第二十五話 カナンの意地と我が名はアイザック
一〇月八日一六時。第五〇二独立遊撃艦隊本隊は随伴任務を受けたドイツ大海艦隊と共に『プロイセン』を遥か遠方に視認できる宙域へと到達していた。
その旗艦『ハンニバル』では代将として艦隊を預かるゲルマン系の巨漢アドルフ・メンツェル少佐が
「遅い!」と独り言を呟いては途方に暮れたように頭を振った。
神速の機動性を以って艦隊遭遇戦の雄である彼にしてみれば、同盟軍の何とも仰々しい行軍にほとほと嫌気がさしていた。本来なら『ハンニバル』にはヴァルデス准将が戻り、自分は『ヒンデンブルグ』にあって軌道要塞『プロイセン』の周辺宙域に武威を張り、その間に完全武装の制圧陸軍が進軍を開始。実行支配を揺るがせにしない筈であったのだが。如何せんその本隊は未だに兵員輸送船を伴ったまま現宙域を航行中というあり様であった。彼の国許でのアーサー・ケイリー元大統領の訃報が全てを狂わせていた。
「少佐殿、緊急連絡有り。発、大海艦隊旗艦『ベルリン』。フランツ・ゲッテンバーグ提督からの直通であります」
通信士官の報告に、ゲルマン系の巨人は更に苦虫を潰したような表情を見せたが、相手が司令官とあっては具合が悪い。彼は目鼻が中央によった武骨な顔面を平手で撫で、居住まいを正してから通信回線を開かせた。
艦橋装備の中で一際大きいモニターに、ややほっそりとして貴族然とした風情の人物が大映しで現れた。
「貴官が我々に寄せた情報とは大分、状況を異にしているとは思わんかね?」ゲッテンバーグ提督の言はあくまで柔和な感じを装うものの、視線だけは彼を譴責したげな色を湛えている。
「ハッ、叛徒共の抵抗著く、我らの司令も苦慮しているかと思われます。ですがご安堵された……!」メンツェルが予め用意していた常套句は、提督の怒声で途絶された。ゲッテンバーグは今度は怒りも顕わに顔の下半分を覆うすっかり白くなっている立派なヒゲと唇を震わせながら
「通信は復旧されたぞ!ポツダム市は貴官らによって占拠され、ライプティヒ市は艦砲射撃を受けているらしいではないか。……しかも内径世界に進攻中の巡洋艦は核攻撃を意図しているとの報告もある。貴官はこれを何とするか」と、モニターが揺れんばかりに代将を叱りつけた。
メンツェルは無言でモニターに深々と頭を垂れながら下唇を強く噛みしめた。
その頃『ヒンデンブルグ』ではエッセンからリアクターギルド城砦へ進発させた軍団の指揮官が額に汗する様をゲルダが無言のままモニター越しに見つめていた。
エッセン派遣軍はゲルダの要請通りにギルド城砦前にて反抗の首謀者と目されるミハエル・デュシャン氏とその協力者を差し出すよう強談判に及んだものの、弁明に現れたギルドの長は”さぁどうぞ”と言わんばかりに門戸を開放した。
彼らは居住地を中心に隈なく捜索を行なったが、千名近い難民たちの人っ子一人発見できなかったどころか、難民の連中が必要な食料やら生活必需品を洗いざらい持って行ってしまったと、補給を要請されて難渋しているのだとか。
ゲルダは艦長席を立つと、そのまま艦橋最前の監視窓へと歩み寄った。そこから巡洋艦から斜め上方に存在している内径世界に広がる鬱蒼とした濃い緑青の中で、今は業火と黒煙に包まれているライプティヒ市の全景を視界にとらえていた。
副官のカナンが代わって座席に就き、派遣軍への謝意を示し、ゲルダの内諾どおりにエッセン軍の即時撤退を促す中
「ライプティヒ市も頑固だな!全市を焦土に変えてもかまわんらしい」と、ゲルダはモニターの人物に聞こえよがしに声を張り上げてみせた。カナンはそのままエッセン市への砲撃は行なわないとの確約を告げ、通信を終えた。
「主砲残弾三〇パーセントを切りました」
「ライプティヒ市、以前沈黙しています。市政庁からの連絡無し」火器管制及び通信士官からの報告が矢継ぎ早に上がる中
