08 ※フラノはフラペチーノの略です
「なんだお前ブロッサ!」
クヅキが機嫌悪くブロッサに怒鳴る。
ブロッサは片眉をあげてクヅキをにらみ返した。
「なによ。いたの、クヅキ」
「いるわ。ここは俺の部屋だぞ」
「あの、あの、あの」
喧嘩でも始めそうな二人にタツミは慌てて間へ入った。
なぜタツミがこんな気を使わないといけないのだろう。
「なにか、あの、なにかご用ですか?」
にこりとブロッサが笑う。
「タツミの紋衣のパターンができたから持ってきた」
パターンができた。その言葉にタツミの胸は高鳴る。
クヅキも怒りは即座に鎮まったらしく、机に手をついて身を乗り出した。
「早いな。昨日の今日だぞ」
「ちゃんと仕事は滞りなくしてるから。ご心配なく」
「仕事もしてタツミのパターンも描いてって。ブロッサちゃんと寝てるのか?」
「んー、寝てない!」
どうりで妙にテンションが高い。
「え、大丈夫ですか? すみません、俺の」
「そういうのいいから。とにかく見て!」
ブロッサが持っていた紙の束を机に置いて広げる。
「え、でっかい!?」
A2用紙サイズが4枚もある。タツミは驚いて声をあげた。
ブロッサとクヅキが呆れ顔でタツミを顧みる。
「これ、実際の1/2縮図で出力したやつなんだけど」
「ふぁ。え、え。じゃ、ほんとうはもっと大きい?」
「そう。まぁこんなもんよ」
目を丸くするタツミの横でクヅキが紙を取り上げ目を凝らす。
「……複雑だな。タツミが作るんだぞ、できるかこれ」
「なにもタツミに一から十まで全部自分でやらせるわけじゃないでしょ。ポイントポイントは、タツミがいろいろ経験できるように、かなり考えたし」
ブロッサが4枚目を広げて見せる。
「あと、あえて裏地はなしにした。刺繍の裏側や端の処理があとから見られたほうが楽しいでしょ」
「そうだな。裏までやってたら、どんだけ時間かかるか分からん」
「その分布面積は減るけど。これで紋は組めそう?」
「もとからそのつもりだ。これだけでも、まぁなんとかする」
ブロッサとクヅキがなんか話しているのを聞き流しながら、タツミはしげしげと紙を覗いてみた。
変な図形が大きいのやら長いのやら並んでいる。まったく意味が分からない。これがどうやって服になるのだろうか。
「あと、これはタツミ用。はい、タツミ」
ブロッサが綴じたファイルをタツミに渡す。
「あ、はい、えっと?」
「ヒナコに作ってもらったの。この形でパターンを見せられてもなかなか理解できないでしょ」
うながされ、タツミは中を開いて見た。
型が洋服の形に沿って配置された縮小図や、縫製した場合のイメージで説明された図が描いてある。
「ほわあ」
そして、最初の一枚目に完成図があった。色がついていて、青空みたいな水色のフルジップパーカーだ。
「パーカーというか。この裾丈なら、ファーなしモッズコートって感じかも」
「モッ……?」
ファッションのファの字も分からない男二人は、「ああー、あれね」と適当にうなずく。
「空色にしたら、飛んでる姿が目立たなくていいかなって思って試しに塗ってみただけだから。色はタツミが好きに決めなさいよ」
もちろん飛行魔術の行使には、安全と治安のための規制がいろいろある。が、闇工房の作る紋衣がそんなものを律儀に守るつもりは微塵もない。
本当は幻術でも使って誤魔化せるのが一番だろう。でも使用者がタツミだから、魔力も魔導紋展開面積もそんな余裕はない。
せいぜい捕まらないよう頑張って逃げてね、というわけだ。
がんばれタツミ。
「あの俺、緑とか好きなんで、どうかなって思ったんですけど。でも、こういう水色も、なんかいいですね」
たぶんこの明るい色を着こなすのは難しいが。タツミはそこまで考えていない。考えられるわけがない。
「刺繍の色のことも考えとけよ。お前は初心者なんだから、布地と刺繍糸がおんなじ色だと難しくなるぞ」
「あー、そうね。同色で明度変えるか、反対色にするかとかでも雰囲気変わるしね」
「え、俺、え」
戸惑うタツミの肩をブロッサは笑いながらポコポコ叩いた。
「大丈夫。まず布を決めて、それから合う糸をいくつか選べばいいから」
「あ、はい」
「布地もね、初心者には縫いやすいのと難しいのがあるの。難しくないやつからいくつかサンプル選んでおくから、その中から選びなさいよ」
「刺繍もやりやすい布とそうでないのがある」
今回は作るのが初心者で着るのも製作者だ。見栄えや着心地、値段より作りやすさ最優先である。
「ええと。たとえば、どんな布が?」
「んー、そうね。縫製も刺繍もだいたい一緒で、薄い布とか厚い布は難しい。伸縮する布とか、表面がつるつるしてるのとかも」
「あと刺繍は織り目と布目の詰まり具合も大事だ」
「はぁ」
よく分からない。
「ブロッサ、お前どの辺の生地出すつもり?」
「定番の厚手コットンサテンは厳しいでしょ。だから中肉のコットンリネンあたりかなと思ったんだけど。いっそ毛織物とかどう? 無地のフラノか、サージか」
「綾織りだな。刺繍には悪くないが、紡毛は毛羽立ち具合による」
「そっか。選ぶとき気を付ける」
さっぱり分からない。
「あと見返しには紋入れないで」
「は? そりゃいいけど。なんで?」
「共地にしないから。あえて分かりやすく差別化しようと思うんだけど、せっかくだから小柄地で隠しおしゃれにする」
「ふうん。好きにしろよ」
まったく分からない!
