第十八話 リアクター・ギルドへの道
地下鉄の車列は暗闇ばかりが幅を利かせるトンネル内を疾走とは程遠いスピードで進んでいた。時おり軋む車列を牽引する電気機関車の狭い運転士席ではウィルバー・ヨハンセンが何度目かの溜め息をついた。
「あんたぁ、あらほどの人数ばギルドは受げ入れでくれるんがね?あど、もっとスピード出ねぇのけ?」
アメリアはもうウィルバーを亭主呼ばわりしている。彼女は伴侶のすぐ後ろで配電盤のパネルに背を預けつつ、機関車のライトが照らす進行方向に視線を注いでいた。だが、そこから見えるものと言えば闇に浮かぶレールと枕木、変わり映えのないコンクリート製の内壁ばかり。
嫁さんへの返答の代わりにまた一つ嘆息を付くウィルバーの頭部をアメリアは軽く平手でひっぱたいた。
「そだこど言ったっておめ…なんやかんやで千名近ぐ乗せでるんだ。これでもフルパワーだど。あぁ何でこだ事になったんだべ。これもあのバカ共のせいだで」
「一時間くれぇ走ってるど。ギルドファームって所にはあとどれくらいなんよ?」
「もう一時間くれぇだな。いつもなら搬入用プラットホームに着いている頃だぁ」
「あのデュシャンの殿様が『全員を連れて行く!』なんて言うからだぁ」ウィルバーが運転士席で自分の思惑違いに地団太を踏んでいるのを、嫁はやんわり彼の首に腕を回しこんで
「……でもさぁ何とかしてくれるんよねぇ?」こう耳元で囁けば旦那さんの方は
「ま、任せなさぁーい!」嬉々として身体を揺すっている。
夫婦の上下関係は既に決したようである。
この地下鉄は二〇両編成。その最後尾、空荷の貨車の中にはルナン、マティアスとパイパー。そしてミハエル・デュシャンその人が乗り込んでいた。彼はパイパーが用意していた脱出用の扮装着である高位の法衣姿に着替えていた。加えて地下鉄の駅から乗り込んできた難民たちも。難民らは三人とは少し距離をおいてミハエル・デュシャンを中心に車座になっている。そのほとんどが子連れの女性たちだった。
「何とかここまでは上手くいきましたね」と、パイパーがルナンと貨車の床に胡坐をかき、赤く腫れた頬をさすっている。
「ああ。今夜はトラブルの大安売りさ」ルナンは彼に白い歯を見せてからすぐ上を見上げ、立ったまま列車の揺れに身を任せているマティアスへ
「さて、参謀殿。如何にするかね?」と問えば
「うるさい!話しかけるな。いきなり難題を吹っ掛けられて考えがまとまらん!」マティアスは二人に背を向けて天井から射す一つきりの電灯から離れた薄暗い隅っこに視線を向けたままだ。
『金のクマさん亭』を後にしたルナンら一行六人が、唯一残されたポツダム市からの脱出手段となる私設の地下鉄に乗り込むべく、R・G・M社へと到着した時には、もうそこには人だかりに埋め尽くされていた。誰もが着の身着のままで、パジャマにコートだけを羽織っていたり、サンダル履きのままで幼子を抱えている夫婦、頭にカーラーとネットを付けたままの老婆とその伴侶もやはり寝間着姿。砲撃に加え火事と煙、そして上空から飛来する得体の知れない軍団に、身の危険を感じて寄る辺もなく彷徨ってきた人々ばかりであった。
ルナンをはじめ全員が茫然自失となったが、その中でも取り乱して頭を抱えてしまったのが、愛する彼女を救わんとこの脱出を買って出たウィルバー・ヨハンセンその人であった。
全くの想定外の事態に周章狼狽するばかりの彼。そこへ人ごみを掻き分けて来る周囲の人間たちとは装束を異にする若者数名が駆け寄ってきた。
彼らはルナンから見れば十代後半の少年たち。皆ギルド・ファームの一族を象徴する白に近いライトグレーのローブをまといスキンヘッドという出で立ちであった。一見すれば修行僧のように見えた。
ウィルバーから何故ここにいるのかと問われた、彼らは仕事を終えた後、示し合わせて空荷となった地下鉄の貨車に潜りこみ夜の街へと繰り出したという。目的は素敵な夜の手ほどきしてくれるお姉様たちのお店。
