第二十二話 その名は練習戦艦『ジャンヌ・ダルク』
「本来なら、不肖の倅なぞ知った事ではないのだが」ため息まじりに呟く軌道要塞『ヴェルダン』の高等弁務官クリスティアーナ・デュシャンの前で、アルフレッド・パイパーは愛想笑いを浮かべていた。
「でも、彼女がいる上妊娠しているんじゃ放っておけない。何てたって私の孫になるんだものねぇ」
滑らかなダークブラウンの髪をショートに、きりりとした眉。その相貌は六〇代半ばにしては若々しく肌に張りがある。そこから覗く黒い二つの鋭い眼光に射すくめられたパイパーは高級リムジンの対面式後部座席で居住まいを正した。
運転手付きリムジンは自由フランス共和国にあって三番目に大きい軌道要塞『ヴェルダン』を縦貫する片側三車線の幹線道路をリュアージュ軍港に向けて疾走していた。
「妊娠しているかどうかまでは定かではないんですがぁ」パイパーは額に滲む汗を拭きながら、紺地にシルバーストライプ柄のスーツに細めの身体を包み悠然と足を組む、ミハエルのご母堂の顔をのぞき込むようにしている。
クリスティアーナはパイパーから渡された、息子とその隣りに座しているルナン・クレールの二人が映っているタブレットのメッセージ付き動画を再生しながらこうも言った。
「そんな訳ないでしょう。なんでもこの娘さんは監房区に夜食を配達したまま、帰らなかった晩もあるんでしょう?あなたのお話だと『プロイセン』には半年近く潜入していたって言うじゃない……」
これはまるっきりのウソ話。
『プロイセン』でギルドから借り受けた高速シャトルでの脱出を果たしたアメリアとパイパー。彼はその周辺宙域で様子見をしていた民間船舶の中に、コンツェルン傘下の船を見つけて乗り移り、アメリアはそのままシャトルをフルスピードで一路『ディジョン・ド・マルス』へ直行。
パイパーは移乗した輸送コンテナ船内で、実兄二人に連絡を取り協力を仰いだのだった。そして一〇月五日の晩遅くに『ヴェルダン』に到着。その足で知事領主付き高等弁務官であるクリスティアーナ・デュシャンの城のような邸宅を訪れ”息子さんからの火急の連絡がある”と、寝付こうとしていた彼女に取り次いでもらったまでは良かったのだが。
『プロイセン』を後にしようとした際にミハエルが用意した母宛のメッセージ入りのメディアを彼女に手渡した途端に普段は気品好さげなクリスティアーナは
「何を今さら!」こう一喝。あと少しで追い払われようとした時、パイパーは息子からの助力を嘆願している動画にたまたま映り込んでいたルナンを「ご子息と深い仲にある女性なんです」と、やむを得ず嘘をついてしまったのだった。
この一言で、彼女の態度は一変。後は勝手に想像力を膨らませては
「あの子の女の趣味って……わっかんないわぁ!」こう呟くとタブレット画像に映るルナンを興味深く見つめ
「丈夫な赤ちゃんを産めるのが一番。見てくれはどうにでもなるわいな」こう一人悦に入りしきりと納得した。
「こうなっては仕方ない。来なさいムッシュ・パイパー!」
この母上の行動は素早かった。執事に車を用意させる間に各方面に連絡を付け、ナイトガウンからスーツに着替え、あっという間に車上の人となった。
「旦那様、あと五分少々でリュアージュ軍港に到着いたします」パイパーの背中越しに、運転手も兼ねる執事からの連絡が入ると、クリスティアーナは高等弁務官の顔になった。
「ゲートを抜けたら、真っすぐ一三番埠頭に直行なさい。いいわねコーネリアス」
「ハイ、旦那様」執事は彼女の事を”奥様”とは呼ばずあくまでデュシャン家当主としての敬称を固持した。
「ルチアナとは連絡はついた?」
「既に埠頭にてお待ちしておりますと、ドレイク艦長から連絡が入っております」ここまで確認を済ますと、クリスティアーナは今一度、タブレットに映る二人を見ながら
「到着するまで、私の話を聞いて欲しい。宜しいかムッシュ・パイパー」と、言った。
ルナンとミハエルからの使者は無言で肯いた。
「先ずは、バカ息子のために血路を開いてここまで来て下さったことに一人の母としてお礼を言わせていただきます」彼女は頭を垂れた。
パイパーもそれに倣った後に彼女はこうも告げた。