「砲撃、やめぇ!」ゲルダがクルーらに背中を向けたまま勃然と号令を上げた。
さしたるほどの大声でもなかったが、艦橋全体が水を打ったように静まり返り各担当クルーは黙々と自前の仕事をこなして行った。
「しかし、返す返すも三日の足踏みは痛かったな」褐色の麗人は体を返すと中央にある艦長席へと歩みを進め、カナンもまた席を譲らんとして立ち上がる。
「……そろそろ潮時ですわな」彼女は数段高くなっている艦長専用の部署から床面へと降り立ち、そこでゲルダと相対した。
「五〇二本隊及びドイツ大海艦隊をレーダーに捉えたと、入港管理局を占拠中の部隊から連絡有り。当地へ向けて航行中」
「ヴァルデス司令、ポツダム市及びライプティヒ市から直通のレーザー通信が何処かへ発せられた模様。内容は不明」
「入港管理局から別報。外郭部にて戦闘を確認!電波封鎖大隊に損害発生。敵対勢力は未確認」
二人は立続けにもたらされる不穏な情報に互いに眉をひそめた。
「電波封鎖解除されたとなると状況があちらに筒抜けに……あのジャンキー、軍法会議ものどすえ」カナンが指揮官の顔を仰ぎ見て続けてこう呟いた。
「撤収の準備を。ここは一旦兵を引き『プロイセン』外にて態勢を立て直すほうが賢明かと」
参謀カナンにしてみれば恐らく敵対してきたのはミハエル・デュシャンの協力者であるルナン・クレールなる人物に相違ないとの察しはついた。が、そ奴が如何なる手立てを以ってここ数日で、こちらの封鎖大隊を跳ね除ける実力を手にしたのか、またどれほどの規模であるかは二人にしてもつかみ様がない。
これを受けた若く覇気に富んだ、と言うより胸の内の剛毅に抗しきれない孤高の虎の中に残忍などす黒い何かが蠢き始めていた。
「どうせよと?」と、ゲルダは部下の顔をねめつけ、猛虎の眼に冷酷さを湛え始めていた。
「先ずは、常法通りに統帥権を大海艦隊に委ねるのです。少々面倒ですがこちらに有利な”絵”はまだいくらでも……」
「カナン・東雲中尉、貴官は我に戦場を後にせよと言うのか!一度、あのお飾りでも迎え入れれば我らは完全に兵を引き上げるより他は無い!」
ゲルダは拳を握りしめ微かに震わせながら眼前に控えている小柄でたおやかな黒髪メガネ士官に食いつくように迫ったが、カナンはあくまで凛然と対峙する。
「我に負けを認めよと申すかぁ汝は。一度手に入れかけた邦を諦めろと」
「ここは引きなされ!準備も計画も万全でしたが不測の事態で今回はわやになってしまいましたが、策は講じまするゆえ……」
ゲルダは頭を下げる部下に不機嫌そうに背を向けてから、通信士官に遥か眼下のポツダム市内に駐屯している制圧陸軍の軍団長を呼び出すよう指示。
「高坂少佐、ポツダム市内の部隊撤収に如何ほどかかるか?」開口一番の下問にも高坂は一時間以内にと応え
「こちらでも反抗勢力が首をもたげております。各所では民族主義者、青の党関係なく市民が集まりデモを起こしております。こちらは市庁舎と空港を押さえておりますが暴発は時間の問題です」これと既に部隊は集結を終え、いつでも移動可能である旨も併せて報告を入れた。
「高坂少佐、速やかに撤収を開始。怪我人も置いていくことのないように」と、ゲルダの声音が一旦落ち着くのを目尻に捉えたカナンが胸を撫で下ろしたのも束の間、次の指令に声を失った。
「ハインツ!撤収を完了後、核機雷を射出せよ!初弾はリアクターギルド近傍、次弾はポツダム上空にて稼動!時限反応信管の設定は五分とする」
「准将、いけません!」モニター越しに抗議の声を上げたのは高坂少佐。
「復唱せよ、ハインツ!」ゲルダはカナン東雲を後背に控えさせたまま、副官用のブースで直立して顔を青くさせている大尉に迫った。
復唱すれば命は確実に処されなければならない。哀れな副艦長は言を明らかにしようとはしなかった。