少年たちは姿形こそは修行僧然としているが、中身は好奇心旺盛な普通の若者と変わらない。彼らはかねてよりこうした大人へのステップアップを計画していて、よりによってこの晩に決行に到ったのだった。
「ぼくらが地下鉄に戻って隠れようとして倉庫のシャッターを開けていたら、何か難民救済センターに勘違いされたみたいでぇ人がどんどん集まって来てさぁ、地下駅ホームの入り口は鎖でがっちり施錠されてるしぃー」ここで少年の一人がオロオロと泣き始めた。
ルナンはだいたいの経緯を聞き及んでから、辺りを見てはがくっと肩を落とした。彼女にしてみれば何とか窮地を脱する糸口をつかみかけたと思っていたらこの有様である。
「ギルドの小僧共を見つけた時は、交渉の糸口になると踏んだんだが……あのボンクラめ」ルナンはドイツ海軍制帽の庇を指でなぞりながら呟く。
「まさか、法衣姿のデュシャン様が群衆の前に出て『ここにいる皆さんを連れていきます』なんて言い出すとはねぇ」パイパーまでもが溜息まじりで、三人から距離を置き難民たち、特に子供たちに取り巻かれているデュシャンをみつめて更に
「不思議です。あのお方が声を発するだけでパニック寸前だった彼らが大人しくなってしまいました。後は地下鉄に乗り込むまで整然と並んでこちらの指示通り動いてくれましたから」と言った。
「ああ。あそこは言う通りにするしかなかった。皆が暴徒化したら今頃どうなっていたか」ルナンの呟きにマティアスが彼女らに背を向けたままで
「あいつはいつもそうだ。熱血バカ女と同じで後先考えずに行動にでるんだよ……あの時だって」暗がりに向けて声を荒らげる。
「三年前の軌道要塞『J・F・K』大崩壊か?」
「その事はいずれ話す。……今はまず……」ルナンの視線の先でマティアスはまた考え込んでしまった。
「あの時も意外でした。飄々としてるだけと思っていたらやくざ連中を一喝して追い出してしまうなんてね」パイパーはどこか楽し気に肩を揺らすと
「その前に君とオレはしこたま殴られたがね」こうルナンもパイパーに笑いかけた。
戦火渦巻く地上を逃れ地下鉄ホームに降り立った総勢千名近い難民へ、ルナンたちが貨車に積まれてあった食料品とミネラルウォーターの配布を開始しミハエル・デュシャンその人までもが声をかけ手ずから渡すと、それを契機に群衆に安堵の色が浮かび人々は一時落ち着きを取り戻した。
ルナンはその後も群集の中を練り歩き二両だけの客車には子供連れと独身の女性、病気持ちの老人を優先させ、その他の男性及び壮健なシニア世代には空荷となった貨車に乗り分けしてもらう旨の通達を行なっていた時に、その悶着は起きた。
当初は食料をめぐっての避難民同士の諍いかと思ったルナンがその場を収めんと近寄ると、ある一団がギルド・ファームの少年たちに詰め寄り、中には胸倉をつかみ喚いている奴もいた。
一団は屈強そうな強面ばかり。険悪なグループの頭目らしき見た目だけは紳士然とした中年男が海軍士官姿のルナンをみつけると歩み寄り、自分たちにも客席の座席を分けろと、貨車に分乗するなどご免蒙るという。
ルナンはやくざ然とした連中に毅然として、大人しく貨物車に便乗するよう指示するや否や、ボディーガードの一人から横っ面を拳でぶん殴られた。
それを見たアルフレッド・パイパーも「何をする!」と勇んで突っ込んできたものの、そのボディーガードの逆襲を受け昏倒してしまった。人々の間から甲高い悲鳴が地下鉄ホーム内で反響した。ことこういう場合では最も頼りになる戦士アメリア・スナールは未だ上の階での監視と施錠役を担っていた。
余人なら諦めてしまう所だが、なおも立ち上がったルナンは今度は腹に蹴りを喰らった。それでも彼女は苦悶に表情を歪めながらも倒れようとはしなかった。彼女は輩共から社長と呼ばれる中年を睨みつける。
