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軍神(マルス)の星 改訂版  作者: 梶 一誠
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第十話 金のクマさん亭にて

 二つの国家に分裂する以前、アトランティア・ネイションズ、大ロシア騎士団帝国に次ぐ第三勢力を誇っていたかつての『神聖ローマ連盟』。その首府城を担っていた軌道要塞が『プロイセン』である。

 火星本土の砂塵吹きすさぶ荒涼たる大地から上空を見上げてみれば昼間でも一つの光点として目に留めることができるであろう。

 紅い惑星の薄い成層圏のさらに上空。高々度二万三千四百キロメートルにいたる衛星ダイモスとほぼ同じ軌道上に存在する宇宙都市の一つとなる。

 その規模は火星世界の宇宙都市群にあっては最大級に属する。円筒の内側に拡がる居住世界の表面積はほぼ日本の山梨県と同じ広さを有し、内陸湖沼型(ないりくこしょうがた)と呼ばれるタイプに属していた。総面積の四分の一はレノン湖とザールセン湖という淡水系の巨大な湖が占める。

 最も大きいレノン湖の東岸にはこの軌道要塞の首都であり、宇宙船の発着港を有するポツダム市。西の対岸にはライプティヒ市。そして南部地方ザールセン湖の南岸に第三のエッセン市が存在する。

 それぞれの市街地は高い城壁で囲まれ、その外側は手付かずの森林と山間部が広がる事によって、この人が造りし世界に空気と濾過(ろか)された新鮮な水を供給し続けていた。

 三つの都市は数本の幹線道路と鉄道で結ばれており互いの往来は可能だが、その施設沿いにも高い隔壁が設けられ、一般市民は勝手にそれを越えて自然の只中に足を踏み入れることは禁止されていた。

 ルナン・クレールとその仲間が住む、海洋群島型軌道要塞『ディジョン・ド・マルス』の海洋生物がほぼ全て保護生物であるのと等しく『プロイセン』世界内に広がる原野と山林に生存する、野生動物のほぼ全てが保護対象であり各市行政の管理下に置かれていた。

 『プロイセン』の首府ポツダム市は、その母体となる軌道要塞が竣工された火星統合暦MD:〇〇〇九年(地球西暦二一〇九年)から同時期に計画、建設された。この都市は、地球に帰還を果たせずまた火星本土に拠り所を失った火星移民者たちにとっては最古の部類に入ると言っていい。

 立ち上げ当初の人口は(わず)かに三万人ほどであったが、MD:〇〇八二年に起きた『リューリック事件』によって地球との往来が途絶するまでは延々と新たな入植者を受け入れ、または人口増産政策で(つちか)われた入植者たちの子孫らによって現時点においての人口は七五万人。〇〇五〇年代に建設された他の二つの市を合わせれば総人口は一二〇万人を越える程に膨れ上がっていた。

 このポツダム市に収監(しゅうかん)されている母国自由フランス共和国の次期大統領候補であるミハエル・デュシャン氏を脱出させるという密命を帯びたルナン・クレールとキサラギ・スズヤがこの地に到着してから二週間近くが経過した現在、火星統合暦MD:〇一〇五年、九月二二日。


 二人が工作員として潜入を開始する以前から、情報局と海軍主計局から派遣された人員が奪還作戦の実行部隊を迎え入れ、奪還が成功した暁にはデュシャン氏自身を潜伏させるアジトとしてオープンさせたのがカフェ『金のクマさん亭』である。

 外観は古色豊かな石造りで真っ赤な屋根のある雑居ビルの三階立て。地階が店舗。二階と三階はルナン、キサラギ、先行していたアメリア・スナールの住居として使用している。地下にも倉庫兼会議室にも使えるスペースもある。

 「十日も過ぎたのに、まだ実行部隊すら顔を見せないなんてぇ……あのメガネはちゃんと仕事してるんですかね?」

 昼の(まかな)いを済ませ店内の床をモップ掛けしながら、キサラギが口を尖らせて、潜入作戦を開始してから何度目かの愚痴をこぼした。

「仕方ないさ。全体を仕切っているのはハンナ・マティアスなんだから。餅は餅屋。私らは指示待ちだよ。今はな」と、キサラギの剣の師匠でルナンの親友でもあるアメリア・スナール中尉があきらめ半分な口調で首を振った。彼女はグラスを磨く手を休めずに夕方、夜の営業に向けての開店準備を進めていた。