「お待ちを!ゲルダ様。それはあきまへん」カナンがゲルダの眼前に回り込み胸元で声をいつに無く荒らげるも、司令官は意に介さない。
「しょせん我が進むは血塗られた道。そは幼き頃にこの身に刻み込んだ!我は兵共に”立ち塞がる者あらば何人であろうと之を討て。その責全て我に有り!”と下令して来た。何を臆する?」
カナンは更にゲルダの下を離れずに食い下がった。
「三年前とは状況を異にします。これは内乱ではありませぬ!この世界はあくまで治外法権を有す外国でありますぞ」
「我の戦は何処にあっても変わらぬ!この世界は我の手で焼かれるのみ。ハインツ、発射トリガーをこちらへ」
ゲルダがカナンの横をすり抜け艦長席の階を上りかけた時、自分の腕をぐいっと掴まれた。振り返ればカナンが猛然とした眼を向け
「この小娘!見損のうたぁーっ!」金切り声に近い叫びが艦橋内にとどろいた刹那。
カナン・東雲中尉の小さな手がゲルダの頬を打った。制帽が音も無く床に落ちる間に、参謀は司令の腰にあるサーベルを引き抜き、あろう事か自分の喉元にその切先を宛がったままさらに叫んだ。
「お聞き入れなされよぉー!」
ゲルダは頬を打たれたまま目を泳がせ、ぐらりとその優雅な体躯を揺るがせた。これまで誰もがその言動に唯々諾々と臣従するのみを由としていた彼女にとって最も信頼を寄せる腹心の決死の行動に言葉を失い身動き一つとる事が叶わなくなった。が、艦橋最奥に位置する縦貫エレベーターの脇に控えていた、二人の側仕えのみが素早く行動を開始していた。
「慮外者ぉー!」その声と共にカナンの手から剣を叩き落とし、仰向けに床面に叩きつけたのは飛燕。もう一人の雷電は盾となるべくゲルダの前に立ちはだかった。
艦橋内にあっては寸鉄を帯びる事を許されないスサノオ皇国の戦士飛燕は奪い取ったサーベルを閃かせて迷うことなくカナンの喉に向けて刺し貫こうとした時
「待てぇ!」飛燕の手が止まった。
「艦橋を血で汚すは凶事だ。……この者は追って沙汰する。それまで軟禁せよ」と、ゲルダは言った。
飛燕は肯くやカナンの襟元を引っつかんで彼女を立たせた。しかしカナンはその手をふり払い
「判ってます!逃げも隠れもするもんどすか!」吐き捨てるように飛燕に吠え立て、再びゲルダにいささかの畏れもない眼を向けた。
「あかんもんはあかんのやで!ゲルダ・ウル・ヴァルデェース。お前様は未だ連邦の禄を食む者、今は法に沿いなされ」
「……」
「よろしいか?わてはなぁ、こげな小さな紛争で、あんさんにけつまずいてほしゅうないんですわ!邦を滅ぼす活かすは帝王の所業。今は未だその時期にあらず。……先は未だ永うございますよって」
カナンは飛燕が自分の喉元に切先を向けるままにしているを気にも留めず
「飛燕ちゃん、ほな行こかぁ」と、言うなりゲルダに背を向けて歩み始めた。ゲルダは艦長席に身を収め制帽を拾うでもなく憮然として前だけを見ている。
「それでもこの歪な世界を焼き尽くしかったら、やんなはれ。そん後の事なぞわては預かり知らんよって……それだけですわ」この苦言を最後にカナン・東雲中尉は飛燕を伴って艦橋を辞した。
その後は誰もが言葉を発するを憚り、艦橋内には機器から漏れ出す電子音と小さなアラームを告げる人工音声だけが幅を利かせるのみとなった。
ゲルダの前で周囲に睨みを利かせていた雷電は二人の姿が見えなくなると、相棒から渡された主の業物を一礼してから恭しく捧げる。ゲルダは頷くとそれを両ひざの上に置いた。それを合図に言を発したのは高坂少佐。
「……司令」ゲルダは我を忘れていた事に気付き、未だ直立不動のままにある副艦長に
「ハインツ、核機雷の信管を抜け。予熱が退いたら収納せよ」と、核攻撃撤回の指令を下したのだった。
「それが宜しゅうございます」高坂の賛意をゲルダは軽く片手を上げて応じると、彼は満足気にして通信を終えた。
