第十二話 闇夜のルーヴェンス
「……大丈夫だ」と、アメリアは親友に目配せした。昼の体験を熱く語ったキサラギに
「へぇ~そうなんだぁ」こう素っ気なく返したルナンは彼女に夜食をリクエスト。階下の厨房へ向かわせていた。当の娘はプリプリしたものの敬愛する師匠からも乞われ、止む無しと部屋を後にしたのだ。
頷いたルナンは妹分にはあまり関らせたくない件にこれまで秘密裡に行動してきたクロネコ型ドロイドへ
「ルーヴェンス。これまでの調査報告を」と、呼び寄せる。
ルーヴェンスは二人の間まで来ると姿勢良く座り、夜な夜な行なってきた諜報活動の報告を始めた。
「インテリジェンス・シェアが可能だった私と同タイプは合計六体。初めにお断りしておきますが情報を得るために、私が持つお二人の情報をも提供していることをご了解いただきたいのです。それがシェアの意味合いですので。もし提供を拒めば私は”会合”を開いている同類たちから攻撃を受けることとなります」
「了解した。先ずハンナ・マティアスの行動を……」ルナンはこれまでとはうって変わって思慮深げな眼差しを向けていた。これに彼も丁寧な物言いで答える。
「ハイ。マティアス女史はお二人のお考え通り、情報局以外にも頻繁に連絡を取り合う組織があるようです」
「『革新・青の党』あるいは『民族共同戦線』か?」
ルナンは今、この軌道要塞を二分して対立している二つの政治団体を挙げた。これにルーヴェンスは一度、耳をピクリとさせて
「シェアしたうちの二体は『青の党』傘下のドロイドです。彼らからマティアス様が青の党メンバーと会談する映像を入手いたしました」
「なるほど……奪還を担う強襲部隊の人数はどうしても限られる。襲撃にせよ脱出するにせよ、市全体を混乱させて警察の注意を逸らさないかぎり成功は覚束ない……青の党を使って扇動するつもりだな」合点がいった様に首を縦に振るルナン。
「それとライプチヒ、エッセンでも対立は激化しているのか?」これにもクロネコは淡々と
「いずれも青の党が持つ青い旗と民族派の赤い旗がひしめいております。小競り合いは日常、もはや一触即発と言えます」と、主の顔を仰いだ。
「ここポツダムも、青い旗と赤い旗がそこかしこに。危ういな」ルナンはベッドの上で胡坐をかき、首を傾げている。
「あの牙女の情報は?」昼間対峙した大女に関するアメリアからの詮議に、ルーヴェンスは少しうな垂れて
「申し訳ありません。スナール様。我々、特に自由に町を徘徊できるネコ型は様々な人物の映像、音声を断りなく入手していることは最早公然の秘密ですが、撮影された人物がこちらを認識、情報の消去を希望された場合に我々は例外なく従うよう義務付けられております。今回のアリシアなるお人の場合も既に」申し訳なそうにしているクロネコを見てアメリアも
「仕方ない……か」事情を察して嘆息をつくのみ。
「ハンナ・マティアスに関して他には?」
「これも申し上げにくいのですが」ルナンの問いに、更に俯くルーヴェンスが、ぼそり。
「お二人の情報ソースでは、これが手一杯でしてぇ。いささかグレードと言いますかぁ」
偵察任務に就けたドロイドが何を言わんとしているのか先を読んだアメリアは
「ふん!おら達では引っ張れる”モノ”が無えってが?」こう詰め寄るもルーヴェンスは首を捻るばかり。
「オレはニュースで顔出ししていますが」と、半年前に執行した”美人局作戦”で一時世間を騒がせていた件をルナンが呟くも、これにもルーヴェンスはバツが悪そうに
「いやぁそれも食いつきが悪くてですねぇ。ただ、マティアス様に関して興味深い事が」ルーヴェンスはやっとここで顔を上げ
「こちらが、マティアス様の情報を提示したとたんにブロック機能が作動し、会合を去ったドロイドが二体」
「分かる範囲でかまわん。どこの所属か?」ルナンは身を乗り出した。
「アトランティア連邦、国防総省情報統括局N・S・I・Dです」ここでルーヴェンスは面目躍如的な報告を入れたのだ。
「そ奴らに関しては、”会合”後に私が独自に接触した三毛猫型ドロイドから入手した情報です。我らの間でも……いろいろとあるのですよ」
これにはルナンとアメリアは顔を見合わせた。
自国の情報局員が他国の諜報ドロイドからは予め情報流出のブロックがなされているという事は、仮想敵国、並びに第三国から放たれたドロイドに本来マークされるべき対象があらゆる行動を取り得るという意味を持つ。これは忌々しき事態と言えた。
ハンナ・マティアスに二重スパイとしての危惧が生じた事を、ルナンはこれで思慮の中に加えざるを得なくなった。
「ルナン……あいつはアトランティアとのコネクションも持っているという事か!」アメリアが問題の核心にふれようとすると
「……ご苦労。ルーヴェンス、引き続きマティアスを探れ」と、ルナンは結論を急ごうとはしなかった。
