第二話 我らの小さき歪(いびつ)な世界
「レーザー誘導ビーコン受信。軌道要塞『ディジョン・ド・マルス』への入港シーケンス開始します。クレール艦長」手狭な発令所に航法管制オペレーターの野太い声が反響した。
艦内の耐圧隔壁に背を向ける形で据えつけられている艦長席に身を埋めるようにしている仏頂面の女性艦長はその声に一度だけ大きく頷いてみせた。
「クレール艦長へ。『ディジョン・ド・マルス』入港管理局より『クレール中尉殿へ、無事のご帰還なによりです』との通信在り。返答如何?」
次に通信担当女性オペレーターの少々耳ざわりな甲高い声によって、その場で胡坐をかくルナン・クレールの下に社交辞令がもたらされた。
ルナンは耳まで切り揃えた金髪の後頭部を掻き、ソバカスだらけの渋面の前で右手をひらひら、女性オペレーターに手ごろな返答を委ねんと両手を合わせてみせた。
「ちくしょう……嫌な情報だけは駆け足だ。文屋連中が騒ぎやがったな」
ルナン・クレール元海軍大尉は、明快灰色で裾の短いダブルのジャケットにダークグレーのシャツにえんじ色のネクタイ姿。ジャケットと同系色のパンツに膝丈の革製ブーツといった通常軍装である。彼女は自分の身の丈には少々不釣合いな大きさの艦長席で今度は両膝を抱えて体育座りを始めていた。
その姿は正にくたびれた”クマのぬいぐるみ”が軍服を着ているようで、発令所に居合わすクルーたちからはいつも笑いを誘っていた。
ルナンは今年の七月で二五歳を迎えていた。未婚である彼女は妙齢な美女とは言い難い。しかしこの人物独特の魅力なのか、彼女が勤務する艦内では常に明るく気さくな雰囲気が途絶えたことは無かった。
「今日でこの『コードロン』をお払い箱かぁ……」呟くやトロント級軽巡洋艦『コードロン』の船体中央部に位置する発令所をぐるりと見回した。
発令所には船外を直接視認できる監視窓の類はない。その代わり、船外の様子をダイレクトにモニターしている大型液晶モニターが三基、天井部から吊り下げられる形で配置されていた。
この区画には艦の進行方向の壁面に据えつけられている二人一組で制御する操舵員ブース。そのすぐ背後には航宙士官の席がある。その他に原子炉とイオンエンジン制御を始め、モニターしている機器がひしめき合い四,五名の兵曹が釘付けとなっていた。
照明はやや暗め、各部署のモニターからの淡い光と表示されている文字情報が対面するクルーの顔面をほのかに照らし出すのであった。
今、メインモニターにはこのフリゲート艦が滑り込もうとしている、火星移民者の末裔にあたる人々が居住できる唯一の人工世界オービット・フォートレスこと軌道要塞の威容が巨大な円形の壁となって迫っていた。
その中心部からは人が住まう世界のみが放つ温かなオレンジの光が長方形のメイン入港口から洩れて来ていた。そのゲートですら縦、横二〇〇メートル。鋼鉄製の壁に比すればやけに小さく感じられてしまう。
可視光線化されているレーザービーコンに沿う形で、宇宙空間にて停泊せざるを得ない、大型のコンテナを山積みにしているタンカー群が整列していた。フリゲートはきれいに整列しているそれらを尻目に入港口へしずしずと接近していく。
この火星世界においては汎用性が高い軽巡トロント級の六番艦『コードロン』は、ルナン・クレール元海軍大尉の指揮下であった第七独立機動艦隊の旗艦としての最後の航宙を終えようとしていた。
そのメガ・ストラクチャー自体はオレンジの光を中心軸にして円形の壁面をゆっくりと時計回りで回転させていてその中に住まう人々に地球より約十五パーセント増しの人工重力を遠心力で発生させているのである。