「お兄様がたには日頃から尽力をいただいているゆえ、何とかしてやりたいが時間が無い。駐留艦隊を動かすには正式な議会の承認が要る。法令上の手続きはしっかり踏まねばならない。その点はご了解いただきたい」
パイパーはまた黙したまま肯いた。
「だが、編成から外れた老朽艦なら一隻ある。わが『ヴェルダン』直参の練習艦だ。それを人道支援目的の緊急派兵として出動させるよう手配した。新兵ばかりだがやる気は充分だ。使ってくれ」
「ありがとうございます。それだけでも……ハイ」パイパーは心の中で二人の兄に手をあわせた。
「いざとなればこの娘さんだけでも、ここへ連れてきて欲しい」ミハエルのご母堂はそう言いながら画像のルナンの顔を見つめて笑みをこぼした。
「化粧の術も知らぬ変わった娘のようだが、目付きは好い!苦境にあっても鷹のような目をしている。気に入ったよ」と、彼女は急に落胆したような溜め息を付き悲しげに目を伏せると、パイパーにこれから話すことは他言無用であると念を押してから、息子に関しての話を始めた。
「……あれはとんだ腑抜けです。お恥ずかしいが母一人子一人で育ったせいなのか、ここぞという時の心構えがありません。ミハエルは、あの子は……」その後、クリスティアーナは膝の上できつく両の拳を握りしめ声を震わせ始めた。
「護民の騎士として人々の苦境に立ち向かわねばならない時に一人で逃げたのです。難民を満載したタンカーがこの『ヴェルダン』宙境ラインまであと少しというところまで来て、アトランティアの艦隊に捕捉されました。ミハエルは脱出艇で人々を見捨てて私の許に逃げ込もうとした!」
「三年前の『J・F・K』大崩壊の時には、息子さんは人々の身代わりとなってアトランティア軍に拘束されたと、その交換条件で難民は『ヴェルダン』に引き取られたと報道は一貫していたではありませんか?」パイパーも一概には飲み込めず、詰め寄るが母はさらに声を荒らげて
「教皇様が圧力をかけたのよ!その取り巻き連中の手練手管でそうさせた。でも実際は違った!あの子の情けない声が今でも耳に残っています。『お母さん助けてよ』、『ボクには無理だったんだよ。お願いだ母さん』ってね」と、言った。彼女は両手で顔を覆い忸怩たる思いを吐き出すように言葉を紡いでいった。
「私は息子に『帰れ!』と言った。あの時私は駐留艦隊の旗艦にいました。そして艦長にこう命令したのよ。『一メルテでもあの小舟が宙境ラインを越えたら撃て』と。それからあの子の顔は拝めないまま今日まで来ました…」もうクリスティアーナは堪えきれずに膝に頭を突っ伏すようにしている。パイパーはそれを直視できずに自分の足下に視線をむけるのみとなった。
「本当はね、あの子を抱きしめてやりたかった。誰が何と言おうと私の手元に置いておきたかった!でも……あれは男子です。男子たる者一旦人々の前に起ったならば、いざという時は命を張らねばなりません。それが出来なかった情けないあの子に……私は心を鬼にしました。援けを求める子の手を跳ね除けた鬼の母です。……お笑いくださいムッシュ・パイパー」
黒光りするリムジンはアスファルトの敷かれた幹線道路をひた走る。車内にはタイヤが奏でる一定のリズムを刻む音と対向車線から時おり差し込むヘッドライトの眩い光が差し込むのみ。その中で悲嘆に暮れる母の姿を見ながらパイパーが口を開いた。
「……それはお辛かったと思います。私も今聞き及んだ事実に驚いています。ですが、お母上どうか今一度、ご子息を信じてやってくださいませんか」
徐にクリスティアーナが涙に暮れた顔を上げた。
「今『プロイセン』ではご子息とそのルナン・クレールなる女性が行く当てのない難民たちのため、脱出の手立てを得んと必死になっています。ご子息は自ら暴漢たちやら頑迷なリアクターギルドと立ち向かい市民たちの盾とならんとしているのです」パイパーの声にはいつしか熱がこもり、眼前のご母堂にたたみ掛けるように語りかけていた。
「投獄されていた三年間で息子さんも悩み学んだのかも知れません。……私もクレール少佐も彼を見知ってから日が浅いのですが、彼はもう一度立ち上がろうとしているやに私には見えました。『顔の知っている人を助けるのは”情け”と言う。顔の見知らぬ人々を助けるのは”人道”である』と言った人がいます。ご子息は人道の士として歩まんとしていると私は思います。そう信じたい」と、彼は結んだ。