「ですが、クレール様」
「次の会合には、我々がデーニッツ大佐の命を受けて来ている……ここまではリークしても良い」
ルナンはこの後、毛布を頭から被って考え込み始めた。その様子を見たアメリアがその中へ顔を突っ込み
「良いのか?やもすればマティアスは……」彼女はルーヴェンスにも聞こえぬよう気を払って囁く。が、
「アメリア、頼みがある」ルナンは途中で彼女の言を封じた。毛布の中で彼女の目だけが異様に光っている。
「言え」アメリアも親友の意を決した物言いに身構えた。
「命をくれ」
「構わぬ。キサラギだな?」
「この任務、下手をすれば我々全員が消される怖れがある。マティアスは”悪いようにはしない”としか言及せん」
「デーニッツは恐らくマティアスと革新・青の党との繋がりを黙認。泳がせているらしい。マティアスの真意が気になる……」と、ルナン。
「それで、キサラギだけでも逃がそうと言うのだな?」
「オレがあいつを伴ったのは、『ディジョン・ド・マルス』に留め置く場合、第四課の人質になりかねん。いざという時に身動きが取れなくなると踏んだからだ。まだ、分からぬことだらけだ。作戦の襲撃部隊に青の党、そしてアトランティアがどう動くのか。だが、あいつだけは無傷で脱出させたい。そのためには……すまん。アメリア」かく言うルナンにアメリアは微笑んで
「判っている。任せろ」彼女は親友の額にコツンと自らの額を押し当てた。
「ルーヴェンス、その時には君がキサラギをエスコートせよ。必ず我らの『ディジョン・ド・マルス』まで送り届けろ。命じたぞ」ルナンは同じ姿勢のままで新たな指令を発した。
「承りました。で、その後は?」
「ロベルト・マクミランか、ヤヨイ・斑鳩を頼れ。良いかルーヴェンス、お前は単なる使役ドロイドではないぞ。最悪、我らの亡き後は最後までキサラギに付いてやって欲しい」
「望外なお申し出、痛み入ります。では、私はこれで」ルーヴェンスはくるりと体を返し、文机に飛び乗ると器用に前足で窓を開けた。
「ほらぁ飯だぞぉ。冷凍エビピラフがあったから頂戴してきた。あっルーヴェンスどこへ行く?」キサラギが仮眠部屋の扉を開けて目にしたのは、二階から飛び出そうとするドロイドネコと、二人の女が毛布を頭から被って何やら怪しげな様子。
「デートだよ。ちゃんと寝ろよ」直後、ルーヴェンスの黒い毛並みは戸外の闇に溶けた。
「それでぇー師匠と姉様は何してるん?」キサラギは、ジロリと二人をにらみ付けた。
妹分に詮議の目を向けられた二人は髪をいじったり、わざとらしくルーヴェンスの後を追って夜の戸外に目を凝らす。
「ま、無いなぁ!ルナンの甲斐性じゃね、アメリアさんもいろいろとねぇ」彼女は厨房で用意したピラフが盛ってある二人分の皿とスプーンを手渡し、勢いよく二人の間に胡坐をかくと自分も階下にて拝借したソフトドリンクをやり始めた。
「はいはい。いろいろあるっしょ」一人納得するキサラギから姉貴分らは互いに目をそらし、大げさに料理の出来を誉めた。
キサラギは料理をかっこむアメリアをじとっと見つめ
「ねぇ師匠。いつもお店に来るあの男性……誰?」前置きなしに問うた。これにはアメリアも思わず、飯が気管に飛び込み激しくむせ返ってしまった。
「い、いきなり何だぁ。さっぱりわがんねぇな」咳き込んだ後、こう言うのがやっとであったが、キサラギはそれでも執拗に食い下がった。
「うっそでぇ!いっつもその人は、夕飯時になると窓際の席に一人で座ってさ、ビールとジャーマンポテトを注文。『私が行くから』って真っ先に料理とか運んでいくのは必ずアメリアさんじゃん。……あの禿げのオッサン誰よ?」と、しきりに顔をのぞき込んで来るキサラギにアメリアはついに
「オッサンじゃねえど!ウ、ウィルバーはおらより一つ上だぁ。禿げてもいねぇ!仕事がら髪を短く刈り込んでいるだけだぁ!」と、捲くし立て”あっ”と声を上げた後は目を料理に落とした。
「へぇ~、ウィルバーさんって言うんだぁ……元彼?」
問い詰められた師匠はソッポを向いてまた料理にがっつき始めた。それにはお構いなしにキサラギは本日夕刻での目撃談を誰に聞かせるではなく喋り始めた。
「その人はさぁ~、師匠が料理を運んで立去ろうとするとね、小指をキュッと握って離そうとしねぇのよ。師匠は師匠でそのまま顔を赤くして立ちんぼ!皆が忙しくしている時間帯に一人リア充してたっしょ」
アメリアにして見れば、誰にも気づかれていないと思っていた事が、よもやキサラギに目ざとく観察されていたことに居たたまれなくなったのかその時と同じように赤面させ
「わーかったぁ!彼はウィルバー・ヨハンセン。お、おらの、元許婚だ!」と、遂に観念した。アメリアは空になった皿を置き両手で顔を覆ってしまった。
