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軍神(マルス)の星 改訂版  作者: 梶 一誠
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第十四話 プロイセンの騒乱

 『プロイセン』政庁都市ポツダムに潜入していたルナン・クレールとその一行が本格的な騒乱の渦中へと身を投じることとなったのは、一〇月三日の午後からとなった。

 『金のクマさん亭』のエントランスには”本日午後の営業は中止となります”の貼り紙が為されていた。客のないカウンター席には、顔中お化けのように腫らしたルナンが座りその前ではキサラギが彼女のために消毒液をしみ込ませた脱脂綿で傷口を手当てしてやっている。

 「このバカどもがぁ!警察にでもしょっ引かれたら、それこそ全てがふいになる所だったんだぞ!」キサラギの後ろで、怒り心頭のハンナ・マティアスが朝市で仕入れの最中に乱闘騒ぎを巻き起こした張本人を叱り飛ばしていた。

「気にする事ないよぉー。あたしはルナンのああいう所はキライじゃないからさぁ」キサラギがかいがいしくルナンの顔を拭う。

「この貧乳なら分からんでもない!しかしだぁ、クレール少佐ぁあんた自身が騒ぎを起こすとは!」マティアスはイライラしながら二人を見すえてビジネススーツ姿で声高にがなり立てた。

 

 それは市の中心部で毎週開かれる朝市で、ルナン、キサラギとルーヴェンスが所用を済ませて帰路につこうとした時のこと。露天商の入るテントの群れから少し離れた位置に、女神像が中心に据えられている噴水があり、その周囲に総勢で二、三百名はあろうかと思われる老若男女が石畳の路面に座して、何やら抗議の座り込みを行なっている所に出くわしたのだった。

 デモに参加している面々は、メガホンマイクを持って演説している数名の若者の一団を中心に、老人から子供連れに、労働者まで皆一様に片腕に青い腕章を付け、中には大きな青の三角旗をかついでいる参加者もいた。旗には青地に鮮やかな黄色でプリントされた、二人の人物の顔だけのシルエットが互いに背を向けるデザインで描かれていた。右のシルエットには、『革新・青の党』の思想的指導者であるヒューバート・ファン・アイクの名が(つづ)られ、左には衆目を集める象徴的人物で、彼女らが奪還予定のミハエル・デュシャンとあった。

 二人は市場で購入した棒つきキャンディーを(くわ)え、ルーヴェンスはキサラギの背負うリュックから首だけ出し、多くの行きかう人々の間からその集団を何気なく見つめていた。

 通りすがりの中にはルーヴェンスの頭を撫でて行く人もいて、ネコ型ドロイドは本物の猫のように喉を鳴らしていた時だった。

 メガホンマイクでの演説が突如中断され、デモ参加者とそれらを取り巻く市井(しせい)の人々の間からざわめきが沸き起こってきた。

 人々とルナンの視線は同じ方向、街道からこの広場へと通ずる道へと。そこからきれいな二列縦隊で行進してくる一団に注がれていた。

「『民族共同戦線』だな」腕組みしたマスター風制服姿のルナンが呟くのを耳にしたキサラギもその集団を見て眉をひそめた。

 一団は二車線道路の真ん中を、軍隊然とした一糸乱れぬ行進を続けている。口々に大昔に地球で(うた)われていた軍歌を唱和し、カーキ色の長袖シャツに黒のネクタイ、こげ茶のゆったりとした乗馬型のズボンと膝下までの黒革のロングブーツ。降ろし立てのようなシャツには皺一つなく、ブーツも黒光りしている。

 ピケ帽と呼ばれる(ひさし)が小さめの軍帽の下には精悍な顔が並ぶ。皆、髭を剃り髪を短めに切り揃えていた。年齢層は主に二〇代前後の屈強な若者ばかり中には数名女子の姿も隊列の中に見られた。そして、彼らも大きな四角い旗を捧げ持っていた。

 それはファーマーズの青とは対照的な血を連想させる鮮烈な赤。その中心には黒で刺繍(ししゅう)された羽を大きく広げる鷲と、その足下には白地の円の中にくっきりと黒いハーケンクロイツが……。