 カフェ『金のクマさん亭』。店内には五席分のカウンターと四人掛けテーブルが五セット用意されていて、内装は木造がベース。床面とカウンターにもマホガニーが使用されている。

 店内の照明は半分ほどに落としてあるが、外の通りが見通せる巨大な窓ガラスから差し込む人工太陽の日差しで充分に明るかった。

 アメリアはカウンターと対面するビールジョッキコーナー内の小物台に食洗機から取り出したばかりのグラスと皿を並べてフキンで仕上げの磨きを行なっている最中。

「あの、メガネババァめ!チーフマネージャーなのに昼間はどこぞに出かけっ放し。何をしてるのやら」

 キサラギは四人掛けビストロテーブルの上に木製でゆったりとしたデザインの椅子を全て逆さにして置き、ぶつぶつ言いながら床面にマティアスの顔が映りこんでいるかのようにモップを力強く押し込みながら清掃作業をこなして行く。 

 今の二人の出で立ちはこの『金のクマさん亭』専用のウェイトレス姿。白地に細い水色のストライプ柄で半袖のワンピース。頭にはキャップ代わりとして純白の頭巾、小さめの襟に紅い蝶ネクタイが可愛らしいアクセントになっている。その上からレース地で白のエプロンドレスをまとう姿は全体的にふわりとして甘い感じに仕上がっていた。

 フリルの付いたスカートは膝上一〇センチのやや短めで、男性客の熱い視線が集中しそうな、あるいはそれをあざとく狙ったデザインとなっていた。アメリアはそれを承知か否か、色白で健康的にスラリと伸びた足を惜しげもなく披露、足首までの靴下に先の丸い黒の革靴。挿絵(By みてみん)

「それでも仕事はキッチリこなしている。コックとか夜のシフトを担当するアルバイトを人選してこの『金のクマさん亭』を軌道に乗せたのはあいつのマネジメントなの」と、アメリアはふと顔を上げて、白のオーヴァーニーソックスを太腿まで上げているキサラギの背中を見やった。

「それは分かるけど、今もルナンを車で連れ出しているし」

「それはそうと、キサラギよぉ」食器の仕上げ拭きの手を止めたアメリアは、小さくため息をつくと天井を見上げた。

「何すか?師匠」キサラギがクルリと振り向くや

「何が悲しゅうてオラぁ、こげな格好してるんだべ?この年でよぉ、イタくねえかやぁ?」と、眉間に皺をよせながらお国言葉まる出しで呻き始めたのだった。

 モップをその場に置いたキサラギがアメリアの隣りに駆け寄り、彼女の左腕を取ると

「そんな事ありませんって!似合ってますよぉ。夕方からのバイトの子たちなんか『あのお姉さんはスレンダーでカッコいいね』って言ってるくらいですから」こう励ますものの

「半年くれぇ前はよぉ、SM女王様のコスプレだっぺ。今度はミニスカウェイトレス!ルナンの頼みだっけ仕方ねぇとは判ってるぅ。やるしかねぇのはわがってるんだけっどもぉ」アメリアは目をテラス席の向こうを見つめつつまた一度深くため息をついた。

「頑張りましょう!いざとなればあたしと師匠がルナンを守ってやらないと……ね?」

「ああちくしょう。海賊船追い回して主砲ぶちかましてから乗り込んでギッタギタにしてやりてぇ!」左腕をキサラギに振り回されながらアメリアは歯ぎしりしながら戦士としての本性を顕わにさせた。