パイパーは少し間を置いてから自分の言質に綻びがあるのに気付いたが、クリスティアーナ・デュシャンはそれを看破しているようであった。
「ムッシュ・パイパー、あなた『日が浅い』と仰いましたね。……このクレールなる女性とあれが男女の仲であると言うのは嘘ですね」高等弁務官としての冷徹な眼差しがパイパーに向けられた。だが、パイパーは悪びれずに言った。
「ハイッ!あなた様をその気にさせるために嘘をつきました。その件はお詫びいたします。……で、ですがご子息とルナンさんが……」その後を差し止めるようにしてクリスティアーナは彼の眼前で手をかざした。そしてまた母の暖かい笑顔を彼に向けると
「ありがとうございます、ムッシュパイパー。大丈夫よ、車を戻せなんて言う気はないから」そしてタブレットの画面に目を移してから
「どうも……このクレールって娘が倅のケツを引っぱたいているんじゃなくって?私にはそう見えるの」と、言った。
「ええ、まぁ」言葉を濁すパイパー。
「じゃぁやっぱり味方してあげないとね。このルナン・クレールって娘に。この物怖じしない瞳に賭けて見たくなったのよ。艦は自由にして構わないと伝えてくださらないクレール海軍少佐に。これで宜しいかしら?ムッシュ・パイパー」
パイパーはもう、米搗きバッタのように頭を下げるばかり。
「旦那様、ゲートを抜けます」執事の報告に肯くと、クリスティアーナは腕を組んで後部座席に背を預けてから
「そうなのね。今のあの子にはあなた方みたいな頼もしいお仲間がいるのね……ムッシュ・パイパー、どうか不肖の息子を頼みます」こう言ってから、彼女はがばっと身を起こして彼に顔を寄せるといかにも楽しげに
「でもねぇ男女の仲はわかんないよぉー。今頃、案外好い仲になっちゃてるかもぉー」と、まるで近所の世話焼きオバサンみたいにケタケタと笑い出した。
「そしたらねぇ、嫁と孫が一度に来るのよ。孫ならやっぱり男の子よねぇ」
また勝手に想像を膨らませて嬉々としているご母堂を前にして、パイパーはまた愛想笑いを浮かべるほかなかった。
リュアージュ軍港内は夜陰から生じた深い霧に覆われていた。ミハエル・デュシャン大統領候補のご母堂と執事、そしてアルフレッド・パイパーが高級リムジンから一三番埠頭に降りたっても辺りは身体にまとわり付くような乳白色のカーテンに視界を遮られていた。
パイパーが夜半深くなった空を仰げば、月が覗いている。霧は闇夜の只中で輝く主に遠慮してか、その周囲にはぽっかりと穴を開けたように空を流れていた。
「ムッシュ・パイパーこちらです。お急ぎ下さい」執事の声で、彼はすぐ前を行くクリスティアーナの姿を捜すも、彼女はお構いなしに白い帳の中を迷うことなく進み、パイパーは紺色の背中とハイヒールが生み出すリズミカルな足音に追いすがるようにしてコンクリート製の波止場を歩んでいった。
やがて、霧の向こうから
「デュシャン高等弁務官に敬礼!」号令の後には一斉に集団が軍靴を鳴らす音と敬礼のために手を差し上げた時に生じる空気を切るような音をパイパーは聞いた。
パイパーがクリスティアーナ・デュシャンに追いつくと彼女は腰に両手を置き、その前に整列している海軍の練習生とその指導教官たちを無言で眺めていた。ざっと見て三〇〇名近い人員が、グループごとに方形陣を組んで居並んでいた。その先頭に一人立つ人物にクリスティアーナが手馴れた感じで敬礼を返すと「直れ!」の号令がその人物から発せられた。
「ルチアナ、夜分遅くに済まない。欠員は?」
「ありません。デュシャン様いつでも発進できます」ルチアナと呼ばれ号令を発していた人物は、高等弁務官と握手を交わした。
「ムッシュ・パイパー、彼女がこの練習艦の艦長、ルチアナ・ドレイクだ」と、クリスティアーナから紹介されたドレイク艦長とパイパーは握手を交わした。
ルチアナ・ドレイクは背丈こそ長身痩躯なパイパーの首元までぐらいしかないが、恰幅は倍はあろうか。肉付きの良いその身体を包んでいるのは、灰色のダブルブレスト型となる立襟型の制服、下には青のズボンと膝までの黒いブーツ姿である。彼女の明るい金髪はアップにまとめられていてその上には制服と同系色の略帽が乗っている。
パイパーは職業柄、すぐに予備役大尉の制服と読み取った。そしてすぐに彼女の見た目で四〇代と思しき相貌に目を見張った。