『ディジョン・ド・マルス』と呼ばれる軌道要塞はアイランドⅢ型と一般的に称されるスペースコロニーを模している。日本茶を収めるお茶缶、恐ろしく巨大な茶筒形の人工構造物の全外郭部に牡蠣の殻のような小惑星の岩肌を付着させている姿が標準的な外観となる。
『ディジョン・ド・マルス』は円形の直径部分だけで一八・六キロメートル、全長は四二キロメートルに及ぶ軌道要塞。大元はその大きさに類する小惑星をベースに、内部を円筒形にくり抜き残ったその天然素材の部位に人工構造物をぐるりと配置した上で人工世界の建設を執り行う。一基平均で早くて六年~一〇年の月日をかけて人間が居住できる地球と酷似した擬似世界を火星移民者の子孫たちは百年以上に渡り造り続けて来たのである。
自らの生存と未来の全てを賭けて……。故郷の地球に戻る事を許されず、本来の新天地である筈の火星本土からも拒絶された人々が窮余の策で必死に造営した人工世界。それが軌道要塞オービット・フォートレスなのである。
「中央ゲートへの進入開始。減速七五パーセントへ。艦首姿勢制御スラスター噴射三〇秒」
「艦内重力をカットへ。全部署へ通達。重量物固定を確認、注意せよ」航法及び甲板・保安担当オペレーターたちは慣れた手順で入港作業を各部署へと指示する中、ルナンは中央モニターを占拠していく膨大なオレンジの光に目を細めて思わず手をかざしていた。
「こちらセント・グロワール市航法管制室。『コードロン』は現在の速度と針路を維持せよ。こちら内径世界の天候は晴れ。日付は八月二〇日。現在時刻は〇七:二〇。中心軸無重量エリアの人工太陽付近は靄がかかっている。留意されたし」
「『コードロン』了解。今日も暑くなるのかい?」
「こっちのオーゼル島とセント・グロワール市付近の最高気温は三二度まで上がるとの予想だよ。海水浴にはもってこいだな。ラドム海の南西区画ポイントEに着水せよ。その後ゼッケル海軍基地への進入航路をとれ。トパーズ湾とバレアス島の海上、天気晴朗なれども波高し」
「ご丁寧にどうも。『コードロン』オーヴァー」
このやり取りを聞いていたルナン・クレール艦長はここで頭上から鈴なりに幾つかぶら下がっている艦内通話用の通称キャプスタンと呼ばれるいかにも古臭く機能一点張りのマイクをつかむと
「こちらは艦長だ。全部署へ通達。今一度周囲の備品の固定を確認せよ。毎度のことだが無重量状態からすぐに慣性重力の影響下に入る。重量物に足を挟まれるような事故なぞ起こさぬように」と、注意を喚起させてからモニター映像から完全に目を背けた。
『コードロン』は入港ゲートの長いトンネルを抜けて、いよいよ軌道要塞『ディジョン・ド・マルス』の内径世界へと足を踏み入れた。先ず艦全体を霧のヴェールが包み込み、その進行方向の先にはぼんやりと光を放つエネルギー核である人工太陽が出迎えてくれた。
完全密閉型宇宙都市である軌道要塞には回転軸の中心に自然発生する無重力エリアに必ず一基の人工太陽と称される直径五メートル程度のプラズマ光源体が構築されている。それなくして人々の生存は成り立たないのは自明の理であろう。それは光でありマイクロ波を放ちこの世界に全ての生命活動に必須な熱をもたらす唯一の物だからだ。
「船底部スラスター全基噴射開始。本艦は降下に入ります。着水ポイントはカリーニン諸島西方五キロメートルの海上」