「仕事しましょう。そろそろ動きがあるかも知れませんしね」自分の顎の下で小刻みに飛び跳ねる妹分にこう諭されると、アメリアは素直にまた黙って仕事に戻った。

 キサラギも彼女の隣で食器を拭き始めた。二人は暫し無言で手前の仕事を片付けていったが

「それとキサラギよ初陣の件、ご苦労だったな」と、アメリアから発せられたいつもより少し控えめなトーンでささやく様な声に、キサラギの手が一瞬止まった。

 キサラギは無言のまま、空になっているカトラリーケースというプラスティック製の容器を小物台に並べて食器類の水気をふき取っては丁寧に入れていく。

「少し悩んでいるみたいだったからあえて話題にはしなかったんだが、どうだ?少しは落ち着いたかな」アメリアも自分が磨いているグラスから目を離さずにいたが、自分の部下と言うより妹を気遣うように声色を柔らかくさせていた。

 二人が立つカウンター通路の背後の壁のむこうにあるキッチンからは現地で雇い入れたコックたちが午後と夜に向けての料理の下ごしらえをしている。包丁で野菜をきざむ音と、フライパンでたまねぎをじっくりソテーしている音が伝わってくると同時に、その独特の甘い匂いが二人に届けられた。彼女達が磨き終わった皿と食器類を背後の棚に収めていると、キッチンからタイマーが鳴った。それを合図にしたかのようにキサラギがゆっくりと口を開いた。

「ありがとうございます……ですが、何かをやり遂げたみたいな晴れ晴れした気分には……。公式に正当防衛と認められたとは言え、人一人をこの手に掛けて……しまいました」

強請(ゆす)りに長けた海賊相手、やらねばやられていた状況だ。いた仕方ない。が、キサラギ・スズヤよ、どうしても辛いのら”剣を置く”のも選択の一つとして心得なさい。決して恥ずべき事ではないのよ。君の人生はこれから。よく考えて自分で決めなさい」そう言うと、アメリアはここで初めて、未だに思い悩んで目を伏せたままのキサラギの表情を覗き込むようにしてから、そっと彼女の肩に手をかけた。

「正直、その事は頭から離れません。あたしがこれから戦士として働けるかどうか……」あの無様な初陣を思い起こしているのか、やっと呟くようにしか声の出せないキサラギを、アメリアは”ぐいっ”と自分の方に引き寄せてから

「ま、それはおいおい考えるとしてうれしいお知らせがありますのよ!」わざと二人の間に溜まっている沈んだ空気を吹き払うべく溌剌とした大声を発しては彼女の肩を勢い良く何度も叩いたのだった。

「はぁ?」キサラギが自分の姉貴分が何やら楽しげに語るのを不思議そうに見た。

「ここのホスト・コンピューターに『ディジョン・ド・マルス』にいるヤヨイ・斑鳩殿からメールが来ている。お前が出会った二人とは面識があるらしい。ダウンロードしてみろ。あと、彼からも来てたよぉ」アメリアはキサラギの鼻にくっつくほどに顔を寄せて”彼から”のあたりでは鼻梁の上の横一文字に走る銃創が隠れんばかりにニタァと笑ってみせた。それはあたかも妹分の反応を期待しているかの如くに。

 アメリアの期待に違わずキサラギはパッと表情を明るくさせ、頬を染めては気恥ずかしげに自分のツインテールにまとめ上げた黒髪の両端をいじり始めた。だが、それもほんの束の間

「い、いや別にまだ彼ってわけじゃぁ」と、エプロンドレスの前ポケットからメディアを取り出すや嬉々としてそれを操作し始めた。

 確かに彼女宛の動画再生メールは二件。当然ながらキサラギは”彼”の方を真っ先に選択した。

 アメリアが肩越しにキサラギのメディアを覗き込んでみると、再生動画の出だしに登場したのがキサラギ意中の男性である金髪碧眼の青年、ロベルト・マクミラン少尉その人であった。

 その名の通りヨーロッパ系白人種であるロベルトは、

「おうっ!キサラギ。大変だったな。だが無事と聞いて安心している。先ずは”初陣大儀、息災で何より”と言わせてもらう」と、その細面(ほそおもて)に爽やかな笑顔を向けて来ていた。

