第三十三話 ジャンヌ・ド・ノアール
ドイツ選定候領と宙境ラインを挟む空間に位置する『セグント・マドリッド』。今この宙域は普段ではあり得ない程に賑わっていた。
機動母艦『タービュランス』を始めとする脱出船団と自由フランス海軍第一制宙艦隊がズラリと整列している。それは観艦式が挙行されているかと思われる程の威容を示していた。
この招集に尽力したミハエルのご母堂クリスティアーナ・デュシャン女史はその旗艦『ジャン・バール』にあって、海軍軍令部主査アンドレ・アルノー大将と共に息子との再会を果たした。その際に彼女が開口一番に問い質したのは、ルナン・クレールなる女性との関係に関して。
これに息子は母が懸念しているような深い仲はあり得ないと断言。その代わり自分にはちゃんとした交際相手が『プロイセン』に在住しており、しっかりした家柄の出であると説明すると彼女はそれこそ狂喜乱舞。
「倅よでかした!」と大笑。隣にいるアルノー大将の肩を無遠慮に叩きまくり、周囲を唖然とさせた。
その数時間後に遅れて到着してきた『ジャンヌ・ダルク』を、船団はもとより基幹艦隊までもが歓呼の声で迎え入れたのだった。軌道要塞からはレーザー光による“宇宙花火”がひっきりなしに上がる中、艦内ではちょっとした騒動が持ち上がっていた。
一早く反応したのはアメリア・スナール中尉。明快灰色の制服に着替えた彼女は血相を変えて艦橋に飛び込んで来るや、そこに居合わせていたケイトとキサラギに向かって
「こ、この画像は何だぁ!何でこんなのが流出しているんだよぉ?」と、詰め寄って来た。彼女の手にある携帯メディアには、海賊掃討作戦で使った例のSM女王様宣材写真が大写しにされていた。それは彼女にしてみれば黒歴史。永遠に封印してしまいたいお姿でもあったのだ。
問い詰められたケイトも訝りつつ自分のメディアで検索すれば目を白黒させた。それもその筈、そこにはセクシーランジェリー姿の自分自身が写っているのだから。即刻、ケイトは唸り声を挙げつつ『タービュランス』を呼び出すや
「オスカー、あんたないやっちょるんよぉ!ないでこげんとが残っちょっどぉ?」とまくし立てた。
「ケイトォ!こだ物今すぐ抹殺してけれぇ!」ケイトの肩に縋りつくアメリアが執拗に彼女をぐらぐらと揺らせば、今度はアメリアのメディアから呼び出し音が。
「マ、マズい!ウィルバーからだぁー」つい数時間前では敵将ゲルダ・ウル・ヴァルデスと死闘を繰り広げていた猛者はもはやおろおろするばかり。
その隣で頭にルーヴェンスを肩車させているキサラギが聞き耳を立てていると、どうやら先の強行突破の際に一部でエラーが発生した模様であるとの事。しかもこの画像は全船舶及び軌道要塞内部にまで波及してしまっているらしい。
「うさちゃんクラブが営業しちょっかって問い合わせがぁ!警察のガサ入れで廃業したとでも言いやんせぇー」ケイトはいっそう慌てふためきその場で地団太を踏んでいる。
この喧騒に肩をすぼめるキサラギは、ふと艦橋に赴いた要件を思い出し
「ドレイク艦長、ルナンはどこですか?アルノー大将とデュシャン様との謁見が終わって戻って来ている筈なんですが?帰りの便の相談をしようと思ったけど」と尋ねた。
「クレール少佐とマティアスさんは、そのまま私の執務室に向かったわ。悼辞文をしたためているのよ」
「悼辞……?」
「ええ、先の戦闘でね、練習生に七名の犠牲者が出たのよ。あの人は休みも取らずにご親族への知らせをね」
「あの人、そういう所は偉いよねぇ」キサラギの頭に顎を乗せながらルーヴェンスが呟く。
「帰りの便なら気にしなくていいわよ。このまま『ジャンヌ・ダルク』は新生クレール艦隊の旗艦として『ディジョン・ド・マルス』に寄港します。そして私はこのまま艦長を拝命する予定です」と、告げた。
キサラギがパッと顔を明るくさせた。艦長はアルフレッド・パイパーも主計局課長として赴任。補給兵站を管轄する事とルナン自身も中佐への昇進。名誉職だが艦隊提督の称号も賜る事も併せて告げられた。
