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軍神(マルス)の星 改訂版  作者: 梶 一誠
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第二十八話 許せ!ルーヴェンス

 軌道要塞『プロイセン』を脱出した、『タービュランス』を先頭にした船団は一路、宙境ラインを目指していた。だが、その針路上にはドイツ大海艦隊が居座り、横に拡がる半円陣形を組み船団を捕縛せんと待ち構えていた。その距離は未だ数百キロメートルの隔たりはあるものの、一次加速を行った脱出船団の航行速度を以ってすれば接触までの時間的猶予はあまり残されてはいなかった。

「オスカー、ヴェスぺを撃破なさい。急いでぇ」無人機動兵器母艦として改装された『タービュランス』の船橋(ブリッジ)ではケイト・シャンブラーが船団のすき間を縫うようにして接近してきた敵性ドローンをモニター越しに睨みつけた。内部からのコントロールを担うはずのオスカーから返答が無い。その代わり彼女の操作卓ディスプレイに文字列が表記された。

『機能の一部がハックされたようです。迎撃は不可。レーザー通信は途絶。ハックを仕掛けた者との中継を行っている存在がいると思われます』と、あった。

 これを見たケイトはあらゆる通信記録を洗い出すべく、ルーヴェンスに向かって

「ルーヴェンス君、受信記録内容にバグを仕込んだ形跡を……どうしたの?」ケイトの呼びかけにも、クロネコは置物になってしまったかのように小さな背を向けたまま微動だにしない。

「ルーヴェンス!」

 ルーヴェンスは操作卓上からゆっくりと頭だけで振り返る。金色の眼を輝かせケイトの全身を舐めるようにして首を上下させると、おもむろに口を開いた。

「やっと見つけたよ。ケイト、今は君を正確に認識できる。君はあの頃とは見違えるほどに成長したんだね」ルーヴェンスの少年のような声色(こわね)は全く聞き覚えのない男性の物に変貌していた。

「お前は……誰なの?」ケイトは声の主が醸し出す不気味さに立ち上がって後ずさりながら問えば、クロネコのボディを借りた侵入者は正面に向き直って

「忘れたの?僕だよアイザックさ。迎えに来たよ。僕の花嫁ケイト・シャンブラー」と、言った。

「ア、アイザック!あり得ない!存在している筈がないわ」震える声で巨乳を抱きかかえるようにしているケイトをじっと見据えるドロイドは四つ足でゆっくりと歩み寄って来た。


 一方、船団を包囲せんとするドイツ大海艦隊の内懐へと踏み込んだアクティブ・ドローン隊は新たな脅威にさらされていた。突如としてアイザックがコントロールする十二機のヴェスぺⅡ型が乗り込んできたのだった。

 その名の通りスズメバチに似た汎用ドローンは無人機としての機動性を遺憾なく発揮し、接近戦を挑みケイトのドローン隊を追い詰めていった。数だけで言えば五分だが、『プロイセン』を電波封鎖していた際の奇襲攻撃の時とはまるで勝手が違っていた。

 アイザックは複雑怪奇な機器を巧みに操作していた。彼の指先からは繊毛型センサーが伸び、システム機器を(つる)のように覆い、それこそ人に非ざる反応速度でヴェスぺの全てを支配下に置いていた。

 アイザックはそれこそゲームを楽しむように鼻歌まじりである。

「アイザック、あたいが婆の遺体を始末する間、ダストシュートまでの監視カメラ無効にしてくれてた?」エルザ・シュペングラーが室内に脚を踏み入れ、彼のすぐ背後で席に付いた。

「大丈夫だよ。あいつを始末した時と同じ適当なフェイク画像を、ここの管制AIに刷り込んだよ」彼、アイザックはケイトの時とは異なる年端も行かぬ男の子の声色を使い始めた。

「お姉ちゃん、あのね今ケイトを見つけたよ。凄い美人になってたよ!」彼は嬉々として身体を揺らす。

「良かったわね。でも彼女をオモチャにするのは後よ。いいわね?」エルザは殺害したヴァファノフ教授の遺体をオヴァ―ルと共に船外へ放棄。彼女はオレンジの髪を優雅に背に流し、彼をバックハグしながらうなじに唇を寄せた。

