暗い部屋で父の夢を
ふと、思いついて気も向くままに書きました。
つたない文章ですが、少しでも興味を持っていただけたら幸いです。
お父さんが死んだ。
それから、夜が怖い。
暗闇が怖い。
暗くて、長い、夜が、怖い。
お父さんはどこか遠い町で事故にあったらしい。ある日、訪ねてきた男の人が教えてくれた。
男の人は目を合わせようとしない。私なんか見えていない。壁のシミと会話してるみたい。
その人は、お金と紙を置いていった。紙は、お父さんが死んだ証明書らしい。何やら難しい言葉がたくさんでよくわからなかった。かろうじて、お父さんの名前と、数字は読めた。
数字の読み方はお父さんが教えてくれた。
階段の多いこの町で、一緒に歩きながら数の数え方を教えてくれた。これからは一人で数えなければいけないと気づき、悲しくなった。
きっと紙に書かれた数字は、渡されたお金のことなのだろう。
体の大きなお父さん。こんな少しになっちゃった。
お金はなんどもなんども数えたけれど、どうしても証明書の数と合わなかった。
私は馬鹿だから、きっと数え間違えたんだ。
お金と紙は宝物箱に入れることにした。
箱の中には、お父さんが作ってくれた木の人形、きれいな石、お母さんの髪束。その一番奥にそっと入れた。
おなかがすいた。
くらいおうちには何もない。
お父さんが言ってた。働いた分だけお金をもらえる。私は働こうと思った。ちびで馬鹿な私でも何かできる仕事があるだろう。
まず、町に行ってみた。目に入ったパン屋さんの女の人。優しそうだったから声をかけた。
働かせてください
久しぶりに出した声は空気が抜けるような音しか出なかった。でも、女の人には届いたようだ。
「……あなたが働きたいの?」
うん
「それは…まだ無理かな」
どうして
「だってあなたいくつ?」
……いくつ?
いくつって何?知らない。知らない。
女の人は誕生日を何回迎えたと聞いてきた。
たんじょうびって何?知らない。知らない。
一つ分かったことは、私にできる仕事はないということ。でも、おなかが減った。宝物箱のお金は使いたくない。これ以上お父さんが小さくなってしまうのは嫌だ。
お父さんに会いたい。
私は道のわきに座り込んだ。お尻に固いレンガの感触。冷たい。
下唇をかむと血がにじんできた。口に入った血がおいしい。私は夢中で自分の唇をかんだ。
ふと気配を感じて顔を上げると、知らない人がパンをくれた。私は急いで食べた。足りない。また下唇をかんだ。また、気配を感じて見ると、さっきとは違う人が飴を二つくれた。一つ目はすぐにかみ砕いてしまった。二つ目は大事に舐めた。
空を見上げていると、私が座っている道の向こう側におじいさんが座っていた。
「……なんだい」
近づく私におじいさんは不愛想に言った。でも、目を見てくれる。たいていの人は私を見ると目をそらす。さっきのパン屋の人もそうだった。
なにしてるの
「物乞いさ」
ものごい?
「さっきからあんたもしてるだろ。いいよな、子供は」
私が物乞いというものをしていたから、あの人たちは食べ物をくれたのか。
わたしも物乞いしていい?
「わしに聞くな。勝手にすればいいだろ」
ね、ここでしてもいい
「だめだ、少し離れてくれ。いや、小さい子供がいたほうが…・」
おじいさんはぶつぶつと独り言を言った後
「よし、ここでやってもいいぞ」と言ってくれた。
私でもできる仕事見つけた。
まっくらな家に帰って、大きな布団に横たわった。今日はいいことがあったけれど、やっぱり夜は怖い。寂しい。この家は窓がないから、真っ暗だ。
私は、お父さんが脱ぎ捨てたままの寝間着を抱きしめた。ほのかにお父さんの匂いがする。落ち着く。でも、抱きしめても抱きしめても寂しさが濃くなっていく。
私はぺったんこの掛布団をたたんで、寝間着の中に入れてみた。ちょうどお父さんくらいに膨らんだ。それを抱きしめる。目をつぶると、お父さんに抱きしめられているようだった。
久しぶりによく眠れた。
それから、私は雨の日も風の日もおじいさんの横に座った。よく飴をもらった。私は小さいからちょっとの量でおなかがいっぱいになる。小さくてよかったと初めて思った。私は物乞いに向いているのかもしれない。
おじいさんは私がいると引きが良いと言ってご機嫌だ。
私は飴をなめながら、考え事をしていた。
悩みがあるのだ。寝間着からお父さんの匂いが消えてきた。これでもかというほど着古した洋服にはっきりとついていた優しいお父さんの匂い。それが最近薄れてきている。深呼吸をするようにかがないとわからないほどだ。
このままでは、また怖い夜に逆戻りだ。それは嫌だ。怖い。
「なんだ、においをつける方法?」
おじいさんは時々舌打ちをしながら、缶の中の小銭を数えている。
「そら、香水とかじゃねえか?」
こうすい
「お前、香水も知らねえのか。よくそこいら歩いてる姉ちゃんがよ甘ったるい匂いまき散らしているだろう。それだよ、それ」
こうすいってどこにあるの?
