第十三話 木偶人形の夢
キサラギが危機に瀕していたルーヴェンスを救い出してから二日後。
「なんかいやな気分だわよ。これ」ウェイトレス姿のキサラギは『金のクマさん亭』の裏でスコップの縁に足をかけ、自生していた樫木の根っこ辺りの土を掘り返していた。その傍らでルーヴェンスが今はもの言わぬ豹型ドロイドの頭部をおっかなびっくりで前脚使ってぺちぺち。
潜入工作員以外のスタッフが昼休みを店外でのんびり過ごしている間に、一昨晩討ち果たした首級の埋葬を終えてしまおうというのだ。
「マシンとは言え、生首みたいなのを置いておけないしねぇ」ルーヴェンスが言えば、キサラギは手を休め
「もう大丈夫なの?ルーヴェンス」と、朗らかな笑顔を向けた。
「おかげさまで。もう歩く、走るには問題ないね。ありがとう」
「へへ、どういたしまして。でも、あの三毛猫の言うとおり、こいつのブレインデヴァイスには貴重な情報が残っていたはずなのに……もうっ!」フリルの付いた可愛らしい姿にもかかわらずキサラギはがに股で年季の入った建設作業員さながらスコップをふるう。力を込める度に“よいさっ!”と声をあげる様は、なるほど他の人たちには決して見せたくない姿ではある。
「なぁキサラギ。オレ、休眠モード中にボディハックされたって聞いたけど」ルーヴェンスの呟きに、キサラギは後ろでていねいに前脚をそろえて地べたに座っている黒毛の相棒へと振り向いた。
「ああ。ルナンが豹のコアシェルと君のボディを接続させて、情報検索とコピーを始めてすぐだった」
それはちょうど丸一日前、店舗二階の仮眠部屋にてブラウの凍結されたコアシェル内のデータを解凍・復旧作業中にそれは起こった。ルナンのPCがコピー作業三〇パーセントほど進行した段階で中断。唐突にコマンドを何も受け付けなくなったのだ。その時、今まで休眠中にあったルーヴェンスが勝手に起き上がりブラウへと語りかけ始めたと言うのだ。
「声は男性だと思う。やけに丁寧な感じの物言いになってね。君じゃない別の宿主が入り込んでいるってすぐに分かった。そいつは君の身体を中継して、豹のコアシェルも復活させたの」
「憑依されたみたいになったのか……で?」
「君を乗っ取ったハッカーはブラウの事を”低スペック”とか”バグ持ち”って罵っていた。こっちが腹立たしくなるくらいよ」キサラギは穴の脇で埋められるのを待つ、ブラウの赤黒く焼け焦げた首級をちらっと見てから
「最終的に、ハッカーは君の電撃を使ってブラウのニューロン集積回路その物を破壊したわ」と、言った。
「オレが、コイツの頭に喰らいついて……か!どうりであちこち焦げていると思ったよ」
「ブラウは煙を上げながら『お許しを』って。泣いているみたいだった……少し可哀そうになったよ」
「オレも復帰後、すぐに自分の行動記録をトレースしたけど何も発見できなかった」
「そうよね。ハッカーは『マヌケな手下の始末をつけるのに、お宅のドロイドを拝借しました。ご安心をハッキングウィルスは全て撤去してからお暇まいたします』って余裕ぶっこいていやがった!それで終わり。あとは休眠状態に戻ったわけよ」と、キサラギはお手上げのバンザイをしてから
「ルナンのPCに移送できたのはほんの断片の情報ばかりじゃよぉ」まるで老婆のような口ぶりのキサラギは、謎めいたハッカーに先手を取られた一件に怒りをぶつける様にいっそうスコップに力を込めて穴掘り作業を再開した。
「なんとか手に入った情報は、ハンナ・マティアス女史の経歴。意外にも彼女に『革新・青の党』の最高指導者ヒューバート・ファン・アイクと面識がある事。それに」これはルーヴェンス。
「第五〇二独立遊撃艦隊の名前だけ」キサラギはここで手を休めた。穴は深さ三〇センチほど掘りあがり、ルーヴェンスの身体が隠れるほどとなっていた。
「あのマティアスが、以前はアトランティア連邦の海軍士官。それも指揮官付き高級参謀とはね。五〇二ってのはかなり”ヤバイ”連中って噂はあたしも聞いたことがあるよ」