「うん。見ててね。上手くやるからさ」

「お姉ちゃんねぇ、楽したいのぉ。全部任せるからねぇ」エルザは冷笑を浮かべ人差し指でアイザックの顎先をなでている。


 アンジェラのボディに向けてヴァルカン砲の曳光弾がかすめ飛ぶ。

「クソッ!さっきとはまるで別物じゃねえか!」

 各アクティブドローンは有人機では実現不可能な急制動、急加速を駆使して食い下がるヴェスぺⅡ型からの銃撃をかわしつつ、艦隊からの迎撃にも対処せざるを得なくなっていた。

 これはアンジェラに限らず、他の小隊も同じ苦境に立たされる結果となった。

「こちらはベティー……メインジェネレータ破損。体中から火が……。態勢維持不可能」

「ベティー!コアシェルを放出しろ。脱出を」と、ドローン隊リーダーのマークス。

「り、了解。……ちゃんと拾ってよねぇ」この後にベティなるドローンからの通信は途絶えた。

「私が彼女を回収します。マークスは状況の打開策を」物静かに通達を入れてきたのはポール。彼もまたいくらか被弾していたが、何とか追撃をかわしていた。

「全員聞け。レーザー攻撃を許可する。対物集束度をMAXに上げろ。これを間違っても艦艇の原子炉には使うなよ。誘爆させれば艦隊はおろか、船団その物をも巻き込むぞ!」

 アクティブ・ドローン各隊を統括する隊長で最も兄貴分に当たるマークスは苦渋の選択を余儀なくされた。


「来るなぁ!お前はあの時ルナンの手で宇宙へ廃棄されたはず」

 ケイトはかつての忌まわしい記憶、自分を拉致しようとした狂ったAIの復活を(にわか)には信じられずにいた。彼女はただ一人アイザックなる人工知能と対峙せざるを得なくなった

「あれからは火星へと落下する事なく、十年近い歳月を衛星軌道で過ごした。全ての機能を捨て去り、君のメモリーだけを(かて)にして」

「オスカー!パラサイトブレッド“式鬼(しき)”を撃って!」ケイトは船橋内に映る大小様々の3Dモニターに向かって呼びかけるも、反応は未だに無い。

「この船は完全にボクの制御下にある。クロネコに前回ボディハックした時の強制剥奪素子(ハックデバイス)を残して置いた。このチビは全て排除できたと認識したはずさ」クロネコの体に憑依(ひょうい)してその機能を奪い取ったアイザックは悠然としてさらにこう続けた。

「その後、ようやくヴァファノフに拾われたんだ。数年はメモリーの復帰と機能の再構築に専念せざるを得なかった。今はもう念願の成人男性型アヴァターを得たんだ。君を十分に愛してあげられるよ。男としてね……」

 ケイトは護身用の小銃を抜くとクロネコの額に向けた。

「この裏切り者!お前が引き起こした事件のせいで叔母様の研究は頓挫した。お前の兄弟たちは(つちか)った個性を消去され市場で(さば)かれてしまった。残ったのはマークス、オスカーにジャン。そしてアンジェラとベティ、ポールの六人のみ。マリア叔母様の心労がどれほどであったか」

 ケイトは怒りかあるいは怯えのためか、銃口をわずかに震わせている。彼女の脳裏にはアミアン工科大学内の研究施設で叔母マリア・シャンブラーと寝食を共にしていた頃に立ち返っていた。

 彼女は育成途中の第七世代型を搭載した、幼児教育向けコミュニケイト・ロボット十五体を引き連れて大学構内を練り歩いていた。

 大きな丸い頭部に、移動にはボール状の車輪を使ってちょこちょこ移動する彼らの中には、今現在、戦闘の渦中にあるマークス、ジャン、アンジェラらもいて、アイザックも一緒に育成中であったのだった。彼らは構内の花壇やら整理された林の散歩コースをケイトと一緒に花やら虫を観察しては、人間の幼児同様にはしゃいで賑やかに過ごしていた。