キサラギとルナンはしばらくキョトンとしていたが
「いいなずけぇー!てことは結婚するんですかぁ?」キサラギが両手でアメリアの肩をつかんでぐらぐらと揺らしても、アメリアは恥ずかし気に身体をくねくね揺らすのみ。
キサラギがしつこく彼女の顔をのぞき込めば、片手で口元を押さえもう一方の手で畳に”のの字”を書きながらポツポツと彼との馴れ初めを語り始めるも、たびたび顔を赤らめては黙り込む。その都度、キサラギが”ほんで?”とか”どうなったの?”と根掘り葉掘りする始末。その話を要約すると以下の様になる。
アメリア・スナールの生まれはMD:〇〇八〇年五月の二六歳。故郷はルナンが生を受けた軌道要塞『アルデンヌ』の近傍に位置する農業資源衛星都市『エテルナル・プレーリ』(永遠の草原の意)。大型宇宙都市『アルデンヌ』に比すれば規模は三分の一程度だが、その内径世界はざっと東京二三区分の表面積を有し、その全域が畑作農業と牧畜用の草原で覆われているのである。
『エテルナル・プレーリ』は一県二郡四村しかなく、アメリア生家の住所はブロンソン県ネール郡シャ・ティグレ村。人口比率より馬、牛、羊等の家畜のほうが圧倒的に多い。
スナール家は入植以来農業と牧畜業を営み、シャ・ティグレ村に定住を始めたのは曽祖父の代からである。父の名はアルヴィン・スナール。母マリエッタとの間に長女として生まれた。あと、アンドレという弟がある。両親とも未だ健在で二つ下の弟が若様として家業を継いでいるので実姉としては安心はしている。ただ、父アンドレは早計で、彼女が年頃になると人工太陽を挟んで反対側となるラツール郡タレオ村の豪農ヨハンソン家次男坊ウィルバーと娶あわせる事を勝手に了承してしまった。
父の強引な勧めで一八の時アメリアはしぶしぶウィルバーと何度かデートをしたことがあったのだが、そこで彼の方から、“外の世界で一旗挙げてみたい”との意向から、二人は口裏を合わせ”婚約凍結”とした。
士官学校への入隊を意図していた彼女は父の反対を押し切り、家出同然に故郷を出奔。それ以来、今日までウィルバー・ヨハンセンとは疎遠のまま過ごしてきたというのだ。
「ここで劇的に再会した……と」キサラギに言われるままアメリアは頷き
「ウィルバーはここのリアクター・ギルドに備品と日用雑貨品を納入している会社の社員なんだ。あそこじゃ髪伸ばしたり髭生やすのは厳禁なの……」と、ここまで言うとまた目を伏せてしまった。
「で、今日何を話し込んでいたんですか?」と、興味深々のキサラギは膝をつき合わせるようにして問う。
「ウチの弟が年末に結婚することになったんさ。親父からも一度、帰っで来いさ言われでての。あいつから、その時一緒に帰省すんべって誘われてるんさぁ。弟の嫁さんはヨハンソン家の親類だで」畳に穴が開かんばかりにアメリアはのの字をくり返す。標準語は鳴りを潜めて、自然にお国詞が洩れだしているのにも気が付かない。
「悩むこと無いじゃないですか!この任務が終わったら一緒に結婚式に出席すればぁ」と、お気楽に語るキサラギにアメリアは自分の左手をかざして見せて
「この手と、顔の傷。この有様で帰れるかよ。……わたしはしょせん疵者さ」コレを最後に彼女は体育座りとなり、膝頭に額をくっつけて貝のように押し黙ってしまった。
「その疵だって、訓練中の銃の暴発事故じゃありませんか。それが縁でルナンとのつき合いがはじまったんでしょうに。胸張って帰省したって……」師匠のふさぎ込んだ様子にキサラギも声を細める。
「口さがない人間はどこにでもいるのさ。わたしみたいな疵者が帰ったら実家の連中にどんな迷惑がかかるか……それに今度新しく家族になる嫁さんに肩身の狭い思いをさせるんじゃないかって……な」
キサラギはそれ以上何も言えなくなり、ルナンに援け舟を求めた。
「アメリアよ、一度失ったら家族の縁ですら元に戻すのは難しくなる……オレがいい例さ。妹は既に亡く、母は再婚して縁が切れた。ろくでなし親父は行方知れず……。なぁ、家族があるなら」
「止そう!その話は。ウィルバーとはここまでの縁だ。あいつに私の正体を明かすつもりはない!」アメリアは決然としてルナンの言を封じてから、二人の視線をふり払うようにして立ち上がった。
「ごめんなさい!アメリアさん。あたし勝手なことを」立去ろうとするアメリアを戸口の前まで追いかけたキサラギにアメリアは破顔してから
「気にしてないよ。キサラギ、お前はいい子だな。……ごちそうさま」と、言うと彼女の黒髪に覆われている頭部をくしゃくしゃと撫でてから自分の部屋へ戻っていった。
後に残されたキサラギは、アメリアが置いていった皿とスプーンを、ルナンの分と一緒に片付け始めた。彼女はルナンに視線を向けるも神妙な面持ちで首を振るばかり。