「了解した。上手に着水させてくれよ。コイツも大分ガタが来ているはずだ」ルナンは航法オペレーターにそう返すなり、身体を艦長席から踊り出させた。彼女の身体は無重量状態でほんの数秒間ふわりと浮かんでいたがすぐにゆっくりと足下から発令所の床に着地した。船体そのものが軌道要塞内に発生している遠心力を元とする重力場に捉えられ始めた証拠であった。
「ふふっ。いつ見てもこの光景は壮観だよ……」ルナンは今まで膨大な光量で視界を遮り、発令所内を照らしていた映像から一転して周囲三六〇度全体に広がる壮大なパノラマに息を呑み、かつ微笑を浮かべた。
船外監視モニターにはフリゲート艦が降下していく内径世界のほぼ全景を捉えていた。モニターに映る光景の全てが海洋である。
波頭を描く群青の海原が行く先の全周囲を包み視界が届く範囲のさらに向こう、やや靄が掛かっている水面の先に人々が居住する島影がぼんやり見えるのみ。それもいくらか内径の外縁に沿って湾曲して見えるのだった。
軌道要塞『ディジョン・ド・マルス』は海洋群島型と呼ばれる全表面積の七割近くを海洋で構成され、残り三割を群島が占める。その有効内径表面積、茶筒を一枚の紙のように大きく広げて見れば、それは約二四〇〇平方キロメートルに及ぶ。故に『ディジョン・ド・マルス』には居住可能範囲が海洋部を含めて、日本の神奈川県とほぼ同じ表面積を有するということになる。
『コードロン』は順調に船底部を海原へ向けて降下していった。
航法管制士官と操舵員は逆噴射式の姿勢制御スラスターの出力を上げながら海面へのソフトランディングを意図して運航を取り仕切っていた。
海面まで高度一〇〇メートルを切った時点で噴射を最大に上げ、海面に水蒸気と波頭をまきあげながら遂にフリゲート艦は着水に成功した。一度大きく船体の上部構造物までを水中に潜らせてから波間を掻き分けて浮上したのだった。
「推進器をモーターに切り替えろ。スクリューを回せ!速度を六ノットに維持せよ」ルナンが指示を下すと各担当オペレーターが復唱して艦内の機関区に伝達する。
「艦橋へ上がるぞ。展望キャノピーを解放してくれ」艦長ルナンは待ちきれないとばかりに、発令所から司令塔区画へ、さらにその上部にある吹きさらしの艦橋へ上がるためのハッチの真下でラダーに手を掛けている。
「クレール艦長。ハッチを開けたままにしておいてくれませんか?外気を味わいたいので」クルーからの要請にルナンは了解の意で手を上げ応えた。
気密式エアロックのハッチを二箇所抜けて展望型の艦橋に立ったルナンは一度、大きく伸びをしてから外気を肺に思いっきり取り込んだ。開け放しているハッチからはこれまでの完全な気密状態で艦内に溜め込んでいた人間の体臭と機械の油臭が醸し出すカビ臭い空気が流れ出てきており、入れ替わりに発令所には新鮮で清々しい潮風が流れ込んでいるはずである。
人工太陽とは、核融合パルス振幅レーザー式でインナーワールドに光と熱をもたらすエネルギー核であり紛い物の太陽だが、それでもそれが生み出す暖かな光は碧い海原を眩くさせて、さらに内径世界の果てまで続く蒼穹をも見事に演出して見せていた。それを真っ先に肌で直に感じることとなったルナンはもう一度だけ大きく深呼吸。その心地よさに自然と顔がほころぶのだった。
ルナンは艦橋の端に手を掛けてからこの部署にも配備されているキャプスタンを手に取って
「航海長へ針路左一〇度。オーゼル島へ針路を取れ。ガイドドローンの姿は見えないな」このルナンの指示に、据えつけてあるスピーカーから
「了解です。こちらは海図をトレースしています。ドローンの航路誘導なんて必要ありませんよ」との返答が。先刻までは航法管制を仕切っていた男性オペレーターは航海長をも兼務。水上航行の運航と管理をもしっかり担っているのだった。