 ロベルト・マクミランなる青年は、キサラギに合力した飛燕、雷電と同じスサノオ連合皇国の出身。年齢は二一歳で背丈はほぼアメリアと並び長身の部類に入るであろう。

 彼の顔つきは大抵のヨーロッパ系男性とは(おもむき)を異にしていた。目鼻、口は他の同族系若者によくある輪郭の中で大きく際立つのに対し、鼻筋は細く高い。目元にしても碧眼であるが少し切れ上がってもいる。何代か前にアジア系の血が入っているように思われる若者だった。

 彼は目と耳の上に少しかかるほどに切り揃えられた肌理(きめ)細やかな金髪を、黒い手甲の手で何度もかき上げている。

 画面には映ってはいないが恐らくは訓練中であり、彼は自前のプロテクト・アーマー、スサノオ式九七式特殊動甲冑を着込んでいるのをアメリアは気が付いていたが、当のキサラギは彼に見蕩(みと)れていてそこまで気が回ろうはずもなく

「もう~そんなぁー」とまぁ、その場でくねくねと腰を降り始めてこれまでの落ち込んだ気分なぞどこ吹く風。その後ろ姿をアメリアが効果覿面(こうかてきめん)であるぞとニヤニヤ眺めている。

「……初陣の後はな、いろいろ悩む事も多い。俺もそうだったよ。だがな、お前なら乗り越えられると信じている。前を向くしかないんだぞ。いいなキサラギ・スズヤ、しっかりな」

「ハイッ…ありがとう先輩」と、キサラギはうっとりとした眼差しで、画面のロベルトに心ここに在らずの態。そして涙目で何度も頷いた。

 その後、ロベルトはくるりとメディアの方に後頭部を向けて、彼の背後でダラダラと行進しているアメリアとルナンが企画、新に編制された艦艇制圧専門部隊グリフォン・ディファンス隊の訓練生たちを

「このクソ共ぉ!キリキリ歩けぇ!あと半日分行進したいかぁ」と叱咤(しった)してから、今一度年の頃に見合った清々しく快活な笑みをキサラギに送る。

 キサラギもそれに合せて、でれっとして画面の向こうの先輩が、次にどんな甘い言葉を囁いてくれるのかと期待していると、ここでメールはふっつり終わっていた。

 これにはキサラギもこれまでの浮かれた気分が完全に吹き飛んでしまい

「はぁ!?これだけ?もう少しあるでしょうが。先輩!」と、顔を耳たぶまで真っ赤にさせて携帯メディアに食って掛かっている。それを見たアメリアも

「まぁ、男なんざそんな物だっぺさぁ」と、明るく笑った。

「もうっ…あと一件は。斑鳩教官っと」

 次に現われたのは、瓜実顔に目元がキリッと上がった純日本系の美女。艶のある長い黒髪を頭のてっぺんでまとめ上げていて、透き通るような白い肌に魅惑的なふっくらとした唇には笑みがこぼれているが、常に愛用している薄茶色のサングラスの下から垣間見える眼光は鋭く、獲物を見据える狼が如く。

 アメリアの視界の中、キサラギはロベルトの時とはうって変わって一瞬でその場で居住まいを正し唇を真一文字に結んだのだった。

「キサラギ・スズヤ殿か。先ずは祝着(しゅうちゃく)じゃった。ただ、これからが肝心じゃ。任地にあっても日々の研鑽(けんさん)を怠りんさんなよ」女性の割には低く一言一言に戦士として迫力のある独特な物言いをする年上の教官もやはり訓練の後らしく、装甲服の下に着込む装備服と呼ばれるライトグレー色のツナギ姿で両手をその豊満な胸の前で組み、兵舎のどこかであろうかベージュ色の壁に背中を預けている。

「スナール殿から聞いたが、雷電と飛燕に出会うたらしいな。貴殿は運がええ。初陣にあって力強い(ともがら)を味方につける事ができるなぁ稀なことなんじゃ。強運に恵まれることも戦士の才能の一つじゃけ」