隻眼であった。黒い眼帯をした左目とは逆のブラウンの眼を細くさせて微笑む彼女の手は、体型に似合わず小さく少女のように柔らかく仄かに暖かかった。細身ですらっとした体型のクリスティアーナとは対照的な、おっかさん的雰囲気を持つドレイクの親しみ深げな笑顔にパイパーはすぐさま好感を覚えた。
「ルチアナ、人道支援名目だが宙境ラインを越えての任務となる。実戦も有りうる……」
「心得ております。元艦長殿。二つに分かれてしまった祖国ですが、苦境に喘ぐ同胞を救うのですから全員に異存はありません」
パイパーの目に映る練習生たちは紺色の詰襟型の制服上下で皆若い。中には未だあどけない風貌の男女もちらほら。各部署ごとに方形陣を組みきれいに整列している先頭にはドレイク艦長と同じ予備役と見受けられる老練な教導士官が一人ずつ直立。
ドレイクはクリスティアーナに何かお言葉をと、一礼して彼女を促した。スーツ姿の彼女は全くの一言だけで訓示を終えた。
「小僧共暴れてこい!」と。一斉に練習生達は気を付けの姿勢を取り、ベテランたちは僅かに白い歯を見せた。
「全員配置につけ」ドレイクの号令一過、練習生達は霧の向こう練習艦のほうへと走り去って行った。
霧は大勢のクルーの動きに呼応するかのように薄れてゆき、その中をゆっくりとドレイク艦長とクリスティアーナも歩を進める。その後にパイパーと執事のコーネリアスが続いた。
パイパーは徐々に輪郭を現しはじめた練習艦の姿を視線に捉えて思わず
「な、何じゃこりゃぁ……」驚愕より落胆の濃い呟きを口にした。
埠頭に横付けされている練習艦を見たパイパーの第一印象は”鋼鉄の芋虫”。全長は優に五〇〇メートル、水面から浮かぶ喫水の高さは二〇メートルはあろうかと思われた。巨艦であることは疑いないが、その全体は武骨と言えば聞こえはいいが、野暮ったい装甲板が折り重なる鈍重な印象は否めない。
その装甲板の上からのぞく毒蛇が鎌首をもたげているような艦橋と砲塔群、各種電子機器を納めたドーム状サイト群はわりと洗練されているものの、いかにも年代物のような全景にパイパーは呆然とそれを見つめ
「練習艦……っていうより標的艦じゃないのか?」老朽艦とは聞いていたものの、もはやポンコツと言っても過言ではない艦影に意気消沈するパイパーに、クリスティアーナは振り返り
「これが練習戦艦『ジャンヌ・ダルク』だ。もって行け!」破顔したまま告げた。
「ジャ…ジャンヌ・ダルクですか……」艦名を告げられても釈然としないパイパーに彼女は
「堅いぞぉこの船は。何せ今では残り少ない地球で竣工された戦艦の一隻だからな……今から六〇年前の火星内戦時代に、はるばる地球の衛星軌道から引っ張って来た『ダンケルク』級の四番艦さ」そしてこうも付け加えた。
「兵装は往時の半分になっちまったがな、装甲は折り紙付き」
「艦長席にお座りになりますか?元艦長。艦橋はあの頃のままです」ルチアナ・ドレイクの誘いに彼女は首を振って固辞した。
「今は君の艦だ。向こうに着いたらルナン・クレール海軍少佐の指揮下に入れ」
「私が任官したての頃、ミハエル坊ちゃんがお腹にいる時でさえ、艦橋にあって大漢中共連合や大ロシア騎士団帝国の艦隊と渡り合っておられたのがつい昨日のようです」
「よしとくれ!あの時は出産費用を稼ぐために必死だったからね……ルチアナ、頼むよ」
了解しましたの代わりにドレイクはクリスティアーナに敬礼すると回れ右を。
「ムッシュ・パイパー急がれた方がよい。私も行く所がある……おおっといけない。コーネリアス」
パイパーの前に執事が立ち、身ごなし軽やかに自分が携えてきていた小ぶりだが豪奢な革製ケースを差し出し、その中身を披露した。
「あと、私が君たちにしてやれるのはこれ位だよ。アトランティアの連中は知らんが、ドイツ皇帝派には効果覿面だろう」
ケースの中身は艶やかな緩衝材に覆われた一枚の磁気カードであった。一面乳白色で中央に金色の聖十時のマークとその下にはラッパを吹く天使が描かれている。
「こ、これは……御印状?」思わずパイパーは声が裏返り一歩下がって頭を垂れるようにしてからクリスティアーナを見た。
「これはな私が初めて現教皇グレゴリウス十七世猊下との謁見の際に賜った物だ。まだお元気な頃だったがな」