本来なら宇宙船として分類されるはずの艦艇が、人工の大海原に白波を立てて突き進むシルエットは浮上航行をする潜水艦に酷似していた。
この姿と、港に船体の下半分を水中に沈めたままで停泊している艦隊の在り様を見た人々はいつしか宇宙艦隊を束ねる宇宙軍とは呼ばずに自然と”海軍さん”と呼称するようになったと言う。
「ただいま。我らの小さき歪な世界。そして……我が故郷よ」ルナンはこう独り言をもらした。
そのあとに、ルナンは、周囲に人がいないのを確認してからネクタイを緩めて、首に掛けてあったひも付きの巾着袋を引っ張り出した。それは花柄の手の平サイズ。彼女はそれを額に当ててから目をつむって
「アンナよぉ……姉ちゃん、ヘタ打っちまった!まぁた振り出しじゃ……許してなぁ」と、呟きしばらくただ一人艦橋にあって祈りを捧げているかのように佇んでいたが、やがて大きく両の拳を同時に天空へ突き上げるようにして、一転腹から声を張り上げて
「まぁだまだぁー。若いんじゃけぇー、何とかするさねぇ!」と、高らかに笑い出したのだった。
ゼッケル海軍基地内本部ビル、来客用応接室の一つで、ルナン・クレールが自分の後釜となる先任士官ヴァノック中尉との引継ぎ業務を一通り終えた時だった。
「いや、しかし私も永年海軍で勤務してきましたがね、今回ほど胸のすく任務はなかったですな」と、先任が口を開いた。さらに彼は自分より十歳は若いであろう前艦長に向けて
「査問委員会なんざクソくらえ!海軍はどうかしていますよ。大尉殿はそれなりの成果を上げて来たではありませんか」と言った。
「成果は認める。だが、方法と事後処理がけしからん!……だそうだ」ルナンは対面するロングソファに体重を預けてくつろいでいる無精ひげの元部下に卑屈とも取れる歪んだ笑みを向けた。
「たしかに奇抜な……と言うより誰もが思いつきそうな作戦ですがね、実際にやってみたのはあなたが初めてではなかったですかね?正直言って意外でしたよ。女性兵士たちがこぞって美人局作戦への志願をよこしてきたなんて」
「そうだったのか……?だが、みんなには感謝しているよ。オレが作戦内容を説明しても誰もがこぞって協力してくれたことは間違いない」
「ええ!それこそお祭り騒ぎでみんな楽しげだったじゃないですか。……えーなんでしたっけ?大尉殿が持ち込んだ中古の貨物船」
「元の船名は『第三アジア丸』。オレはあれを徴用して『タービュランス』と名付けた」その名を聞いたとたんに先任は顔の前で両手を叩いて大笑いを始めた。これに対してルナンの口はへの字だった。
「そうそう。その内部を個室付きサロン船に改造した上に、海軍のきれい処を集めてセクシーコスプレさせて海賊おびき出しの客引きさせるとは。痛快でしたなぁ」
目の上のコブが消え失せ、思わぬ昇進の道が開けたことで今や喜色満面の部下を前に、ルナンは天井を見上げて溜息を一つ。そこへ応接室のドアをノックする音が。
二人が誰何する前に優雅な身のこなしで滑り込むように入って来たのは、ゼッケル基地司令付きの女性秘書官だった。彼女はこれも慣れた手つきで用意して来たアイスコーヒーを二人の間にある小型テーブルに置いた。
「珍しいじゃないか、メリダ。中佐のおごりかい?」経歴上元キャビンアテンダントの秘書官は丸メガネの奥から目を細めて、声を掛けて来たルナンに
「あのオヤジが気を利かすことなんてあった?これはあたしからの善意。お疲れ様です。第七独立機動艦隊司令クレール大尉殿」と、口元を綻ばせた。