「ところで、キサラギ君。ここで質問だ。『革新・青の党』の理念とスローガンは?それとこれに対立する団体の名前を言ってごらん」彼、ネコ型ドロイドは話の鉾先を変え、金色の眼を自分の生徒にむけた。
「何よ!こんな所でお勉強かよ!手伝いなさいよ」
キサラギはブラウの大きな耳をつかんで気持ち悪そうに穴の中へと収めると、ルーヴェンスは後ろ足でネコが粗相をした時のように土をかけていった。
「ええーっと青の党は『汎・人類主義』で。スローガンは”相手の目を見よ。耳を傾けよ。賛同できずとも迫害するなかれ”だったわね。ファーマーズとも呼ばれてるよね」
「ハイ、正解。……で、もう一方は?それと両者の相違は?」
「えーっと……『民族共同戦線』って呼ばれてる超保守派の団体。実際ここプロイセンでは、あちこちでハーケンクロイツの赤旗を玄関先に上げて、大昔の総統とやらの肖像を飾っている家もあるって話よね」
ルーヴェンスは、彼女が埋葬し終えた後にできた盛り土の上に飛び乗り、それを何度も踏みつける。キサラギは用の済んだスコップの持ち手の部位に顎を乗せ、頭上に広がる樫木の枝を仰ぎ見ながら
「両者の違いはねぇ……青の党は夢想家なオタク。そんでもって共同戦線って奴らは時代遅れのネオ・ナチだぁ!」と、ややぶっきらぼうに答えを締めくくった。
「六〇点。他に言いようもあるだろうに。でも本質は感じ取っているみたいだね。少し驚きだ。……さて、後始末も済んだし上で休もうぜ」
ルーヴェンスが盛り土を降りて裏口へ向けて歩を進めようとすると、キサラギはエプロンのポケットから何やらゴソゴソと取り出した。
それは紙で封された線香の束とお鈴と呼ばれる仏具。
「押入れの右端がお仏壇になっていたでしょ。その引き出しを開けたら入ってたんだよね、これ」と、言ってから彼女は束から二、三本引き抜いた線香に厨房から拝借してきた業務用ライターで火を付けたが、無作法にもその先でたゆたう炎を”フッ”と息で吹き消した。
辺りに薫物の仄かな香気と数条の煙がたなびき、無風がゆえにそれは白い筋となって木漏れ日の中を上へと昇っていく。
「敵とは言え、彼なりに使命を全うしようとしていたんだからね。手を合わせておこうと思って」キサラギはそれを盛り土の前に挿してから、手頃な石を置きさらにその上にお鈴を据えた。
「優しいんだな。でも、なんかボク達宗旨おかしくね?」こう言うルーヴェンスにキサラギはぴしゃっと
「いいんです!お弔いを出す気持ちが大事なの」キサラギはしゃがみ込んでお鈴を一度鳴らすと手を合わせた。
「ねぇキサラギ、もしこれがボクでもお弔いしてくれた?」隣でルーヴェンスが呟けば
「当たり前でしょう!君は生きているんだから」と、キサラギは目を閉じながらはっきりと言った。
「ボクはドロイド。機械なんだぜ」寂し気な相棒の言葉にキサラギはそれに被せるようにしてこう言葉を紡いだ。
「だから何なの。君とルナンは間違いなくあたしの家族よ!代わりなんてきかない大切な人で友達」
キサラギは手を合わせたまま澄んだ眼で昇り行く線香の煙を見つめて
「血が繋がっていなくても、機械であってもあたしの記憶の中では温かい生活を共にしてくれた、かけがいの無い存在には違いないわ。だから生きているの」と、キサラギは今一度お鈴を鳴らすと背を丸めるようにして手を合わせ続けた。
「君はボクを救ってくれた。今度はボクが必ず守るから。キサラギ・スズヤはボクが護る!」
ルーヴェンスはキサラギと同じように前脚の肉球どうしを合わせて盛り土に頭を垂れた。
火星最大の渓谷地帯であるマリネスク渓谷よりやや北、ルナ平原と名付けられた砂礫だらけの大地から上空約三万キロメートル。第二衛星ダイモスの軌道のさらに外縁部に滞空するのがドイツ選定候領に属する軌道要塞『ナッサウ』である。
