見せてくれた。ドイツ皇帝派領の『ナッサウ』まで行くんだって」キサラギは少し物憂げに、自分のまっさらな手首をみて
「ソルジャーネーム……か。なんかさぁ、少し可哀そう」と、呟いたのだった。ルナンは自分の携帯タブレットを操作して、近日中のニュース画像を検索してから得心が行ったように頷き、
「軌道要塞『ナッサウ』に行くってか!なるほどかの地ではこれからドイツ皇帝派艦隊とアトランティア連邦軍との合同軍事演習が執り行われる予定だよ。大規模な艦隊演習らしい」
ルナンのニュースに関する話なぞ、まるで耳に入っていない様子のキサラギは自分の爪先をみながら
「ホントに、あたしは運が良かった。いやそれより、ルナンに捕縛された時に”良い選択”をしたんだなって、今なら思えるよ」
キサラギは誰に言うでもなく独り言をささやいたのだった。
それから数時間後の事である。
「ご注意願います!こちら船長です。本船の航路に乱入する不審船があります。止む無く緊急制動をかけますので、お客様各位は速やかに席についてシートベルトを締めるか、最寄の船室に退避してください」
ルナンとキサラギがシートが居並ぶ客室デッキにてくつろいでいた時に、その船内放送は唐突に乗船客全員にもたらされた。船長の声は努めて平静を装うとしてはいるが微妙に上ずっていて、それがかえってこの状況が尋常ではないことを物語っていた。
「何ごとか!」ルナンが手持ちのタブレットから目を上げて、周囲を振り返ればそこかしこで不安を隠しきれずに慌てふためく他の乗客たちの姿が。
「ル、ルナンあれを。艦艇⁉が割り込んで、クソ!ニアミスする」
「無茶しやがる!どこの罰当り共だよ。自分たちの庭先のつもりかよ」
貨客船『オーストリッチ』号の舷窓からは自分たちの船と併進する形で、一隻の武装商船が迫ってきているのが見て取れた。その船舶は汎用性の高い中級タンカーの、串状になったダンゴによく似た形状の船体の周囲に、シュルツエンと呼ばれる外装装甲を施し、その隙間からロケットランチャーと機関砲らしき武装を装備しているのも垣間見れた。
「続けて、ご連絡いたします。未確認の艦船から索敵ドローンが発進したもようです。こちらに敵意が無いのを示すために、一度、エンジンを止めて慣性航行に入ります。照明も一度落ちますがご安心ください。お客様におかれましては無用な行動は極力避けてください」
この放送を聴いたルナンや他の乗客らは、声の主が変わっていることに気付いて、不安を一層募らせているときに、客室キャビンの気密扉が開き、顔を白くさせて焦燥しきった面持ちの船長が姿を現してその場の全員にこう告げた。
「皆様、まことに遺憾ながら、本船は海賊と遭遇したもようです。お客様の中で、我らに加勢下さる方は……いらっしゃいますか?」