「なんとも大仰(おおぎょう)なコスプレ集団だねぇ」と、キサラギが呆れ顔で言うのを、ルナンは同意を示すかのように大声でこれ見よがしにあざ笑った。

 共同戦線の連中は、人々を押し退けつつ青の旗を持つ集団を包囲するように取り囲むと、有無を言わさず携えて来た棍棒で殴り掛かり始めた。

 穏やかな陽光に包まれた広場は瞬時に阿鼻叫喚(あびきょうかん)に包まれた。散り散りに逃げ出す市民の中で只一人ルナンだけは、ふいに制服の一団へ駆け寄り、赤い旗をひったくるや民族主義者のリーダーと思しき一際(いか)つい男の後頭部目がけて旗竿を振り下ろしたのだった。


 「……オレはイヤだ……」ルナンが血の(にじ)む唇からポツポツ。更にマティアスをジロリと睨みつけたままこう言い放つ。

「相手が抵抗しないのをいいことに好き勝手しやがって!ああいう連中には我慢ならんのだわぁ!」

「大事の前の小事だ。自分の任務を最優先なさい!……これだから熱血バカは」マティアスが腰に手を当てて出来の悪い生徒を詰問する女教師のように踏ん反り返っているのが意に沿わないのかルナンは不自由な口元で

「お前さんの裏工作の手伝いをしただけさ……」彼女には聞こえないようにぼそり。その後はソッポを向いたきりとなった。

 「キサラギ君、君は大丈夫だったのかい?それとルーヴェンスは?」アルフレッド・パイパーがいつものマスター装束でカウンター奥の厨房から姿を現した。手には大きな紙袋を二つ下げながら。

「聞いてくださいよぉー!マスター。コイツはさぁ」

 一人勇んで突貫したはいいが、やはり多勢に無勢。ルナンはカーキ色の連中にボコボコにされている所へ、キサラギが乗り付けて来ていたモトクロスをウィリー走行させたまま突撃。連中をなぎ払い里親を後部座席に着かせ、ついでにリュックごとルーヴェンスを手投げ爆弾のように放り投げて来たと。思わぬ所で殿軍(しんがり)を任されたクロネコは連中相手に引っ掻き、噛みつき奮戦していたと言うのだ。

「その恰好で?」と、パイパーはウェイトレス姿のキサラギを見つめながら呟けば

「ええ。この姿で買い物していると露天商のおっちゃんがまけてくれんですよ」彼女は事も無げに答える。

「ああっもう。このバカコンビはぁ!」

 マティアスが髪を掻きむしりながら首を振っている所へ、鈴の音が鳴った。紺色のMA-1ジャケットとスリムジーンズというラフな私服姿のアメリアが剣呑な面持ちで入って来るなり

「おい!マティアス。これも計画なのか?街中がもはや内戦状態だ。民族主義者共が銃を乱射しながら市庁舎へ行進。警察と対峙している。青旗の連中も辻と言う辻で赤旗と睨み合って一触即発!死者も出ているかも知れん」と、アメリアがマティアスの襟首をつかまんばかりに詰め寄る。しかしマティアスは彼女を見下したように一瞥するのみ。カウンターに置いてあった自前のノートPCを開き、リモート画像を表示させると

 「作戦の決行は明日の〇一(マルヒト)〇〇(マルマル)だ。よく聞け……」と、アジトに揃ったメンバーへ向けて言った。

 液晶画面は四つに区切られ、左上のいかにも育ちが良く、折り目正しい屈強そうな青年が襲撃部隊の隊長、フィリップ・マーロウ大尉であると名乗り、左下がシアン()。右上がサングリエ(いのしし)とマーロウが襲撃を担う各班長である男性をコードネームで紹介していったが、最後の右下だけは無人でその場所の壁紙だけが映り込んでいるばかり。

マント(カマキリ)!集合時間はとっくに過ぎているぞ。あの野郎……」リモート内でマーロウがイライラする中、また鈴が鳴った。

「お客様、すみません。お店は閉店中ですが……」キサラギが反射的に応対に出ようと席を立ち、数歩進んだ所で立ち止まった。

 ルナンは妹分が黒のトレンチコートをまとい長い黒髪を後ろに束ねる長身で細身の男性を警戒しているのを背中から感じ取った。そいつは青白い顔と陰険な細い目を辺りに巡らせ

「わりといい雰囲気の店だぜ。意外だったなぁ」屈強なわりに甲高い耳障りな声でせせら笑うように言うと

「マント!なぜそこにいる!潜伏先への接触は禁止したはずだ」リモート中のマーロウが声高に叫び始めた。

「いいじゃないか、隊長殿。待機ばかりだと退屈でねぇ。それと“マダム”ってのはどいつだ?」と、今度は店内の女を品定めするかのように首を左右に揺らせるカマキリというコードネームの男を腫れぼったい眼で捉えたルナン。