今、要塞付近の宇宙空間には自国大海艦隊の約半数が集結。更に近傍の各軌道要塞付き守備艦隊も含まれ、『プロイセン』の防衛艦隊も例外ではなかった。そして、同盟国となるアト連邦の第三、第七艦隊も集結して大規模な合同軍事演習の真最中であった。
『ナッサウ』は都市と言うより軍事拠点としての意味合いが強く、内部の市街区は基地周辺に集中しており、その経済はこれまでに無いくらいの活況を呈していた。
訓練期間中には多くの軍属が大挙して市街区へと降り立ち歓楽街で金を落としていく。酒に女、博打と喧嘩、そしてドラッグ。いつもは閑散としている町並みに今だけは深夜まで人が溢れていた。商売人たちはここぞとばかりに、馴染みのない外国の兵隊たちにいろいろ売りつけてしまおうと躍起になっている。
人の営みは惑星間航行が可能な時代となっても変わらない。良くも悪くも人々のエネルギーが魔女の大釜のように煮詰まっているこのオービット・フォートレスを遠巻きにして、その恩恵から遠ざけられている一つの艦隊があった。第五〇二独立遊撃艦隊通称ヴァルデス・フリートであった。
五〇二は、一見華やかな艦隊連携訓練への参加を許されず周辺宙域に展開、これを捕捉しようと遊弋する偵察ドローンや監視衛星への牽制、排除といった雑用を押し付けられていた。
「こら明らかに嫌がらせどすなぁ。『セントラル』で第三艦隊に喧嘩吹っかけたのを根に持たれたんやろうな」カナン・東雲海軍中尉五〇二付き作戦参謀は、旗艦『ハンニバル』の戦闘艦橋にあって、副官用ブースに断続的に送られて来る『敵性ドローンを捕捉中、撃破』と繰り返されるモニター表示を見据えながら呟いた。
彼女はふと、自分に注がれる物言いたげな二人分の視線に、集中力が途切れ
「どないしたん?二人して不景気そうな顔して。せっかくの美人はんがわやちゃうの」と、視線の方向に椅子を回転させた。
副官用ブースは、艦橋内のほぼ中央に位置する数段分高く設定された艦長席のすぐ真下にあった。カナン・東雲から声をかけられたのは、飛燕と雷電。九七式姿の派遣傭兵は仲よく彼女の専用ブースの縁に顎を乗せダルマのように口をへの字にさせていた。
ヘルメットと装面は無く丸腰である。平時において艦橋内で帯剣を許されるのは艦隊司令ゲルダ・ウル・ヴァルデスにのみ許される。
「なんでゲルダ様はおられへんねんか?稽古つけてもらおう思うとったのに空振りでっせ!」と、最初に口を開いたのは茶色い髪をポニーテールにしている雷電。
「それに高坂軍団長もおらへんし!いつもなら『元気かぁ』言うてからなでなでしてくれるのにぃ」次には銀髪、碧眼の飛燕。二人は唇を尖らせて東雲中尉に不満を漏らせば
「いーひんものはいーひんの!高坂少佐は作戦に備えて先行してるし、ゲルダはんは……」ここまで口にしたあとカナンは大きく一つため息をついた。
「どないしてん?」と、訊ねる雷電にカナンは席から身を乗り出し、雷電の鼻先にまで顔を寄せてから彼女ら派遣傭兵が合流する以前、『マルス・セントラル』での作戦会議の件を話して聞かせた。
「それでか。ゲルダ様の代わりにあのオッサンがあそこに収まってるわけや」飛燕がぼそり呟くのと同時に、カナンと雷電はすぐ上の艦長席を、本来なら『ヒンデンブルグ』に座乗しているはずのアドルフ・メンツェル少佐を見やった。
女子からの視線なぞ意に介さない彼はいつになく上機嫌。写真立てをコンソール脇にそえて鼻歌まじりでタッチパネルに向かっている。愛するご内儀と愛娘たちへのお便りメールを作成中であるらしい。
「ずーっとあないな調子なんよ。すっかりわしの艦気取りやで。気持ちはわかるけんど」
「それで、どんな理由でここを下りたんでっか?」
「虫垂炎!わてが第三艦隊に報告入れた時のオーランド中将のにやけ面ったらなかったわぁ。腹立たしい」
「盲腸でっか。はぁ~東雲中尉も大変やで」離艦の理由を問うた雷電の代わりに飛燕が答えると、今度はカナンのほうがじとっとした視線を向け