「で、ではやはりミハエルさんは……教皇様の御落胤であるという噂は本当なのですか?」ついパイパーは巷で囁かれているミハエルの出自に関する風説を口の端に乗せてしまい、その醜聞に晒されている当の本人を前にして身を強張らせた。
そんなパイパーにクリスティアーナは鼻を勢い良く鳴らすと
「ミハエルが御落胤だってぇ!それはね私の事だよ。わ、た、し」ぐいっと立てた親指で、年の割には張りの在るバストに突きたてた。
「今はもう亡いが、私の母は若かりし頃の教皇様との生涯一度の大恋愛で私を身籠ったんだよ。当時大司教への階を上りかけていた私の父は還俗しようとした」クリスティアーナはここまで言うとクスクス笑い出した。
「今ね、母の言葉を思い出したよ。『あの根性なしのケツ蹴り上げて”男ならてっぺん目指してみな”と言って別れてやったのさ』てな具合だったよ。母はこの話をする時はいつも明るかった」
革製のアタッシュケースを押し戴いたまま肯くパイパーを尻目に、教皇様の息女は遠い目で月の夜を仰ぐと
「そんな昔のスキャンダルに尾ひれを付けてマスコミを焚付け教皇様の孫にあたる人間を大統領に据えようなんて……邦もどうかしているよ。……でもその責の半分は私にもあるんです。ムッシュ・パイパー」と、告げた後に少し悲しげに目を伏せた。
「……血は争えない物だねぇ……かく言う私も妻子ある人との道ならぬ恋の末にあの子を産んだのさ。あの子の出自をうやむやにし続けた事でいらぬ面倒をかけてしまった……」
有識者の一部では歯牙にも掛からぬ事柄として一蹴されている流説の顛末。その一部始終を聞かされて困惑しきりで目を泳がせているパイパーを前に、ご母堂は再び一人の母の顔になった。
「パイパーさん、あれに伝えて下さい。お前に手を差し伸べてくれたお仲間と共に歩んでいきなさいと。これも奇縁でしょう、三年前の雪辱を晴らす機会を神はお与えになった。今度は護民の騎士として、男子の本懐を全うするように」パイパーは黙ったまま大きく肯く。
「あと、クレール少佐に……もし倅がまた人々を置いて逃げようとしたならあれを撃てと。暗殺指令は貴官が執行せよとお伝えくださいますよう。これは母であるクリスティアーナ・デュシャンが容認します」
「あ、暗殺指令のことをご存知だったのですか!」
「知るべきことは知っています。この『ヴェルダン』の知事領主様もご高齢でね。瑣末な事は高等弁務官である私に一任されている。いわば陰の宰相である私には教皇庁、『イル・ド・フランス』にも太いパイプがあります。……正直、息子のことは諦めかけていましたよ。でも、風変わりな娘さんのギラギラした眼に私の心は決まったのよ。さぁ行きなさいムッシュ・パイパー。あと、最後にこのカードは一回こっきりしか使えません。使い処を間違えないように」
これを皮切りにパイパーはご母堂に一礼すると練習戦艦『ジャンヌ・ダルク』へ向きを変え、ケースを小脇に抱えて足早に霧の向こうへと姿を消した。
波止場に残されたクリスティアーナ・デュシャンも執事が待つリムジンへ向けて身を翻した。ヒールがコンクリートを叩く軽やかな音と共に、霧の向こうから腹に響くような戦艦出港の霧笛が鳴り響いてきた。
白い帳の中を鋼鉄の芋虫『ジャンヌ・ダルク』は各アンテナ、尖塔のLED表示灯を”緊急出動、航路を開けよ”を意味するレッドに点滅させ、外宇宙への射出孔となるヘキサゴン・エリアを目指し舳先をリュアージュ湖の中心へと向けた。
「コーネリアス、シャトルの手配は?」リムジンの後部座席を開けたまま控えている、初老の執事は間髪入れずに
「三番埠頭に高速シャトルを用意させました。旦那様」主人が乗り込んだ後部座席のドアを閉めながら彼は告げると忍者のような素早い動きで運転席へ。
「手早い事。いつもありがとうコーネリアス」
「いえいえ。坊ちゃまの火急でございますから万事滞りなくは当然でございますよ。行き先は『セント・ロマーナ』で宜しゅうございますか?」
コーネリアスはリムジンを巧みなハンドルさばきで三番埠頭へと駆り出した。後部座席では旦那様が足と手を組んで悠然としている。
「ええ、一度教皇様に拝謁します。娘の特権で顔パスだしね。息子は必ず帰って来る!手出し無用と周りの取り巻き連中に睨みを利かせないと」