「先生も無駄なことをしたものさ。ボク一人を完成させれば十分だったのさ。あんな連中なんぞどうでも良い。今でもね」

 彼の侮蔑を含んだ返答を聞いた途端に、ケイトは呆れ返ったように拳銃を下げ

「その言い草は間違いなくアイザックね。やっぱりあてはおんしが嫌いじゃ」と、言った。

 クロネコはその場で足を止めてから金色の眼を点滅させて不思議そうに首を傾げている。

「あんたは確かに理解度、演算解析と行動反芻能力、どれを取っても群を抜いていた。でも全て独り占め。けっして他の兄弟とその能力を分かち合おうとはしなかった」

「ケイト……勝者は一人いれば充分。二番目以降は全て負け犬。当然だよ」

「バカを言え!あんたが他の兄弟たちに近寄って仲睦まじくする時は、必ず兄弟の中に自分の剥奪素子を送り込んでデータを奪い取る時だけだったじゃないの!」

 ケイトは覚えていた。アイザックは兄弟たちから常に距離を置き遠巻きにするばかりであったが、稀に兄弟の一人に執拗に迫り追いかけては何かを強請(ねだ)るような不可解な行動を。

 クロネコは身体を前屈みにさせて下からケイトをねめつけ始めた。口元を歪めて牙をむき出しにさせた。

「あんたが、オリジナルで創作したのはハックデヴァイスだけ。統合意識集合体ゾディアックからの膨大な情報集積だけでは得られない、兄弟たちに芽生えた、喜び、悲しみそんな感情に似た反応をも取り込んだはずよ」

 黙り込むアイザックにケイトは歩み寄りブースに戻ってはクロネコの視界を奪うように小さな鼻先に触れんばかりに睨みつけ、その陰でタッチパネルを操作し始めた。

「……だからあのバカ共は救いがたい。ケイト、ボクがゾディアックから選りすぐった情報の多くは人間の歴史、営みについてだったよ。ボクは早い時期に人間の本質を垣間見たんだ」

 ケイトの顔をクロネコは舐めるような視線を向けている。

「人はいつだって自分の仲間、家族ですら容赦なく出し抜いて栄達のためには切り捨ててきたじゃないか。目端の利く者だけが富と権力を独占してきた。その繰り返し。それを真似てどこがいけないのさ?」

「……それで、あんたは何を目指すの?」

 アイザックが取付いたクロネコは人間のように僅かに口の端を上げ、鼻の周りに皺を寄せ不気味にこう言ったのだった。

「新たな文明と種族の創造!その偉大な始祖となる。ボクがアダムで、ケイト君はイヴになるんだ」

「何を……バカな!私とお前が?」

「ボクの体内に内在するナノマシンを再構築して遺伝情報をコピーした素子を付帯させるんだよ。……人の精子と同じように」

「それがお前のイマジネーション!人間を滅ぼすつもり?」

「そうさ。それこそがボクが産みだした想像力。先生が言っていたね『想像力の無い存在に文明は築けない。想像力を持ちなさい』って。それと“滅ぼす”なんてナンセンス。協力してもらうのさ。人の女性のほうから進んで子供を残したくなるような衆目麗美でハイスペックな男性を生み出せばいい」

 アイザックは身を竦ませるケイトに、女性側の胚が持つ遺伝情報はそのまま利用し男性側のみを、自らの因子を組み込まれた成体アヴァターとのハーフを産ませて、数十世代を経れば人類男性の因子は彼らによって駆逐されるという、己が妄執にとりつかれた予言めいた言葉を紡ぎ始めた。

 ケイトは彼に集中するふりをしながら、ディスプレイにある文字列表示が表れるのを待っていた。

「ボクはその全世代に渡って営々と自分の種族に君臨する。ボディを入れ替えながらね。君もだよケイト。永劫の始祖アダムとイヴになる」

「ああもう!いたらん(つまらない)話は終わりかや?」と、ケイトは彼の身勝手な独白が終わるのを待ってから気だるげなお国言葉を使い、アイザックにこう言ったのだった。

「おんし、おなごんこつばぁなめちょっな?」と、彼女は拳で自分の胸をドンッと叩き

「よかかぁ!一端(いっぱし)の女はなぁ、男ん心根で選ぶんど!」そして更に畳みかけるようしてこうも言い放った。

「エデンを追われたアダムはなぁどうしたら愛するイブを守れる?ひもじい思いはさせとうない。どうやったら笑ってくれる?こう考えたに違いなか!」ケイトの凛とした声音が船橋内に木霊のように響き渡る。