「かの二人はな、若いが腕は立つ。スサノオの女武者が戦働きを垣間見たのなら、それを常にイメージせぇ。その経験を生かすも殺すもわれ次第じゃけぇ。覚えときんさい」

「ハイ!」こう画面の向こうの教官に答え、反射的にその場でピッと気を付けするキサラギ。

 アメリアはキサラギの所作から妹分に今だ戦士としての気概と心構えが残っている事に、安堵して手持ちの仕事に戻った。


 ヤヨイ・斑鳩はキサラギにとって厳しい教官であると同時に、師匠と慕うアメリアと共にいずれは猛々しい戦士となり、己が未来を自ら切り拓かんとする彼女にとって憧れであり目標でもあった。この女武者もまた上背があって長身痩躯の骨柄(こつがら)。年齢はほぼルナン、アメリアと同じであろうと思われたが、アメリアは彼女の実年齢や過去に関して詮索することはなかった。

 ルナンのオファーを受けたヤヨイが自由フランスへと渡り、アメリアとの初顔合わせの際二人は訓練施設内にて、動甲冑と木刀を装備して組討ちを行った事があった。

 訓練の名目であったが内容としては真剣勝負に近く戦士としての卓越した技量を惜しみなく発揮しては、艦艇制圧戦想定の無重量状態にあって華麗に空間を舞い、また容赦なく剣を奮いあった。その場に居合わせていた訓練生、新規編入の兵士らが見守る中、互いに一歩も譲らず都合二時間ぶっ通しで遂に決着はつかなかったのだった。

 「自由フランスにもこがいな猛者がおるたぁ聞いたことがなかったわい。世の中は広いものさな。ここまで足を運んだ甲斐があったというもんじゃよ」訓練終了後にこう漏らして、大粒の汗を(したた)らせるヤヨイ。

「我が部隊の小僧共をお任せいたす。ご教授願いたい斑鳩殿」颯爽とその場を後にしたアメリア。

 キサラギから後で聞いた話だったが、その後にルナンが甲冑装備でしゃしゃり出ては、よせばいいのに斑鳩に対決を挑んだと言う。周囲のあるいはキサラギの見立て通りに、ヘルメットすら付けていない斑鳩の片手で軽くいなされたルナンは開始五分で医務室に運ばれた。

 アメリアはそれを思い起こすと食器を拭きながらクスッと。傍らからはキサラギのメディアから

「われへの”初陣祝い”じゃ。九二式の追加装備を送っといたけぇの。わしの紋章“三日月燕(みかづきつばめ)”も貴殿が引き継げ。許す。存分に使いこなしてみぃ」との声が。

 アメリアは拭き終わった皿を棚に収めつつ、新任教官もキサラギを買っている事に満足げに肯くと

「キサラギィ……いい物見せちゃろうかぁ~」と、今度はヤヨイの何やら楽し気な声が漏れ聞こえて来た。

「にょっ!にょほおぉぉー!」アメリアのすぐ横でキサラギが素っ頓狂な叫びを上げた時だった。

 カフェ『金のクマさん亭』のエントランスドアから鈴の音が鳴った。キサラギの意識は瞬時にメディアのメール内容からそちらに移ってしまった。

「あっパイパーさん、お帰りなさい」二人の視線に入ったのは、やや細身の中年男性であった。パイパーと呼ばれた男性は、食材調達用のヴァンで乗りつけ、両脇にコーヒー豆の入った袋と砂糖を抱えて来ていた。すぐに気の利くキサラギはカウンター通路を出る前に

「師匠これお願いします。こ、これはあたしの知らない世界ですぅ!」自分のメディアをアメリアに手渡しパイパーの下へ駆け寄った。もちろん手のふさがっているこの男性を手伝うためである。

 アメリアは差し出された画像を見るなり、その場でのけ反ってしまった。そこには訓練終わりにシャワーを浴びようとしている筋肉隆々の男たちの裸が目白押しだったからだ。

「オウッ野郎共ォ!この画像をキサラギちゃんに送るぞ!男のなんたるかを教えてやれぇ!」とメディアからヤヨイの声がする。途端に男共は臆面も無くマッスルポーズやら肩を組んではラインダンスを披露しているのだ。もちろんフリチン。

