第一話 黒い剣牙虎(サーベルタイガー)
梶 一誠でございます。この度『軍神の星 改訂版』をkindle版にて電子書籍として出版する事としました。とりあえず十五話までを前編、残りを後編として再々編集中であります。
題名は『軍神の星 前編 火星のジャンヌダルク ルナン・クレール伝<2>』として現在申請中です。つきましては今回は再々編集しました十五話までを投稿いたします。
表紙イラストも新規に描き、第一話冒頭に載せるつもりでおります。
えー、『この野郎またかよ!』と思われる方もいらっしゃると思いますが、私、何分やれること全てやってしまわないと気の済まない性分らしく性懲りもなく再々投稿いたします。
イラストも初期のヘタクソすぎる作品は取り下げ、暫時に再投稿いたしますので、よろしくお願いいたします。
クルーの悲鳴に近い戦況報告に、艦隊司令官ルネ・ネルヴァ―ル少佐は苦り切った表情のまま、アルジェリー級巡洋艦『タウルス』の艦橋中央モニターを見上げた。そこに拡がる漆黒の宇宙空間では眩い白光を帯びる巨大な火球が生まれていた。
「艦隊陣形を維持しつつ応戦!C級フリゲートをもっと前へ出さんかぁ!」取り乱し上ずった声を艦橋中に響かせるネルヴァ―ルの下に
「敵艦隊TT魚雷発射。雷数六!距離八千!」次々にもたらされる麾下艦隊にとって芳しくない戦況に汗だくの彼は矢も楯もたまらず、司令官席から立上っては
「回避ぃ!弾幕上げぇー!対抗爆雷急げ!」更にあさましい悲鳴を上げた。
太陽系第四惑星火星の公転軌道上に存在する隕石、小惑星群の集積ポイント”トロヤ群”近傍において、火星北極冠上空に広大な版図を持つ『アトランティア・ネイションズ』海軍と、その衛星軌道上に勢力圏を維持する『神聖ローマ連盟』の雄、自由フランス共和国海軍との間でその戦端は開かれたのだった。
ネルヴァ―ル艦隊本来の目的は味方が遭遇した敵対勢力の実験艦艇の拿捕にあった。彼にしてみれば死闘の末辛くも生き残ったフリゲート艦が上げた戦果を我が物にできる好機と、ほくそ笑んでいた矢先の出来事であった。
軍上層部が猟犬と称した艦艇を視認可能な宙域まで辿り着くや、前衛を担うトロンプ級軽巡二隻がほぼ同時に直交砲火に見舞われた。軽巡は被弾し火炎と残骸をまき散らしつつ戦列を大きく外れていく最中、ネルヴァ―ルの眼前で天頂方向から深紅に染め上げられた巡洋艦に率いられた艦隊が疾風の如くに往き過ぎ、そしてその直下深淵なる闇の中から……。
彼はモニターに出現した艦影を見て息を呑んだ。それは深紫と紺碧の迷彩に彩られた一隻の戦艦。深海から波間へ昇る巨鯨のように悠然と艦影を晒しつつ、砲列の全てがこちらに向けられていた。
「ハ……ハンニバル!」彼が声を押し殺した刹那、必殺の火箭が一斉に放たれた。まさに巨人の振り下ろす戦斧を被った『タウルス』では艦を揺るがす振動と艦橋各所から猛烈な火花が上がった。
「二番砲塔被弾!中央装甲帯貫通!」
「ダメージコントロール!」
「火災発生!第四、第十三区画緊急閉鎖!」
各部からの被害報告が上がる中、ネルヴァ―ルはこちらに無防備な船尾を見せ悠然と去り行く戦艦『ハンニバル』を憤怒の眼に捉え
「き、聞いてないぞ。第五〇二が来ているなどと……」声を震わせた後に
「や、奴の落ち度だ!これはルナン・クレールの所為だぁ!」と、みっともなく喚きたてるのみであった。
「アルジェリー級巡洋艦に着弾!効果甚大。敵艦隊転針の模様。尻に帆を掛けるようです」砲撃管制士官の報告がかすかに艦橋内の空気をふるわせた。