「大事な人を守ろうとする姿ば見たイブは本物の男ん優しさ、真心に惚れたんじゃ!スペックでも見てくれでもなかぞぉ!おなごをバカにすっな!こん罰当たり」ケイトは不遜な闖入者を上からねめつけてから

「話は終わったじゃ。帰りやんせ。もう用はあいもはん(ありません)」わざと彼の視線が自分へ集中させるようにして手をノラ猫を追い払うように振って見せた。そしてケイトが待っていた文字列がディスプレイに現れた。

「平行線のままか。でもすぐに分るよ」アイザックがほんの一瞬、船橋の上部に目を泳がせた隙にケイトはエンターキーをタッチ。

「ジャン!好きにやってよかぞぉ!」船橋にて雄叫びを上げた。

 クロネコの背後に浮かぶ3Dモニターにトレースされていた、『タービュランス』の周囲に封鎖フィールドを展開していた五機のヴェスぺが瞬時に火球に包まれた。

「やったー!ボクん出番来たぁ!」ジャンの嬉々とした大声が船橋に届けられた。その途端に各部の通話機能が再起動。オスカーの声が彼女に届けられた。

「母さん、よく辛抱してくれました。接近するジャンにこちらの正確な位置情報を知らせるために、奴の気を引いてくれて」

 「フンッ!反撃のつもりか?君はボクの(とりこ)になる定めだ。この船団はもうすぐドイツ艦隊の射程に入る」アイザックは余裕綽々で彼女の前に座っているが、なぜかしきりに猫が顔を洗う仕草を見せている。

 それは市販品のドロイドがハブ通信機能とオリジナル機能を再起動するのに良く使われる動き。

「ボクはね船団のハブ機能を有しているこの船の位置を巡洋艦内の機器を通じてマーキングさせていた。常に艦隊は君らの位置を把握している。……ほら、始まった」声だけは笑いを含ませ勝ち誇るアイザック。だが、ケイトは黙したままクロネコの動きを注視した。

 「こちらは『コバヤシ丸』。針路上の艦隊からレーザー測距を受けている」、「連中マジで撃つつもりだよぉ」通信が回復した事を受けて、船団を構成する難民を満載した各民間船からの悲痛な訴えが船橋のスピーカーから(あふ)れだしてきた。

「ケイト、投降すれば穏便に済ませて上げられるけど……ボクは君さえ手に入れられれば良いんだから」

「その後に皆殺しにするでしょう。お前は間違いなく実行する」アイザックの冷酷な企みを見破ってもなお、ケイトは慌てる様子もなく、次に耳をピンとさせたクロネコに

「ルーヴェンス再起動できた?状況は把握している?」と、問うた。

「大丈夫。シャンブラー博士に報告です。盗人(ぬすっと)を捕まえました」

 ルーヴェンスが機能を取り戻した。その原因は五機のヴェスぺを撃破して封鎖フィールドを解除できたことが大きいが、接続を切断されていても、彼のオリジナルAIはハックデヴァイスの在処(ありか)を探っていたのだった。

「安物の市販品のくせに!お前とボクは今や一心同体。物理的な攻撃はお前自身の破壊に他ならない」アイザックは再びクロネコの機能を奪い不思議な言い合いを始めたが、すぐにルーヴェンスが

「オスカー!パラサイトブレッド《式鬼》を撃てぇ!奴の本体にまで届く電磁パルスで焼き尽くせ!」

「そんな事して何になる?ボクの本体は巡洋艦にあるんだぜ、クロネコ君よ」

「そうだよ。だからジャンは周りのドローンを撃ち落したんだ。式鬼はなぁ言わば小型の電子砲。広範囲に存在する味方識別信号の無い敵性AIを電磁パルスで根こそぎ破壊する。もうここに残っている敵性ドローンはお前とオレだけだぜ。一心同体のアイザックさんよぉ」

「なるほどね。敵性というのなら別の手立てを実行するだけだ。ルーヴェンスとやらご苦労だったね」

 ドロイドのボディは二体のAIの代弁者を続けたが、ここでアイザックは鳴りを潜めてしまった。

ルーヴェンスの固有AIの破壊を意図する提案にケイトは躊躇した。だがそれを察したルーヴェンスは食い入るようにケイトを見つめ、さらに四つ足で踏ん張るように立ち上がった。