「お戻りは?」
「その後は『イル・ド・フランス』に向かいます。必ず迎えの艦隊を出動させる。軍令部主査アンドレ・アルノー大将と面会するわ。……うだうだ言ったら私との昔の関係を奥様にたれ込んでもいいのかってごり押ししてやるんだからねぇ」
この威勢のいいご母堂は三番埠頭に到着するまでゲラゲラと笑い続けるのみであった。
「だから何度も言ってるだろうがぁ!メッセージは本物なんだ。動画に映っていたのは本物のヒューバート・ファン・アイクだ!」
アメリア・スナールは船舶組合ビルの寒々とした会議室で後ろ手に縛られ事務用の回転椅子に座らされていた。
「それは判っているよ。スナールさん。問題はだな、このメッセージ付きカードをあんたに手渡した人間が誰かって事だ」彼女の尋問を請け負った組合長たちの一人、が体の良い中年ハゲ男がアメリアの前にしゃがみ込んで上目使いで睨みを利かせた。
「ハンナ・マティアスって言う情報部局員。れっきとしたエージェントで、しかも青の党の顔役だろう?私たちはマティアスの協力者として次期大統領候補の救出任務に当たっていたんだ」
「それ!そのマティアスなる人物はどうも後ろ暗い所があるらしいじゃないか?そいつはファン・アイクに取り入る一方、裏ではアトランティア・ネイションズとの関係も未だに根深いと話に聞く……違うかよぉ?」
アメリアは答えに窮し、思わず目を伏せて唇を噛んだ。
ハンナ・マティアスが『革新・青の党』を敵視するアトランティアとのコネクションを持つ二重スパイとしての嫌疑はアメリア自身未だに拭えていない。彼女とアルフレッド・パイパーが『プロイセン』から血路を開いた時点ではルナンとマティアスの共闘関係は維持されたままだが、脱出が成功するまでマティアスが裏切らないという保障もないのも事実。
ハゲ男は、尋問する対象がうな垂れているのを見て、我が意を得たりと言わんばかりにアメリアから奪った、『もし、船団の手配に行き詰ったら頼るといい』とマティアスから渡された青一色のカードを眼前でヒラヒラと泳がせるようにして
「ここの収められた動画のファン・アイクは『このカードを携えてきた人物には最大の尽力を……』と言っている。オレ達は『革新・青の党』を支持している。だけどな、自分の身代を危うくさせるまで協力する義理はねぇ!」と、吐き捨てるようながなり声をたてた。
「大統領候補の奪還だぁー、そんなの関係ねえ」、「難民を脱出させるため船を出せなんて無茶だぜ」、「軍隊か警察の仕事だろうがぁ!」、「関わりあうのは御免だわねぇ」
ハゲ男の呻り声に後押しされた男女綯い交ぜとなった声が、アメリアに一斉に押し寄せてきた。彼は椅子を反転させて会議室の中央へと向けさせた。今まで大型プロジェクターに大映しにされていた、現在は『イル・ド・フランス』の政庁都市オロール・パリ府で収監されている革新・青の党の思想的指導者であるヒューバート・ファン・アイクのオレンジ色の囚人服姿に、熊のように迫力の在るヒゲ面からアメリアは自分を見つめる険悪な眼差しと対峙することとなった。
会議室内には合わせて二〇名近い男女が三々五々に席を埋めていた。ここに集ったのは、皆アメリアの第二の故郷となった『ディジョン・ド・マルス』の市井の人々で、工事現場の親方、商店主、居酒屋経営者、港湾職員の組頭といった面々が寄り集まってきていた。半数は『革新・青の党』のメンバーであろうが残りはまぎれもない一般人。もっとも党籍を持つメンバーも普段は仕事に勤しむ労働者には変わりない。中には今夜初めてヒューバート・ファン・アイクの実像を垣間見た者もあったのだっだ。
アメリアはマティアスへ恨みの一つも上げたくなったが、それを喉元で押し殺して気丈に眼前の面々をにらみ付けた。
アルフレッド・パイパーが『ヴェルダン』に到着するより数時間早い夕刻。アメリアはAI自動操縦による三角翼シャトルを『ディジョン・ド・マルス』ゼッケル軍港内の離発着場に着陸させた。それから一度自分の兵舎兼事務所に立ち寄り、自前のビジネス・スーツに着替えた。プロテクト・シェルだと警備兵から詮議される惧れがあったためだ。その後に基地事務所を訪れたが。正にけんもほろろであった。
アメリアは事務所の扉を「もういい!」の捨て台詞を残して蝶番が外れんばかりの勢いで押し出ていった。