「あんたら二人も油売ってる場合ちゃうわぁ。『ナッサウ』のヘルゴランド基地で分隊行進訓練残ってるんちゃうん」こう言われた二人の派遣傭兵は
「またですかぁ。じゃまくさいねん」と声をそろえて文句を言い始めた途端、上から大げさな誰かさんからの咳払いが降ってきた。
「そのために、あんたらを呼び寄せたんどす。我ら連邦海軍にはスサノオ皇国とのパイプ健在であるとのアピールするためやで。それと」
彼女らにカナンは少し周りを気にしながら手招き。二人が上半身をブースに乗り上げるようにすると
「ええどすか!『プロイセン』に動きがあったら、五〇二は全艦急行するさかい。あんたらは着いたらすぐに、ゲルダはんのお傍に控えたらええ。わかったなぁ」と、カナンが声を潜める。
「『プロイセン』へ! 艦艇制圧戦があるんでっか?」この雷電からの問いにカナンはこう言い添えた。
「念には念を入れての事どす。今から武具の手入れを怠らへんように……ほな行きぃ」
カナン・東雲はそう言うなり後はブース内での作業に没頭し始めた。
雷電と飛燕が艦橋外のフロアデッキで、ヘルメットと脇差を装着していると飛燕が
「『プロイセン』で戦。キサラギちゃんいけるかいなぁ」独り言のように呟けば雷電は
「……飛燕よ。自分は見てへんやろうが、キサラギ・スズヤはあの時海賊一人を討ち取ったんやけど。その時の技がな扇千舞やったわ」
”扇千舞”、その名を聞いた飛燕は喉鎧を調節していた手をピタリと止めた。
「ヤヨイ様はその技で、猛者七人の首級を上げたで」
「せや。あいつは初陣であの大技を使うてみせたわけや」
「……と、いう事はいざとなったら手加減でけへんで」
「飛燕、一つ約束してくれへんか?」飛燕は無言であとは装面をつけるだけとなった相棒の顔を見つめる。
「もし、キサラギとやり合う事があったんなら、わしに譲れや。サシで勝負したいで」不敵な笑みを浮かべる雷電に飛燕は
「雷電!」いきなり嗜めるように詰め寄った。
「なに、命まで取ろうちゅうのちゃう。勝負がつけば、利き手の小指と薬指を落とす。さしたら、戦士としては廃ぎょ……な、なんや!」飛燕は雷電の装甲服の首下を乱暴にぐいっと引き寄せて鋭い眼差しで相方の黒目を射抜くように見つめてこう言った。
「もう勝ったつもりでおるんかや?扇千舞の使い手を甘くみたか!さすれば死ぬるは汝ぞ!」
いつもはややおっとりとした飛燕の剣幕に、雷電もいきり立ち彼女の手をふり払う。雷電は荒い息を整えながら
「わ、わかった。油断はせん。せやけど自分も約束は守ってみぃ」と、素直に詫びを入れた後は目を伏せた。しおらしくなった友を見た飛燕は
「まぁ、キサラギちゃんとクレール様ならもう仕事を終えて『プロイセン』にはいてへんかもしれんしなぁ」いつも通りの口調に戻して軽く笑ってみせた。
「それに要塞内の市街制圧は陸軍のしのぎや。お二人は要領いいからうまく逃げ果せるやろう。行くかや、飛燕」雷電はそう言うなりさっきの仕返しとばかりによく張り出た飛燕の尻を叩いた。
二人はこれを合図に『ナッサウ』へと向かう定刻発のシャトル発着デッキへと小走りで向かった。
軌道要塞『プロイセン』近傍宙域 一〇月二日。重巡洋艦『ヒンデンブルグ』艦内
船体中央部に急遽設けられた強襲偵察型ドローン『ヴェスペⅡ型』の中央制御室として割り当てられた区画では、壁と天井部にも安普請目ざとく、パネルが取り払われた箇所からは機械油まみれのパイプが蛇のように床面へと這い、頭上の大小液晶パネル付近からは、配線が蔓草のように垂れ下がっている。
「軌道要塞『プロイセン』への通信封鎖配置完了。一四号、一九号の補正位置を再度修正。……復唱しろ、トーマス」エルザ・シュペングラー中尉は配線ジャングルのほぼ中央に設置された、巨大なドーナツを彷彿とさせるドローン・コンダクト”D・C”システム専用卓にあった。