まるで我が事のように破顔させているルチアナのインカムにある一報がもたらされた。どうやら『タービュランス』船内で船団の民間人たちが難民を交えての祝賀会を催すらしいとの事。これを聞き及んだキサラギは小躍りしながら
「いいねぇ!カラオケで思いきっり歌うぞぉ!キサラギ・スズヤ、ライヴイン・タービュランスだぁ」と歓喜の雄叫びを挙げれば、これを耳にしたルーヴェンスが
「お、音響破壊兵器がぁ……」うめき声を上げ、自分のメディアに首ったけになっていたアメリアとケイトがほぼ同時に
その戦艦の士官室ではジーンズと明るいブルーのカッターシャツをラフに着込んでいるロベルト・マクミランが舷窓脇に体を預け、メディアを眺めている。彼は問題の流出している宣材写真の中から、アメリア、ケイトの物をすっ飛ばしてキサラギのJK姿だけをロックさせると
「この意地っ張り。戦士にならなくてもちゃんと“迎え”に行ってやるものを……」こう囁くと、一度周りに誰もいないのを確認してから写真のキサラギに軽めの口づけをした。
艦長執務室では、デスクに座して書き留めていた悼辞文の手を休めたルナン・クレールが吊り下げ式モニターに映るアルフレッド・パイパーに敬礼を送っている。
「忙しくて済まないパイパー。お兄様方によろしく」これに画面越しのメガネ中年は破顔したまま
「大統領就任式にまでは間に合わせませんとね。これで兄貴たちに少し仕事がだせますから。それが褒美ですよ。それに家内と娘も引っ越しさせませんと」
「え!結婚していたの?」
「言ってませんでしたっけ?娘が二人おりますよ。子供らは海が近くになるからきっと喜びます。では中佐」これにルナンは白い歯を見せるのみで通信を終えた。
「しかし、選挙はまだ先だと言うのに……もうデュシャンが次期大統領に決まったみたいな騒ぎっぷりだな」そう言うなりルナンは折り畳み式悼辞ハガキにペンを走らせ始めた。
「要は出来レースなのさ。一連の報道ではこれまでの脱出作戦が全て軍令部主導で行われたようになっているよ。私達はデーニッツ局長以外のエージェントらによって監視されていたようだ。でなければこの段階で脱出に関する細かな経緯までもが明らかにされている筈がない」
傍らに佇むハンナ・マティアスの分析に肯きながら、ルナンは手書きで親族への訃報をしたためている。やや強めに風量設定されたエアコンの風が室内の観葉植物の葉を揺らして耳に心地よい葉音が奏でている。
「ルナン・クレール、頼みたい事がある」執務用デスクに尻を乗せルナンに背を向けたハンナが腕組みしたままで言った。彼女の腰にはベレッタベースの拳銃が一丁。
「暫しの間、身を隠したいから『ディジョン・ド・マルス』で匿ってほしい。だな?」ルナンは目をハガキに投じたまま答えた。
「結局、私自身はデーニッツを裏切ったことに変わりはない。私の娘が無事に父親の庇護を受けられるまでは死ぬわけにはいかない」
ルナンはここで顔を上げ、ニヤリと顔を綻ばせ
「やはり子供がいたな。父親が誰かも想像はつくぜ」
「ルーヴェンスか?あいつらのコネクションもバカにできんな」と、参謀は微かに背を揺らせている。
「そう来ると思ったよ。これが君の新しい住所だ。なに、あそこは火星本土からの期間労働者の出入りが激しい。いちいち官憲も把握はしていない……はず」ルナンは胸ポケットから一枚の紙片を取り出して、彼女の大きく張り出た臀部の脇に置いた。
「……済まない。なに、そう長くはかからないさ。いずれ“大掃除”が始まる。それに戦々恐々とするのはデーニッツ本人だろうぜ」マティアスはそれを受け取ると黙ってスーツの胸ポケットにしまい込んだ。
また、二人の間に沈黙が降りルナンのペンを走らせる音のみが幅を利かせている。
「ルナン・クレール……いや、ハンナ・ブッセル。君は父親ジョルジュ・ブッセルの『私生児』だな」マティアスのこの言葉でペンがと止まった。
「それを何時知った?マティアス……」この時ばかりはルナンもキサラギやアメリアには見せた事がないような剣呑な眼差しを参謀に向けたのだった。
「関係者の身元を洗うのは初歩の初歩と言ったろう?」マティアスは視線を舷窓の向こう宇宙空間に向けたままである。