「……ご立派な隊員さんだねぇ。マティアス」こう呟き、また”気に入らねぇ!”を口にした。

「どういう事だ。マーロウ」ルナンの傍ら、カウンターに腰を預け腕組みしたマティアスがマントを冷ややかに見つめつつ言えば

「申し訳ない。マダム」マーロウの声がPCから漏れ聞こえてくる。

「あんたがマダムかい?リモートじゃ声だけだったが、思っていたより若いなぁ」マントは更に獲物をねらう捕食者のように上半身を揺らせて

「しかし、ろくな女がいないが……。オレはこの娘を仕事ゴトの褒美に指名するぜ」つっとキサラギの艶やかなツインテールに手を伸ばして来たが、キサラギはこれを平手で払いのける。マントは舌打ちしながら目当ての少女の肩につかみかかろうとした時

「オイッ!いい加減にしろ」店中に響き渡る怒声に女性陣がその方向に目を向ければ、銀縁メガネを外したパイパーがマントへと歩み寄り、キサラギの盾となり立ちはだかった。

「貴様それでもプロか!ふざけた事を言いやがって!」彼の怒号はさらに勢いを増す。妹分の危機に立ち上がらんとしたルナンとアメリアは彼にこの場を委ねた。

 普段は物腰柔らかで、時たま訪れる横柄な客にも丁寧な対応をみせるマスター役のアルフレッド・パイパー。だが、この時は違った。彼の男気ある一面を垣間見たルナンは一言

「いいねぇ」と、囁いた。

「この子はお前が考えているその手の女とは訳が違う!絶対手出しさせんからなぁ」こう凄むパイパーにいささか辟易(へきえき)したのかマントは無言で(きびす)を返し店を後にしてしまった。

「貴官は作戦を何だと思っていらっしゃるのか?」事の次第を見届けたマティアスが同じ姿勢のまま呟けば

「二度とこんな真似はさせない。申し訳なかった。潜伏班のみなさん」と、リモート内のマーロウ隊長が声を落として詫びを入れたが他の二名は下卑た笑みを浮かべ品定めするような目付き。まるで同輩のしでかした不祥事を楽しんでいるかのようにルナンの目には映った。

 マティアスは天井を仰いで大きく一つ息を付くと、声のトーンをいつものように低く抑え

「顔合わせは終わりとする」彼女はここでリモートを終了させ、画面を問題の襲撃地点ハイデルベルグ地区の地図に切り替えた。

「作戦の詳細はまとめておいた。ムッシュパイパー解説をお願いする。あと、キサラギ・スズヤ貴様は即刻ここを離れろ。あのクロネコも一緒にな」マティアスは言い捨てるとすぐさま身を翻した。

 キサラギはその指示を不服とばかりに振り返るが、メガネババァは店頭に駐車しておいた商用車へと乗り込んで、何処かへ車を走らせてしまった。

 『金のクマさん亭』を後にしたマティアスの代わりに、息を整えつつ未だ憤懣やるかたないパイパーがルナンの横で作戦の概要を開くと

「マーロウ以外は、まるで暗殺のプロみたいな風体していやがる」ルナンの言にパイパーは呆れたように首を振り

「まったく!最近は本物の軍属なのか、海賊なのかレベルの低い連中が多くて困ります」彼は手元のPCを操作し始めた。 

 手始めに、襲撃部隊の要員は全部で十五名。マーロウの語ったシアン、サングリエ、マントといった名前は、襲撃、撹乱、保護移送を担当する班名並びに班長をさすとの事。

 第一撃はサングリエ班。彼ら三名はポツダム市中央の警察署に威嚇射撃とガス弾を打ち込むという。

「これも一種の陽動です。ですが、この騒ぎが激化すれば必要ないかもしれませんが」パイパーは画像内のポツダム市全景地図から指でその施設をとんとんと叩いた。次に彼の指は地図上を流れて例の監房区、市内ではハイデルベルグ地区と呼ばれている箇所をぐるりと囲んでみせた。

「次に第二撃のシアン班の七名が出ます。彼らは……ここ、跳ね上げ橋の詰所を襲撃する手筈です」

「橋を上げ下げするだけの部署だろう?」と、ルナン。

「それは単なる入り口。本当の詰所はその地下にあります。ここが本作戦のヤマですな」

 彼の談によると、地下の詰所には随時、警官が四、五名は詰めているが問題はそれ以外にあるという。

「市街戦専門のウォードッグが配備されているな。人間や生き物のような睡眠を必要としないサイヴォーグ。本物の犬の脳幹を移植された四足の非情な化け物たち」アメリアが腕組みして呟けば、パイパーが相槌(あいづち)