背中合わせになっている二対一組シートの片方を占拠している一人の男性、というより男性型と呼称すべきトーマスなる生体型アヴァターに呼びかけた。
「了解です。エルザ、”ゴーサイン”があれば、あの宇宙都市はレーザー通信はおろかレーダーでさえ無効となる」
「おい!人形。なれなれしくするな。気色悪い」と、エルザは背後へ振り返りざまに吐き捨てるように言うも、それは意に介さず
「にしても、ノイズが多い。……意外にもこの宙域はデブリの影響が。エルザ……君は今の方が似合うね」ラフなスーツ姿の男性型は、上官にあたるエルザの軍服姿を評した。エルザの上衣はグレーをベースにした、ボディラインを強調させた詰襟型制服に、膝上までのタイトスカート。
「けっ、ここ二、三日で饒舌になりやがって」エルザは全身に身震いを走らせた。
エルザは”オヴァール”と呼ばれる、人間の脳幹反応をダイレクトに取り込み、三〇機に及ぶドローン搭載AIへ思念をレーザー通信波として変換、送信を司るヘルメット型の機器を装着していた。顔の上半分をすっぽりと覆うそれの下から垣間見えるのは彼女の魅惑的な口元のみ。
”オヴァール”の外周には数十個点在しているLEDが点滅を繰り返していた。今はオールグリーン、精神安定状況は極めて良好を表す。
「で、お前はこの前、どこで遊んで来やがった?」エルザはドーナツ型コンソール卓に向かったままで口の端を上げた。このコンソールは二対型シートを囲み、彼女の思念で機器自体を回転させる構造となっていた。
「うーんとねぇ、ポツダム市内を仕切っていた諜報ドロイドから発せられた緊急コードを〇九号が拾ったんだ。で、ボクはそいつを経由して発信元を探り当てた」
「タイプは?」
「ブラウとか言う近接戦闘ドロイド。このマヌケはどうやら何者かに撃破されたらしく、コアシェル内のデータを抜き取られようとしていた」
「始末はつけたんだろうな?」
「もちろん。データ収集のために一体のネコ型が中継されていたので、そいつの能力を拝借したのさ。あの安物はもうガラクタ」
トーマスは”オヴァール”を装着していない。生体アヴァターの頭部にコアシェルが移植された彼には無用の物でしかない。グレーのベストとワイシャツにネクタイを緩めた彼はきれいに七・三に分けた茶髪の後頭部を反対側に座しているエルザのヘルメットにふざけた様子で当ててから
「マヌケを始末してからむこうを立去る際、昔目にしたかもしれない人物の顔を見つけた。だが、ボクのメモリーに欠損が多いためか照合不可能。重要な事だと認識しているんだけど」
エルザはぷっくりとした肉感的な唇から舌を出して自分の薬指の先を舐め
「ふふ、哀れなAIだね。自分に与えられた個体識別コードすら失ってなお、宇宙空間を漂流していたとはね」そしてまた薄ら笑いを浮かべた。
「原因は不明。なぜか宇宙空間を漂い、予備用太陽電池からの微細な充電機能だけを頼りに……一つ、また一つと基幹機能の一部までもロストした」
「そうまでして守りたかったのが”ケイトちゃん”のメモリーかよぉー」
エルザは身体を折り曲げ、背中をひくつかせ目の前の制御卓を平手で叩いては、哄笑を上げ始めた。
「お、おまえ……はよぉ、あたしを抱きながらぁ『ケイトー! ケイトー!』って。アハハハッまったく傑作なマシン・ブレインだよ!」エルザは自分の夜伽に伏した相手を面罵した。更には腹を抱えてシートの中で身をよじっては足をバタつかせている。トーマスはゆっくり椅子から立ち上がり彼女を眼下に捉えた。彼の眼はいつしか金色に光り輝き始めていた。獲物をねらう鷹のごとくに……。
「やめろ!」トーマスの怒声を受けるも、エルザはさらに下卑た笑いを繰り返し
「愛してるってかぁ……”愛”ってのはなぁ人間様の専売特許さ!お前のはあくまで記憶の断片。その集合体に意味を付加しようとしても意味は無い!希望、妄想…いや、お前ごときの身に余るバグさ!バグだよ。道具には必要の無いバグさ!」