「このぉバッカ共がぁ!」と、一度は赤面しながら唸り声を挙げたアメリアだったが、すぐに

「ウン!皆いい身体の絞り具合だべ。よく鍛えられているみてぇだ。さすがは斑鳩とマクミラン」と、部隊長としての見解のみをしめし、これにも満足気に頷いていた。

 男の裸なぞどうって事ないアメリアが、部下の鍛錬の仕上がりを具に観察する間にも

「ただいまキサラギ君。やっと手に入れたよ。地元産ビールと高級コーヒー豆、それにドイツパン専用の小麦粉をねぇ。郊外の市場まで出向いたかいがありました」

「ご苦労様です、パイパーさん。でも、そこまでする必要あるんですか?」

「ここのお客様たちは何かと味と風味にこだわりがあるんだなぁ、主計局からの官給品では満足していただけないんだよ。いや、やっぱりやるからにはいい物をお出ししないとね」

「へぇー、なんか商売人魂(あきんどだましい)がありますねぇ」近づいてくるキサラギとパイパーの声を耳に留めてもなお彼女は画像に釘付けとなり、思わずニンマリとしていた。

 なぜならそこにはキサラギ意中のロベルト・マクミランの均整の取れたダビデ像のような裸体が映り込んでいたからに他ならない。ほくそ笑むアメリアの下に

「何を見ているんです?……うん?」と、パイパーなる中年オヤジが持ち主に先んじて、携帯メディアの画面をのぞき込んで来たのだった。

 アルフレッド・パイパー。自由フランス海軍にあって兵站(へいたん)を管轄する主計局に長年勤務するもうすぐ四〇代にさしかかろうというこの男性が、ハンナ・マティアスと共にこの『金のクマさん亭』の立ち上げに尽力した人物である。

 パイパーは、白のワイシャツに黒の蝶ネクタイ。黒に近いこげ茶のベストと同系色のズボン。腰にはデニム地の前掛け。グレーを基調とした主計局員の標準的な軍服姿でいるよりかは今の格好のほうが似合っているとメンバーに感じさせるのは、この人物が醸し出している柔和な雰囲気の影響が大きいようである。

 それに加えてパイパーの面持ちもその大きな要因とも言えた。黒髪をふわりと無理なく自然な感じの七三に分けて、常に笑っているかのような顔の造り、無精ひげ一つ無くきれいに手入れされた頬とシンボルマークの鼻ヒゲが彼の人となりを代弁しているかのようだった。

 その物腰柔らかな人物が銀縁メガネの奥のただでさえ細い目尻をいっそう細くさせながら、アメリアにグイッと顔を寄せ眉間に皺をよせてから

「これは何ですかぁ⁉スナール中尉。昼の日中から」と、詰め寄った。

 答えに窮しているアメリアに代わってキサラギが

「それ、あたしのメディアなんです。えー訓練校の教官からメール画像がぁ……」声が先細りになるキサラギを見たアメリアが

「い、いやっキサラギからなんとかしてくれって言われて……なぁ」こう弁明するアメリアから携帯メディアを取り上げるとパイパーは

「キサラギ君、私はね一応クレール少佐と同じく君の保護者のつもりなんです。……こういう画像は未成年の君にはまだ早いね」と、大人として至極当然ともいえる反応をしめしキサラギを諭すや、次に厳しい表情をアメリアに向け

「スナール中尉。こういったいかがわしい画像は年長者のあなたが、この娘の目に届かないよう配慮して然るべきですぞ」パイパーはキサラギよりもアメリアの方を厳しく叱責した。

 アメリアもこんな険しい表情のパイパーに触れたのは初めての事であり、思わず上官に対するような気をつけの姿勢をとって

「いや、その……何とも、申し訳ない次第で」と、言うのがやっと。

「いいですね。この画像は私の方で消去します。お兄ちゃん許しませんよぉ」と、一応、素直に反省しているキサラギとアメリアを見てか、パイパーの口調も柔らかなものに戻っていた。

 今はウェイトレス姿の戦士二人は喫茶店のマスター役の主計局士官にぺこぺこするばかり。傍から見れば、バイト女子二人が仕事上の”ポカ”で店長に叱られているという図式が当てはまってしまった。