社長はきれいに撫で付けられた髪型を気にしながら
「若衆に示しをつけなきゃならんのよ。それにだ、私はねここの有象無象とは違って高尚かつ有意義な”立場”と言う物がある。それこそ君の年俸なぞ吹っ飛ぶくらいの金を上役連中に上納しているのもこんな時のためでもあるのさ。今後の為にも私にはそれなりの便宜を図ったほうが得策だよ」と、言ってから葉巻を取り出した。後はお決まりのポーズでスパスパと紫煙を吐き出しながら社長は客車の方へと勝手に歩を進めた。
ルナンはそれでもなおよろめきながら、社長が身に着けていた高級ローブの袖を渾身の力で握った。彼はいっそう冷酷で憐れみ一つない眼差しで彼女を睨みつけた。その意を汲んだボディ・ガードが三発目をルナンに見舞おうとしたが、いきなり仰向けにひっくり返された。荒くれ共とルナンの前に盾となったのが法衣をまとったミハエル・デュシャンであった。
ミハエルは黙したままで連中の前に立ちはだかる。ボディ・ガードは今度はミハエルに挑みかかろうとしたが、これを社長とよばれた高邁にして不遜な人物が手で制し今度はミハエルに向かってあざとく、したたかな表情でにじり寄る。
「あなたならお解りだろう?私のような人間が持ちうる力をね。選挙の際にはあなたの陣営にどれほどの組織票が入るかぁ……言わなくても判るよな」社長はミハエルの法衣の合せをていねいに撫でてから彼の側を通り抜けようとした。
「去れ!」ミハエルから発せられた意外な言に彼はわざとらしく自分の耳に手をかざして”もう一回言ってみろ”のポーズをとった。
ルナンには背を向けているミハエルがどんな表情をしているか判別できなかったが、それと相対している連中の顔には明らかに居心地が悪げな困惑した表情が浮かび始めていた。屈強なゴロン坊たちは各々がばつが悪そうに目を逸らしてしまっている。
それでも社長は何か言おうとしたが、ミハエルはさらに大きな声で
「お前たちのような輩をこの列車には乗せない!これは無辜の市民達のものだ。もう一度言う去れ!」
「よく……考えたほうがいいよ。これからの損得を……!」
「きさまらの支援なぞ要らない!どうしても我が身の保身を計りたいなら、外に出て寄せ手の大将にミハエル・デュシャンは地下鉄に乗ってリアクター・ギルドの保護を受けようとしていると訴えるがいい!その情報で己が安寧のみを買うがいいさ!」
「ルナン……命令をよこせ!ボディ・ガードを連れているのはお前らだけだと思うなよ。親友を足蹴にされたら黙っちゃいねぇぜ!」アメリアがカットラス刀と小盾に仕込んだソードを閃かせて、連中の後ろに控えていた。輩共がぎょっとして振り返ると彼女は獲物に挑みかからんとする狼が如くグレーの瞳をらんらんとさせている。
形勢逆転。自分の立場が危うくなったと悟った社長はどこかで聞いたような捨て台詞を残して一党を引き連れて来た道をたどり始めた。
ミハエルは不貞の輩共が立去ったあとに、人々には列車に乗るよう指示してから、腰を屈めたままで苦悶するルナンの手を取るやそのまま彼女を抱きしめた。
「こ、このマヌケ!撃たれたらどうするんだよぉ!いいから離れろぉ」ルナンは彼の腕の中から逃げるようにして身を放し、顔を真っ赤にさせた。
「それならそうなるまでの事です……。なに、あなたの勇気に倣ってみたくなっただけです」ミハエルはルナンに微笑みながら、その場で未だ気を失ったままのパイパーを助けおこす。パイパーは再び勇ましくファイティングポーズを取ったが、辺りに連中の気配がないのを悟ると頭を掻きながら、避難民の誘導に加わった。
列車の揺れに身を任せながら胡坐をかくルナンとパイパーがデュシャンを見れば、彼の周りには子供たちが、小学生くらいから幼児にいたるまで集まって来ていた。彼はその子らに神学校での経験からか聖書からの説話を分かりやすく諭している。