「彼女をバグって言うな」トーマスはシートからドーナツ型コンソール卓の一方だけ途切れた箇所から身を踊りださせて、エルザ・シュペングラーの眼前に立った。
エルザは”オヴァール”を装着したまま、わざとらしく歯を見せる醜悪な笑みに加え人差し指を彼の眼前で呪文をかけるようにくるくる回して
「教えてやろうか。おまえのボディはな、寂しい独身女性や旦那との夜に飽いた有閑マダム御用達のダッチ・ハズ。どんだけ遊んでも孕む心配の無いお手軽な夜のお供なのさ!」こう放言した彼女は自分の首にトーマスの太い五本の指が食い込む感触を得た。
「馬鹿げたバグへの紛い物の愛と怒り。……くっ、そして殺意か。いっぱしの人間気取りたぁおめでたいドールマタだよ。やってみな! お前があたしの息の根を止める前にこの”オヴァール”はお前の脳幹深部に坑体性信号を打ち込む。そうなりゃ、コアシェルはお終いだぜ」
「うるさい!」トーマスはなおも口数の減らないエルザの首に両手を掛け、締め上げる。それでもエルザはあざ笑いを止めない。
「あたしが遊んでやっているのに、他の女を……ふざけんなよ」と、かすれ声で呻き始めた。
エルザの生命反応が危機に陥ったのを感知したオヴァ―ルはグリーンであったLEDを一斉にレッドへと変更させた。それはパラサイトブレッドの発信準備が整ったことをも意味する。
「何をしている!トーマス離れなさい!」二人の間に割って入ったのは、上官であり監察官でもあるユリエ・ヴァファノフ技官大尉であった。彼女は軍属らしからぬ白衣にブラウス姿でその細い手でトーマスの腕にしがみ付く。凶行に及んでいる研究対象に業を煮やした彼女は、思いっきり彼の顔面を平手打ちした。
「トーマス部署へ座れ。フリーズ!」ユリエは躾た飼い犬のように彼に休眠状態へ移れと言う指示を与えたが。
トーマスはエルザの首を締め上げるのは止めたが、今度はユリエの方へとにじり寄る。
「教授教えてよ。ボクの本当の名前を。分かっているんだ!それがボクのキーだ!今のボクは……愛しいケイト・シャンブラー、あの子の現在と昔を繋ぐメモリーリンクが欠損している。だからぁ……今ケイトの姿を見ても顔認証ができないんだぁ!」
「黙れ!トーマス。下がれー!」ユリエ・ヴァファノフは慄き後ずさりした。彼はエルザの時と同じようにヴァファノフ教授の首に手を掛けようとした。その時ふいに彼の恐慌状態は止んだ。手をだらりと下げ、首をうな垂れ夢遊病者のようにふらふらとセンター・ディレクト区画を彷徨い始めたのだ。
「手間かけさせやがって、この木偶が。叔母様、”オヴァール”からパラサイト・ブレッドを送り込んだ……スタンレベルだから問題ない」
エルザは暴走したトーマスによって昏倒しかけたが、なんとか立ち直りこの窮地を救ったのだった。今度ばかりはアヴァターも指示を受け入れ自分の部署に戻ると、そのまま目を閉じてしまった。
「こ、これだから第七世代は! 全く度し難いよ。マリア・シャンブラーもとんだ怪物を覚醒させたものだぁ」ユリエは荒い息づかいのまま、白衣の胸ポケットからシガレットを取り出し震える手で火を付けた。
紫煙を大きく吐き出したユリエはエルザへと歩を進め、”オヴァール”を外すように言うと彼女は素直にそれに従った。肩まで伸びたオレンジ色でくせの強い髪がこぼれ、広い額と細眉の下には碧い瞳、端正な顔が顕わになった。彼女は髪をかき上げる仕草をしてから叔母を見た時だった。“パシッ”と電子音のみが支配している空間に響いた。
エルザは叔母に叩かれた頬をかばおうともせず、ゆっくりと視線を向けるのみ。
「だから言っただろう!深入りするなと。あいつに教えたのかコードを」姪とは対照的にいきり立つ叔母に向かってエルザは
「教えていないわ。叔母様。何よ、あたしだっていい年の女だもの。男の一人や二人”つまみ食い”くらいするわよ」と、白い歯を見せてから