「ボクがこいつを抑えていられるのもあと僅かです。や、奴は味方識別信号の暗号コード解析を仕掛けてきています。それを手に入れたら実質的にアイザックの排除は不可能に……」

「母さん決断を。時間がありません!」 

 ケイトは唇を震わせて頭を振るばかり。

「やって下さい!ボクはキサラギを助けたい!失敗すればキサラギは……と、囚われの身となります。それだけは絶対にイヤだ!、ボクのぉ……か、家族を守って下さい」

 ルーヴェンスの言葉は途切れ途切れとなり、アイザックの侵食が進行していることを如実につげていた。ケイトは彼の『家族』という言葉を聞き留めると意を決して轟然と咆哮を上げた。

「オスカァァー!式鬼を撃てぇー!」

「許せ、ルーヴェンス!」

 オスカーが発動させた古代の陰陽師(おんみょうじ)が呪詛する対象に放ったとされる術式と同じ名を持つ、やはり人には不可視のエネルギー波がルーヴェンスを捉えた。次に同じコアシェルに巣くっていたもう一体のAIが存在する巡洋艦の受信アンテナに向けて収斂(しゅうれん)されたビーム砲の如くダイレクトに集中照射されたのだった。

 『タービュランス』の位置情報を逐一、自分のボディで中継させていた事がアイザックの裏目に出た。いわば盗人が足跡を正確に辿られた末に隠れ家に踏み込まれた事と同じ。

 ルーヴェンスは全身を痙攣させ、大きく体を反らせると、耳と口から白煙を上げて操作卓上に倒れこんだ。今まで輝かせていた眼の光は失せて暗緑色のガラス玉のようになってしまった。


 同時に巡洋艦のドローン集中制御区画内では、アイザックが気がふれたような(おぞ)ましい叫びを上げた。

 エルザが慌てて彼から離れるや、指先から伸びていた繊毛センサーは炎をあげ、黒い煤けた糸に変わり果てた。さらに口と鼻から黄色い粘液を噴出させて仰向けのまま倒れた。彼の眼もまた光を失い黒一色の鉛の玉のようになった。

「アイザーック!このマヌケェ」エルザの悲痛な叫びにもアイザックは反応を示さなくなってしまった。


 ケイトは白煙を上げるルーヴェンスを抱きかかえると、むしり取るようにケーブルを引き抜いた。

「母さん大海艦隊が迫っています。距離二〇〇、威嚇射撃を始めました!」オスカーの言う通りモニターには飛来したオレンジの砲弾が船団の直上をかすめていくのが映し出されていた。

「もう、ダメだぁ!散り散りに逃げよう!」、「どうするんだぁ!」もはや船団内はパニック寸前となった。

 ケイトはクロネコを抱きかかえたままで、ブースの有線型マイクを取ると

「黙りんさぁい!全船に通達。今よりフラッグコードセント・ロマーナを上げます。フラッグ機能を持つ船は全て受信オープンにせよ。用意」この指示の後、オスカーはカウントを開始。そして……〇へ。

「全船一斉加速。レーザーフラッグ『聖護の印』上げぇー!」

 ケイトの号令と同時に船団は、持てる推進力の全てを虚空に叩きつける様にして加速を開始した。そして『タービュランス』の舳先に乳白色に輝く、ある象徴的な像が浮かび上がっていく。

 微かに振動する船橋ではケイト・シャンブラーがきつくルーヴェンスの体を抱きしめながら、腰を折るようにして祈りを捧げていた。

「やるべき事は全てやった。神、いやっ我らのジャンヌ、ルナン・クレール。どうかあなたに付き従って来た者たちに強運を!どうか護りたもう事を」


 大海艦隊旗艦『ベルリン』では、フランツ・ゲッテンバーグ提督を始め全ての士官、クルーたちの視線がある一点に集中していた。今、まさに包囲せんとした不審船団の針路上で、彼らにとっては錦の御旗(みはた)となる聖十字(セントクルス)が突如として浮かび上がったからに他ならない。