「元大尉さ。新しい大尉殿はこちら。それに機動艦隊って言っても軽巡洋艦一隻と仮装巡洋艦だけの貧相な艦隊だけどな」と、ルナンはテーブルの向こう側を示せば、後任の新大尉は喉を鳴らしながら氷入りのアイスコーヒーをがぶ飲みしている最中。
「あら、私たちにしてみれば“海賊殺しのキャプテン・クレール”は邦の誇りよ。あの無法者共しかも大手で名の知れたドラッケン一家と南宋紅龍会を壊滅させたじゃない」
ルナン達の艦隊勤務用制服より白に近いグレーの上衣と紺のタイトスカート、金髪をオダンゴにまとめたメリダ秘書官は丸い金属製のトレーを豊満な胸の前で抱えながら鼻息を荒くさせた。
「あれは見事でしたな。ドラッケンの連中は合計三隻の武装商船でのこのこ現れて『タービュランス』でサービスを受けようとした所を、我らの突入隊が一斉に乗り込んで全員捕縛。……あ、これお代わり。できればワインが欲しい」と、ヴァノック中尉は空になったグラスをメリダ秘書官に差し出すと、額の広い秘書官はジロッと彼をにらむと
「それでおしまいです。勤務中なのになにがワインよ。体張って私掠船団を罠にかけたのは女たちなんだから!働きの悪い男にはそれで十分です」と言った。
「そんな事言うなよ!逃げ出した私掠船を撃破したのは私の『コードロン』なんだ。その上押収した合成麻薬ルシファードロップ数トンまでも船外へ放棄したし……」
「“私の”ですって。まだ艦長はクレール大尉です!」
ルナンは自分の副官につっけんどんな態度をとる秘書官をなだめてから
「放棄したのはドラッグだけじゃない。奴ら自身もそのまま宇宙空間へ流してやった。船外装備無しでな。……それがマズかったらしい。上層部はそれがやり過ぎだと、査問会ではそれに関する質疑ばかりだった」ルナンはこう呟くとここで初めてコーヒーに口を付けた。
「構やしないわよ。宇宙で好き勝手して暴れてきた当然の報いでしょうが。なにが自由なる遊撃騎士団よ!女性の敵よ。抹殺すべし!奴らが動けばそれなりの女子供がさらわれて被害を受けるんだから。『ディジョン・ド・マルス』の女たちはそりゃ大喜びで拍手喝采していたわ」
メリダは顔を紅潮させて市井の人々が抱くルナンへの評価を代弁して見せたのだが、当の本人はさらに顔に苦渋の色を顕わにさせて
「実を言うと、オレを査問にかけるべしと軍上層部を突き上げたのは、首府城イル・ド・フランスの女性団体らしいんだよ」と言えば、それを受けたヴァノック新大尉が
「『うら若い女性兵士にいかがわしい恰好をさせて、掃討作戦の囮に使うとは何事か!女性蔑視だ』って批判の声があったらしい。全く!大尉は参加してくれたレディソルジャーたちに連中が言うようないかがわしいサービスをさせた事なんて無いんだ。誰一人として!現場の苦労はいつも評価されない!……ほらっ」彼が再度お代わりをリクエストすると、秘書官は頭を振りつつグラスを受け取り
「ワインはダメよ」こう無精ひげの男に釘を刺してから
「ルナン・クレール、あなたはいつだって私たちのキャプテン・クレールだからね」ルナンの背中を平手で軽く叩くと親指をぐいっと立ててウィンクして見せた。
目一杯の造り笑顔を向けるルナンは良く躾られた身のこなしで音すら立てずに、応接室のドアが閉じられるのを見つめていた。
「やっぱり、この宣材写真がマズかったんですかね?」あと数日で階級上自分より上役となる中年男の声に、今や出戻り中尉となったルナンが振り返ると、彼は自分の携帯メディアに目を落としている。
「ほらっ、驚きですよ。新設された突入隊の隊長までがこんな格好しているんですからね」