「詩的な表現なぞ無用である」その声に被せるようにして発せられた、低く凛然たる声色は刃のようにその士官の喉元に突きつけられた。
全長六〇〇メートルの威容を誇る巡洋戦艦『ハンニバル』の中央にそびえる島型艦橋にあって、艦を統括する士官及び各部署管理モニターに詰める十数名のクルーらは一様に背筋を伸ばし、モニター画面に集中するのみ。誰一人声の主を見ようとはしなかった。
「は、はっ!我がヴァルデス・フリートの戦果は……」
「さにあらず。あの不躾な犬どものことを聞いている」
「ア、アルジェリー級高機動型巡洋艦二隻、トロンプ級軽巡洋艦一隻、C級フリゲート艦一隻の計四隻であります」士官は声を上ずらせその場に直立した。
「無様也……。これが精強とうたわれた自由フランス海軍か。アルジェリー級巡洋艦を活かしきれずこの体たらく!」こう言うなり主は艦橋の監視窓列から振り向いた。
アトランティア連邦海軍、第五〇二独立遊撃艦隊通称ヴァルデス・フリートの司令官は女性であった。名をゲルダ・ウル・ヴァルデス。ネイビーブルーを基調とした詰襟型の上衣と体型ラインにマッチしたパンツルックに腰には近接戦闘用のサーヴェルを帯剣。上半身を覆う背中までの丈しかない短寸のマントも颯爽と、艦橋を闊歩する姿はファッション誌の表紙を飾るモデルを彷彿とさせた。
二メートル近い長身に褐色の肌を持つゲルダ。アフリカ系黒人女性の血筋なれど、鼻筋高きヨーロッパ系、背中まで伸びる髪はウェーブのかかった赤味を帯びるブラウン。その上に指揮官用制帽。大きく研ぎ澄まされた眼は茶褐色で見る角度ではややこちらも赤味を帯びる。一度見開かれると、猛虎を思わせ誰もが身震いした。
何より特徴的なのは生まれ付いて犬歯が異様に大きく笑みを浮かべれば上唇から牙のように姿を覗かせる、独特な容貌を併せ持つのだった。
ゲルダの他を圧する存在感を印象付けられた同僚らは一様にこう彼女を評した。
”黒い剣牙虎”と。ある者はその異形に畏怖し、ある者は背筋をぞくぞくさせるような羨望の感を覚えた。
ゲルダ・ウル・ヴァルデスが今一度振り返れば酷評された艦隊が、一斉に青白いエネルギーの奔流を放ち、まさに尻に帆をかけて撤退する様子が映っていた。その光点群の遠望に人類の新たな新天地になるはずであった惑星の姿がテニスボールほどの大きさで、漆黒の中ぼんやりと赤錆色に滲んでいた。
「……あれが、我らの故郷。誰一人として地上に降りる事が叶わぬ忌まわしい惑星……」
寂莫の惑星を一瞥し、やや足早に艦橋の中央へ歩を進めるゲルダに通信担当の女性クルーから
「ヴァルデス大佐、分遣艦隊ラングレー少佐より通信が入っております」との連絡が。ゲルダはその女性オペレーターに微笑み、天井部からの吊り下げ式大型液晶モニターを軽く指差してみせた。
うら若いクルーは耳たぶまで紅くさせ、ハンサムな男性から熱い視線を向けられているかのように気恥ずかしげに目を落とし手元の機器を操作した。
「パトリシア・ラングレー少佐、いつもながら疾風が如き用兵。見事也」ゲルダは映し出された相手に微笑んだ。
「何の!もう少し踏ん張るかと思いましたが、あのカエル共(フランス兵)は”目標”を前に退散していきますな」モニター越しにこう言って豪快に笑ったのは、こちらも女性の指揮官。