「ああそうだ。オレ、いや私はあのろくでなしが母ニーナとは別の女に産ませた子供さ。親父は浮気相手が置き去りにした私を抱えて母に泣きついた。妹の死後ハンナ・ブッセルの名を捨てた時にその事を初めて知った。それまで私と妹は二卵性の双子だと言い聞かされていたんだ」
「新婚時から浮気していたわけか。ひどい話だ」吐き捨てるように言うマティアス。
ルナンはデスクにペンを放り投げると、自分が赤子であった頃の話をマティアスに語って聞かせた。
それは育ての母ニーナが途方に暮れて、ルナンことハンナを施設に預けようとした時の事。自宅へ呼び寄せた市の職員に手渡すべく彼女を抱き上げるとこれまで同じベビーベッドで眠っていたアンナが火が付いたように泣いて、手が付けらなくなったと言うのだ。仕方なくベッドに戻すとピタッと妹は泣き止み、小さな手で姉の産着の襟元をしっかり掴んで離さなかった。これを見たニーナは二人の娘を育てようと決心し、二卵性の双子と偽って養育したという。これは戸籍改変を担当した職員が母との接見の際に聞き及んだ話でもあった。
「アンナは献身的に愛してくれたよ。母親代わりと言ってもいい!これを見てくれ」ルナンはネクタイを緩めて、首に掛けてあった花柄でひも付きの巾着袋を引っ張り出した。
それを受け取ったマティアスが中から一組の、イミテーション象牙で拵えられたイヤリングを取り出すと興味深げに眺めはじめた。
「それはな、アンナが私が初めて女性になってからプレゼントしてくれた物だよ。『お姉ちゃんがお嫁さんになる日に付けてね』とな」
「細工が行き届いている逸品だな……」巾着袋を返すために振り返ったマティアスはその場で凍り付いた。ルナンは目を見開いたまま、口を歪めつつ白い歯を見せている。
「そんなアンナを私は裏切った。我が身可愛さのために」
マティアスは小柄な女性を直視できないままで
「事件を手引きしたのは君の父親。捜査記録を見た。未だ行方不明のまま……」と、呟けばそれを受けたルナンは
「私を見ろ!マティアス。ギャンブルでこさえた借金を帳消しにするためだけに、娘の勤務先情報を海賊へと横流しした咎人が目の前にいるだろう?」顔をぐいっとマティアスに突き出して見せた。
「私の顔立ちは親父の生き写しさ。だから鏡が嫌いだ。あいつはなぁ……妹を助けてって懇願した時にでも薄ら笑いを浮かべていた!」
ルナンはここまで捲し立て、少し息を継いでからゆっくりと言葉を紡いでゆく。
「私はなハンナ・ブッセルの名を捨てた時に誓ったことが二つある。先ず一つは必ずあのろくでなしに妹アンナへの償いをさせる!」決然と眦を挙げるルナン。
「個人的だが捜索に尽力できるが?」マティアスの言にルナンは必要はないと頭を振るのみ。
ルナン・クレールはマティアスの前で微かに肩を揺らして参謀の顔を下から見つめ
「先刻、アルノーの親爺から私は大統領就任式、いや国王の戴冠式と言ったほうが妥当だ。その式典で『宝剣奉呈の儀』なる、国家護民の象徴たる国宝の大剣をデュシャンに授ける役目を仰せつかったな?」これにマティアスはおずおずと肯いた。
「そこで君は私を、新たに出現せり救世の乙女“火星のジャンヌ・ダルク”として全国民が見紛うばかりの演出をなせ」更に
「さすれば、あのろくでなしは金目当てに向こうからやって来るだろう。私は奴を庇護して贅の限りを尽くさせる」と、言った。
「それで?ハンナ・ブッセルの思惑を聞こうじゃないか」
「デュシャン新大統領は必ず国是として神聖ローマ連盟の統一を宣言。ドイツ皇帝派への大親征を掲げる。私はその尖兵として陣頭に立つ。だが、それだけではない!それを機に五大連邦全てを巻き込む大戦争へと発展させるのだ」
「貴様は第二次火星内戦でも勃発させる気か?」
「物足りないね。二つ目の誓いこそが火星統一戦争。マルス・グランド・ウォーである!」
ルナンはここで立ち上がり両手をデスクに置いたまま、両目をギラリとさせた。
「勝つか負けるかは定かでない。が、勝てば奴は有名人の親族。とばっちりの暗殺と誘拐に怯え身の置き所を失う。負ければ何もかも失い路頭に迷う事になるだろうさ。上った梯子を蹴落としてやる!」