彼に見せられた画像にルナンは思わず口に含んだアイスコーヒーを吹き出しそうになった。そこには自分の親友であるアメリア・スナール中尉の刺激的な姿があったのだ。
アメリアは四角い小型液晶画面の中で、無機質なコンクリート製の壁をバックに、見る者には背を向けた形で立ち、振り返りざまにギロリとこちらを睨んでいる。
その出で立ちは全身黒い光沢のあるレザースーツに膝丈まであるロングブーツ。背中は大きく開いていてそこには同じ色の紐がきつく編み込まれており、両手も肘まであるロンググローブと銀髪の上にはナチス親衛隊のような軍帽を被っている。極めつけに下に目を移せば見事な白い肌の臀部が大きく張り出しているTバックという、正にSM女王様のお姿。
「おいっ!先任。何で君がこの画像を入手できるんだよ?機密扱いで提出済みの証拠品だぞ」
「私らの仲間内じゃこういう裏技に長けている奴が一人や二人はいるもんですよ。にしても……全てAIに造らせたフェイク画像じゃいけなかったんですか?……ほら、この女史とか、この娘なんか。うおっ!たまらんですぜ」
今度の新艦長は前任者の質問には耳を貸そうとせずに、自分のコレクションに夢中の様子。
「フェイクはダメだ。奴らの目は“肥えて”いる。すぐに見破られてしまうからな。……うわぁ!」
ヴァノックが次に披露した画像にルナンは思わずのけ反ってしまった。
「インド系ですかね?この巨乳娘は。どっかで見た事あるような」
豪奢なホテルのベッドルームで撮影されたであろう、その画像の真ん中には温かみのあるオレンジ色の照明に照らされ、ベッドに膝立ちとなってこちらに微笑んでいる褐色肌の妙齢な女性があった。
背中まである艶やかな黒髪、たわわに実った豊満なボディをささやかに包んでいるのはいわゆるベビィドールと呼ばれるセクシーランジェリーのみ。
淡いパープルカラーの薄衣もさることながら男性の目をくぎ付けにさせるのは彼女のバスト。もはやランジェリーからこぼれ落ちんばかりであり、さらにそのインド系の顔立ちの美女はメガネを口の端に加えて片手で裾をたくし上げては臍の辺りをちらつかせ、もう片方の指先は妖しいデルタゾーンをかろうじて覆うショーツの紐をつまんでいた。
「さ、さぁねぇ……その一般公募で協力してくれた有志の一人だと思うよぉ……」と、ルナンはそのランジェリー巨乳娘の身元を彼に悟らせないようにわざとソファの上で体を横向きにずらせて画像から視線を逸らせた。
「な、なぁヴァノック中尉、そろそろあがろうぜ。引継ぎも済んだことだし」こう同僚に促すも彼は自身のメディアをスライドさせては画像検索に夢中で
「まだ、いいじゃありませんか。それと何て言いましたっけか?『タービュランス』号の源氏名」と、まだまだ談笑をつづけようとしていた。これにうんざりしてきたルナン。
「源氏名だぁ?設定した仮の店舗名だろう『モフモフうさちゃん倶楽部』!」
「アハハ!それだ。いやっしかしよくやったもんですよ。痛快、痛快!捕縛された賊徒どものマヌケ顔が浮かびますぜ」だらしなく目尻を下げながら、画像を食い入るように見つめている中年男を目の端で捉えながら、ルナンは
(今のお前さんも相当マヌケ面しているぜ……)と、半ば呆れ顔でグラスに残った秘書官のご厚意を飲み干そうとした時だった。
「私ら男連中の中で、特に人気が高かったのはこの娘さんですよ!大尉殿はお目が高い。いったいどこで見つけてきたんですか?間違いなくJKでしょう?」
