2 みんな仲間じゃん
*
「眠り病」になった犠牲者は自分で栄養をとることができず、寝たきりになるため心肺機能も落ちてゆく。たいていのケースでは長期療養施設で専門的なケアを受けているという。
しかしルカさんは昏睡状態におちいったのが昨日ということもあり、まだ自宅におり、シングルマザーなお母さんがつきっきりでそばについていると聞いていた。
外廊下を進み、部屋の前へやってくると、乙宮さんが神妙な顔つきでインターホンのボタンを押した。反応がない。慎重に、またボタンを押す。そうやって何度か繰り返したあと、ようやく動きがあった。
ガチャリ、と解錠する音がしたのだ。そのまま玄関ドアが開いてゆき――あらわれたのは爆発した寝ぐせ頭をした、褐色の顔だ。
「ルカっち!」
「どえわっぷ」
抱きついてゆく乙宮さんを、ルカさんが寝ぼけまなこで受けとめる。すぐに起きだしてきたルカさんママが、応援しているプロ野球チームが日本シリーズを制した直後みたいに喜怒哀楽を爆発させ、しばらくカオスなことになった。
「……よかったので、ございます。ういっ、ひっく、うっく、なのでございます」
騒ぎの最後列で涙ぐむ珍念さんからも離れ、ぼくはいったんあがらせてもらった部屋をあとにする。外階段を下りると、朝の相貌が強まっていた。空は青みを増し、綿雲が白く朝日を照り返している。ぼくは駆けた。たちまち息が上がってしまったけれど、我慢して走り続けた。
目指す豪邸へ行き着く前に、その人はあらわれた。
「舞坂さん!」
最後の力をふりしぼり、ぼくは足を前へ投げだすようにして急いだ。舞坂さんの目の前までやってきたときには、その場で倒れそうなほどへたばっていた。
舞坂さんは泣いていた。こらえてもこらえても、涙があふれ出してくるふうだった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ルカさんも、乙宮さんも、珍念さんも……みんな助かった。舞坂さんのおかげで――」
しかし舞坂さんはいやいやをするように首を横に振るばかりだ。
「みんな……わたしに託してくれたのに……最後の最後で、みんなを見捨てようとした……わたし、裏切りものになっちゃった……もう二度と、みんなに顔向けなんかできないよ」
やはり舞坂さんは自分を断罪していた。ムシカの誘惑に屈しかけたことで。
「きっと、あれがわたしの正体なんだ……どんなに隠したって見抜かれちゃう……だからみんな、わたしに近づいてこない、距離を置こうとする……だからみんなは悪くない……わたしのせい、ぜんぶわたしのせいなんだ……」
涙と鼻水でぐしょぐしょになった顔を上げ、舞坂さんが笑顔のまがいものめいた、こわばった表情を浮かべた。
「これでわかったでしょ? わたしがどういう人間だか……真っ黒だよ、ブラックホールだよ……こわいよね? わたしだって、こんな人間いたらぜったいに近づきたくない……巻きこまれたくないって思う……だから、カムイくんも無理しなくたっていい」
来るな。近づくな。舞坂さんは口ではそう言いながら、助けてくれと全力で叫んでいるふうにしか見えなかった。ぼくは肩を怒らせた。そのままにらみつけるように、舞坂さんを見据える。深呼吸し、ゆっくりと口を開いた。
「そんな程度で、真っ黒、だって? 馬鹿にするなよ……そのくらいでそこまで自己否定しなくちゃなんないんなら、ぼくなんか、いったいどうすりゃいいんだ? 黒い絵の具、一億本作ったって、まだまだ有り余るくらいブラック&ブラックってことになるじゃないか」
舞坂さんが涙目をしばたたかせ、ぽかんとした顔つきを浮かべた。
「自慢じゃないけど、ぼくはカナヅチだ。学校でプール開きが近づくたびに、神さまに祈ってた。お願いだから、夜のうちにミサイルで学校をこっぱみじんにしてくださいって。宇宙からの隕石でプールをこなごなにしてくださいって」
舞坂さんが呆気にとられた表情のまま、眉根を寄せた。そうだ。それでいい。
「おまけに生粋のいじられキャラときた。乙宮さんがかましてくるヤツなんてカワイイもんだ。イジリだなんて向こうが思っているだけで、こっちはイジメにしか感じられないのなんてしょっちゅうだった」
舞坂さんはとうに泣きやんでいた。ぼくはなおもわめくように言う。