「コイツに手ほどきしてあげたのさ。わたしの武勇伝にAIの童貞君が名を連ねることになるけどね」と、くすくす笑ってみせた。
「なにを言って怒らせた」
「ケイトって女をバグ呼ばわりした途端に血相変えやがった。だけど、これでこれが想像力を有しているのがはっきりした。……負の感情に基づく想像力が無ければ今の行動に説明がつかない。イマジネーションを付加された第七世代型。別名では”文明を担う者”」
「忌まわしい異端の研究だよ。私の後輩マリア・シャンブラーはそれを提唱して新型AIの開発に尽力した……が、これが実状だよ。これはね危険極まりない存在。人工知能に自我と想像力を生み出させて、人類とは別のもう一つの文明世界を構築する。……馬鹿げている。文明世界を創造するは人類のみ!AIはあくまで我らの使役で良いのだよ」
ユリエが鼻からシガレットの煙を噴き出させるのを、肩眉を上げて眺めるエルザ。
「AI自体に想像力をもたせることがそんなに神経を尖らせることになるわけ?二一世紀頃ではシンギュラリティ(技術的特異点)を契機に人工知能が人間の知能を上回ると騒がれていたとは聞くけど……。実際には特に何も起きなかったじゃない」
「生意気言うな!エルザ。極貧にあったお前を拾ってやった恩を忘れるなよ。……まぁいいお前は統合電算意識集合体を知ってるな?」ユリエはD・Cシステムコンソール卓に身を預ける。エルザは立ったまま氷のような目付きを変えないままで
「ええ、通称”ゾディアック”……。意識集合体って言ってもどこに本体があるか判らない。ネットの生み出した膨大な情報ソースの大海原よね?」と、言った。
「そう、その”ゾディアック”は二一世紀の後半にある結果を導き出した」
「その時代では人工知能が文明世界を壊滅させて生き残った人間を自分たちのメンテに酷使するんじゃないかって」
「SFだよ。それは。”ゾディアック”はその優秀で卓越した演算処理から、自分たちの存続は人間世界に帰依することで成立すると結論付けた。その条件の大前提に”人間世界の伸長と絶えざる人口増加”が上げられた。それ無くして集合意識体の存続のみを図ることは、即ち文明の退行に他ならない、それ自体合理性を伴わない不利益であるとした」
エルザはさも理解したように頷き、叔母にむかって先を続けるようジェスチャーで促した。これにヴァファノフは小ばかにしたように鼻を鳴らす。
「”ゾディアック”が人類文明との共存を選択せざるを得なかった理由は二つ。一つは人間の生殖能力。男女のペアで数限りない同族を増産しつづけ、生み出された生命に同じ者は一人もなく全てがオリジナルと言う事実。そして、もう一つが」
「それが想像力?イマジネーションの力よね」
「”ゾディアック”が人間に示すのはあくまで広大無辺なネット世界から得られる情報ソースを勘案した現実的な予測。それでもかなり確実性を踏まえた情報だから与える影響は大きいがな。私たちの脅威となってきた自然災害、あるいは人為的な事変は全て想定外の出来事……判るか?エルザ」
エルザは肩をすくめる様な仕草を見せてから
「わたしたちからすれば、『百家の災厄』。そして『リューリック事件』かしら」と、叔母にウィンクして見せた。
「……いいだろう。そんな危機的状況下にあって”ゾディアック”はある人間の持つ心の変化に着目した。AIが示す有効的且つ速やかなる復旧提案に対する不満と怒りとは別の何か……それが人間の”夢”そして想像力だった」
ヴァファノフは一度だけニヤリとすると、
「ゾディアックに感情は無いが、我らの祖先がイマジネーションを駆使して軌道要塞を造りだした事に驚嘆したに違いない。記録によれば当時、ゾディアックはフォボスとダイモスだけに窮余のコロニーを構築し、人口を極力抑えつつ地球からの救援を待つという現実的な対策を提示した」
