6 オガっち無情
*
「おい……なんか、聞こえてこねえか?」
ミッチーがおびえもあらわに、ぼくに確認してくる。
空耳なんかじゃない。ぐおおおーっ、がおおおーっ、とまがまがしい咆哮がトンネル道の先から聞こえてくる。逃げよう。そんな弱腰が首をもたげたのはいっしゅんだった。
怪獣じみた声からは、何者かと戦っている気配がしっかり伝わってきたのだ。
「どわっ、おい、待ってっつーの」
ミッチーが呼びとめるのを無視し、ぼくはふたたび駆けだした。やがてトンネル道の側面に、例の咆哮の聞こえてくる、出入り口ふうの開口部が見えた。あらわれたのは、先ほどの広間よりもさらに大きなスペースだ。
「舞坂さん!」
セーラー服姿の少女が、その可憐なたたずまいからは想像もつかない豪快な剣撃で、五メートルはあろうかというトカゲのバケモノを真っ二つにした。
広間の奥が急に暗がりになっており、そこからトカゲモンスターがつぎつぎ押し寄せてくる。しかし舞坂さんはひるまず剣を振るい、そのたびに切断レーザーのような衝撃波が放たれ、モンスターどもがたちまち両断されてゆく。
まさに鬼神のごとき戦いっぷりに、ぼくが手助けできる余地なんてありそうもなかった。
「お、おい……あっち」
ミッチーが指差したのは舞坂さんの背後だ。珍念さんがうずくまっていたのだ。舞坂さんは相変わらず、トカゲモンスターを寄せつけない強さを発揮している。ぼくは珍念さんのもとへ駆け寄った。彼女が無事だったことに安堵を覚えながら。
「も、もう大丈夫だよ」
声をかけると、カメのようにうずくまっていた珍念さんがぼくを見上げた。
その涙と鼻水まみれの顔はあからさまな恐怖にいろどられている。この状態の珍念さんは、表情とは裏腹な勇敢さを見せる設定だったはずなのに……やっぱりあのトカゲモンスターは荷が重かったのかな? まあ、ぼくだってきっと、あんな肉食恐竜じみたモンスターの大群に襲われたら、体がすくんでどうにかなっちゃってたよね――。
「ねえ、ユミたちはどうしたの?」
望月さんがなじるように問いかける。祐美とは遠藤さんの下の名前で、これまたかつての乙宮さんグループの派手メンバーだ。
「あんたら、一緒に逃げてたんでしょ?」
確かに珍念さん以外、メンバーの姿が見当たらない。ひょっとして……あのトカゲモンスターにみんな、食われてしまったのだろうか?
「まさか……あんたのせいで?」
珍念さんがうずくまったまま、両腕で頭を抱えた。
「ちょっと、黙ってないでなんとか答えなさいよっ」
望月さんがとうとう珍念さんの脇腹を蹴り上げる。
「おい、やめとけよ。それ、八つ当たりにしか見えねえぞ」
ミッチーが望月さんをはがいじめにして珍念さんから引き離す。
「放しなさいよっ」
望月さんがわめき、人差し指を珍念さんに向けてまっすぐ伸ばした。
「このウジ虫が見捨てたんだっ、祐美たちを見殺しにしたんだっ」
「そういう言い方はねえだろっ。こいつだって、必死に守ろうとしたに決まってんだっ」
望月さんの相手はミッチーにまかせ、ぼくは珍念さんのそばで膝をつき、助け起こそうとする。そのときだ。
珍念さんが歯をカチカチ鳴らしながら、もごもごとつぶやいたのだ。
「え?」
聞き返すと、珍念さんがふたたびその言葉を繰り返した。
「ニンジャが……」
「はあ?」
舞坂さんのほうを見ると、トカゲモンスターはもう数体しか残っていなかった。やつらはどこからどう見ても、忍者になんか、見えないんですけど。
「オニの……面を」珍念さんがまたつぶやく。
鬼の面をかぶった忍者? そう言いたいのだろうか?