ヴァルデス・フリート旗艦『ハンニバル』を除いた全艦艇を一時預かり、自分たちと同じ目標を確保せんと襲来した自由フランス艦隊を瞬時に迎撃、敗走せしめたパトリシア・ラングレー少佐も大柄な女性で、肩幅がぐっとひろく男染みたがっしりとした体型。金髪をアップにまとめ上げている。白人系の碧い瞳に四角い顔つきだがにっこり笑うと何ともいえない愛嬌がある。歳の頃なら三〇代前半だが、やや年嵩に見られてしまうのは、彼女の雰囲気が”肝っ玉母さん”風であるからだろう。
「獅子の獲物にハイエナが食いつこうとするからだ。しかしトロント級軽巡二隻にタウン級フリゲート艦二隻。通常編制の半分以下での遭遇戦にしては上々だ。”レフト・ウィング”!」
「恐れ入ります。本来の編成であれば全て駆逐してやるのですが。”ライト・ウィング”のメンツェル艦隊はほぼ船渠入りですしね。大佐殿、して『ベーオウルフ』の状況は?」麾下の将に、己が首尾を問われたゲルダは嘆息をつくと腕を組み
「パトリシア、我が邦はあれを『白鯨』と命名した……順調とは言いがたいな。”外注業者”の連中が内装を勝手にいじくってしまったようでな。トレーサー・ドローンが利かないと、突入部隊の連中は難儀している」と言った。
「外注業者?物は言いようですね」パトリシアは今回の仕事を請けた海賊団に当てられた別称を耳にした途端に蔑むようにして口を歪め
「海の魔王の名を冠しておきながら処女航宙でこのあり様。もはやガラクタではありませんか。長距離電磁パルス型狙撃砲に、遠隔光学迷彩を装備の上、たった四隻の獲物を食い散らすどころか逆襲を受けるとは……情けない」と、吐き捨てるように言う。
「連邦の将帥共が情実から、子飼いの海賊共に仕事を降ろすからだ。あげく、我らが急行する羽目になった。宮仕えに苦労は付き物だよ」
ここまで来て、何の前触れも無くモニターの電源が落ちて液晶画面は真っ暗になった。この変化に顔を青くさせた通信担当オペレーターがあたふたする間に画面が復旧した。
「申し訳ありません。先の戦闘でこちらにも被害があったようでして通信関係に影響が……あと、先刻よりユリエ・ヴァファノフ技官大尉が騒いでおりまして……こちらも苦慮しております」と、通信が再開された途端にパトリシア・ラングレー少佐は困惑した表情をモニターの向こうからゲルダに垣間見せてきたのだった。
これが何ごとかすぐに察したゲルダは間髪入れずに
「”魔女の婆様”には、あなたのエルザ嬢の回収は間もなく終わる、パンテルイェーガー海兵団が突入しているから安心しろと言え」と、簡潔に指示を伝えた。
「それと貴官の『パーツィバル』は厳しいようだな?状況報せ」
「陽電子バッテリー区画に着弾。三十二基の内、十八基は船外へ破棄。原子炉冷却機能三〇パーセントダウン!エンジン用推進剤とミサイル用のロケット燃料が兵器庫内にて化学反応を起こし有毒ガスが発生しております」と、要点のみを報告した。
「人的被害は?」
「死亡はゼロです。負傷が七名。全て有毒ガスによるものです」この状況を鑑みたゲルダは素早く
「あい分かった!ラングレー少佐、貴官はこちらに合流せずただちに我らの寄港地『マルス・ベクター』へ帰還せよ」との命令をくだした。
「現宙域には『ハンニバル』のみとなりますが……」ゲルダはこの問いには答えず、無言のままでモニター越しの部下へと視線を向けるのみ。
「余計な心配のようですな。了解しました。我が艦隊はひとまず『マルス・ベクター』の帰還軌道へと遷移します」敬礼の後にパトリシア・ラングレー少佐の姿はモニターから消えた。