「確か、この通りの端に香水屋があったな…でも、あんな高いもんってどこに行くんだよ」
おじいさんの声を振り切って私は香水屋に走った。そこにお父さんの匂いはあるだろうか。
吐しゃ物だらけの通りの片隅に香水屋はあった。
重そうな扉を開けると、むわっと何とも言えない不愉快なにおいがした。
「…汚いガキが何のようだい」
こうすいを探してるの…
「ガキが使うもんじゃないよ。まったく最近のガキは色気づいて」
お父さんの匂い探してるの
「はあ?父親の匂い」
お父さんの匂い…探さないと……寂しい
「なんだか面倒なガキだね。あんたの父親は何の香水を使ってんだい」
…わかんない
「じゃ、どんなにおい」
…草みたいな木みたいな…あったかい匂い
「はあ、それじゃわかんないね。さ、帰った帰った。あんた臭くて商売にならやしないよ」
靴ベラで背中を押されて道に転がった。ころころころころ転がって電柱にぶつかって止まった。電柱のそばにある吐しゃ物のすえたにおいが嫌だ。逃げたいのに動けずにいると、頭の上から声がした。
「お嬢ちゃん、香水が欲しいのかい」
うん、お父さんの匂いが欲しいの。でも、おばさんに何の香水わからないと無理だって…
「じゃあ、作ってしまえばいい」
作る?
「そうさ。おじさんはねそこで香木ってのを売っているんだ。」
おじさんは、こうぼくという匂いのする木を売っているらしい。
「あんたの父ちゃん木みたいなにおいすんだろ」
あれよあれよと連れられていつの間にかおじいさんのお店にいた。木の匂いがする。確かにお父さんに近いかもしれない。おじいさんは、好きな木の匂いを嗅いでいいといった。
私はいろいろな木の匂いを嗅いだ。どれもお父さんみたいでそうじゃない。そういうと、おじいさんは私が特に近いと思ったいくつかの香木を聞いた。そしてそれらをナイフで削り、小さな麻袋に入れて渡してきた。
お父さんだ……
自然と顔がほころぶ。
「はい、じゃあお金」
え
「なにとぼけてんの、早くお金」
おかね……
「なに、まさかタダだと思ったの」
…いくら、ですか
おじいさんが言った金額はちょうど宝物入れのお金と同じくらいだった。
あのお金は使いたくない。お父さんがもっと減ってしまう。でも、でも、お金に変わったお父さんが、お父さんの匂いのする麻袋に変わるだけ。どちらもお父さんには変わりない。それにまた寂しい夜は嫌だ。怖い夜は嫌だ。お金は、抱きしめてくれないけれど、この麻袋は匂いとともに抱きしめてくれる。
私は、一度家に帰り宝物箱からお父さんを出して、おじいさんに渡した。
日の暮れた帰り道。私は麻袋を抱きしめて、時折立ち止まって嗅いで、また歩いた。
お父さん。お父さん。お父さん。
忘れかけていたお父さんの笑顔が頭に浮かぶ。
あれ、でもお父さんの顔ってこんなだったっけ
お父さんの笑顔ってこんなだったっけ
そのとき、ものすごい力で路地裏に引きずり込まれた。頭に衝撃が走る。麻袋が地面に落ちた。拾わなきゃ…。大きな手で口をふさがれた。大きな男の人。誰だろう。麻袋拾わなきゃ。なんだかうまく動かない足に力を入れて麻袋のほうへ向かう。
「逃げちゃだめだよ」
優し気な声とは対照的に強い力で私の肩をつかみながら男は言った。
……だれ
「しいて言うなら、君を買った人、かな」
…買う
「そう、君のおじいちゃんがね許してくれた。もちろんお金はおじいちゃんに渡してあるから」
何のこと…
「いつも、物乞いしてる姿、かわいいなと思ってたんだよ。たしかに汚いし臭いけど、顔は上等だよね、君」
大きな手がべたべたと体をはい回る。怖い。気持ち悪い。
「怖くないからね、大丈夫。ああ、本当にかわいいな」
全然頭が回らない。この人は誰。叫んだほうがいいのかな。おじいさんが私を売った。お金。汚い。くさい。頭がぐらぐらする。何も考えられない。
その時、女の人の叫び声が聞こえた。うっすらと見える視界の中、女の人が路地裏の出口で何やら叫んでいる。
「っち」
男は舌打ちをすると、私の腹を思いきり蹴り上げた。その顔は―
お父さん…?
あれ、私、お父さんにも―
「ちょっとあなた大丈夫、おうちは?お母さん、お父さんは?」
駆け寄ってきた女性の声にこたえる気力もなく、私はふらふらと立ち上がった。麻袋をつかみ取り歩き出した。追いかけてくる人はいない。
色が消えたような視界の中で、お父さんのことを考えた。
笑顔のお父さん。可笑しな顔をするお父さん。少し、酔っぱらったお父さん。
うん、やっぱりお父さんは優しい人。でも、なんでさっきの人が一瞬お父さんに見えたんだろう。なにか、あった気もするけれど思い出せない。頭がすごく痛いの。
お父さん。お父さん。お父さん。
麻袋を握る。お父さんはここにいる。私を守ってくれる。
視界が真っ赤に染まり始めた。よく見えないな。あ、でもあそこを曲がれば、私の家。
何とか家について布団に倒れた。力を振り絞って、麻袋を掛布団を詰めた寝間着の中に入れる。ぎゅっとすると、お父さんの匂い。
なんか寒いな。あ、そろそろ冬が来るのか。お父さんが死んでからもう半年くらいたっているんだ。そっかあ。頭痛いなあ。なんか寒いなあ。ああ、すごく疲れた。
私は、お父さんを抱きしめながら目を閉じた。
その日、夢を見た。お父さんが返ってくる夢。
やっぱり、お父さん生きてた。私はお父さんに駆け寄った。
お父さん、おかえりなさい
興味を持って下さりありがとうございました。