「そういうときは、妄想の世界でとことん仕返しするんだ。ときには行き過ぎて殺しちゃったことだってあった。そんなことがあっても懲りずに、何度も何度もひどい空想をもてあそぶのをやめられなかった。どうだ、幻滅した? ひどいやつだって思った?」
舞坂さんが首を横に何度か振りながら、それでもひるんだようにほんの少しだけ身を引いた。そのしぐさに、ぼくはめげそうになる。それでもどうにか自分を燃え立たせた。
「これでもずいぶん手加減して告白してるんだからなっ。もしもぼくの心の中身をのぞき見れる装置があったら、舞坂さんは、もっともっとおぞましいものを見ることになるんだからなっ。それでも見たいかっ?」
舞坂さんが、思わずといった具合にちいさくかぶりを振る。ぼくは、自分が取り返しのつかない自虐プレーに走っているのを自覚しながら、さらなる自滅の長広舌を振るおうと――。
「あーっ、抜け駆けカムイがリンリン泣かしてるーっ」
ぎくりとして振り向くなり、ぼくは勢いよく押しのけられた。
「リンリーン、ありがっとーっ」
舞坂さんが珍念さんばりに目を白黒させているのもかまわず、乙宮さんが抱きついてゆく。ぼくの頭頂部を、大きな手が優しくポンポンする。ルカさんが堂の入ったウィンクをよこしてぼくの横を通り抜けると、乙宮さんごと舞坂さんをハグする。
「あ、あの、できればワタクシも、まぜてほしいのでありますがっ」
ちょこまかとやってきた珍念さんを、ルカさんが持ち上げるようにしてハグの中に引っぱりこんだ。すっかり虚脱したぼくの、まだ痛みの残る脇腹を、誰かが肘で軽く突く。安達くんだ。今度は肩を軽くはたかれる。やはりミッチー。ふたりの顔には苦笑が浮かんでいる。きっと、いまのぼくの顔にも、似たような表情が生じていることだろう。
「あ、あの、ちょっと待って」舞坂さんのうろたえた声。「わ、わたし、土壇場で思っちゃったんだからねっ。い、生き残るのは、もうわたしだけでいい、だなんて。みんなを見捨てて、その――」
「おーっ、なっかまじゃーん」乙宮さんがあっけらかんと笑声をあげ、すぐに泣きまねをする。
「うっうっ。アタシだって、何べん思っちまったことかー。どうすりゃみんなを出し抜いて、アタシだけで生き残れっかなーって」
「いーや、どー考えたって無理じゃん」ルカさんが呆れ気味に突っこんだ。「乙宮のあのリボンじゃあ、どうやったってノーチャンス確定やがな」
「うっうっうっ。ルカっちにはプリンセスアイアイを最後まで守り抜くっつう騎士道精神が、かけらも備わっとらんのかいっ」
変顔で肩をすくめるジェスチャーをするルカさんのそばで、珍念さんがぴょんぴょん跳ねた。
「およよよよっ。このワ、ワタクシめもっ、おお情けなや……卑怯者の血がいつも騒いでおったのでございます」
珍念さんが両手でリズミカルに、胸のあたりをぱふぱふはたく。
「まず逃げろ。戦うよりも逃げが肝要。ここにのさばるリトル珍念が、かような悪魔のささやきをば、しょっちゅう致してきたのでございますー。ううう、面目ない」
「まー、あたしも似たようなもんだからなー」ルカさんが励ますように珍念さんの肩をたたいた。「どうすりゃ一晩夜更かしできんのかなー、あのバトルをキャンセルできんのかなー、昼のうちに寝貯めしときゃマジで行けるんちゃうかなーって、いっつも思ってたしなー」
「おおおっ、そんな恐怖に耐えながら、ルカっちは毎晩、プリンセスアイアイのもとへ馳せ参じてくれたったのねっ! ぬおおっ、わがシモベよっ、褒美のキスをつかわしてくれようぞっ」
乙宮さんがルカさんめがけて首っ玉にしがみつくと、そのままぶら下がってチューのかたちにくちびるをとがらせる。
「うひゃっ、ちょいやめっ、んぎゅっ、やめてえーっ」
もがくルカさんのほっぺたに、乙宮さんの濃厚なキスが、ぶちゅっぶちゅっと炸裂する。
そんなふたりの姿に、珍念さんが笑っていた。どーしようもねーな、という感じで、安達くんとミッチーもくつくつ笑いをこぼしている。舞坂さんもこらえきれないというふうに、ちいさく笑みこぼれていた。その顔にはもう、さっきまでの悲愴感もない。
と、いつもの透き通ったまなざしがぼくに向けられた。それることなく、視線だけでうなずくようなしぐさが入る。目顔でありがとうと告げるように。
どういたしまして。ぼくも、心の中でそう返していた。
〈了〉