基地エントランスの外では一台の4WD車。そこには彼女の留守を預かっていたロベルト・マクミラン少尉とフリーランスの傭兵で艦艇強襲部隊の教官として『グリフォン・ディファンス』に招きいれたヤヨイ・斑鳩がエンジンを掛けたまま待機していた。。
二人ともライトグレー色でツナギ式の装備服を着用していた。
アメリアはロベルトに自分の動甲冑を預け、二人にこのまま部隊を率いてセント・グロワール港にて待機。自分の到着を待つよう指示すると、送っていくという細面の青年からの申し出を断って「ここから目と鼻の先だ」と、一人で船員町の船舶組合事務所へと駆け出したのだった。
「どう言えば、信じてくれるんだよぉ!私は青の党を探りに来たスパイじゃねえんだ!」
船舶組合ビルの会議室内でアメリアは集まってきた青の党のシンパと一般人に身の潔白を訴えるも
「タッカーさん。そいつを海へ放り込んじまえ!」と、非情な返答が帰ってきた。これにはさすがの猛者も青ざめた。
「バカ野郎、海賊じゃねえんだぞ!そんな真似できるか」タッカーと呼ばれた尋問役を買ってでた中年ハゲ男が同胞たちをドヤし付けた。
このタッカーなる青の党の役員と思しき人物からの急な呼び出しで集まってきた連中の間で議論が巻き起こり、結果大勢が『我関せず』にまとまりかけた時。
若手の港湾職員がじーっとアメリアの顔を見つめてから
「オレ、この人見たことある」と、言い出して携帯メディアを取り出しお目当ての画像を探し当てると、周りの同年代の若造らとアメリアを代わる代わる見比べてから
「あんたさぁ『モフモフうさちゃんクラブ』のSM女王様?」と、言ったのだ。
いきなり訊ねられたアメリアが目を白黒させ、頬を染めながら困惑するのを見たタッカー氏が若衆たちの所まで足を運び、メディアを覗くや大げさにのけ反った。そしてそれを携えて彼女の所まで戻ると
「これ、アンタかい?」と、眼前にそれをかざして見せた。
それはまさにアメリアがルナンと共に海賊掃討ハニートラップ作戦時において使用していた宣材写真。
「やめてぇー!そ、それは海賊をおびき出す時に使っていた写真なんだ。ルナンの奴に『お願いだ』って頼み込まれて。し、仕方なく」
アメリアは自分の黒歴史を晒され、椅子の上で足をジタバタさせたが、すぐにしゅんとなって首をうな垂れた。
「おいっ姉さん、今、ルナンって言ったよな?それってもしや、海賊殺しキャプテン・クレールの事?」誰かがこう言ったのを受けて、アメリアは小さく肯くのみ。すると、この召集に応じて来た人々の間から今度はヒソヒソ話が生まれた。
アメリアがゆっくり顔を上げてみると、人々の顔から剣呑な色が薄れてちらほらと笑顔が浮かんできているのを見て取った。皆は見聞きしたルナンの奇行をひけらかしてはクスクス笑い、座の雰囲気が和やかな物になりつつあるのも感じ取った。すると、今度は別の誰かが
「あの人さぁ、その件で謹慎中じゃなかった?」と、問うた。
アメリアは今一度、ルナン・クレールが大統領候補の奪還作戦に参加せざるを得なかった事情を中心にこれまでの経緯を話して聞かせたのだった。
すると一瞬、水を打ったように静まりかえったと思うと次にはどっと大爆笑が沸き起こった。人々からは「アホやぁーあの豆タヌキ」、「借金抱えて救出作戦だってさぁ」、「しょうのないお人だねぇ」との声があちこちから上がり笑いながら会議室のテーブルを叩く者やら、座したまま腹を抱えてゲラゲラと声を上げる人間が続出した。
笑いの波が少し収まると、その中の一杯飲み屋の店主がルナン・クレールの逸話を同志たちに語りだした。なんでもルナンが店の片隅でビールジョッキを傾けつつニコニコしていさえすれば、知らぬうちに客が集まって盛況になってしまうのだと言う。すると次から次へと本人が聞いたら卒倒しそうな武勇伝が出るわ出るわ。その都度にまた爆笑が会議室を包み込んだ。
アメリアはいきなり、縛られたままで立ち上がった。中腰で椅子をぶら下げたまま、顔だけを会議室に集う面々に向けてこうたたみ掛けた。
「正直に言えば私は任務であるとか、邦の命運とかは二の次なんだ。ここへ来たのは私の親友が……ルナンが待っているからなんだ!あいつは家を焼け出され怯えている人たちを放っておけないって……『おせっかいかも知れねえが、やっぱりオレ達だけで逃げるなんてできねぇ。オレはイヤだ。イヤなんだアメリア』ってさぁ!」