タツミをおいてけぼりにしてブロッサとクヅキは楽しそうに相談している。
タツミの紋衣なのだからタツミも加わりたいものだが、いちいち説明してもらうのも申し訳ない。あとで時間があったらクヅキに聞いてみよう、と思う。
クヅキなら聞かれて面倒くさがらず教えてくれるだろう。たぶん。
二人が話終えるのを待つ間、タツミはもらったファイルへ目を落とす。
分かりやすくしてくれた図面でも、一瞥で理解できるほどタツミに易しくはない。
けれど見ていると、実際にこれを作るのだと実感が湧いてくる。……というか、本当にこれがタツミに作れるのだろうか。
そう思うと不安だ。ただ。目の前に仕立てのオニと刺繍のオニがいる。この二人に無理とか無茶とかという言葉はなく、たとえやるのがヘボのタツミであろうとなかろうと完成させるだろう。
あ、やっぱりなんか恐い。
「これ……俺……できますかね?」
「なに言ってんだ。その話は99文前に終わっただろ」
お前がなに言ってんだ。
「大丈夫だろ。ブロッサもそう言ったし。俺もお前の器用さなら、少なくとも刺繍はできると思う。まぁ問題は」
そう言うクヅキの視線がちらりとミシンを見る。どきりとタツミの心臓は跳ねた。
「……ミシン」
タツミのミシンはものすごく遅い。大丈夫だと言ったブロッサは、まだそのことを知らない。
「いや、ミシンじゃない」
クヅキも本当に遅いことを、まだ知らない。タツミが隠してるいるからだ。
「あの、俺、ほんとは、調子よくても遅くて」
「どんだけ遅くても、それはこの際どうとでもなる」
せっかくタツミが勇気を出して告白したのに切って捨てられた。
クヅキが深刻なのは、と言う。
「アイロンだ」
「アイ……え、アイロン?」
それはあれだ、熱かったりしゅーしゅー湯気が出たりして、洋服のシワを伸ばしたりできるやつだ。
タツミにはアイロンに難しいイメージはない。そもそも紋衣作りとそこまで関係する気がしない。
「そうよねぇ。問題は、アイロンよねぇ」
「え」
ブロッサにまで形のいい眉を歪められ、タツミは戸惑う。
「なんで、……なんでアイロン、ですか?」
「アイロン重要なのよ。縫製の良し悪しってね、実は八割がたアイロンがうまく使えるかどうかで決まるの」
「え、そうなんですか」
「てかな、うまく使えるうんぬん以前に、あれはすっげ魔力食うんだ」
魔力と熱の変換効率は悪い。そのうえアイロンは縫製中たびたび使うがために保温し続けるか、さもなければ使う度に魔力を注ぎ込んで加熱しなければならない。
タツミレベルの魔力では、ミシン以上に苦労させられるだろう。
「俺も使えないからな。ライドウに魔力充填してもらうか、冬なら火熨斗って手もあるが」
アイロンの性能上、それほど魔力を溜めてはおけない。たびたび補充してもらったりなんだりと、クヅキにとっても面倒この上ない。
「アイロンはみんな苦戦するのよねぇ。なんとかなるといいんだけど」
工房のお針子たちもE判定ほどではないが比較的魔力が低い。平均D判定だ。
多少でも魔力の高いメンバーがアイロンを引き受けたりして工夫しているが、しかしたびたび使う上にアイロンの出来で仕上がりが決まる。人任せにはしたくないという職人も多い。
「金属系の魔導紋は繊維系と違って重ねにくいからな。省略とか効率上げるの難しいんだよ」
クヅキもあまり得意ではない。
「まぁあれよね。この紋衣を作りながら、タツミが一番やりやすい製作の形ができればいいんじゃない」
アイロンを自分で頑張るのか、諦めて人に頼むのか、クヅキのように力を借りるか。試すしかない。
「それじゃあ、またそのうち生地見本選んで持ってくるから」
ブロッサの用事は済んだらしい。来たときと同じ唐突さで部屋を出ていく。
「おい、ブロッサ。適当に休んで寝ろよ」
「はいはい」
手をパタパタ振りながら戸口をくぐっていった。
「まったく。仕事となると夢中になるからな、あいつ」
あの様子ではまたすぐ次の仕事に取りかかるだろう。もっともブロッサの仕事が早かったおかけで良かったこともある。
タツミが不安だなんだと言いつつ、嬉しそうにファイルを読んでいる。その姿はさっきより元気なようで、やっぱり今日のタツミは少し変だったのだ。
この調子でタツミに仕事を覚えさせよう。
「おい、タツミ。お前にやってほしい仕事がある」
ファイルから顔をあげたタツミは、やや不思議そうに顔をかしげた。
ブロッサが来る前のやりとりなど、すっかり忘れているのだろう。
「あ、はい。えと、なんですか?」
クヅキはにやりと笑った。
「お前にできそうな仕事。魔力回路、だ」
やっとこさ調子でてきた感じがします