「シアン班の主な任務はこの戦闘犬の集中制御室を抑えるにあります。休眠コマンドを送って犬共を無効化。そしてマーロウ隊長とマント班がいよいよ川の下を通る地下通路を使って例のレーザー監視網の内側に乗り込む」ここでパイパーは指先で地図上のオールド・マイン橋と示されている箇所をはじき

「彼らが区内への侵入を果たした後は、地下通路は爆破されます」と、言った。

 ルナンはこれに眉間に皺を寄せ

「どうやって奪還したミハエル・デュシャン氏を連れ出すんだよ」怪訝そうに問われた彼はルナンに口の端を上げて見せてから

「地下通路が使えなくなった場合にはハイデルベルグ地区に警官隊を乗り込ませるために跳ね橋が自動的に下りるらしいのです。マント班はそこから脱出する……そういう手はずです」

最後にパイパーは補足として襲撃、奪還そして脱出までにかかる時間は約三〇分前後となることを付け加えて説明を終えた。

「当のデュシャン氏はこの事を知っているのか?」

「いえ、これもマティアス女史の話ですと麻酔銃で眠らせてから死体袋につめて運び出されるらしいです」

「……縁起でもねぇなぁ。で、襲撃班は?」

「隊長のマーロウ大尉以外は、その場で装備を捨てて一般人に扮装。『プロイセン』を個々に脱出するみたいですね」

「そして、いよいよオレ達の任務が始まるわけか……」腕を組んで頷くルナンにアメリアが話を引き継いだ。

「我々潜入班はまる二日、つまり作戦発動後四八時間はこの店内で潜伏する。その間にデュシャン氏をここの地下室で覚醒させる。もちろん営業はお休み……これで良いな。マスター?」

「ハイ、実質的には今日、午前の営業でこの『金のクマさん亭』は店仕舞いです。もう少しマスターでいたかったんですけどねぇ」パイパーは自分の扮装を名残惜しそうに眺める。するとキサラギが

「バイトのみんなともお別れかぁ……」と、寂しげに俯いた。

「他の従業員たちは?パイパー」

「今日までの給料とはべつに当座の生活資金を渡してあります。これから出勤するバイトの女の子たちにも同様に……。しばらく世情が不安になるからここには来ないようにと言い含めてあります」

 アルフレッド・パイパー、この海軍主計局付きの書類バカで融通の利かない連中とは一線を画す一端の経営者としての才覚を持つ人物の配慮にルナンはいたく満足して大きく頷いた。

「それでですね。私たちも扮装してここ『プロイセン』を脱出します」

 パイパーは自分が持ち寄った紙袋を示すと、本物ですよとの前置きで、ドイツ大海艦隊の士官用制服が人数分用意してあり、さらにやんごとなき大司教様の法衣すら手配済みであると胸を張った。

「我々はマーロウ大尉とマネージャーを含めて、デュシャン氏には重病の大司教様役を担ってもらいながら彼を世情不穏な『プロイセン』から本来のドイツ皇帝派の首府城『ドリット・ベルリン(第三ベルリン)』まで護送する名目で堂々とこの軌道要塞を出ることとなります」

 ルナンはしばらく腕を組んで考え込んでいたが、やがて河豚(ふぐ)のように膨れ上がった顔のままでアメリアに向けて

「『イル・ド・フランス』にいるケイト・シャンブラーに連絡を取れ。あの『タービュランス』号の出港があるかもしれんと……な」

「了解した、クレール少佐。しかし改装工事がどの程度進んでいるかにもよるが……」

「念には念を。マティアス以外の脱出の手立てを講じておくべきだ」

 キサラギがここで手を上げて質問した。

「あのぉ皆さんはぁドイツ海軍の制服でもいいけど、あたしは?カバン持ちの水兵役?」

 ルナンはキサラギの顔をじっと見つめ

「キサラギ・スズヤ、お前はマティアスの言うとおり、本日中にこの『プロイセン』を出ろ」と、突き放すように言った。

 マティアスの指示に反対してくれると思っていたキサラギは口を真一文字にしたままルナンを睨むも、ルナンはそれにかまわず

「これまでご苦労だった。大いに頑張ってくれたし助けてくれたことは感謝している。だが、ここからはオレ達の仕事だ。ルーヴェンスと共に『ディジョン・ド・マルス』で、オレの……」