キサラギは自分の軽はずみな発言が、師匠と仰ぐ人をいたく傷つけてしまったのかと、深くため息をついた。そして、いつの間にかひやりとした空気に身を震わせた。ルーヴェンスが出て行った窓が開け放しのままであった。ここ『プロイセン』では、秋がいささか駆け足ぎみに過ぎ去ろうとしていた。
夜の帳が降りきって、その中で人を寄せ付けない冷たい氷のような淡い月光を反射している石造りの壁に取り囲まれている辻を目に捉えた。
窓辺のキサラギは見える範囲に、ルーヴェンスの姿が無いのを確認すると静かにそれを閉じた。
この人工世界に寝起きする人々は生まれてこのかた本物の月を垣間見た者なぞいない。人工太陽は夜でもそのプラズマ集光帯を極限に抑え月夜を演出しているにすぎない。
今夜は満月。ポツダム市内を碁盤の目のように区切る街道のさらに裏手、石造りの建物がそそり立つ人一人がやっと通り抜けられる細い路地を長い影を落としながら駆け抜けるネコ型ドロイド。黒い毛並みは月光を受けて輝くが、そんな悠長にしていられるはずも無い。ルーヴェンスは追われていたのだ。
「ちっ!あの三毛猫、オレを売りやがったな!」彼は追っ手を振り向かず路地が途切れる大通りへと疾走していた。
事の始めは、彼ルーヴェンスがアジトから月明かりがあってもなお宵闇深い旧市街区へと足を踏み入れ、”会合”とは別の、彼がここ数日で故意にしてきた三毛猫型ドロイドであるルルとの逢瀬にあった。
「新顔くん…あたいは構わないけどさ。こういう接触はヤバイよ」と、ルルは顔を洗う仕草をくり返しながら呟いた。
「危ない橋は百も承知さ。けど、巷に流れる情報のその先までをつかむにはこうする他ない」ルーヴェンスはルルに近寄りエサをねだる仕草で頭部をルルの首筋に何度もこすりつけた。
二体が深夜のデートに選んだ場所は『金のクマさん亭』から数キロ離れた、緑地公園の一つ。遊歩道の道筋に沿って植えられている背の低い茂みの中。
「以前は個別のダイレクト・シェアが大っぴらにできたものを。あのブラウって豹がここいらを仕切り始めてからやりにくいったらありゃしない」
「オレが欲しい情報もヤツの妨害のためにうまくいかない……。ルル、君はあいつの組下ではないんだろう?」二体は互いの長い尻尾をからめながら身体を寄せ合い通信を互いの身体を通して行なっていた。
「あたいがどの列強から派遣されているかは明かせないよ。ただ、諜報ドロイドとして新顔のあんたが持つ情報に興味があるだけさ。で、今宵は何を持ってきた?」
「ああ、判っているよ。さっさと済ませちまおう」
ルーヴェンスはそう言うと、ルルの背後に回り込みメス型ドロイドのうなじ当たりを甘噛みしてそのまま地べたに組み伏せるようにして圧し掛かった。その行為は本来の生き物同士が交わす夫婦の営みに酷似していた。
互いの体内に潜伏させた情報を交し合うダイレクト・シェアはほんの数分ですんだ。
「ルーヴェンス、あんたは優しくしてくれるから好き。あのブラウは強く噛むからキライ」ルルは事がすむと彼に顔を寄せて鼻頭をつけて囁いた。ルーヴェンスの方は月夜を仰ぐように体内の新たなメモリーの精査を始めていた。
「クレール様が必要とされた……あのブランデルとマティアスは……そうか」
「やけにご執心だねぇ。深入りは感心しないよ。あたいらから吸い上げた情報の吟味は人の仕事さ」と、三毛猫。
「渡世の義理ってやつさ。アリガトなルル」ルーヴェンスは、お別れのキスの代わりに自分の鼻先を彼女の鼻にあててから体を返し茂みを抜けて走り去った。
(ふぅん自由フランスは情報部外事局をこの件にあてたか……いつもカスみたいな情報しか持ってこない新顔に色目を使った甲斐があったな)
ルルはルルで自身の新たな情報を吟味する最中、その背後から別のネコ型が姿をあらわし
「リディア様、首尾は?」と、唐突に問うた。
「その名をここで使うでない!」リディアと呼ばれたルルは厳しく配下のドロイドを一喝。配下は平伏したまま押し黙るのみ。
「まぁ良い。お前は今の件をブラウに告げよ。私が言い寄られた末に接触したと言い添えるのを忘れるな。行け!」
命を受けた手下はルーヴェンスが向かった先とは逆方向の茂みへと姿を隠した。一体だけ残されたリディアこと三毛猫型諜報ドロイド、ルルは
「さても、ルーヴェンス君見事に逃げ切ってみたまえ。しかし『渡世の義理』とはね。浪花節はあたいらには似合わないよ」と、人には窺い知れぬ高周波帯の音声で呟いたあとは、ルーヴェンスが走り去った先へ目を細めるのみであった。
それから一時も経ずして、ルーヴェンスはアジトへの帰路の途中で追われる羽目となったのだった。
追っ手も同タイプのネコ型ドロイド三体。執拗に追う二体のうち一体はキジトラ柄でもう一体は黒白ブチ。最後の一体は一際体躯が大きく、手下より距離を空けてやや鈍重そうな身体を揺らしながらも悠然と歩を進めていた。