ルナンにとって全く想定していなかった画像を目の当たりにされた途端、コーヒーの一部が気道に入って、吹き出し派手にむせ返らせてしまった。それもそのはず。ルナンとは最も近しい間柄の娘、自分が訳あって引き取り生活を共にする少女であり、しかも半ば嫌がる当人を説き伏せて、自分自身でアップロードさせた物に他ならないからだ。
画像の背景は自宅近くの児童公園。その木製ベンチに腰掛けているのがルナンの同居人である、キサラギ・スズヤと言う名の当年十六歳の少女である。名前の通り日本系アジア人種を先祖に持つこの娘の出で立ちと言えば、艶やかな黒に近いこげ茶の髪をツインテールにまとめ上げ円らな黒い瞳でこちらに微笑んでいる。
マスタード色のブレザーに淡い水色の学生向けシャツ。その第二ボタンまで空けて、首元からは赤い紐タイプのタイをラフに下げている。腰から下はチェック柄のプリーツスカートと言ったまさに伝来のJKスタイルその物。
暖かな日差しに映えるキサラギの輪郭はややふっくらした卵型で、白く透き通る、もちもちとした柔肌。その唇はルージュ無しでもピンク色に照り返し、かすかに開いた口元からは球形キャンデーの棒がのぞいているのだった。表情に幼さが残るものの、あと数年で如何なる美女へと変貌するか周囲の期待にそぐわない正に大輪のつぼみといった風情を醸し出していた。
「うえっ!この子もここで募集した画像から……え、選んだだけですのよぉ。そんなに人気が高いとは。ゲホォ」
「名前は?」
「紗代……タカキだったかな?」ルナンはとっさに嘘をついた。いずれの時代でもやたらと個人情報を披見するのは憚れるものだ。それでも中尉はじとっとした詮議の視線をルナンに向けてきた。
どう答えたものかと窮している元大尉に救いの手が。応接室を辞去したメリダ秘書官が再来したのだ。今回、秘書官はノックもせずにドアを開け放つと片手に握った白い紙カップをヴァノックの眼前に差し出して
「一杯だけだからね。ちゃっちゃっと飲んじゃいなさい!」と、言った。紙カップには並々とつがれた紅玉色に輝く赤ワインが。
「わかっているじゃないか!おまえ」彼はそれこそカップごと口に放り込みそうな勢いでお目当ての旨酒を堪能し始めた。
これを見たルナンはここぞとばかり立上って
「それではこれで失礼するよ。ヴァノック新艦長よろしく頼む」と、言えば彼もすかさず倣って片手にワインカップを握りながら敬礼。
「ハイ、大尉殿。何かあったら呼んで下さい。太陽系の果てからでも駆けつけますので」と、当たり障りのない常套句で返した。
ルナンが戸口に向かう中、目尻の中でメリダがヴァノックの腕にツタの様に絡まっているのが映った。体をくねらせながら彼女は
「ねぇアンタァ、赤い顔して基地内をぶらついたらダメだからね。あと、家に帰ったらそのみっともないヒゲを剃るのよ」ルナンの存在など無いかのようにふるまっている。
二人は夫婦だった。ルナンは仲睦まじい二人をそこに残したまま応接室を出て、振り返らずにそっと戸口を閉めた。その時彼女の耳に飛び込んできたのは“今夜は射撃訓練だからねぇ”の猫なで声であった
通路はエアコンが強めにかけられていて、上衣を脱ぎ半そでシャツ姿のルナンは思わず体を身震いさせた。通路はリノリウム製の一松模様。彼女はそこをただ一人白い部分を選びながら歩を進めた。
「夫婦か。ま、オレには無理な話さ」こう呟いた後、ルナンの脳裏には今は亡き妹アンナの姿が浮かび上がって来た。
(お前をいざという時に見捨てて逃げたオレにひとかどの幸せなんて……許されるはずがないよ)
目を伏せつつ本部ビルのエントランスへ向かう、ルナン・クレールの後を追うように強すぎる冷風が、通路に点在する観葉植物の青々とした葉を激しく揺らしていた。