 アメリアがキサラギにおがませてやりたかった画像はマジメ一辺倒のオッサンの手で消去されてしまい、普段は人当り柔らかな大人から叱責されたキサラギがふさぎ込んではいないかと、隣を見ればキサラギはうつむいているが、やや頬を染め安心したような穏やかな表情をしていた。

「あのぉパイパーさん。お兄さんよりせめて父親って言って欲しいんですけど」やや声を落としてキサラギが言えば

「いいんです。ウチは男兄弟ばかりでね。一人くらい君みたいな妹がいても良かったのにと常々思っていたんですよ」と、軽く受け流されてしまった。

「ご兄弟も軍属ですか?」これにパイパーはいつも通りに笑顔をキサラギに向けて

「上の兄二人は実家の稼業をついで一人ずつ会社を経営する一応CEОなんだよ」と、言った。

「パイパーコンツェルンだよ。航宙運輸では大手の会社さ。アルフレッド・パイパーはその三男坊なのさ」と、アメリアが本人の代わりに補足すると

「パイパー家ってお大尽様(だいじんさま)なんですか?アルフレッドさんだけ何で海軍に?軍服より今の格好のほうが似合っている気がします」率直な感想を述べるキサラギにパイパーは少し照れ臭そうにしている。

 なるほどこの人物はもう何年も前から、この地に隠れ家的なカフェを切り盛りする喫茶店マスター然としているのも納得できるほど完璧に仕上がっていた。

「そ、そう。いやぁ家に一人くらい変わった奴がいてもいいかなって。上の兄貴たちと顔を合わせるたびに『お前に身代一つ任すけぇ。宮仕えなんて辞めぇ』ってよく言われるんだよ」パイパーは十代の少女の見た目感をまんざらでもなさそうにし

「あとね、実は軍を退役してからこういう雰囲気のカフェをオープンさせるのも有りかなって……ね。この『金のクマさん亭』はボクの今後の青写真でもあるんだよ」と、言った。

 これにはキサラギとアメリアもさもありなんと大いに頷いたのだ。

 「ハイ、これからは気をつけるようにね。それはそうと、チーフ・マネージャーとクレール店長は?」

 パイパーはキサラギにメディアを手渡すとあたりを見渡した。

 ここ『金のクマさん亭』においては№1にチーフ・マネージャー、ハンナ・マティアス情報部局員。階級としては大尉。№2アルフレッド・パイパー主計局中尉がマスターであり、№3にルナン・クレールが店長として階級は少佐となる。その下に副店長兼バイトリーダーがアメリア・スナール海軍中尉が来るのであるが、店長が全くの役立たずのため実務面で店を取り仕切るのがパイパーとアメリアという事になってしまうのだ。

 「例のミハエル・デュシャン貴族院議員が収監されている監房と言うより、別荘地って言ったほうがいいくらいの特別区の現状視察さ」

 アメリアからチーフ・マネージャーと店長の二人の外出した理由を聞くと、パイパーは腰に手を置いて大きく一つ嘆息をついた。あと一時間弱で午後から夜にかけての開店時刻となる。マスターにしてみればこの忙しい時間帯は他のアルバイトが出勤するまで人手が足りないので、ここにいない二人にも開店準備を手伝ってほしい所ではある。

「午後の開店時刻も間近なのに。ですが本来の任務なら仕方ありませんね、では我々で開店準備です。キサラギ君はエントランスの掃き掃除、スナールさんはテーブルをお願いします」


 手馴れた様子で二人に指示を出した後、パイパーは厨房の進み具合を確認するために奥へと引っ込んだ。

「はぁーい。ルーヴェンス!窓辺で昼寝してないで、表で客引きネコして来い」キサラギは外用の竹ほうきを用具入れから引っ張りだしてから、エントランスのすぐ脇に設置されているレジ台の後ろ、出窓の観葉植物が置いてあるスペースで丸くなっているクロネコ型ドロイドに声を掛けた。

「太陽光を利用して熱変換充電しているんだよ!ボクはこれから夜のシフト控えているんだからなぁ」人語を理解し会話が可能なコミュニケーション・モードを復活させたドロイドは尻尾を上下させ、さも面倒くさそうに答えるだけで目も開けようともしない。

