3 二人の容疑者
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「で、でもどうしてそんなウソをわざわざ?」
責めているつもりはなかったのに、舞坂さんはいっそうしゅんとしてしまった。
「ぼ、ぼくでよかったら話してみてよ」
力になれるかどうかわからないけど、なんて余計なセリフもこぼれそうになった。でも、なんとかこらえる。そう。舞坂さんに頼りにしてもらえる、せっかくのチャンスなんだ。ぜったいに逃すわけにはいかないよ。
ぼくから目をそらしたまま、舞坂さんがつぶやくように打ち明ける。
「まだ、ホントの犯人が捕まってないから」
瞬時に悟る。例の事件だ。乙宮さんによれば、グンゼくんっていう元同級生が報われない恋心を逆恨みに昇華させたあげくに襲撃したってことになっていたけれど。
「グンゼくんは、濡れ衣を着せられて殺されたかもしれないってこと?」
ぼくが確認すると、舞坂さんがこくりとうなずく。それから訴えた。
「だって、現場どころか学校からも、凶器は発見されなかったんだよ? 郡是くんがわたしを襲ってすぐ屋上から飛び降りたんなら、凶器はいったいどこへ行ったの?」
舞坂さんは死ななかった。殺人ではなく傷害にとどまったような事件では、捜査一課が出張ることもなく、その捜査もいい加減になされるってネットで目にした覚えがある。ましてや、被疑者がすでに亡くなってしまった事件だ。凶器が見つからないという謎も、あっさり看過されたとしてもおかしくない……のかな。
「真犯人は、わかってるの?」
ぼくの問いに舞坂さんがかぶりを振った。一拍置き、ぼそりと付け加える。
「でも、疑わしい人はいる」
「だ、誰?」
舞坂さんはためらうようなそぶりを見せたあと、意を決したふうにくちびるを噛みしめ、それから腰を浮かせた。ぼくの耳もとに口を寄せて、その容疑者の名を告げようとしたんだろう。でも、寝たきりの生活が長かったせいか、体の筋力がまだ戻っていなかったみたい。
そのままよろけ、こちらへ倒れこんできちゃったんだ。
「あぶないっ」
抱きとめようとしたぼくも浮き足立ったせいで、体にうまく力が入らず、彼女を受け止めきれなかった。そのままふたりして、ベッドの下へもつれあうようになだれ落ちてしまう。ぼくが押し倒されるようなかたちで。こ、これは現実なのですか?
遅れて腰を打ちつけた痛みがやってきて、思わず顔をしかめてしまう。
「ふ、ふわあ……だ、だ、大丈夫?」
うろたえる舞坂さんのようすに、キャラ崩壊なあどけなさがにじみ、ぼくはますますドキドキしてしまう。起きあがろうともがく舞坂さんをとっさに助け起こそうとするが、けっきょくどさくさにまぎれて抱きつくみたいになってしまった。
ぼ、ぼくはいったい何をやってるんだ。まるで酔ったのをいいことにやりたい放題狼藉を働くエロジジイみたいじゃないか。あわてて身を放そうとするぼくに、今度は舞坂さんがぎゅっとしがみつくように体重をかけてくる。
「あ、あ、ありがと……あ、脚がうまく動かなくって」
え? ぼくの助力を受け入れてくれたってこと? ところどころ、ひよこのような、子犬のような、柔らかい感触が体の表面を通して伝わってくるような気がするんですけど……ぼくの視覚センサーが把握したところによれば、舞坂さんは乙宮さんとちがって凹凸の少ないスレンダーバディーだから、きっとこれはぼくの脳が生みだしたバーチャルリアリティー……って、こ、こらえろ、理性を取り戻せっ、神永カムイ!