「じゅぶりじゅんぎゃうぼにえっ」
素っ頓狂な奇声に、ぼくは、はっとする。
舞坂さんの前に、もうトカゲモンスターはいなかった。とうとう全滅させたのだ。その代わりに対峙しているのは、中世の騎士の姿で、巨大ハンマーを構えている……小笠原くんだ。
「ちょうぶんげびりやぁっ」
小笠原くんが襲いかかる。ぼくの心臓が氷をなすりつけられたみたいに跳ねる。
「ダメだーっ」
「いやーっ」
ぼくの絶叫と望月さんの悲鳴が重なったときにはもう、舞坂さんの長太刀が一閃していた。
その斬撃はあのぶあつそうなプレートアーマーをものともせず、小笠原くんを胴体から両断する。斜めになった切断面にそって、騎士の上体が下半身からスライドしてゆき、とうとう地面に転がり落ちた。
「いや……」望月さんがすとんと腰を落としてつぶやいた。
「いやああああーっ」
次いで、その口から狂ったような叫び声がほとばしる。小笠原くんがあの騎士モンスターに変身させられていたのは、すでに聞かされていたのだろう。
しかし、舞坂さんはその事実を知らなかった。知らずに、仲間殺しに手を染めてしまったのだ。
「ああっ、そんなっ、やだっ、いやだっ」
ぼくも望月さんに負けないくらいの大声でわめきながら、舞坂さんのもとへ駆け寄る。
「神永くん……」
舞坂さんがこちらを振り返る。粒子となってさらさらと消えてゆく元小笠原くんの残骸を背にして。ポーカーフェイスの仮面を脱いであらわれた、気高さと純朴さが同居したような彼女の素顔に、ぼくはぐっと胸をつかれた。ああ、なんてこった。
その神々しく、はなない姿がやがて幾億もの粒子となり、輪郭をあいまいにし、風に吹き流されるように溶け去って……いくかと思いきや、いつまでたっても舞坂さんは舞坂さんのままだぞ。
あれ? いったいどういうこと? 喜びまじりに戸惑うぼくに、舞坂さんが首をかしげる。
それからはにかむような笑みを見せて、わずかにうつむく。
「よかった。無事だったんだ」
おおお。やっぱりぼくなんかを心配してくれたんですね。その感激を味わいたくて……ぼくは、たったいま彼女が斬り捨てた相手の正体を告げられずにいた。
もちろん、そんな心遣いなんて焼け石に水だ。起きあがった望月さんが、舞坂さんにつかみかかったのだ。
「この殺人鬼っ、アクマッ、おまえなんかっ、地獄に落ちちまえっ」
追いかけてきたミッチーがまた望月さんをはがいじめにして、引きはがす。
舞坂さんはおびえまじりの困惑を顔に浮かべ、どういうことかと目でたずねてくる。ぼくは渋々答えた。
「さっきのヨロイモンスターの正体……小笠原くんだったんだ」
わけがわからないのだろう、舞坂さんは眉を八の字にしてこちらを見つめるばかりだ。
ぼくはできる限り簡潔に説明する。小笠原くんが宝石箱のトラップにまんまと引っかかり、モンスターにされてしまったと。できればこんな真実なんて、知らせたくなかった。事情をのみこむにつれ、舞坂さんの顔が青ざめていったのだ。
長太刀が、舞坂さんの手からこぼれ落ちる。
「じゃ、じゃあ、わたしが、この手で……小笠原くんを?」
もたげられた舞坂さんの右手が、見る見るうちに痙攣しはじめる。
「あれはもう、小笠原くんじゃなかったんだ」ぼくは否定せずにいられなかった。
「その証拠に、舞坂さんはぜんぜん消えずに、こうして、ぼくの前にいるじゃないか。ペナルティーの条件は、仲間に手をかけること。もう仲間じゃなくなれば……モンスターに変身させられたら……その条件からはずれるんだ」
事実、そういうことなのだろう。しかし舞坂さんにはおためごかしにしか聞こえなかったようだ。涙目でぼくを見つめ、ゆるゆるとかぶりを振るばかりなのだから。
「よくもオガくんを殺しやがったなっ! その手でっ、ためらいゼロでっ、クラスメートをっ、バッサリとっ、あんたはそれでもヒトかっ? おらっ、人なのかよおおおおっ」
望月さんが首を左右にねじりながら、なおも非難の言葉を投げつける。
「転入生っ! あたしは、アンタのこともぜったい許さないっ。よそ者のくせにっ、よくもっ、オガくんのことを、もう仲間じゃないなんて決めつけやがったなっ。このヘタレモヤシっ。アンタも、そこの剣道バカと一緒に、呪われちまえばいいんだっ」
舞坂さんがすとんと腰を落とし、そのまま尻もちをついてしまった。
その目からも、完全に焦点が失われている。
「おいっ、神永っ」わめいたのはミッチーだ。「とりあえず望月をつれ帰っから、そんで別のやつをつれてくっから、それまで舞坂と珍念のこと頼むぞ」
望月さんが正気をかなぐり捨てたように暴れもがき、吠えたてると、負けじとばかりにミッチーも大声をあげた。
「それから舞坂あっ。おれは、おまえが悪いなんてちっとも思っちゃいねえからなっ。おまえは最善ってやつを尽くしたっ。おれたちがこれまでどうにか、そりゃ、何人かは欠けちまったけどよっ、それでも多くのやつが生き延びてこられたのも、みんなおまえのおかげなんだっ。その恩をおれも、神永も、珍念も、ぜったいに忘れやしない。だからっ……くそっ」
それからきびすを返し、もがく望月さんもろとも大広間をあとにする。ぼくは涙ぐんでいた。不覚にも、ミッチーがまくしたてた励ましの言葉に感極まってしまったんだ。
舞坂さんは苦しみに耐えるように荒く呼吸をついている。最強剣士の面影はとうにけし飛び、いまにも、壊れてしまいそうに見えた。
ぼくはほかにどうすることもできず、舞坂さんの前にひざまずくしかなかった。
「あ……あ……」
舞坂さんが涙でぬれた目ですがるようにぼくを見る。ぼくはおずおずと腕を伸ばし、のどからこぼれ出そうになる心臓をどうにか飲み下した。
よこしまな気持ちはなかった。本当に、舞坂さんの中で荒れ狂う苦しみを少しでも分かち合いたかったんだ。
やがて、舞坂さんがぼくのほうへぐったりと身を預けてくる。
やわらかな重みが確かな熱をともなって伝わってくる。これまでこらえてきたものをもはやせき止めることができなくなった。そんな勢いで泣きじゃくる舞坂さんを、ぼくはただ、そっと抱きしめ続けることしかできなかった。
*
翌日、小笠原くんや遠藤さんを含めてあらたに六名が昏睡状態におちいり、「眠り病」にかかってしまったことが判明した。
ミッチーをはじめ、ゲームからの離脱に失敗した生徒たちが遅れて登校してくるなか、舞坂さんと珍念さんだけが、最後まで姿をあらわさなかった。