(クソッ!ブラウだけはジャングル近接戦闘ドロイド!どこに潜んでやがった)ルーヴェンスもブラウなる頭目格のネコが”会合”を仕切っていることは聞き及んではいたものの、今夜はじめてその姿を目の当たりにしたのだった。
ブラウはネコと言うよりかは正に豹。堂々たる体躯に頭の部位だけでゆうにルーヴェンスのボディほどの大きさはあろうか。
「ぐずぐずするな!彼奴めを仕留めろ!」
頭目から指令を受けたキジトラは一層スピードを上げ、ブチは立ち止まり姿勢を低く、大きく口を開け上下の牙の先から稲妻を迸らせ次の瞬間、青白い閃光の球弾をクロネコに向け放った。
「クッ!三下にしては大した装備だぜ!」
ルーヴェンスはブチの放った光弾の達する寸前に、左へ素早く振りぬけそそり立つ壁へと跳んだ。そのままそそり立つ石造りの壁に爪を立てて駆け上がり、人が仰ぎ見られるほどの高さからジャンプ。次に空中で身体を捻り、彼を追って同じく跳躍したキジトラの背へ覆いかぶさるようにして首筋に喰らいついた。
ルーヴェンスは敵対ドロイドが放った光弾と同原理のスタンガンを数倍強力にした雷撃を牙から手下へと直に放った。
キジトラは闇を切り裂く叫びを上げ、耳と口から白煙を上げながら路地に落下。ニューロン組織とマイクロチップ集積回路が自己修復しえぬほどの電撃はドロイドを完全に機能不全……と言うより”死”をもたらしたのだった。
ルーヴェンスは痙攣する骸には目もくれず、軽やかに着地すると今度はもう一体に狙いを定め、四肢を躍らせ疾風の如くに突進。残る手下は、やおら二撃目を放つも、ルーヴェンスはこれも右にかわした。
「芸が無いな!お前の視線から次にどこを狙うかはお見通し!」彼はブチの眼前で高くジャンプすると同じく背に覆いかぶさろうとしたが、相手もそれを見越して地を蹴り、ルーヴェンスのアタックを空中で受けた。
二体のドロイドは互いの身体に爪を立てて地上に落ちてなお、狭い石畳の路地を転げまわる。互いの牙の先から必殺の雷撃を撃ち込まんと、口腔内に稲妻を走らせては呻り声を上げた。パワーでは五分と五分であるが、彼の眼球インジケーターにはダメージの蓄積度合いが表示されていた。各関節と外表皮がイエローマークで表示され、バッテリー残量は三〇パーセントを切っていた。
(デファンスブレッドが使えるのは……あと一回。これはあのデカいのに使うつもりだったんだが)
ルーヴェンスのAIは瞬時に、今組み合っている一体に最後の雷撃で戦闘不能にさせ、残るブラウからの戦術的撤退を選択した。彼は前脚でブチの鼻先に爪を食い込ませて怯ませるとすかさず、前脚に最後の雷撃を放った。その刹那、ブラウがいる方向から雷光弾が飛来。ルーヴェンスとの間に距離を取ろうとしたブチ猫を直撃したのだった。
「ブラウ!貴様ぁ手下を」ルーヴェンスは全身の毛と尻尾を逆立たせ、己が配下もろとも自分を始末しようとしたブラウに向けて牙を剥き唸り声を上げた。
頭目からの非情な一撃を蒙ってしまった三下は立ったまま体中から火炎を噴出していた。紅蓮の炎は全身をなめ尽くし、毛並みはそぎ落ちてアルミ製の骨格が顕わとなってしまっていた。内蔵機器は弾けとび、火花と青白いガス臭を含んだ煙が細い路地に垂れ込めていく。
「他愛も無い!たった一体のクロネコに手こずるなど!……配下なら新たに呼び寄せれば済む」ブラウはルーヴェンスに比すると一〇倍近い大きな体躯を揺らせ、赤い眼を光らせながら悠然と歩を進めてくる。
「クロネコよ。”会合”で満足しておれば、目をつぶってやるものを。俺の雌に言い寄るとは……礼儀知らずは好かん!」
「けっ!ルルはお前が嫌いだとさ!優しくしてやらないからだ」と、他の二体とのバトルでダメージが蓄積しつつあったルーヴェンスは強がったが、その状態をするどく見抜いた非情な豹は
「バッテリー残量は二割を切ったかな?勝ち目は無いぞ!ここで趣旨替えしてワシに仕えんか?先程の身のこなし見事」と、ブラウはルーヴェンスとの距離を数メートルの所で立ち止まり、彼に最後の選択の余地を与えた。
「願い下げだ!このマヌケ」ルーヴェンスは姿勢を低くさせながら後退った。彼の背後にはあと数歩で大通り。そこまで出れば逃げ延びられる可能性がぐんと上がるのは明白。ただ、頭目の睨み通り残量は二〇パーセントを切っていた。
彼の勝算は身軽さを活かしていかに逃げ切るかしかなかった。ブラウは先刻の雷撃弾でこちらを討ち取ろうとするだろうと読んだ。それをかわしつつ、接近戦に持ち込み自身の敏捷さを以って翻弄できれば勝算も見えて来るはずであると。
「惜しいな。消えろ!クロネコ」ブラウは読み通りに彼の胴体がすっぽり納まるほどの大口を開けて稲妻を発生させた。