「お、お前はただ自分のためだけに世界を巻き込もうと言うのか?人々を戦争と言う名の業火に放り込むつもりか」と、問うマティアスにルナンはさらに目を見開き
「それも厭わぬ!」と、大喝。
ハンナ・マティアスは素早い動きで腰のベレッタを抜くと真っすぐ銃口をルナンの眉間に向けた。
「私怨だ!あくまで貴様個人の復讐だ!違うかルナン・クレールゥー!」声を震わせるマティアスにルナンは猛然と掴みかかる様に
「そう復讐だ!自分の父親とこの歪な世界に向けてのオレの復讐。未だに海賊を手懐ける五大列強への宣戦布告!これがオレを庇って死んだアンナへの……たった一つの贖罪!」と、吠えたてた。
「そのためだけに、火星に降臨せしジャンヌ・ダルクとして多くの国民を地獄の大釜へ導こうと言うのか?……今、ここでお前を撃ち殺した方が賢明かもしれん」
ルナンは臆さずデスクから身を乗り出させるとマティアスの向ける銃口にピタリと額を付けてから、ギロリと彼女を睨みつけて
「一つ訊ねる。地球はこのまま黙っていると思うか?」と、問うた。何の前触れも無くふられたマティアスはさらに嫌悪の眼差しのまま
「いきなりなんだ?いいだろう。あと五年もてばいいほうだな」との答えにルナンは満足そうに眼を細めた。
「結構。私と同じ読みだ。奴らは必ず来る!で、勝てると思うかね?」これに参謀は“勝てぬ”と首を振って見せた。
「その通り。我々はせいぜい寄せ集めの植民地軍。数万年培って来た文明の素地とマンパワーは桁違いだ。奴らもバカではない。今こうしてる間にも着実にデブリストームを払い除ける手立てを講じている筈」
「お前の火星統一戦争は……そのお膳立てに過ぎないとでも言うか!」マティアスの銃口は微かに震えている。
「そうだとも。統一戦争を収めた後、地球征討軍をも完膚なきまで叩き潰す。そして我々は真の独立と太陽系の覇権を握る!」
「貴様何様のつもりだぁ!」今にも引き金を引かんとする参謀へ彼女は静かにだが決意を込めてこう言った。
「マティアスよ。オレはこの宇宙をひっくり返す!」そしてこうも付け加えた。
「もはや私は一介の海軍士官ではいられない。ならばこのルナン・クレールがやらずに誰がやると言うのか!」
ルナン・クレール。このぽっと出の女から出た身の程知らずとも言うべき野望を披見されたマティアスは肩で息をし、目には怯えを含み始めていた。そんな彼女へルナンは
「よく覚えておけ。君の前にいる女はなぁ聖処女ラ・ピュセルなどではない。神の祝福を受けながら裏で悪魔とも平然と契約交わすを是とする“黒いジャンヌ・ダルク”さ」と、言った。
「く、黒いジャンヌ・ダルクだとぉー?」マティアスの銃口はさらに揺れた。
「マティアス、君もこの世界をひっくり返せる存在を欲していたんじゃないのか?……『革新・青の党』を造り変えたいのだろう?」
明らかに狼狽の色を湛えるマティアス。そして彼女はこう語った。
「慧眼恐れ入るよ。確かに『青の党』は肥大化しすぎた。これまでの無抵抗主義では物足りないと思っている連中は暴発寸前。過激派が暴徒化したらそれこそ唯一民族主義に対抗できる組織は壊滅する!デュシャンもそして私の元夫ファン・アイクも理想主義者。誰かが後ろ暗い一面を……未来につながる深謀遠慮を担わなくてはならない。これが私の信条だ」これに静かに頷くルナン。
「君は『革新・青の党』その物を地球勢力に抗う、言わばパルチザンにするつもりなのだな」正鵠を射られたかのように口を噤むマティアス。そんな情報部局員と言うより孤高の軍師に醜怪な笑みを浮かべるルナンは
「君も地球の脅威を危惧する言わば同志だマティアス。私が君の傀儡になろう。私を裏から操り宿願を果たすがいい。現実的且つ戦える組織に再編成した火星全土に広がる地下組織としての青の党を収めよ」と、ねめつけ参謀の表情を伺っている。