「外でも出きるわよ。エントランスで寝そべっていりゃ子供やらご老人が寄ってくるんだ。しっかり働きなさいよ」と、キサラギは(ほうき)の柄でルーヴェンスの毛並みの良い胴体をつんつんした。

 こうまでされるとさすがに熱変換充電を理由にサボっているわけにいかなくなったルーヴェンスはようやく起き上がり、本物のクロネコさながら大きく伸びをしてみせて窓辺から飛び降り、キサラギの後に続いた。

『金のクマさん亭』の鈴の音チャイムを鳴らす木製のエントランスからレンガ造りの階段を二段下りると、石畳の歩道となる。その車一台分ほどの細い道に沿って店内に光を取り込む大きな窓ガラスが並び、そのすぐ下は店舗の外観に合わせたレンガの花壇があった。そこには小さな夏の白い花がきれいに並んでいる。

「ネコ使い……じゃないドロイド使いが粗いぜよ。それはそうとキサラギよ」

「何よ」

「君に頼まれていた、海賊に襲撃された時に加勢してくれた老兵に関しての情報をまた何件か入手したよ。今、君のメディアに送信したから照合してみな」

「そう!ありがとうルーヴェンス」キサラギは小脇に竹ほうきを抱えたまま、メディアの画面を忙しくスライドさせ始めた。

 プロイセンに到着してすぐ、AI機能を取り戻したルーヴェンスにキサラギは記憶の中での、初陣で犠牲となった名も知らぬ老兵の容姿、民族性と甲冑装備に関しての情報を基にして検索させていた。ただ漠然とした情報のみでの探索は何度も失敗していた。が、キサラギは何としても身を(てい)してくれた人物の名前だけでも知り得たいと願っていたのだった。そしてついに。

「あ、ああっこの方だ!やっと会えたよ。ルーヴェンス!名前は……か、加古隆三様」

「オイッ。リュウゾー・カコなら結構な強者だぜ!大ロシア騎士団帝国の」

「うん。精強で名高い海軍歩兵軍団の三番隊隊長を務めたとある……。あたしはそんなお方の名すら知らずに。バカだ。大バカだよ。あたしは!」キサラギは小脇からほうきを通りに落とし、その場で狭い通りから垣間見える青空に向かって吠えたてた。

 花壇では細い通りを流れる心地よい風に花々が揺れていた。名も知らぬ白い花が醸し出す心地よい香りの中、キサラギは石畳の通りに脚を肩まで開き、携帯メディアをつぶさんばかりに手を握りしめていた。歯を食いしばる表情を下から見上げるルーヴェンス。

「キサラギィー、大丈夫か?」心配そうに声を上げるクロネコにキサラギは一度大きく深呼吸してから

「大丈夫よ。感謝するわねルーヴェンス。君は優秀なドロイドだよ。貴重な情報をありがとう」と、言った。

そして、両手で携帯メディアを高々と頭上に差し上げると大きな声で

「あの時は本当にありがとうございました!私諦めませんから。隆三様のような立派な働きができる人間になります。ルナンやアメリア師匠の助けになれるよう頑張りますので、見ていてください!」こう人通りの絶えた路上で深々と液晶画面の老兵にむかってお辞儀をしたのだった。

「良き心構えである。感じ入るぞ!娘よ。君はレディウォリアーなのか?」と、背後からの声に振り向いたキサラギはその場で固まってしまった。

 キサラギに声を掛けてきたのは、二メートル近い身長に褐色の肌を持つ女性だった。淡い水色で夏向け袖なしのワンピース、腰には細いベルト姿で立つ若い女性にキサラギが瞬時に戦慄を覚えたのは、つばの広い帽子の下、ウェーブの掛かった髪に包まれた小顔でにこやかに微笑んでくる表情にあった。

 その口もとからは犬歯が牙のように顔を覗かせていたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] パイパーさん、なんかかわいいですね。華麗なる一族の中に有って、のんびりとしていて。 そして、イラストに有った三日月燕の紋はここでもらったんですね。 [気になる点] ロシアの古強者が死んでし…
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