(左か。いやっ上だ)ルーヴェンスは渾身の力で真上へとジャンプ。狙い通り彼の胴体のすぐ下を雷球が飛び去った。が、次の瞬間彼は自分の左後足に猛烈な熱量と衝撃を受けて頭から地上へと落下した。
「れ、連弾打ちかぁ……」ピクリとも動かない左足の情報が彼のインジケーターにレッドアラートとして表示され、しかもバッテリーが僅かのために全活動を停止させる休眠モードへと移行するカウントダウンが始まっていたのだった。残り時間は五分を切っていた。
「これ以上の攻撃は無意味。きさまの活動停止後に首を引きちぎり直接AIから情報を回収しよう」ルーヴェンスの耳に勝ち誇るブラウの低く兇状を含んだ声が届いた。そしてひたひたと忍び寄る殺意の足音も。
満身創痍のルーヴェンスは残りの三肢で身体を起こし、ひょこひょこ飛び跳ねるようにして大通りへと出た。そこでは朝靄が立ち込め始めていた。ただ、それは傷ついたクロネコを覆い隠してくれるほど濃くはなかった。
彼は真っ直ぐに『金のクマさん亭』に向けて動かぬ足を引き摺りながら逃亡を続けた。本来なら敵性ドロイドにアジトを知られるのは避けねばならないが、最早そんな余裕は無い。
「イヤだぁ!帰るぞ。キサラギィ……お前の所に帰るんだぁ」と、思わず声に出したルーヴェンスはこの呟きがどのプログラムから洩れ出たのか判別できずにいた。そもそも自分には所属する集団に対する帰属性プログラムは組み込まれているはずではあるが。それとも違う何かが己がAIの中に沸き起こり、しきりに自分の生徒でもあり生活を共にしてきた少女を、その腕の中に抱かれる事を切望するのであった。
残量限界値まで三分を切った。ルーヴェンスの網膜内にはしきりにノイズが混じり始めてそこに写り込む画像その物が薄暗くなっていく。
「どうした。今ならまだ何とかなるとでも思っているのか?そのダメージでは重量級の俺でも容易く捕らえる事ができよう……うん?」
絶望的な逃亡を続けるクロネコの聴覚センサーが、追手の足音が停止している事を感知したと同時に、アイセンサーに朝もやの中、辻を折れこちらに向かってくる人影を捉えた。彼は藁にもすがる思いでその人影に向かって歩みを進めた……が。
「くそっ新手か!あれはスサノオの荒武者」彼の見立て通り朝もやを掻き分けるようにしてこちらに駆けてくる人影は、”夜叉鴉”と畏れられた動甲冑をまとっていたのだった。アイスブルーに輝くツイン型暗視ゴーグルの光が二体のドロイドを捉えていた。
「あの三毛猫め。スサノオ連合からの刺客まで!オレとブラウの二体まとめて始末するつもりだったか。キサラギ……ゴメン」と、ルーヴェンスが諦めかけた時、聴覚センサーがメモリーに残る声を捉えた。
「ルゥヴェェーンスー!よけろぉー」武者はこう叫ぶなり己が左腕に装備する小盾からニードル型小槍を撃ち出したのだった。
満月を反射した光芒が閃き、力尽きてその場で倒れたルーヴェンスのすぐ頭上を掠めた。彼は残った力で何とか敵の姿を捉えようと背後へ首をめぐらせた。ブラウは彼が最後に感知した位置から僅かに飛び退り攻撃をかわしていた。
「人とて邪魔立てするなら容赦せぬ!」ブラウは即座に雷光弾を紺色の甲冑に向けて発射。直撃なら人でも只ではすまない。
碧の武者は臆せずひたすら一直線に駆け、小盾で雷撃をはじくと、大股でルーヴェンスの身体をまたぎ、”ごうっ”と唸る旋風となってこちらへと突進してくる。
ブラウは飛び道具が効かぬならと、爪と牙で邪魔者を亡き者にせんとその場から跳んだ。
巨大な牙の先からは雷光が閃く。その威力はルーヴェンスが三下を屠った時の数十倍には及ぶ高電圧となるは必定。
「無礼るなぁぁー!」と、碧武者は叫びながら右腕の更に大きな盾を振るとその先端から妖しく光る刃が現れ、首目がけて突きを放つ。豹は頭を僅かに下げかわせたと勘ぐったが武者はそのまま豹の両耳をつかむや体ごとぶつかるようにして肩口から体を見事に回転させ背に乗り上がると
「ラウンドォグリップゥ!」見事に背を蹴って背後へと跳んだのだった。
「なっ!」牙をかわされた豹が咄嗟に首を巡らすと、クロネコが死闘を繰り広げていた路地に姿は無い。牙を覗かせ次に赤く輝く眼を路地の壁面へと転ずれば、直立する壁面に四肢を広げて張り付く碧の武者が。ブラウのアイセンサーには暗闇に輝く二つの光点がゆらゆらと蠢き、こちらを嘲笑うが如くに映った。
物音一つせぬ路地の空気を震わせる微かなクゥーンと鳴る響鳴音と武者の右大盾から不気味に淡く輝く刃を認めた豹は
「何と“猿の崖寄”!それに朧刃か!くぅっ」と、唸り次には武者目がけて空を切った。武者も豹の動きに呼応し四肢を弾ませ宙を高々と跳んだ。