ゲルダは漆黒となったモニターに背を向け、次の作戦段階、被弾した『白鯨』の後始末を付けるべく指示を下そうとした時だった。
「それはいかがなものかと思うがね……」
かすれ声の物言いに僅かに眉間に皺をよせたゲルダは、艦橋の中央部からやや奥まった、各オペレーターたちが納まるブースより数段高い位置にある艦長席に目を移した。
本来なら艦橋の全セクション及び各モニターを座したまま一望できる、艦隊並びに『ハンニバル』の主たるゲルダ・ウル・ヴァルデスただ一人に宛がわれた司令ブースは照明の塩梅で少し暗がりとなっていた。
今現在、そこには一人のアフリカ系黒人老紳士が座を占めていた。
「油断はするな……と申されますか?先生」
ゲルダから”先生”と呼ばれたこの老紳士のみは、艦橋では不釣合いなネクタイ無しのマスタードカラースーツであった。ギロリと右目だけが自分に歩み寄る愛弟子を見据える。過日に病を得てから左目の動かぬ斜視となっていた。
「うむ……。単艦での作戦継続などあまり誉められたものではないな」師の苦言にゲルダは
「我が『ハンニバル』に挑もうという骨の在る兵なれば、望外の喜び。我自ら討って出るのみ」と、荒々しく声を大にしてみせた。
老師は弟子の言に呆れた風に頭を振り、やおら艦橋の天井を仰ぎ
「にしても……この不始末、如何に報告するかだ。あの御仁になぁ」更に深い溜め息をつくのであった。
「我らがアトランティア・ネイションズ第七代アーサー・ケイリー元大統領ね」
スーツ姿の老師はゲルダが自分を見下ろす所まで上がって来ると、その席を本来の主に返そうとして杖を頼りに、ようよう立ち上がろうとするがそれを弟子は彼の肩をそっと押さえてから
「まだ、座ってなさいな……。エドガー・ブライトマン大統領補佐官殿」と、言った後に自分は艦長席にしな垂れかかり、師と同じ方向に身体を預けた。彼女の眼前には白髪がめっきり目立ってきた黒人老紳士エドガー・ブライトマンのニグロ系特有のちぢれた頭髪が。
「……それも元だよ、ゲルダ。それに今は単なる監査官として着任している……上院元老補佐役と言えば聞こえはいいが、あの”ブラック・ジェネラル”のお守りはなぁ気苦労が絶えん」と、言って含み笑いをして見せた。
「お察しします、先生。それとは別に、ずい分ご執心ですこと……。このフリゲート艦が気になるの?」ゲルダは笑みを浮かべつつ鬢の辺りにしなやかな指を絡め、艦長席のサイドから伸びるアームに取り付けられている艦長専用モニターの映像を二人でとらえた。
「全く、こんな瑣末な相手を略奪しようなどと変な気を起こすから逆襲を受ける結果になった。他の標的と一緒にレールキャノンの実験対象にしてしまえばいいものを……」エドガーが愚痴をこぼす間、ゲルダはその大きすぎる犬歯を垣間見せ愛おしそうに師の頭を慣れた手付きで手櫛するようになで始めていた。エドガーは養女にされるがまま
「お前は……儂が負ぶってやるといつもそうしていたなぁ」気恥ずかし気に口元を綻ばせた。
モニター内での記録映像からは、彼らの言う実働試験艦『白鯨』が任意で選択、襲撃対象としていたフリゲート艦の一隻から近接戦闘を仕掛けられ、しかもその最期の段階でそのフリゲート艦からの原子力エンジンによる全力噴射を被り、命名の故となった白亜の特殊装甲が焼かれて剥げ落ちていく様が刻銘に記録されていた。
「同じ自由フランス海軍にしては、こっちのフリゲート艦の乗組員たちの方がよっぽど骨があろうというもの」こう言った後にゲルダは更に