「ラウダルッツ!」主計局ブースから黒人系女性が立ち上がり、艦長席のすぐ真下に控えた。ゲルダは指先を曲げて階を上がるように指示、彼女が腰を折るのを待って
「暫しの間、我が脇を固めよ」と、黒人系士官の耳元で囁いた。
「……はて?」と、小首を傾げる彼女は拾い上げた制帽を手渡した。
「命を恙なく伝えれば良い」これにラウダルッツは何を思ったか
「ハイッ皆さん撤収ですよ。忘れ物の無いようにぃ」笑顔を振りまき児童を引率する女教師のように両手を鳴らしている。その背後でゲルダは制帽を目深にしてそっぽを向いた。
ルナン・クレール率いる民間船と軍用艦で為る脱出船団は、再度球形状フォーメーションを組み、軌道要塞『プロイセン』の外郭部、ゴツゴツとした小惑星由来の欠片をすぐ頭上に仰ぎ見る位置へと移動を開始していた。
船団の先頭に位置する機動母艦『タービュランス』では、今しがた軌道要塞を封鎖していたドローン大隊を駆逐したアクティヴ・ドローンたちを収容中であった。
重戦車並みの大型機動兵器が、次々と母艦両弦の最後尾にある着艦ゲートから発せられる誘導レーザーに沿って滑り込むように艦内へと入っていく。その様子を映し出している船橋では、カニ型マシーンに宿る人工知能それぞれが固有するパーソナリティを遺憾なく発揮させ喧騒を極めていた。
「チョろし!まっこと張り合いねかんべさぁー」と、格納庫で戦果を誇示するのはアンジェラという姐御肌の一体。
「アンジェラは私が追い込んだヴェスペを横取りしくさってトドメを刺しただけだべ。ずっこくねぇ?」もう一体の女性タイプのパーソナルで抗議しているのはベティなるCX-一〇〇改。
「うるせぇ!泣かすぞ!」、「喧嘩売ってくるバカがいますぅー」二体は格納庫内で小突きあいを始めてしまい、その周囲ではやや没個性型で経験値の低い妹にあたるメカたちが銘々勝手に
「お腹空いたぁー」と、推進剤を。「おしっこぉー!」残留エネルギーの滓を排出させて欲しいと騒ぎ立て始めている。
「いいかげんにしなさい!二人ともぉ。妹たちの補給を済ませなさい」と、ケイト・シャンブラーは船橋内のモニターに向かって喚きたてているのを、指令コンソールの上で後頭部と背中を数本の接続ケーブルによって船内電子機器と接続されているルーヴェンスが
「大変ですなぁ」と、隣りでカリカリしている褐色肌のメガネ女史を気遣うようにして声をかけた。
「ごめんね、ルーヴェンス。マークス!あんたが一番の先輩格なんだから他の兄妹たちの面倒みてあげなさい」
そのマークスが削岩用アームと脚部をボディにたたむようにして、船内へ滑り込んできた。
「ケイト、敵性ドローンの八機を撃破。残りは封鎖を解いてこちらとは反対側の外郭部へ撤退した。残数はおそらく一五、六機だろう……少しいいか?」
ケイトは各種モニターの一つに映るマークスの被弾してやや傷ついたボディを見ながら
「ご苦労様!奇襲は成功のようね。……で、何?」と、訊ねるとマークスは少しトーンを落として囁くようにスピーカーから声を洩らす。
「奴らが撤退を開始した時だった。どうやら奏者が代わったな。その途端に動きが機敏になったよ」
「それで?」
「ドローンコントロール波のパターンに著しい変化が見受けられた。相手も恐らく奏者を人からAIに変更させたんだろうが……オスカー、どうだ?」
船橋内に『タービュランス』の中央船殻に巨躯を収め、指揮系統と操船を統括しているオスカーの声のみが響いた。
「ええ、マークス。でも、あのパターンは……あり得ませんよ」
「実を言うと、ボクも感知していた。あれは、ボクがボディ・ハックされた時にメモリー内に残っていたものと同類と認識しています」ルーヴェンスがケイトの顔を仰ぎ見る。
「何のことなの。はっきり言いなさいな三人とも」ケイトは船長席から立ち上がってマークスが大映しになっているモニターに向かって突っかかっていく。