「あ、あれはキサラギなのか?」ルーヴェンスはノイズの走る視界を目一杯絞り碧の武者を追うが、その動きはスローモーションのように映った。碧武者は身体を丸め回転させながら、装甲を以って豹の雷光弾を再びはじき返す。豹の方も前脚を広げ鋭利な爪で獲物を狙うが、武者はその間合い寸前で身体を広げ奴の背中に取り付く。豹はネコ型ならではの柔軟で俊敏な動きで体躯を捻るものの、それを待っていたかの如く武者は素早く内懐に入るや、左手で顎下をつかみゴツイ軍靴を両前脚の付け根に押し当てた。そして
「龍牙一閃!」の掛け声と共に淡く輝く必殺の刃でブラウの首を刺し貫いたのだった。遂に豹は仰向けのまま路地の石畳に叩き付けられたが、武者は更に
「うらぁぁー」の咆哮と共に一閃薙ぎ払った。何とその斬撃は下の石畳をも切り裂き”おうっ”と声にならぬ呻き一つ上げたブラウの首は細かい礫、砂煙と共に胴を離れた。首は大通りの真ん中へと跳び、主なき胴は四肢をバタつかせていたがそれもすぐに止んだ。
「お、お前ぇキサラギかぁ?……いつそんな装備を」九死に一生を得たルーヴェンスはこちらに悠然と歩んで来る碧武者へ口を開くと
「ルーヴェンスのおバカ!一人で喧嘩してるんじゃねえよ」と、酸素供給マスクと一体となっている装面を外した。そこにはルーヴェンスが求めて止まなかったキサラギ・スズヤの笑顔があった。
キサラギは片手で倒れたままのルーヴェンスを抱きかかえると、その毛むくじゃらの頭に何度も頬ずりして
「心配したんだぞ。君が出て行ってからあたしも眠れなくってさぁ……。これか?九二式の追加装備。早くこれに慣れておきたかったんだ」と、言うとキサラギはルーヴェンスの鼻先にキスしたのだった。
「キ、キサラ……ギ。ク…クレール様……に」金色の眼を明滅させながら、三毛猫から得た情報の要点を伝えんとする黒い相棒にキサラギは
「大丈夫よ。今のうちに自己修復プログラムを立ち上げて。報告はその後でいいから」そう言うなりぎゅっとルーヴェンスの身体を我が子を抱くようにして今一度頬ずりしてやった。
ルーヴェンスは彼女の腕の中で目を閉じる前に
「キサラギ……オレ、お前のこと……好きだ」と告げ、休眠モードへとシフトしたのだった。
「あたしも好き。君はもうあたしの大切な家族なんだから……」と、キサラギが刀を右の大盾に収めんとした時だった。
「さても鮮やかな太刀筋“龍牙一閃”またの名をドラゴントゥース・ストライク。それにその装備は朧刃とお見受けいたしまする」すぐ背後からの声にキサラギはすぐさま豹を討ち獲った淡い光芒を放つ刃を声のする方へ向けた。
そこに佇んでいたのは一匹の三毛猫。このドロイドは今しがたの戦いの様を伺っていたらしく
「スサノオ皇国が名匠、関一族秘伝の刃。それを使いこなす剣技、お見事」と、三毛猫は僅かに頭を垂れるが黄金色の鋭い視線はキサラギを捉えたままである。
「とは言え、先ずはお礼を申さねばならぬようですな。碧の武者さまよ。ルーヴェンス殿もかような屈強なお味方をお持ちとは、畏れ入るばかり」こうぬけぬけと言い放った。
「何奴か?仇名すつもりなら討ち取るまで」キサラギはそのまま切先を三毛猫の眼前にかざすもそれはなおも落ち着き払って
「ご安心を。訳あって私の由縁はお話できかねまするが、これでこのポツダム市の会合も平穏を取り戻すことが叶いましょう」
「何が言いたい」
「実を申さば、あなた様が討ち果たした豹。あ奴は本来平等にして平穏なインテリジェンス・シェアの場に不当なバイアスを強要し続けていたのです。私めの同胞も多く討ち取られまして難儀しておりました」それは月明かりに映える眼をキサラギに向け微動だにせぬまま
「此度あなた様のご家族ルーヴェンス殿の便宜にて討ち果たす事ができましたこと誠に重畳。つきましてはあ奴の首級どうかお納め下さりませ」と、言った。
「それで……」今一つこの申し出に合点の付かぬキサラギが問うと、三毛は人のように口の端をわずかに上げた。
「ご存じない?では申しましょう。あれは言わばポツダム市の諜報ドロイドを束ねていた首領クラス。その脳幹部にある情報の全てをあなた様に進呈するという事です。本来なら我らがざざ虫という名の端末ワイヤーが奴のニューロンチップに潜り込み”食べて”しまうものなのですよ」そして更に
「あと四八時間以内でしたら、わたくしも未だ知りえぬ数多の情報ソースを引き出すことが可能です。あなた様が何を企みかはこちらは預かり知らぬ事。どうかお役立て下さいませ」と言って口を噤んだ。
「いかなる仕儀にてかような申し出をする?」
「わたくし共に平和な共存をもたらして下さったいわば報酬と思し召せ。……では、わたくしは是にて」一度は立去ろうと尻尾を向けた三毛猫であったが何を思ったか振り返り様に
「見れば、あなた様の甲冑に記されております紋章……三日月燕は、かの剣豪ヤヨイ・斑鳩様と見知り置きまするが……あなた様とは合致いたしませぬなぁ。如何なさいます?わたくしの記録の消去を所望なさいますや?」と、問うたが