アメリアはそのまま二、三歩、陸に上がった亀のようによろよろと人々の前に進むと
「どうかお願いだぁ!あいつを助けてやってくれないか!危険な事は承知している。無理なことを言ってるのも判る!けど、死なせたくないんだよ。バカはバカなりに真っすぐなんだよ!一生懸命なんだよ!も、もうここしか頼る所がないんです。お、お願いです……友達を助けてやって……」声を枯らして訴えるアメリアに人々は気圧されたように口を噤んだ。
思いの丈とありのままをぶちまけた後にアメリアは崩れ落ちるようにしてその場にへたり込み椅子が”ガタッ”と音を立てて床を打った。
すると、また一人手を上げた人物があった。髭も髪も真っ白で、作務衣の爺さん。
「この前ルナンさんに店の”見かじめ料”立て替えてもらったんだけんどぉー。まだその分奢ってねえんだわぁ……来てくれねぇと……困るなぁ」と、言うとアメリアのすぐ横でタッカーが
「あのお人のおかげでよ、安心して船が出せるようになったよなぁ」また彼も感慨深く頷いてから、アメリアの拘束を解いた。その直後に
「キサラギちゃん最近見かけないけど?」と、アメリアのSM女王様姿を見つけ出した若者が手を上げた。
「キサラギも『プロイセン』にいるんだ……」アメリアが沈痛な面持ちで、現在行方不明である事は告げずに答えると、今度は若衆の間から”なんですとぉ!”と数名の男性がアメリアに詰め寄ってきた。彼らは一応に
「オ、オレ達の推しがヤバいんじゃね?」とか「マジっすかァ姐さん!」「推しのピンチに黙ってられねぇぞ」と口々に騒ぎ始め頭に血を上らせたように騒ぎ出した。
「な、何なんだよぉ一体?」アメリアは不穏な顔つきを並べる若者たちを睨め付けると、さっきの言いだしっぺが「オレ、キサラギ・スズヤちゃんファンクラブ会員№〇〇九っす!」と、手を上げて宣言すると続いて若衆の間からも会員№で名乗りを上げる連中が続出した。
呆れ果て眉間に皺を寄せるアメリアを他所に№〇〇九が
「会長、いやさ№〇〇二。これは急がにゃなるめえよぉ!」と、彼女のすぐ横にいる人物に訴えた。
「んなことはぁ判ってるわい!」顔を真っ赤にしてこう答えたのは中年ハゲのタッカー氏。彼は会議室に集う面々を前に
「よしっ行くかぁ!」と、声を発すると皆は一斉に大きく肯き、”応!”と答えたのだった。
アメリアはその場で立ち上がって、周りの人々の顔を一人一人拝むようにしながら
「ありがとう皆さん。恩に着ます。……本当にありがとう」目を潤ませ声を詰らせながら深く頭を垂れた。すると人々の間から「任せな!」「大丈夫だよ行こうぜ姐さん」の声が上がる中から
「こちとら軍隊じゃないんだよぉードンパチ始まったらどうすんの?」と、キサラギファンクラブを白眼視する女性陣から至極当然な疑念が上がったが、アメリアはこれに
「手はある!私とは別ルートでアルフレッド・パイパーって言う協力者が護衛用の艦隊を動かすべく、二人のご兄弟のツテをあたっているんだ」と、応え彼女は更に
「何なら、救出に尽力してくれた皆さんにはパイパーコンツェルンに仕事の便宜を図ってもらうよう頼んでみますから」と、最後の一手を打ち出した。すると今度は女性陣から
「パ、パイパー!」や「お、大手から仕事が来るぅ!」こう驚愕の声が上がり、一斉に席を立ち始めた。
「組合の招集を掛けろ!それと船はスピード重視、小・中型貨客船からタグ・ボート、連絡シャトルでもかまわねえから集めろ!集合先はセント・グロワール港のヘキサゴン・エリア!ぐだぐだ抜かす奴は首に縄つけてでも引っ張って来い!」
タッカー氏の濁声に押されるようにして、人々が部屋を出るのを見ながら、彼は唇をへの字にして困ったような表情をアメリアに向けた。
「あのさぁスナールの姉さん。端からそう言ってくれれば良かったんだよぉ」
アメリアは肩を窄めて簡単な謝意を示してから、少し気にかかっていることを問うた。
「ところでキサラギファンクラブの発起人№〇〇一って誰なの?」
「あ、それってわしですぅ」さっきの作務衣の爺さまが顔を赤くさせながらひょこひょこと二人の隣りを歩き去っていった。