「これほど大切な『白鯨』なら、あの黒い独裁者は下衆な手下に任せなければ良かったのだ!」と、まるでこの計画を企図した重要人物の事を詰るように吐き捨てた。
「あの御仁のことをそう悪しざまに言うものではないよ。それに賊徒から更生して協力してくれた彼らもれっきとして愛国者なのだ」心地よげに愛弟子のされるがまま首を上げ、彼女を見やるエドガー・ブライトマン。
ゲルダは口を噤み、斜視の老師を見つめてから彼の頬に手を添え顔を寄せつつ
「足は……まだ痛むの?」と、周囲に悟られないように囁く。
「ああ、少しな……。よる年波だよ」エドガーは苦笑と共に己が左足の膝頭を擦っている。
「お話中、申し訳ありません……。パンテルイェーガー隊長、ヤヨイ・斑鳩よりたった今連絡入りましてん。エルザ・シュペングラー中尉の身柄を確保したとの事どす。」
A4判タブレットを抱え込みながら、老師と弟子が座を占めて余人が近づき難い中を無遠慮に破ってきた女性士官が一人。司令官と並ぶと彼女の豊満な胸の辺りまでしか背丈しかない小柄な日系女性士官が控えている。
「カナン……か、エルザ、あの魔女の傀儡はどうか?」ゲルダはまだ艦長席にしなだれかかったままこの士官に問うた。
「あまり、芳しゅうおまへんわ……。泡吹いて昏倒しているようどすさかいに」司令官よりカナンと呼ばれた女性士官は、小ぶりな鼻の上に掛かるメガネを指で押さえつつタブレット画面から出来うる限り視線を外さないように努めて状況の説明を始めた。
上官が艦長用シートに身を預けている様が同じ女性から見ても艶めかしく、ヒップから足先までの魅惑的なラインに気もそぞろになり、つい頬を染めてしまうからだ。
カナンは何度かわざとらしく大げさに咳払いしてから先を続けた。
「全方位式光学迷彩の顕現(船体の透明化)を可能とさせるステルス・シールドの立体位相波空間を維持させていた『ファントムⅡb型』が一斉に暴走、撃破された影響で、合計十五基のドローン搭載型第四世代AIとリンクしていた彼女の脳幹にかなりの負荷が掛かったためと思われます」
「DCシステム特有のジャムリヴァース現象…。で、彼女自身の復帰は見込めそうか?それと彼女は海賊上がりの連中から辱めを受けたのだな?カナン・東雲中尉」
「復帰に問題はないでしょう。そう小官は判断いたします。ですがゲルダ様が懸念されるような事実は……ありません……が」自分のフルネームで呼ばれた地球でいう日本列島に先祖を持つ小柄な女性は、思わず口調までも改めて、その場で直立の姿勢を取った。
ゲルダと同じネイビーブルーを基調とした詰襟型の軍服姿のカナン・東雲は艶のある黒髪を耳下で短く切り揃えていて、その容姿はどことなく幼げでこの場にはいささか不釣合いのようだが、中尉という階級どおりれっきとした司令官付き参謀補佐としての役目も担う。
ゲルダ・ウル・ヴァルデスが部下をフルネームで呼ぶときは何らかの決定が成される場合と決まっていた。これを聞き逃すような失策を冒せば、今後の我が身が危うい。カナン・東雲中尉はその前例をいくつも知っていて、思わず身を固くさせたのだった。
「”そのように”記録しておけ。作戦宙域においての現場指揮官並びに上官への暴行、特に女性士官への性的虐待は如何なる事情においても即決で死罪である。東雲中尉、ヤヨイ・斑鳩に指令。可及的速やかに掃討令第一〇七号を実行せよと」