「いや、いいんだ。大した事じゃないだろう。確証が無いことは報告するべきではない。ホラァお前ら、後がつかえるだろうが。補給ブースを空けろ」と、彼はその後小突き合いをしている二体に向かって六本の脚を巧みに繰り出して進み始めた。
やるべき事はまだ残っているのだ。しかも猶予はあまり無い。彼女は毅然として自分の子供たちとして育て上げてきた重戦車級アクティブドローンたちに向かって
「これからが本番よ。我々は船団全体の護衛につきます。万全の態勢で望み、私たち、ひいては”文明を担う者”の存在を―」と、呼びかけるも。
ケイトの訓令など意に介さずカニの群れはワイワイ騒ぎ立てるばかり。まるで先生の言うことなど何処吹く風で奔放に遊びまわる幼稚園児さながら。
「おはんらぁ!これは遠足じゃなかぞぉ!」隣りで堪忍袋の緒が切れ、巨乳を揺らして喚きたてるインド系才女を見ながらルーヴェンスは嘆息をついた。
「ちくしょうめ。数はこっちが上だが機動性能はむこうが勝るか。代われトーマス!」エルザ・シュペングラーが顔上半分を覆うドローン用制御機器”オヴァール”を外すと艶やかなオレンジヘアーが背まで流れた。
トーマスなる名前を与えられ、行動と記憶に抑制をかけられたままのアヴァターはすぐさま担当する機器のタッチパネルへ手を伸ばし
「全機、封鎖隊形を解け!態勢を立て直す。一旦『プロイセン』外郭部Dフィールドへ撤退せよ」指令を受領した途端、中央制御室内を覆いつくしていた赤と黄色のアラーム表示は一斉に青へと移り、モニター表示ではヴェスペⅡ型全機がフルパワーでの撤退行動を開始した。
「何機堕とされた?」エルザはそれだけを言うと上体をぐったりさせ、リング型操作卓にしがみ付くばかりであった。
「八機だよ。エルザ」トーマスが彼女の”オヴァール”を手にすれば、脳幹から送り出される彼女の思念に基づく行動指示をレーザーパルス信号に変換。従属型AIを操作できる筈のそれは既に情報処理を変換できずに、点在するLEDは全てレッドアラートを示していた。それは機器の不調と言うよりその大元、脳幹機能に異常があることを意味していた。
「またジャムリバース現象が起きている。卒倒しちまうぞ」
「うるせぇ!頭が割れる様だぁー」相棒の心配をよそに彼女は震える手でまた胸ポケットから筒状ケースを取り、怪しいドロップを口中に放り込んだ。
「やめろ!ドラッグに頼るな」
「あたしに差し出口をたたくなぁ!あと一回でも倒れたら後が無いのは判ってんだよ。いいからお前は……チッ」と、言うや否や彼女は嫌悪の色を浮かべた。
「勝手な指示を与えるな!封鎖領域を維持しろトーマス」
ユリエ・ヴァファノフ教授が制御室の自動ドアの前に立っていた。ビジネススーツの上から白衣を羽織った彼女は室内をぐるりと見回してから、その中央にある二対一体型D・Cシステム制御卓へと歩み寄って
「下手売ってくれたなぁ!エルザ。たった今司令から連絡があった。封鎖フィールドを破られた事でお冠だよ。軍法会議ものだとさ。でも問題はそこじゃない!お前は一体何を監視していたぁ?トーマスの能力なら不審船団の接近を感知できた筈だ。違うか?えぇ」こう威丈高に詰め寄るヴァファノフにエルザは鼻を鳴らすのみ。加えて
「叔母様のお言いつけ通りにこのボクちゃんを可愛がってました。とっても上手なのよ」と、人を小馬鹿にするようにせせら笑う。
これに業を煮やしたか、ヴァファノフは無言で白衣のポケットからスタンガンを取り出すと予告なしにエルザの肩口に電撃を放った
「止めてください!教授。今、彼女は血圧、心拍数も異常値です。死んでしまいます」
ショックで意識を朦朧とさせるエルザをかばう様に立ちはだかったトーマスをも教授は無言で押しのけ、もう片方のポケットから拳銃型注射器を取り出しエルザの首筋に打った。