「マティアス、いいか?これまで私は剣豪アメリアとキサラギを。アクティブ・ドローンを統括し得るケイト・シャンブラーを傘下に収め、兵站を担うパイパーと戦艦をも手にした。まだ欲しい人材がいる。君だ。情報局で培った手腕が欲しい。君に謀略を任せよう。どんな裏金でも自由に使え……どうだ?オレと二人で地獄の釜の縁で踊ってみないか」と、さらに目をギラギラさせるルナン。
マティアスはルナンの視線から逃れるようにして天井を仰いだ後に銃口を上に向けてから大きく一つため息をついた。
「分かった!ルナン・クレールの下で軍師を務めよう。前にも言ったな、政治は全てバランスだと。片方に指向が偏りすぎるのは危険すぎる。我々の世界は今その瀬戸際にある。横の連携がどうしても希薄となる民族主義だけによる地球への抵抗勢力では脆すぎる。各個に潰されてしまうだろう。青の党による広範囲なパルチザン組織が意味を成す時がきっと来るだろうよ……。出来れば私とお前さんが白髪になるまで征討軍がやって来ないのを祈りたいがな」
「宜しい。ハンナ・マティアス、我が軍師よ。いや謀事の朋よ。握手といこうじゃないか」
ルナンは呪詛にかかった獲物を見据える魔女のような不気味な笑みを浮かべて手を差し伸べる。マティアスは手を取る代わりにマガジンを引き抜くと手の平に弾丸を一個ずつ落としていく。
「スナールとキサラギに今の事を話した事は?そして……」
「無い。二人ともオレとアンナは双子の姉妹と思っているはずだ」
「これまで人々の盾にならんとした君。そして今大戦争を企図する魔女たらんとするお前。どちらが本当のルナン・クレールなんだ?」
「どちらもオレさ。言っておこう、オレはな決して二重人格を患う人間などではない。またそれを逃げに打つつもりもない!全てルナン・クレールひいてはハンナ・ブッセルと言う一人の人間が意図した行動であると思え。……この弾丸はオレとの契約の証として貰っておくよ」
掌の弾丸を包み込んでポケットに収めようとしたルナンに、マティアスは二発だけ残したマガジンを再装填させると、また銃口を彼女の顔面に向けたのだ。
「ここで一つ約束してもらおう。先ずはお前を火星のジャンヌ・ダルクとして煌びやかに飾り立ててやる。但しその虚像を永久に背負え!途中で投げ出す事許さぬ。人々の希望と夢をを糾合し得る象徴としての役目を全うしろ!さすれば青の党は全力で新たなラ・ピュセルをサポートすることをこのハンナ・マティアスが誓おう」そして、こうも彼女に告げた。
「忘れるな。ルナン・クレール、いやハンナ・ブッセル。もしお前が自分の罪業の果て畏れ慄き逃げ出そうとした時迷わず一発はお前の眉間にぶち込むからな」と、静かに言い放つと次にマティアスは銃口を自分のこめかみに当てて
「あと一発で私もお前の後を追う!勘違いするなよ。私は貴様の舌の根も乾かぬ内に地獄の審問官に罪状の全てを包み隠さず告発してやるからな。そのつもりでいろ」ここで初めてマティアスはシャープなデザインのメガネの奥にある目尻を下げて見せたのだった。
「いいだろう」ルナンもマティアスと同じように口の端を上げて答える。
「訊くべき事は聞いた。得心のゆく答えも得た所で私は奥へ引っ込むことにするよ。我らのジャンヌよ」
マティアスが腰に拳銃を収めて踵を返す。その背中に
「全てをお任せする、謀事の朋よ。あのぉ鏡無しではだめかねぇ?」とこれまでとは態度も雰囲気も一変させたいつものお調子者に戻ったルナンが語り掛ければ
「少しの間だ。我慢しろよ」輩もまたいつもの様に返し、その後はもう一心不乱に悼辞文をしたため始めたルナンを残しマティアスはその場を辞した。
マティアスは照明が最小限に抑えられた艦内通路を自分の船室へ向かう途中、ピタッと足を止めてから
「ううわぁあああー!」無人の艦内通路で大声を上げ、左の拳で何回も壁を叩いた。
「あの時あいつを撃ち殺すべきだったぁー!もう遅い遅すぎたぁ。……わ、私はとんでもない怪物を呼び起こしてしまったと言うのかぁぁー!」声の限りに絶叫した後、彼女はその場に膝を着き
「……ああレイチェル。ママを許してぇ」未だ誰にも明かした事の無い我が娘の名をか細い声で呟き、そのまましばらく立ち上がろうとはしなかった。