「一〇七号とは……穏やかじゃないね」と、エドガーが監視窓の向こうで残骸と成り果て虚空を漂う『白鯨』から目を離さずに呟いた。
「これが一番確実ですよ養父さん」ゲルダは大きな白い犬歯を口の端から覗かせ、養い親にあたる老師の頬にキスをした。
掃討令第一〇七号とは、艦艇制圧戦における全滅掃討戦を意味した。一人の捕虜、生存者をも残さず討滅を旨とし兵たちの間では“なで斬り”とも称される非情の作戦。これが、ゲルダ・ウル・ヴァルデスの後始末であった。
「制圧完了ですわ。ヤヨイ斑鳩他二名、あちらの原子炉をメルトダウン処理し終えた工兵隊の全員が最後のアサルトボートに移りましたわ。もはや『白鯨』には死体しか残っとりませんよって」
第一〇七令を発してから、きっかり半時間後にカナン東雲の最終報告がゲルダにもたらされた。
「さて、済んだようだね。ここを帰すよ。いつまでも口やかましい老人が占領しているわけにもいかんだろう」エドガー・ブライトマン氏は今度こそ、老体には月並みの掛け声を上げて杖を頼りに立ち上がった。
「先生、一つよろしいか?」今まで艦長席にしな垂れかかっていたゲルダが杖をつき、左足を引きずりながら段を降りていく老紳士を呼び止めて
「火星の戦士なれば、すべからく敵艦に乗り込み、あまたの敵兵をなで斬りにするまでのこと。我が身をひた隠しにしての精密狙撃。かような戦、我は好かぬ!」と、言った。
これにエドガーは、愛弟子に背中を向けたまま、スーツと同系色のソフト帽を被ると
「いずれ必要となる。必ず。……邪魔したね」これだけを告げ、艦橋と船体中央デッキを繋ぐエレベータに向けてびっこを引きながら歩み去ろうとする師にして養父の背中をゲルダは見つめながら本来の席に身を沈めた。
ゲルダの背に今までそこにいた師の温もりが伝わり、そこに残っていた微かにカビたような老人の体臭を彼女は嗅いだ。
「ゲルダ様、アサルトボート内の斑鳩より通信有り。いかがなさいますか?」傍に控えているカナン・東雲中尉が顔を曇らせて訊ねるもゲルダは笑みを浮かべつつ
「彼女はこの出動が最後の奉公だったな。宜しい繋げ。それとカナンよ、ボートを回収次第、距離一万二千を取れ。主砲による一斉射撃!あれを沈める」指令をくだしながらもゲルダの目はエドガーの背中を捉えたままだった。
艦長席で足を組んでいるゲルダは、副官のカナンが命令を復唱して足下のブースに控えているスタッフに指示を与えている声を耳にしながら、エドガーと初めて会った頃のことを思い起こしていた。
彼女の脳裏には、今より大分逞しかった養父の背に負われながら見た、火炎に包まれ、無残に煤けた故郷の光景が映っていた。
成人を迎え一人暮らしするまで生活を共にしてきたエドガーの背中が艦内縦貫エレベータの中に消えてから、ゲルダは徐に視線を今までエドガーと視聴していたモニターから中央大型モニターに移した。その画面には指揮官への目通りを許された三名の武者が。それぞれ宇宙時代における艦艇制圧戦、近接格闘戦に特化した特殊強化服と呼ばれる甲冑をまとっていた。
「ヴァルデス大佐、お目通り感謝いたします。先ずはこれまでのご厚情に御礼を申し上げたく存じます」と、真ん中の武者が顔を覆っていたガスマスク一体型となる装面、夜叉鴉と呼ばれる装備と烏帽子型の兜を取った。
その下から現れたのは瓜実顔に白い肌、細くきりっとした黒眉に切れ上がった狐目の美女であった。