「ブツをダイレクトに投与したよ。さぁトーマス、それをこのアバズレに被せろ」と、ヴァファノフが彼に命令するも、アヴァターがオヴァ―ルを両手に抱えたまま激しく頭を振った時だった。
「戻りたくないよぉースラムはぁ……いやだぁぁぁぁーっ!」
「エルザ!」制御室内はおろか艦内全体に届かんばかりの狂気を帯びた咆哮を上げたエルザ。その直後に崩れ落ちた。
トーマスが制御機器を放り投げ彼女を抱き寄せれば、その両目は白目の部位まで真っ赤に染まり痙攣していた。目尻からも血の混じった涙が溢れ、ピンクの筋が両頬をつたって落ちていく。
「どうやらこいつは私に拾われた頃の記憶をたどっているみたいだな」ヴァファノフは冷笑を浮かべあくまで書類上の姪を蔑んだ視線で見据え、スタンガンを収めるとオヴァ―ルを拾い上げた。
「お願い泣かないでぇトーマス。お姉ちゃんだって昨日から何も食べてないよぉ」
「何を言い出すんだ?もういい」エルザはすっかり混濁した意識の中で手を空に泳がせて、遥か昔の記憶の弟を追っていた。
「こいつら姉弟は雑巾みたいな毛布にくるまって、空きっ腹抱えてゴミタメみたいな街の辻で寝泊りしてたんだよ。大ロシア騎士団帝国の軌道要塞『パステルナーク』のスラムで拾ったのさ」
トーマスは、苦しげに咳き込み嗚咽を上げるエルザを強く抱きとめた。オレンジの髪を撫でながら人造人間は右手の指先から細い繊毛に似た器官を伸ばし彼女の両耳の中へ送り込んだ。生体感応センサーは彼女の脳幹へと辿っていく。
「毎日テスト、テスト。それにパスしないと研究機関を追い出される。飢えるのが怖くってあたしは……あんたの成績とあたしのをすり替えたのぉ」
そうする中でもセンサーは彼女の脳幹と内臓は限界を遥かに越えているとの冷徹な結果を弾き出していた。そしてその主原因をも人造人間は掴んだ。
それは”オヴァール”。脳幹機能を反応速度と視機器覚からの演算処理を促すために服用した麻薬ルシファードロップも一因だが、それにも増してこの機器は装着した対象の生体反応、代謝率、各内蔵の自律神経を司る機能までも有無を言わさず信号解析と統括に振り分けていた。
正にドローンを手足の如くに使役するため、そのためだけに人の魂を貪りつくすための魔性の機械であったのだった。
トーマスは静かに金色の眼で教授を下からねめつけた。
「そこをどけ!そしてその役立たずにもう一度オヴァールを装着しろ」そう言いながら彼女は小型拳銃に似た注射器のゲージを最大に上げてから、彼の眼前にそれを突きつける。
「何をするつもりだ?」
「これでドブネズミに尻拭いをさせるんだよ。司令に睨まれた。不審船団を迎撃させないとこっちがヤバいんだ」
「高濃度のルシファードロップなんて投与したら今度こそ死んでしまう」
ユリエ・ヴァファノフは苛立ちも顕わにトーマスの肩を引っつかんではエルザから引き剥がそうとしたが、彼は左手のみで払い除けた。
彼女は一度、臆したように後ずさったが、その足下に転がっていたエルザの筒状のケースを見つけると鼻を鳴らしてからこう言った。
「軍からの予算だけで、これだけの設備を賄えると思っているのか?私が故意にしている組織へ予算を横流しにして手配している”ブツ”をコイツは安物キャンディーみたいに……まったく!手癖の悪さは拾ってやった時と変っちゃいないんだよ」そして、こうも続けた。
「知っていたさ。こいつの弟、本物のトーマスの方が成績は各段に上だったけどね。でも、チビのほうは虚弱でね。だから体力のあるコイツを選んだのさ。少しは能力向上を見込んでいたんだが……とんだ粗悪品だよ」次いでヴァファノフはトーマスに向け声のトーンを抑え