「この眼鏡、お気に入りだったんですけど、さっきの騒ぎで……買い替えですな」パイパーは銀縁メガネを外して少し曲がったフレームを指でなぞる。
「なぁ、パイパー。君が何もそこまでする必要はない。ギルド・ファームへ辿り着いたら自由にしてもらっても構わないぞ」ルナンが暗に彼の任務からの解放を告げると、パイパーはメガネなしの眼で彼女を見つめてから
「水臭い事を言わないで下さいよ。それにパイパー家の男を舐めてもらっちゃ困る」と、笑みを向けるがルナンは彼の細い眼から放たれる凄みを効かせるような輝きに息を呑んだ。
「私には少し年の離れた兄貴が二人いましてね。親父がねだらしないっていうか……みんな腹違いなんですわ」アルフレッド・パイパーは自分の出自とこの作戦に自ら志願した旨を語り始めた。
彼、アルフレッドの兄二人はこれまで父の事業を引き継ぎ、地方の単なる宇宙船舶運輸業者からコンツェルンと呼ばれる大企業へと躍進させたが、常に海賊対策には頭を悩ませていたと言う。
「海賊から会社の船と協力下請けの船団を守るためのみかじめ料が半端ないんですわ。それでもね、毎年傘下企業から被害者がでる。その都度兄貴たちはその家族へお悔みを出さなきゃならない。それがいたたまれなくってね」
「それで君は軍を志願したのか?」
「ええ、でもさっきの通り腕っぷしはまるでダメ。それで主計局勤務です。でもね動く金と物資は結局は海賊を飼いならすために浪費されるばかりなんですよ」
「ああ、現場でドンパチするのは稀だよ。上がびびっちまって……何がしかの金品渡して手を打っているのが実状なんだよな」
「兄貴たちの苦労に報いたいその一心だったのに。嫌気がさし始めてた頃にある名前を耳にしたんです。『海賊殺しのキャプテン・クレール』をね」思わずルナンはニヤッと笑うパイパーから視線を泳がせた。
「少佐。いや、ルナン・クレール。あなたはやってのけた。見事に連中に大打撃を加えてくれた。兄貴たちは喜んでいたんですよ。あれからはまったく安心して仕事ができたって。私はね二人に『オレの隊長はあの海賊殺しなんだぜ』って胸を張ってみたいんですよ。だからぁそんなつれない事言わんでつかぁさいよ」彼はそのままルナンににじり寄ると
「何でも言って下さい!水でも食料でも武器弾薬でも。私の伝手がダメなら兄貴たちを巻き込んででも援助させてみせますけぇ!」パイパーはここで自分の臍を拝むように深く頭を下げて来た。ルナンは少し戸惑いながらも何故か正座に座り直してから
「ええっと、不束者ですが……なにとぞ」最後の“良しなにお願いします”とどこか間の抜けた答えを言う前に
「何でもと仰いましたね?ムッシュ・パイパー」との声が。
二人が頭上からの声に見上げてみると、今まで自分たちに背を向けていたはずのハンナ・マティアスが両手を腰に据えた仁王立ち。彼女はまるで今まさにネズミに飛び掛からんとする猫のような目で見据えて来ていた。
ルナンとパイパーはそれこそ閑念したネズミみたいにおどおどしながら声にならない微かな悲鳴を上げ始めていた。
「ツゥーバメェ、ツバメ、お前のお宿はどこでしょねぇー♪」キサラギは『ヒンデンブルグ』からオービット・フォートレスに悠然と広がる大空へと吸い出されてから、自身の体が遠心力重力に捉えられたと判るや、教わったとおりに空挺部隊向け降下用三角凧を広げた。
ステルス性能を有す黒一色ケブラー製の布地は一斉に風を受けて彼女の身体と特殊装甲服の胸部に納められたルーヴェンスと共に遠大に広がる空間を泳ぐように滑空しはじめてから約一〇分。
キサラギはすぐに滑空術を身体で覚え込んでしまい、手と両足を広げるムササビに似た格好で自在に凧を操れるようになっていた。彼女の周囲の全てが三六〇度全方向にひろがる壮大なパノラマとなり、生まれて初めて見る光景に上機嫌となったキサラギは、昔どこかで覚えた童謡を口ずさんでいた。