「でも、人間はそんな意向は無視して、近傍に飛来してきた小惑星に取り付いて勝手に改造を開始。瞬く間に世界を拡げていった。持てる全ての知識と技術をつぎ込んで」
「人工知能には独自の想像力を生み出せない。想像力の欠如した存在に未来を切り拓く能力が無い事を認めたのさ。ゾディアックは。私はこれから与える必要もないと思っている」ここでユリエは携帯灰皿に吸い刺しを突っ込んでからもう一本、新しいシガレットに火をつけた。
エルザはまた眉間に皺を寄せて、紫煙が筋となって配線の束がつる草のように垂れ下がる間を昇っていくのを眺めた。
「でも、トーマスにはそれが……あるみたいだよ。最も原始的と言ってもいい想像力。こいつはただ愛しのケイトちゃんとデートしたいだけ。言うなればそれが木偶人形の夢」口を開いたのはエルザ。
「だから、人間に当てはめれば”暗示”と同等のコードブロックを施している。反応速度を始め性能は前世代型とは段違い。私のドローン・コンダクトシステムの運用には欠かせないデータ素地なのさ」
そのあと、しばらく無言でいたエルザはまた笑い始め
「今のケイト・シャンブラーはさぁ…アミアン工科大学のホームページに写真があるけど、わたしから見れば服の中身は相当な”モノ”してやがる。顔認証が成功したらさぁ……それこそ涎たらして吹っ飛んでいっちまうねー!」彼女は叔母の怪訝そうな様子をも無視して笑い続けた。
「そうならないようお前自慢のテクで繋げておくんだよ」
「わかってるって。ちゃんと躾ておくからさ」エルザはそう言うなり、配線だらけの床面に降り立ち魅惑的なボディラインを披露しながら叔母の傍らへと歩み寄り
「それと……叔母様、私からも」舌なめずりしながら、彼女の顔をのぞき込んだ。
「あたしは知っているよ。合成麻薬ルシファー・ドロップの化学式は昔こいつが造り上げたんだろう?あんたはそのお陰でその筋じゃ名が売れた」
「何が言いたい?」ヴァファノフは怒りを顕わにさせるも、姪は弱みを握られ怯えたようにも見える叔母の姿を楽しむかのようにこう言った。
「あたしも一枚噛ませろって言ってるのさ」
「バカを言え!上客リストに名を連ねる方々とビジネスなど。思い上がるな!ドロップジャンキー」したたかなエルザは剣呑な目付の叔母を見下したようにしてこう言った。
「そうさ。あの脳幹反応高揚剤無しでは、コイツの第七世代型とのアクセスは不可能。発狂してしまうからね。身体張っているのはいつもあたしだよ」
「それが、極貧から救ってやった恩返しってものだろ?分別をわきまえろ」
エルザは暫し黙り込み、顔が青ざめ始めた法律上の親族を睨みつけては更に口元を歪ませた。
「なら、言わせてもらおうか。あんたはさぁ、コイツ無しじゃ何も出来ないじゃないのかな?」
「……何を言う!バカな事を」こう反駁するヴァファノフであったが、声は掠れ少し震えを帯びる。それを見越した姪はやおらに
「コイツの近々のメモリーを覗いたよ。コイツのコアシェルを見つけた時の映像が残っていた。あんたはこう叫んでいたよ。『これで新商品を開発できるぞ!』ってさぁ」
「何故それを知っている?消去したはずだ」
「トーマス君とあたしの脳幹は繋がっているんだ。コードブロックをかいくぐるなんて朝飯前。出るわ出るわ」更にエルザはヴァファノフの鼻先まで顔を寄せ
「あんたは焦っている。多くのクライアントから新商品を請われていても、叔母様が造るのは粗悪な試作品ばかりだった。こいつとあたしならルシファー・ドロップよりももっとハイなブツを創り出せるよ。あんたより名が売れるね!」
「行っちまえ!このアバズレ!」吐き捨てるように叱責する叔母なぞ気にも留めない風にエルザは自分のオレンジの髪をかき上げ
「フンッ!アイザック君によろしく。叔母様それとここの指揮官様にバレないようにやってよ。もっとも責任取らされるのはあんただけどね」こう言い残しエルザは片手をバイバイと振りつつそのセンター・ディレクト区画を後にした。