「ヤヨイ・斑鳩、大義である!惜しいな。これまで我が海兵団を鍛えたスサノオが紅盾を手放すは」ゲルダはこう言うなり豪放磊落に笑って見せた。この指揮官の顔は養父の前で見せた柔和な表情から一介の戦士の顔に戻っていた。
「私の様な故国スサノオを追われた傭兵にはもったいないお言葉にて」三人の中真っ赤な甲冑姿のヤヨイはゲルダに謝辞を表しながら、兜の中でまとめていた黒髪を解けば、絹の輝きに似た漆黒の艶やかな流れが背中まで垂れた。
「ほんまに過分な評価やで。貴様のような邦の恥さらしには」ゲルダの傍らで目を伏せ、モニターの向こうには聞こえぬように呟く副官。ゲルダはこれを意に介さず
「此度の働きも見事であった。感謝する」と、言った。
「いえ、私なぞは後ろで控えるばかり。大方を討取ったは、この二人です。……これっ!指揮官の御前ぞ。無礼である。九七式を取らんか」
直接の上官から叱責を受けた二人の武者はあたふたと装面と兜を取り外した。二人の甲冑はヤヨイのような誂えの逸品とは異なり、艶消し黒に統一された規格品であった。アイスブルーに輝く暗視ゴーグル、鴉の嘴のような形状を為すガスマスクを外せば、未だにあどけなさが残る歳の頃なら十五、六の少女の面立ちが顕わになった。
その二人は気恥ずかし気に無言、上目使いでモニター越しにこちらを見つめるばかり。
「飛燕に雷電よ。目覚ましい働きであったようだな。嬉しく思う」
ゲルダから声を掛けられた途端にヤヨイの左に控えていた銀髪ショート、前髪で顔の左半分を隠すように垂らしている、ヨーロッパ系顔立ちの少女が頬を紅潮させ、その場で飛び跳ね嬉々とし始めた。
「飛燕、そうはしゃぐな。礼を述べるが先ぞ!」こう諭されても銀髪の飛燕は素直に感情を顕わにさせるのをやめようとしない代わりに、右隣りのヤヨイと同じ日本系の少女が
「か、過分なご評価感ひゃいた……します」と、言うや否や
「雷電、あんた今噛んだやろう。うけるんですけどぉ!」飛燕がヤヨイを挟んで雷電をからかえば、当の娘は兜内に納めていたポニーテールにまとめ上げていた毛先を手甲の付いたグローブでいじりながら頬を上気させるばかり。
「われらぁ、ここは控室じゃないでぇ!」ヤヨイが更に声高に叫べば
「えーっ!初めてゲルダ様からお言葉を頂いたんやもん。嬉しいとちゃいますか。姉武者様ぁ」と、飛燕も負けじと大声を艦橋内に響かせる始末であった。
「ええかや、わしがおらんようなったら、われら二人がゲルダ様の側仕えを担うんじゃぞ。しゃんとしんさいや!」
二人の背丈はちょうどヤヨイの肩辺りまでだが、体つきは成長著しく九七式特殊強化服はヤヨイの紅盾同様、胸の膨らみと臀部の張り具合が顕著な女性にフィットしたデザインとなっていた。
自分にとっては妹分となる二人それぞれの受け答えに暫し困惑顔のヤヨイ。ゲルダはこれを見て更に大笑してから
「将来が楽しみな二人だ。斑鳩殿、飛燕と雷電は我が預かる。鍛えてやろう」と言うと、ヤヨイはその場で威を正し
「なにとぞ良しなに。それではこれにて」と一礼してから通信画像は途切れた。
「あの凶状持ちと違うて飛燕、雷電は正式なスサノオ連合皇国からの派遣傭兵どす。うちはあの二人好きどすけんど」
中央モニターから目障りな奴が居なくなってせいせいしたと言わんばかりにこれ見よがしに声を張り上げるカナンに向け、ゲルダは部署に備え付けのモニター未だ映っている静止画像を指さしこう問うた。
「カナン……、『白鯨』にしっぺ返しを喰らわせて逃げ果せたこの艦の名は?」