「この音痴め。しっかり前見てろよ」胸部アーマーの内側からクロネコが喚いている。ただその声は彼の通信機能を経て、キサラギのヘルメット内部に装備されたスピーカーからダイレクトに届けられた。
「なによぉ人が気分良くしてるのに。それで、あたしはポツダム市のどこいらに降り立てばいいわけ?」キサラギは暗視型ゴーグルと酸素マスクが一体となっている装面の中でやり返した。今、彼女の視界はツインアイシステムからもたらされる外部の風力、高度計と外気温といった様々な情報が表示されているややオレンジ色を帯びたインジケーター画像が幅を利かせている。
「待ってろよ!パイパーさんからの位置情報の更新記録がある。……巡洋艦は?」
「うん。今しがた入港口を逆走して宇宙へ移動したよ。……乱暴だよなぁ。原子炉を積んだあんな大型艦を滞空させるなんて。え!?ち、ちょっとぉー……くすぐったいよぉー」
キサラギの胸元、クロネコがもぞもぞと身体を揺り動かしていて、少女の敏感な部位に毛の塊がこすり付けられている。キサラギは大きく右へ左へと空中を滑空しながら身体を流されていく。
「おい!危ねぇだろう。この中だと通信機能にいささか障害がー」
「やめてぇ!変なところ触るなぁー!そこはダメェ」
「うるさい!騒ぐほどのおっぱいじゃないくせに……」キサラギが手がふさがっていなかったらクロネコをド突いてやるのにと歯軋りしている所へ
「キサラギ……ポツダム市じゃない。もっと北だ、北に向かえ」と、ルーヴェンスが最新の位置情報を告げた。さらにこうも続けた。「リアクター・ギルドの管轄区、ギルド・ファームから通信が来ている。北北西に針路をとれ」
「なんでぇ?そんな所にぃ。厄介な事になってなければいいんだけど。ルーヴェンス針路を表示して」
すぐさまキサラギのインジケータヴューアに矢印が浮き出てきた。彼女は器用に身体と脚を僅かに捻らせて矢印が直進の位置に来るよう針路を微調整させた。
あとは真っすぐ飛ぶだけとなったキサラギは暫し口を噤んだ。前方には薄い雲が何層にも重なって白いヴェールとなっている。
「ねぇキサラギ。君……ひょっとして本当はあの、ゲルダって言う将軍の下に行きたいって思ってなかったかい?」と、ルーヴェンスが訊いた。少し間をおいてから
「もし、一緒に生活しているのがルナンでなかったなら……そうしていたかもしれない。……でも、あの方は……一人なんだよ。……いつもそうだったんだなって思った」雲の間隔が短くなって、インジケータの表示も外気温の低下を注意するために点滅を始めた。
キサラギは両の腕を気持ちややすぼめて、降下速度を上げた。
「でも、やっぱりあたしはあの方の背中を追うのではなくて、一緒に手を携える人と生きて行きたい。ルナンと一緒に往きたいんだと思う」その後は少し溜め息をついて「……あの人はあたしがいないと完全なダメ人間だしなぁ」と、言うと胸元のルーヴェンスから
「わかる!君無しじゃ、あの方の家は二ヶ月でゴミ屋敷となる!」これにはキサラギも装面の中でケタケタと笑った。
だが、それもキサラギがふと下方の空間へと目を転じた時に止まった。
キサラギの眼下、雲の隙間から一隻の有翼型の姿が垣間見れたからだった。
「ルーヴェンス!直下方約三〇〇メートルにアトランティア連邦コロッサス級コルベット有り。あのバード・オフ・プレイって奴だ。……こっちには気付いていないみたい」
「視認できないし、俺にはレーダー機能は付いていないんだ。針路がわかるか?」
「……まっすぐ北北西に向かっている。クソッ!ギルド・ファームへ一直線じゃないか!」
「通信が傍受されたとは考えにくい。ひょっとしたらクレール様たちの行き先をタレこんだ奴がいたのかも知れないぜ!」