ぼくはフル稼働する心臓をどうにかなだめつつ、舞坂さんをベッドへ移そうとする。
ところが足がもつれ、今度は舞坂さんを押し倒すかたちでベッドへ倒れこんでしまう。
「んきゃっ」
舞坂さんの口から、当初のクールな印象を完全に宇宙の果てへかっ飛ばしてしまったような、かわいらしい声がもれた。すんません、すんません、わざとじゃないんです。出来心でもないんです。ああもう、本当にまずい。ぼくはこのまま昇天しちゃいそうだ……のがれようとするぼくを、舞坂さんの腕がしっかりホールドして身を放せなくなってしまう。アーメン。
「誰に殴られたのか、確認はできなかったの。うしろから突然襲われたから」
かすれたささやき声に、ぼくはフリーズしてしまう。
事件に見舞われたときのことを話しているのだ。ちょっとビブラートのかかったウィスパーボイスで、舞坂さんが続ける。
「あの日、珍念さんの名前で呼びだされたの。郡是くんのことで、どうしても相談したいことがあるからって、屋上に」
全校集会をさぼって足を運ぶよう、そのメモ用紙には指示が記されていたという。
普段、屋上は施錠されていたが、そこへ出るための合い鍵は生徒たちのあいだに広く出回っており、教師たちに内緒で自由に出入りする者があとを絶たなかったそうだ。
「屋上のドアは最初から開いてた。そういうふうにしてあるって、メモにも書いてあったから。で、ドアを開けたとたん、いきなり――」
鈍器か何かで後頭部を殴られたというわけか。
珍念さんが自分を呼びだしたとは、舞坂さんも信じていないのだろう。ぼくは、彼女と異様な密着状態にあるっていう現実を半ば忘れて、たずねた。
「誰を、疑ってるの?」
「第一候補は、ヒルマ先生」
ぎょっとするぼくに、舞坂さんがあらたな事実を告げる。
「グンゼくんは、珍念さんの幼なじみだったんだ」
話の道筋が見えず、ぼくはひとまず、彼女が語るに任せることにした。
「グンゼくんは気弱で、やさしい感じの子だった。一年生のとき、ミチタニくんたちが珍念さんをいじめてるのを見過ごせなくて」
道谷聖矢――白チョークミッチーの本名だ。
「もう彼女には手を出さないでほしいってお願いしたんだって。それがきっかけで、今度はグンゼくんが、いじめのターゲットになった」
その状況を変える転機になったのが、二年生へ進級するときにおこなわれたクラス替えだった。
「わたしとか、あの人……乙宮さんも、イジメは嫌いだったからやめるように強く言って……それで道谷くんも、グンゼくんに手を出すのをよしたんだ。でも――」
二学期になってから、舞坂さんたちのクラスでイジメがあるという訴えが、学校の上層部、さらには教育委員会に向けてなされたのだという。
「それで、比留間先生の管理能力が問題にされたらしくて、先生……どんどんノイローゼみたいになっちゃって」
まさか、ぼくの頭に理解がおとずれる。
「その密告をしたのが舞坂さんだって、比留間先生は疑ったの?」
ゆっくりと、舞坂さんがうなずいた。
「すれ違うたびに、おれの人生をめちゃくちゃにする気かってすごまれた」
今朝、舞坂さんが教室にあらわれたとき、あの実直そうなメガネ教師がどんな反応を示したのか確認しなかったのを、ぼくは心底悔やまずにいられない。
「グンゼくんがフラれた恨みをつのらせて舞坂さんを殺す。そういう事件にでっちあげて、イジメ疑惑を消そうとしたってこと?」
「じつは――」
舞坂さんがためらいを見せる。大丈夫だから、とぼくがうながすと、舞坂さんは安心したようにちいさく息をつき、告白を再開する。
「比留間先生、前からわたしのことを憎んでたの」
舞坂さんはどの授業も真剣に耳を傾けるよう心がけていたという。だが――。
「比留間先生……わたしの目つきが気に食わなかったのかな? 思わせぶりなクソビッチめ、とか……授業が下手で悪かったなあ、とか……ほかの人に聞こえないよう言ってくることが前々からあって――」
そんな状況に拍車をかけたのは、二年生の一学期末におこなわれた授業アンケートだった。
「わたしね、ちょっとお習字もやってたから、字を書くのもけっこう得意なんだ」
さりげないお稽古ごと自慢ではないのは、舞坂さんの緊迫した口調が物語っている。
「でね、徳伊くんも字が得意なの」
ダジャレか! なんてふざけた突っこみは浮かんだ瞬間に無辺世界へ放棄した。徳伊金吾――ぼくに白チョークミッチーをけしかけたモンキー坊主だ。
「ほかの人がいうには、わたしたちの書く文字ってそっくりなんだって」
そこまで聞けば、展開も読めた。
「徳伊くんがアクセル全開でアンケート用紙に匿名でぶちかましたディスりを、舞坂さんが書いたものだって、比留間先生が勘違いしたってこと?」
「いくらわたしじゃないって訴えても、こういうこと書くのはおまえ以外にありえないって決めつけて、こっちの言い分をぜんぜん信じてもらえなかった。他人のせいにするなんて、おまえの性根はとことん腐ってるなって……」
ぬぐぐ。徳伊くんがいますぐ爆発すべき人材なのはもちろんなんだけど……おおおっ、ふざけるなああっ、ヒルマめええっ。妄想を燃料にっ、一方的に舞坂さんへの憎悪をつのらせたあげく、殺そうとするなんてえええっ、許せねええええっ……と、ここであることに気づいた。
「そ、そういえばさっき、舞坂さんは比留間先生のこと、第一候補って呼んでたよね? ってことは……第二候補もいるの?」
案の定、舞坂さんが、うん、と応じてから告げた。
「アダチ、くん」
ぼくののど元を、冷たいものがすべり落ちてゆく気がした。