『ハンニバル』全体に方向転換の横Gが加わり、更に少し身体がシートに押し付けられる感覚がゲルダを包み込んでいく。指令は滞りなく履行されつつあった。
「『ルカン』どす。確か『ラパス』級フリゲート艦の四番艦で……まぁ老朽艦言うても差し支えあらしまへんが」
「艦長の名は?」
「記録ではアレクセイ・ムーア少佐どす。中堅のベテランと言えば聞こえは良おすが、目やった武功はあらしまへん…それが?」
ゲルダは黙って、モニター上で再生され始めた画像を凝視しながら
「貴官の情報にしては、奇抜な戦い方だな。……気になる。詳細報せ。後日で良い」と、リクエスト。この言葉を最後にゲルダは手元のモニターの電源を落とした。
「目標との距離一万二千。方位〇-二七〇-マイナス四五にて遷移完了」航法担当からの報告が上がり続いて
「各砲座、レーザー照準宜し。弾種如何?」火器管制士官よりの通達も上がるや、ゲルダ・ウル・ヴァルデス大佐は足を組み替えて悠然と構え指示を下す。
「第一砲塔から第三砲塔はV-Ⅲ型重元素徹甲弾。第四、第五砲塔はV-Ⅶ型礫散弾を使用」
「全砲座砲撃準備宜し」
「『白鯨』の原子炉臨界点に達しました。今、砲撃かましたらそりゃ派手な花火になりますわなぁ」砲撃可能の報告を耳にした、カナンが楽しそうに含み笑いするを尻目にゲルダは静かにこう下令した。
つい先刻の遭遇戦時よりも数倍に匹敵する、小型の太陽の出現を思わせるような白炎の大火球が瞬時に実働試験艦『白鯨』の存在と記録の全てを飲み込み散華した。その後はいつもと変わらぬ久遠の闇が周辺宙域を塗り替えていくのみであった。
火星統合暦MD:〇一〇四年(地球西暦二二〇四年)三月二九日。
アトランティア・ネイションズ連邦海軍の公式記録によれば、”五〇二は公海宙域をパトロール中に一隻の漂流船を確認。生存者無し、これを曳航不可との判断により自沈処理を敢行せり。”とだけある。
MD:〇一〇四年八月一八日 自由フランス共和国首府軌道要塞『イル・ド・フランス』 政庁都市オロール=パリ 中央行政官区 軍事法務局第三法廷室
裁判官席に居並ぶ、胸に略章ばかりが目を引く煌びやかな制服姿の将官たちの前に、小柄な体躯に耳元で切り揃えた金髪、碧眼でソバカス顔。お世辞にも愛想の良いとは言い難い目付きの女性士官がただ一人被告席に立たされていた。
オリーブグリーンのブレザー型上着に白シャツとネクタイ。上着と同系色のタイトスカートという典礼用制服でこの場に臨んだ士官は、直立不動をとりつつも、その喧嘩を売っているような目付きで自分の階級より上役の面々を無言のままでにらみ付けている。
そんな士官の態度なぞ歯牙にも掛けない風で将星の一人が書面を見ながら
「当査問委員会は、被告ルナン・クレール海軍大尉に対して以下の決定を下すものである」と、さも面倒臭そうにその後を続けてだらだらと読み上げる。
「先の貴官の指揮下で執行された『対海賊陽動作戦』に関しての、当査問委員会の評価は『不可』と決定された。貴官の作戦行動はわが海軍の名誉と軍紀を著しく阻害したものと判断する!よって本作戦の立案及び現場指揮にあたった、西部軍管区第四制宙艦隊所属第七独立機動艦隊司令ルナン・クレール大尉はその指揮権を剥奪。降格処分として中尉への任官を命ずる。更に減棒二五パーセントを一〇ヶ月とする…以上!」
この決定に、ルナン・クレール元大尉は服命の意で、相手をにらみ付けたまま、白手袋をつけた右手で居並ぶ将星たちに敬礼して見せた。