キサラギは自分の位置からフリゲート艦の装備を外観から伺おうとしたが、ステンレス、スチール製の巨大な翼には太陽光を集約させる蓄電パネルが居並んで、飛びながら充電を行なっている事ぐらいしか判らなかった。
「ルーヴェンス、このコルベットには原子炉が積まれているの?」
「いや。この手の内径世界制圧用艦艇は高出力型のイオン・タービンエンジンだよ。撃破された際に原子炉がメルトダウンでもしたら、この世界全体が被爆してしまうからね」ルーヴェンスの分析結果にキサラギは装面の中でニヤリとして
「じゃあ、墜しても問題はないってことだね」と、言った。
「おい!……まさか!?ヤル気かぁ」
キサラギはこれには答えずに、次第に眼下を離れゆくバード・オフ・プレイの陽光に煌く姿を追随するべく、また降下速度を上げた。
ルナン・クレール一行と避難民たちがギルド・ファームの入り口となる高い城壁と鬱蒼とした森林に囲まれる城門にたどり着いたのは人工太陽が完全に昼の顔となった頃合いであった。
ウィルバー・ヨハンセンだけが一足先に、聳立つ城門の脇に有る通用門から中に入ってから暫くが経過していた。ルナンは避難民たちを森の中に点在させるようにして待機させた。それでも彼らは今か今かと首を長くさせて待っている。
ルナンの気持ちも焦れてきた頃、ウィルバーが足取り重くさせ戻り、ファームの少年達とミハエル・デュシャンの身柄だけは受け入れるという、つれない決定を話して聞かせた。少年達はすごすごと通用門前で陣取っている見た目では武装した僧兵にも見える厳つい連中の険しい視線に怯えるようにして通用門の中に姿を消した。
頭を丸めた、頑健な体躯にこれまた身体にぴったりとした防弾チョッキを着込んでいる僧兵一人がミハエルに向けて手招きしている。
ここでルナンは「オレが掛け合おう!」と、真っ先に疾駆して警備隊長と思し気人物の前まで来ると、隊長はルナンの話なぞ訊こうともせずにいきなり手に持っていた、スタンガン付きの警棒で彼女に痛撃を喰らわせた。仲間と難民らが見守る中、彼女は半ば失神状態で僧兵の前に倒れ伏してしまった。
これを見たウィルバー、アメリアの両名は憤然となってこの男につかみ掛かろうと駆け寄ってきたが、またここでミハエルが二人を制して前に出た。
「世界の運行を司る一族よ。何の権限を以ってかような振る舞いをするか」ミハエルは僧兵隊長に詰め寄るも、相手はルナンを一瞥しただけで次にミハエルと対峙した。
「ギルドの長がお決めになったことだ。何人たりとここでは長の決定には逆らえぬ。あなたも速やかに中に入りなさい。あとの事は我らの関知することではない」さも自分の行為が当然であるかのように振る舞い、ミハエルの法衣を乱暴に掴んだ。
「何とも情けない連中だ!お前たち、リアクター・ギルドだけがこの軌道要塞と宇宙都市群を神のごとく七日間で創り上げたとでも言うのか?」ミハエルは掴まれた手をふり払いながら言った。
僧兵隊長は鼻を鳴らしながら城門からさほど遠くない木立の中に群れている避難民たちを眺めてもなお尊大な態度を崩そうとはしなかった。
「貴様たちは、誰のおかげで日々を安らかに過ごせていると思っている?この軌道要塞を静謐に保ち、安定したエネルギーを供給しているのはギルドである!選ばれた一族のみが世界と天地の運行を司るは自明の理。代々受け継がれた人類と地球の叡智、その全てはギルドに帰属する。我ら一族以外の何人たりともこの聖域に足を踏み入れることは許されない」
僧兵隊長はミハエルと群衆に向けて、その良く日焼けした浅黒い顔に一種の官尊民卑の考えに基づく嘲りを浮かべ、自分の足下に倒れ伏すルナンの身体をゴツイ編み上げのブーツで小突いた。
「止めなさい!この人はここまで見ず知らずの人々のために身体を張ってきたんだ。お前に彼女を愚弄する権利は無い!」