「イヤだあぁぁー!」キサラギの叫びがルナンの言葉を遮った。

「何のために訓練してきた!初陣も果たした!あたしはむこうを出るとき言ったわよね。『キサラギ・スズヤはいつもあなたの、ルナン・クレールの傍にいる』ってえ!」

「キサラギ君。ここからはね危険な任務になる。君はまだ未成年なんだ」パイパーが二人の間に割って入るも、

「君のような若い娘は捕まると……惨い目に……判ってほしい」ここまで言うと、抗う少女から目をそらし俯くばかりとなった。

 キサラギはルナンの前に立ち尽くして唇をわなわなとさせて、両頬には大粒の涙がつたっていた。握った両の拳を微かに震わせている自分の妹分にして弟子でもある少女にアメリアが

「大丈夫だ、キサラギ。わたしが全力でコイツを守る。必ずお前の下に連れて帰る」こう諭すもキサラギは

「師匠までも!」と、真っ赤な険しい目を向けた。

 アメリアは彼女の肩に手を添えて

「私が少し遅れたのはな。ウィルバーに別れを……告げて来たからなんだ」アメリアは寂し気に木の梁がむき出しの天井を仰いだ。

「なぜ?アメリアさんはそれで良いの?あたし見ていて判った。あの人の事好きなんでしょう」

「あいつを……彼を巻き込む訳にはいかないからな」

 キサラギは師匠と仰ぐ人の手を乱暴に振り払うと

「ちくしょう!みんな勝手にあたしの事を決めないでぇ!」と、喚き散らす。

「いい加減にしろ!皆が覚悟の上で決めた事だ。お前も軍属なら聞き分けろ!」ルナンはキサラギの暴言を由とせず、轟然として立ち上がり彼女と対峙した。そして、もう一度

「これは命令だ!キサラギ・スズヤ……うぐっ」と、何語か付け加えようとしていたルナンの顔面に向けて、いきなりキサラギの鉄拳が撃ち込まれた。その瞬間”ぺきっ”と変な音がしたと同時に彼女は腫れた顔から豪快に鼻血を噴出して仰向けに倒れた。

「ルナンのぉ、バッカァァァー!」キサラギは店内で腹から搾りあげるような大声をあげると、そのまま二階の仮眠部屋に走り去り、これまた大きな音を立てて扉を閉めてしまったのだった。

 アメリアは大きく一つため息をつくと床に倒れているルナンを抱き起こした。

「い、今のは……効いた。今日一番に効いたぁー」虚ろな目になってうわ言を口にしている親友にアメリアは

「後で、わたしが話す……。今はこのままに」

 そこにまたエントランスが鳴った。三人の視線が集まった先には誰もいないのに勝手に『金のクマさん亭』の扉が開いていた。外側のドアノブには黒い塊がぶら下がっていた。ルーヴェンスであった。彼は本物の猫がやるようにドアノブに飛びつき、前脚に体重を掛けて器用にドアを開けてからスルリと店内へと。

「あのぉー何かお取り込み中でしたかぁ?」彼は開口一番こう言ったが、床に倒れている主人を見つけると

「おお!クレール様、おいたわしや!」すぐさまアメリアに抱きかかえられているルナンの下に走り寄ってきてキサラギと一緒にお弔いを出した時のように前脚を合わせるポーズをくり返した。

「バカヤロ!まだ死んでねぇぞ。オレはぁ」ルナンの口元が傷でおぼつかないのを察したアメリアがルーヴェンスに”キサラギを見て来い”と無言で顎を二階へと振った。

クロネコは言われるままに軽やかな足取りで二階へと向かった。少し間があってから

「×☆△!@◎*!!ダァァー!」との訳のわからぬキサラギの声がした後に、さらに何かが二階でひっくり返るような騒々しい物音がして……。そして、階下で待つ三人の前にルーヴェンスが足取りも覚束ない態で現われるや

「ダ、ダメっす。ダメージ係数測定…ふ、不能っす」彼はそう言うや否や腹を上にしてひっくり返ってしまった。金色の眼は目まぐるしくネオンサインのように変化していた。

 アメリアとパイパーはクロネコとルナンを横目にただ首を振るばかりとなった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 作戦前の緊張感…、にそぐわないメンバーもチラホラと。うわー、めっちゃ不安、なんかやらかしそう。ですが、こういう人間臭いところが良い。 [一言] >ルナンは一言「いいねぇ」と、囁いた。 同…
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