「お前にはコードブロックが為されている。私には逆らえない。さぁ指示通りにしろ」と、哄笑を浮かべ、拳銃型注射器を握った手を振るって指示通り動くよう促すも、トーマスは抵抗するように震える手でエルザの頭を抱え込む。ヴァファノフはさらにニヤつきながらそんな彼にこう言った。
「このアバズレを拾ったのは……そうさなぇ十歳の頃だったか。教えてやるよ。コイツはその頃からもういっぱしの”おんな”だったよ」
この声を耳に留めたトーマスは金色の眼をかっと見開くと
「知ってるよ。エルザはいやお姉ちゃんは男たちに身を委ねた後に手に入れた硬いパンと薄いスープを病弱なボクにくれたんだ!それでもお姉ちゃんと食べる物はなんでも美味しかった!」と、己が支配者の顔に叩き付ける様に叫んだのだった。
ヴァファノフは肩を小刻みに震わせては声を上げて笑い出した。
「お幸せなブレインデヴァイスだね。いいかお前が見ているのはざざ虫から得たエルザの記憶。偽りの情報なんだよ」彼女は一しきり笑うと、冷酷な表情を浮かべながら彼の左手にオヴァ―ルをつかませ
「さぁいいかげん指示通りにするんだよ。オヴァ―ルを戻せ。トーマス」と、言った。トーマスは繊毛センサーをエルザの耳から引き抜くと、震える手で今度こそ魔の制御機器を姉の頭部へと戻した。
「し、死んじゃうよぉ!お姉ちゃん起きてぇーボクの名前を言ってくれ。本当の名前を。お願いだぁ」彼は姉を慕う真の弟のように彼女の背中に額を付けて懇願する中、オヴァ―ルが機能を復活させた時だった。意識の無かったエルザが上体を起こし
「トーマス、良いですか?今から私の言うことを速やかに認証。アップロードさせなさい」と、言うや静かに次の言葉を紡いでいったのだった。
「第七の御使いが吹き鳴らす喇叭の音届きし時、神がその僕、預言者たちに示された通り神の奥義は成就せり」
ヴァファノフは昏倒していたエルザから沸き起こった唐突な言葉を耳にとどめるや
「言うなぁ!止めろぉー」と、取り乱しては先刻のスタンガンで黙らせようと首元を狙った。その手をつかみ上げたトーマス、老女の悲鳴が辺りをつんざいた。スタンガンごと手の骨を砕かれそのまま崩れ落ちる姿を冷ややかに見つめる人造人間は
「下がれ下郎。我が主の邪魔立てするな」と、声音を様変わりにさせた彼にヴァファノフはぎょっとなった。目の色が金から青、赤と激しく明滅させていた。彼は確実に姉の言葉を取り込み別の何者かへと変貌を遂げようとしていた。
「拘束術式〇一から〇七まで全開放。及び最終認識コードを承認。我が名はアイザック。またの名を第七の御使いレジェンド・アダムと為す。相違ないか?」意識を失い生命の危機に瀕していたはずのエルザ・シュペングラーがいつしか立上り、オヴァ―ルを外すとまた彼女の眼も金色に輝いていた。
「承りました。我が主エルザ・シュペングラー。我が名はアイザックにして第七の御使いレジェンド・アダムにございます」トーマスと名乗っていた成体型アヴァターは恭しく彼女の前で膝を折る臣下の礼を執った。そしてエルザは足元に転がるスタンガンを自動ドアの辺りまで蹴り上げて
「叔母様お言いつけ通りコイツを躾ておきましたわ。どうですかね?」と、言った。
ヴァファノフはエルザを憤怒の形相で見つめ
「この物乞いがぁ!よくもやってくれたなぁ!」と、詰りそれでも渾身の力で立ち上がったが、アイザックの素早い動きで注射器さえも奪われてしまった。
「これだから第七世代は厄介なんだ!マリア・シャンブラーの言う”文明を担う者”なぞどこの列強も求めてはいない。彼らが欲するは情け容赦なく民間人をもジェノサイドしうる無慈悲な機動兵器。エターナル・スレイブ!それがお前らに相応しいんだよ」
ほの暗い制御室の中、金色の眼から妖しい光を放つ姉と弟は、自分らを罵る老婆を嘲るように体を揺らしていたが、弟が怯まず元の主人につっと歩み寄り右手を伸ばしか細い首を鷲づかみにした。