「彼女ぉ?女だったのか!ずい分と礼儀知らずの兄ちゃんが突っ込んで来たと思ったよ」
僧兵隊長がうつ伏せで地べたに顔を付けたままのルナンの顔を確かめようと、ごついグローブで彼女の金髪をつかみ上げようと手を伸ばした。だが、その手はさらに小さい手で逆に握り返された。
「いやぁー済みませんねぇ。これでも女なんですわ。まぁ……皆さんよくそう仰いますがねぇ」女性という割にはやけに力強く握り返された隊長は咄嗟にその手を引っ込めた。
「いやはやご立派ですなぁギルドの方々は。でもなぁ!これだけは言っておくぞ」ルナンは未だに半分意識を半濁させたままでも立ち上がり僧兵に肉迫し始めた。隊長は二、三歩後ずさった。
「今は、王侯貴族みたいな知事領主さまも、お前らギルドの連中も元をたどれば、あそこに居る人々と同じだったんじゃないのか?」彼女はまた足元が及ばないまま歩を進めた。
「『百家の災厄』が生み出した致死性ウィルスのために火星全土から追い出されて、さりとて母なる地球からも帰還を許されなかったオレ達のご先祖は間違いなく寄る辺も無き哀れな難民たちだった。その難民たちがこの宇宙で生きるために必死になって創り上げたのがこのオービット・フォートレスだ。違うか?」
僧兵隊長はルナンの碧い瞳から目を逸らし始めていた。彼女は黒尽くめの壁を前にしても屈せずさらに歩を進める。
「あの頃は、ギルドやら列強と言われる連邦国家もなかった。誰もが、誰もが持ち寄る全ての技術と生き抜こうとする決意だけで結集した家族だったんだ。オレもコイツもそしてアンタも間違いなくその家族、人々の末裔だ!ここに生きる全ての人間が漂流民!宇宙の孤児!」
「やめろ!去れ」声高に叫ぶ男にルナンはなおも言を翻さない。
「オレ達にはここしかないんだ!この軌道要塞にしか、この歪で小さな世界しか生きる術がないんだ!ギルドの長に先祖の偉業と努力に報いる気持ちが有るなら、どうか人々を受け入れて欲しい!永住させろと言うんじゃない。ほんの数日でいい。彼らに食料と寝場所を……ウッ!」
僧兵隊長のスタンガン突きの警棒がルナンの心臓辺りに電撃を放った。再びルナンは膝から崩れ落ちうつ伏せに倒れ伏し今度こそ気を失ってしまった。
城門前を覆う木立の間から、この様子を見ていた難民たちのグループから悲鳴と怒号が上がり始めた。ミハエルとアメリアらが振り返れば人々が木立の中からゆっくりと姿を表し、こちらに歩みを進めてきている。状況はいよいよ一触即発と成りつつあった。
これを見て取ったミハエルは僧兵隊長の持つスタンガンの先端を自分の胸に押し当ててこう言った。
「電流を最大に上げたまえ!」そして「そうすれば一発でこと足りるよ。長には君からこう説明したまえ『面倒な事は全て済みました』とね」
隊長は目の前で気を失ったままの男みたいな女と僧衣の優男が示した強硬な態度に完全に怯んでしまった。彼はスタンガンを引き抜こうとするも彼の膂力はそれを凌駕してピクリともしない。
「……本当に死んでしまうぞ。この女といいあんたも……いいかげんにしてくれ!」
「一向に構わない。私は罪人、本当なら三年前のあの時に死ぬべきだったんだ。今さら……どうってことない」彼はニヤリと僧兵隊長に向かって笑みを浮かべた。隊長は地下鉄ホームで悶着を起こした連中同様、瞬く間に目を泳がせて首を振るばかりとなった。
「フンッ!熱血バカが二人して。全くいいコンビだよ」事態を見守っているアメリアとウィルバーの横にマティアスが腕をくんだままで悠然と立っていた。
マティアスは次にアメリアとパイパーに向き直ると
「ギルドが難民を受け入れたとしても一時的なものだろう。ここまで来てしまったら、あの難民達は一度『プロイセン』から脱出させる他に手はない。そこでだ。彼らには自前の高速シャトルがあるはず。ギルドは一族同士の姻戚を基とする横の繋がりが大きい集団だ。港湾管理局には手続き無しで連絡を取り合っているのは周知のこと。私とミハエルでそれを何とか借り受ける」