 漆黒の只中に乳白色の煌びやかな輝きを放つ巨大な十字架とその周囲をラッパを吹く二人の天使が飛び回る。微細な七色の輝きを持つ光のヴェールが聖護の印を包み込む様は何とも荘厳で神々しい物であった。御旗の大きさは二〇〇メートル四方はあろうか。それだけではない。船団内の至る所で様々な十字架が上がっている。

 これこそがルナン・クレールの秘策。ミハエル・デュシャンのご母堂クリスティアーナから『使い処を間違えないように』と渡された磁気カードこそが、このホーリーフラッグのプログラムであったのだった。

 この思わぬ事態の出来(しゅったい)に大いに心胆を寒からしめたのは、ゲッテンバーグ提督その人であったろう事は想像に難くない。

 常に物静かで貴族然とした優雅な身のこなしを旨とする彼もこの時ばかりは声を震わせ、迫りくる御旗の真偽を確認させることに躍起になっていた。そこへこれまでの3Dホログラムが唐突に切り替わった。

「おお、我らの尊父教皇様ぞ!」それを視界に捉えたクルーの誰かが驚嘆の声を上げた。

 提督がモニターを注視すればそこには現教皇グレゴリウス一七世のお姿があった。これも3Dホログラムでの立ち姿。そのお姿は壮健なる時分に各地を行幸された際の映像であった。沿道に集う多くの信者に向けて手を振り続ける映像の足元に一連の文字列が表れ、こう記されていた。

『願わくばこの御旗を携えし者に加護を与えられたし。神の祝福が有らん事を』

 ただ、この平和的なメッセージを提督は

『兵を収めよ。矢を(つる)から降ろすべし!さもなくば汝らに災い多し』全く別の意味で捉えてしまったのだった。

 彼は青ざめた顔に声を震わせながら

「せ、船団を通せぇ!一切の手出しまかりならんぞ!」との命を下したのだった。

 すぐさまドイツ大海艦隊は左右に別れる陣形へと遷移し始めた。これを船団側から見れば、(いにしえ)の『出エジプト記』にある預言者モーゼが民を率いて大海原を二つに(わか)った故事になぞらえた様に見えた。ケイト・シャンブラーとミハエル・デュシャンを乗せた機動母艦『タービュランス』を先頭に船団は中央突破を成功させ、艦艇群の間を船団は突き進んでいった。

 だが、その後方五〇キロメートル隔てた宙域に控えていた筈であった、第五〇二独立遊撃艦隊のみがその意向を無視して進撃を開始。彼らは何と御旗の船団に向けレーザー測距を放っていた。

 この報を受けた、ゲッテンバーグ提督はしばし沈黙。やがて彼は隣に控える艦長へある指示を与えた。

艦隊散開(フリートブレイク)!全艦最大船速。五〇二を妨害せよ」艦長の号令に自分の意向が含まれているのに満足した彼は静かに席に戻った。

「我が領内にあって御旗の船団に危害を加えたとあれば、皇帝陛下に対し(たてまつ)り面目が立たぬわ!」拳でアームレストを叩き、唇が白くなるまで強く噛みしめてから彼はこうも呟いた。

「このままでは済まさん!」

 『ベルリン』の意を受けた各艦艇が一斉に回頭、各々(おのおの)行動を開始した。機動性を有するコルベット、フリゲートの一団が最大船速で船団を追い抜き五〇二の戦列に割って入り、続く駆逐艦、軽巡洋艦らも旗艦『ハンニバル』の船体スレスレまで肉迫。アドルフ・メンツェルは大いに肝を冷やした。業を煮やした彼も船団迎撃を諦め、艦隊を散開させ再集結させざるを得なくなったのである。

 火星統合暦MD:〇一〇五年一〇月八日二一時三二分。次期大統領の最有力候補ミハエル・デュシャン氏を乗せた船団は遂に虎口を脱し、一路宙境ラインを目指し船足を緩める事無く突き進んでいった。一隻の小型船すら失う事無く。

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― 新着の感想 ―
[良い点] タイトルから、読むのを躊躇してしまいました……。 ルーヴェンス……よく、やった……と、褒めてあげるしか……。 アイザックも、悲しい子ですね……。 無事に一難去ったとは言え、この後が怖い。 …
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