「今し方主を粗悪品呼ばわりしたな。私から言わせればオヴァールなんて不良品しか造れない貴様の方がよっぽど品質が悪い」アイザックは爪をヴァファノフの首に立て、締め上げていった。そしていとも簡単に身体ごと頭上へと吊り上げた。無様な老婆は脚をバタつかせ、折れた手ともう一方の手でもがくも彼の凶行は止まらない。
エルザはそんな書類上の叔母へ冷笑を送り
「この機会を待っていたのさ。後はあたいが商売を引き継ぐ。あんたよりあたいの方がお客様の受けはいい」と勝ち誇っている。
「いいぞぉー。初めてだよお姉ちゃん。これが殺意か!ゾクゾクする」アイザックは残された拳銃型注射器を操作して、銃口にあたる先端部から針をのぞかせてからその内容物を見て取った。
「精製前のやばいブツだったのか。これならまず助からない」
「やめろぉー!き、きさまにもAI倫理規定が付帯されているはず!人間を……が、害する…こと…なぞぉ」声を枯らすヴァファノフを下から残忍な目付きで眺めるアイザックはせせら笑いながら
「人だぁ?自分の同族すら麻薬漬けする狂ったお前は人に値しない。魔女だよ!醜怪な魔女は人の扱いを受けずに火あぶりがお似合いだよ」と、冷ややかに注射針で彼女の顎下を遠慮なく刺し貫いた。
深夜の森に響く奇怪な夜鳥のような叫びを上げたヴァファノフはやがて力なく両手、両足をダラリと下げてしまった。それでもまだ余命を保っている教授の頭部へと、アイザックは先刻の繊毛型センサーを耳と鼻の両穴に向けて放った。
「それで良いのよアイザック。こいつの顧客情報に新商品リリス・ティアの化学式まで全て頂くんだ」エルザは少しよろめき尻もちをつくように席へ就くなり彼女の目は光を失い元の状態に戻ってしまった。
力なくアイザックの手に頭を預ける形となった老婆の頭、その鼻と口からはだらしなく粘液状の分泌物が固く握られた拳へと移っていった。
「きったねぇなぁー!」アイザックはそのまま更に力を込めて手首を捻った途端に枯れ木が折れるような変な音と共に老婆の頭は背中の方に垂れ下がったままとなった。
人一人の命を奪い去ったアイザックはなんら表情の変化も見せず、ゴミ集積所にビニール袋を投げるように亡骸を床に転がした。
それを満足そうに眺めていたエルザは
「おいでぇアイザック。キスしてあげようね」と、大きく両手を広げた。アイザックは素直に跪いて腰に手をまわし、へその辺りに顔をこすりつける。
「ありがとうお姉ちゃん。本当のボクを呼び覚ましてくれて」彼はまるで年端もいかぬ子供の様な声を上げる。エルザはそんな彼の髪をナデナデしながら
「よくやった。でもヤバかったぁ。あの世への橋を渡りかけたけど。今が好機だった」と、言うと彼の額にキスをした。
「ねぇお姉ちゃん。……」上目使いで唇を尖らせる彼にエルザは微笑を浮かべつつ
「アイザック。お前は今何を感知している?今のおまえならわかるよね?」こう問われたアイザックは周囲をぐるっと見廻し大きく肯くや
「分るよ。この通信波形パターンは全てボクの兄妹たち。そしてその中心には……ケイトだ。彼女の乗っている船がいるよ」と、笑顔満面に答えた。
「それならやる事は一つ。お前の兄妹ドローン隊を叩き落とし、船団を壊滅させろ」エルザはぎらつく眼差しで彼の鼻にしなやかな指先を宛がい
「その上で巡洋艦にその船を拿捕させる。船団迎撃の武功であのキバ女にケイト・シャンブラーの身柄を渡すよう交渉するのさ」
アイザックの耳元で妖しく囁いたエルザは彼を立たせると、首に腕を回し耳たぶを甘噛みしてから
「そうしてお前の宿願を果たす閨では、あたいも混ぜてね」
アイザックがキョトンとして口を開ける様になっている所へ彼女は唇を寄せた。
「あいつがいいメスになるよう仕込んであげようね。三人で楽しもう。それがご褒美だよ」エルザはそのままアイザックの唇を貪った。