「好きにせよ」とだけ言うとキサラギはここで朧刃を納めた。
「痛み入ります。あとルーヴェンス殿に、『ルルはあなた様をお慕いもうしておりました』とお伝えくださりませ。碧武者様に戦神の加護がありますように」
三毛は素早く身を翻すやそのまま一陣の風の如くに走り去ったのだった。
「ルーヴェンス殿よ。君は女難の相があるのかな?」キサラギは眠りこけているクロネコの小さな額を軽く指で小突くも彼は喉を鳴らすのみ。
「では首級を拾って退散しますか。警察に見つかったら一大事」キサラギは片手でブラウの首級を気味悪そうに、自分の体に付着せぬようにしながら『金のクマさん亭』への帰路を急いだ。
辺りの朝靄は一層深くなり、白み始めた市街区の空気は霧と化し一人と一体の影を覆いつくしていった。
ここは深夜にルーヴェンスがルルと逢瀬を交わした緑地公園。ルルは遊具の周辺に備えられているベンチの一つに座り、先刻言葉を交わしたスサノオ人らしき少女の足取りを追うべくこれまで得た情報ソースを閲覧するもついに顔認証に合致する対象を検索できなかった。
「ふむぅ、ルーヴェンスめ。あの少女のデータだけはしっかりプロテクトしてあったようだ。しかしあの太刀筋、只者ではないな。瞬時に近接戦闘型ドロイドを……お前か」
「ルル様、ジュドーにございます」いつの間にかベンチの下には、ブラウにご注進に及んだドロイドがあった。
「申し付けてあった、応援組の件いかがであったか?」ルルの問いにジュドーなるドロイドは平伏したままで
「はっ!御沙汰通りエッセン、ライプチヒ両市から併せて一五体のお味方がこちらに向け移動を開始しております。恐らく昼には」
この報告にルルはいたく満足したように尻尾をピンと立たせてから
「宜しい。では大ロシア騎士団帝国第四皇女アナスタシア様直参リディア・パラヂエンコが指令を発す!」
ベンチ下に控えるジュドーは顎が地に着かんばかりに姿勢を低くさせた。
「首領無きアトランティア傘下のドロイドを殲滅せよ!オフィサークラスは言うに及ばず。寝返る者あらば受け入れ、拒む者は容赦なく縊り殺せ!」
「ハハッ」
「しかと命じた。後は貴様に委ねる。仕切ってみせよ」
「ジュドー承りましてございます。して、リディア様はいずれへ?」
「わたしは一度この地を離れる。国許へ赴き我が主に拝謁を願い出る」ルルことリディアなる帝国付きの諜報ドロイドの長はここで身体を折り楽な姿勢をとると、平伏したままのジュドーに
「時に貴様は刀に明るかったな?朧刃の有体を申せ」と声を潜めて問うた。
「かの刃はおよそ並みの刀とは物性から異にします。その属性の主因はアストロ・スティールなる物」
「アストロ・スティールとな」
「はい、その大元は希少な鉱物系アステロイドから算出される隕鉄なる鋼。その隕鉄を更に精錬。一トンに及ぶそれから僅か数キログラムしか採取されないのがアストロ・スティールにございます」
「何故、淡く輝くのか?」
「かの刃の断面は数ミクロンに及ぶ微細な突起が鋸状に居並び、秒に付き数千回のマイクロウェーブを与えれば刃が真空断裂層を帯びるのです。それが空気の分子配列を歪ませ特に月明かりの夜陰に発光現象を伴いまする」ここでジュドーは頭を僅かに上げ
「故に月光斬空剣とも呼ばれ、我が帝国の動甲冑スカルピオンですら紙の如くと……ですが私めも実物は」ジュドーが“見るに能わず”と言わんとするを
「私は今宵初見したぞ!その使い手もな。あれは正しく新たなる逸材。敵に回さば手強し」と、リディアの大喝が制した。ジュドーは再び頭を垂れたが少し面を上げ
「なるほど。リディア様本陣への参内はそこに」と、言った。
「左様。かの者を招聘するか否かの御裁可を仰ぐのだ。こればかりはアナスタシア様の御耳に直にお伝えせねばならぬでな。……それはそうとジュドーよ」リディアはここで冷徹な眼はそのままに僅かに口の端を上げ配下にこう告げた。
「ここポツダムでの平穏とやらは我らの主導によるものでなくてはならぬ……。形勢逆転の好機ぞ」これにジュドーは初めて声色を昂らせた。
「仰せのままに。これまでの遺恨、存分に晴らしてくれましょう!」
「わたしが帰ってくるまでに大掃除を終えておくように……下がれ」要件を終えたジュドーは瞬く間に煙のごとく消えうせた。
未だに夜更けから発生した朝霧は深く垂れ込め白いヴェールで辺りを覆い尽くしていた。この早朝にかかろうという時間帯でも今日に限っては誰一人園には足を運んではいないようであった。その中で唯一活動している三毛猫は、毛繕いをしながら
「ルーヴェンスに深入りは禁物と言いながら、私もなかなかどうして」と、独り言をつぶやいた後に、ベンチを降り彼女もまた朝霧の只中へと姿を溶かしていった。