「難民の脱出用船舶を手配する訳ですな。やらせて下さい!」マティアスの言わんとしている事をパイパーが受けた。
「そうだ。それと船団護送用の艦隊も必要となる」
「分った。私は一度『ディジョン・ド・マルス』へ行く。そこで地元の船舶組合に掛け合おう」これはアメリア。彼女はマティアスに再びつかみかかるようにして顔を寄せ
「キサラギの件はお預けにしておくぞ」と言った。
マティアスはこれに不敵な笑みで返し、メガネの奥でキツネ目を炯々とさせるのみ。
「では、私は『ヴェルダン』に赴きます。そこであの方に頼んでみます」これはパイパー。
「『ヴェルダン』だと?!伝手はあるのか?」マティアスはここであまり窺わせた事の無い驚きを顕わにさせた。「兄貴たちにアポを取ってもらうつもりです。言ったでしょうパイパー家を巻き込んでやりますって」
「なるほど。“血は水より濃い”か。頼みます」
「ハイ。参謀殿」パイパーは只でさえ細い眼を消え入るようにさせマティアスに敬礼すると
「ほれ!話がついたみたいだ。パイパー中尉、それとウィルバーは難民の誘導を」と、アメリアが城門へ顎を向けた。
今まで固く閉じられていた門が開き始めていた。マティアスは自分に向かって手を振るミハエルの側まで寄った時には根負けした僧兵隊長が肩を落としていた。
「ハンナ、これから長の所へと案内してもらう事になった。これからが正念場だよ。それと彼女を……?」
ミハエルとマティアスはここで不思議な光景を目にした。大勢の避難民達がギルド・ファームの城門をくぐろうとはせずに、先ず子供たちが歩を進めて気絶したままのルナンの周りに集まり背中をさすり始めた。次に筋骨逞しい男性がルナンを背負って立ち上がり城門へと歩き始めたのだ。それに続く形で難民たちは進み始めた。
ある者は未だ意識の無いルナンの背を撫でながら「ご苦労さまです。……ありがとう」と、声をかけた。ホームでは暴漢に殴られ、ここでもスタンガンで気を失ったまま傷ついた、無辜の市民たちのために身体を張った人間への敬意のこもった言葉が難民たちから沸き起こってきた。
「それ、お姉ちゃん頑張れ!」「ちっこい提督さん!」皆は口々にルナンの献身に感謝の意を惜しみなく捧げた。そしてその中から唐突に
「わたしたちのラ・ピュセル……ジャンヌ様」子供の一人がこう声を上げると、難民の間から拍手と歓声がまばらに起きて、皆が口々に「そうだ!我らのジャンヌ・ダルク!」「火星のジャンヌだ」とルナンを祀り上げるようにして歩を進めていった。
「……軍神の星の守り神、我らのジャンヌ・ダルク……か」ミハエルはそう呟き、どこか朗らかとした笑みを浮かべ、数人の子供に手を引かれ難民たちの行列に身を投じた。
「見たかマティアス。これがルナンだ。見事に血路を開いて見せたぞ。あとはあたしらが何とかしてやらねぇといけねぇよな!だから私はあいつが大好きなんだ」アメリアも嬉々として婚約者と手をつないで後に続いた。
「さぁてどうやって艦隊を引っ張ってくるかだなぁ」パイパーは軍帽を団扇代わりに顔を仰ぎつつ、時おり首を傾げながら城門をくぐっていく。
最後に一人残ったハンナ・マティアスは人々の中で背負われたまま小さくなっていくルナンの背中を見据えながら静かに胸の前で両手を組んで頭を垂れた。
「これまでわたしは神様なぞ、信じた事は無かったよ。でも今は、神よ。どうかこれをご覧になっているのなら、ルナン・クレールにかつてのラ・ピュセルと同じ加護をお与えくださいますよう……お導きくださいますように……どうか神よ」
マティアスは不慣れな所為か、不器用でやや大げさな十字を胸の前できった。




